2023/04/09 - 2023/04/09
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kirinbxxさん
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村上に来た目的は、何を隠そう料亭「新多久」での食事です。
しかし、村上は歴史ある城下町で、幸いな事に空襲にも遭わず、古い住宅が残されています。それもあって季節折々にはその歴史を感じさせる行事もあります。今回は村上に宿泊するわけではありませんが、お昼までのひととき、村上の歴史を少しだけ学んでみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イヨボヤ会館の次に向かったのは、「三の丸スポット」です。江戸時代、村上藩は領主がめまぐるしく変わったため、落雷で焼失した天守が立て直されることはありませんでした。泰平の世には無用の長物だったのでしょう。一方で、三の丸は武家町として整備され、現代の観光スポットになっています。
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まずは「おしゃぎり会館」へ。村上市郷土資料館、というなもあります。
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ここにあった説明板には、おしゃぎりとは村上では「お祭りに曳き回される屋台(山車)」のことを言います、と書いてあります。1734年の文書に「しゃぎり屋台」という言葉が記されていて、それを「おしゃぎり」と言い伝えて来たのだろう、ということです。そして「しゃぎり」はもともとは「おはやし」をさしていたと思われる、とも書いてありました。まぁ、この手のことは諸説あるのが普通ですね。
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毎年、村上大祭が盛大に行われるそうですが、日付をみるとちょうど七夕のころですね。日本に住んでいればともかく、オーストラリアから7月に日本に来ることはまぁないでしょうから、生で見る機会はなさそうです。
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村上は「江戸時代からの城下町」を観光の売りにしていますが、最初に村上を発展させたのは、上杉謙信麾下で騎馬隊を率いた猛将、本庄繁長という人でした。村上大祭では彼が1588年に出羽庄内を平定したときの凱旋を模した騎馬武者14騎の行進が名物となっています。
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こちらは1850年(嘉永3年)に制作された山車、上に乗っているのは大きな梵鐘です。梵鐘には「寛永十年六月吉日」「羽黒大権現」という銘がありますが、この寛永十年(1633)は、羽黒神社を臥牛山の麓から現在地に遷宮した年であり、村上大祭の起源となる年でもあります。
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太鼓の上に鶏・・・・これは中国の諫鼓鶏(かんこどり)ですね。「諫鼓」とは古代中国で君主に諫言しようとする民衆に打たせるための太鼓で、「鶏」は鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒する想像上の鶏のこと。「諫鼓鶏」とは、善政であるため諫鼓を鳴らす必要がなく、上に止まっている鳥も逃げないという意味です。
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おしゃぎりの台座部分ですね。町ごとに誂えるおしゃぎりは、豪華で、作られた時代も、乗せ物もバラエティに富んでいて面白いものでした。
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ここにもありました、平野歩夢選手のポスター。
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二階は、歴代藩主に関する史料や、ゆかりの武具などの展示場になっていました。これは有名な本庄繁長関係のもの。「一に謙信二に繁長北条桃井負けず劣らず」と言われた猛将で、謙信に仕えたものの、武田氏や伊達氏に通じることたびたび。なのに、何故かいつも許されて、江戸時代まで生き延びたというなかなか面白い武将です。
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こちらは内藤信成、徳川家康の異母弟と言われ、松平を名乗っていた時代から主要な戦いで要衝の守備を任された武将です。その割には譜代大名の中でも石高はあまり高くないく、孫がやがて村上藩主となります。もっとも内藤家は6代目が若年寄・京都所司代となり、7代目で老中に出世しているので冷遇されたというわけではありません。
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こういう施設によくあるジオラマ。
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村上にゆかりある武将達が所持していた刀剣類も展示されていました。
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まだしっかりと花が残っていました。
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こちらは、戊辰戦争特設コーナー。村上藩は奥羽列藩同盟に加盟して新政府軍と戦って敗北しているのですが、藩内事情はとても複雑だったようです。主戦派で最後は責任をとって切腹した家老の陣羽織や、鉄砲などが展示されていました。
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道路一面の花びら。
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二階から見下ろすおしゃぎりです。
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乗っている人形も精巧に作られていますね。
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それでは次へ。
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重要文化財の若林家住宅です。この屋敷に住んでいた頃には、150石を与えられた中級(の上位)の武士だったそうです。150石は今でいうと額面、ここから入るのは(村上藩は四公六民だったらしいので)その4割で60石。今と同じようになんだかんだと天引きされるものがあって、実収入は36.8石(92俵)しかありません。日銀の試算では現代なら1千万程度の収入。そして、当主が役職についている間は、別の手当もついたようです。
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でも、隠居した親や、今よりは多い数の子、奉公人などがいる大家族なので、贅沢な暮らしはしていなかったようです。この屋敷は住宅兼役宅だったそうです。
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武士はやはり、質実剛健、それにきっと質素倹約も求められていたことでしょう。しかし、寒い村上地方で暖を取るのはこの小さな囲炉裏。寒かったでしょうねぇ・・・
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こちらは台所。これは置きかまど、というそうです。朝食はご飯、お新香、味噌汁。昼食はご飯と野菜の煮付け。夕食は朝食の献立に加えてお魚がついたようです。海の近い村上のこと、新鮮なお刺身とか・・・うらやましい。
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うーん。150石取り、中堅幹部なのにお風呂なしですか。。。。行水だけとは・・これはうらやましくないですねぇ。
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客間で暖をとるためのものはこれだけ・・・
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イヨボヤが軒先に吊されています。村上藩は、技術が確立されたあとは藩を挙げて鮭商売をしていたそうなので、中級武士の家にもあったのでしょうか???それともこれは観光客用?
