イスタンブール旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旧市街から新市街へ抜けたバスは「Galata port」の中に入っていきます。巨大なショッピング・コンプレックスの中に組み込まれ、クルーズ船ターミナルと約250のショップやレストラン、ペニンシュラホテル、イスタンブール近代美術館、その他の文化施設や娯楽施設が一体になっています。イスタンブール空港の規模も日本をはるかに超えていますが、この港の規模も横浜港など比較にもなりません。駐車場で荷物をピックアップして、入り口で大型のトランクなどは預けてしまいます。セキュリティーを通った後にMSCのカウンターがあり、携帯の電話番号などを登録してクルーズカードを受け取ります。エスカレーターで上階に上がると出国手続きのためにパスポートが必要です。そのまま一度表に出ると目の前に今回乗船する「MSCスプレンディダ」がそびえています。乗船口でパスポートを預けて、クルーズカードで乗船を確認します。その後は一度解散になり、それぞれのキャビンに向かいます。いつもであれば一川の安いカテゴリーにするのですが、今回は内側268,000円に対しバルコニー付きが338,000円と70,000円の差だったので奮発してしまいました。通常は200,000円くらい差があるのでこれはお得でした。11階のフロアの右舷側でお隣に同じツアーのご夫婦と同じ並びにもう1組のご夫婦、後方の部屋にもう1組と4組が同じフロアでした。停泊している間はアジア側とヨーロッパ側の一部の景色が楽しめました。何より眼下を行き交う遊覧船や「ワプル(Vapur)」という渡し船が懐かしいです。初めてイスタンブールに来た際はこの渡船でボスポラス海峡を進んで、黒海の手前のアナドル・カブールまで行き、城塞の上から黒海を眺めた思い出があります。さらに次の旅ではヨーロッパ側のエミノニュからアジア側のカドゥキョイへ夕方の渡船で渡りました。アザーンが流れる中で不安と高揚を感じながら海峡を渡り、巨大なハイダル・パシャ駅からタトワン行きの夜行列車でカイセリへ行った思い出があります。30代と40代の旅の思い出に押しつぶされそうな気分になってきます。イスタンブールから乗船した乗客は避難訓練が必要で、午後6時に救命胴衣を着けて集合場所に向かうように言われていました。せっかく準備したのですが、直前の放送で救命胴衣なしでシアターへ向かうように変更になりました。午後7時には1stシーティングのディナーの時間になります。メインダイニングは6階の「ラ・レッジア(La Reggia)」で皆さんと一緒です。今回添乗員さんを含めて11名でしたが、8人テーブルと3人テーブルに分かれていました。お昼も添乗員さんとご一緒でしたし、皆さんは一緒のテーブルを好まれると思い、最後まで着席しないで待っていました。最初の3日ほどはこの席割りでしたが、途中で14階のレストランを使う方も出てきて、後半は8人テーブルに1席増やして9人での食事が多かったです。食事の後はショーも観ずに部屋に戻り、午後11時の出港を16階の後方デッキで眺めていました。ヴェネツィアとマルタのヴァレッタの入港と出港も素晴らしいと思いましたが、イスタンブールの出港も素晴らしかったです。願わくばアザーンでも流れればよいのですが、午後11時では流れることはありません。マルマラ海に入るまで夜景を眺め、部屋で寝ていましたが午前5時は目が覚めてしまいました。バルコニーに出てみると大きな橋が見えたので新しく架かった「チャナッカレ大橋」だと分かりました。慌ててカメラを持って16階のデッキに出て橋を通過する際の写真を撮ることが出来ました。こんな時間に酔狂なことをする人はいないだろうと思っていましたが、ドイツ系の人が30人くらいいたのには驚きました。

MSCスプレンディダ アドリア海・エーゲ海クルーズ12日間(4)数々の思いを乗せてイスタンブールを出港し、深夜のダーダネルス海峡を通過する。

20いいね!

2023/09/26 - 2023/09/27

980位(同エリア4768件中)

旅行記グループ 2023MSCスプレンディダの旅

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kojikoji

kojikojiさん

旧市街から新市街へ抜けたバスは「Galata port」の中に入っていきます。巨大なショッピング・コンプレックスの中に組み込まれ、クルーズ船ターミナルと約250のショップやレストラン、ペニンシュラホテル、イスタンブール近代美術館、その他の文化施設や娯楽施設が一体になっています。イスタンブール空港の規模も日本をはるかに超えていますが、この港の規模も横浜港など比較にもなりません。駐車場で荷物をピックアップして、入り口で大型のトランクなどは預けてしまいます。セキュリティーを通った後にMSCのカウンターがあり、携帯の電話番号などを登録してクルーズカードを受け取ります。エスカレーターで上階に上がると出国手続きのためにパスポートが必要です。そのまま一度表に出ると目の前に今回乗船する「MSCスプレンディダ」がそびえています。乗船口でパスポートを預けて、クルーズカードで乗船を確認します。その後は一度解散になり、それぞれのキャビンに向かいます。いつもであれば一川の安いカテゴリーにするのですが、今回は内側268,000円に対しバルコニー付きが338,000円と70,000円の差だったので奮発してしまいました。通常は200,000円くらい差があるのでこれはお得でした。11階のフロアの右舷側でお隣に同じツアーのご夫婦と同じ並びにもう1組のご夫婦、後方の部屋にもう1組と4組が同じフロアでした。停泊している間はアジア側とヨーロッパ側の一部の景色が楽しめました。何より眼下を行き交う遊覧船や「ワプル(Vapur)」という渡し船が懐かしいです。初めてイスタンブールに来た際はこの渡船でボスポラス海峡を進んで、黒海の手前のアナドル・カブールまで行き、城塞の上から黒海を眺めた思い出があります。さらに次の旅ではヨーロッパ側のエミノニュからアジア側のカドゥキョイへ夕方の渡船で渡りました。アザーンが流れる中で不安と高揚を感じながら海峡を渡り、巨大なハイダル・パシャ駅からタトワン行きの夜行列車でカイセリへ行った思い出があります。30代と40代の旅の思い出に押しつぶされそうな気分になってきます。イスタンブールから乗船した乗客は避難訓練が必要で、午後6時に救命胴衣を着けて集合場所に向かうように言われていました。せっかく準備したのですが、直前の放送で救命胴衣なしでシアターへ向かうように変更になりました。午後7時には1stシーティングのディナーの時間になります。メインダイニングは6階の「ラ・レッジア(La Reggia)」で皆さんと一緒です。今回添乗員さんを含めて11名でしたが、8人テーブルと3人テーブルに分かれていました。お昼も添乗員さんとご一緒でしたし、皆さんは一緒のテーブルを好まれると思い、最後まで着席しないで待っていました。最初の3日ほどはこの席割りでしたが、途中で14階のレストランを使う方も出てきて、後半は8人テーブルに1席増やして9人での食事が多かったです。食事の後はショーも観ずに部屋に戻り、午後11時の出港を16階の後方デッキで眺めていました。ヴェネツィアとマルタのヴァレッタの入港と出港も素晴らしいと思いましたが、イスタンブールの出港も素晴らしかったです。願わくばアザーンでも流れればよいのですが、午後11時では流れることはありません。マルマラ海に入るまで夜景を眺め、部屋で寝ていましたが午前5時は目が覚めてしまいました。バルコニーに出てみると大きな橋が見えたので新しく架かった「チャナッカレ大橋」だと分かりました。慌ててカメラを持って16階のデッキに出て橋を通過する際の写真を撮ることが出来ました。こんな時間に酔狂なことをする人はいないだろうと思っていましたが、ドイツ系の人が30人くらいいたのには驚きました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
鉄道 観光バス タクシー 徒歩
航空会社
ターキッシュ エアラインズ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 午前中のイスタンブール観光とランチを終えた後はバスで「ガラタポート(Garata Port)」に向かいます。バスはそのまま駐車場まで進み、荷物をピックアップした後はすぐ脇のカウンターで荷物を預けてしまいます。

