2023/10/02 - 2023/10/02
13位(同エリア96件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,686,156アクセス
- フォロワー151人
この旅行記のスケジュール
2023/10/02
この旅行記スケジュールを元に
オリンピア遺跡を1時間ほどで見学した後はその足で隣接する考古学博物館に移動します。一度トイレ休憩となりますが、40数名の顔など誰も分からないので何度人数点検しても数は合いません。博物館の中もガイドさんが説明してくれますが、巨大なクルーズ船の数十台のバスに乗ってやってきた観光客が時間を少しずらしながらも全員が見学するのでとても混雑しています。さらに説明されるものと自分が興味のあるものが微妙に違ったりするので、ついついグループから遅れがちになります。さらに興味を持ったものはいろいろ調べてみたくなる正確なのでキャプションと共に写真を撮るのでさらに遅れ遅れになります。ここの陶器なども素晴らしいのですが、ゼウス神に捧げられた生贄代わりの雄牛の人形の膨大な数には、当時の人々の願いがまだ残っているようでとても印象に残りました。これまでもギリシャは何度も旅していて、いくつもの考古学博物館にも行っているのですが、収蔵品の質の高さには驚きました。アテネの考古学博物館だと有史以来のものがギリシャ全土から集められていますが、オリンピアではある時代のこの遺跡から発掘されたものだけなので歴史を理解しやすいということも感じました。大理石像でも少し前に見てきた「ニンファイオン」のニッチに立てられていたなど記憶が新しいのも良かったです。大満足で見学して、英語版のガイドブックも買えたので大満足です。2時間で遺跡と博物館の観光を終えましたが、なぜか30分ほどの自由時間があり、近くのお土産物屋の前で解放されました。ここで解放されてもと思いましたが、道中にあった「BEER 1?」の看板を思い出してテラス席に座りビールを買いに行きました。ツアーの皆さんとのんびりビールを飲んで時間を潰しましたが、夕食以外に皆さんとくつろぐ時間も無かったので楽しいひと時でした。再びバスに乗りカタコロンの港に戻りましたが、薬局の前でバスを降ろしてもらい、喉のシロップ薬を買い求めました。ここで買った薬は優秀でかなりの時間咳が止まりました。カタコロンの港には取って付けたようなお土産物ストリートが1本だけあり、オリーブオイルの専門店やハチミツ屋など楽しい買い物が出来ました。のんびり買い物を楽しんだ後は三々五々船に戻りますが、我々は港に面したタベルナに入って妻の希望のカラマーレとグリークサラダのランチとしました。ローカルのビールも2種類注文してみました。正直体長はあまりよくなかったのですが、それ以上にサラダとイカフライのおいしさにビールも進んでしまいます。妻とギリシャに来るのは2度目ですが、2人でのんびり食事するのは初めてのことでした。遅いランチを食べてスプレンディダに戻り、部屋のベランダに座っていると出港の時間になります。夕日の中アテネに向かい航海が再開され、夕食の時間になりましたが、遅いランチでお腹もいっぱいだったので晩御飯はキャンセルしました。体調はだいぶ良くなりましたが、喉の痛みと咳と鼻水が止まる気配がありません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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オリンピア遺跡の見学を終えて隣接した「オリンピア考古学博物館」の見学に移ります。
オリンピア考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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平屋のあまり大きくない博物館なので大したものが展示されていないのではないかと思いましたが、素晴らしいものが数多く収蔵されていて驚きました。
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入り口で再集合しますが、入り口の前にも収蔵品が並べられています。紀元前3世紀ごろの大理石の円柱が出迎えてくれます。
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これはパリアンの首都アルティスのパラエストラ地域のパリアンの大理石で造られた小アジアの流れを汲む彫像で、紀元前3世紀ごろに奉納されたものと思われます。
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その巨大な上半身に驚きます。古代ギリシャやローマの版図で見ることの出来るこのような彫刻の素晴らしさには感動します。
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博物館の第1室はオリンピアでの先史時代と原始時代の発掘品が展示されています。オリンピアの地域には紀元前4300年から3100年にかけて住居があったことが確認されています。ヘラディア時代初期の紀元前3100年から2000年にはペロピオン時代の古墳から発掘されたものが展示してあります。
「ゾニスの墓の副葬品」 -
上段の手を広げた女性像はミケーネ時代の女性像です。ミケーネ文明は紀元前1600年頃、南下したギリシア人の第1波とされるアカイア人によってアルゴリス地方で興り、地中海交易によって発展しました。
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「カロサカスの墳墓の副葬品」
ろくろを使った陶芸としてはすでに完成されていると思います。デザインも優れていて、この時代から現代までの進歩はほんのわずかなように思えます。 -
紀元前2600年から紀元前2000年頃に黄河の上流域で焼かれたアンダーソン土器を連想させるような土器です。その頃に文明同士の交流があったのか偶発的に世界の各地で発生したのかを考えるとロマンを感じます。
