2023/09/28 - 2023/09/28
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kojikojiさん
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イスタンブールを出港して2晩してようやくイオニア海のコルフ島に到着しました。今回のクルーズ最初の寄港地で、ここへ来るのは22年ぶりのことです。前回はイタリアのバーリから列車でブリンディジへ移動して、翌日朝のフェリーでコルフまで移動しました。その時の旅には強烈な思い出があります。コルフでは旧市街にある「ベッラ・ヴェネツィア」というホテルに4日ほど宿泊していました。カノニへ行くためや「アヒリオン・パレス」へ行くためにバス停でバスを待ちますが、時刻表の通りの時間にいてもバスはやってきません。最終日にはレイト・チェックアウトにしてもらい午後5時まで部屋を使えるようにお願いしていました。海水浴をして午後4時にホテルへ戻るとフロントの女性が腕時計を叩きながら「もう時間よ。」と急がせます。まだ時間前なのにと思いながらもチェック・アウトしてタクシーを呼んでもらい、空港へ向かいました。そして出発ターミナルに入った瞬間、これまでの出来事のすべての謎が解けました。まるでナイト・シャマラン監督の「シックス・センス」のラストシーンで謎が解けた瞬間のように背中に電気が走ったような気がしました。ターミナルの中にはたくさんの時計がありましたが、その全てが自分の時計と1時間違っていました。イタリアとギリシャの時差1時間を忘れたままコルフ島を旅していたのです。毎日バス停でバスを待っていても来るわけはありません。ホテルのフロントで急がされた理由も自分が悪かったのだと…。今回は添乗員さんと一緒のツアーなのでそんな心配はありません。ツアー参加者は一度集合した後に下船口からクルーズターミナルの建物までシャトルバスに乗り、セキュリティーを抜けてから待っていた現地ガイドさんと大型のバンに乗り込みます。港を回ってから「新要塞(ネオフルリオ)」の脇の道に入りますが、ここは22年前に荷物を担いで歩いた道だと分かり懐かしく感じました。ガリツァ湾に出た後は南に向かい、最初の観光地である「モン・レポス」に向かいます。本当はオーストリアの皇妃エリザベートの別荘である「アヒリオン・パレス」に行く予定でしたが、出発前の案内で修復工事中で見学できないと知りました。これは本当にショックなことでした。なにしろ「アヒリオン・パレス」を妻に見せるための旅行でもありました。「モン・レポス」という別荘は最近脚光を浴びるようになった場所で、その理由はエリザベス女王の王配であるエディンバラ公フィリップ殿下の生まれた家ということです。内部にはその当時のものは何も残ってませんでしたが、小さな考古学博物館のようになっていて、初めて来たので良しとします。次に向かったのはカノニにある「ネズミ島」と海に浮かぶ「ヴラチェルナ修道院」です。ここへは前に来たことがあり、すぐ脇にある空港へ着陸する飛行機の写真を撮って遊んだ場所です。高台まで昇ろうかと思いましたが登らなくて正解で、バンで展望台まで上がってくれました。残りの時間は旧市街の入り口にある「旧要塞」の前でバンを降りて1時間ほどの自由時間になりました。添乗員さんとチチビラというジンジャービールを探して旧市街をさ迷い、残りの時間はクムカット(金柑)のシロップ漬けやリキュールを試飲して買っているうちにタイムアップです。本当は陽が落ちて明かりが灯った後の旧市街は観光客の姿も減ってとても風情があるのですが、悲しいかな船に戻らなければなりません。船に戻って景色を眺めているうちに晩ご飯の時間になってしまいます。2時間後の午後9時に部屋に戻ると月明かりの下に離れていくコルフの「旧要塞」の姿が見えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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今回のクルーズ最初の寄港地であるギリシャのコルフ島に到着しました。午後1時に到着して午後9時には出港になります。妻は初めてのコルフですが、22年前に来ている懐かしい港です。
コルフ港 (ケルキラ港) 船系
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スプレンディダを下船したところからクルーズターミナルまではピストン輸送のバスが2台運行していて、数千人のお客をさばいています。バスといっても数分のことなので、歩いている人もかなり多いようです。
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一応セキュリティを通過して表に出ます。コルフ島のマップがあったので他の皆さんの分ももらっておきました。
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今回は10人のツアーに添乗員さんなのでメルセデスの大型のバンでの観光となりました。フロントガラスにはツアー名として我が家の名前が書かれてありました。ツアーの終わりにその紙は貰っておきました。
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港を離れるとスプレンディダが美しい姿を見せてくれます。
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バンは港を離れて「新要塞(ネオフルリオ)」の脇の道を通過します。22年前はイタリアのブリンディジからフェリーに乗ってコルフまで来て、荷物を担いでこの道を歩いたことを思い出します。
ネオ フルリオ (新要塞) 史跡・遺跡
