2023/10/05 - 2023/10/05
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/10/05
この旅行記スケジュールを元に
午後3時にセキュリティのゲートを潜って「トプカプ宮殿」のエリアに入ります。ここで3時間の観光になります。宮殿の概略をガイドさんが説明し、厨房棟だった「陶磁器博物館」を自分たちで見学します。再集合してディワンの塔の脇の「会議の間」と並びの「時計博物館」「武器博物館」と見ていきます。続いては「幸福の門」の前で簡単な説明があります。その後はまたフリータイムになり、最後は「表敬門」を出た先のカフェとお土産物屋で午後6時に再集合になります。10人のツアーとは言え混雑した博物館の中を説明しながら案内するのは難しいし禁止されているのかもしれませんがずいぶん雑な案内だと思いました。さらに「ハレム」は今回の観光には含まれていなとのことです。「ハレム」については4年前のツアーで妻にも見せてあるので特に見なければならないとは思いませんでしたが、初めて来た他の方々は残念だろうなと思いました。逆に我々にとっては4年前はリニュアル工事中で見ることの出来なかった「宝物館」や「聖遺物館」をじっくり見ることが出来て良かったです。失敗したのは最初の陶磁器を見たところで2階にある中国や日本の陶磁器を見てこなかったことでこれは失敗でした。ただ、もしそれを見て写真を撮っていたら最後の集合時間に間に合わなかった気もしますのでトータルでは良かったのかもしれません。もし「トプカプ宮殿」をじっくり見学しようと思ったら「ハレム」で1時間から2時間、そのほかの宝物館や建物の見学で最低3時間から4時間は必要なので、半日はここにいる覚悟が必要だと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
妻に見せたかった「地下宮殿」の近くを素通りし、再訪したかった「国立考古学博物館」の目の前を素通りして「トプカプ宮殿」のゲートを潜ります。ここで3時間見学するというので、途中抜け出して博物館に雇用かと思いましたが実際は時間的に無理でした。、もはや次のイスタンブールの旅を考えないとなりません。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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宮殿第1の庭から第2の庭をつなぐ「挨拶の門(バービュッセーラム)」が見えてきました。チケットが必要なのはこの先からです。最終の集合場所はこの門の右手にあるお土産物屋さんとカフェということになりました。
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この門は征服王と呼ばれたスルタン・メフメット2世の時代の1468年に建設されました。「トプカプ」とは「大砲の門」を意味しますが、これは19世紀以降の通称で、元々は「新宮殿」を意味する「サライ・イ・ジェディード」と呼ばれていました。この銃眼のある門には2つの大きな八角形の尖った塔があります。この門の建設年代は塔の建築がオスマン帝国ではなくビザンチン帝国の影響を受けているため明確ではありません。この門はボスポラス海峡の海岸から宮殿の庭園への王室の海辺の入り口であった大砲門を模倣していると推測されています。
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公的な目的と外国の高官以外は門をくぐることは許されませんでした。スルタンだけが馬に乗って門に入ることを許されたため、他の者はここで馬から降りなければなりませんでした。今日では博物館への入り口として機能しています。
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入り口の碑文はこの門を少なくとも1542年に遡ります。1584年のヒュナーナーメの細密画では塔の間のアーチの上に3つの窓がある低い屋根の構造がはっきりと見えますがおそらくその後姿を消した衛兵室だったと思われます。門の両側と上部は宗教的な碑文とスルタンのモノグラムで豪華に装飾されています。
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第2の庭に入ると糸杉の木立から「正義の塔」が見えてきます。イスタンブールに入港するMSCスプレンディダから見たのはこの塔でした。
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春先のヨーロッパを旅するときには気を付けなければならないことがあります。日本ではスギ花粉などのピークが過ぎていても、ヨーロッパでは時期がずれているのと町中に杉の木がとても多い都市があります。妻は花粉症なのですが、春先のウィーンで茶色く花粉の付いた杉の木を見て顔色が変わっていました。アルハンブラ宮殿の中庭でも同じようなことがありました。北欧に行った際はシラカバの花粉も強烈で、顔が腫れ上がった方がいらっしゃいました。
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中庭に置かれたアカンサスの柱頭は葉を表す装飾の中でも非常に一般的なものです。 建築意匠の場合は地中海産のアカンサス・スピノザ種の葉が岩石や材木に彫刻されます。2メートル近い柱頭だと柱の長さだけでも20メートルくらいになるのではないでしょうか。どんな建築物の柱を飾っていたのか謎です。ここで20分ほどのフリータイムになり厨房の周りの博物館を見学します。
