2018/05/10 - 2018/05/24
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jijidarumaさん
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≪2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅≫
2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間
目的地:バイエルン州フランケン地方・オーバープファルツ地方を中心に巡る。
(ニュルンベルクを中心としたFrankenフランケン地方、レーゲンスブルクを中心としたOstbayern東バイエルンのOberpfalzオーバープファルツ地方)
①5月10日Spessartシュペッサート地方の選帝侯の古城ホテル ヴァイバーヘーフェに泊まる
②5月11日ウンターフランケン地方の要塞都市デッテルバッハ
③5月11日リーメンシュナイダーの傑作マリア巡礼教会にある“ぶどう園のマリア”とマイン川の蛇行
④5月12日フランケン・スイス地方の古城群:ドイツの英雄クラウス・シュタウフェンベルグ大佐ゆかりの城を訪ねる。
⑤5月13日フランケン・スイス地方の古城群:出くわした30年戦争時のツワモノども
番外編・フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
写真はフォルカッハの市庁舎前:オースターアイ(復活祭の卵)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2009年4月から5月にかけて、ドイツ・バイエルン州北部のFrankenフランケン地方とOstbayern東バイエルン地方の北部Oberpfalzを巡った。
番外として、フランケンの春、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が見られる町や村を巡った。
古城ホテル ローテンブーフ城:
この城は古くは1318年頃に遡るものと云う。Hochspessart高地シュぺッサートに位置し、主に狩猟の館として、利用されてきたが、1567年になって、時のマインツ選帝侯(選帝侯:ドイツ皇帝を選出する権限を持った聖俗の7諸侯。マインツ・トリアー・ケルンの3大司教とベーメン王・ブランデンブルク伯・ザクセン伯・ファルツ伯の4大諸侯)Daniel Brendel von Homburgの命により、水城として、改築された。
写真中央は2009.04.17.Schloss Rothenbuch古城ホテル ローテンブーフ城
D-63860 Rothenbuch 、Schloss -
ローテンブーフ城近くの丘にはSchlehe(スピノサスモモBlackthorn)の花が真っ白に咲き誇り、村の中心に古城ホテルの建物がどっしりとした姿を見せている。
写真は2009.04.17.Schlehe(スピノサスモモBlackthorn)の花の群生 -
この年のオースター(復活祭=英語のイースター)は4月半ばで、オースターアイ(復活祭の飾り卵)がまだ飾られていた。
ドイツ語ではオースターの卵は【Ostereiオースターアイ】、オースターのうさぎは【Osterhaseオースターハーゼ】と言い、オースターのシンボルである。
卵とうさぎは、生命の象徴や豊かさを意味している。
ドイツではOsterfest復活祭の休日が金曜日から翌週の月曜日になり、クリスマスと並んでキリスト教の最も重要なお祭りの一つになっている。キリストの復活を祝う一連の祝祭日のこと。キリストは金曜日に磔にされ、その三日後、すなわち次の週の月曜日に復活します。
オースターの卵は本物の卵の殻で作られ、生卵に小さな穴を空け、卵の中身を取り出し、卵の殻にいろんな色で彩色します。各家庭で子供たちが作ります。
この彩色された卵とお菓子を運んでくるのがウサギで、オースターハーゼと称されている。フランケン各地で、これらを見ることができる。
Volkachフォルカッハからは数kmと Zeilitzheimツァイリッツハイムは近い。
写真は2009.04.18.ツァイリッツハイム:オースターアイ(復活祭の卵)の飾り -
昔、滞在した事がある古城ホテルHotel Schloss Saaleck 、Hammelburgが予約できなかったので、この一帯のホテルを調べてみた。
すと、小さな村にこの古城ホテルがあった。フランケンワイン産地のVolkachフォルカッハにも近いが、残念なことに城では夕食がない。小さな村の古城の雰囲気だけを楽しむことにした。
1278年に築城された騎士の居城がこの城の歴史のスタートである。14世紀にはこの辺り一帯の領主の居城となり、以後は帝国貴族の居城となる。
その城の歴史の中でもArgula von Grumbachアルグラ・グルンバッハという領主の娘が宗教改革者マルチン・ルターのフランケンにおける最初の信仰者として、歴史にその名を残している。