    午前中のイスタンブール観光とランチを終えた後はバスで「ガラタポート(Garata Port)」に向かいます。バスはそのまま駐車場まで進み、荷物をピックアップした後はすぐ脇のカウンターで荷物を預けてしまいます。

  • この施設はクルーズ船ターミナル、約250のショップやレストラン、ペニンシュラホテル、イスタンブール近代美術館、その他の文化施設や娯楽施設が一体になった巨大なものです。この日は「MSCスプレンディダ」と「ニュースタテンダム(NIEUW STATENDAM)」の2隻が停泊しているようです。

    この施設はクルーズ船ターミナル、約250のショップやレストラン、ペニンシュラホテル、イスタンブール近代美術館、その他の文化施設や娯楽施設が一体になった巨大なものです。この日は「MSCスプレンディダ」と「ニュースタテンダム(NIEUW STATENDAM)」の2隻が停泊しているようです。

  • 過去のクルーズやフェリー旅は添乗員さんもいないものだったので、自分たちで荷物を持ち歩かなければなりませんでしたが今回はらくちんです。多分妻はもう昔のような旅は嫌がるだろうなと感じます。

    過去のクルーズやフェリー旅は添乗員さんもいないものだったので、自分たちで荷物を持ち歩かなければなりませんでしたが今回はらくちんです。多分妻はもう昔のような旅は嫌がるだろうなと感じます。

  • 空身になった後はターミナルに入り、セキュリティを通過します。その奥のチェックインカウンターで電話番号の登録と顔写真の撮影などをしてクルーズカードを受け取ります。この先はクレジットカードを登録してしまえばこのカード1枚で用が足ります。

    空身になった後はターミナルに入り、セキュリティを通過します。その奥のチェックインカウンターで電話番号の登録と顔写真の撮影などをしてクルーズカードを受け取ります。この先はクレジットカードを登録してしまえばこのカード1枚で用が足ります。

  • 続いて入国したばかりのトルコから出国します。パスポートにスタンプを押してもらってちょっと嬉しい気持ちになります。何しろこの4年間パスポートを使うことは無かったですから。

    続いて入国したばかりのトルコから出国します。パスポートにスタンプを押してもらってちょっと嬉しい気持ちになります。何しろこの4年間パスポートを使うことは無かったですから。

  • 乗船時にはパスポートを預けてクルーズカードのバーコードを読み取って名前と顔の確認をしてもらいます。1度全員で5階のレセプションに集合してクレジットカードの登録をして、それぞれの部屋に移動します。

    乗船時にはパスポートを預けてクルーズカードのバーコードを読み取って名前と顔の確認をしてもらいます。1度全員で5階のレセプションに集合してクレジットカードの登録をして、それぞれの部屋に移動します。

  • 部屋は11階の右舷後方のバルコニー付きの部屋でした。夏の「ダイヤモンド・プリンセス」のクルーズは内側とバルコニー付きの料金の差が大きかったので諦めましたが、今回は1人7万円の差だったので奮発しました。

    部屋は11階の右舷後方のバルコニー付きの部屋でした。夏の「ダイヤモンド・プリンセス」のクルーズは内側とバルコニー付きの料金の差が大きかったので諦めましたが、今回は1人7万円の差だったので奮発しました。

  • バスルームは「ダイヤモンド・プリンセス」より快適に使うことが出来ました。シャワーブースの横のガラスとシャワーカーテンと床の水返しが絶妙で、外にお湯が出ることはありませんでした。お湯の量も豊富でストレスなく入浴出来ました。

    バスルームは「ダイヤモンド・プリンセス」より快適に使うことが出来ました。シャワーブースの横のガラスとシャワーカーテンと床の水返しが絶妙で、外にお湯が出ることはありませんでした。お湯の量も豊富でストレスなく入浴出来ました。

  • 洗面台も2人で使うには十分な広さがありました。この船の水は海水を濾過しているので飲用には向いていません。その点は「ダイヤモンド・プリンセス」の方が快適です。

    洗面台も2人で使うには十分な広さがありました。この船の水は海水を濾過しているので飲用には向いていません。その点は「ダイヤモンド・プリンセス」の方が快適です。

  • ベットと布団と枕は「ダイヤモンド・プリンセス」の方が良かったです。といってもぐっすり寝ることは出来ました。ベットの高さは下にトランクが収納できるように高めになっています。

    ベットと布団と枕は「ダイヤモンド・プリンセス」の方が良かったです。といってもぐっすり寝ることは出来ました。ベットの高さは下にトランクが収納できるように高めになっています。

  • ベットの奥にはソファがあり、客船にありがちな重たいテーブルが置かれてあります。壁には中国っぽい絵が掛けられています。この船は就航後に中国発着していたこともあり、船内には英語表記と中国語表記が当たり前のように残っています。オレンジ色のタオルはプール用で、交換したものを部屋に戻しておかないと20ユーロチャージされるようです。これは中国のホテルでは当たり前のことで、部屋の備品から家具まですべてに値段が付けらたリストが置かれています。

    ベットの奥にはソファがあり、客船にありがちな重たいテーブルが置かれてあります。壁には中国っぽい絵が掛けられています。この船は就航後に中国発着していたこともあり、船内には英語表記と中国語表記が当たり前のように残っています。オレンジ色のタオルはプール用で、交換したものを部屋に戻しておかないと20ユーロチャージされるようです。これは中国のホテルでは当たり前のことで、部屋の備品から家具まですべてに値段が付けらたリストが置かれています。

  • コネクティングルームだったので部屋の中に扉があり、右側には巨大なミラーがありました。デスクにはUSBの差し込みが4口と日本と同じコンセントの差し込みが2口あったのでストレスなく充電が出来ました。テレビ番組はあまり充実していなく、航路マップと操舵室のカメラくらいしか見ませんでした。冷蔵庫には飲み物がいっぱいだったので、全部表に出して自分たちの飲み物を入れていました。最後の晩にはカギがかけられるので戻しておかないといけません。

    コネクティングルームだったので部屋の中に扉があり、右側には巨大なミラーがありました。デスクにはUSBの差し込みが4口と日本と同じコンセントの差し込みが2口あったのでストレスなく充電が出来ました。テレビ番組はあまり充実していなく、航路マップと操舵室のカメラくらいしか見ませんでした。冷蔵庫には飲み物がいっぱいだったので、全部表に出して自分たちの飲み物を入れていました。最後の晩にはカギがかけられるので戻しておかないといけません。

  • バルコニーにはネット張りの椅子が2脚とオットマンが1台置かれてあります。手摺りの腰がガラスなので開放感があります。

    バルコニーにはネット張りの椅子が2脚とオットマンが1台置かれてあります。手摺りの腰がガラスなので開放感があります。

  • バルコニーからは旧市街の「トプカプ宮殿」と午前中に見学してきた「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」と「アヤ・ソフィア」が見えます。