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奉納された雄牛のブロンズ像は実際の雄牛に代わって納められたものですが、その数の多さに人々の願いや信仰の強さの念が現在まで残っているような気がしました。ゼウスの大祭壇がどこにあったかは不明ですが、オリンピック大会の4日目にヘカトゥームと呼ばれる雄牛100頭が祭壇の上で焼かれたそうです。その祭壇の周辺の厚い灰の層の中でこれらの像は発掘されました。
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「幾何学デザインのブロンズ製の三脚大鍋」
紀元前8世紀の終わりに造られたブロンズ製の鍋です。これらの金属器のデザインもこの時代には完成されていると感じます。3本脚のこれらの動機も奉納品として多数造られたようです。 -
ヘラ神殿とペロピオンの間辺りからは多数の奉納人形が発掘されています。これらは紀元前10世紀から7世紀の頃のもので、男性像と少数の女性像、その多くは動物を模ったものでした。
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頭に冠を被ったテラコッタの女性の置物です。紀元前8世紀の第3四半期頃のもので、ゼウスの妻であるヘラを表していると思われます。
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奉納されたブロンズ製の動物の置物です。上段は雄牛の頭とヤギの尾を持っています。中段は造形もしっかりした雄牛の像で、下段は4頭まとめられた雄牛の像で、紀元前9世紀から8世紀のものです。
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同じ時代の動物のオーナメントもその精工に造られた造形に溜息が出ます。これら青銅器のコレクションとしてオリンピアの考古学博物館は世界でも有数の収蔵を誇るようです。
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円を描くように踊る女性たちはニンフを表したブロンズ像で、紀元前8世紀のものです。大きさといい茶道の蓋置にちょうどいいなと思えました。
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戦士の姿をしたブロンズ像はゼウスを表したと思われるもので、紀元前8世紀のものです。
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紀元前7世紀になると人体の表現も劇的に進歩して、現代彫刻に通じるクオリティの高さを感じます。
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ブロンズ製の無垢の馬の像は幾何学時代からアルカイック時代への意向を良く表しています。紀元前7世紀初頭になると動物の表現も進化してきます。
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雄牛の頭部が取り付けられた青銅の大釜です。元々は3つ付けられていましたが、2つは失われて1つだけが残されています。縁にはエレア語で「IAPON AIDE」の碑文が書かれてあります。
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雄牛の頭部を持つこのタイプの大釜はギリシャから北シリア、エトルリアまで広く分布し、紀元前8世紀末にはその最盛期を迎えます。
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展示室の中央には紀元前580年から590年の間に造られた翼のある悪魔のような女性像が置かれてあります。アルカイック期になると銅板を槌で打ち出してこのような造形を作る技術が確立されていきます。
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目には骨で造られた眼球が嵌め込まれています。元々胸像だったのか彫像の部分なのかは分かっていないようです。アルテミス、ニケ、スフィンクスなどの神なのか悪魔のような存在として解釈されています。木製の像に銅板を槌で打ち出され、イオニア島の工房かロニアの作家のものと考えられています。
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青銅で造られた大釜のハンドルです。打ち出された三脚の大釜の縁に取り付けられたハンドルです。男性の小像はアルゴスかもたらされました。スパルタからもたらされました。
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ギリシャ神話上のテルキネスを表した紀元前8世紀のブロンズ像です。テルキネスは人類に役立つ有用な芸術や制度を発明し、神々の像を造ったと言われています。優秀な冶金学者とみなされ、真鍮や鉄の熟練した金属職人であり、ポセイドンのために三叉の矛のトライデント、クロノスのためにアダマスの鎌を造ったといわれます。
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古代ギリシャ軍は「ホプリテス」と呼ばれる重装歩兵を中心に形成され、非常に優れた装備で戦闘に臨んでいました。これはギリシャの都市国家アルゴリスでミケーネ文明が繁栄したことで高性能な武器や甲冑(鎧兜)が作られていったからだと考えられます。これらのホプリテスの甲冑(鎧兜)を総称して、ギリシャ語で「鎧」を意味する「パノプリア」と呼びます。
