2018/05/06 - 2018/05/06
454位(同エリア2816件中)
kojikojiさん
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長かった旅も「王立サン・フェルナンド美術アカデミー」で最後です。先のことを考えずに作った旅行記も何と44冊となってしまいました。この王立サン・フェルナンド美術アカデミーは、1726年に時の王フェリペ5世により最初の進言があり、1744年に準備委員会が設立されました。アカデミーが創立されたのは1752年で、その頃にはフェリペ5世の息子フェルナンド6世の治世になっていたためにアカデミーの名称はサン・フェルナンド美術アカデミーとなったそうです。当初はマヨール広場にある王家が所有していた建物に置かれていましたが、その後生徒が増えたために現在の場所にあったゴイェチェ邸へ移転します。所有する作品数が膨大な数に上るため、この美術館には常設展の概念は無く常に入れ替えが行われているそうです。所蔵作品の規模や重要性から、この美術館はスペイン国営の美術館としては「プラド美術館」に次ぐと言われているそうです。最初はテッセンから近いということとゴヤの「鰯の埋葬」が観たいくらいで行ったのですが、ゴヤをはじめ素晴らしい作品がごろごろ転がっているような状態に驚かされました。ああ、この作品はここにあったんだということの連続です。マドリッド初日のダウンで半日予定がずれ込んでしまい、「ソローリャ美術館」などいくつかいけないところが出来てしまいましたので次回のリベンジとします。グラン・ビア辺りを歩いていてお昼時間になったので急遽「花友」という日本食レストランに行くことにしました。20年前に初めてスペインを1か月旅した最後のマドリッドで、スペインのオリーブオイルを体が受け付けなくなってしまい、2晩連続でこの店に来たことがありました。更に15年ほど前のポルトガルとスペインの旅でも同じような体調になりました。そこで頭に浮かんだのがこの店でした。2回とも店のご主人が良くしてくれた記憶が残っていました。ガイドブックを頼りに行ってみると場所が変わっていました。店に飛び込むとこの日は日曜日で、スペインの母の日だそうで全席満席でした。諦めて表に出るとカウンターでよければと席を作ってくださいました。おかみさんに昔のことを聞いてみると店は十数年前に移転したことと、当時はお義父さんの代だったそうです。その方はリタイアされていてお元気とのことでしたが、現在は息子さんが仕切ってらっしゃいます。ということで3回連続5回目の花友での食事でしたが、今回が一番体調が悪かったようです。エル コルテ・イングレスで買い物をしてホテルに戻るとまた具合が悪くなり、最後の晩御飯は食べられずじまいでした。最後の最後で妻に悪いことしました。またスペインに来なければと思う旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「テッセン・ボルネミッサ美術館」からグラン・ビア方面へ向かうと緩い登り坂でした。弱った体にはボディーブローのように効いてきます。
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サン・ヘロニモ通りのラ・ビオレータのある広場に差し掛かりました。スミレのお菓子は前日に購入済みなのでそのまま素通りです。
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アルカラ通りに向かうと屋根にいろいろな彫刻を置いた建物が目につきます。アルカラ通りには4頭立ての馬車が置かれてあります。像は1対2基置かれてあるので迫力があります。
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馬車と向かい合う位置にある「ラ・ユニオン・フェニックス・ビルディング」の屋根には文字通りフェニックスが鎮座しています。
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アルカラ通りとセビリア通りが交差した角にあるこの象徴的な建物は19世紀末にホセ・グラス・リエーラによって保険会社「La Equitativa」の本社として建設されました。 2012年には文化財として認定されます。ファサードはバロック様式の石造りですが現在は改修工事中です。保険会社の後はバンコ・エスパーニャのビルとして有名でしたが、現在はフォーシーズンホテルへと改装されています。
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その交差点に「王立サン・フェルナンド美術アカデミー」の建物があります。1726年にフェリペ5世により最初の計画が立案され、1744年に準備委員会が設立されました。アカデミーが創立されたのは1752年で、その頃にはフェリペ5世の息子のフェルナンド6世の治世になっていたためにアカデミーの名称はサン・フェルナンド美術アカデミーとなったそうです。
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雰囲気は美術館とは思えず、チケットを買うことで入ってよいのだなと感じます。元々はクロークとして成り立っていたのでしょうが、勝手に中に入って荷物をロッカーに預けて身軽になります。階段を登っていても役所か何かに来たような雰囲気です。何より他に見学者はいませんから。これは失敗したかな?タクシーに乗ってソローリャ美術館かセラルボ美術館にすればよかったかなと思いました。