    バルコニーからは旧市街の「トプカプ宮殿」と午前中に見学してきた「スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク)」と「アヤ・ソフィア」が見えます。

  • 妻はコロナのこともあるのでずっとバルコニー付きがいいと言っていたので念願がかなったようです。そしてこの景色ですからテンションも上がります。

    妻はコロナのこともあるのでずっとバルコニー付きがいいと言っていたので念願がかなったようです。そしてこの景色ですからテンションも上がります。

  • 「トプカプ宮殿」の下には「ASTRIA GRANDE」が停泊しています。昔は船首に変な顔がデザインされていましたが、真っ白くシンプルに変わっています。全長193メートルで38,531トンの小型のクルーズ船です。

    「トプカプ宮殿」の下には「ASTRIA GRANDE」が停泊しています。昔は船首に変な顔がデザインされていましたが、真っ白くシンプルに変わっています。全長193メートルで38,531トンの小型のクルーズ船です。

  • 「トプカプ宮殿」の建物とクルーズ船の大きさを比較してしまいます。

    「トプカプ宮殿」の建物とクルーズ船の大きさを比較してしまいます。

  • アジア側のチャムルジャの丘の上には先ほども見えた高さ369メートル、海抜587メートル、地上45階建ての「ISTANBUL CAMLICA TV AND RADIO TOWER」が見えます。

    アジア側のチャムルジャの丘の上には先ほども見えた高さ369メートル、海抜587メートル、地上45階建ての「ISTANBUL CAMLICA TV AND RADIO TOWER」が見えます。

  • この4年の間にイスタンブールの景色も驚くほど変わっています。この20年間の中国や東南アジアの国々の変化も旅する度に感じていましたが、トルコも負けていないと感じます。

    この4年の間にイスタンブールの景色も驚くほど変わっています。この20年間の中国や東南アジアの国々の変化も旅する度に感じていましたが、トルコも負けていないと感じます。

  • 同じアジア側のユスキュダル郊外に位置するトルコ最大級のチャムルジャ・モスクも完成していました。2013年当時はまだ首相だったエルドアンが主導して、経済対策の超大型公共事業として6年以上の歳月と70億円以上の税金が投じられた事業です。

    同じアジア側のユスキュダル郊外に位置するトルコ最大級のチャムルジャ・モスクも完成していました。2013年当時はまだ首相だったエルドアンが主導して、経済対策の超大型公共事業として6年以上の歳月と70億円以上の税金が投じられた事業です。

  • イスタンブールにモスクを作るというのは特別な意味があることで、歴代皇帝や権力者達は自らの名前のついたモスクを建設し、その権力と名を末代まで残そうとしてきました。チャムルジャ・モスクはその大きさと格式の高さを示すミナレットの数で歴代皇帝達のモスクを上回る規模を誇ります。エルドアンは過去のスルタンよりも今の大統領の方が格上だと考えているのでしょうか。

    イスタンブールにモスクを作るというのは特別な意味があることで、歴代皇帝や権力者達は自らの名前のついたモスクを建設し、その権力と名を末代まで残そうとしてきました。チャムルジャ・モスクはその大きさと格式の高さを示すミナレットの数で歴代皇帝達のモスクを上回る規模を誇ります。エルドアンは過去のスルタンよりも今の大統領の方が格上だと考えているのでしょうか。

  • チャムジャの丘には「トルコで最も高い旗竿」も建設されています。高さは111メートルで、基礎部分の直径の3.35メートルで、最上部の直径でも75センチメートルあるそうです。1,000平方メートルという大きさのトルコ国旗がはためいています。出雲大社には日本一大きな日の丸の旗がありますが、支柱の高さは47メートルしかありませんし、国旗は121.5平方メートルです。

    チャムジャの丘には「トルコで最も高い旗竿」も建設されています。高さは111メートルで、基礎部分の直径の3.35メートルで、最上部の直径でも75センチメートルあるそうです。1,000平方メートルという大きさのトルコ国旗がはためいています。出雲大社には日本一大きな日の丸の旗がありますが、支柱の高さは47メートルしかありませんし、国旗は121.5平方メートルです。

  • トルコの国旗は特徴的な三日月から「三日月旗」または「新月旗」、さらに星も含めて「月星章旗」などと呼ばれています。トルコ国旗を表すトルコ語「アユ・ユルドゥス(ay yıldız)」は、「月(ay)」と「星(yıldız)」から成っています。「赤い旗」を意味する「アル・サンジャック(al sancak)」と呼ばれることもあります。

    トルコの国旗は特徴的な三日月から「三日月旗」または「新月旗」、さらに星も含めて「月星章旗」などと呼ばれています。トルコ国旗を表すトルコ語「アユ・ユルドゥス(ay yıldız)」は、「月(ay)」と「星(yıldız)」から成っています。「赤い旗」を意味する「アル・サンジャック(al sancak)」と呼ばれることもあります。

  • 午後6時のボードドリル(避難訓練)の前に救命胴衣を着てスタンバイします。警笛の鳴るのを待っていたのですが直前の船内放送で、救命胴衣は使用せずに5階のシアターに集合するように言われます。せっかく準備したのに残念です。シアターに集合した後は本来のアセンブリーステーションHまで係員の誘導で移動しました。

    午後6時のボードドリル(避難訓練)の前に救命胴衣を着てスタンバイします。警笛の鳴るのを待っていたのですが直前の船内放送で、救命胴衣は使用せずに5階のシアターに集合するように言われます。せっかく準備したのに残念です。シアターに集合した後は本来のアセンブリーステーションHまで係員の誘導で移動しました。

  • 帰り道にカジノを通ってきました。停泊中はカジノは営業していません。船内新聞によると出港して30分後に開場するようです。

    帰り道にカジノを通ってきました。停泊中はカジノは営業していません。船内新聞によると出港して30分後に開場するようです。

  • これまでのクルーズではずっと勝ち続けていて、20年前のクルーズでは1人分の料金を無料にしました。その後は数万円程度で、夏の「ダイヤモンド・プリンセス」でも勝つことが出来ました。そのお金を持ってネパールに行くのでわざわざ小額紙幣に替えてもらったのですが、台風のせいで中止になってしまいました。このクルーズの次はモンゴルへ行くのでそこで米ドルを使う予定です。

    これまでのクルーズではずっと勝ち続けていて、20年前のクルーズでは1人分の料金を無料にしました。その後は数万円程度で、夏の「ダイヤモンド・プリンセス」でも勝つことが出来ました。そのお金を持ってネパールに行くのでわざわざ小額紙幣に替えてもらったのですが、台風のせいで中止になってしまいました。このクルーズの次はモンゴルへ行くのでそこで米ドルを使う予定です。

  • 今回はユーロですが、最近は米ドルもユーロもレートが変わらなくなってきています。何より日本円の弱さには参ってしまいますが、ドル建ての年金保険にも入っているので文句も言えません。その多くは民主党政権の2008年以降に支払っているので1ドル80円の時代でした。政権は最低でしたが感謝してもし切れない恩を感じています。

    今回はユーロですが、最近は米ドルもユーロもレートが変わらなくなってきています。何より日本円の弱さには参ってしまいますが、ドル建ての年金保険にも入っているので文句も言えません。その多くは民主党政権の2008年以降に支払っているので1ドル80円の時代でした。政権は最低でしたが感謝してもし切れない恩を感じています。

