2023/09/30 - 2023/09/30
22位(同エリア113件中)
kojikojiさん
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「ミラ・マーレ城」から6番のバスに乗ってオベルダン広間まで出ようと思っていましたが、手前の「トリエステ中央駅」で下車しました。そこから歩き出すと22年前に泊まった「ホテル・ローマ」の前を通りました。実は朝にもホテルの前を通っていたのですが1階の一部に入っていた中華系の超市(スーパー)に気を取られていて気が付かなかったようです。このホテルに4泊しましたが、当時は1泊5,000円ほどでした。現在はきれいに改装されていますが1泊1万円以上になっているので驚きです。通過がリラだったころは本当に安く旅することが出来たと思います。オベルダン広場まで出るとまた美しい建物に行き当ってしまい、歩みが遅くなりますが何とか「カフェ・サン・マルコ(Caffe` San Marco)」に到着しました。ここは1914年創業の歴史あるカフェで、この町で生まれたウンベルト・サバやスヴェーヴォなどをはじめ、多くの政治家や文化人も通った老舗のカフェとして有名です。ウィーンの老舗カフェを思い出すようなインテリアの中で軽くビールを飲んで食事をしますが、軽く1万円近くになってしまいます。それでも給仕のお兄さんと昔話をしたり、料理についていろいろ尋ねたり楽しい時間を過ごせました。午後はさらにトリエステの建築巡りを続けながら妻のお気に入りの「GEOX」にも立ち寄りました。コルトンに嵌め込まれたペネロペ・クルスの着ているジャンバーが欲しかったからです。午前中に取り置きしなかったのでジャストサイズは売れてしまったということで、1サイズ上のものにしました。それを持ってさらに建築巡りを続けましたが、午後4時過ぎに妻は船に戻りました。郵便ポストが見当たらなかったので1人で街歩きを続けましたが、午後5時過ぎには切り上げました。何とか充実した1日を過ごせたと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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「ミラ・マーレ城」から6番のバスに乗ってオベルダン広間まで出ようと思っていましたが、手前の「トリエステ中央駅」で下車しました。
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そこから歩き出すと22年前に泊まった「ホテル・ローマ」の前を通りました。実は朝にもホテルの前を通っていたのですが1階の右側に入っていた中華系の超市(スーパー)に気を取られていて気が付かなかったようです。このホテルに4泊しましたが、夜になると人通りもないうら寂しい通りだったことを覚えています。
ホテル ローマ ホテル
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オベルダン広場までは歩いて10分くらいでした。広場を囲むように美しい建物があるので歩くのが遅くなってしまいます。
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ぐるりと全部歩いてみたいところですが、おなかも減っている状態で妻にそんなことは言えないので諦めます。
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「ヴィアネッロ宮殿(Palazzo Vianello)」は裕福な商人で海運会社のオーナーでトリエステの銀行頭取であったレオポルド・ヴィアネッロの依頼で、建築家ルッジェロ・ベルラムと息子のアルドゥイーノによって1904年に建てられました。
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バルコニーと屋上にあるサン・マルコのライオンの彫像は彫刻家ジョバンニ・マリンによるもので、入口にあるレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロを描いた2つのメダリオンは画家ピエトロ・ルカーノの作品です。
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「パラッツォ・アリゴーニ(Palazzo ex Arrigoni)」は海運会社のギラ&ポラッコ社(Ghira e Polacco)の本社を置くために1925年に建てられました。「ラ・ロマニタ(La Romanità)」と題された高さ6メートルの群像はファサード上部に設置されており、トリエステの彫刻家マルチェロ・マスケリーニが1925年から1926年にかけて制作した最初の彫刻作品です。
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チェーザレ・バティスティ通りに入っても「損害保険会社(Assicurazioni Generali)」の名前の入った美しいビリなどが立ち並びます。
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同じ通りにある「ルツィエ宮殿」は建築家ジョヴァンニ・アンドレア・ベルラムによって設計され、1872年から1874年にかけて建てられました。ルツィエ家の依頼により建てられた建物は高度な漆喰装飾が施され、最上階には花のモチーフの中世の衣装を着た女性像が置かれ、半円のパネルには2人の天使が見えます。メルクリウスが描かれているのも見えます。
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「カフェ。サンマルコ(Antico Caffè San Marco)」
