2023/10/05 - 2023/10/05
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kojikojiさん
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MSCスプレンディダのクルーズも最終日です。夜中に目が覚めてベランダに出てみると最初の晩の夜中に見たダーダネルス海峡に2022年に初めて架かった「チャナッカレ1915橋」が迫っていました。さすがに初日のような元気はないので屋上のデッキまで走ることはしませんでした。その後はまたベットに戻って寝てしまい、次に目が覚めたのは太陽が昇りかけたころでした。すでにマルマラ海も通り過ぎてボスポラス海峡に差し掛かろうとしているところです。イスタンブールの旧市街のスルタンアフメット辺りは左舷側なので、朝ごはんを食べてから14階のレストランから表に出て15階のデッキで景色を眺めます。10日前は少し暑いくらいでしたが、戻ってきたイスタンブールは肌寒いくらいでした。後で現地のガイドさんに聞いたところでは我々のいなかった間はずっと雨が降っていたようで、その間に日本から来たご夫婦を案内していたそうですが、イスタンブールの空港に着いてから空港へ送るまでずっと雨が降っていて気の毒だったそうです。この日は天気は良く、朝食の後は部屋を開けてクルーズターミナル入港を待ちます。全員揃って預けた荷物をピックアップして、入国手続きを済ませてお迎えのバスに乗ります。まずはスルタンアフメット地区にある「dabb kebab」というレストランでケバブをいただきます。全員揃っての食事はこれが最後だと思うと少し寂しい気もします。食事の後は店から歩いて「グランドバザール」に向かいます。ガイドさんについて15分ほど中を通り抜けて、おすすめのお菓子屋さんの前で解散になり、50分ほどのフリータイムになります。50分でグランドバザールで何が出来るか聞きたいくらいで絶望的な気持ちになります。今回のツアーメンバーでは1組新婚さんがいらして、途中からご夫婦代わりばんこに体調が悪くなり、晩ご飯のレストランも日中のオプショナルのツアーにも参加できなくなっていました。最後の晩にみんなで話し合って何か記念品を贈ることになり、その役目を仰せつかっていました。グランドバザールでは前にも行ったトルコタオルの店に行く予定なので、そこで一緒に買うことにしていました。解散場所からは対角線の位置にある店なので往復する明けでも1時間ほどかかりそうです。バザールの中を走って店を見つけ、店のご主人と4年ぶりの再会とお互いにコロナを乗り切ったことを喜んで買い物始めます。この店はカードが使えないので心配していましたが、ユーロが使えたので所かったです。自分たちの分はトルコリラで払え、記念品分39ユーロを支払い、記念写真を撮って走って戻りました。それくらい時間がないかというと再集合した後はトルコ絨毯の勉強と銘打ったセールスです。日本語の達者な大学の先生という方でしたが、代わりにシングルノットとダブルノットについて説明したいくらいでした。重たいトルコタオルを下げて最後の観光地「トプカプ宮殿」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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イスタンブールへ向けての深夜に目が覚めました。つけっぱなしのモニターの地図を確認するとすでにダーダネルス海峡に入っていることが分かりました。
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さらにグーグルマップで詳しく確認するとチャナッカレの近くのようです。今回10日間でクルーズ船のwi-fiを利用して約2万円ほどの費用が掛かりましたが、友人たちとのラインの連絡や航海中の現在地などの確認が出来て良かったです。特に島などはグーグルマップが無ければ同じような姿なので興味も湧かなかったと思います。
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夜中の港は旅情を誘うようで、飽きずに眺めてしまいます。シチリアのパレルモ港、サレルノ港、クロアチアのドゥブロブニク港、トルコのメルスィン港などたくさんの夜行フェリーの旅を思い出します。
ダーダネルス海峡横断フェリーの旅:https://4travel.jp/travelogue/11573766 -
しばらくするとクルーズ最初の晩に眺めた「チャナッカレ1915橋」を通過しました。それと同時にクルーズの旅が終わる感じがして寂しい気分になります。こんな時ベットで爆睡している妻と気持ちを分かち合えないのも寂しいです。
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次に目が覚めると海峡を越えてマルマラ海を航行しているのだと思いました。
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午前8時にはキャビンを明け渡さないとならないので7時前に朝食に行くことにします。ネットからターキッシュエアーラインの帰国便の座席の予約もしておきます。普段であれば窓側が好きなのですが、咳と鼻水がひどいままなので3人並び席で通路側の人に気遣いするのも嫌なので中央の3人掛けで最後尾の席を予約しました。1人30ドルと有料なのは痛いですが、リラックスできるようにしました。
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ほぼ毎日14階の「ボラボラ」で食事しました。メニューも豊富なので飽きることはありませんでした。毎晩喉が渇くのでジュースが美味しいのはありがたかったです。この日の分を水筒にもらっておきます。
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食事の後は部屋から荷物を持ってデッキに出てみます。差し世に出港した日から10日経っていて、季節も夏の終わりから秋になったようです。