  • 肉眼では確認できませんでしたが、この海岸線近くにはヨーロッパサイドの終着駅の「シルケジ駅」があります。アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」の出発地点で、実際の駅構内が映画のシーンに出てきます。

    肉眼では確認できませんでしたが、この海岸線近くにはヨーロッパサイドの終着駅の「シルケジ駅」があります。アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」の出発地点で、実際の駅構内が映画のシーンに出てきます。

  • 駅構内には「オリエント・エクスプレス」というレストランがあり、過去に4回ほど利用したことがあります。どうしても妻にも味合わせたかったので、前回の旅では郊外のホテルから25キロほどタクシーを飛ばしてきたことがあります。その時は同じ駅構内でセマーゼンを観ることが出来ました。<br />オリエント・エキスプレスとセマーゼン:https://4travel.jp/travelogue/11563944

    駅構内には「オリエント・エクスプレス」というレストランがあり、過去に4回ほど利用したことがあります。どうしても妻にも味合わせたかったので、前回の旅では郊外のホテルから25キロほどタクシーを飛ばしてきたことがあります。その時は同じ駅構内でセマーゼンを観ることが出来ました。
    オリエント・エキスプレスとセマーゼン:https://4travel.jp/travelogue/11563944

  • 今回の旅の最終日に行く「トプカプ宮殿」もきれいに見えました。これは当日知りましたが、ハレムは見学できなくなっていていました。代わりに宝物館などが全部工事が終わっていて数々のお宝を観ることが出来ました。

    今回の旅の最終日に行く「トプカプ宮殿」もきれいに見えました。これは当日知りましたが、ハレムは見学できなくなっていていました。代わりに宝物館などが全部工事が終わっていて数々のお宝を観ることが出来ました。

  • スレイマン1世の時代以降の帝国の最高政策決定機関である御前会議が開かれた広間の脇にある「正義の塔」もきれいに見えます。

    スレイマン1世の時代以降の帝国の最高政策決定機関である御前会議が開かれた広間の脇にある「正義の塔」もきれいに見えます。

  • 眼下をボスポラス海峡クルーズの遊覧船が通り過ぎています。4年前のツアーでも最終日にチャイを飲みながらクルーズしたのを思い出します。

    眼下をボスポラス海峡クルーズの遊覧船が通り過ぎています。4年前のツアーでも最終日にチャイを飲みながらクルーズしたのを思い出します。

  • ボスポラス海峡を意識したのはテレビのCMで五木寛之の「四季・奈津子」のコピーで「きみはボスフォラスの海を見たか」という言葉でした。それが頭に残っていて1997年に札幌にLOFTを立ち上げる仕事の後に行った函館の「立待岬」で変なスイッチが入ってしまいました。

    ボスポラス海峡を意識したのはテレビのCMで五木寛之の「四季・奈津子」のコピーで「きみはボスフォラスの海を見たか」という言葉でした。それが頭に残っていて1997年に札幌にLOFTを立ち上げる仕事の後に行った函館の「立待岬」で変なスイッチが入ってしまいました。

  • 津軽海峡を望みながら「今年は海峡の年だ!」と決めて、北斗星に乗って東京にも戻り、2週間後にはイスタンブールへやってきました。ボスポラス海峡を見たその年の秋にはスペインを周遊して、タリファからフェリーに乗ってタンジールへとジブラルタル海峡を渡りました。

    津軽海峡を望みながら「今年は海峡の年だ!」と決めて、北斗星に乗って東京にも戻り、2週間後にはイスタンブールへやってきました。ボスポラス海峡を見たその年の秋にはスペインを周遊して、タリファからフェリーに乗ってタンジールへとジブラルタル海峡を渡りました。

  • 部屋のバルコニーからは「乙女の塔(クズ・クレスィ)」もきれいに見えました。2023年にトルコ文化観光省による約2年間の修復作業を経て、トルコ共和国建国100周年記念碑と博物館としてリニューアルオープンしたそうです。以前はレストランもあったのですが無くなったようです。

    部屋のバルコニーからは「乙女の塔(クズ・クレスィ)」もきれいに見えました。2023年にトルコ文化観光省による約2年間の修復作業を経て、トルコ共和国建国100周年記念碑と博物館としてリニューアルオープンしたそうです。以前はレストランもあったのですが無くなったようです。

  • 「乙女の塔(クズ・クレスィ)」はイスタンブールのアジア側にある象徴的な建造物で、紀元前5世紀に現在のウスキュダル海岸から20メートルほど離れた小島に、ボスポラス海峡を行き来する船舶を管理し、税金を徴収するための税関検問所として建てられました。

    「乙女の塔(クズ・クレスィ)」はイスタンブールのアジア側にある象徴的な建造物で、紀元前5世紀に現在のウスキュダル海岸から20メートルほど離れた小島に、ボスポラス海峡を行き来する船舶を管理し、税金を徴収するための税関検問所として建てられました。

  • この小さな小島に12世紀の東ローマ帝国皇帝マヌエル・コムネノスが防衛施設の建設を命じ、この塔からヨーロッパ側にある別の塔まで伸びる鉄の鎖がボスポラス海峡の出入りを管理していました。1453年にスルタン・メフメト2世がイスタンブールを征服した後はここに木製の塔が建てられ、その後の数世紀は監視塔や灯台、検疫所として機能しました。

    この小さな小島に12世紀の東ローマ帝国皇帝マヌエル・コムネノスが防衛施設の建設を命じ、この塔からヨーロッパ側にある別の塔まで伸びる鉄の鎖がボスポラス海峡の出入りを管理していました。1453年にスルタン・メフメト2世がイスタンブールを征服した後はここに木製の塔が建てられ、その後の数世紀は監視塔や灯台、検疫所として機能しました。

  • 東ローマ帝国の時代の皇帝の娘は「18歳の誕生日に蛇にかまれて殺される」と占い師に予言されました。娘を大変愛していた皇帝は蛇が侵入できない海の上にあるこの塔に娘を住まわせ、唯一この塔に訪れることができるのは皇帝のみでした。そして娘の18歳の誕生日に皇帝はプレゼントとして、籠いっぱいの果物を娘のいる塔に持っていきました。無事18歳の誕生日を過ごすことができるかのように思えましたが、不幸なことにこの籠に毒蛇が隠れていました。娘は毒蛇に噛まれて予言通り皇帝の腕の中で18歳の誕生日に息を引き取ったといいます。

    東ローマ帝国の時代の皇帝の娘は「18歳の誕生日に蛇にかまれて殺される」と占い師に予言されました。娘を大変愛していた皇帝は蛇が侵入できない海の上にあるこの塔に娘を住まわせ、唯一この塔に訪れることができるのは皇帝のみでした。そして娘の18歳の誕生日に皇帝はプレゼントとして、籠いっぱいの果物を娘のいる塔に持っていきました。無事18歳の誕生日を過ごすことができるかのように思えましたが、不幸なことにこの籠に毒蛇が隠れていました。娘は毒蛇に噛まれて予言通り皇帝の腕の中で18歳の誕生日に息を引き取ったといいます。

  • 部屋を出てカメラを持って14階からデッキに出て、16階までのデッキを探検してみました。到着したイスタンブールは少し暑いくらいでしたが、クルーズの後半は涼しかったのでプールには入りませんでした。