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ただスペインの数々の画家が在籍した王立アカデミーという名前は魅力がありました。フランシスコ・デ・ゴヤはかつてこのアカデミーの教授を務めていますし、パブロ・ピカソやサルバドール・ダリ、フェルナンド・ボテロはここで学んでいます。最初の不安はすぐにかき消され驚きへと変わっていくのですが…。
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「最後の晩餐」ティントレット
ヴェネツィアの染物屋であるジョヴァンニ・バティスタ・ロブスティの息子として生まれたため、「ティントレット(染物屋の息子)」と呼ばれています。 -
ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の壁面を飾っている「最後の晩餐」は、ティントレットの晩年の代表作ですが、この絵と違ってテーブルを画面手前から奥へ向かって斜めに配した斬新な構図で描いています。テーブルを鑑賞者に対し平行に置く表現はギルランダイオやダ・ヴィンチの作品を思い出させます。
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ユダがいつ弟子になったかという記述は福音書にはみられませんが、ヨハネ福音書には「イスカリオテのシモンの子ユダ」と紹介されています。マタイ福音書では金目当てで祭司長たちにイエスの引き渡しを持ちかけ、銀貨30枚を得る約束をとりつけています。その受け取った銀貨の入った袋が描かれています。ユダは祭司長たちと群衆をイエスのもとに案内し、接吻することでイエスを示して引き渡します。その後マタイ福音書ではユダは自らの行いを悔いて、祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って自殺したとされます。
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「神の子羊」フランシスコ・デ・スルバラン
前の日にプラド美術館で観た作品と再会できたと思いました。ところがちょっとした違和感を感じたので調べてみると…。 -
プラド美術館の羊には角がありましたが、この子羊には角がありません。正直こちらの方が可愛らしいです。
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「皿とレモン」フアン・デ・スルバラン
スルバランはスペインのバロック時代の画家で、フランシスコ・デ・スルバランの息子です。上の羊を描いた有名なスルバランが父親です。息子は静物などが得意だったようですが、親の影響は絵を観ると大きかった事がうかがえます。 -
この息子を含めた兄弟は1649年にセビリアを襲った疫病にかかり、29歳の若さで亡くなっています。
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「画家の家族」ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ
エル・グレコの息子ホルヘ・マヌエルの作品です。この作品のコピーはトレドのエル・グレコ美術館で観たのはほんの数日前のことです。そしてホルヘの肖像画にはセビリア美術館で出会っていました。 -
グレコはトレドの職人家庭の出身であるヘロニマ・デ・ラス・クエバスという女性との間に息子を1人もうけています。この息子はグレコの父と兄の名からホルヘ・マヌエル・テオトコプリと名付けられ、父と同様に画家を目指したようですが、父親のスタイルに似ていることがうかがえます。画家としては大成しませんでしたが、建築家としてはトレドに作品を残しています。
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画面左の猫が印象的です。日本でよく見かける三毛猫のようです。
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グレコの筆致によく似ていることが分かります。
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「聖ヒエロニムス」エル・グレコ
見覚えがあったので日本に帰って調べてみたら2013年の東京都美術館の「エル・グレコ展」に来ていた作品でした。今回の旅を振り返ると各地で観たグレコの作品の数多くが日本に来ていたのだと感心すると共にその時期にスペインに来ていなくて良かったなと思います。 -
この作品は老齢期の聖ヒエロニムスの姿で、隠遁生活をキリスト生誕の地ベツレヘムの洞窟で送っている場面です。研究を捧げた枢機卿としての姿は左のタッセルの付いた帽子や緋色(カーディナルレッド)の聖職者服を思わせる衣服からも感じます。砂時計と髑髏は現世のむなしさを表し、磔刑像は贖宥(しょくゆう)を表します。書物とペンとインク壺は教会法の研究と知識を表します。
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「洗礼者ヨハネの首」ドメニコ・ザンピエーリ
ドメニキーノことドメニコ・ザンピエーリは盛期バロックのイタリアの画家で、ボローニャ派もしくはカラッチ派に属します。この絵の題材はサロメがヘロデ・アンティパスに祝宴での舞踏の褒美として「好きなものを求めよ」と言われ、母ヘロディアの命により「洗礼者ヨハネの斬首」を求めたものに由来します。夫の異母兄弟のヘロデ・アンティパスと恋仲になり、ヘロデ(ピリポ)と離婚してヘロデ・アンティパスと結婚したことをバプテスマ(洗礼者)のヨハネに非難されたために投獄します。ヘロデヤはヨハネを恨んで娘のサロメに入れ知恵するわけです。 -
