2018/05/05 - 2018/05/05
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kojikojiさん
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マドリッド2日目は「プラド美術館」からスタートです。マドリッドは3回目ですがプラドは全開の旅では見学しなかったので2回目です。以前は写真撮影が可能でしたが、現在は禁止になってしまっているのでちょっとテンションが下がり気味の上に体調は絶不調です。妻は2度目のマドリッドですが30年前に来たときは仕事先の現地駐在の方に手配していただいた日本人のガイドさんと王宮からプエルタ・デル・ソルを見た後にプラド美術館に向かって歩いていてひったくりに遭ったそうです。妻は座り込んでバックを抱えたので実質的な被害は無かったのですが、ガイドさんはケガをされてその日の観光はそこで終わりになったそうです。その時の怖さもあってスペインから遠ざかっていましたが、今回の旅は「元気なうちにスペインに復讐する。」という目的がありました。「プラド美術館」は妻のそんな気持ちの集大成でもあります。チケットは買ってあったのでゴヤ門から中に入り、荷物を預けて身軽になっての見学です。写真は撮れないので昔の写真や家にあった各作家のカタログ・レゾネから撮影したものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「東方三博士の礼拝」ディエゴ・ベラスケス
かつてはスルバランの作品とされてたこともあるそうです。ベラスケスの初期作品の大きな特徴である陰影法に基づく、客観的な写実性を見てとれます。三博士には師パチェーコや自分自身を、聖母マリアにはパチェーコの娘でありベラスケスの妻でもあるフアナ・パチェーコ、幼子イエスには娘をモデルにしています。スペインを旅していた期間を含め日本のベラスケス展に貸し出されていました。 -
「フェリペ4世の肖像」ディエゴ・ベラスケス
ベラスケスは国王フェリペ4世に仕え、その生涯王の為に絵を描いています。時代は斜陽の17世紀のスペイン帝国ですが、絵画的には黄金時代でスルバランとリベラ、ムリーリョなど天才的な画家たちが同時期に活躍しています。その中でもベラスケスはフェリペ4世の寵愛のを受け、24歳で国王付きの画家になり並外れた成功を手にしています。 -
「鎧を着たフェリペ4世」ディエゴ・ベラスケス
この時代のベラスケスの肖像画を観ているとウイーンの美術史美術館に収蔵されている王家の肖像画を思い出してしまいます。そしてハプスブルグ家の歴史をいろいろ思い出させます。 -
「バッコスの勝利」ディエゴ・ベラスケス
ベラスケスの中期の傑作です。一目でカラヴァッジオの影響を深く感じる構図です。 -
バッコスの勝利というよりは酔っぱらいたちという題名の方があっているような気がします。中世の市井の男たちと神話に出てくるバッコスの姿の対比が面白いです。
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イタリアの印象派画家ジュゼッペ・ペッリツァ・ダ・ヴォルペードの描いた「Ii Quatro Stato」(第4階層)の絵を思い出します。ベルトリッチ監督の「1900年」という映画のオープニングで使われている絵画と小作人頭レオ・ダルコの姿に重なります。
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酒と豊穣の神でディオニュソスとも呼ばれる酒神バッコスを始めとする神話的表現は、バロック絵画の巨匠であり友人でもあったルーベンスの得意とする題材であり、ベラスケスもここから影響を受けていると考えられます。ただ、酒嫌いだったルーベンスの描くバッコスの姿は醜い太った男の姿ばかりです。
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「ウルカヌスの鍛冶場」ディエゴ・ベラスケス
太陽神アポロンが、軍神マルスと通じた愛と美の女神ヴィーナスの不貞を、ヴィーナスの夫である火と鍛冶の神ウルカヌスに密告するために訪れた場面を描いているとされます。 -
ウルカヌスにはまるで神々しさが感じられず、とてもヴィーナスの夫には見えません。周りには他の職人もいるし画面構成上ちょっと違和感を感じます。
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「キリストの磔刑」(サン・プラシドのキリスト)ディエゴ・ベラスケス
マドリッドのベネディクト会サン・プラシド修道院の依頼により制作されたため「サン・プラシドのキリスト」とも呼ばれます。セビリアの伝統的な図像学に基づき、イエスの両足は重ねられることなく平行にされ、両手と合わせて合計4本の杭で打ちつけられています。 -
「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」ユダヤ人の王、ナザレのイエスという言葉がヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれています。このセビリアスタイルの磔刑図は今回セビリア美術館でスルバランが描いた2枚の作品を観ましたがその透明感には感動しました。
