2022/10/23 - 2022/10/23
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+mo2さん
「展覧会 岡本太郎」旅行記の続きです
東京都美術館 HPより~
画、立体、パブリックアートから生活用品まで、強烈なインパクトのある作品を次々と生み出し、日本万国博覧会(大阪万博)の核となる「太陽の塔」をプロデュースし、晩年は「芸術は爆発だ!」の流行語とともにお茶の間の人気者にもなった岡本太郎。彼は、戦後日本の芸術家としてもっとも高い人気と知名度を誇るひとりでありながら、あまりに多岐にわたる仕事ぶりから、その全貌を捉えることが難しい存在でもありました。「何が本職なのか?」と聞かれ、彼はこう答えます。「人間――全存在として猛烈に生きる人間」。18歳で渡ったパリの青春時代から、戦後、前衛芸術運動をけん引した壮年期の作品群、民族学的視点から失われつつある土着的な風景を求めた足跡や、大衆に向けた芸術精神の発信の数々、さらにアトリエで人知れず描き進めた晩年の絵画群まで――。本展は、常に未知なるものに向かって果敢に挑み続けた岡本太郎の人生の全貌を紹介する、過去最大規模の回顧展です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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第4章:大衆の中の芸術
芸術とは生活そのもの。そう考える太郎にとって衣食住をふくめた人々の生活のすべてが表現のフィールドでした。1952年に絵画の工業生産化の提案として制作したモザイクタイルを用いた作品《太陽の神話》をきっかけに、太郎の表現は、画廊や美術館から飛び出し、地下鉄通路や旧都庁舎の壁画、屋外彫刻などのパブリックアートをはじめ、暮らしに根差した時計や植木鉢、新聞広告などの生活用品にいたるまで、大衆にダイレクトに語りかけるものへと広がっていきました。絵画や彫刻といった既成のジャンルを軽々と飛び越え、積極的に社会に飛び出していった太郎の好奇心と発想力を紹介します。 -
「群像」1969年 岡本太郎記念館
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「太陽の神話」1952年 株式会社大和証券グループ本社
耐久性と鮮やかな色彩を持ち、工業生産化が始まったモザイク・タイルを油絵具に代わる素材として注目していた岡本が、初めて用いた作品。 -
「太陽の神殿」(部分拡大)
伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」など升目書きの手法を彷彿させます -
「日の壁(旧東京都庁舍壁画原画)」1956年 岡本太郎記念館
1957年竣工の旧東京都庁舎のたもに岡本が制作した7点の壁画の1つ -
「月の壁(旧東京都庁舍壁画原画)」1956年 岡本太郎記念館
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「青(旧東京都庁舍壁画原画)」1956年 岡本太郎記念館
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「緑(旧東京都庁舍壁画原画)」1956年 岡本太郎記念館
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「赤(旧東京都庁舍壁画原画)」1956年 岡本太郎記念館
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「建築」1956年 川崎市岡本太郎美術館
旧東京都庁舍のための壁画の1点の原画をもとに、独立した絵画つぉいて制作され、1956年の仁科展に出品された作品。壁画に取りかかる前に訪れた視察での都庁庁の建設の光景を描いたものと推察できます -
「黒い太陽」(書籍)1958年 東京都美術館
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「殺すな」の意見広告 1967年 岡本太郎記念館
ワシントン・ポスト紙に掲載された反戦メッセージ広告。「殺すな」の文字を岡本太郎が揮毫しています -
「駄々っ子」1969年 川崎市岡本太郎美術館
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「坐ることを拒否する椅子①」1963年 川崎市岡本太郎美術館
モダンデザインの座り心地の良い椅子は人の前進を止めてしまうと考える岡本にとって、椅子とは「活動的な歩みの中で、一時腰をおるすだけのもの。つまり人生の戦いの武器である」といいます -
「坐ることを拒否する椅子②」1963年 川崎市岡本太郎美術館
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「坐ることを拒否する椅子③」1963年 川崎市岡本太郎美術館
凸凹のあるごつごつとした質感を持ち、座る人をにらみつけてくるユーモラスな椅子は「精神的にも肉体的にも人間と対決し、抵抗を感じさせる」というコンセプトが形になったものです -