サロメは1世紀頃の古代パレスチナに実在した女性で、義理の父は古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパスで実母はその妃ヘロディアです。イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を求めた人物として、キリスト教世界では古くから名が知られ、その異常性などから多くの芸術作品のモティーフとなっています。大好きなギュスターブ・モローも多くの絵を残しています。
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こんなホールも併設しているところからもただの美術館でないと感じさせます。不思議な造りのこのホールはゴイェチェ邸時代はパティオだったスペースを改造したそうです。
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「隠者、聖ウィリアムス」アントニオ・デ・ペレーダ
ペレーダは17世紀スペインのマドリッドで活躍したバリャドリード出身の画家で、速筆的な描写による質感表現や細部まで丹念に描き込まれる自然主義的表現、明瞭ながら劇的で感受性豊かな光や色彩の表現でマドリッド派に通ずる様式を確立しました。 -
ペレーダの画風にはフランドル派の精密な描写やヴェネツィア派の優雅で濃密な表現からの影響が見られるほか、晩年にはダイナミックな展開による盛期バロック様式を取り入れたことが知られています。
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前日にプラド美術館で観た「聖ヒエロニムス」に描かれた髑髏と同じアングルで描かれています。極めて高度な写実描写による髑髏の表現は、彼の庇護者クレシェンツィが傾倒していたカラヴァッジョ様式的な強い明暗法を感じます。
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聖ヒエロニムスではデューラーの版画集「小受難伝」の1枚が描かれていましたが、この聖母子が誰の作品かは分かりません。
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「マグダラのマリアの昇天」ホセ・デ・リベーラ
数少ないリベラの手がけた女性の聖人像の代表作に「砂漠のマグダラのマリア」があり、前の日にプラド美術館で観ることが出来ましたが、ここにもマグダラのマリアの作品がありました。足元の天使がアトリビュートの香油壺を掲げています。 -
映画「最後の誘惑」で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想するシーンがありますが、英国で刊行されたノンフィクション「レンヌ・ル・シャトーの謎」はイエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示しています。マーガレット・スターバードもこれに追随し、「マグダラのマリアと聖杯」でイエスとの間の娘をサラとします。そしてダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」に続きます。
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とても娼婦を描いたものとは思えない品のある意志の強い女性として描かれていると思いました。
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「パドヴァの聖アントニオ」ホセ・デ・リベーラ
リスボンで貴族の子として生まれたため、リスボンのアントニオとも呼ばれる聖人です。アッシジのフランチェスコに共感し、彼の創設したフランシスコ会に入会した後にイタリアや南フランスといった地域を巡りパドヴァ近郊で病没します。 -
聖アントニオを描く絵画では必ず幼子イエスの姿が描かれます。今回の旅でも数枚の作品を観てきました。
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「聖母子と悔い改めるマグダラのマリア」アントニー・ヴァン・ダイク
この絵では聖母子の前で涙を流し悔い改めるマグダラのマリアの姿が描かれていますが、聖書の中ではそのような記述はありません。 -
聖書における「マグダラのマリア」は「悪霊を追い出してイエスに病気を治していただいた女たち」の1人で「七つの悪霊を追い出したマグダラと呼ばれるマリア」が、使徒たちとともにイエスに従って福音の旅をすると記され、マタイとマルコの福音書にはキリストの磔刑を「遠くから眺めている女たち」の1人として「マグダラのマリア」が明記され、ヨハネの福音書には「イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリアとマグダラのマリアが立っていた」とされます。そして足に香油を塗り埋葬にも立ち会います。
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「ヘラクレスとオンファレ」ピーテル・パウル・ルーベンス
友人の1人を殺害したことに対する罪の償いをしようとするヘラクレスに、アポロンの神託はリュディアの女王オンファレのもとに仕えるようにと告げます。女王はゼウスの息子であり無敵の力を持つ英雄に、罪を償うための数々の功業を命じます。そして英雄の逞しい美しさに魅了された女王オンファレは、ヘラクレスを夫として迎えます。 -
リュディアの女王オンファレに魅了されたヘラクレスが、紡ぎ車と錘を手に羊毛を紡ぐはめに陥っています。オンファレはギリシアの英雄が仕留めたライオンの毛皮で身を覆い、足元はいささかきわどい格好で横に立ちます。