写真は2009.04.18.Schloss Zeilitzheimツァイリッツハイム城
D-97509 Kolitzheim-Zeilitzheim 、Marktplatz 14 -
しっとりと朝露に濡れた芝生は緑濃く、生き生きとして、宮殿の背後にこんな見事な庭園があるとは思いもしなかった。庭園の先は木々で見えませんでしたが、Volkachbachフォルカッハ川があるようで、印象をガラッと変えるものでした。
宮殿の壁にフジの蔦がからみ、そろそろ開花の感じに見える。庭園真中には噴水があり、周りをチューリップの花で囲んでいる。桜やライラックの少し赤めの花が満開だ。
写真は2009.04.19.ツァイリッツハイム城の庭園 -
人口7万人の小都市だが、バイエルン州オーバーフランケン行政管区の郡独立市で、バンベルク郡の郡庁所在地である。また、1647年に創立した大学もあり、長い歴史を持ったバンベルク司教・領主の都市である。
写真は2009.04.19.Bambergバンベルク(世界遺産1993年登録):市の象徴的建造物であるAltes Rathaus旧市庁舎 -
つまり、バンベルグはオーバーフランケン地方の中心地である。
千年以上の歴史をもつこの古都は、第二次世界大戦の戦災を免れたため、旧市街は中世そのままの姿を残していて、見どころも多い。
この地は7つの丘で構成されて、“小ローマ”或いは“フランケンのローマ”とも呼ばれる。
古くからドイツ人にとっては、夢の町であり、ロマンの町であったと云うが、魅力あふれた旧市街を訪ねるとこの言葉通りである。
旧市庁舎の辺りを先頭として、二股に分流したレグニッツ川が中州を作っていて、旧市庁舎が建っている橋の下を流れるレグニッツ川は雨の為か、濁って、水嵩もある。カヌー遊びの人が数人、濁流の中を器用に漕ぎながら遊んでいた。
写真は2009.04.19.レグニッツ川と旧市庁舎 -
小高い丘の上に立つDom大聖堂に向かう。1004年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世により、建設が始まり、1012年に完成。4つの尖塔を持つ後期ロマネスク様式の建物である。大聖堂は長さ約94m、幅28m、高さ26mで、尖塔の高さはいずれも約81mと大聖堂の名に相応しい。
大聖堂の内部は中世西洋彫刻の宝庫ともいわれる。中世騎士の理想を表したというDer Bamberger Reiter バンベルクの騎士像は特に有名で、等身大の彫刻の最初のものとされ、ハンガリーの建国者・聖シュティファンがモデルとも云う。ファイト・シュトク作のマリア聖壇も素晴らしいもの。
写真は2009.04.19.バンベルク大聖堂:バンベルクの騎士像 -
また、神聖ローマ帝国で唯一の聖人と呼ばれた皇帝Heinrichハインリヒ2世と皇妃Kunigundeクニグンデの壮麗な大理石の比翼の柩がある。
この墓はリーメンシュナイダーが彫り上げたもので、彼の代表作と云われる。柩の3つの側面には皇帝ハインリヒと皇后クニグンデにまつわる伝説が描かれている。
その伝説とはこうだ。
「ハインリヒの病気の奇跡」
皇帝ハインリヒ(中央)は結石の痛みにおそわれる。右側の侍従(医者?)は絶望しているが、左から僧侶(聖ベネディクト)が現れ、王が気づかぬうちに手術を行う。
「ハインリッヒの夢」
右手に剣を持つのは大天使ミヒャエル。彼の持つ天秤に、聖ローレンティウスが聖杯を善の皿に載せている。反対側で皿を引っ張っているのは小悪魔。王は左端で祈っている。
「皇后クニグンデの神明裁判」
皇后の貞操は汚れているとの訴えがあり、皇后クニグンデは神明裁判を受けた。裸足で灼熱の鉄の犁を踏んで渡っている。結果火傷することなく、皇后の潔白が証明される。左で王が見守っている。
「皿の奇跡」
シュティファン教会の建設の際、報酬の支払いの不平等があったと皇后に訴えた。そこで毎日皇后がお皿にお金を載せ、工夫を一人ずつ呼んで賃金をつかんで持って行かせた。この際、つかみ取るお金は正確にその日の仕事に応じた中身であった。
「ハインリヒの逝去」
ハインリヒの周りに皇后クニグンデを初めとして多くの人が見守る。右下の臣下は実は悪魔で皇帝を誘惑している。
写真は2009.04.19.バンベルク大聖堂:リーメンシュナイダーの代表作・ハインリヒ2世と皇妃クニグンデの比翼の柩 -
<Die Burgenstrasse古城街道 ・Fraenkische Schweizの古城群>
フランケンのスイス地方の西の玄関口・1200年の歴史を誇るForchheimフォルヒハイムの町に入る。フォルヒハイムは古い王都であり、『フレンキシェ・シュヴァイツの表門』を称している。
写真は2009.04.20.フランケン・スイスのMap -
ここでの観光はKaiserpfalz-Die Pfalz『皇帝の宮廷』・王宮博物館と市庁舎だが、小さな町の中心にあった。市庁舎の建物は後ゴシック様式の木組み建築様式であり、旧市街には木組み建築様式の美しい建物が多い。
<Kaiserpfalz-Die Pfalz『皇帝の宮廷』>
