2019/09/18 - 2019/10/03
9位(同エリア57件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記518冊
- クチコミ584件
- Q&A回答105件
- 739,873アクセス
- フォロワー99人
<Hofgeismarホーフガイスマル:Die Wuerfelturm-Sageサイコロ博打の伝説>
ホーフガイスマルの市庁舎向かう通りに奇妙な銅像が立っている。
2つの実物大のBronze-Skulpturenブロンズ彫刻はかつてホーフガイスマルが、包囲戦で攻めるLandgraf von Hessen ヘッセン方伯、Braunschweigブラウンシュヴァイク公と戦ったが、抗争した両派を表していると云う。
伝説によると、1401年にホーフガイスマルはその存続をかけて、二つの国と争ったが、この時、ホーフガイスマルはサイコロ博打で18対17のサイコロの目で勝ったそうだ。
写真はDie Wuerfelturm-Sageサイコロ博打の伝説を語る銅像
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
Hofgeismarホーフガイスマルはヘッセン州カッセル郡に属す人口15千人の町である。GrebensteinグレーベンシュタインとTrendelburgトレンデルブルクとの間、Die Lempeレムペ川(距離16kmを流れる)がDie Esseエッセ川(距離27.6km)に合流する河口に面しており、Kasselカッセルの北25 km に位置している。
写真はハン・ミュンデンから古城群を見ながらホーフガイスマルに至る図 -
写真はWappen von Hofgeismarホーフガイスマルの紋章:
ホーフガイスマルの紋章は赤地に、銀のゴシック様式の建築構造物と、その下に銀の輪が描かれている。
この「マインツの輪」はこの町が1462年までマインツ大司教領に属していたことを示している。 -
旧市街には14世紀に建造され、19世紀に増改築されたRathaus市庁舎がマルクト広場に立つ。その周辺に木組み建築の家が多い。
写真はホーフガイスマルのRathaus市庁舎:マルクト広場に立つ。 -
Die Wuerfelturm-Sageサイコロ博打の伝説はこんな時代を反映した。
1401年、ヘッセン方伯軍とブラウンシュヴァイク公の軍はマインツ大司教の支配下にあったホーフガイスマルを長い間包囲・攻城戦をしていた。:
写真は伝説本の表紙 -
その背景には当時、Herzog Friedrich I. von Braunschweigブラウンシュヴァイク公フリードリヒ1世がFritzlarフリッツラー近くで*暗殺され、主犯とみなされていたFriedrich von Hertingshausenフリードリヒ・フォン・ヘルティングスハウゼン(ヘッセンの騎士領主)は追手に追われてホーフガイスマルに逃げこんだのでした。これを知ったLandgraf HermannⅡvon Hessenヘッセン方伯ヘルマン2世(1341年~1413年)、とブランズウィック公家の両方が彼を捕らえようとし、ホーフガイスマルの町を包囲した。
写真はDie Wuerfelturm-Sageサイコロ博打の伝説を語る、雪の日も立つ銅像 -
包囲によりすぐにすべて食料の供給は遮断され、周辺の食料も包囲軍によって消費尽くされてしまった。「Schmalhans war Kuechenmeisterシュマルハンス(けちん坊の意味)はシェフだった」という慣用句が書かれていたが・・・
直訳では何の事やら?「あそこは食べ物が貧弱である」という事が辞書にあるから、よく使われる言葉なのだろう。ともあれ、食料に欠乏していた。
結局、彼らはホーフガイスマルをサイコロ(博打)で決めることにした。包囲軍は最初のサイコロを持ち、3つのサイコロで17 Augen=17の目を出した。サイコロの結果に、勝利を信じた町の門前の包囲軍兵士の大きな歓声が上がった。
ホーフガイスマルの代表は心の中で「bange machen gilt nichtバンジ(不安、心配なの意味)は適用されません」と、こちらも慣用句でしょう。辞書にあります。「(兵士たちの歓声に)おどかしても怖くないぞ!」と考え、慎重に転がし、18 Augen=18の目を出した。
(サイコロの目と私共もよく言うが、ドイツ語もAugeアウゲ=目の意味でサイコロの目という使い方があるのは面白い)
双方の合意通り、包囲軍は即座に包囲を解き、退去した。町は救われた。
・・・・・
写真はサイコロ博打の伝説を語る銅像の説明 -
(*暗殺の背景)
ブラウンシュヴァイク公フリードリヒ1世(1357年~1400年6月5日)はブラウンシュヴァイク・リューネブルク公爵、ヴォルフェンビュッテル侯爵(在位:1373年~1400年)でした。1400年にドイツGegenkoenig対立王(継承争いや政治上の対立のため、君臨している君主に対して自分こそが正当な君主であると宣言する王)に選出されたと云われている。
1400年5月、フリードリヒ1世はフランクフルトの帝国会議に参加した。この会議の目的は神聖ローマ皇帝(ローマ王・ドイツ王)Wenzelヴェンツェル(1361年~1419年:怠慢王(der Faule)の渾名を持ち、暗愚な王として知られた)の廃位を議論することであった。
言い伝えによると、フリードリヒ1世は一部の貴族らにドイツ対立王に選出されたと云われているが、この選出について総意が得られなかったため、フリードリヒ1世は帝国議会から去ったとされる。文献による裏付けがないため、実際にフリードリヒ1世が対立王に選ばれたか否かは議論が分かれている。
写真はホーフガイスマル:木組みの家並み(ホテルやt図書館) -
イチオシ