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題材はギリシャ神話の時代ですが、周りの人物は絵が描かれた時代の衣装のままのようです。頬の赤い少女の絵はルーベンスの亡くなった娘を思わせます。アントワープのルーベンスの家で家族の歴史を詳しく学んだ後は絵が違って観えるようになりました。
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「ドン・フェルディナンド(枢機卿で皇子)」
アントン・ヴァン・ダイク(写し) -
「福音書記聖ヨハネと洗礼者ヨハネ」アントン・ヴァン・ダイク
この題材の絵はエル・グレコも描いていて、プラド美術館とトレドのサンタ・クルス美術館で観ることが出来ました。 -
左側の人物が福音書記者ヨハネということは右手に持った書物とアトリビュートである鷲を従がえていることで分かります。洗礼者ヨハネは「マタイによる福音書」によればヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物とあります。そんな雰囲気なのとイエスを意味する子羊を連れています。
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「春のアレゴリー」ジョゼッペ・アルチンボルト
この絵が掛かった壁を見て驚きました。というかこの絵がここに収蔵されていることを忘れていました。上野の西洋美術館で去年観たばかりの絵です。 -
イタリアのミラノで生まれたアルチンボルドはウィーンでフェルディナント1世の宮廷画家となり、後にその息子の マクシミリアン2世や孫にあたるルドルフ2世にも仕えています。彼は画家としてだけでなく宮廷の装飾や衣装のデザインも手がけています。祝典や馬場槍試合の企画や水力技師などで非凡な才能を発揮し、ハープシコードのような楽器も発明しています。
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「鰯の埋葬」フランシスコ・デ・ゴヤ
この美術館にはこの絵を観に来たと言っても過言ではないのですが、ここへたどり着くまでにも素晴らしい作品が数多くてびっくりしました。そしてその思いはこの後も続きます。 -
仮面をかぶって変装した酩酊者たちが、儀式用の鰯が埋葬されるマンサナーレス川沿いの土手に向かって踊りを踊っている姿が描かれています。ゴヤは絵の中では魚自体や、ペレレと呼ばれる藁人形は書き込んではおらず、中央で掲げられているものは陰気にニヤニヤと笑う「カーニバルの王様」です。
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鰯の埋葬は紛れもなく一般の人に向けられた絵画であり、他のカトリック教徒たちが教会で礼拝している最中、四旬節のはじめの日に大酒盛りをする溢れんばかりの人々の熱気を描いています。白い服を着て踊る女性たちを囲むように仮面をかぶった人々や虚ろな表情の人々が描かれており、この儀式が不吉なものであろうことは想像できます。
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他にも灰色の歪んだ木や、暗い空気が侵入してきている青空やひときわ目立つカーニバルのマスコットにしては不釣り合いな黒い旗も不穏な雰囲気を醸し出しています。
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色味を暗くしたことや仮面のようなものをかぶることで表情を曖昧にしたこと、そして特に人々の高ぶった身振りに、パーティの底に潜む群衆のヒステリーの本質を感じ取ることが出来て見ている方がだんだん不安になってきます。まるでゴシックホラーの映画を観ているような気分です。
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「自画像」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤは若い頃マドリードでタペストリーの原寸大の下絵(アルトン)を描いていましたが、写実的なスタイルが人気となり宮廷画家に抜擢されて多くの肖像画を手がけました。しかし46歳の時に高熱のため聴覚を失い、さらにスペイン独立戦争でその戦禍を目の当たりにした絵画は徐々に暗く変化していきます。 -
特に70歳を過ぎて購入した「聾者の家」の壁に描かれた「黒い絵」と呼ばれる14の壁画は、自分自身のために制作したものであり極めて内省的な作品となっています。個人的にはこの辺りの作品が好みです。
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「ラ・ティラーナ」フランシスコ・デ・ゴヤ
描かれた主人公は、女優「ラ・ティラーナ」です。本名は別にあるのですが彼女の夫が暴君役を演じさせると右に出る者がいないほどだったので、妻である彼女にまで「ラ・ティラーナ」という仇名がついたそうです。セビリアの貧しい家に生れていますが、アルバ公爵夫人の知遇を得てマドリッド一の大女優になっています。 -
荒いタッチですがインドのサリーのような衣装のシルクの質感まで伝わってくるようです。
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「平和公爵マヌエル・ゴドイ」フランシスコ・デ・ゴヤ
1792年から1797年までと1801年から1808年までスペインの宰相マヌエル・ゴドイが対ポルトガルのオレンジ戦争における自らの勝利を記念し、制作を依頼したものです。 -