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「トプカプ宮殿」には膨大な中国陶磁器や日本の陶磁器も収蔵されていて、初めて来たときはそのコレクションの質の高さに驚きました。数千万円から数億するような明や清の時期がごろごろしていました。それが意外なほどぞんざいに並べられているのにも驚きました。今回それらを失念していて見てくるのを忘れていました。ただ、それを見ていたら集合時間に合わなかったと思います。
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ここには14世紀の龍泉青磁の世界最大級のコレクションもあります。さらに約3,000個の元王朝と明代の青磁もあります。これらの青磁は食べ物や飲み物が毒されると色が変わると考えられていたため、スルタンと皇太后に評価されました。日本のコレクションは主に17世紀から19世紀の伊万里です。
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面白かったのは明時代や清時代の磁器を輸入して、それに金の台座を貼り付けてルビーを嵌め込んでいることです。元々余白が不自然にあることから、こういった加工をすることを前提に造らせたのではないでしょうか。
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使い良さそうな大きさの兜鉢や向付のような陶器が並んでいます。大きな皿や壺であれば飾るだけの使い方しかありませんが、このような小さい陶磁器の使い方の方が気になります。
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鶴首の花入れは首が切り落とされ、金属の蓋が取り付けられています。こういった発想が面白いです。ヨーロッパの宮殿や城でもよく見かけますが、オスマン時代のトルコだとまた用途も違ったのではないでしょうか。
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花瓶は水差しになったり硬水を入れたり用途は多々あるようです。16世紀中ごろの清時代に物が多かったです。
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柄の長いパイプも興味があります。なぜこのような長さが必要だったのでしょうか。この後に入った衣装の博物館でその理由が分かったような気がしました。手元に火元があると危ないなと思いました。
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歴代のスルタンの肖像画が描かれた磁器は高台裏の月の星のマークからトルコで造られたことが分かります。
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茶杯にも把手を付けたり馬上杯のようにしたり加工の様が面白いです。以前ヴェネツィアのムラーノ島で自分でデザインした茶杯と茶托を作ってもらったことがありますが、茶碗に高台を付けることを説明するのに苦労したことがあります。東西を合致させるのに苦労するのは過去も現在も同じだと思います。
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翡翠のカップにも金製の把手とソーサーが付けられると西洋風に見えてきます。色絵の磁器に金とエナメルのカップホルダーはやりすぎです。
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20分後に再集合してこの先にある博物館の位置と収蔵されているものの説明が簡単にありました。どうやら別料金の「ハレム」には入らないようです。もっとも約2時間の自由時間では全部を見ることは出来なかったので見学するエリアを絞ってよかったのかもしれません。「ハレム」は4年前の朝一番でじっくり見学しているのと、その時は博物館が修復工事中でダイヤモンドとルビーの短剣は貸し出されていました。
トプカプ宮殿のハレム:https://4travel.jp/travelogue/11565135 -
「帝国評議会(ディーヴァン・イ・フマユーン)」
この建物はスルタン・セリム3世の治世下にあった1792年の改修工事の際に施された装飾によって現在の姿になりました。アーチは金箔の格子で閉じられ、ロココ様式のレリーフが施された扉が付け加えられました。スルタン・マフムート2世の治世中の1819年にさらに改修され、建物のファサードにある2つの詩の碑文のうち1つはスルタン・セリム3世のもので、もう1つはスルタン・マフムート2世のものです。帝国評議会書記官室のアーチの壁には、スルタン・ムスタファ3世のモノグラムが刻まれています。 -
この部屋と大きな開口部でつながっているのが、ディヴァン・イ・フマユーン・カレミです。ドームのある部屋は小さなドアでこの部屋に通じています。この建物は1665年のハーレム火災で損傷し、スルタンメフメット4世によって更新されました。構造の表面にはスルタン3世の時代の修理に言及する碑文が書かれています。