1903 年にアッシクラツィオーニ・ジェネラーリの依頼により、建築家ジョルジョ・ポッリによって建てられた建物の中に入っています。それ以前は「ラッテリア・トリフォリウム」が入っていました。カフェ サン マルコ カフェ
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1914年にマルコ・ロブリノヴィッチによって設計されたリバティスタイル(イタリアのアール・ヌーヴォー)のレストランは、金色の漆喰、鏡、仮面の人物を描いた数枚の絵画はジュゼッペ・バリソン、グラウコ・カンボン、ウーゴ・フルミアーニ、グイド・マルシッグ、ヴィトー・ティンメルなどの芸術家の作品です。
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この場所はイタロ・スヴェヴォ、ジャンニ・ストゥパリッヒ、ヴィルジリオ・ジョッティ、ジョルジョ・ヴォゲーラなどのイタリアの思想家や作家が集った場所としてしられています。 ウンベルト・サバや現在はクラウディオ・マグリスなどが知られています。。
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ようやく席に座ることが出来ました。船を降りた後の半日間、バスに乗っている間以外ずっと立ちっぱなしでした。まずは生ビールで乾杯します。
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柱のパネルには浮世絵の大首絵を模した円形のパネルが飾られています。まるでゴッホが油絵で模写した絵画のようにも見えます。このようなジャポニスムと呼ばれる日本趣味の装飾は中央ヨーロッパを旅していると見掛けることがあります。
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「エルベ・フリット」はワイルドマスタードの入った地中海風ヨーグルトソースを付けていただくと書かれてありましたが、ほとんどタラの芽のような山菜の天婦羅の味で驚きました。絶妙な塩味なのでソースなど付けずにいただきます。
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「タリオリーニ」は黒コショウのクリームにスモークしたストラッチャテッラチーズが乗せてあります。大人のパスタという感じです。
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「エルベ・フリット」があまりにおいしかったので奥のカウンターまで行ってどんなハーブなのか教えてもらいに行きました。この日初めて出した月替わりの料理だったらしく「日本の春の山菜の天婦羅のようだ。」と褒めるととても喜んでくれました。
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1915年5月にオーストリア=ハンガリー軍の兵士の一団が店内に侵入し、建物を破壊して放火して閉鎖を命じた。 第1次世界大戦の終わりから第2次世界大戦の終わりまでカフェは放棄された状態にありました。 その後1989年に完全修復されました。
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1914年当時の天井のコーヒー葉の装飾は緑で、豆は赤、周囲の帯は白で、トリコロールを象徴していました。コストを抑えるために30年代の修復中にブロンズ色に塗り替えられました。
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カウンターの上にはELEKTRA社の「ベル・エポック(Belle Epoque )」という有名なエスプレッソマシーンが3台も置かれてあります。一時エスプレッソマシーンに凝ったことがあって、「ラ・パボーニ(La Pavoni)」社のプロフェッショナルというクロムメッキのカッコいいのを買ったことがあります。バブル当時日本で18万円以上したものがローマで2万円で免税手続きしたら1/10で買えた時代でした。
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お昼の時間も過ぎ、お茶を飲んでいる人も少ないので店内の写真を撮らせてもらいました。こちらは日本の花魁の姿が描かれています。
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こちらはインドネシアのジャワ島の宮廷舞踊の演者のようです。ジャワ島のガムランはバリ島のガムランとは全く違い、心に沁みるゆったりとしたもので、毎日のように演奏や踊りを見に行きました。
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「コメディア・デラルテ」はイタリアで16世紀から17世紀にかけて栄え、ヨーロッパ諸国に影響を与えた演劇で、即興演技と仮面の使用を特徴とします。
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欄間の絵画のモチーフはギリシャ神話のミューズのようです。作家はジュゼッペ・バリソン(Giuseppe Barison)のようですが確信はありません。
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ラファエル前派の時代よりは少し後ですが、バーン・ジョーンズやロセッティを思わせるような美しいミューズが印象的です。
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そろそろ出発しないと午後5時を目標に船に戻らなければなりません。