「坐ることを拒否する椅子④」1963年 川崎市岡本太郎美術館
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「手の椅子」1967年 川崎市岡本太郎美術館
世界をこの眼で見抜きたい。眼にふれ、手にさわる。
すべてに猛烈に働きかけ、体当たりする。
ひろく、積極的な人間像を自分自身につかむために。
岡本太郎は『手』をモチーフにした作品を数多く残している。
絵画だけでない。彫刻、家具、プロダクト……、さまざまな表現領域で手を繰り返し描いてきた。
手は、太郎にとって『眼』と並んで世界を感知する重要な武器であり、世界と自分をつなぐ窓だったのだろう。
太郎は自らの手の感覚を信頼し、大切にしていた。
単に線と色の、視覚的な、画面の上だけの絶対美なんて空虚だ。
具体的に、生活的にぶつかってくる、現実感のあるもの、
「パルパーブル」(手にふれることのできるもの)がほしいのだ。
~岡本太郎記念館HPより~ -
(左)「ひもの椅子」1967年
(中)「ほおづえ」1968年
(右)「スツール」1967年
全て 川崎市岡本太郎美術館 -
岡本太郎は無数のマルチプル作品をつくり、暮らしのなかに送り込んでいきました。テーブル、イス、絨毯、ネクタイ、スカーフ、浴衣、振袖、トランプ、スキー、バッグ、カップ……etc. その表現領域はありとあらゆるジャンルにおよんでいます。
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近鉄バファローズのシンボルマークも岡本太郎でしたね
千葉茂が監督に就任した1959年に、「バファロー」の新チーム名称に合わせて千葉の親友だった岡本太郎がデザインしたそうです -
ネクタイとか欲しいですね
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「こどもの樹」1985年 川崎市岡本太郎美術館
東京・青山にあった旧「こどもの城」の正面に、1985年に設置された作品です。
幹からのびる枝の先に子どものいろいろな表情があり、作品の周りをぐるぐる回りながらにらめっこをしたり、自分に似た顔を探したりできるので、子ども達にとても人気の作品です
~川崎市岡本太郎美術館HPより~ -
「みつめあう愛」1990年 川崎市岡本太郎美術館
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「TARO鯉」1981年 岡本太郎記念館
「鯉のぼり、いいねえ。あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ。凄いイマジネーションじゃないか。それも、ひとりの芸術家の創作じゃない。普通の民衆がみんなで自然に持っているイメージなんだ。世界中にひろめたいな」
そう考えていた岡本太郎は、自らも鯉のぼりをつくります。グリグリっと大きな眼、原色の鱗、生き生きと躍動的なフォルム…。いかにも太郎らしい、生きもののような鯉のぼりです。鯉のぼりとはこういうもの。だって昔からそうだったんだから。だれもがそう考え、それで良しとするなかで、太郎だけはちがいました。「もっと自由でいいじゃないか。みんなが自分の自画像のような、ユニークな鯉のぼりをつくって上げればいい」。そう考えたのです。
~岡本太郎記念館HPより~ -
「飛行船(レインボー号)」(模型)1973年 川崎市岡本太郎美術館
レインボー号は、1973年に日本で戦後第2号の商用飛行船として岡本太郎がデザインした軟式飛行船 -
「天に舞う」1974年
NHKスタジオパーク入口にある作品。男女が天上の世界に美しく舞う姿を表わした作品。鮮やかな色彩と、なめらかな曲線で構成された、岡本太郎らしい作品です -
「宇宙人東京に現わる」は、1956年1月29日に公開された、大映製作のSF特撮映画で、日本初の本格的カラー空想特撮映画です。登場するヒトデ形の宇宙人「パイラ星人」のキャラクターデザインは岡本太郎が担当しています
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第5章:ふたつの太陽 ー《太陽の塔》と《明日の神話》ー
「人類の進歩と調和」を掲げた1970年の大阪万博。その「テーマ館」のプロデュースを依頼された太郎は、人間にとっての真の「進歩と調和」は、科学技術の推進に限るものでも、同調や馴れ合いによるものでもないとし、敢えてテーマとは真逆の価値観ともいえる、人間の太古からの根源的なエネルギーを象徴させた《太陽の塔》を制作しました。《太陽の塔》と並行して描かれたのが現在渋谷駅に設置されている幅30mの巨大壁画《明日の神話》です。原子爆弾を主題に人類の「進歩」に内在する負の側面を見据え、それを乗り越えていく人類の未来への期待が込められています。この「ふたつの太陽」について、太郎が残したドローイングや資料とともにその現代的意味を考えます。 -
「太陽の塔1/50」1970年 川崎市岡本太郎美術館