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帝国評議会はクッバルトゥとも呼ばれ、国政を議論する評議会、評議会の決定を書面で提出する書記官室、文書や決定記録を保管する登記所の3つの部門から構成されていました。帝国評議会は週4日召集されました。ファサードには1792年と1819年に行われた修復作業、スルタンセリム3世とマフムード2世の下で行われた修復作業に言及した詩の碑文があります。ファサードと皇室内部のロココ様式の装飾はこの時期のものです。メインの部屋はオスマン帝国のキュタヒヤタイルで装飾されています。両脇には長いソファーが3つ置かれ、中央には小さな囲炉裏が置かれていました。天井から吊るされた小さな金色のボールは地球を表しています。それはスルタンの窓の前に置かれ、彼が世界に正義を分配し彼の宰相の権力を抑制することを象徴しています。
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評議会ホールには宮殿内と中庭の両方から複数の入り口があります。玄関ポーチは複数の大理石と斑岩の柱で構成されており、金で装飾された華やかな緑と白の木製の天井があり、床は大理石で覆われています。外からホールへの入り口はロココ様式で、自然光が入るように金色のグリルがあります。柱は初期のオスマン様式ですが壁画や装飾は後期ロココ時代のものです。
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以前来たときは朝一番だったので部屋の中まで朝日が差し込み、部屋の中が輝いて見えましたが、この日は午後の遅い時間なので部屋のイメージが違って見えました。帝国評議会は午前中に行われたのではないだろうかと勝手に想像してしまいます。
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「時計博物館」
オスマン帝国時代の1687年、ムスタファ・アクサライの署名のある「デーブル・クロック」
コレクションの中にはトルコの時計職人が作ったトルコの時計や、オスマン帝国の400年の間にドイツ、ロシア、フランスから収集された時計があります。その中にはオスマン帝国のスルタンの天才時計職人であるブレゲが作った壮大な時計があります。コレクションの100個の時計は現代の時計職人によって修理され、コレクションに残っている時計の修復と維持されています。コレクションはオスマン帝国の時計、ヨーロッパの時計、懐中時計の3つの部分に分かれています。 -
「掛け時計」オスマン時代の1650年ブルガット
最古のトルコの時計は17世紀にさかのぼり、当時の職人技の良い例とされます。時計は15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の首都とその周辺で作られていたことがわかっています。 -
「掛け時計」オスマン時代の1650年のシャヒンのサイン入り
4つの時計はブルガット、シャヒン、アブドゥルラフマン、ムスタファ・アクサライという職人の作品で、コレクションに残っている最古のものです。ムスタファ・アクサライの銀製の水平ムーブメントの置時計とシャヒン・ウスタの時計ケースは、この時代の最も優れた工芸品の1つです。 -
この時代の時計は清朝中国の乾隆帝の時代のように欧米からもたらされたものとばかり思っていたので、トルコで機械時計が造られていたというのは驚きでした。どうも頭の中には19世紀のエジプトの支配者であるムハンマド・アリがカイロにあるモハメド・アリモスクの時計塔の時計と交換してカルナック神殿のオベリスクをフランスに贈った話が合って、オスマン帝国もそのくらいなのかと勝手に思っていました。
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「ブラケット・クロック」1770年の英国マークウィッチ・マーカム製の置時計
18世紀にはイギリスの時計メーカーが亀甲のケースとオスマントルコ語(アラビア数字)の音楽時計や時計を製造しており、その中にはマークウィッチ・マーカム、ペリガル、ボレル、ストーリー、レコードンなどがあります。 -
「懐中時計」18世紀英国のマークウィッチ・マーカム製
素晴らしい時計がたくさん並んでいますが、見とれていると集合時間までに見学が終わらなくなりそうです。 -
「武器博物館」
コンスタンティノープルを征服した後、スルタン・メフメト2世はトプカプ宮殿内のアヤ・エイレーネ教会を武器庫に改造し、オスマン帝国軍が使用したすべての武器を保管しました。これらの武器の修理とメンテナンスもこれらの武器庫で行われ、博物館に改装される前の19世紀まで使用されました。見事なアラム(フィニアル)と呼ばれる旗棹から見ていきます。 -
トプカプ宮殿博物館の武器コレクションは世界で最も豊富で多様なコレクションの1つです。インド、アラブ、トルコ、ペルシャ、マムルーク朝、アッバース朝、ヨーロッパ、日本、クリミア・タタール、ウマイヤ朝など、さまざまな起源の52,000の武器で構成されています。1,300年以上にわたるコレクションは武器庫から移された武器と宮殿の衛兵が使用した武器で構成されています。
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「メイス(棍棒)」