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スルバランの作品のキリストの顔はほとんど暗く表情は読み取れませんでしたが、ベラスケスのキリストはうつむいた顔に流れる血まで描かれています。
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「槍(ブレダの開城)」ディエゴ・ベラスケス
1625年のブレダ陥落は八十年戦争後半において数少ないスペイン軍大勝利の1つです。ブレダは国境線近くにあるオランダの都市でアルバ公の支配を受け、10年後に奪還されるも再び襲撃を受けます。町はオラニエ・ナッサウ家の所領で、堅固な城で守られていました。 -
オランダ側の名将オラニエ公マウリッツ・ファン・ナッサウはスピノラと互角の戦いを交わしていましたが、包囲戦が終了する前に死亡しています。その後を継いだオラニエ公フレデリック・ヘンドリックはオランダ軍の勢いを盛り返そうしますが最終的に降伏します。スペインを旅していてもオランダのデルフトでオラニエ公ウィレム1世についていろいろ学んでいるので彼の息子たちに想いを寄せてしまいます。
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「道化パブロ・デ・バリャドリード」ディエゴ・ベラスケス
バリャドリッドのパブロあるいはパブリオスと呼ばれ、王室付きのピエロとしてフェリペ4世に仕えています。印象派の画家マネが1865年にスペインを訪問し、この絵を見て「背景が消え、空気だけが人物を包んでいる」とアンリ・ファンタン・ラトゥールに手紙を書いています。 -
この絵を観てマネは「笛を吹く少年」を描いています。見比べてみるとその背景は酷似しているように見えます。
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「道化師ファン・カラバーサス」ディエゴ・ベラスケス
道化を描いた肖像画シリーズの1枚で、狩猟のための館を飾っていました。フアン・カラバーサスは目の不自由な道化で、フェルナンド親王に仕えたのちにフェリペ4世の宮廷に入ります。愚鈍を意味する瓢箪が2つ床に置かれています。 -
「聖アントニウスと聖パウルス」ディエゴ・ベラスケス
聖アントニウスはエジプトのコマで3世紀に生まれ、砂漠に隠遁して苦行に身を捧げました。砂漠で修行している最中に天使からお告げを受け、自分より年長でより敬虔な人物が修行していることを知りその人物と出会います。それが聖パウルスでエジプトのテバイで生まれた隠修士で、お互いに尊敬に満ちた会話を交わしていると食事の時間になります。聖パウルスはいつも天から遣わされるカラスが運んでくるパンによって生活していた。アントニウスの分のパンについて心配していましたが、カラスはその日は2人分のパンを運んできました。この伝説は聖ヒエロニムスが最初に記録し、その後ヤコブス・デ・ウォラギネによる聖人伝説集「黄金伝説」に収録されて中世から近世にかけて一般民衆にまで広く知られるエピソードとなりました。 -
「マルス」ディエゴ・ベラスケス
この作品も2018年は日本に貸し出されていました。 -
「バリェーカスの少年フランッスコ・レスカーノ」ディエゴ・ベラスケス
皇太子バルラザール・カルロスに仕えた人物です。 -
「道化師エル・プリモ」ディエゴ・ベラスケス
王家では古くは愚者を雇い、中世には宮廷道化師を召抱えていました。愚者には2つのタイプがあり先天的な者と自由な言動を認められた者です。両者は共にその振る舞いを許されていましたが、前者は愚かしくまたは狂っているように見えるので「どうしようもない」という理由からその言動を許され、後者は取り決めによってその言動を許されていました。 -
この作品を観るとテリー・ギリアム監督の「バンデットQ」という映画を思い出してしまいます。イギリス人の少年ケヴィンと6人の小人の強盗団が時空を駆け巡り、ナポレオンやロビン・フッドやアガメムノン王に出会う物語です。小人症の俳優ではこの映画にも出ていたケニー・ベイカーが有名ですが、彼はスター・ウォーズのR2-D2の役でも出演しています。そう考えるとR2-D2もある意味で宮廷道化師なのかもしれません。
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「聖母戴冠」ディエゴ・ベラスケス
アルカサル内のイザベル王妃用礼拝堂のために制作されたベラスケスの代表的な作品です。のちにマドリッドの新王宮を経てプラド美術館に入いることになります。主題は復活した聖母が再び昇天し、父なる神と神の子イエスから戴冠を受ける場面を描いいた場面で、伝統的な三角形の構図を用いながらもベラスケス特有の写実性と豊かな色彩によって心地よい安定感をもって観ることが出来ます。 -