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翼のある人形は青銅製の大釜の付属品として使用されました。これらの製造はアルゴスで始まり、コリントスなどでも造られました。背中には小さなリングがあり、そこに別の大きなリングを通して大釜を持ち上げました。
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茶道で使う茶釜の窯環のようなものなのだと分かります。最初に見たときはハルピュイアのようなギリシア神話に登場する女面鳥身の伝説の生物と思いました。ハルピュイアはイアソンによる「アルゴー号の探索(アルゴナウタイの冒険)」に登場し、罪を犯したピーネウスを苦しめるエピソードが有名です。
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キャプションを読んでみるとハルピュイアではなく、セイレーンというギリシア神話に登場する海の怪物だということが分かりました。上半身が人間の女性で、下半身は鳥の姿とされ、海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせます。歌声に魅惑された挙句セイレーンに喰い殺された船人たちの骨は、島に山をなしたといわれます。セイレーンの像には翌日のアテネ考古学博物館で再会出来ました。
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このようなイラストがあると非常に理解しやすいです。
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大釜の縁に取り付けられたグリフィンの飾りも数多く展示されています。グリフィンは厄除けや魔除けの性質を持つ東洋起源の想像上の生き物でした。
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このグリフィンオ頭部の完成度は20世紀初頭のアールデコを2600年先取りしていると思えました。嘴の形やウロコの表現などを見ると実際にこのような生き物が板のではないかと思えてきます。
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グリフィンの鷲の部分は金色で、胴体のライオンの部分は白であるともいわれます。コーカサス山中に住み、鋭い鈎爪で牛や馬をまとめて数頭掴んで飛べたといいます。紋章学ではグリフォンは黄金を発見し守るという言い伝えから「知識」を象徴する図像として用いられ、鳥の王・獣の王が合体しているため「王家」の象徴としても使われています。
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ギリシャ神話上の役目はゼウスやアポローン等の天上の神々の車を引くことといわれますが、女神ネメシスの車を牽くグリフィンは身体も翼も漆黒とされます。
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元々の形を見ると素晴らしいデザインだったことが分かります。グリフィンの顔が外側だけではなく内側に向いているのも面白いです。
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展示室の中央には紀元前8世紀のヒッタイト後期に造られた青銅製の獅子の頭部が飾られています。この獅子の頭部も現在のトルコのアナトリア地方で造られたものがオリンピアに奉納されたものと思われます。
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元々は厚い板から打ち出したもので、後頭部には盾に取り付けるための穴が2つ空いています。ヒッタイトの伝統的なデザインですが、アッシリアの影響も見られます。
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紀元前530年から520年に造られた横たわるシレノスは左手に角盃を持っています。シノレスはギリシア神話に登場する山野の精で、サティロスとよく似ており、同じくディオニソスの従者とされます。山羊的要素の濃いサティロスに対し、シレノスは馬的要素が濃く、馬の耳と足と尾を持っています。陽気で好色で常に酔払っていますが、実は賢者で予言の能力を持つと言われます。
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紀元前5世紀に造られたコレーの像で、レカンという洗面器のハンドルだったものです。コレーはギリシャ神話においてゼウスとデメテルとの間に生まれた娘ペルセポネーの別称です。デメテルが「母なる大地」を意味するのに対し、コレーは「若い娘」を意味します。美術史においてはアルカイック期のギリシャにおける若い女性の彫像が「コレー像」と呼びます。
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戦士の像と老人の像はラコニアの工房でブロンズ製の容器の縁飾りとして造られました。
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老人はおそらくネストルと思われます。メッセーネーの都市ピュロスの王で、トロイア戦争におけるギリシア軍の武将の1人です。ネストルは神の好意で人間の3倍の寿命を与えられたといわれ、ラピテス族とケンタウロスの戦いやアルゴナウタイやカリュドーンの猪狩りにも参加し、トロイア戦争でも高齢にかかわらず参加しました。「イーリアス」におけるネストルはしばしば自分の自慢話を語って聞かせる老将で、高齢のために戦士として戦うことはなかったが軍の指揮者の1人であり、弁舌においてはオデュッセウスと肩を並べ、献策においては常にアガメムノンの信頼を得ており、ギリシア軍のあらゆる武将から敬意を持って遇されました。