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ノルマン人がシチリアに王国を建国すると、11世紀から12世紀にかけてこの島を支配しています。12世紀後期はジェノヴァの私掠船団がこの島を支配しましたが、のちにヴェネツィア共和国によって追放されています。その後エピロス専制侯国に引き渡され、1267年にはナポリ王国のアンジュー家の所有となりますが、ナポリ王国の支配力は弱く、1386年にケルキラ島はヴェネツィア共和国の保護領となり正式な主権を獲得します。1797年にフランスが占領するまで、ケルキラ島はヴェネツィア共和国の領土であったため、島の各地にはヴェネツィアの象徴である有翼の獅子、サン・マルコの紋章を見ることが出来ます。
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「新要塞(ネオフルリオ)」には古い見張り台も残っています。マルタ島のヴァレッタやクロアチアのドゥブロブニクの城壁が思い出されます。
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台座にブロンズのプレートが嵌められたオベリスクは、1835年から1841年までイオニア諸島の高等弁務官であったイギリス人のハワード・ダグラスに捧げられています。コルフ島での道路の建設、精神病院、貧困者住宅や刑務所の建設、イオニア高校とイオニア銀行の設立、電信局の運営などの功績があった人物です。ここからは海岸線の道路を南に下ります。
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本当はオーストリアの皇妃エリザベートの別荘である「アヒリオン・パレス」に行く予定でしたが、出発前の案内で修復工事中で見学できないと知りました。これは本当にショックなことで、なにしろ今回の旅は「アヒリオン・パレス」を妻に見せるための旅行でもありました。クルーズの途中で立ち寄るトリエステでは「ミラ・マーレ城」にも行く予定にしていました。
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代替えの観光地として到着したのが「モンレポス(Mon Repos)」です。この別荘は1828年から1831年にかけてイオニア諸島の英国高等弁務官であるフレデリック・アダムスと彼の2番目のコルフ出身の妻であるディアマンティーナ「ニーナ」の夏の別荘として建てられました。19世紀初頭の新古典主義建築の典型的な例です。しかし、アダムスのインドへの転務により、実際に使われることは少なかったようです。
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1834年には美術学校となり、1863年には公園として一般公開されました。オーストリアのエリザベート皇妃は1863年に滞在しています。ここで彼女はコルフ島に恋をし、後に自らの別荘である「アヒリオン・パレス」を建設します。
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1864年にコルフ島がギリシャと合併した後、別荘は夏の離宮としてギリシャのジョージ1世に提供されました。彼はそれを「モンレポ」(フランス語で「私の休息」)と改名しました。1990年にコンスタンティノス2世が国を逃れるまで、王室の夏の離宮として使用していました。
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ギリシャ王子アンドレアスとアリキ妃の間にギリシャとデンマークのソフィー王女、後のエリザベス女王の王配となるエディンバラ公フィリップ王子(ギリシャ名:フィリッポス)、ギリシャとデンマークのアレクシア王女はこの宮殿で生まれています。フィリッポスはダイニングルームのテーブルの上で生まれたと言われます。
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フィリッポスの生後1年ほどしてギリシャでクーデターが発生します。ギリシャ国王コンスタンティノス1世は退位を余儀なくされ、ゲオルギオス2世が即位し、コンスタンティノス1世の弟である父アンドレアスは、ギリシャ革命政府から虚偽の理由で死刑を宣告されます。
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アリキ妃は弟のジョージ・マウントバッテン卿に連絡し、英国政府の介入を求めます。英国は軽巡洋艦カリプソを派遣し、砲艦外交による圧力の結果、ギリシャ革命政府はアンドレアス王子一家を英国に引き渡しました。その後、1924年4月の国民投票により王制の廃止が決定し、共和政(ギリシャ第二共和政)への移行が決定されてゆきます。
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没収された別荘は1974年のギリシャ共和国の宣言から数年後に物議を醸す状況となります。追放されたコンスタンティノス2世の他の財産の没収は欧州人権裁判所での訴訟につながりました。裁判所はギリシャ共和国に追放された国王にその価値の1%未満の補償を支払うよう命じ、ギリシャ国家が財産の所有権を保持することを許可されます。
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宮殿は「パリオポリス モンルポ博物館」として2001年に一般公開されました。エディンバラ公フィリップが亡くなった後に脚光を浴びるようになったと聞いていますが、ここまで来る道中の観光客を考えると閑散としています。館内はフラッシュを使わなければ写真撮影が可能でした。アテネのアクロポリス博物館のレリーフのレプリカも販売されていました。