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雪の季節にはさぞ美しく化粧されるでしょう。
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客間も決して広くありません。お客が来ても出すのはお茶だけだった、という説明が台所にありましたね。北国の武士はどこまでも質実剛健でした。
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客間で目立っていたのは、小松宮彰仁親王の書。村上を攻めた奥羽征討軍の総督でした。どういうご縁でここに額があるのか・・・・ずっと軍人として働いた人らしく力強い字です。一方で夫婦で茶道に勤しんだり、日本赤十字社の創設に関わったり、明治天皇名代で諸外国に行ったりと活動的な人だったようです。
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8代目自らの手による軸。
この家は大正14年に当主が亡くなったあとは、若林家直系ではなく、親戚知人が使っていたそうです。で、昭和30年代にここを自宅兼事務所にしたのが、8代目当主の甥にあたる稲葉修さん。村上の出身だったんですね。歴代法務大臣の中で、私が覚えているたった一人の人、とても印象深かった人です。稲葉さんは、この家が重要文化財に指定されるまで管理し、極力改造を控えて使ったそうです。 -
こちらは三の丸記念館。明治40(1907)年に村上銀行本店として建築されたものです。昭和57(1982)年まで現在の第四銀行村上支店の位置で店舗として活用されていましたが、改築されたため、移転・保存されています。現在は、集会場や作品展の展示会場として活用されています。
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こちらは村上歴史文化館です。日本ナショナルトラストによる全国8番目のヘリテイジセンターとのこと。
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改めて外観を見ると、どうみても江戸時代のものじゃないですね。これは、村上市掘片にあった明治時代後期の擬洋風病院建築物を参考として設計された現代建築です。
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料理の展示が面白うございました。これは伝統的な年取り膳(大晦日の料理)です。焼き魚はもちろん塩引き鮭。氷頭なますに煮染め、そして豆腐の汁。宮崎県などのものにくらべると、とても質素。
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江戸時代中期、鮭が帰ってくる三面川では村上祭が終わった頃に「川見分」という村上藩の役人による検査があったそうです。で、これはその接待に出された昼食を再現したものです。当然、鮭の遡上はまだまだ先なので供されることはありません。
にしても、鯛に鮎に牡蛎に玉子とは贅沢な・・・ -
夕飯も、食材は殆ど一緒ですね。鯛と鮎なら飽きないけど。
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村上では、仕事着の事を「でたち」というそうで、これはそのひとつ。仕立てたばかりの「でたち」は仕事着といっても、ちょっとした外出の時に着るもので、仕事に着るのは「仕事始め」「田植え」などのお祝い事のとき。着古したら畑仕事や、普段の職人仕事に、さらに古くなったのを汚れがひどくなる田仕事に、最後は破れる事が多い山仕事に、と使い回したそうです。
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北前船「北越丸」模型
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お向かいは小学校のようです。立派な塀と奥の花のとりあわせがいいですね。
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日本の学校におきまりの桜ですが、その左の古めかしい小さな建物がいい感じです。電柱と電線が邪魔・・・・
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もう少し時間があるので、塩引き鮭の老舗、きっかわさんへ。1626年に米屋として創業、江戸時代末期に酒屋に転業したこのお店が、昭和30年代に「村上ではじめて」鮭料理を扱う店になりました。それは、千年続く村上の鮭料理が消えかけてしまっていたから。
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今では村上といえば鮭、と知られるようになった功労者です。こんな風に村上のPR写真でもお馴染みです。
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村上は、「町屋のびょうぶまつり」でも知られています。このお店はいつも見えるように出してあるんですねぇ、と思ったら、実はこのお店の現社長こそが、びょうぶ祭や人形さま巡りなどのイベントをプロデュースしたんだそうです。
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敷地の片隅にはこんな一角が。ちょうど緑が濃く、美しくなってきたころでした。