1400年6月5日、フリードリヒ1世が帰路の途中のDorf Kleinenglisクライネングリス村( Fritzlarフリッツラーから南に数km行った所、フリードリヒ1世の「Kaiserkreuz皇帝の十字架」が立っている)で、マインツ大司教の家臣Graf Heinrich Ⅶ von Waldeckヴァルデック伯ハインリヒ7世、騎士Friedrich von Hertingshausenフリードリヒ・フォン・ヘルティングスハウゼン、騎士Konrad von Falkenbergコンラート・フォン・ファルケンベルクたちの指揮する200名の武装した兵に殺害されたことは確かである。
この暗殺がマインツ大司教派により、ローマ王候補を除くために行われた可能性がある。
この暗殺は当時の関心の的となった。
写真はホーフガイスマル:美しい木組みの家並み -
1402年2月3日、神聖ローマ皇帝(ローマ王・ドイツ王)Ruprechtルプレヒト(1352年~1410年)はついに、フリッツラーのStiftskirche St. Peter聖ペテロ修道院教会に永遠の魂を持つ祭壇を寄進することを暗殺者たちに命じた。
(1400年にヴェンツェル王が諸侯により廃された後、マインツ(大司教)選帝侯・ケルン選帝侯・トリアー選帝侯の諸侯3人の後押しでローマ王に選ばれた事もあり、ルプレヒト王も暗殺者の処遇に困り、こうした裁決をしたのだろう)
フリッツラー近くのクライネングリスの暗殺現場には砂岩の「皇帝の十字架」が建てられた。
また、フリードリヒ1世の遺体はブラウンシュヴァイク大聖堂に埋葬された。
写真はホーフガイスマル:旧市街の市庁舎と木組みの家並み -
「皇帝の十字架」は高さ2.1mの砂岩で出来ている。十字架自体は縦144cm、横84cm、奥行き35cmだという。
十字架はおそらく贖罪ではなく、記念の十字架だと云われる。ルプレヒト王の裁決は贖罪の条件として十字架の建設については言及していないからです。
・・・・・
写真は「Kaiserkreuz皇帝の十字架」
(2019年11月30日意訳・編集・加筆)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
ドイツの伝説・民話その3
-
前の旅行記
番外編・伝説:ヴィルヘルムシュタールの太鼓手は突撃せよ!と、太鼓を連打した。
2019/09/18~
カッセル
-
次の旅行記
伝説・「がちょう番の娘」もドイツ各地にある。
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
ドイツの秋の旅で出会ったグリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)
2013/10/16~
ヘッセン州
-
≪伝説・ボタン職人は岩壁から真っ暗な深い谷に落ちていきました。≫
2015/07/14~
バーデン・ビュルテンベルク州
-
黒い森のエーベルシュタイン伯爵家の紋章には黄金の薔薇伝説がある。
2015/07/16~
シュヴァルツヴァルト
-
伝説:『Genovevaゲノフェーファ』とシューマンの唯一のオペラ
2016/10/14~
ラインラント・プファルツ州
-
モーゼル・コッヘムの伝説・エンデルト門とワイン樽
2016/10/14~
コッヘム
-
番外編:トイトブルクの森の戦い・・・新たに確定されたローマ軍団とゲルマン民族の古戦場
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
番外編:ブレーマーハーフェン・メルヘン街道の終点に伝説のクラバウターマンが立つ。
2019/09/18~
ブレーマーハーフェン
-
番外編:伝説・シュヴァーレンベルク城とフォルクヴィン伯の泉
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
番外編:レムゴーの伝説・「ビール樽の紛争(酒税)」が生んだ宰相の泉
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
番外編:処刑された女性たちの叫びを伝える血ぬられた菩提樹(Die Blutlinde)の伝説。
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
番外編:リンテルンのこびと伝説:「豆畑の小人(こびと)Die Zwerge im Erbsenfelde」
2019/09/18~
ニーダーザクセン州
-
番外編:Blombergブロムベルク・アルハイトの盗みと巡礼地となった泉の話
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
番外編:レムゴーの伝説・ミュンスターの侯爵司教に攻められたレムゴーが何故?雄牛を贈ったのか。
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
番外編:「大砲ベルンハルトとか、爆弾ベルンハルト」とオランダ人に畏怖されたミュンスターのガレン侯爵司教のこと
2019/09/18~
ミュンスター
-
番外編:ミンデンの命名伝説・ザクセン公ヴィドゥキントとカール大帝の人形劇
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
-
番外編・伝説:ヴィルヘルムシュタールの太鼓手は突撃せよ!と、太鼓を連打した。
2019/09/18~
カッセル
-
番外編:ホーフガイスマルの町を賭けたサイコロ博打の伝説
2019/09/18~
カッセル
-
伝説・「がちょう番の娘」もドイツ各地にある。
2019/09/18~
ノルトライン・ヴェストファーレン州
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
カッセル(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ドイツの伝説・民話その3
0
10