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博物館としては1階と2階の2フロアが開放されています。展示室は12室あり、
ギャラリー 1: 展示のレイアウトと建物の歴史に関する資料。
ギャラリー 2: コルフ島における英国統治に関する常設写真展示。
ギャラリー 3: 邸宅の最初の居住者であるアダム卿夫妻 (1828 ~ 1831 年) に関する資料の展示。
ギャラリー 4: 公共の建物としての邸宅の使用 (1832 ~ 1864 年)、および旧ギリシャ王室の夏の別荘としての使用 (1864 ~ 1967 年)。
ギャラリー 5: 19 世紀のパライオポリスでの最初の考古学的発掘。
ギャラリー 6: モンルポの植物園への簡単な言及としてのヴィラのアトリウム。
ギャラリー 7: 古代遺跡のあるカノニ半島の模型。 街の歴史を年表で表したもの。
ギャラリー 8: 19 世紀初頭のリージェンシースタイルのインテリアデザイン。 -
2階では
ルーム 9: 「Circumnavigation」: 地中海の通信ネットワークにおける重要な位置にあるこの島の、長期にわたる基本的な役割に特化した展示ユニット。
ギャラリー 10: 商業、政治、経済の中心地としての古代都市のアゴラ。
ギャラリー 11: アゴラのローマ浴場。
ギャラリー 12: 古代コルキュラの聖域の建築とカルト儀式。
ギャラリー 13: パリオポリスの最も重要な場所とその発掘に関する写真資料。
ギャラリー 14: ビデオ展示「コルフ: 古代都市から近代都市まで」。 -
フレデリック・アダムと彼の2番目のコルフ出身の妻であるディアマンティーナ・パラティアノウは裁判官のニコライア・パラティアノウの娘で、コルフ島で最も古い家系の一員でした。
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その当時のディアマンティーナ・パラティアノウの衣装だと思われます。ドレスの裾のポンポンがギリシャっぽいです。
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ディアマンティーナ・パラティアノウの肖像画も掛けられています。
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部屋の中に入れないので確認することは出来ません。
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エントランスからホールを抜けた真正面には優雅な螺旋階段が設けてあります。
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リージェンシー・スタイルのインテリアが美しい部屋です。このスタイルは古典的な古代ギリシャの優雅さとシンプルさとロマン主義を組み合わせています。
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ドアの扉だけが古いままで、建設当時のものではないだろうかと感じました。
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天井がガラス張りになったアトリウムまで設けてあります。温室のように使われたのでしょうか。
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螺旋階段を上がって2階の見学をします。手摺りのデザインは意外にシンプルで、ギリシャを感じさせるものでもありませんでした。
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優雅な螺旋階段です。
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鉄格子の扉は何のためのものだったのか。
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階段を上がった2階のホールはドーム天井の吹き抜けになっています。スプレンディダのデッキから見えたドームの中の確認が出来ました。ウェッジウッドのジャスパーウェアを連想させる色使いです。
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2階の6部屋はようやく博物館らしい設えになっていました。
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トライリームと呼ばれる三段櫂船の模型がありました。レイ・ハリーハウゼンの特殊撮影映画「アルゴ探検隊の大冒険」を思い出してしまいます。
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昔コルフ島で買ったTシャツは変色もせずきれいなまま残っていたので、妻に着てもらいました。
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アンフォラは主に液体の運搬に使われました。陶器でできているため、もろくて乱暴に扱うとひびが入ったり割れました。二重の長い持ち手によって船の積み込みの際に港湾労働者が手から手へと簡単に渡すことができます。またアンフォラを収納したり、ロープで吊るしたりする際には、引っ掛ける部分となりました。底が尖っているので、重いアンフォラを引きずって運ぶことができ、底が無いため貨物室の空きスペースが少なくなり、より多くの荷物を積むことができました。また、海が荒れていても荷物がずれなかったようです。アンフォラは安く作ることができたため、輸送用のものは通常は再利用されませんでした。
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ここへ来るまで来る途中にはローマ時代の風呂の遺跡や古代ギリシャ時代の市場の遺跡があります。そこで発掘された遺物も展示されていました。当時鋳造されたコインが並んでいます。