    部屋を出てカメラを持って14階からデッキに出て、16階までのデッキを探検してみました。到着したイスタンブールは少し暑いくらいでしたが、クルーズの後半は涼しかったのでプールには入りませんでした。

  • 最終日にガイドさんに聞いた話では、我々が出発した後のイスタンブールは大雨が続いていたそうです。日本人の夫婦を5日間案内したそうですが、5日間終日雨が続いて気の毒だったと言っていました。

    最終日にガイドさんに聞いた話では、我々が出発した後のイスタンブールは大雨が続いていたそうです。日本人の夫婦を5日間案内したそうですが、5日間終日雨が続いて気の毒だったと言っていました。

  • 部屋のバルコニーからは見えなかった左舷側の景色も見てみます。遠くに「ガラタ塔」が見えますが、手前にある「ガラタポート」の商業施設の巨大さに驚いてしまいます。

    部屋のバルコニーからは見えなかった左舷側の景色も見てみます。遠くに「ガラタ塔」が見えますが、手前にある「ガラタポート」の商業施設の巨大さに驚いてしまいます。

  • 駐車場から建物の中を抜けて船に乗り込んでしまったので地上にある商業施設を見る機会はありませんでした。やっぱりイスタンブールにはもう一度来なければならないなと思います。

    駐車場から建物の中を抜けて船に乗り込んでしまったので地上にある商業施設を見る機会はありませんでした。やっぱりイスタンブールにはもう一度来なければならないなと思います。

  • 「ガラタ塔」を望遠レンズで切り取ってみます。塔自体の歴史はとても古く、元となる塔は528年に灯台として建てられ、その後1204年に十字軍により破壊されましたが、1348年ジェノバ人により再建されました。

    「ガラタ塔」を望遠レンズで切り取ってみます。塔自体の歴史はとても古く、元となる塔は528年に灯台として建てられ、その後1204年に十字軍により破壊されましたが、1348年ジェノバ人により再建されました。

  • 1997年に来たときは展望台まで登ってみたことがあります。エレベーターには係りのおじいさんが椅子に座っていて、上下してくれた記憶がありますが、現在は変わっているのでしょうね。展望台の下の階にはレストランがありましたが、今もあるのでしょうか。

    1997年に来たときは展望台まで登ってみたことがあります。エレベーターには係りのおじいさんが椅子に座っていて、上下してくれた記憶がありますが、現在は変わっているのでしょうね。展望台の下の階にはレストランがありましたが、今もあるのでしょうか。

  • 「ミマール・スィナン芸術大学」の赤い瓦屋根が見えます。この辺りの海峡際に建つ建物はとても美しく、小型船でのボスポラスクルーズではその姿を見ることが出来ます。

    「ミマール・スィナン芸術大学」の赤い瓦屋根が見えます。この辺りの海峡際に建つ建物はとても美しく、小型船でのボスポラスクルーズではその姿を見ることが出来ます。

  • 「ベズミアレム・ヴァリデ・スルタン・モスク」は「ドルマバフチェ宮殿」の時計塔の真向かいにあるため、建設された当時から「ドルマバフチェ・モスク」と呼ばれています。

    「ベズミアレム・ヴァリデ・スルタン・モスク」は「ドルマバフチェ宮殿」の時計塔の真向かいにあるため、建設された当時から「ドルマバフチェ・モスク」と呼ばれています。

  • モスクの奥には白亜の宮殿が続いています。この「ドルマバフチェ宮殿」は元々はイスタンブールを征服したオスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園にアブデュルメジト1世の命によって従来あった木造宮殿を取り壊して建てられました。1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されましたが、トルコ共和国の初期には大統領の執務所として用いられ、1938年に初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなりました。今でも「アタテュルクの部屋」の時計は、彼が亡くなった9時5分で止まっています。その時計と大階段の赤い絨毯と巨大なバカラのシャンデリアが印象に残っています。

    モスクの奥には白亜の宮殿が続いています。この「ドルマバフチェ宮殿」は元々はイスタンブールを征服したオスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園にアブデュルメジト1世の命によって従来あった木造宮殿を取り壊して建てられました。1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されましたが、トルコ共和国の初期には大統領の執務所として用いられ、1938年に初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクはこの宮殿で亡くなりました。今でも「アタテュルクの部屋」の時計は、彼が亡くなった9時5分で止まっています。その時計と大階段の赤い絨毯と巨大なバカラのシャンデリアが印象に残っています。

  • 「ドルマバフチェ宮殿」の入り口には屈強な陸軍の衛兵が立っていたのも強い記憶に残っています。モスグリーンの軍服に白いヘルメットを被り、ライフルを持っていましたが、見事なほどに微動出しません。動いてはいけないうえに瞬きもしないようで、一定時間が過ぎると他の兵士が白いハンカチで目じりを拭いていました。

    「ドルマバフチェ宮殿」の入り口には屈強な陸軍の衛兵が立っていたのも強い記憶に残っています。モスグリーンの軍服に白いヘルメットを被り、ライフルを持っていましたが、見事なほどに微動出しません。動いてはいけないうえに瞬きもしないようで、一定時間が過ぎると他の兵士が白いハンカチで目じりを拭いていました。

  • その先には「第1ボスポラス大橋」が見えます。以前はそういう名前でしたが、2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となったため「7月15日殉教者の橋」という名前に変わっています。

    その先には「第1ボスポラス大橋」が見えます。以前はそういう名前でしたが、2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となったため「7月15日殉教者の橋」という名前に変わっています。

  • 1973年に英国の会社によってこの橋が架けられましたが交通渋滞が慢性化するようになり、 その解消のため日本の円借款で1988年に日本の企業により5キロほど北に「第2ボスポラス橋」が建設されました。この橋はヨーロッパルートE80とアジアハイウェーAH-1をつないでいます。このルートの起点は東京で、ユーラシア大陸の各国を通過してトルコとブルガリアの国境まで続いています。東南アジアの国々の幹線道路を走っているのこのアジアハイウェイの「AH1」の看板をよく見かけます。

    1973年に英国の会社によってこの橋が架けられましたが交通渋滞が慢性化するようになり、 その解消のため日本の円借款で1988年に日本の企業により5キロほど北に「第2ボスポラス橋」が建設されました。この橋はヨーロッパルートE80とアジアハイウェーAH-1をつないでいます。このルートの起点は東京で、ユーラシア大陸の各国を通過してトルコとブルガリアの国境まで続いています。東南アジアの国々の幹線道路を走っているのこのアジアハイウェイの「AH1」の看板をよく見かけます。

  • 探検しているうちにだいぶ日が落ちてきました。

    探検しているうちにだいぶ日が落ちてきました。

  • 旧市街のモスクがシルエットになって美しい姿を見せてくれています。

    旧市街のモスクがシルエットになって美しい姿を見せてくれています。

  • 「ベヤズット(Beyazit Tower)」はオスマン帝国の戦争省の名前からセラスキエタワーとも呼ばれますが、現在はイスタンブール大学のメインキャンパスの中庭に建つ高さ85メートル見張り塔です。

    「ベヤズット(Beyazit Tower)」はオスマン帝国の戦争省の名前からセラスキエタワーとも呼ばれますが、現在はイスタンブール大学のメインキャンパスの中庭に建つ高さ85メートル見張り塔です。