アルブレヒト・デューラーの木版画「聖母の被昇天」から影響を受けていたとされますが、エル・グレコによる「聖母被昇天」からの影響の可能性もあるようです。
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聖母マリアのあどけない表情が印象的です。自分の子であるイエスの方がすでに歳を取っているように見えます。
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「フェリペ4世の肖像」ディエゴ・ベラスケス
しかしフェリペ4世と後添えのマリアナ・デ・アウストリアの顔も似ていますが、息子のカルロス2世やマルガリータ・テレサもみな同じような顔をしています。「戦争は他国にさせておけ、なんじ幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」ではありませんが、この頃は近親婚は当たり前の時代ですから顔も似ているのでしょう。 -
「マリアナ・デ・アウストゥリア王妃」ディエゴ・ベラスケス
神聖ローマ皇帝フェルディナント3世と皇后マリア・アナの長女としてウィーンで生まれています。子供の頃からフェリペ4世の1人息子バルタサール・カルロスと婚約していましたが、彼が1646年に早世すると男子の後継者が必要になったフェリペ4世の後添えとなり14歳で結婚します。マリアナの母マリア・アナはフェリペ4世の妹であるという関係から伯父と姪の近親婚になります。 -
1665年にフェリペ4世が亡くなると、3歳のカルロス2世の摂政として1675年まで国政をみますが、実際は亡くなる年まで影響力を保持しています。カルロス2世はスペイン・ハプスブルク家の最後の男子であり、彼の出生をスペイン国民は喜こびます。しかし出生時から病弱な人物であり、その理由は「呪いをかけられたため」と一般に考えられており、カルロス2世自身もそう思っていました。
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彼が病弱だった理由はハプスブルク家の何重にも繰り返した近親婚によるものであろうと考えられ、幼少期には衣服を身につけた動物のようであり、教育らしい教育をすることも困難であったそうです。
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ラス・メニーナスの周囲には数多くの騎馬像や肖像画が飾られていましたが、バルタザールの騎馬像などは日本に貸し出し中でした。そんなことも無かったように他の絵が飾られていて誰も気がつきません。
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「イザベル・デ・ボルボン騎馬像」ディエゴ・ベラスケス
フランス王アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの長女としてフォンテーヌブローで生まれています。フェリペ4世との政略結婚は、カトリック二大勢力であるフランスとスペインの政治的同盟の証として伝統的におこなわれたものです。2人には7子が生まれましたが5人は幼児のうちに早世し、アストゥリアス公バルタサール・カルロスと末子マリア・テレサのみが成長しています。しかしイサベルの死後バルタザール・カルロスも亡くなってしまいます。 -
「イザベル・デ・ボルボン騎馬像」ディエゴ・ベラスケス
昔のテレビ番組で宇津井健さんがスペインへ渡航してアンダルースというスペイン純血種の馬に乗るというものがありました。この真っ白な馬体はアンダルース種の馬だと思いました。スペインの伝統的な馬術やウィーンの宮廷式馬術学校といい現在もハプスブルグ家に繋がる伝統が残されているのだと思います。 -
「フェリペ4世騎馬像」ディエゴ・ベラスケス
フェリペ4世は幸せな人生だったのでしょうか?彼の幸せはともかく息子カルロス2世の代でスペイン・ハプスブルグ家は断絶します。 -
「皇太子バルタザール・カルロス騎馬像」ディエゴ・ベラスケス
この絵も旅行の時期は日本へ貸し出されていました。帰国後に見に行こうかとも思いましたが、2週間以上美術館漬けだったので食傷気味で結局行きませんでした。 -
彼が生きていればスペイン・ハプスブルグ家の存続も変わっていて、王位継承を巡ってのスペイン継承戦争のも起こらず、スペイン・ブルボン家のフェリペ6世まで続くスペイン王家も変わっていたかもしれません。
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「ラス・メニーナス」ディエゴ・ベラスケス
さすがにこの絵は貸し出しされることはなく、プラド美術館を出ることもないでしょう。 -
鏡の中にフェリペ4世と王妃マリアナの姿があります。
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お辞儀をしようとしているのが女官のイサベル・デ・ヴェラスコで、後ろにドン・ホセ・ニエト・ベラスケスが立っています。彼は1650年代の王妃の侍従であり、王室のタピストリー工場の責任者でもあり、画家の親戚であった可能性もあるそうです。