絵画はゴドイの性質を鋭く描き、自負心の強さはそり返った姿勢やとり囲む馬たち、そして足の間に配置された男根を象徴するかのような杖が表わします。スペイン政府の頂点に腰を下ろすゴドイの姿は示唆的なものです。ゴヤはゴドイの傲慢さを彼の体勢とポルトガルの国旗を通して浮き彫りにしているようです。オレンジ戦争に勝利したゴドイは「陸海の総司令官」であると同時に「平和公爵」でもあり、自ら進んでこうした立派な称号を授かります。ゴヤと彼は友人でもあり、彼自身が依頼主の可能性がある2枚のマハの肖像画を所有していました。カルロス4世の妻マリア・ルイサ・パルマとは親密な関係にあり、彼女に対して影響力を持ち、王の従姉妹であるチョンチョン女伯爵との婚姻を通じて王家の一員となります。
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「村の闘牛」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤの描くドロドロした権力者の肖像画より、スペインの市井の人々の生活を描いた作品の方が興味深く鑑賞できます。 -
村の祭りを描いた4枚組の作品の1枚です。村の闘牛以外はかなり宗教がかった作品なのでその組み合わせの意味が読み取れません。
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「苦行者の行列」フランシスコ・デ・ゴヤ
前景ではカトリック信者の男たちが白装束に身を包み、とんがり棒を被って裸の背中を懺悔のためにむち打たれています。背中には血が流れており、実寸以上の大きさの守護聖人ポルタ・ヴァガ像、エッケ・ホモ像、十字架上のキリスト像を担いでいます。 -
ほかの黒いフードを被ってひざまずく帰依者たちは、担ぎ手たちの進路に沿って並んで、絵の右側ではひとりの男が串刺しの刑に処され、全員が旗や十字架やランプを運んでいます。
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三角帽子のコロザと懺悔服のサンベニトを着せられています。覆われた顔の表情が読み取れずかえって不気味に見えます。
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セビリアのサンタ・セマナの祭りに似ているようで、上に置かれた像はプロセシオンと呼ばれ、その台はパソ(PASO)と呼ばれます。セビリアのパソは大きいもので2000キロといわれ、それをコスタレロと呼ばれる担ぎ手によって運ばれます。多分同じ起源の祭りだと思います。
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「宗教裁判の光景」フランシスコ・デ・ゴヤ
宗教裁判は15世紀のスペインで教会を支配する宮廷の一形態として導入され、君主を守ることを目的としていました。公開処刑は1784年にマドリッドで行われたのが最後となりました。しかしフェルディナンド7世の下でこのような「歴史上」の光景を描くことは反教権の宣伝とみなされ、ゴヤは面倒なことに巻き込まれます。 -
この作品ではスペインの教会内で行なわれた異端審問所における異端判決宣告式の様子が描写されています。4人の被告人たちは高い三角帽子のコロザを被り、懺悔服のサンベニトを着ています。被告人たちをとり囲んでいるのは聖職者と審問官であり、離れたところには見物人たちが教会の内側を埋め尽くしています。
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「精神病院」フランシスコ・デ・ゴヤ
光源が壁の高い位置にある格子窓しかないので画面の下の方にいる人物達を抑圧しようとする明確な意図が感じられます。この人物達にはそれぞれの特徴が見られますが、みな異様で浅ましい行動に明け暮れています。鳥の羽根でできた頭飾りのようなものを身につける人や三つの角がある帽子をかぶって争う人、見物人に対して祈るような身振りをする人もいる一方で、他の人物達の多くが裸で描かれています。 -
精神病療法の施設というのはスペイン啓蒙運動の集まりで話題にされたため、当時の慣習を非難しようとしたのかもしれません。ゴヤは醜さや異状といった狂気の沙汰を表現することに常に関心を持っていたようで、描かれている人物の一部を聖職者や軍隊といった社会の強者を象徴として寓意的に解釈することもできます。このような幻想の世界が発展し、版画集「ロス・ディスパラティス(妄)」へ昇華していくのでしょう。
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期待していた以上の作品の質の高さに驚かされると同時に日曜日だというのに他に観覧車がいないことにも驚かされます。
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どこまで進んでも次から次に作品が並び、いつ終わるとも知れません。
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「老人の肖像」ジャン・ドメニコ・ティエポロ
ティエポロは18世紀のイタリアを代表する偉大な画家で、ヴェネツィア共和国の美術絵画の伝統を締めくくる最後の巨匠ですが、晩年はマドリッドに滞在し1770年に亡くなっています。この作品にはキャプションが無く制作年が分かりませんが、マドリッドにいた晩年の作品なのかもしれません。 -
「十字架のキリスト」ザカリアス・ゴンサレス・ベラスケス
ベラスケスという名前からあれっと思いましたが、ラス・メニーナスなどを描いたベラスケスとは別人です。 -
ただ、ディエゴ・ベラスケスの師匠のプランシスコ・パチェコによる「キリスト教図像学」に忠実にキリストに穿たれた釘は4本で描かれています。
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「サロメ」マリアーノ・サルバドール・マエラ
いままで数々のサロメを描いた絵を観てきましたが、一番幼く可愛らしい女性で描かれています。 -