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22年前の旅でヴェネツィアで「グロッピーノ(Sgroppino)」というカクテルを知り、トリエステのレストランでも注文しました。「カフェ・サンマルコ」でもできないか尋ねてみたら「この先のジェラート・バーで出来るかもしれませんよ。」といわれました。感じの良さそうな店だったけど、時間も無いので諦めました。
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「ジャーノ・ビフロンテの噴水(Fontana del Giano Bifronte)」
磨かれたアルミニウム製の2つのマスクの噴水はそれぞれ重さ150キロあり、高さ3.5メートルあります。再開発と再舗装の後の2004年に建築家のルチアーノ・チェッリとマリーナ・コンスによって設計されました。19世紀まで古代都市の水道橋がここを通っていたそうです。 -
神話の人物である「ヤヌス( Janus)」はローマ神話の出入り口と扉の守護神で、前と後ろに反対向きの2つの顔を持つのが特徴の双面神です。また1年の始まりである1月を司る神ともいわれます。Januaryの語源(ヤーヌスの月)でもあります。他の著名な神と異なりギリシア神話にはヤーヌスに相当する神はいません。
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ヤヌスの像に選ばれた男性と女性の2つの顔は、ポリテアマ・ロセッティの軒下のフレームにある2つのマスクをモデルにしたもので、これも古典的な演劇のマスクとして社会を象徴することを意図しています。
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「カサ・カサブ(Casa Cassab)」は建設会社ジョヴァンニ・プカロヴィッチによって1911年から1912年にかけて建設されました。クロアチアのスプリット出身の建築家ジョバンニ・ザニノヴィッチは「ネオトスカーナ」と定義される建築様式のトリエステの代表的な存在でもあります。
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入り口の1つはヴィアーレ通り、もう1つはバッティスティ通りにあります。 この建物は裕福な商人コスタンティーノ・カサブの発注で、彼の会社は主にシリアとエジプトと取引していました。
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美しいロッジア(開廊)を抜けて先を急ぎます。予定より2時間近く遅れていますが、午前中にかなりの建物は見ているのでなんとかなりそうです。
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「パラッツォ・ディアナ(Palazzo Diana)」はトリエステの中心部にある1ブロックにも及ぶ巨大な歴史的建造物です。1878年から商人フィリッポ・ディアナの依頼で建築家エンリコ・ホルツナーによって設計されました。トリエステ市の新古典主義建築の優れた例といえます。
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「サンタントーニオ・ヌオーヴォ教会(Church of Sant'Antonio Nuovo)」の裏側まで戻ってきました。これで時間内に買い物も出来てトリエステ観光を終われそうです。
Chiesa di Sant'Antonio Nuovo 寺院・教会
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19世紀のトリエステで広く使用されていた「パンドゥリ」は市内の多くの建物で多用されたドアの上を飾る石の頭です。それらは家を守る役目を担って設置されました。 その姿の多くはハンガリーの兵士を描いています。 封建時代のハンガリーでは「パンドゥリ」は高貴な貴族の武装した使用人およびボディーガードでした。
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17世紀から18世紀にかけて ハプスブルク軍の特別歩兵部隊は「パンドゥリ」と呼ばれ、その多くはハンガリー王国のセルビア人とルーマニア人の農民から行われました。1740年からハプスブルク軍に登録されたクロアチア国境の兵士も「パンドゥリ」と呼ばれるようになります。
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彼らの主な任務は敵陣の背後で迅速な襲撃を実行することと、敵軍の規模と位置に関する情報を収集することでした。 彼らの行為が民間人に損害を与えることも少なくなく、略奪品を求める残忍で貪欲な兵士たちの評判は良くなかったようです。
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「至聖三者聖スピリドン・セルビア正教会聖堂(Tempio serbo-ortodosso della Santissima Trinità e di San Spiridione)」も青空に白い大理石の建物が映えます。
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この建物は高さ40メートルのギリシャ十字の平面が特徴で、中央のドームは4つのプルームで支えられています。内部装飾はビザンチン様式の金色の背景にフレスコ画で構成されているようです。
至聖三者聖スピリドン セルビア正教会聖堂 寺院・教会