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ベラスケスの胸にはサンティアゴ騎士団の赤い十字が描かれていますが、彼がそれを受けたのは1659年のことであり、絵の完成の3年後のことだそうです。ベラスケスの死後にフェリペ4世が描き加えるように命じたもので、王自身が描いたと考える人もいるそうです。
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女官マリア・アグスティナ・サルミエント・デ・ソトマイヨール。彼女は1665年に結婚しますがわずか3年で未亡人となります。マルガリータ王女の右に位置するイサベルは絵の完成から3年後に亡くなっているすです。彼女たちも幸せでは無かったようです。
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マルガリータは父王フェリペ4世の大のお気に入りで、手紙の中でマルガリータを「私の喜び」と呼び、ベラスケスら宮廷画家たちに彼女の肖像画を多く描かせています。ウィーンの美術史美術館で観てきた数々の肖像画(3歳、5歳、8歳)を思い出させます。彼女は弟のカルロスとは違い、近親婚の大きな悪影響は見られなかったようですが、長い結婚交渉の末にハプスブルク両家の間の伝統的な政略結婚に則り、母親の実弟で11歳年上の神聖ローマ皇帝レオポルト1世と代理結婚式を挙げます。結婚生活は幸福で6年間の結婚生活で6人の子供を授かりますが、第6子を出産した直後に21歳で亡くなっています。
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ベラスケスの絵を観ているとスペインの絵画的な黄金時代と共に陰りゆくスペイン・ハプスブルグ家の終焉を見ているような気分でした。プラド美術館は主だった作品を駆け足で観ることになりましたが、懐かしい作品や20年間でいろいろな美術館を見て来た知識のせいもあり充実した時間を過ごせました。写真を撮らない分妻といろいろ話しながら鑑賞も出来ました。
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新館の方までは足を延ばせませんでしたが、前日にマドリッドに着いてから半日ホテルで休んでしまった分予定が押しているので仕方ありません。
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館内で写真が撮れない分表のゴヤ像の写真を撮ります。
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ゴヤの時代のカルロス4世はスペイン・ハプスブルグ家が途絶えた後のブルボン朝も決して幸せな時代でもなかったようです。カルロス4世の兄フェリペは知能の発育の問題とてんかんで王位に就けず、カルロス4世は母の血統から素晴らしい体格と強靭な体力を受け継ぎました。若いときは農村で最強の男たちとレスリングをするのが好きだったそうです。一方知性の面では優れた君主だった父に似ず、多くの人から鈍感でとにかく馬鹿正直だと思われていたようです。父王でさえ彼と話をするごとに「カルロス、お前はバカだな。」と言ったそうです。父から従妹のパルマ公女マリア・ルイサとの結婚が決定したと知らされ、彼は女性と付き合ったことがなく、どうしたらいいのか途方に暮れたそうです。
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銅像の基壇の彫刻はゴヤを代表する絵画が彫刻で表わされています。
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30年前のマドリッドの旅行では王宮からプエルタ・デル・ソルを経由してプラド美術館に来る途中の事故で来ることが出来なかった「プラド美術館」にようやくリベンジ出来ましたね。これで今回の旅の一番大きなミッションが終わりました。
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また近い将来マドリッドに来ないとならない気がします。今回は体調不良で行くことが出来なかった「セラルボ美術館」や過去に2回行っても閉まっていた「ゴヤのパンテオン」、そして新たに興味が出てきた「ソローリャ美術館」などなど。
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公園の中を歩きながら次の予定の「ソフィア王妃芸術センター」に向かいます。
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作品を観た後ではベラスケスの像も違って見えるようです。
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平日と違って車の姿がほとんどないプラド通りを下りながっら先を急ぎます。
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