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ギリシャ建築のペディメント(破風)のデザインは以前来たときに行った「ケルキラ考古学博物館」館を思い出させるものでした。中央の像はゴルゴンで、ギリシャ神話に登場する3姉妹の怪物のことです。ゴルゴンは海神ポルキュースとケートーの子どもで、上からステンノーとメウリュアレーとメデューサという名前を持ちます。
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「ケルキラ考古学博物館」で見た紀元前580年頃の「アルテミス神殿西破風彫刻」はインパクトが強く写真にも残っていました。頭髪の一部は蛇に変わり、左右に広がっています。そして腰のベルトも2匹の蛇が絡み合っていました。
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「パリオポリス モンルポ博物館」にあったのは紀元前580年頃の「ヘラ神殿」の安置フィックスという屋根瓦の装飾で、デザインはよく似ています。口から舌を出すのがお約束のようです。
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「キュベレーのテラコッタ」紀元前3世紀のものです。この女神は死と再生の神の一柱で、キュベレーの夫は同時にキュベレーの息子であるアッティスとされます。キュベレー崇拝は現在のトルコであるアナトリアとシリアの内陸部からクレタ島などのエーゲ海の島々やギリシア本土にまで拡がり、アテーナイ(アテネ)では特に歓迎されたようです。
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紀元前6世紀後半の「踊る女性像のテラコッタ」と見比べてみると、300年ほどでその造形の進歩に驚かされます。
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1864年から1967年までの時代の展示です。イオニア諸島とギリシャの統合ののち、1864年にこの建物と庭園はコルフ島の州議会から当時のギリシャ工区王のジョージ1世に譲られます。国王はこの建物を「モン・ルポス」と呼び、1967年までこの建物は旧王室の別荘として使われます。
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彫刻家のパブロス・プロサレンティスは1811年に私立美術学校を開設しました。ギリシャで設立された最初の近代的な学校とされます。1815年にコルフ島が大英帝国の保護領になったとき、高等弁務官のトーマス・メイトランド卿は学校を「公立美術アカデミー」に変えました。この部屋は彼に関わる資料が展示してあるようですが、部屋の中に入ることは出来ませんでした。
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1階に降りてきて海側のテラスを窓から覗いてみます。当時は目の前の木々も無かったのではないでしょうか。高台からの眺めは美しいもので、トリエステの「ミラ・マーレ城」からの眺めを思い出してみます。
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1835年から1841年までイオニア諸島の高等弁務官であったイギリス人のハワード・ダグラスの胸像がありました。海岸線で見たオベリスクは彼に捧げられたものです。
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フレデリック・アダムスの肖像画の掛けられた執務室のような設えの部屋です。
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この宮殿を建てたイオニア諸島の英国高等弁務官であるフレデリック・アダムスの肖像画を最後に眺めて見学を終えます。
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ジブリの「風の谷のナウシカ」に出てくるナウシカのモデルは、ギリシャ神話のナウシカアーとされていて、神話ではこのコルフ島の王女だった人物です。ナウシカの舞台とされる世界の絶景は諸説ありますが、この島もその1つといわれます。
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路線バスに乗ってアテネから行ったデルフィで周囲を眺めた時、「風の谷のナウシカ」の風の谷は絶対にここだと思ったことがありました。大型バンに乗ってカノニへ向かう道路はナウシカアーの道だと現地の女性ガイドさんが教えてくれました。
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カノニの海岸線に出ると「ヴラチェルナ修道院」が見えました。ここでバンを降りて20分ほどの自由時間になります。カノニ(Kanoni)の名前の由来は、ここにフランス軍の大砲が置かれてたのでこう呼ばれています。昔ベトナムを旅行しているとき上海に駐在しているフランス人の家族がいて、キャノンのレンズが壊れたというので1日貸してあげたことがあります。その人がカノン(Canon)と発音していたので、キャノンは大砲だったことを思ったことがありました。
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昔より立派になった桟橋を渡って海に浮かんだ修道院の見学に向かいます。
カノニ 自然・景勝地