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「大運河」側の壁面にはビザンチン風の植物のフレームに囲まれた大天使ミカエルの姿があります。大天使ミカエルはユダヤ教、キリスト教、イスラム教のいずれの宗教でも、あらゆる天使の中で最も偉大なものとされ、「ミカエル(Michael)」という名は「神のごとき者」という意味があります。アレゴリーである天秤ばかりと剣を持った姿で表されています。
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「スキアヴォーニ教会」の名でも知られるこの教会はギリシャ・イリリア同胞団が所有し、聖スピリドンと聖三位一体を祀る18世紀の教会が元々あった場所に建っています。18世紀に自由港であったトリエステにはオスマン帝国から流入して移住したギリシャ人およびセルビア人が正教徒としての共同体を形成していました。1751年にマリア・テレジアが宗教上の寛容令を発布したことは、正教の共同体形成を容易にしていたと思われます。
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1858年にセルビア正教コミュニティは新しい教会の建設を公募を発表し、その選定はヴェネツィア美術アカデミーに委ねられていました。提案された7つのデザインの中から建築家カルロ・マチャッキーニのデザインが選ばれ、作品の方向性はトリエステのエンジニア、ピエトロ・パレーゼに委ねられます。
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1885年になってミラノの画家ポンペオ・ベルティーニの図面に基づいて、ヴェネツィアのムラーノ島の職人によってモザイク装飾が完成しました。 残りの装飾部分はミラノのアントニオ・カレンミによって作成されています。
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キリスト教の新約聖書に収められている四つの正典「福音書」の記者である4名の福音書記者、「マルコ福音書」のマルコ、「マタイ福音書」のマタイ、「ルカ福音書」のルカ、そして「ヨハネ福音書」の記者ヨハネを表す獅子と鷲と天使と牛のメダリオンと2つの智天使ケルビムのメダリオンに囲まれた主教の姿があります。指文字による祝福の右手の親指と薬指を「X」字形に、ひとさし指を「I」、中指を「C」に、小指を「C」に見たてます。右手は「IC XC」すなわち「イイスス ハリストス」、イエス・キリストの名を象っています。
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4名の福音書記者のモザイクの下にはエミリオ・ビシによって彫刻された9人の聖人の像が配置されています。
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「大運河」もこれが見納めです。この近くの旅行代理店でクロアチアのリエカからドゥブロブニク迄のチケットを購入するまでは良かったのですが、ドゥブロブニクからイタリアのバーリが国際航路になるためパスポートが必要だと言われ、「ホテル・ローマ」まで取りに帰ったことが懐かしく思い出されます。
カナル グランデ 散歩・街歩き
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「テルニ・スモーラー家(Casa Terni-Smolars)」
1906年に建築家ロメオ・デ・パオリによって設計され、騎士のアウグスト・テルニによって注文されました。この建物はコンスタンス・カーニエル・スモーラーズによって設立されたスモーラーズ文房具店が建物の1階にオープンした後、現在の名前が付けられました。 -
この家の数々の彫刻は彫刻家アレッサンドロ・ヴィラが20世紀前半に作品を制作しました。1970年に建築家のジャンパオロ・バトリとクラウディオ・ヴィシンティーニの寄って内装及び下層階の大幅な改修が行われています。
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2階の円形窓と正面ファサードと屋上に配置された彫刻群は彫刻家ロメオ・ラットマンの作品です。 建物はまだオリジナルの状態を保っており、ほとんど変更が加えられていないようです。美しい円窓の正面から写真を撮ってこなかったのが悔やまれます。
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「GEOX」に戻ってきました。午前中応対してくれたお兄さんはいなく、女性のスタッフに尋ねると申し送りが出来ていました。が、妻が迷って小さいサイズと思っていたものが4時間ほどの間に売れてしまっていました。
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ということで1サイズ上のお揃いのジャケットが買えました。299ユーロとお手軽な値段で日本にはほとんど入っていないものが買えるのですから。
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ここまで疲れ果てていた妻も途端に元気になりました。
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「ボルサ広場(Piazza della Borsa)」にある「トリエステ旧証券取引所(Borsa valori di Trieste)」の建物は日影になった方が立体感が出てきれいに見えます。