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シレーニの像はおそらくエレアンの工房で紀元前5世紀頃に造られたと思われます。典型的なシレー二は全体として人間に似た姿をしていますが、臀部から脚部、尾、耳が馬のようです。像形を見る限りギリシャ神話における羊飼い、庭園および果樹園の守護神で生殖と豊穣を司る、男性の生殖力の神であるプリアポスのようにも見えます。
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コリント様式の工房で造られた槌で打ち出された子供を乳で育てるグリフィンのパネルです。
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家族に別れを告げる戦士は洗車に乗って妻から離れていきます。妻は子供を肩に抱いています。ブロンズのシートを槌で打ち出した浮き彫りになっています。
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イラストと見比べると詳細まで確認することが出来ます。
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上段には2人の英雄と1人の女性が表現されています。中段にはクリュタイムネストラが息子のオルステスによって殺害される場面が描かれています。右側には祭壇の安全な場所に逃げるアイギストスが描かれています。下段にはテセウスがアマゾネスの女王アンティオペを誘拐しています。
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これもイラストが並んでいないと2つの場面は分かりませんし、上段に至ってはイラストでも読み取れません。
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ラピスの王カイネウスを前後から鴨三、手に持った木の棒を打ち付けて地面にたたきつけようとする2人のケンタウロス姿です。ケンタウロスはギリシャ神話に登場する半人半獣の種族の名前で、馬の首から上が人間の上半身に置き換わったような姿をしています。紀元前7世紀にロニアの工房で青銅の板に浮き彫りにしたものです。
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ケンタウロス像の起源は東方の騎馬民族であるスキタイ人と戦ったギリシャ人が、彼らを怪物視したものだという説があります。ケンタウロスは乗馬文化を持たない者が騎馬民族を見て怪物と見間違えたことから生まれたというわけです。
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紀元前650年から625年頃にロニアの影響下にあったラコニアの工房で造られた青銅のマスクで、木型の上から槌でたたいて造られました。
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紀元前6世紀末から5世紀にかけて造られたコリント式の兜です。兜は古代ギリシャでは最も一般的に使用されていた「コリント式」の物を装着しており、顔面を含む頭部をくまなく保護する仮面のような物で、非常に重いのが難点でした。
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このコリント式兜はアテナイ(現在のアテネ)の軍司令官ミルティアディスが紀元前5世紀から6世紀に使用していたと思われる物がこのオリンピア考古学博物館に所蔵されています。
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青銅製の槍の穂先や矢じりも形状も大きさも様々なものがあったことが伺えます。この当時に兵士の装備品も大きく進化していったようです。
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青銅製の盾の装飾は紀元前6世紀後半のもので、ライオンの前足と魚の尾を持ち、翼を広げたゴルゴンの姿が読み取れます。ヘシオドスの「神統記」やアポロドロスによると、ゴルゴンは海神ポルキュースとその妻ケートーの娘で、ステンノー、エウリュアレー、メドゥーサの3人からなる姉妹です。3姉妹のうちメドゥーサだけが不死ではなく、後にメドゥーサはペルセウスによって首を切られて退治されます。
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こちらも同じく盾の飾りで、翼のあるゴルゴネイオンが描かれています。ここでは蛇の髪の毛を持つ頭部と翼だけがデザインされています。シチリア島でよく見かける三脚巴(さんきゃくともえ)のトリスケルやシチリアの別名のトリナクリアを想像してしまいます。
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先ほど見てきた「スタジアム」の脇にあった宝物庫の1つメガリアンの宝物庫のペディメントの彫刻です。アテネのパルテノン神殿のペディメントを見るにはロンドンの大英博物館へ行って、アクロポリスの丘を思い出さないとなりませんが、オリンピアでは歩いて15分の距離にあるので記憶も鮮明です。
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石灰岩で造られた彫刻はギガンテス(巨人族)のマレウスのレリーフで、巨人はゼウスの一撃で倒れそうなほどの傷を負った姿で表されています。左側には宛名とポセイドン、右側にはヘラクレスとアレスだったと思われます。両隅には海の怪物や蛇が表現されています。コリント人に対する勝利の戦利品の盾がメガリア人によって取り付けられていました。予言により、巨人族には人間の力を借りなければ勝利は得られないと告げられており、オリュンポスの神々は負けはしないものの、巨人に打ち勝つ事ができませんでした。このためゼウスは人間の女アルクメネーと交わり、ヘラクレスをもうけ、ヘラクレスによって巨人族は皆殺しになります。