赤いドレスに青色のショールはまるで聖母のようにも見えます。ただかかげた盆に乗せられたのは洗礼者ヨハネの首ですが。
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「自画像」ザカリアス・ゴンサレス・ベラスケス
先のキリストの磔刑図を描いた「ベラスケス」の自画像です。 -
「マヌエル・ゴドイのファミリー・ツリー」カイターノ・ロドリゲス
可愛らしいファミリ・ツリーだと思いましたが、どこの家系かと思ったらマヌエル・ゴドイでした。 -
画面の下にはカスティーリャやレオンの紋章に、マルタ騎士団のマルタクロスなども読み取れます。右上のひし形の中にゴドイについての記載があります。
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「ヘルメス」
古典期以降のヘルメスはつば広の丸い旅行帽「ペタソス」を頭に被り、神々の伝令の証である杖「ケーリュケイオン」を手に執り、空を飛ぶことができる翼の生えた黄金のサンダルを足に履いた姿で表されますが、ケーリュケイオンは折れていて足は裸足でした。 -
「スケルトン・ファミリー」ホセ・ロペス・エングイダノス・エ・ペレス
題名も面白いです。こんな絵は初めて見ましたが何のために描かれたのでしょう?
まるでレントゲンで撮った家族の肖像写真のようです。 -
彼はカルロス4世の宮廷画家でしたが、画家としてよりも彫刻家として知られています。また多くの解剖学的人体について多くの16世紀ルネッサンスの画家のように学んでいたようです。
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「仏陀の誘惑」エドゥアルド・チチャロ・アグエラ
題名は「Las tentaciones de Buda」(仏陀の誘惑)で、スペイン人のエドゥアルド チチャロ アグエラによる1921年に描かれた作品です。 -
釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる魔神を描いた作品です。愛の神カーマと結び付けられ、カーマの別名又はカーマ・マーラとして一体で概念されることもあります。マーラを降すことを降魔といい、煩悩の化身であるマーラにとって、釈迦が悟りを開く事は自身の破滅につながります。そこで手始めに釈迦のもとに美しく技に長けた3人の娘達を送り込みます。
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この作家は仏教を理解してこの絵を描いているのだと感心しました。また、西洋人が仏教や仏陀の生涯に着いて油絵で絵描くとこうなるのかと感心しました。
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何より気に入ったのはクリムトの描くユーゲントシュティールの絵のようだったことです。時代的にはクリムトの方が先に活躍しているので、影響を受けていると感じます。ベートーヴェン・フリースだとゴリラのような怪物が描かれますが、こちらでは象の姿が印象に残ります。
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バルセロナのモデルニスモ建築をたくさん観てきましたが、カタルーニャ美術館の近代絵画は時間が無くて見ることが出来ませんでした。ダリやピカソばかりが有名なスペインの近代絵画ですが、こんな作家がいたのだと驚きました。
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「ペルセポネ」エドゥアルド・チチャロ・アグエラ
ギリシア神話に登場する女神で冥界の女王で、ゼウス(ユピテル)とデメテル(ケレース)の娘です。ハデス(プルート)の妻として傍らに座しているとされます。ローマ神話ではプロセルピナと呼ばれ、春をもたらす農耕の女神となっています。 -
冥府を司る神プルートに誘拐されて妻とされます。母のケレースは娘がいなくなったことに気づき、娘を連れ戻そうとしますが冥府でザクロの実を食べてしまったあとでした。冥府の食べ物を食べた者は、冥府に属するという神々の取り決めにより、1年のうち半分を冥府で、残り半分を地上で過ごすこととなります。プロセルピナが地上に戻る時が春となり大地は潤うようになります。プロセルピナというとローマのボルゲーゼ美術館のベルニーニの「プロセルピナの略奪」は大理石でありながらまるで人間を固めたような出来栄えで鳥肌が立つほど感動した覚えがあります。
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「海水浴」ホアキン・ソローリャ
ソローリャも今回の旅行でたくさんの絵を観て好きになった作家です。今回は時間が無くなってソローリャ美術館には行けませんでしたが、次回は必ず行きたい場所の筆頭になりました。 -
簡単なタッチで寄せては引く海の水を描いていますが、見ていると本当に海岸の砂浜を歩いていて感じるめまいに似たものを覚えます。
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「ローマ」ホアキン・ソローリャ
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「バレンシアの庭」ホアキン・ソローリャ
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「船上の食事」ホホアキン・ソローリャ
もう漁から帰ってきた後のようです。砂浜にあげた漁船の上で寡黙に食事をする漁師たちの姿を描いています。 -