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「ネプチューンの噴水(La Fontana del Nettuno)」には日の光が当たりきれいに見えます。「バルトリハウス(La Casa Bartoli))」もに「温室」とも呼ばれるだけあって、明るい方がきれいに見えます。
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「トリエステ市庁舎(Comune di Trieste)」も「四大陸の噴水(Fontana dei Quattro Continenti)」朝とは違った印象になりました。
市庁舎 建造物
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「ストラット宮殿(Palazzo Stratti)」はギリシャ出身の商人ニコロ・ストラッタにより1839年に建設されました。ストラッタはマッテオ・ペルチュの弟子で当時市内で最も人気のあるデザイナーの1人であった建築家アントニオ・ブッタッツォーニに設計を委託しました。
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1846年に経済的な困難によりストラッタは建物を現在の所有者であるアッシクラツィオーニ・ジェネラリに売却することを余儀なくされました。 同時期に歴史ある「カフェ・デリ・スペッキ(Caffè degli Specchi)」が建物の1階にオープンしました。その後数十年にわたり建築家のアンドレア・セウ、エウジェニオ・ガイリンガー、ジョヴァンニ・リゲッティによって行われた修復によって、建物の新古典主義的な外観が修復されました。
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トリエステまで来ていながらこの美しい「イタリア統一広場(Piazza Unità d'Italia
)」の夜景を見られないのが残念です。ウニタ ディタリア広場 広場・公園
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イタリア国旗の下にはムーア人の時計がありますが1700年に解体され、代わりに3つの鐘を備えた窓が設置設されましたが、時計の機械の機能はそのままでした。 1838 年に時計塔の取り壊しが決定されましたが、市民は時計塔を復元したいと考えていました。 この仕事は時計技師のアントニオ・セバスティアヌッティに委ねられ坤為地の姿になっています。
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「ロイド・トリエスティーノ宮殿(Palazzo del Lloyd Triestino)」は逆に日陰になってしまいました。
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朝一番できれいな写真を撮っておいて良かったです。
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「オーストリア総督の宮殿(Palazzo della Luogotenenza austriaca)」
政府宮殿 ウィーンの建築家エミール・アルトマン (学生ハインリヒ・フォン・フェルステル) によって設計され、1901 年から 1905 年にかけて、マリア・テレジアの命令により 1764 年に建てられた旧政府宮殿の敷地に建設されました。 -
建築家はルネッサンス建築とウィーン分離派のスタイルにインスピレーションを受け、ファサードは2階までの白大理石とモザイク装飾で覆われた2階、屋上テラスの石の欄干の3階で構成されています。 メインのファサードには3つのアーチで分割されたロッジアがあります。
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ここには帝国工廠の事務所が置かれており、 当初この建物は2階建てでしたが1825年に3階が増築されました。
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宮殿の外観はヴェネツィアのムラーノ島のガラスのモザイクで覆われており、第1次世界大戦後に作られたサヴォイア家の紋章を描いた絵、寓意的な女性の頭部、メダリオンを見ることができます。
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広場の最後の記念碑的事業であるこの建物は非常に批判されたため、1910年には取り壊し計画までが検討されていたようです。
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海に面した県庁舎の広場にあった庭園は1919年に撤去され、1923年に市は2本の仮設の木の柱を設置しました。 ジェノバのアンサルド社は2本の青銅製の柱を建てると約束していましたが1929年の危機のため約束を守ることができず、イタリア王立自動車クラブ (R.A.C.I.) が建設費を負担して代わりに建てました。アッティリオ・セルバがスケッチを描いた支柱の彫刻部分は高さ 4.25 メートルで、第1次世界大戦で戦ったイタリアの兵士を表しています。
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2004年にトリエステ市のイタリア返還50周年を記念して、イタリア陸軍の歩兵ベルサリエリとトリエステの少女たちの記念碑が広場の王室階段に落成されました。
トーディ出身の彫刻家のフィオレンツォ・バッチの作品は、ベルサリエリの上陸を思い起こさせます。 -
「トリエステの少女たち」はイタリアの国旗を縫うことを意図した2人の女性像です。