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紀元前6世紀末から5世紀にかけて宝物庫を飾ってあったテラコッタ製のペディメントの装飾です。見事な幾何学模様が残されていることに驚きます。これらの宝物庫はイタリア南部やシチリア島のギリシャの都市のもので、ギリシャ本土ではメガラとシキオンの2か所だけが建てました。西暦2世紀の旅行者パウサイアスはこのことに言及していて、アテネやスパルタやコリントスなどの繫栄していたポリスは宝物庫を建設していなかったそうです。
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宝物庫の棟飾りのテラコッタにはゴルゴンの顔がレリーフになり、彩色が施されています。このタイプのゴルゴン(メドューサ)を見たのは22年前のコルフ島の考古学博物館で、それ以来親しみを感じている姿です。
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紀元前480年から470年頃に造られたゼウスとガニメデのテラコッタです。オリンポスの神々に給仕するのは、もとはゼウスとその正妻ヘラの娘で青春の女神であるヘーベの役割でした。ゼウスの子である英雄ヘラクレスが死後に神々の列に加えられたとき、ヘラクレスを憎んだヘラはようやくヘラクレスと和解し、その娘ヘーベを妻としてヘラクレスに与えました。このため神々の宴席に給仕するものがなくなります。
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ゼウスはイーリオス(トロイア)の王子で美少年だったといわれるガニュメデの美しさを愛し、ゼウスが鷲の姿に変じてガニュメデスを誘拐してオリンポスの給仕としました。この仕事のためにガニュメデには永遠の若さと不死が与えられました。
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展示室に並ぶ大型のテラコッタ像は紀元前6世紀後半から5世紀にかけてのもので、西域での奉納物あるいは建物を飾る装飾品として造られました。制作に当たっては芯に木製の骨組みを置き、その周りに粗い粘土で大まかな形を作り、その外側に粒子の細かい粘土で仕上げました。豊かに装飾された表面には様々な色が残されています。
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第6の展示室には古代ギリシャの傑作であるメンデのパイオニオスの造った翼のあるニケの像が三角形の台座の上に立っています。台座は現在もゼウス神殿の南東の角近くに残されています。
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ニケは高さ2,1メートルで台座を合わせる高さは10.92メートルありました。パイオニオスは翼を広げて空から地に舞い降りる瞬間の姿を若々しい女神の姿で表現しています。
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ニケというとパリのルーブル美術館に展示されているサモトラケのニケ像が有名ですが、この博物館のニケ像の方が美しく感じます。ニケはギリシャ神話上の勝利の女神でローマ神話のヴィクトリアと同一視されます。
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一般には有翼の女性の姿で表され、アテナの随神ですが、アテナの化身とする場合もあります。ローマ神話のウィクトリアは、マルスに付き従うとされます。ヴィクトリアはヴィクトリーの語源で、ニケはナイキ社名の由来で、マークはニケの翼を表しています。
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紀元前480年に造られた裸の姿の戦士の像です。秦の始皇帝の兵馬俑が造られたのは紀元前200年代ですので、それよりも前にこのような大理石の像がギリシャでは造られていたと思うと感慨深いです。
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古代オリンピックの競技がほとんど裸で行われ、古代のギリシャ人は美しい神々と同じ裸で競技をしていました。ここから生まれた「美しい男性の裸は神も喜ばれる」という思想を背景に「美=善」という信念と価値観があありました。男として美しくあることは徳を積むことでもあり、立派な人間になるためには外見の美しさも追求する必要があると考えられていました。紀元前6世紀末以降のアテネでは守護神アテナに捧げられたパンアテナイア祭の際に、美男コンテストが開催されていました。
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鹿を狩る2頭のライオンが表されたブロンズはハンドルとして造られました。紀元前480年頃のアッテカの工房で造られたものと思われます。
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紀元前470年に鋳造された4頭立ての戦車のブロンズ像はたてがみも凛々しい姿で、デザイン的には完成されていると思います。
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ヘラクレスは義父アムピトリュオーンが属するテーバイを助けてオルコメノスの軍と戦いこれを倒します。クレオン王は娘メガラを妻としてヘラクレスに与え、2人の間には3人の子供が生まれました。しかし、ヘラがヘラクレスに「狂気」を吹き込み、ヘラクレスは我が子とイピクレースの子を炎に投げ込んで殺してしまいます。正気に戻ったヘラクレスは、罪を償うためにデルポイ(デルフィ)に赴き、アポロンの神託を伺います。神託は「ミュケナイ王エウリュステウスに仕え、10の勤めを果たせ」というものでした。ヘラクレスはこれに従い、本来なら自分がなっているはずのミュケーナイ王に仕えることになります。