  • グランドバザールのすぐ隣にある「ヌールオスマニィエ・モスク」はオスマンの光という意味を持ちます。オスマン帝国の終盤に建てられたモスクはスィナンが建築した時代のモスクと違い、バロック様式とロココ様式を取り入れたモスクが多いです。

    グランドバザールのすぐ隣にある「ヌールオスマニィエ・モスク」はオスマンの光という意味を持ちます。オスマン帝国の終盤に建てられたモスクはスィナンが建築した時代のモスクと違い、バロック様式とロココ様式を取り入れたモスクが多いです。

  • 「スレイマニエ・モスク」はオスマン帝国の第10代君主のスレイマン1世の命により、トルコ史上最高の建築家と呼ばれるミマール・スィナンが設計し、1550年に着工して7年の歳月をかけて完成しました。

    「スレイマニエ・モスク」はオスマン帝国の第10代君主のスレイマン1世の命により、トルコ史上最高の建築家と呼ばれるミマール・スィナンが設計し、1550年に着工して7年の歳月をかけて完成しました。

  • 「ガラタポート」の隣に建つのは「ヌスレティエ・モスク」で、19世紀に建てられたバロック様式のモスクです。この辺りに見えるモスクは同じような時代に造られたせいかデザインが似ています。

    「ガラタポート」の隣に建つのは「ヌスレティエ・モスク」で、19世紀に建てられたバロック様式のモスクです。この辺りに見えるモスクは同じような時代に造られたせいかデザインが似ています。

  • 唯一見つけることが出来なかったのは「ハイダルパシャ駅」の建物です。現在は駅舎としても機能は失われていますが、タトワン行きの深夜特急に乗った駅舎を見てみたかったです。

    唯一見つけることが出来なかったのは「ハイダルパシャ駅」の建物です。現在は駅舎としても機能は失われていますが、タトワン行きの深夜特急に乗った駅舎を見てみたかったです。

  • ディナーは午後7時の1stシーティングに決まっていました。MSC名物のスワロフスキーステップで記念写真です。。

    ディナーは午後7時の1stシーティングに決まっていました。MSC名物のスワロフスキーステップで記念写真です。。

  • 夕食は6階の「ラ・レッジア(La Reggia)」でした。今回は10人の参加者と添乗員さんの11名でしたが、テーブルは8人掛けと3人掛けの小さなテーブルでした。皆さんは大テーブルを好まれるようだったので、様子を見て添乗員さんと一緒の小さいテーブルにしました。サービス係は最後までこのプレスコさんでした。

    夕食は6階の「ラ・レッジア(La Reggia)」でした。今回は10人の参加者と添乗員さんの11名でしたが、テーブルは8人掛けと3人掛けの小さなテーブルでした。皆さんは大テーブルを好まれるようだったので、様子を見て添乗員さんと一緒の小さいテーブルにしました。サービス係は最後までこのプレスコさんでした。

  • 最初の晩はクルーズ・プラネット社から1人10ユーロ程度の飲み物のサービスがありましたが、我々はボトルでワインを注文したのでお水を5本いただきました。結果的には部屋で見ずに困ることが無かったので正解でした。ワインはFantinelのChardonnay Borgo Tesisで、シャルドネのいい香りのするフリウリ・ヴェネツィア・ジュリアのワインです。30.0ユーロと一番お手頃なものです。飲みきれなくても翌日の晩にはワインクーラーに入って出てくるのでグラスで注文するよりお得です。

    最初の晩はクルーズ・プラネット社から1人10ユーロ程度の飲み物のサービスがありましたが、我々はボトルでワインを注文したのでお水を5本いただきました。結果的には部屋で見ずに困ることが無かったので正解でした。ワインはFantinelのChardonnay Borgo Tesisで、シャルドネのいい香りのするフリウリ・ヴェネツィア・ジュリアのワインです。30.0ユーロと一番お手頃なものです。飲みきれなくても翌日の晩にはワインクーラーに入って出てくるのでグラスで注文するよりお得です。

  • 料理はアラカルトですが、好きなものを好きなだけいただけます。<br />前菜は「イカと甲イカのサラダ」で、胡椒とガーリックの効いた甘めのソースが美味しいです。

    料理はアラカルトですが、好きなものを好きなだけいただけます。
    前菜は「イカと甲イカのサラダ」で、胡椒とガーリックの効いた甘めのソースが美味しいです。

  • 妻は「エレノア―ルサラダ」で、ベビーリーフとアーティチョーク、グリルしたアスパラガスで、ドレッシングも美味しいです。

    妻は「エレノア―ルサラダ」で、ベビーリーフとアーティチョーク、グリルしたアスパラガスで、ドレッシングも美味しいです。

  • 妻のメインは「4種類のチーズのクリーミーリゾット」で、少しアルデンテですがなかなか本格的です。

    妻のメインは「4種類のチーズのクリーミーリゾット」で、少しアルデンテですがなかなか本格的です。

  • 「ナポリタン風ミートボール」もボリュームがあって味も良いです。添乗員さんとも話しましたが、日本発着クルーズをしていた頃のスプレンディダは食事がまずくて有名だったそうですが、地中海に戻って美味しくなったようです。ダイヤモンド・プリンセスよりもおいしく感じました。

    「ナポリタン風ミートボール」もボリュームがあって味も良いです。添乗員さんとも話しましたが、日本発着クルーズをしていた頃のスプレンディダは食事がまずくて有名だったそうですが、地中海に戻って美味しくなったようです。ダイヤモンド・プリンセスよりもおいしく感じました。

  • デザートは「ココナッツアイスとフルーツサラダ」です。イタリアのトラットリアでよくあるフルッタ・マチェドニアを思い出します。いろいろな種類のフルーツが混ざった様を人種のるつぼであるマケドニアになぞらえた名前です。

    デザートは「ココナッツアイスとフルーツサラダ」です。イタリアのトラットリアでよくあるフルッタ・マチェドニアを思い出します。いろいろな種類のフルーツが混ざった様を人種のるつぼであるマケドニアになぞらえた名前です。

  • この日は隣のテーブルのバースデイがあり、歌を一緒に歌って拍手をしていたらお裾分けがありました。最初は1時間30分くらいで食事を終えていましたが、後半は皆さんと話が弾んで、サービス係の人に「そろそろお開きですよ。」と言われていました。

    この日は隣のテーブルのバースデイがあり、歌を一緒に歌って拍手をしていたらお裾分けがありました。最初は1時間30分くらいで食事を終えていましたが、後半は皆さんと話が弾んで、サービス係の人に「そろそろお開きですよ。」と言われていました。

  • 前の晩からずっと起きているような感じがあって、少し疲れもあるので食後のショーには行きませんでした。それでもイスタンブール出港は見逃せないので午後10時には14階のデッキに上がりました。博物館になった「乙女の塔(クズ・クレスィ)」はライトアップに加えて、レーザーショーもありました。

    前の晩からずっと起きているような感じがあって、少し疲れもあるので食後のショーには行きませんでした。それでもイスタンブール出港は見逃せないので午後10時には14階のデッキに上がりました。博物館になった「乙女の塔(クズ・クレスィ)」はライトアップに加えて、レーザーショーもありました。