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妻は疲れたのとお目当てのジャケットを買ったのでトリエステの観光に見切りをつけて船に戻ってしまいました。時間はまだ午後4時30分なのでもう少しトリエステを楽しめそうです。ここまで書き溜めた絵葉書もまだ投函できないままでいます。
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22年前に来たときは現在も残る貨物線の引き込み線路と放置されたまま貨物車両と駐車場だった場所はきれいに生まれ変わっています。どこかの埠頭の先に小さなバーがあって、夕暮れ時にそこでシチリアのリキュール「アヴェルナ」を飲んだ思い出があります。
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「サボイア・エクセルシオール・パレス(Savoia Excelsior Palace)」も大きなホテルですが、目の前に停泊しているスプレンディダに比べると小さく見えてしまいます。
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この建物は1911年にオーストリアの建築家ラディスラウス・フィードラーによって設計され、ファサードを飾る古典的な彫刻と柱が印象的です。1912年の開業当時、ホテルはオーストリア・ハンガリー帝国で最も豪華なホテルの1つでした。皇帝フランツ・ヨーゼフも頻繁に訪れたゲストであり、彼の私的な部屋は当時のまま保存されています。
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「トリエステ市水族館(Acquario Marino della Città di Trieste)」1913年に魚販売の屋台を収容する予定だったこの建物は、トリエステの人々の目にはすぐに本物の魚屋よりも神聖な建築物にふさわしいように思えたようです。
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ポンプ構造というよりも鐘楼に似た給水塔の姿から、「海のバシリカ」とか「サンタ・マリア・デル・グアト」というあだ名が付けられました。
トリエステ水族館 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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北端の塔はかつては屋台で魚を洗うのに必要な水を蓄える機能を持っていましたが、イストリア石の素朴な切石の基部と露出したレンガの外装が特徴的です。一対のドーリア式柱や海洋動物を描いた浅浮き彫りで装飾され1933 年に開館した海洋水族館は歴史的な建物です。海洋をテーマにした外部の薄彫りのフリーズと鐘楼の両方すでに博物館になっています。
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この水族館は元の建物に残されている世界最古の海洋水族館です。ただ2023年時点では水族館部分は休業しています。以前来たときは手作り感満載のローカルな水族館だったことを覚えています。
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ようやくイスタンブールとコルフ島とアルベロベッロとトリエステの絵葉書が送れました。
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郵便ポストの前にあるヴェネツィア広場にはオーストリアのマクシミリアンの記念碑がありました。 彫刻家ヨハン・シリングの作品で1875年4月3日に皇帝フランツ・ヨーゼフの臨席のもと落成式が行われました。高さ8メートルのブロンズ記念碑はオーストリア、戦争と海軍、トリエステとミラマーレの旗を高浮き彫りで装飾された高い基壇の上に置かれ、提督の制服を着たマクシミリアンの像で構成されています。
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八角形のベースは4つの大陸の擬人化し、科学、詩、芸術、産業のシンボルを描いた小さなメダリオンと交互にいくつかの碑文を特徴としています。イタリアがトリエステに返還されると像は撤去され、保管庫に置かれたままになっていました。
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1961年以来この記念碑は「ミラ・マーレ城」の公園に設置され、90年間の空白を経て現在はボルサ広場に移設されているネプチューンの噴水の代わりに、ヴェネツィア広場に移転されました。
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「ミラ・マーレ城」で久しぶりにマクシミリアン太閤の歴史を辿ってきたばかりなのでこの像に思いがけずに出会ったのは印象的な出来事でした。ここには先ほど見てきた「ボルサ広場」にあった「ネプチューンの噴水」が据えられてありましたが、2008年に移設されています。
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ほんの数日ではありますが、クルーズで寄港地を巡る旅というよりもアドリア海を航行していることに重きを感じてきました。
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午後5時を過ぎたのでそろそろ船に戻ることにします。天気も良く穏やかな1日でした。久し振りに妻と2人でイタリアの街歩きも楽しめました。