8世紀のフランク王国の宮廷が、この町に置かれていたので、帝国会議や諸侯会議が幾度も開催されている。
911年にはコンラート1世がこの町において初代「ドイツ王」に選出され、戴冠された事由もあり、Die Pfalz『皇帝の宮廷』と呼ばれるようになった。
その後、14世紀にバンベルグの大司教がレジデンスを建て、その後ゴシック様式の建物は近年、大改装されて、今は郷土博物館になっている。その建物の内壁に残る、壁画は14世紀のKranichmensch馬上の鶴人間、Meeresgott Triton半人半魚の海神を描いた素晴らしいものだと云う。
歴史的には世界史に名高い“カノッサの屈辱”(1077年、聖職叙任権を教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が争い、教皇に4世が破門された為、北イタリアのCanossa城で雪中に許しを請い、漸く許しを得た事件である。これをテーマにした宗教画が博物館などで見ることいができる)の頃、この町でハインリヒ4世に対抗するルドルフ・フォン・ラインフェルデンが王に選出された事があった。
写真は2009.04.20.フォルヒハイム:Kaiserpfalz-Die Pfalz『皇帝の宮廷』・王宮博物館 -
イチオシ
Die Pfalzの深い堀の外に大司教のマリア礼拝堂が立っている。礼拝堂前の小さな庭には春を彩るチューリップなど、見事な花々であふれていた。ここの噴水でも、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が美しく飾られている。祭りを身近に見たいものだ。
写真は2009.04.20.フォルヒハイム:マリア礼拝堂前のオースターアイ(復活祭の飾り卵) -
市庁舎前にある、第一次大戦の戦死者を顕彰した噴水をオースターアイ(復活祭の飾り卵)で、王冠の形に(フランケンはどこの町も同じで・・・)きれいに飾っていた。
今年は4月半ばの復活祭でしたので、私が旅に出たのは1週間遅れでした。それでも町々にはその名残がありました。この種のものは初めて見る光景でした。
フランケン地方では普通の光景のようで、Fraenkische Schweizフレンキッシェ・シュヴァイツ(フランケンのスイス)地域では、200の町や村が復活祭には見事なOsterbrunnenオースターの泉を作る事で知られているようだ。
写真は2009.04.20.フォルヒハイム市庁舎前:Osterbrunnenオースターの泉 -
<三十年戦争の逸話>
『皇帝の宮廷』は三十年戦争に、何度もスウェーデン軍の包囲を受けたが、一度も占領を受けなかったと云う。
面白い事に、この頃、フォルヒハイムの人を指して “Mauerscheisser” (壁のような糞をする奴!)という蔑称で呼んだそうだ。
つまり、この町には豊かな食糧備蓄があり、包囲戦の効果が出ないことを意味したわけだ。
更にこの狭い町に多くの兵士を駐屯させた結果、町には伝染病が発生した。この為、ここを訪れた人は病気になって帰るという噂が広まった。
この事で、まるで病気のように青ざめた人を指して、「フォルヒハイムの死に神のような!」(“wie der Forchheimer Tod” または “wie der Tod von/aus Forchheim”) という言い方ができたと云う。
写真は2009.12.12.市庁舎前にある、第一次大戦の戦死者を顕彰した噴水 -
又、アドベントの時期に市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』でも知られている。 http://www.forchheim.de/
写真は2009.12.12.市庁舎自身がアドベントカレンダーの姿になる
<Forchheimのクリスマス市>
市庁舎自身がアドベントカレンダーになる姿を今回見に来た。
アドベントの時期に市庁舎は『世界で最も美しいアドベントカレンダー』に変貌する。ドイツの小さな町で行われているクリスマスに、こうした姿のアドベントカレンダーがあるのは、あまり知られていない。これを最初に考え、始めた人・町はスゴイことで、世の中には知恵者がいるものだ。
ニュルンベルクから40kmほどの距離にあるForchheimフォルヒハイムで行われると知ったのも、春の旅でたまたま町の観光局のHPを読んで、分かったものでした。
クリスマスの旅に是非ここを行程に入れたいと思ったのです。 -
イチオシ
フォルヒハイムの市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』;
今日は右端の12の窓が夕刻になると開くらしい!茶色の筋に緑の窓、窓の中の数字は黄色と色彩も好ましい。木組み建築の市庁舎を利用した、この町のアドベントカレンダーはなるほど、評判通りのものです。
毎日窓を開いた後は、絵はそのままにしているので、それが見える。黄色が背景になって、白い犬、熊、サンタクロース、贈り物を載せた橇、花、贈り物の本を読む子、蝋燭、兵隊(クルミ割り人形?)など11の窓が開かれている。
12日の窓はどんな絵柄なのだろうか?!
