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以前にドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅(2014年05月09日~23日  15日間)でシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州のグリュックスブルク城を訪れたことがある。この時、グリュックスブルク公爵家の家系がすごいことに気付いた。<br />それで≪“ヨーロッパの義父”と呼ばれたデンマーク王クリスチャン9世“≫について書いている。<br />https://4travel.jp/travelogue/10980323<br /><br />Schloss Gluecksburgグリュックスブルク城<br />D-24960 Gluecksburg  、Am Schlosssee 1 <br />http://www.schloss-gluecksburg.de/<br /><br />ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ、ザールラント地方を巡る旅(2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間)で、旅の後半に訪れたイーダー・オーバーシュタインでも「ヨーロッパの祖母」の話があった。<br /><br />写真は「ヨーロッパの祖母」Hessen-Darmstadtヘッセン・ダルムシュタット方伯妃Maria Luise Albertine von Leiningen-Heidesheimライニンゲン・ハイデスハイム家マリア・ルイーズ・アルベルティーネ 

イーダー・オーバーシュタイン:“Die Grossmutter Europasヨーロッパの祖母”

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2010/10/18 - 2010/11/01

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旅行記グループ ドイツ:番外編様々

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jijidaruma

jijidarumaさん

以前にドイツの春:北方二州・シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州&メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅(2014年05月09日~23日  15日間)でシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州のグリュックスブルク城を訪れたことがある。この時、グリュックスブルク公爵家の家系がすごいことに気付いた。
それで≪“ヨーロッパの義父”と呼ばれたデンマーク王クリスチャン9世“≫について書いている。
https://4travel.jp/travelogue/10980323

Schloss Gluecksburgグリュックスブルク城
D-24960 Gluecksburg  、Am Schlosssee 1
http://www.schloss-gluecksburg.de/

ドイツワイン街道とラインラント・プファルツ、ザールラント地方を巡る旅(2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間)で、旅の後半に訪れたイーダー・オーバーシュタインでも「ヨーロッパの祖母」の話があった。

写真は「ヨーロッパの祖母」Hessen-Darmstadtヘッセン・ダルムシュタット方伯妃Maria Luise Albertine von Leiningen-Heidesheimライニンゲン・ハイデスハイム家マリア・ルイーズ・アルベルティーネ 

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • ボッセルシュタイン城は1600年までシュタインの領主の居城であったが、その後、戦争で破壊されたまま城壁などが残っている。<br /><br />オーバーシュタイン城は15世紀にはGraf Wyrich IV.ビリッヒ4世伯爵(1415?1501年)により、大きく、強固なものに変えられている。<br />1624年Grafen von Daun-Obersteinダウン・オーバーシュタイン伯爵家の居城として、1682年最後の伯爵まで続いた。<br /><br />プファルツ継承戦争後、占領軍であるフランス軍はこの城を強固に要塞化した。<br />1697年、ダウン・オーバーシュタイン伯爵家の係累が所有したが、1792年からはフランス革命軍の治下に置かれた。<br />1804年になると競売で城はリッター家の所有となっている。<br /><br />1815年、オーバーシュタインは再びドイツに戻り、1818年からはビルケンフェルト侯爵家(Birkenfeld zu Oldenburg)のものとなったものの、1855年の大火災で廃墟となった。<br />建物の一部は再建されて、コンサート、結婚式、家族の催しなどに利用されている。<br />5月には中世祭り、8月の劇場、クリスマス市などもあるようだ。<br /><br />写真はIdar-Oberstein:イーダー・オーバーシュタイン博物館obersteinMap

    ボッセルシュタイン城は1600年までシュタインの領主の居城であったが、その後、戦争で破壊されたまま城壁などが残っている。

    オーバーシュタイン城は15世紀にはGraf Wyrich IV.ビリッヒ4世伯爵(1415?1501年)により、大きく、強固なものに変えられている。
    1624年Grafen von Daun-Obersteinダウン・オーバーシュタイン伯爵家の居城として、1682年最後の伯爵まで続いた。

    プファルツ継承戦争後、占領軍であるフランス軍はこの城を強固に要塞化した。
    1697年、ダウン・オーバーシュタイン伯爵家の係累が所有したが、1792年からはフランス革命軍の治下に置かれた。
    1804年になると競売で城はリッター家の所有となっている。

    1815年、オーバーシュタインは再びドイツに戻り、1818年からはビルケンフェルト侯爵家(Birkenfeld zu Oldenburg)のものとなったものの、1855年の大火災で廃墟となった。
    建物の一部は再建されて、コンサート、結婚式、家族の催しなどに利用されている。
    5月には中世祭り、8月の劇場、クリスマス市などもあるようだ。

    写真はIdar-Oberstein:イーダー・オーバーシュタイン博物館obersteinMap

  • 1682年、die Grafen von Leiningen-Heidesheimライニンゲン・ハイデスハイム伯爵家が オーバーシュタイン城の城主となった。<br /><br />写真はOberstein_Merian1654年のメリアン作オーバーシュタイン城<br />