  • 映画007シリーズの第19作映画「ワールド・イズ・ノット・イナフ」はピアース・ブロスナンとソフィー・マルソーが主演でした。暗殺に見せかけて父親の石油王を殺した娘(ソフィー・マルソー)に上司M(ジュディ・デンチ)が誘拐され、拉致監禁される場所としてこの「乙女の塔」が登場します。テロリストらに捕まったジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)も連れて来られます。そしてソフィー・マルソーはボンドに「世界をあげたのに。」と話しかけます。その言葉にボンドは「ワールド・イズ・ノット・イナフ!(世界じゃ不足だ!)』と答えます。

    映画007シリーズの第19作映画「ワールド・イズ・ノット・イナフ」はピアース・ブロスナンとソフィー・マルソーが主演でした。暗殺に見せかけて父親の石油王を殺した娘(ソフィー・マルソー)に上司M(ジュディ・デンチ)が誘拐され、拉致監禁される場所としてこの「乙女の塔」が登場します。テロリストらに捕まったジェームズ・ボンド(ピアース・ブロスナン)も連れて来られます。そしてソフィー・マルソーはボンドに「世界をあげたのに。」と話しかけます。その言葉にボンドは「ワールド・イズ・ノット・イナフ!(世界じゃ不足だ!)』と答えます。

  • ボスポラス海峡もすっかり闇に覆われ、橋脚の赤とイルミネーションでその位置を感じることが出来ます。

    ボスポラス海峡もすっかり闇に覆われ、橋脚の赤とイルミネーションでその位置を感じることが出来ます。

  • 「スルタン・アフメト・モスク(ブルー・モスク)」は6本のミナレットと共にピンクの明かりで浮かび上がっています。

    「スルタン・アフメト・モスク(ブルー・モスク)」は6本のミナレットと共にピンクの明かりで浮かび上がっています。

  • モスクになってしまった「アヤ・ソフィア」は白いライトアップですが、元々の茶色い建物の色が浮かび上がっています。ミナレットの間に吊られたネットの文字「la ilaha illallah」は「アッラー以外に神はいない」という意味です。

    モスクになってしまった「アヤ・ソフィア」は白いライトアップですが、元々の茶色い建物の色が浮かび上がっています。ミナレットの間に吊られたネットの文字「la ilaha illallah」は「アッラー以外に神はいない」という意味です。

  • イスタンブールの旧市街は見飽きる事はありません。

    イスタンブールの旧市街は見飽きる事はありません。

  • 鏡のように静まり返った海峡の水面を遊覧船が流れていきます。

    鏡のように静まり返った海峡の水面を遊覧船が流れていきます。

  • 出港の時間になったので最後部に行ってみます。イスタンブールから乗った乗客にとっては最初の出港ですが、ここが寄港地の乗客にとっては興味がないのか、デッキは意外なほどに空いていました。

    出港の時間になったので最後部に行ってみます。イスタンブールから乗った乗客にとっては最初の出港ですが、ここが寄港地の乗客にとっては興味がないのか、デッキは意外なほどに空いていました。

  • スプレンディダにはサイドスラスター(side thruster)という装置があるので、離岸する際はほぼ横に移動して、船首付近に設置したものをバウスラスター(bow thruster)で船首を振っています。これは後日同じツアーに参加されていた「キャプテン」から教わったことです。

    スプレンディダにはサイドスラスター(side thruster)という装置があるので、離岸する際はほぼ横に移動して、船首付近に設置したものをバウスラスター(bow thruster)で船首を振っています。これは後日同じツアーに参加されていた「キャプテン」から教わったことです。

  • 「ガラタ塔」ともしばらくお別れです。1997年当時はこのようなライトアップではなくて、建物に取り付けられた電球が光っている程度でした。

    「ガラタ塔」ともしばらくお別れです。1997年当時はこのようなライトアップではなくて、建物に取り付けられた電球が光っている程度でした。

  • スルタンアフメト辺りで食事してお酒を飲んで、ぶらぶら「ガラタ橋」を渡りながら宿泊していた「ペラ・パレス」に帰っていました。その時の目印がこの「ガラタ塔」でした。かなり下町の雰囲気で道は薄暗く、治安も良くなかった頃ですが、塔を越えて「イスティクラル通り」に出れば何とか帰れました。ところがこの塔のライトアップが午後9時頃で消えてしまい、迷子になって途方に暮れたことが何度かありました。

    スルタンアフメト辺りで食事してお酒を飲んで、ぶらぶら「ガラタ橋」を渡りながら宿泊していた「ペラ・パレス」に帰っていました。その時の目印がこの「ガラタ塔」でした。かなり下町の雰囲気で道は薄暗く、治安も良くなかった頃ですが、塔を越えて「イスティクラル通り」に出れば何とか帰れました。ところがこの塔のライトアップが午後9時頃で消えてしまい、迷子になって途方に暮れたことが何度かありました。

  • ホランド・アメリカラインの「ニュースタテンダム(NIEUW STATENDAM)」は出港する様子はありません。

    ホランド・アメリカラインの「ニュースタテンダム(NIEUW STATENDAM)」は出港する様子はありません。

  • 1997年からのイスタンブールしか知りませんがそれでもかなり明るくきれいになったと感じます。初めてイスタンブールに来ようと思ったきっかけはボスポラス海峡が見たいということでしたが、もう1つ「ジャーニー・オブ・ホープ」というスイスとトルコの合作映画の存在がありました。「ニューシネマ・パラダイス」の翌年の1990年にアカデミー国際長編映画賞を受賞した映画です。

    1997年からのイスタンブールしか知りませんがそれでもかなり明るくきれいになったと感じます。初めてイスタンブールに来ようと思ったきっかけはボスポラス海峡が見たいということでしたが、もう1つ「ジャーニー・オブ・ホープ」というスイスとトルコの合作映画の存在がありました。「ニューシネマ・パラダイス」の翌年の1990年にアカデミー国際長編映画賞を受賞した映画です。

  • カフラマン・マラシュに住むハイダールと妻メリエムは7人の子供たちと年老いた両親とこの荒れた地に暮らしていましたが、なかなか貧しい生活から抜け出せないでいます。そんな時スイスへ亡命した伯父から「仕事もある。ここは天国だ」と記された美しい絵葉書が届きます。ハイダールは反対する妻や両親を説得し、資産を売却してスイス行きを決めてしまいます。

    カフラマン・マラシュに住むハイダールと妻メリエムは7人の子供たちと年老いた両親とこの荒れた地に暮らしていましたが、なかなか貧しい生活から抜け出せないでいます。そんな時スイスへ亡命した伯父から「仕事もある。ここは天国だ」と記された美しい絵葉書が届きます。ハイダールは反対する妻や両親を説得し、資産を売却してスイス行きを決めてしまいます。

  • 夫婦で行くはずでしたが末っ子のメフメット・アリを連れてイスタンブールに出てしまいます。旅券のトラブルからコンテナに身を隠しナポリへ密航し、ナポリからは大型トラックに便乗しミラノへ向かいます。大型トラックの運転手のラムゼルと仲良くなりますが、スイス国境で税関吏によりミラノへ強制送還されてしまいます。

    夫婦で行くはずでしたが末っ子のメフメット・アリを連れてイスタンブールに出てしまいます。旅券のトラブルからコンテナに身を隠しナポリへ密航し、ナポリからは大型トラックに便乗しミラノへ向かいます。大型トラックの運転手のラムゼルと仲良くなりますが、スイス国境で税関吏によりミラノへ強制送還されてしまいます。