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エウリュステウスがヘラクレスに命じた仕事は怪物の対峙など12に及び、これはヘラクレスの12の功績と呼ばれます。それらは「ネメアの獅子」「レルネのヒュドラ」「ケリュネイアの鹿」「エリュマントスの猪」「アウゲイアスの家畜小屋」「ステュムパロスの鳥」「クレタの牡牛」「ディオメデスの人喰い馬」「アマゾンの女王の腰帯」「ゲリュオンの牛」「ヘスペリデスの黄金の林檎」「地獄の番犬ケルベロス」とそれぞれが物語になっています。
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12枚のメトーブ(屋根と破風と柱の間の壁面)が展示されていましたが、一番状態の良い「ステュムパロスの鳥」だけ写真に残しました。ステュムパロスの鳥は、翼、爪、くちばしが青銅でできています。ヘラクレスはこの恐ろしい怪鳥を驚かせて飛び立たせるため、ヘーパイストスからとてつもなく大きな音を立てるガラガラ(彼の工房のキュクロプス達の目覚まし用)を借り、音に驚いて飛び立ったところをヒュドラの毒矢で射落としました。また、矢が効かないので彼に襲い掛かってくるところを1羽ずつ捕らえて絞め殺したとも言われています。
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混雑していた第5の展示室に戻るとそこにはゼウス神殿の破風に飾られていた42人の人物を含む東西の2つのペディメントが展示されています。
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東のペディメント(破風)には地元の神話によるピサ王のオイノマオスとリディア往時のペロプスの戦車競技の場面で、エレヤ人によって選ばれました。
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競技の直前の瞬間を描き、中央には聖域の主であるゼウスの像が据えられています。ゼウスの両脇には主役であるオイノマオスとペロプスが置かれ、ペロプスはヒッポダメイアを連れ添っています。オイノマオスは妻のステロペを連れています。
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さらにピサ王の4頭立ての戦車を牽く馬が続いています。あまり奥行きはありませんが、3頭の馬が横に並んでいるように見える見事な彫刻です。
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彫刻の保存状態などは西側のペディメントの方が良く、中央に据えられたアポロンは美しい姿を残しています。
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題材はケンタウロス族とラピス族の間の投資卯であるケンタウロマキアです。ギリシャ神話によるとペリオん地方に住んでいたラピスの王ペイトリスが結婚を祝っていました。婚宴に招待されたのは同じペリオんの山に住んでいたケンタウロスたちでした。
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酔ったケンタウロスはラピスの女性たちに対し、もてなしの神聖な規則を破りました。
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中央に建つアポロンは調和と秩序の神としての立場でダイナミックなゼスチャーで秩序を取り戻させようとしています。左手には弓を持ち、アポロンの左右にはペイトリスとアテナイの英雄でペイトリスの友人でもあるテセウスの姿があります。
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ペイトリスはケンタウロスの王エウリュイを襲っています。反対側では花嫁デイダメイアを襲うケンタウロスの姿もあります。
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アポロンは主神ゼウスとレトとの息子で狩猟の女神アルテミスの双子の弟です。オリンポス十二神に名を連ね、古くから牧畜と予言の神、また、竪琴を手に執る音楽と詩歌文芸の神でした。イーリアスにおいてはギリシャ兵を次々と倒した「遠矢の神であり、疫病の矢を放ち男を頓死させる神であるとともに病を払う治療神でもあります。神託を授ける予言の神としての側面も持つなど付与された性格は多岐に亘ります。時代は変わりますがローマの「ボルゲーゼ美術館」にあるベルニーニの「アポロンとダフネ」の彫刻を見たときは鳥肌が立った事を思い出しました。
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大理石の雄牛の像の胴にはヘロデス・アティカスの妻レジラによる奉納碑文が書かれてあります。「レジラ司祭デミトロスからハイドルへ、テーバからハイドルへ、デメテルの女司祭レジラはゼウスに水と供物を捧げます」とあります。
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先ほど見学してきた西暦2世紀にヘロデス・アティカスとその妻のレギラによって寄進された噴水「ニンファイオン」の泉のニッチ(壁龕)に飾られていた直国が展示してありました。
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鎧には2頭のグリフィンが向かい合っています。ロリカ・セグメンタータと呼ばれる鎧は数多くの金属製の板を組み合わせた精巧な鎧で、驚くほどの装飾と凝ったデザインを採用しています。