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小さな遊覧船が出港していきました。乗客の目はスプレンディダに向いているようです。
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埠頭に着くとほとんど乗客らしい人の影はありません。もう皆さん船に戻っているようです。
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「ナザリオ・サウロの像(Statue of Nazario Sauro)」にもお別れを伝えます。セキュリティにもl乗客の姿もなく、暇そうに係員が応対してくれました。
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トリエステを出港すると後はギリシャのオリンピアとアテネ、トルコのクシャダシに寄港してイスタンブールに戻ります。旅も折り返し地点です。
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部屋に戻ってしばらくするとトリエステの町は夕日に覆われてきました。
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「聖ニコラウス・ギリシャ正教会(Chiesa greco-ortodossa di San Nicolò)」
今回立ち寄れませんでしたが、この教会は18世紀の終わりに海岸沿いに建てられました。当時のトリエステは繁栄したオーストリアの大都市で、ギリシャの貿易商たちは毎年レバント中から数千隻の船でこの港に上陸して商売をしました。聖ニコラウスは船員、船主、そして海上貿易に携わる人々の守護聖人でもあります。 -
「カルチョッティ宮殿(Palazzo Carciotti)」
朝一番で海岸沿いのリーヴァ11月3日通りを歩かなかったので見ることが出来ませんでした。通りの名前は先ほど見た兵士の銅像に由来する1918年11月3日のベルサリエリ号の上陸を記念したものです。邸宅は1775年にトリエステに定住したギリシャ商人デメトリオ・カルチョッティの依頼で建築家マッテオ・ペルチが設計しました。ドーム屋根は銅で覆われ、上部にはナポレオンの鷲が飾られています。 海に面したファサードには6本のイオニア式の柱があり、その上にはカノーヴァの弟子である彫刻家アントニオ・ボーザによる6つの彫像が置かれています。 -
「ミラ・マーレ城」にも夕日が当たってさらに美しい姿を見せています。
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「勝利の灯台(Faro della Vittoria)」の展望台にはまだ人の姿が見えます。きっと美しい夕日を眺めているのでしょう。
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「モンテ・グリサの聖域(Santuario di Monte Grisa)」からのアドリア海の夕日は絶景でしょうね。
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昼間は閑散としていた「オーダチェ埠頭(Molo Audace)」も夕方の散歩でたくさんの人が来ています。
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どんどん町が赤く染まって、そして薄暗くなってきます。
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秋の日はつるべ落としと言いますが、イタリアだと何て言うのでしょう。
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「勝利の灯台(Faro della Vittoria)」にも明かりが灯りました。ライトが回転してきたタイミングでシャッターを押すのは結構難しいです。
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「ミラ・マーレ城」はすっかり暗くなり、薄っすらとライトアップしているのが見えます。
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「イタリア統一広場」の建物もライトアップが始まりました。これくらいの時間帯に歩いてみたかったです。22年前はあまりの美しさに毎晩この広場に通っていました。
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茶色い外壁が特徴的な「アエデス宮殿(Palazzo Aedes)」も今回見逃した建物です。 1926年から1928年にかけて建てられ、ウィーン分離派と北欧表現主義の間に位置し、建築家アルドゥイーノ・ベルラムによるプロジェクトです。 当時のニューヨークの新しい赤レンガの超高層ビルにインスピレーションを得て、「レッド・スカイスクレイパー」としても知られています。 貴重なディテールはそのピラミッド型の塔とそれを飾るマジョリカタイルの花です。
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もう少しトリエステの夜景を眺めていたかったのですが、午後7時前になって時間切れです。おめかしして6階のレストランへ向かいます。
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「白身魚のセビチェ」
新鮮な魚介と野菜を生の柑橘果汁でマリネしたペルーの料理です。あまり柑橘の風味は感じませんでしたが美味しい1品でした。 -
