タルトゥ大学 Tartu Ulikool
史跡・遺跡
3.31
施設情報
クチコミ(9件)
1~9件(全9件中)
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正面にギリシア式の円柱が並ぶ
- 3.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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大学本部はシンボル的な神殿のような建物で、哲学科は、窓から沢山の人がこっちを見ているようにペイントされています。
- 3.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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エストニアで最も古くからある大学
- 4.0
- 旅行時期:2019/09(約6年前)
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エストニアでもっとも古く、かつ有名な大学です。歴史はとても古くスウェーデン統治下の1632年にグスタフ2世アドルフにより建... 続きを読む学されました。その後タルトゥの支配者はロシア帝国に変わりますが、1880年代頃まではバルトドイツ人が中心の大学だったそうです。
1918年のエストニア独立とともにエストニア語が教授言語となりエストニアでもっとも権威のある大学になりました。その後もナチスドイツ、ソビエトによる占領と歴史に翻弄されますが、ソビエト占領下でもリベラルな学風は維持され1980年代以降は民族意識を呼び起こすことにも影響したそうです。
タルトゥの街中に大学施設は点在していますが、1809年に建築されたトーメの丘の下にある本館の建物が一番有名だと思います。時間が間に合わず私は見学できませんでしたが、キャンパス内にはタルトゥ大学美術館もあるそうです。
日本からの留学生もいるらしいです。 閉じる投稿日:2021/12/30
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重厚な外観のタルトゥ大学の本部建物
- 4.5
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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エストニア北西部の大学都市タルトゥ(Tartu)は大学を中心に発達した町です。タルトゥ 大学の本部はローマの建造物のような... 続きを読む重厚な建物でした。この大学は、1632年10月15日にスウェーデン国王グスタフ2世アドルフによって発せられた勅書により設立された「アカデミア・グスタヴィアナ」がタルトゥ大学の前身とされています。エストニアはスエーデン、ロシア、ソ連などに支配されたため、この大学も複雑な発展経緯を経験していますが、今日ではエストニアを代表する大学となっています。
大学本部の建物内には大学美術館がありますが、訪問時には開いていませんでした。2018年1月から8月末までは閉館との表示が出ていました。この他、本部建物の屋根裏に「学生牢」もあり、ガイドツアーで見学ができました。 閉じる投稿日:2018/07/11
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哲学科の校舎の窓から著名な哲学者達が!
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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卒業式でした
- 3.5
- 旅行時期:2017/06(約9年前)
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正面の姿に魅力を感じます。
- 3.0
- 旅行時期:2016/07(約9年前)
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重厚な建物
- 4.0
- 旅行時期:2012/09(約13年前)
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エストニア・タルトゥ:タルトゥ大学があるおかげで、この町は “頭”の町と言われているそうである。
- 4.5
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
2009年10月19日(月)~26日(月)
訪問地;
Lithuania... 続きを読むリトアニア
・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
Latviaラトヴィア
・首都Rigaリガ
Estoniaエストニア
・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン
<2009年10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。>
エストニア第2の大学都市Tartu・文化都市タルトゥ観光
タルトゥ大学があるおかげで、この町は “頭”の町と言われているそうである。
丘を下り、大学通りに入ると、面白いものが目に入った。
建物の壁全体を使って、3階までの窓を描き、その窓から大学の教授たち・・・多分ご本人が顔を覗かせている図だ。
1)タルトゥ大学: (11:15~11:50)
エストニアでもっとも有名なこの大学は1632年にスウェーデン王グスタフ2世Gustavus Ⅱによって創立された。後のリヴォニア戦争などで、約100年閉校する期間もあったが、1802年に再開されている。
Ulikooli大学通りにある大学本部はギリシャ風の6本の円柱が正面を飾り、美しい。
本部の中にはMuseum of Classical Art古典美術博物館がある。
特に大学講堂は18世紀の古典主義様式を顕著に表したもので、円柱が立ち並び、羊の頭の模様などで飾られた、講堂はコンサートホールにも利用されている。
学生数12,000人との事だが、日本人留学生はただ一人。
(因みにエストニア全土で日本人在留者は30人。)
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20分ほど自由時間。思い思いに旧市街のお店やRueuetli通りを歩く。
ギムナジウム中学の前で革袋と思しき小さな球を数人の生徒が、蹴り玉をして遊んでいる。日本の蹴鞠を小さくしたようなものか・・・見ていると難しいらしく、なかなか続かない。金曜日の昼時だが、人通りは少ない。
自宅で昔のように食事する習慣があるのか・・・。
2)聖ヨハネ教会(Jaani Kirik・St. John's Lutheran Church): (12:20~35)
Rueuetli通りを行くと左手にこの教会がある。14世紀にバジリカ様式で、リューベックの職人が造った。16世紀に戦争で破壊された。1944年のソ連軍の攻撃でも破壊されている。ヨーロッパでもあまり例を見ない、1000枚ほどの素焼きの塑像装飾で知られていた。
教会は現在再建中、内部に入ることができるので、解らない説教を聞いてから、パイプオルガンの演奏を聞かせて頂いた。5Krを寄進。
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閉じる投稿日:2024/06/18
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