    1682年、die Grafen von Leiningen-Heidesheimライニンゲン・ハイデスハイム伯爵家が オーバーシュタイン城の城主となった。

    写真はOberstein_Merian1654年のメリアン作オーバーシュタイン城

  • 写真はIdar-Obersteinイーダー・オーバーシュタイン、An der Nahe um 1900年頃のナーエ川と古城群

    写真はIdar-Obersteinイーダー・オーバーシュタイン、An der Nahe um 1900年頃のナーエ川と古城群

  • 写真は現在のイーダー・オーバーシュタインの古城群:<br />Obersteinオーバーシュタインの旧市街の上、岩山には二つの城址が見える。<br />右手にBurg Bosselsteinブルク ボッセルシュタイン城(1150年頃に築城)、左にSchloss Obersteinシュロス オーバーシュタイン(1320年築城)である。<br />

    写真は現在のイーダー・オーバーシュタインの古城群:
    Obersteinオーバーシュタインの旧市街の上、岩山には二つの城址が見える。
    右手にBurg Bosselsteinブルク ボッセルシュタイン城(1150年頃に築城)、左にSchloss Obersteinシュロス オーバーシュタイン(1320年築城)である。

  • オーバーシュタイン城の事を読んでいたら、【ヨーロッパの祖母はオーバーシュタイン出身であり、もしくは名門貴族はオーバーシュタイン出身だ。”Die  Grossmutter  Europas“ oder  Blaues Blut  aus  Oberstein 】とあった。<br /><br />当地のシュタイン家、あるいはダウン・オーバーシュタイン家はヨーロッパ各国の王家の血にかかわっている。多くの家系図にそのことを知ることができる。<br /><br />Wilhelm Wyrichヴィルヘルム・ビリッヒ (1613-1682)の曾曾孫娘であるMaria Luise Albertine von Leiningen-Heidesheimライニンゲン・ハイデスハイム家マリア・ルイーズ・アルベルティーネはWilhelm von Hessen-Darmstadtヘッセン・ダルムシュタット家のヴィルヘルム方伯に嫁ぎ、彼女の3人の娘は直接、もしくはその子孫を通して、ヨーロッパの主要王家、王族と婚姻関係を結んでいる。<br /><br />写真はヘッセン・ダルムシュタット方伯一家(Georg_Wilhelm_von_Hessen-Darmstadt)

    オーバーシュタイン城の事を読んでいたら、【ヨーロッパの祖母はオーバーシュタイン出身であり、もしくは名門貴族はオーバーシュタイン出身だ。”Die Grossmutter Europas“ oder Blaues Blut aus Oberstein 】とあった。

    当地のシュタイン家、あるいはダウン・オーバーシュタイン家はヨーロッパ各国の王家の血にかかわっている。多くの家系図にそのことを知ることができる。

    Wilhelm Wyrichヴィルヘルム・ビリッヒ (1613-1682)の曾曾孫娘であるMaria Luise Albertine von Leiningen-Heidesheimライニンゲン・ハイデスハイム家マリア・ルイーズ・アルベルティーネはWilhelm von Hessen-Darmstadtヘッセン・ダルムシュタット家のヴィルヘルム方伯に嫁ぎ、彼女の3人の娘は直接、もしくはその子孫を通して、ヨーロッパの主要王家、王族と婚姻関係を結んでいる。

    写真はヘッセン・ダルムシュタット方伯一家(Georg_Wilhelm_von_Hessen-Darmstadt)

  • Maria Luise Albertineマリア・ルイーズ・アルベルティーネは王家との姻戚関係に依って、十分な敬意を持って【ヨーロッパの祖母】と呼ばれている。<br /><br />かつての王家あるいは王族、今日なお統治する王家、また小国の王家も、シュタイン家やダウン・オーバーシュタイン家の子孫なのである。<br /><br />それらの国はバイエルン、ブルガリア、英国、デンマーク、ギリシャ、ハノーファー、ルクセンブルク、オーストリア、プロイセン、ルーマニア、ロシア、スウェーデン、スペイン、ヴュルテンベルクである。<br /><br />写真はヨーロッパの祖母と称されたヘッセン・ダルムシュタット方伯妃・ライニンゲン・ハイデスハイム家マリア・ルイーズ・アルベルティーネ 

    Maria Luise Albertineマリア・ルイーズ・アルベルティーネは王家との姻戚関係に依って、十分な敬意を持って【ヨーロッパの祖母】と呼ばれている。

    かつての王家あるいは王族、今日なお統治する王家、また小国の王家も、シュタイン家やダウン・オーバーシュタイン家の子孫なのである。

    それらの国はバイエルン、ブルガリア、英国、デンマーク、ギリシャ、ハノーファー、ルクセンブルク、オーストリア、プロイセン、ルーマニア、ロシア、スウェーデン、スペイン、ヴュルテンベルクである。

    写真はヨーロッパの祖母と称されたヘッセン・ダルムシュタット方伯妃・ライニンゲン・ハイデスハイム家マリア・ルイーズ・アルベルティーネ 

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