私共の写真を撮ってくれた地元の方から、夕方まで過ごしたらと勧められましたが、残念ながら夜までおれません。午後6時過ぎの夜の景観を見てみたいものだ・・・。
ここはBambergとNuernbergの中間ぐらいにあり、あまり知られていないようで、日本人は殆ど来ないだろう。
写真は2009.12.12.市庁舎自身がアドベントカレンダーの姿になる -
夕食をMuggendorf/Wiesenttalムッゲンドルフ・ヴィーゼンタールのHotel Restaurant Feilerファイラーにてとった。
シュパーゲル(アスパラ)料理を中心に選んだ。
写真は2009.04.20.Hotel Restaurant Feiler
D-91346 Muggendorf/Wiesenttal 、Oberer Markt 4
全14室・?星
Fraenkische Schweizの中央・Wiesenttalヴィーゼンタールの絵のように美しい保養地に位置し、創業100年の歴史を誇る木組み建築の建物は5代にわたってホテル・レストランを経営してきたことを物語っている。
フレンキッシェ・シュヴァイツの郷土料理を得意としたグルメなプチホテルである。山間部の特色を生かしたジビエ料理やフランケンワイン・地ビールを楽しめる。
木組み建築の建物はテレジアン・イエローの壁を茶色と緑で枠取りした、美しい外観を持ち、たいへんセンスの良いレストラン内部には感心させられた。
古城ホテルが予約できなかったら、多分ここを選んでいただろう。
*残念なことに2018年4月に営業をやめた。
シェフの病気と後継者がいないことが理由だった。 -
イチオシ
“花に飾られたグルメレストラン”がホテルのモットーだけに、落ち着いた緑を基調にした、ロマンチィックな、インテリアセンスが素晴らしい。
暖炉のある部屋は30名ほどの席があり、様々なフランケンワインの瓶、古い食器・陶器、鳥や植物の絵で飾れていた。
・・・・・
さてここでは最初にお酒を頼むか?考えたのです。食事後まだ24km先まで走ることを思った所為ですが、昔と違って、厳しいと聞いていたから、給仕嬢に聞いてみると、さすがにはっきりは言わない。
この会話を聞いていた隣席の老夫婦のご主人が笑いながら『酔うと二つの眼が広くなる。』(つまり、道路が倍の広さになるから心配ないよ!?)と冗談を言う。このホテルの滞在客でStuttgartより、毎年、春・秋の二回、この地域に来られるとか。
大学教授のような御主人は74歳で、明るい笑顔の奥さまは私共と同じ65歳だそうだ。『昨年の春は、ここは大雪で、大変でしたよ。』とか、食事の合間に話も弾む。
こちらからも“フランケンのスイスとか、バンベルグの小ベネチィアとかいった言い方はドイツとしては、つまらない言い方ではないか?!”と聞くと、『そうだが、150年ほど前から、こうした言い方は広まってしまい、今は対外的にはその言葉の宣伝効果を評価してのことでしょう。』そして、こんな事を知っているかと更に聞く。
写真は2009.04.20.Hotel Restaurant Feilerファイラー:」レストラン -
『一つの町に教会が2つ、3つのビール会社。』・・・つまり、この数はフランケンのスイス地方の様子を言っていて、どんな小さな町でも教会は新旧の宗派に従って、2つある。更に驚くのはビール会社の数が多いということだ。この辺りを走った一日、その通りの光景に出合った。
御主人が『ドイツ婦人の3大必須事項は何か?』と、またまた私どもに聞く。
『答えは洗濯・掃除・食事を作ること。』だそうです。
日本も同じようなもの!だが、ドイツのご婦人たちの徹底した家事の姿を知っているので、納得です。話も面白く、もっとあったようだが書き記したのではないので、これ以上は思い出せない。
別れ際に“お二人の写真を旅の記念に御撮りして良いですか?”と聞くと、『Nein!』との応えです。“写真はその撮られた人の精神を吸い取ってしまうと言いますからね!”と申し上げると、ニコッと笑っていました。
今夕は予想もしない、楽しい夕食になりました。旅の醍醐味です。
写真は2009.04.20.Hotel Restaurant Feilerファイラー:レストラン -
ムッゲンドルフ・ヴィーゼンターから20 kmでこれも岩壁上のエグロフシュタイン城が目に入った。
村に入った道路際に“Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道”の標識があって、