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カノニにはこの修道院ともう1つ「ネズミ島」が有名です。ポンディコニシ(ネズミの形)と言う名の島は、叙事詩「オデュッセイア」でイタキに帰る王の船がポセイドンの怒りで岩に変えられてしまったと言う伝説の島でもあります。
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島へは往復3ユーロで渡れるのですが、そんな時間はありません。ギリシャっぽいカラーリングの渡船に乗ってみたい気持ちが湧き上がってきます。
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現在の「ヴラチェルナ修道院」は17世紀に建てられ、修道院は1980年まで尼僧院として運営されていました。白い小さな教会と2階建ての鐘楼があり、その基部には修道院の中庭への入り口であるアーチが形成されています。
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1世紀に起源を持つ正教会は主にギリシャ・東ローマ帝国を中心に伝統を継承したために「ギリシャ正教」の通称が使われるキリスト教の教派の1つです。正教会は自らをローマ・カトリックから分かれた教会であるとは考えず、自らこそを初代教会からの正統としています。
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ギリシャ正教会はクレタ島を除くギリシャ共和国内の正教信徒を管轄する独立正教会の名で、コンスタンティノープル総主教ではなくアテネ大主教が管掌しています。
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25年前にギリシャの内陸部を旅した際にはアテネをスタートして教会ばかりを巡ったものでした。アテネ近郊の「ダフニ修道院」と「ケサリファニ修道院」からスタートして、「オシオス・ルーカス修道院」やミストラの教会群の遺跡、メテオラの修道院のほとんども歩いて参拝しました。
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一番思い出に残っているのはテッサロニキとカストリアの教会の参拝でした。テッサロニキでは鍵がかかっている教会が多く、近所のカギを預かっている民家を訪ねて鍵を開けてもらうことが多かったです。カストリアではその当時あった国営ホテルに泊まり、近くにある考古学博物館の係員さんの車に乗せてもらって4つの教会を巡ったことがありました。
テッサロニキ:https://4travel.jp/travelogue/10422224
カストリア:https://4travel.jp/travelogue/10422237 -
ギリシャ正教での思い出というと一番強烈だったのは日曜日の午前中に乗る地方へ行く長距離バスのことです。毎週日曜日の午前中はアテネの「ミトロポレオス大聖堂」での聖体礼儀はテレビで中継され、ラジオでも中継されます。バスの車内にはラジオ中継が流されるのですが、十字を切るタイミングで乗客は目をつぶり祈りを捧げて胸で十字を切ります。問題なのはこれはバスの運転手も同じだということです。
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バスで移動していて町の教会が見えるだけで胸に十字を切りますが、日曜日のそれはかなり長い秒数になります。かなりのスピードで走るバスの中で周りの人が祈りを捧げて目を閉じているのは恐怖以外の何物でもありませんでした。対向車のドライバーも同じラジオを聞いて胸で十字を切っています。
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「ヴラチェルナ修道院」の沖合に浮かぶ「ネズミ島」です。ポセイドンのノロイはいまだに続いています。その向こうから飛行機が近づいてきます。
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修道院の屋根の脇をかすめるように高度を下げてきます。
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スターアライアンスの旅客機が「コルフ国際空港」に着陸していきます。
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滑走路のエンドにはラグーンを渡れる橋があり、真上に着陸する旅客機が通過する世界的に有名な場所です。そこへ向かっている途中で2機の旅客機が立て続けに着陸していきます。
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観光地として人気のあるコルフ島はヨーロッパ各地からチャーター便も含めた離着陸が多い空港です。小走りに滑走路の真下に向かいましたが、間に合いませんでした。
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その後しばらくは着陸する飛行機はありませんでした。ここでのんびり待っている時間は残っていません。
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この沖合いを先ほどスプレンディダで通過したわけです。
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妻やツアーのメンバーや添乗員さんお姿が見えます。妻は気が付いたようで、手を振ってくれました。
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離陸する飛行機が来るということは着陸する飛行機は無いということです。22年前に「コルフ国際空港」からアテネに向かうときは逆側から離陸したので、窓から修道院と島を見ることが出来ました。