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皇帝マルクス・アウレリアスの鎧は魔除けのゴルゴンが中央に飾られています。第16代ローマ皇帝で五賢帝最後の皇帝といわれます。
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ここでもハドリアヌス帝と出会うことが出来て嬉しく思います。ギリシャやトルコを個人で旅しているとハドリアヌスの足跡をたどることになりますし、30歳の時に行ったローマ郊外のヴィラ・ハドリアヌスでは彼の歩いたローマ世界の集大成というような別荘に驚きました。
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大理石像としてはトルコのアンタルヤの考古学博物館で観たものに完成度が高いのですが、この像もかなり状態は良さそうです。鎧には有翼の女神から冠を授けられる女神アテナの姿があります。足元にはアトリビュートであるフクロウと蛇の姿も見えます。
アンタルヤ考古学博物館:https://4travel.jp/travelogue/11571550 -
ティトゥス・フラウィウス・ウェスパシアヌスはフラウィウス朝第2代のローマ皇帝で、ウェスパシアヌス帝の長男であり弟はドミティアヌス帝です。ティトゥスは父帝ウェスパシアヌスをよく補佐し、特に軍事面で優れた指導力を発揮したと伝えられます。皇帝即位後も人徳を重視した政治を行い、治世中に発生したヴェスヴィオ火山の噴火直後には迅速な復興を指揮しました。その治世はわずか2年と短命でしたが、その間の統治は後世からも讃えられることになります。
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1世紀から3世紀のローマ時代の子供の玩具まで発掘されています。人形の形はどれもローマ兵士のようで、型から抜き出して大量に作られたのだということが分かります。気になった収蔵品だけを写真に納めましたが、とても充実した内容の博物館でした。ミュージアムショップでガイドブックと絵ハガキを買い求めて出発します。
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バスに乗って戻る前に30分ほどのフリータイムになりました。それなら博物館成遺跡でもう少しゆっくりしたかったところですが、ツアーの皆さんと一緒にビールでも飲んでゆっくりすることにします。添乗員さんが「隣にビール1本1?と書いてありましたよ。」という情報で、テラスに座ってビールを飲みました。缶ビールが本当に1?なのには驚きました。ツアーの方々とは晩ご飯の時以外はあまりお話しできないので楽しい時間でした。
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朝は霧が立ち込めていた周辺の風景もきれいなオリーブ畑だということが分かります。
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ツアーバスはt港まで戻ってしまうのですが、添乗員さんが交渉して町の入り口で降ろしてもらうことが出来ました。港まで1本道が数百メートル続いているだけなので迷うことはありません。
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まずは薬局に行って風邪用のシロップ薬を買い求めました。ツアーの方々の中にも風邪の症状がある方がいらしたので同じものを買い求めています。
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添乗員さんのおすすめのお店をいくつか教えていただき、そんな店をひやかしながら港に向かいます。観光地ながら以外に値段が安かったのが印象的です。おばあさんのお店で買ったエキストラヴァージン・オイルはとても美味しかったのでおみちゃげ用を含めて数本買い求めました。
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ここもおすすめのオーガニックのハチミツ屋さん「OLYBEER」です。ここでも試食が出来て、それぞれ100グラム入りの瓶に入って3つで10ユーロとお手頃な値段です。蜜の種類は百花とオーク、松とタイムの4種類にしました。松のハチミツはトルコでも買い求めていて、独特の香りが好きなので良かったです。
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買い物が終わった後は解散となり、自由に船に戻るだけなので港のレストランで食事をすることにしました。お土産物屋と並行して港側には数件のレストランがありますが、クルーズ船のお客は船に戻れば無料で食事が出来るので立ち寄る人はほとんどいません。
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何軒かの様子を見ながら「Kavos」というレストランに入りました。入るまではあまり体調が良くなかったのですが、店のおやじについてリーチイン冷蔵庫の中に冷えている地元のビールを見たら飲みたくなってきました。
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左側の「NYMPHE(ニンフ)」ビールはマケドニアのテッサロニキの大麦を使ったビールです。伝説によるとマケドニアのアレクサンドロスは不死の泉を求めて旅立ち困難の末に手に入れます。瓶に入った不死の水で彼の妹のテッサロニカの髪を洗いました。アレクサンドロスが死んだ時に哀しみに打ちひしがれた彼女は海に飛び込んで命を絶とうとしました。しかし彼女は死ぬことができず、人魚となって七つの海を通る海の男たちに質問を投げかけ続けるようになります。彼女が投げかけられる質問は決まっており「アレクサンドロス王は生きていますか?」というもので、正しい答えは「彼はまだ生きて国を治めています」です。こう答えると彼女は船を安全に通すため海を穏やかにしてくれますが、いかなる別の答えを言っても彼女は怒り狂ったゴルゴンに姿を変え、船を船員ごと海にひっくり返してしまうといいます。そんな話を知っているとビールの味も変わってきます。