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イスタンブールのアジア側のチャムジャの丘にはトルコで最も高い旗竿も建設されていて、高さは111メートルあるということでした。ヨーロッパ側にも同じくらいの旗竿が見えます。
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イスタンブール大学の構内にある「バヤジット・タワー(Beyazit Tower)」とその奥には「スレイマニエ・モスク」、手前には「バヤズィト・モスク」が重なって見えます。
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下船後の午後に見学する「トプカプ宮殿」も見えてきました。50メートルを超える高さから眺めているので景色も違って見えます。
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モスクになってしまった「アヤ・ソフィア」の見学をしたのももう10日前のことです。
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6本のミナレットを持つ「ブルーモスク」も修復が終わった姿を見学することが出来ました。下に見える給水塔さえミナレットか何かのイスラム教の施設のように見えてきます。
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「ISTANBUL CAMLICA TV AND RADIO TOWER」は朝霧に煙ってはっきり見えません。
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まだ入港前ですが、トリエステから乗船したであろうイタリア人の人もデッキに上がってきました。今回トリエステからは1000人ほどが乗船して、ほぼ満室だったと聞いています。よく見ると短パンの人もたくさんいます。
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風の当たらないところに座る妻にユニクロのジャンバーまで取られてしまいました。
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「ブルーモスク」を真正面から写真を撮ってみます。シンメトリーかと思っていたミナレットは左右対称ではないことが分かりました。
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視線の高さが高いので「アヤ・ソフィア」もきれいに見えます。
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「ベヤズット・タワー」のある「イスタンブール大学 」は、オスマントルコによるコンスタンティノープル征服の翌日の1453年5月30日にメフメト2世によって設立されました。1846年にヨーロッパの伝統に基づいたオスマン帝国初の高等教育機関として改革されました。後継機関は1933年から現在の名前で運営されており、現代のトルコで最初の大学です。
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「アフルカプ灯台(Ahırkapı Feneri)」
この場所の近くで発生した海難事故が灯台設立につながったと伝えられています。1755年にエジプト行きの商船がクムカプ沖で夜間の悪天候により座礁しました。船の座礁を聞いたオスマン帝国のスルタンオスマン3世は現場に急行し、船員は危険な海域を安全に航行できる灯台がないことに不満を漏らしました。スルタンの命令でオリーブオイルを燃料とする灯台が、この場所にあるビザンチンの壁の望楼の上に設置されました。1857年になるとスルタン・アブドゥルメシド1世はフランス人技師にトプカプ宮殿の南の城壁のすぐ外にあるアフルカプ(馬小屋の門)に灯台の建設を依頼しました。石積みの灯台は円錐形で白く塗られ、細い黒い横帯が1本あります。高さ26メートルの塔には灯台守の家が取り付けられています。 -
トプカプ宮殿は1467年にメーメット2世(征服王)によって建てられました。その後19世紀の半ばのオスマントルコの31代スルタンであるアブドールメジットがボスポラス海峡の海岸にある「ドルマバフチェ宮殿」を建てるまでスルタンの家として使われました。当時は宮殿に住んでいたのは6,000人ほどでしたが、金曜日の客を加えると宮殿の人口は16,000人にも増加したそうです。
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オスマントルコの歴史では1299年から1922年まで全部で36人のスルタンがいました。スルタンの大部分は「トプカプ宮殿」に住み、19世紀の半ばに「ドルマバフチェ宮殿」を建ててからも「トプカプ宮殿」のハレムは使われ続けました。
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イスタンブールのヨーロッパ側の新市街も見えてきました。10日振りですが懐かしい感じがします。
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「ガラタ塔」の上の展望台にはもう観光客の姿が見えます。この塔のエレベーターは古くわずかの人数しか乗れなかったと思うので、これだけの人数が昇るにはかなり時間がかかると思います。もしかすると新しくなったのかもしれません。
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「スレイマニエ・モスク」は普段より淡い水色で旧市街の中に浮かび上がっています。1557年に完成したオスマン建築の最高作のひとつと言われます。オスマン帝国の第10代君主スレイマン1世の命により、当時の宮廷建築家頭でトルコ史上最高の建築家と呼ばれるミマール・スィナンが設計しています。
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「SEABOURN ENCORE」がトプカプ宮殿下のターミナルに停泊しています。ウルトラ・ラグジュアリーと称されるシーボーンのクルーズ船です。