コルフ国際空港 (CFU) 空港
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バンは高台にある展望台にも寄ってくれました。ここからの眺めは有名で、絵葉書にもなっています。
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修道院の脇にはお土産物屋が併設されているのですが、絵葉書を買おうとしたら前の女性がたくさんのお土産を買って包装していた。並んでいると店のお兄さんは顎をしゃくるような仕草で、持って言ってくれましたくれました。0.5ユーロのことですが嬉しいものです。
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家に帰ったらもう一度「オデュッセイア」を読み返してみようと思いました。しばらくは4トラベルの旅行記の作成で無理ですが…。
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そろそろ年賀状の写真を考えないといけない季節になりました。今回はツアーなので何枚かの写真を撮っていただくことが出来ました。これで郊外の観光は終わりで、コルフの旧市街へ戻ることになります。
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バンは「スピナーダ公園」の脇の「パレオ・フルリオ(旧要塞)」の運河で停車しました。ここで1時間ほどの自由時間になります。「パレオ・フルリオ(旧要塞)」の城壁にもヴェネツィア時代のサン・マルコの紋章が見えます。
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「パレオ・フルリオ(旧要塞)」も22年振りに見学したいところですが、1時間では旧市街を少し歩く時間しかありません。
パレオ フルリオ (旧要塞) 史跡・遺跡
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「スピアナーダの噴水」と呼ばれるヴェネツィア時代の噴水を抜けて旧市街に向かいます。
スピアナダ公園 広場・公園
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懐かしい遊歩道に出ます。日中でも美しいですが、夜になると石畳に明かりが反射してとてもきれいなのですが、ゆっくりしている時間はありません。
ケルキラ (コルフ)旧市街 旧市街・古い町並み
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前回は「ベッラ・ヴェネツィア(Bella Venezia)」という古い屋敷のホテルに宿泊して、こんなレストランで1人で食事していたので懐かしくなります。
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「聖スピリドン教会」の鐘楼が見える通りに入ります。ここも夜になると観光客が減って風情が増すのですが、あと2時間後には船に戻るようです。
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添乗員さんと一緒にこのお土産物屋までやってきました。昔来たときもここで買い物をしたような気がします。おばあさんが奥から金柑を持って出てきてくれました。
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金柑はもともと日本や中国が原産地ですが、1920年代にイギリスの農学者がこの島に持ち込み、今では島の北西部を中心に栽培されています。この金柑はクムクアットというリキュールに加工され、地元の人びとからも愛されています。
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「アギオス・イオアニス教会」は金柑の色に染まっています。近所のスーパーで添乗員さんのおすすめの「チチビラ」を探しますが、これが意外に見つかりません。
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「チチビラ(ジジビラ)」はケルキラ島(コルフ島)のジンジャービールのことです。19世紀にイオニア諸島がイギリスの保護領であった時代にイギリス軍によりジンジャービールもたらされましたが、とりわけケルキラ島の人々に気に入られました。ギリシャ風に訛った「チチビラ」としてそのまま定着し、島の名物の1つとなっています。
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ジンジャービールの製法はいくつかありますが、ケルキラ島で作られるチチビラは酵母で発酵させるタイプのようです。ジンジャーパウダーと砂糖、レモン汁とイースト、水のみで作られるヘルシーなドリンクで、近年の伝統食品ブームによりギリシャ全土でも知名度が上がったそうです。1本2ユーロだったので、2本飲んで2本お土産にしました。この店の名前「ガラクトボウレコ(Galaktoboureko)」は「ミルクボレック」というギリシャのセモリナを使ったカスタードデザートのことです。店主のお姉さんはエキゾチックなクレタ人のような美人だったし、食べてきても良かったと思いました。
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ここで添乗員さんとはお別れして、旧市街を彷徨い歩くことにします。もう少し時間があれば前に泊まったホテルの前あたりまで行きたい気もしました。途中に花柄の絵のペイントの美しい陶器屋さんがあって、そこにも行きたかったのですが。