兵器としてのこん棒ではなく美術品へと進化しているように思えます。 -
XNUMX世紀のライフルやXNUMX世紀のピストルなどの銃器で構成されています。 これらの武器は、その歴史的発展の過程、さまざまな時代の装飾スタイル、地域のパターン、イスタンブール、コーカサス、バルカン半島などの場所の好みを反映しています。
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装飾用の武器にはターコイズ、サンゴその他の貴石または半貴石が象嵌されています。
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ライフルは15世紀にオスマン帝国によって初めて使用されました。重くて大きいサイズのトレンチライフルは城の砲台に立て掛けた二脚に乗せた後に点火されました。一方で歩兵ライフルとキャバリアライフルは小型です。オスマン帝国のライフルの銃床は木と骨で造られました。写真のように角があり幅もあります。また豪華に装飾がなされています。
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「バヤジット2世の剣」オスマン時代15世紀中ごろ
バヤジット2世はオスマン帝国の第8代皇帝(スルタン)で、第7代皇帝メフメト2世の子です。「聖者(ヴェリー)」と呼ばれるほど信心深い敬虔なムスリムであり、華々しい外征を行った父メフメト2世と息子セリム1世に比べて外征で目覚ましい成果が見られないことから業績を低く評されるスルタンでもあります。 -
「16世紀後半の軍馬用面鐙」
オスマン帝国では人間だけでなく軍馬にも美しい兜を被せました。これは銀または銅を主体とした合金に水銀と金の混合物を塗り、水銀を蒸発させた「トムバク製」で作られています。 -
「16世紀の礼装用兜」
金の象牙装飾が施されたこの鉄製の兜は、ルビーとトルコ石が散りばめられた儀式用のものです。このような儀式用の豪華な装備品はスルタンにとって権威を示す重要なものでした。兜の数ヶ所に信仰告白が金象嵌されているのがイスラムらしい特徴で、前立部分には「神は唯一であり、ムハンマドはその使徒である」との言葉が刻まれています。
これらのトルコのヘルメットは、その後のヨーロッパ全土の軍隊のモデルになりました。 -
「日本刀」18世紀から19世紀
中段のものは日本から贈られた当時のままの姿ですが、上下のものは刀身以外は象牙で柄や鍔、鞘に至るまですべてが象牙で設えてあります。 -
ここに展示されている武器は世界中から贈答品として贈られた物や儀仗用だったりと実践で使われたものではないようです。そのために美術品として安心して見学することが出来ます。
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左は旗竿用アレム(フィニアル)、右の剣はオスマン・クルチと呼ばれる片刃で湾曲した剣です。これは実戦用の剣ではなく儀礼用のものでしょうか。右上は金銀象嵌で装飾された盾です。
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11世紀から13世紀の中世ヨーロッパで発展を遂げた騎士達の剣は、14世紀になるとロングソードとして完成され、西洋の戦場に革新をもたらし、当時の騎士達にとって欠かせない武器となりました。
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展示されているものは当時の技術を反映しただけでなく、芸術的価値の高い武器です。 宮殿に届けられるペルシャの武器は弓、剣、鉾、槍、旗、鎧、兜で構成されています。 これらのマムルークとペルシャの武器はすべて、イスラムの金属加工の多様性や優れた技量と装飾技術の高さを反映しています。
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16世紀のオットマンの兜と盾は金メッキのとてもきれいなものです。兜には唐草の象眼が施され、盾には円形の金の台座に赤いルビーと質の良い緑のトルコ石が嵌め込まれています。
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明治時代にイスタンブールに滞在した日本人の山田寅次郎がアブデュルハミト2世に贈った日本製の甲冑が展示されていると思っていたのですが、見逃したのか展示されていなかったのか…。夏に行った和歌山の旅ではオスマントルコの軍艦エルトゥールル号遭難事件の場所の近くまで行きました。メルスィンの記念碑には漁船に乗っておき~慰霊したこともあります。日本人はあまり知らない日本とトルコの歴史があります。
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人が途切れたところでもう一度美しいロココスタイルの入り口を見ておきます。このような装飾は世界中探してもここだけかもしれません。
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内廷の正門「幸福の門(バービュッサーデ)」はおそらく15世紀にスルタン・メフメト2世の時代に建設されたと思われます。1774年にスルタン・ムスタファ3世の治世下とスルタン・マフムード2世の治世にロココ様式に改装されました。門はさらに入り口とトゥラの上にコーランの一節で飾られています。天井は一部に金箔が貼られ、中央には金色の玉がぶら下がっていました。側面にはバロック様式の装飾要素と風景の細密画が描かれています。