「揚げたナスのラザニア」
揚げ茄子の重ね焼きで、ナポリタンソースとチーズが挟まれています。 -
「トマトのクリームスープ」
疲れた体に沁みわたります。 -
「リブステーキ」
あまり体調が良くないのにメニューを見たら食べたくなりましたが、筋が多くて半分で食べるのを止めました。味は良かったですが、日本の牛肉になれていると海外のお肉はつらい時があります。 -
「ビーツのリゾット」
ビーツのナチュラルなピンク色の奇麗なリゾットです。今回唯一アルデンテではなかったそうです。妻はビーツを買ってきて上手にボルシュ(ボルシチ)を作ってくれます。一度食べた料理は再現できるのが凄いと思います。 -
「アイスクリームとシャーベット」
毎晩安心の味です。 -
妻は「ココナッツとピスタチオのアーモンドメレンゲ」
トルコ東部のガジアンティップの近くのカラフマンマラシュのピスタチオが最高に美味しかったのを思い出します。世界一といわれるのが納得できる味でしたが、1キロ800円と安かったのにも驚きました。 -
部屋に戻るとトリエステの明かりも見えません。十六夜月(いざよいづき)がきれいです。
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ユーミンは「14番目の月」が好きと言いましたが、十六夜月もきれいでした。翌日は終日航海日なので、じっくり腰を据えてカジノでルーレットにハマろうと思います。
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チャナッカレ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(6)ケファロニア島の沖からオデュッセイアのように...
2023/09/28~
ケルキラ島
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(7)懐かしいコルフに入港するも、アヒリオンパレス...
2023/09/28~
ケルキラ島
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(8)32年ぶりのアルベロベッロへようやく妻を案内...
2023/09/29~
プーリア州
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(9)トリエステ入港を楽しんだ後はオーストリア時代...
2023/09/30~
トリエステ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(10)ミラ・マーレ城でコルフ島へ向かうオーストリ...
2023/09/30~
トリエステ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(11)文豪カフェのサン・マルコでランチを食べて、...
2023/09/30~
トリエステ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(12)終日航海日に風邪をひいて寝込みながらフレン...
2023/10/01~
トリエステ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(13)初めて来たオリンピア遺跡の競技場でとりあえ...
2023/10/02~
オリンピア
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(14)オリンピア遺跡の見学の後は考古学博物館で学...
2023/10/02~
オリンピア
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(15)夜明けのピレウス入港からアテネ市内を走り抜...
2023/10/03~
アテネ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(16)5度目のアクロポリスの混雑に驚き、念願の新...
2023/10/03~
アテネ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(17)25年ぶりのアテネ国立考古学博物館は記憶通...
2023/10/03~
アテネ
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(18)クシャダシから4度目のエフェソス遺跡を訪ね...
2023/10/04~
エフェス遺跡周辺
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(19)ダーダネルス海峡を通過してイスタンブールに...
2023/10/05~
イスタンブール
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(20)トプカプ宮殿の陶磁器博物館と武器博物館と図...
2023/10/05~
イスタンブール
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(21)トプカプ宮殿のスルタンの衣装と宝物の素晴ら...
2023/10/05~
イスタンブール
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MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(22)トプカプ宮殿のイスラム教とキリスト教の聖遺...
2023/10/05~
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