ベルギーとオランダを旅していてデン・ハーグにあるパノラマ・メスタグという美術館に行ったのですが、そこで知ったメスタグという画家の作品も素晴らしかったです。同じようにスヘフェニンゲンの海岸線の漁師たちを描いた画家なので思い出したのかもしれません。日本ではあまり有名ではない作家に出会えるのもこんな旅の醍醐味です。
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「雪」フリオ・ロメロ・デ・トーレス
トーレスの作品も今回初めて目にしました。知識としては澁澤龍彦の「幻想の肖像」や「ヨーロッパの乳房」では知っていました。 -
アンダルシアのコルドバの暑さの中で感じたものとこの作品はちょっとイメージが違いますが背景を見ているとポール・デルボーとかマグリットをちょっと感じさせます。
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「ロードス島の巨像」アントニオ・ムノス・デグラン
作家については分かりませんが、描かれた題材はすぐに分かりました。ロードス島にはクルーズ船で何度か行っています。 -
世界七不思議のひとつの紀元前3世紀頃にリンドスのカレスによってロードス島の港に建造された太陽神ヘリオスをかたどった彫像です。
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彫像自体の高さは34メートル、台座を含めると約50メートルに達しました。完成から58年後の紀元前226年にロードス島で巨大地震が発生し、巨像は膝から折れて倒壊しました。この絵はその時を描いたもののようです。港のその場所には現在は小さな鹿の像が立っているだけです。
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ロードスはデロス同盟に参加してたので女神アテナの像もあったのでしょうか。古代ギリシャの情景が詳細に描かれています。気に入った作品だけを写真に撮りましたが、実際はものすごい数の作品が並んでいました。これで今回のスペインの旅で見学するところは終わりです。
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サン・フェルナンドを出てお昼を食べに行くことにしました。
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向かったのは「花友」という日本食レストランです。ここ時来るのは4回目です。20年前の初めてのスペイン旅行は約1カ月という期間でしたが、最後の方はスペインのオリーブオイルを体が受け付けなくなっていました。大抵は中華を食べに行けば何とかなるのですが、この時は帰国前にもかかわらず日本食が食べたくて我慢できなくなりました。その時とはお店の場所が違っていましたが店名は間違いありません。
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店に入ると「ご予約は?」と尋ねられました。この日はスペインの母の日(日本より1週間早い)らしく席はすべて予約済みとのことでした。諦めて店を出ると「カウンターで良ければ」と通してくださいました。体調が悪くてもビールは美味しかったです。
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20年前はお店のご主人が日本の新聞を持ってきてくれたり、いろいろ親切にしていただいたので2晩連続で通いました。その後ポルトガルからスペインを旅した15年前も最後のマドリッドで同じような体調になりこのお店で食事をしました。
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そして3度目の旅は3週間弱なので大丈夫だろうと思っていましたが、過去の2回と比べても一番具合が悪くなっていました。お店のおかみさんのお話では前の店からが十数年前に移ったそうで、その当時のご主人から息子さんの代に変わったとのことでした。
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少し残してしまいましたが、何とか食事は出来ました。過去のことも含めてお礼をして店を出ました。
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入り口に予約で満席と書いてありました。入る時は必死だったので見落としていたようです。何度も何度も助けていただいてありがとうございました。
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私的にはもうスペインに思い残すことはないので妻の行きたいところへいくことにしました。グランビアのZARAやMANGOも好きなブランドなので覗いてみました。
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グランビアの通りに面したビルはデザインが面白いので歩いていても飽きないです。
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マドリードのメインストリートのグラン・ビアとアルカラ通りにつながる交差点の角にある美しい彫刻が施された綺麗な建物が「メトロポリス保険会社」のビルです。屋根のドームには女神ニケの彫像で飾られていて有名なビルです。元々は別の保険会社のビルとして1911年にフランス人建築家によって建てられ、その後何度か改装工事を行っていますが100年を過ぎた今でも綺麗な姿を見ることができます。