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右側の「MAMOS」は1963年創業のアセニアン醸造所のピルスナーですが、2013年にその歴史が閉じました。これは最近復刻版として発売されているもののようです。さっぱりしたラガーで、粉っぽい香ばしい穀物とハーブのビター、微かな柑橘ピールでキンキンに冷やしてあるのでとても美味しいです。
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注文したグリークサラダが来ました。上に乗っているフェタチーズも本場のおいしさです。新鮮なトマトとキュウリと紫オニオンの辛みが相まってとても美味しいです。
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ここでお昼を食べてから船に戻るというのは妻のたっての希望でした。わさわさした船の食事から離れて優雅な時間を楽しみます。
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席には気持ち良い潮風が流れ、埠頭に停泊しているスプレンディダも風景の中に溶け込んでいます。
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お待ちかねのカラマーレが出てきました。その大きなイカの切り身にも驚きますが、素材の新鮮さとカリッとした衣と熱々の揚げたてに感動します。
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妻はどうしてもこれが食べたかったのです。願いが叶えられてよかったです。
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今回唯一の船以外での2人での食事でした。後でカタコロンのレストランを調べてみましたが、ここは人気がある店のようでした。
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美味しいビールと食事も楽しんだので船に戻ることにします。
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昨年末の沖縄の旅で行った海洋博公園の熱帯ドリームセンターでブーゲンビリアを貰ったのですが、水をやれないので夏のダイヤモンド・プリンセスの旅からずっと友人に預けてあります。この旅の途中で3つ花が咲いたというメッセージが届きました。
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港にはターミナルも無くセキュリティーもありません。
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埠頭からスプレンディダの写真を撮りながら進みます。船が大きいので近くに停泊しているようでもなかなか到着できません。
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だいぶ近くまで戻ってこれました。ツアーバスで埠頭まで戻ったら港の商店街まで戻るのは面倒くさそうです。
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アドルフ・ムーロン・カッサンドルのノルマンディ号のポスターのようなアングルで記念写真を撮ります。
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ようやく船に戻ることが出来ました。
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部屋に戻ってベランダからカタコロンの港を切り取ってみます。一番右の水色のテントが先ほど食事した「Kavos」レストランです。
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停泊していた船の形を見ていたら宮崎駿の「未来少年コナン」のダイス船長の「バラクーダ号」に似ていることに気が付きました。宮崎駿が全話の演出を担当した実質的な監督デビュー作であり、またNHKが放映した最初の国産セルアニメーションシリーズでもあります。
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薬局で買ってきた喉のシロップ薬です。これは計量スプーンに2杯、1日3回までです。飲んでしばらくすると咳が止まるのでかなり強い薬のようでした。しばらくするとカタコロンを出港し、船はアドリア海を航行していました。
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朝早かったので少しベットで横になっているとベランダから美しい夕日が見えました。
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あまりの美しさに陽が沈むまで眺めていることにします。池袋のメトロポリタンホテルで買って持ち込んでいたボンベイ・サファイヤを開けてジン・コークにしてベランダでいただきます。
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この日は遅いランチだったのと体調もあまりよくないので晩御飯はキャンセルすることにしました。添乗員さんの部屋に電話しましたが、すでに部屋を出ていらして、午後7時過ぎに電話をいただいてしまいました。明日はアテネの観光なので部屋でゆっくり休むことにします。
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