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さて、いよいよイヨボヤさんです。
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中へ入るとしましょう。
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壮観!先に入っていた別のグループの人達も、見とれていました。
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鋭い歯に精悍な顔。美味しそう~~です。
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お店の方が判りやすい説明をしてくれるのを聞くのはとても有意義なひとときでした。
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西洋人は獣を、日本人は魚を「余すところなく」利用する文化がありました。今時はそれを仰々しく「サステナブル」などと紹介していますが、村上では鮭を余すことなく食べるのは当然のことでした。その一つ、白子の寒風干しも見る事ができました。
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名店の厨房がぴかぴかに磨かれているように、千年鮭きっかわさんも、余り人目につかないところもきちんと手入れ・お掃除がされていました。
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ではいよいよ新多久さんへ。
途中にある、まるで時代劇に出て来そうなこの道は、江戸時代からのものではなく、平成になって市民運動でブロック塀から黒板塀にしたものです。黒塀小路と紹介されているようですが、それは単なる通称、それも最近のもの。近くにあるお寺の名前から安善小路、というのが古くからある名前です。 -
本日の昼食はこちらで。「割烹新多久」さんです。創業は1867年(慶応3年)、王政復古の大号令が出た年という老舗です。以前、新発田のお鮨屋さんで教えていただいたお店。
https://4travel.jp/travelogue/11507124
私はさっそく半年後に一人で訪問していますが、そのときはkirinは来られませんでした。ということで今回は満を持して二人での訪問です。お店は完全予約制、といっても席さえあいていれば当日でも予約は受けて貰えます。 -
創業時は普通の料亭だったようですが、2005年になんと全焼。その後、平成18年、ご兄弟で再興するに当たって、村上の食材だけで料理を提供しようと決められたそうです。料理は当然ながらおまかせの季節料理で、夜は3コース、昼は更にお安いコースが一つ増えます。また、鮭とジビエの季節には特別なコースもあるようです。
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今回は、お昼なのでちょっとおとなしく13,200円のコースで、席は勿論カウンター。この日はカウンターにもう二組、一組はご常連、もう一組は初めての相客がおいでになりました。
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ご同席もいることだし、食べるのに忙しいので料理写真はなし。
先付けには、こごめとうるい、そして酒浸し。続く煮碗物はがざえびのしんじょうでした。
飲むものは当然ながら新潟のお酒を、これまたお任せで。ワインペアリングがあるのなら、当然日本酒も料理に合わせたお任せがいい。まずは定番、〆張鶴。私が昔、日本酒にはまり始めた頃、とても流行っていたお酒です。 -
お造りはやはりでました、旬の桜ます。特に好きな魚ではありませんが。。。お酒は同じく〆張鶴の純米吟醸、純。
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村上の大洋酒造さんから、山廃(山卸廃止酛)の大洋盛。料理は大穴子の飯蒸し、行者ニンニクの入った焼き茶碗蒸しと続きました。焼物はふたたびの桜ます。
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同じく大洋酒造さんの辛口純米である無想。
きじはたのお椀に、山にんじんを使った自家製がんもが続きます。そのあとご飯が出ました。おかわりをして食べるか迷ったものの、塩結びにしてもらってお土産に。
ここのご主人は話し好きで、その話の幅は広く、奥が深く、まったく飽きる事がありません。また日本に来るときは必ず寄らねばならぬ、そんな決意をさせるお店です。 -
お腹いっぱい~と桜を愛でながらブラブラと駅へ。
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秋田へ向かう列車の時間までは1時間以上。コーヒーでも飲みましょう。駅前から少し歩いた交差点にある喫茶店へ。多分、駅前では唯一の喫茶店です。
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メルヘン、というのかそれともレトロ、というべきか。おばちゃんの好きな物を集めました、という感じの店内です。のんびりとコーヒーを飲み、スポーツ新聞を読む、そんな喫茶店での過ごし方、何十年ぶりでしょう。
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