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小さな雑貨屋さんの店先ではきれいな野菜や果物が売られています。
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イスタンブールで飲めなかったザクロジュースのことが思い出されますが、ジンジャービールを飲んだばかりなので諦めます。
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これくらい真っ赤に熟れたザクロは搾ったら美味しいでしょうね。4年前の晩秋にトルコを周遊した際、イスタンブールのスルタンアフメトで飲んだ柘榴ジュースの味は忘れられないほどおいしかったです。
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奇麗なオレンジ色の金柑は1キロ17.8ユーロです。思い返せばドラクマの時代のギリシャは旅をしていても安かったです。ユーロが導入されただけで4割くらい値上がりしたような気がします。イタリアとスペインも3割高くなった気がしました。1ユーロが100円ちょっとの時代でもそんな感じでした。
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全く同じデザインのトライリームの船の詩集がされたTシャツが売っていました。当時500円くらいでしたが、22年も経つと2,500円くらいになっています。
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目的もなく路地裏を歩いていると、当然のように迷子になってしまいます。個人旅行ではそれが楽しいのですが、時間の限られたツアー客には命とりです。
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戻ってもつまらないのでどんどん先に進んでみます。
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本当はこんなところで昼下がりのビールが美味しいのですが。つまみにはカラマーレなんかを注文して。
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旧市街の北側の「聖母マリア スピライオティッサ、聖ブレイズ、聖テオドラ アウグスタの聖メトロポリタン教会」まで出てしまいました。近くにあったカフェのお姉さんに「聖スピリドン教会」への戻り方を訪ねると、この脇の坂を登ればすぐよと教えてくれます。
ビザンティン博物館 (ケルキラ島) 博物館・美術館・ギャラリー
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登り切ったT字路のお土産物屋の女の子に尋ねるとすぐ脇の道を曲がればすぐよと教えてくれます。路地を曲がって鐘楼が見えるとこれで安心です。集合時間に遅れることはありません。
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最初に金柑のシロップ漬けを試食させてもらった店に戻って、クムクワットのシロップ漬けを友人たちへのお土産にしました。それ以外に試飲して美味しかったクムクワットのオレンジ色のリキュールとコーヒーを加えたリキュールの2本も買い求めました。これでタイムアップです。
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時間には全員揃ったので晩まで戻ります。これでツアーも終了です。
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晩ご飯をキャンセルして午後8時くらいまで旧市街にいることも出来ますが、少人数のツアーでもあるし皆さんと行動を合わせることにします。
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バンが海岸線に出ると停泊しているスプレンディダがきれいに見えました。全長333.33メートルは東京タワーが横たわった長さですからその巨大さが分かります。
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フェリーターミナルでバンのドライバーさんとガイドさんともお別れです。セキュリティーを通過しますが、アルコール類の持ち込みのチェックもありませんでした。セキュリティの先には小さな免税店もありました。
コルフ港 (ケルキラ港) 船系
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行けなかった「アヒリオン・パレス」の庭にある「瀕死のアキレウス」の像の写真パネルがありました。アキレウスはホメーロスの叙事詩「イーリアス」の主人公で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれました。母テティスは不死の体にするために冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸しました。その際にテティスの手はアキレウスのかかとを掴んでいたため、そこだけは水に浸からず、かかとのみは不死となってしまいます。そこに矢が刺さり瀕死の状態の彫刻です。オーストリアのエリザベート皇妃はアキレウスを愛し、別荘の名前にもアヒリオンと名付けました。
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ホメロスの「オデュッセイア」と「イーリアス」の世界を旅しているのだと感じます。帰りもシャトルバスに乗って船に戻ります。
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ここにもソヴィエト時代の水中翼船が停泊していました。