太陽の塔は、芸術家の岡本太郎がデザインし、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルゾーンにテーマ館としてつくられました。
塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。
構造は、鉄骨、鉄筋コンクリート造りで一部軽量化のため吹き付けのコンクリートが使われています。また、内部は空洞になっており、博覧会当時は地下展示と空中展示をつなぐ動線の役割を果たし、また、生命の進化の過程を示す展示空間でした -
太陽の裏側です
吹き出す炎によって形づくられた巨大な黒い太陽は、過去を表すとされています -
「太陽の塔構想スケッチ」1967-68年 岡本太郎記念館
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「若い太陽の塔」(模型)1969年 川崎市岡本太郎美術館
若い太陽の塔は、日本万国博覧会開催前年の1969年に造られ、太郎の代表作「太陽の塔」と兄弟に例えられるます。日本モンキーパーク内にあるシンボルタワーで、岡本太郎の作品の中で三番目に大きい。 -
「生命の樹 全景模型」2017年 岡本太郎記念館
大阪万博のテーマプロデューサーを引き受けたとき、岡本太郎は大屋根をブチ抜く『太陽の塔』で進歩主義に否!をつきつける一方で、その胎内にダイナミックな小宇宙を構想した。それが『生命の樹』だ。
うねりをあげてのび上がる一本の樹に、単細胞生物から人類まで、進化の過程をたどる300体の生き物がびっしりと貼り付いている。
地下から天空へ貫いてのびる生命の時間。始原のときから営々と続く生命の生長と変貌。根源から立ちのぼり未来へと向かう生命の尊厳とダイナミズム。
まさしく岡本太郎にしかつくれない唯一無二の芸術だった。
だが万博閉幕後に撤去が進んでしまったために、残念ながらいまは当時の姿を見ることはできない。
そこで生誕100年を迎える記念すべき年に、この『生命の樹』を再現することにした。手掛けてくれたのはフィギュア制作の世界チャンピオン・海洋堂だ。
~岡本太郎記念館HPより~ -
「生命の樹 全景模型」(部分拡大)
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「明日の神話(下絵)」1968年 川崎市岡本太郎美術館
2003年秋、長らく行方がわからなくなっていた岡本太郎作の巨大壁画『明日の神話』がメキシコシティ郊外で発見されました。
描かれているのは原爆が炸裂する悲劇の瞬間です。
しかしこの作品は単なる被害者の絵ではありません。
人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる、そしてその先にこそ『明日の神話』が生まれるのだ、という岡本太郎の強いメッセージが込められているのです。
『太陽の塔』と同時期に制作され、“塔と対をなす”といわれるこの作品は、岡本太郎の最高傑作のひとつであり、岡本芸術の系譜のなかでも欠くべからざる極めて重要な作品です。
しかし、残念なことに、長年にわたって劣悪な環境に放置されていたため、作品は大きなダメージを負っていました。
そこで、当財団は、この作品を日本に移送し、修復した後に広く一般に公開する『明日の神話』再生プロジェクトを立ち上げました。
2006年6月には修復が完了、同年7月に汐留にて初めて行われた一般公開では、50日間という短期間の中で述べ200万人の入場者が集まりました。
後、作品は東京都現代美術館にて2007年4月から2008年6月まで公開され、2008年3月に渋谷に恒久設置することが決定、11月18日より渋谷マークシティー連絡通路内にて公開が始まりました。
~岡本太郎記念館HPより~ -
『明日の神話』によせて
~岡本敏子のメッセージ
『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。
中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。
悲劇の世界だ。
だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。
外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。
その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。 -
「明日の神話(ドローイング)」1967年 岡本太郎記念館
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第6章:黒い眼の深淵 ーつき抜けた孤独ー
大阪万博を経て岡本太郎の存在はより広く大衆に受け入れられるようになりました。なかでも、1953年の放送開始当初から出演していたテレビでは、81年の「芸術は爆発だ!」