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スルタンはこの門とディヴァン・メイダニ広場を特別な儀式にのみ使用しました。スルタンは宗教的な祝祭日と即位の日にバイラムの玉座の門の前に座り、臣民と役人が敬意を表して立って儀式を行います。スルタンの葬儀も門の前で行われました。この列柱のある通路の両側にはスルタンのハレムの宦官長と彼のスタッフの管理下に宦官の宿舎と宮殿学校の大小の部屋がありました。
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門の前の地面にある小さなへこんだ石はムハンマドの旗が掲げられた場所を示しています。大宰相や戦争に赴く司令官は厳粛な儀式でこの旗を託されました。
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フェリシティの門の奥の第3の中庭は「インナーパレス(エンデルン・アヴルス)」とも呼ばれ、スルタンがハーレムの外で日々を過ごした宮殿の中心です。宮殿の役人が占める枢密院の「ホール(ハス・オダ)」、「宝物庫(オスマン帝国の細密画、神聖な信託など)」、「ハーレム」、いくつかのパビリオンに囲まれた緑豊かな庭園があります。中央にはスルタン・アフメド3世の「図書館」があります。第3の中庭への立ち入りは厳しく規制され、部外者の立ち入りは禁止されていました。
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吊られていた球はありませんでした。ロココスタイルの建築様式にアラビア文字が書かれている様はエキゾチックで不思議な魅力を感じます。
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「幸福の門(バービュッサーデ)」の中へ進んでいきます。トルコ各地を旅しているとこのように蝋人形を置いた博物館によく出会います。その人形の質の高さには驚かされましたが、ここの人形も良く出来ていて、本当に人が立っているのかと思いました。
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トプカプ宮殿図書館のコーランコレクションは1924年にオスマン帝国のスルタンの本拠地であり、400年間オスマン帝国の行政の中心地であったトプカプ宮殿が博物館になったとき、多くのパビリオンや部屋で見つかった写本が集められ、新しい図書館
が形成されました。現在この新しい図書館に保存されているイスラーム写本は、アラビア語、ペルシア語、トルコ語のカテゴリーに分類されています。 -
世界で最も豊富なコーランのコレクションは、7世紀から19世紀にかけてアラビア、インド、マグリブ(北アフリカ)、セルジューク朝とオスマン帝国が支配する土地に刻まれたコーランのテキストで構成されています。ほとんどすべてが有名な書道家によって準備され、金箔職人によって金メッキされ、時代の最も有能な製本業者によって製本されています。アラビア語目録第1巻に収められた1600冊以上のコーランが、貴重書として近くにある別の図書館に保存されています。
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宮殿の図書館にあるいくつかの貴重なクルアーン(コーラン)は16世紀にイランのセーフビッド朝の下に製作されました。それらはセーフビッド・クルアーンの様式の発展とモチーフの精巧さの一例として、そのデザインと金箔にとって重要です。特にクルアーンにはタリク文字のページがあり、有名な書道家シャー・マフムード・ニシャプリの作品です。
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オスマン帝国のクルアーンにおける金箔と書道の発展を反映した最良の例は間違いなく宮殿の図書館に保存されています。オスマン帝国のクルアーン文字の基礎は15世紀末から16世紀初頭にかけて、有名な書道家シェイク・ハムドゥッラーによってナスキ語で制作されたクルアーンに記されています。クルアーンの金箔もこの時期に発展しました。
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ここに置かれた人形もかなりリアルでした。シッケ(Sikke)と呼ばれる帽子は一度被ったことがありますが、羊毛で作られている割には結構固いものでした。
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コンヤで行った「エリミエ・ジャーミー」と「メブラーナ博物館」の設えも同じようだったことを思い出したのは、同じような蝋人形が並んでいたからかもしれません。
めぶらーな博物館:https://4travel.jp/travelogue/11569550 -
美しいタイル張りの建物でした。
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この後も博物館の宝物が続きます。
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