フェリー 船系
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あっという間の半日のショアエクスカーションでした。10年前だったら個人で観光したはずですが、夫婦ともに60代になると旅への執着心も衰えてきたようです。
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早目にクルーズ船に戻ったので部屋でのんびりすることが出来ました。バルコニーからはコルフ湾越しに島の北部の山々がきれいに見渡せました。コルフという名前には山という意味もありました。
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「ムプローザド(Mprouzádo)」という名前の付いた岩の脇をヨットが通過していきます。
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港に停泊していたソヴィエト時代の水中翼船が北に向かって水面を疾走していきます。後方部はデッキになっているので表に出ることが出来ます。子供の頃に静岡で水中翼船に乗ったことがあり、冬だったので後方デッキが凍っていたのと富士山がきれいだったことを覚えています。
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一度これに乗ってみたいと思っていながらも、まだその機会がありません。
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コルフ湾に浮かぶヴィド島の近くには漁船が走っています。ヴィド島には教会が1つとレストランが1軒あるだけのようです。
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夕食の時間前まで部屋で持ち込んでいたジンを飲んで過ごしました。氷は部屋のアイスペールを持って14階のビュッフェレストランへ行けば貰えます。
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ようやく晩御飯です。この日から1組のご夫婦が14階のブッフェレストランで食事されるというので添乗員さんと我が家の3人が大テーブルに移動して9人テーブルになりました。前菜は「白身魚とポレンタのフライ」で、揚げた野菜とカリカリの白身魚のフライもそのままでも美味しいですが、タルタルソースをつけるとさらにおいしいです。揚げたポレンタも初めて食べましたが美味しいものです。
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「ニューイングランド・チャウダー」 はさらっとしたクラムチャウダーで、浅利がたっぷり入っていて体に沁みます。
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メインは「サーモンのグリル」で魚メインのメニューになりました。付け合わせはほうれん草と揚げたオニオン、マッシュ状態になったコーンも美味しいです。外がカリカリに揚がったサーモンも身がふっくらして美味しいです。
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妻はローストビーフにポテトとインゲン豆が付け合わせです。
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デザートはレモンシャーベットとミントのアイスクリームでした。ちょっと溶けてしまっているのは…。
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突然吹き抜けの下でレストランの給仕の人たちのパフォーマンスが始まって、その写真を撮っていたからです。
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途中からは飛び入りで踊り出す人やダンスするカップルなども乱入して大賑わいでした。
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22年前に買い求めた絵葉書を1枚両親あてに書きました。30歳のころから旅行に出ると必ず両親あてに絵葉書を1日1枚書き続けて、もう何枚になったか分かりません。トルコでもギリシャでも切手を買えていないので出せるかも分かりません。
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お土産に買った「チチビラ」
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地元の友人へのお土産はクムクワットのシロップ漬けです。味は日本のおせち料理に入っている金柑を煮たものと全く変わりません。
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食事から部屋に戻るとスプレンディダはイタリアのバーリに向かって出港したところでした。ライトアップした「パレオ・フルリオ(旧要塞)」が美しく見えました。
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2023年9月29日の満月は十五夜(中秋の名月)でもあります。アメリカ先住民の間では「ハーベストムーン」とも呼ばれ、秋の収穫に感謝を捧げてきました。1日早いけど、スマホに入れてあるニール・ヤングの「ハーベスト・ムーン」を聴きながら夜空を眺めていました。
https://www.youtube.com/watch?v=n2MtEsrcTTs
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