と叫ぶCMをはじめ数多くの番組に登場し、日本で最も顔を知られる芸術家となっていきます。しかし、絵画制作への意欲は衰えることはありませんでした。異空間へいざなう入口のような「眼」をモチーフとした作品群のほか、国際展等で発表した過去作品に大胆に加筆した絵画など、最晩年まで自らの芸術をダイナミックに追求し続けていきました。1996年に太郎はこの世を去りますが、その直後から再評価の機運が高まります。その陰には50年に渡り秘書として太郎の活動を支えた岡本敏子の存在がありました。敏子の尽力により太郎の芸術や著作、そして力強い言葉は、人々に生きる勇気を与え、世代を超えて受け継がれています。 -
「未来を見た」1971年 川崎市岡本太郎美術館
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「双子座」1974年 川崎市岡本太郎美術館
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「面」1975年 川崎市岡本太郎美術館
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「手の顔」1978年 川崎市岡本太郎美術館
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「裂けた顔」1980年 川崎市岡本太郎美術館
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「眼の立像」1981年 川崎市岡本太郎美術館
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「黒い顔」1982年 川崎市岡本太郎美術館
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「愛憎」1983年 川崎市岡本太郎美術館
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「遊魂」1988年 川崎市岡本太郎美術館
面白いねえ、実に。オレの人生は。
だって道がないんだ。 眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。
~『岡本太郎』平凡社、1979年~ -
「疾走する眼」1992年 川崎市岡本太郎美術館
顔は宇宙だ。
眼は存在が宇宙と合体する穴だ。
岡本太郎は静物や富士山を描きませんでした。
描いたのは〝いのち〟です。
だから多くの作品には顔があります。
ことに晩年は顔しか描きませんでした。
顔といってもほとんど眼だけ。
生命力をたぎらせたギョロっとした眼です。
人生の最後に、太郎はひたすら眼だけを描きつづけたのです。
それらはいずれもたいそう荒っぽく、未完成で、お世辞にも代表作とは言えません。おそらくうまく描こうとか、完成度の高い作品をつくろうなどとは考えていなかったでしょう。それどころか、他人に見せることさえ想定していなかったかもしれません。
~岡本太郎記念館HPより~ -
「春」 1947年その後加筆 岡本太郎記念館
1947年の第一回美術団体連合展出品作。
その後、作家自身により大きく加筆されました -
「室内」 1951年その後加筆 岡本太郎記念館
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「二人」 1951年その後加筆 岡本太郎記念館
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「娘と犬」 1953年その後加筆 岡本太郎記念館
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「動物」 1954年その後加筆 岡本太郎記念館
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「死の灰」 1955年その後加筆 岡本太郎記念館
1954年の第5福竜丸事件に取材した作品。死の灰そのものがわかりやすく描かれているわけではない。 -
今後、岡本太郎記念館や川崎市岡本太郎美術館にもぜひ、行ってみたいです
東京都美術館 美術館・博物館
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「午後の日」1967年 川崎市岡本太郎美術館
都立多磨霊園の,岡本太郎一家3人が眠る墓に置かれた作品
この作品は岡本太郎本人の墓標になっていて,1995年に死去した岡本太郎がこの下に眠っています -
「雷人」1995年(未完) 岡本太郎記念館
人生を芸術にかけた巨人・岡本太郎が、最後に取り組んだとされている作品 -
ミュージアムショップ、グッズ充実しており、欲しいものたくさん!!
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図録や「太陽の塔」大好きな甥っ子ともちゃんへのお土産など購入
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フォトスポットにはこんな太陽の塔が・・・
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