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40,350トンで全長210メートルで乗客600人の小型の船なのでサービスも良いのでしょうね。人生の終わりが見えてきたら乗ってみたいものです。
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「ガラタ橋」をバックにアジア側のカドキョイ(Kadikoy)か江利チエミの歌でも有名なウスキュダルへ向かう渡船が向かってきます。22年前のある日の夕方に、アザーンを聞きながらこんな渡船に乗ってアジア側の「ハイダルパシャ駅」に向かった日のことを思い出します。その日に手に入れた夜行列車の切符を握ってタトヴァン行きの列車に乗ったドキドキ感を思い出します。
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コンバートメントにはアルメニアへ帰るおじいさんが3人いて、薄暗い座席に座って何とかコミュニケーションを取ろうとしましたが、英語は全く通じませんでした。それでも翌日の夕方に「カイセリ駅」に着くまで楽しく過ごしました。そんな「ハイダルパシャ駅」は鉄道駅としての役目を終えています。
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現在の「ガラタ橋」は5代目で、1994年に再建されたものです。第63回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「ジャーニー・オブ・ホープ」という映画にもガラタ橋が出てきて、ここで夫婦だけでなく子供がいるということでエージェントに断られて運命が変わっていきます。1990年の受賞なので火事で焼失する前の4代目の橋でした。
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4年前にはこの橋の下のレストランで帰国前の最後の食事をしたことを思い出しました。橋のレストランは料金島であまり評判良くないようですが、ツアーなので安心して食事が出来ました。ロケーションもよく美味しかったので良い思い出です。
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イスタンブールのクルーズターミナルには先客がいました。黄色い煙突が目印になるコスタクルーズの船です。
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近くまで来て「COSTA FORTUNA」だということが分かりました。コスタ・フォーチュナはコスタ最初の10万トンクラスのクルーズ船です。2012年にイタリアの沖合で転覆したコスタ・コンコルディアのことを思い出します。2014年にジェノバ港まで曳航され解体されたはずです。1990年代以降に次々と建造された大型クルーズ客船の中では初の解体対象となるため、客船の解体作業としては史上最大規模となったはずです。
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10日前は「ASTRIA GRANDE」でしたが、比較的小型のクルーズ船はこちらに停泊するのでしょうか。
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今回のクルーズでのそうですが、タグボートのカラーリングはお国柄があってその違いが面白いです。日本はほとんど黒ベースで、多少入りがあっても白なので面白みはありません。
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ボスポラス海峡に浮かぶゴミを回収する船も面白い形をしています。このサイズでは掃除する範囲はヨーロッパ側の港の辺りなのでしょうね。
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10日前と同じアングルアングルの写真になってしまいますが、この景色も見納めです。海面の高さからではこのような写真を撮ることは出来ません。
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「イェニ・ジャーミィ」は1597年にムラト3世の妻であるサフィエ・スルタンの命によって建設が始められました。これは彼女の息子のメフメト3世がスルタンの座に就いた1595年から2年後のことでした。メフメト3世は政治にはあまり興味を示さなかったため、実際は母后であるサフィエが政治とハレムにおける権力をも握っていた時代でした。
イェニ・ジャーミィの建設も、サフィエの宗教心からというよりは、自身の権力や名声を高めるためであったともいわれています。 -
今回のツアーではボスポラス海峡のクルーズはありませんが、散々船に乗っていたので更に乗りたいとは思いませんでした。このまま黒海まで行って戻ってくるというのはありだと思うのですが、橋の下を潜れないのかもしれません。
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「乙女の塔(クズ・クレスィ)」は残念あガラ逆光になってしまい、きれいな写真が撮れません。
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ようやく着岸しました。ツアーのメンバーとの集合場所に向かいます。
イスタンブール港 船系
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クルーズカードの最後のチェックをして下船しました。10日間お疲れさまでした。
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クルーズターミナルの中はこんなおしゃれな内装です。パスポートコントロールでスタンプを押してもらいます。
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その後は巨大なターンテーブルの脇にある棚に並んだ荷物を受け取ります。下船する順番は決まっているので混雑はしていません。添乗員さんが船と交渉して荷物も1番先に出してもらえるよう交渉してありました。