写真は2009.04.20.エグロフシュタイン:古城街道の標識 -
Burg Egloffstein エグロフシュタイン城
D-91349 Egloffstein 、Rittergasse 80b
Trubachtalトゥルバッハ谷に臨み、100mの高さの岩壁に立つ古城Egloffsteinの姿は絵画的な美しさである。
この城は9世紀に築城したEgiloffという騎士がEgloffsteinと名付けたとされている。11世紀にはこの辺りを支配する騎士・領主の居城となるが、しばしば城は破壊されたと云う。30年戦争では特に大きな被害を受けたが、再建されている。
1750年にはプロテスタントの教会も古城の横に創建されて、今に残っている。
代々の伯爵家の中でも、Julie伯妃は画家としてもその名を残し、1816年~29年まで、ワイマールに滞在し、かのゲーテとも親交を深めたとある。その後、ミュンヘンに至り、バイエルン王ルードヴィッヒ1世や王妃の肖像画を描いたと伝えられている。
現在も貴族の後裔によって、城は所有され、城内には博物館が併設されている。
写真は2009.04.21.エグロフシュタイン城:美しい城 -
今の城主は70歳である。貴族階級に見られる長身で、年齢以上に頑健な体は、軍人だった過去を窺い知ることができる。25年の軍務の間、外国を含めて、転勤続きの生活だったと言う。退役と共に漸く、故郷に戻ってきたのだと言っていた。
ともかく、古城の維持は大変な様子であった。城主夫人は目下、旅行中の由で会えなかったが、息子と娘がいて、孫も3人である。城主の素晴らしい家具の置かれた居間に通された時に家族の写真を拝見して分かった。
Jaegerhaus (城内の狩猟館)にもFerienwohnungが2部屋あり、そこに宿泊すると思っていたのだが、多分、管理上もあってか、城主の住む棟並びの部屋を提供された。
芝生のテラスに面した1階には良くできた素晴らしい居間と自炊用の台所があり、2階には梁がむき出しとなった寝室があり、バイエルン風の家具や、がっちりしたダブルベッドが置かれていた。隣にはモダンな浴室、書庫などがあるメゾネットタイプのものです。誠に各部屋は色彩のセンスも良く、広々としたもので、普段は家族の帰省時に使うものを提供されたと思われた。
城に到着と共に、城主自ら、親切に部屋を隅から隅まで、案内・説明して頂いて、大変恐縮した。
写真は2009.04.21.エグロフシュタイン城:美しい城と宿泊棟 -
気温も既に16℃と暖かな朝だ。ライラックやリンゴの花も満開で、車を走らせる両側はリンゴの木が真っ白な花を咲かせている。分かりにくい、村道を道に迷いつつ走る。
写真は2009.04.21.リンゴの木の真っ白な花が目立つ -
岩壁上に素晴らしい姿を見せたBurg Rabensteinラーベンシュタイン城を訪問した。
“Die Perle im Ailsbachtalアイルス谷の真珠”と讃えられる、この城の最も古い部分は、12世紀のヴァイシェンフェルトの騎士が猟の際に待ち伏せ所を造ったのが、元々の始まりだと云われている。この当時にラーベンシュタインの騎士がこの城の築城を任されて、今に残るRabenカラスの紋章を使用したと文献にある。
(カラスが付いたRabenstein城の紋章は大変珍しい。Rabeはカラスの意(悪人の転意もあり)です。Rabesteinには刑場・・・腐肉を食べにカラスが集まる場所と意味もあるそうですから、古城の名前も大変なもの)
14世紀には城主がしばしば変わり、中にはSchluesselberg家やNuernberg伯、Konrad von Aufsess男爵などがいた。
1460年、城は破壊されるが、1489年にはKonz von Wirsbergにより再建された。1557年ラーベンシュタイン家のものになり、その居城となった。1570年Daniel von Rabensteinがルネッサンス風翼を持った、フランケンのスイスで最も大きな城に改築した。30年戦争ではスウェーデン軍側に立ったため、大部分の城郭は破壊される。最も初期の時代のVorburg(一の丸)が残り、これを居城とした。時と共に少しずつ、城は再建されていく。
1742年ラーベンシュタイン一族が死に絶えて、騎士領はSchoenborn-Wiesentheid伯のものとなる。1830年バロックの城館も所有。1829~30年にはバイエルン王ルードヴィッヒ1世が奥方と訪問したことで、城館はさらに美しく変わった。