  • 途方に暮れる3人は密入国を手引きする怪しげな男の言うままに全財産を手放し、20人ほどの同胞と共にアルプスへ向かいます。悪天候の中で案内も装備もないまま厳しい山中へ踏み込み命懸けでスイス国境ににたどり付きますが、警備隊に発見され逃げまとううち、ハイダールとアリは仲間とはぐれ、ついにアリが倒れてしまいます。

    途方に暮れる3人は密入国を手引きする怪しげな男の言うままに全財産を手放し、20人ほどの同胞と共にアルプスへ向かいます。悪天候の中で案内も装備もないまま厳しい山中へ踏み込み命懸けでスイス国境ににたどり付きますが、警備隊に発見され逃げまとううち、ハイダールとアリは仲間とはぐれ、ついにアリが倒れてしまいます。

  • 保護されたハイダールは密入国と息子を死なせた罪で拘置所に送られ、面会に来た運転手のラムゼルに「あなたと友達になりたかった」と呟いて映画は終わります。その当時と比べるとトルコの国の経済は大きく変わっていますが、その時代のトルコを懐かしくも思えます。

    保護されたハイダールは密入国と息子を死なせた罪で拘置所に送られ、面会に来た運転手のラムゼルに「あなたと友達になりたかった」と呟いて映画は終わります。その当時と比べるとトルコの国の経済は大きく変わっていますが、その時代のトルコを懐かしくも思えます。

  • この映画はDVDにもなっていないのでほぼ見ることは出来ません。昔パイオニアが発売していたレーザー・ディスクでマイナーな映画を集めておいて良かったと思います。帰国したらもう一度見てみようと思います。

    この映画はDVDにもなっていないのでほぼ見ることは出来ません。昔パイオニアが発売していたレーザー・ディスクでマイナーな映画を集めておいて良かったと思います。帰国したらもう一度見てみようと思います。

  • スプレンディダがマルマラ海に入るとモスクはまた違った顔を見せてくれます。

    スプレンディダがマルマラ海に入るとモスクはまた違った顔を見せてくれます。

  • 6本のミナレットが美しく並びました。江利チエミの「ウスクダル」という曲が頭に浮かんできます。この曲は4年前のガイドさんにも教えてもらいました。<br />https://www.youtube.com/watch?v=0moQzHT5h3E

    6本のミナレットが美しく並びました。江利チエミの「ウスクダル」という曲が頭に浮かんできます。この曲は4年前のガイドさんにも教えてもらいました。
    https://www.youtube.com/watch?v=0moQzHT5h3E

  • 「アヤ・ソフィア」ともしばらくお別れです。坂本九の最初のヒット曲「悲しき60歳」という曲もありましたっけ。<br />https://www.youtube.com/watch?v=ltNQGACDIH4

    「アヤ・ソフィア」ともしばらくお別れです。坂本九の最初のヒット曲「悲しき60歳」という曲もありましたっけ。
    https://www.youtube.com/watch?v=ltNQGACDIH4

  • 「マルマラ海」の暗闇の中に入ってもしばらくイスタンブールの輝きを眺めていました。

    「マルマラ海」の暗闇の中に入ってもしばらくイスタンブールの輝きを眺めていました。

  • 部屋に戻ると前日からの疲れもあり、そのままベットで寝てしまいました。午前4時半になって目が覚めました。つけっぱなしだったモニターには現在位置の地図がありました。

    部屋に戻ると前日からの疲れもあり、そのままベットで寝てしまいました。午前4時半になって目が覚めました。つけっぱなしだったモニターには現在位置の地図がありました。

  • 「マルマラ海」をすでに抜けて「ダーダネルス海峡」の中ほどに差し掛かっていました。「ダーダネルス海峡」は4年前の旅でチャナッカレを抜けたラプセキ港からフェリーに乗ってゲリボル港に渡ったことがありました。

    「マルマラ海」をすでに抜けて「ダーダネルス海峡」の中ほどに差し掛かっていました。「ダーダネルス海峡」は4年前の旅でチャナッカレを抜けたラプセキ港からフェリーに乗ってゲリボル港に渡ったことがありました。

  • その後の2022年に「チャナッカレ1915橋」が完成しています。調べてはいませんが、4年前に乗ったフェリーはもう運航していないのではないかと思います。

    その後の2022年に「チャナッカレ1915橋」が完成しています。調べてはいませんが、4年前に乗ったフェリーはもう運航していないのではないかと思います。

  • 主径間の支間は2,023メートルあり、日本の明石海峡大橋を32メートル抜いて世界でもっとも主径間の長い吊橋になっています。この橋に関連する数値には象徴的な意味が与えられていて、名前に付いている「1915」と、起工式の日3月18日は第1次世界大戦中のガリポリの戦いにおいて、トルコ海軍が連合国海軍に勝利を収めた1915年3月18日を記念するものです。また主径間の長さ2,023メートルは、2023年にトルコ共和国が100周年を迎えることを意味しています。

    主径間の支間は2,023メートルあり、日本の明石海峡大橋を32メートル抜いて世界でもっとも主径間の長い吊橋になっています。この橋に関連する数値には象徴的な意味が与えられていて、名前に付いている「1915」と、起工式の日3月18日は第1次世界大戦中のガリポリの戦いにおいて、トルコ海軍が連合国海軍に勝利を収めた1915年3月18日を記念するものです。また主径間の長さ2,023メートルは、2023年にトルコ共和国が100周年を迎えることを意味しています。

  • ガリポリの戦いは第1次世界大戦中に連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブール占領を目指し、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたるダーダネルス海峡の西側のガリポリ半島に対して行った上陸作戦で、当時国家として末期状態だったオスマン帝国軍を軽んじた連合軍は短期決戦を想定して挑みます。しかし、のちにトルコ共和国の初代大統領に就任するオスマン帝国の名指揮官ムスタファ・ケマル・アタテュルクの活躍をはじめ、予想外の頑強な抵抗に遭った連合軍は多大な損害を出して撤退を余儀なくされ作戦は失敗に終わります。

    ガリポリの戦いは第1次世界大戦中に連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブール占領を目指し、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたるダーダネルス海峡の西側のガリポリ半島に対して行った上陸作戦で、当時国家として末期状態だったオスマン帝国軍を軽んじた連合軍は短期決戦を想定して挑みます。しかし、のちにトルコ共和国の初代大統領に就任するオスマン帝国の名指揮官ムスタファ・ケマル・アタテュルクの活躍をはじめ、予想外の頑強な抵抗に遭った連合軍は多大な損害を出して撤退を余儀なくされ作戦は失敗に終わります。

  • 連合国指導部の無能や計画の杜撰さによる弾薬不足や装備の悪さが敗北の原因となったと批判を浴び、ウィンストン・チャーチルはこの作戦の立案者であったため失脚してしまいます。深夜なのが残念ですが、歴史的にも重要なこの場所を通過するのに寝てはいられません。翌日は終日航海日ですが、目覚めた後はダーダネルス海峡の先端を見ることが出来ました。

    連合国指導部の無能や計画の杜撰さによる弾薬不足や装備の悪さが敗北の原因となったと批判を浴び、ウィンストン・チャーチルはこの作戦の立案者であったため失脚してしまいます。深夜なのが残念ですが、歴史的にも重要なこの場所を通過するのに寝てはいられません。翌日は終日航海日ですが、目覚めた後はダーダネルス海峡の先端を見ることが出来ました。

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2023MSCスプレンディダの旅

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