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我が家だけキャリーバック1つとトランクが2つという大荷物です。さらに大きなバックも1つあります。ターキッシュエアーラインはエコノミーでも23キロ2個までOKなのが嬉しいです。今回は妻が嵩張るジャケットを買ったくらいで荷物はあまり増えませんでした。
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お迎えに来ていたバスに乗って最後の市内観光に出発します。
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「ガラタ橋」を渡って旧市街のスルタンアフメトに向かいます。
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橋の上では何十年も前から魚を釣っている人の姿が絶えません。ただ一度も連れた瞬間を見たことはありません。昔は体重計と空き缶と籠に入った赤ん坊が置かれていたことがあります。なんとも不思議な商売だと思ったことがあります。運転手付きの車で送迎される有名な物貰いのおじいさんという人もいました。
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バスは「シルケジ駅」の脇を通過しました。現在は駅の役目を終えていますが、オリエント急行の終着駅であり出発駅です。残念ながらこの駅へ列車で入ったことはありません。駅舎の中にある「オリエント・エキスプレス」というレストランには4年前に妻を連れてくることも出来ました。
シルケジ駅:https://4travel.jp/travelogue/11563944 -
スルタンアフメト地区でバスを降りてまずはお昼のレストランに向かいます。この辺りの安宿に2回ほどと泊まったことがあるので懐かしいエリアです。
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「dubb KEBAB」という地下にあるレストランです。
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まずは「レンティル・スープ」です。これはレンティル(レンズ豆、平豆)を使ったスープで、トルコやエジプトでもポピュラーなスープです。少しザラッとした舌触りが何とも言えません。
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サラダも出てきます。
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メインはケバブですがずいぶんシンプルな1プレートです。ケバブといってもトルコの地方地方でその料理は違い、個人で旅していた時はトルコの人に「あだ名に行ったらアダナケバブだよ。」とか「椅子ケンダルケバブが最高だよ。」とか出身地の自慢のケバブ料理を教わりました。
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食事の後は歩いて「グランドバザール」に向かいます。途中「フアット・パシャ・モスク」の脇を通りました。とても美しい外観のモスクですが狭い通りに面しているので全体を把握できません。
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「フアド・パシャ・モスク」は19世紀に大宰相プアド・パシャによって、ウズン・シュカ・モスクの廃墟に八角形のモスクとして建てられました。
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「帝国評議会への道」を意味するディヴァン・ヨル通りに出ました。かつてコンスタンティノープルからローマへの帝国の道でもあった通りです。シミット売りのおじいさんがいい味を出しています。
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西暦300年代初頭にコンスタンティヌス大帝によって敷設されたとき、この通りは市内中心部から城壁の黄金の門に通じるメインストリートでもあり、そこからローマへの道と合流しました。テトラパイロン(4つの塔)と呼ばれる壮大な記念碑的建造物であり、ミリオンによってマークされ1000マイル(1600キロ)離れたローマへと続いています。ミリオンとはマイルストンのことで、すべての道はローマに通じるわけです。
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秋晴れの青空に煙突のような「コンスタンティヌスの円柱」がきれいに見えました。「コンスタンティヌスの円柱」は「焼けた石」または「焼けた柱」としても知られています。330年にローマ帝国の大帝コンスタンティヌス1世によって新しいローマ帝国の首都を記念して建てられました。イスタンブールはかつてビュザンティオンと呼ばれていましたが、大帝コンスタンティヌス1世がローマから遷都し、コンスタンティノープルと呼ばれるようになりました。
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路を歩く人の数が増えてくると「グランドバザール」が近いことを感じます。
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「ヌールオスマニィエ・ジャーミー」の脇にある「ヌールオスマニィエ門」から中に入ります。近年はセキュリティの問題もあるので金属探知のゲートを潜って中に入ります。
グランド バザール 市場
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ガイドさんについて中に入りましたがほんの10分ほどで表に出てしまいます。
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「ヌールオスマニィエ・ジャーミー」の脇を通って「Şirvani Lokum Turkish Delight」という大きなお菓子屋さんの前まで戻り、そこで一度解散になります。50分の自由時間が与えられますが、ちょっと絶望的な気分になります。