1970年大改修が行われ、古城は再び、生きかえることになる。1975年までの長い間、Schoenborn伯爵家の居城として、維持されてきた。
2004年にBurg Rabenstein Event GmbH有限会社の所有となり、現在、城は素晴らしい22部屋を持った古城ホテルとして利用されている。また、様々な催し(騎士の食卓、コンサート、演劇、音楽ショー、講演など)、の為に使用されていて、大変面白そうである。
観光シーズンの夏には近くのケルト時代の村落“Keltendorf”で、“中世の市”(中世の騎士などの扮装をして)が再現されて、大きな催しになっている。
又、Sophienhoehleソフィーエンヘーエ鍾乳洞やFalknerei鷹匠の実演(毎日3時・80羽を所有する。)も見ることができる。
写真は2009.04.21.Fraenkische Schweizの古城群:Burg Rabensteinラーベンシュタイン城の遠望 -
ポッテンシュタイン城は同じ名前の町の頭上に聳え立っている。
上マインとペグニッツ地域における南東への備えとして、10世紀の頃、初めて築城されたらしい。
800年にわたるバンベルグ司教・領主の支配の後、現在は1918年から、Wintzingerodeの領主による、個人所有の城になっている。
城内博物館には歴史的な古文書、武器、肉筆複写機の3つを中心に展示されている。
この 城の本丸には1228年に聖エリザベート(チューリンゲン方伯妃)が滞在した事を記念したエリザベートの間があり、騎士の間、赤のサロン、天守閣の残部などが見られる。泉の家には陶磁器、ガラス、郷土の品などが飾られているのだと云う。
写真は2009.04.21.Fraenkische Schweizの古城群:Burg Pottensteinポッテンシュタイン城を見上げて -
家族経営のホテルの前庭にはオースターアイが、庭木に一杯吊り下げられていた。初めて見た、不思議な光景だった。
写真は2009.04.21.Egloffsteinエグロフシュタイン・Gasthof Zur Postガストホフ ツール ポスト(夕食) -
Egloffstein エグロフシュタインを出発。Ottenhofオッテンホフの村で珍しい復活祭の兎の人形を見る。
この地域はこうした風習なのだろうが、初めて見る楽しい人形。小屋の中に子供の兎が3匹居て、外のベンチに人間の洋服を着た、人間並みの大きな兎の夫婦が座っている。小屋や傍の木には色とりどりに塗られた、オースターアイ(復活祭の卵)が飾ってある。
写真は2009.04.23.復活祭の兎の人形とオースターアイ(復活祭の卵) -
Kulmbachクルムバッハから20kmのWirsbergヴィルスベルクに1泊した
朝の散歩でこんな光景に出くわした。
写真は2009.04.23.復活祭の兎の人形とオースターアイ(復活祭の卵) -
Herrmanns Romantik Posthotel
D-95339 Wirsberg 、Marktplatz 11
バイロイトの北22kmにある、Wirsbergヴィルスベルク村の中心のマルクト広場に面して建っている。1869年以来のファミリー経営のグルメホテル。
ここは鱒も住むKoselとSchorgast川に沿った、人口2000人の小さな村である。
Frankenwaldの自然保護公園の南端に位置し、海抜370m~550mにあって、“Oberfranken上部フランケンの宝石“とも称される、保養地である。
写真は2009.04.23.復活祭の兎の人形とオースターアイ(復活祭の卵) -
イチオシ
Volkachフォルカッハの市庁舎前の噴水は王冠の如く、このように飾られていた。
写真は2009.04.28.フォルカッハの市庁舎前:オースターアイ(復活祭の卵) -
1100年以上の歴史を誇る、ワインの町Volkachフォルカッハに入ると、春には復活祭の飾り卵で覆われていた市庁舎前の噴水像は、小雪の降る中で、今度はたくさんのクリスマスプレゼントで飾られていた。
写真は2009.12.13.フォルカッハの市庁舎前:クリスマスプレゼントで飾られていた。
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