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元々はギリシャ神話のガニュメデスのブロンズ像でしたが1970年代に所有が変わる際に女神ニケの像に変更されました。夜のライトアップできらきら輝いて美しいのですが、今回は見に来ることは出来ませんでした。
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ROLEXのロゴを冠した隣のビルにはグラシー時計博物館が入っています。16世紀から19世紀までのクロックやポケットウォッチ、日時計などをコレクションしています。17世紀から19世紀の新古典様式のフランス製クロック、17世紀から19世紀のイギリス製クロック、江戸時代の日本製クロックもコレクションされています。
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グラン・ビアをカジャオの交差点まで歩くことにします。マドリッドの町はあまり大きくないので体調さえよければどこへも歩いて行けます。
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カジャオ広場に到着です。クラシックなファサードの映画館があります。
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翌日の5月7日にはマドリッドを出発して帰国しますが、翌週の5月15日はサン・イシドロ祭りなのだと分かりました。
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最後にエル・コンテ・イングレスの地下のスーパーへ立ち寄りました。正直食べ物を観たくないような気分ですが…。
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いえいえ生ハムは持って帰れませんよ。お土産用のお菓子を少し買っただけにしましょう。
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最後の晩はサラマンカ地区のシーフードレストランに行こうと言っていたのですが、夕方になっても体調はすぐれず、スーパーでサンドイッチを買って済ませることにしました。楽しみにしていた妻には申し訳なかったです。
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買い物が済んでホテルまでタクシーでホテルへ戻って休みました。過去2回の旅での思い残したことをおさらいする意味を持った旅でしたが、新たな興味が生まれてしまい、また近い将来戻ってこなければならないと再認識した気がします。3週間ちょっとの旅程を2週間ちょっとに短縮してしまったしわ寄せと体調不良で思い通りにならない部分もありましたが、充実した旅だったと思います。旅行記も44を超えてしまいました。まだ次の旅をどこにするかも決まっていませんが、いつも旅行記を呼んでくださっている方にはお礼申し上げます。コメントを頂いたり、いいね!をいただけるととてもはげみになりました。
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2018 スペイン周遊の旅(2)
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この旅行記へのコメント (2)
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- 紫靜さん 2018/07/15 16:16:59
- スペインの旅ブログ待ち遠しかったです
- この何週間スペインの旅を毎日待ち遠しく読んでおりました。この何年かコジコジさんのブログを旅の参考にさせて頂いております。来年の8、9月バルセロナ、アンダルシア地方への旅を計画、マイルを使う為もうすぐ飛行機の手配となるので、これから読み返し、日にちをどれだけかけるか考えるところです。初めてのスペイン、アールヌーボーの建築を中心にまわるつもりです。たくさんの説明と写真有難うございます。これからも楽しみにしております。以前ベトナムフエの質問した者です。紫静
- kojikojiさん からの返信 2018/07/15 17:46:12
- Re: スペインの旅ブログ待ち遠しかったです
- ご無沙汰しております。行きたいところに行きたいだけ行くという事に心がけて旅行期間を決めて旅しているので旅行記も何となく長くなって44編になってしまいました。各所にいろいろ想いもあり、どんどん長くなってしまいました。自分も旅行前にはいろいろな方の旅行記などを参考にさせていただいているので、次に行かれる方の参考になればと思っています。来年の8月か9月にスペインへマイルでという事であればそろそろ準備が必要ですね。我が家も昨年の7月に予約を入れましたが、5月6月と検討しているうちに条件の良いルートはどんどん消えていったので早めに押さえた方が良いと思います。その前に大枠の予定も決めておかないと後で日にちのやりくりが難しくなります。列車の予約は1カ月前で大丈夫でしたが、夏休みの時期であれば早めに予約した方が良いかもしれませんね。バルセロナのサグラダファミリアとグエル公園とアルハンブラ宮殿は絶対予約した方が良いと思います。特にアルハンブラは3カ月前から販売のようなのでお早めに。2カ月前にHPを覗いたらすべて売り切れだったので焦りました。
一見面倒な予約も実際に行ってみると時間節約だったり、料金の節約になったり、混雑が緩和されていると考えるとそれなりの意味はあったと思います。こうやってお便りをいただくと約2カ月旅行記を作り続けた苦労が報われます。ありがとうございました。スペインの旅が楽しいものになりますように。
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