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今回のツアーでは1組だけ年齢層の違う新婚のカップルがいらしたのですが、ツアーが始まった数日後から体調を崩され、まず晩ご飯に参加できなくなり、さらには申し込んでいるオプションのツアーにも来れなくなってしまいました。あまりに気の毒なのでみんなで記念品をプレゼントしようということになり、「グランドバザール」の中のトルコタオルの店で買うことにしていました。
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そこはこの門から対角線の北西の角にあるので行って帰ってくるだけでも40分くらいかかります。てっきり2時間くらい自由時間があるのかと思っていたので大きな誤算です。この日の予定は「トプカプ宮殿」を見学するだけで、帰国便の出発は深夜です。
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4年前の添乗員さんとガイドのカデルさんに勧められたレストラン「ヌスレット・ギョクチェ(Nusret Gokce)」という店の前を通過します。「Sandal Bedesteni」という昔の隊商宿だった建物に入っています。
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肉に塩をふりかける動作が独特でその姿がSNSを通じて世界的に話題となったのがこの「塩振りおじさん」で、「塩振りシェフ」とか「塩の恋人」「ソルトベイ(Salt Bae)」など様々なニックネームで呼ばれています。ステーキやトルコの肉料理がメインの店ですが値段は意外とお手頃です。(これは蝋人形です。)
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南側のカルバクチュラ通りを真っすぐ進んで、ヤ―ルックチュラル通りへ90度右に折れてまっすぐ行けば目的のお店にたどり着けるはずです。本当は中心部にあるイチ・ベデステン(ic Bedesten)と呼ばれるオールド・バザールを抜ければ早いですが、迷ったら出てこれないと思います。方向感覚だけは失わないように先を急ぎます。
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バザール内の最古のカフェである「シャルク・カフヴェスィ」も素通りしなければなりません。店先で倒れて気を失っているおじいさんがいて、救急隊がストレッチャーの準備をしていてびっくり。
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ヤ―ルックチュラル通りに入ると物凄い人ごみに圧倒されます。この先に目指すお店があります。
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「AZAD TEKSTIL(アザード・テキスタイル)」です。ゲート14番から入ってすぐ右側のお店です。4年前もこのお店で重さにして5キロほどのトルコ・タオルを買い求めました。初日の晩にツアーを離団してタクシーを25キロ飛ばして町中まで出て夜中まで遊んでいました。その後12日間トルコ中を持ち歩くことになりました。
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おじいさんは「あんたたちのことは覚えているよ。」なんて言っていましたが本当かどうか。そう言ってくれるだけで嬉しいものです。10分ほどでプレゼント用と自分たち用と品定めします。手持ちのトルコリラでちょうど自宅用に支払いができ、プレゼント用はユーロで39ユーロでした。4家族で10ユーロづつでちょうどいい感じです。新婚さんなので色違いでセットにしました。
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4年前は妻と記念写真を撮っていました。お互いコロナ禍を乗り切って再会できたことを喜びました。
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4年前はこれ以上の買い物でしたが、今日はこれを持って夕方まで持ち歩かなければなりません。正直「トプカプ宮殿」の中をこれを持っていくのは気が引けますが、プレゼントを渡しても渡された方も困ってしまいます。
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買い物を終えて集合場所に戻るのに残り時間は20分を切っています。行きは良かったのですが帰りはどこかで道を間違えて迷子になってしまいました。間違えたところまで戻って、「シャルク・カフヴェスィ」が見えて一安心です。
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ようやく見覚えのある通りに戻ってきました。本当は「エジプシャンバザール」で干しイチジクも買いたかったし、「地下宮殿」には他の皆さんも行きたがっていましたが、ガイドさんお予定もあるのでちょっと残念な自由行動でした。
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「グランドバザール」を抜けるとモスクの脇で集合場所を間違えている隣の部屋のご主人を見つけ、「Şirvani Lokum Turkish Delight」の前に戻ると皆さん既に揃っていました。本当はお菓子も買いたかったのですがそんな時間も無く、空港で済ませようとこの時は考えていました。
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最後の観光の「トプカプ宮殿」に向かう途中の看板を見るとアヤソフィアが博物館からモスクに名称変更されていました。上からステッカーを貼ったようです。イスタンブール観光はまだまだ終わりません。
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