2018/04/29 - 2018/04/29
175位(同エリア1025件中)
kojikojiさん
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セビリアの観光と言えば「カテドラル」と「アルカサル」と「スペイン広場」などが浮かびますが、今回どうしても行かなければならなかったのが「セビリア美術館」でした。20年前のスペイン旅行でセビリアに立ち寄った際にも来ていた記憶もあります。実際に美術館に来てもその当時の印象は残っていなく、絵を観ていてもこれだという決め手もありません。ただその当時の日差しや熱さや小さい部屋に展示された作品を観て感動したことだけが強く残っています。この美術館の特出するのはムリーリョやスルバランの作品の質の高さとその量です。ちょうどムリーリョの生誕400年という事もあって、旅行中はいろいろな美術館でムリーリョを目にする機会が多かったように思います。日本ではあまり見ることが出来ないスペインのバロック絵画を堪能できました。また近代のスペイン絵画の流れやその当時の生活や風俗を知るのにも良い美術館だと思います。フラメンコを見てもその背景を知っていた方が良いとも思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回のセビリアの観光では一番の目的と言っても良いほどの「セビリア美術館」です。この日は日曜日だったのでかなり混雑していました。ユーロ圏の人は無料ですが、それ以外の人は1.5ユーロ必要です。展示している内容でいえば10ユーロ以上でも納得できるほど充実しています。
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美術館の建物は1612年に完成したメルセス会の修道院をそのまま利用しています。
入り口のアッリャ・デ・バラダレスの手によるタイル装飾がいきなり美しいです。
写真撮影は出来ますが、荷物は持ち込めないのでコインロッカーに預けなければなりません。1ユーロコインが必要ですが最後に返却されます。 -
入ってすぐのところは美しい回廊が出迎えてくれます。
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順路に従がって15世紀のセビリアの作家の作品から見て行きます。
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「柱に繋がれたキリスト」ペドロ・ミラン
セビリアで生まれたこの作家はセビリア大聖堂の出入り口の預言者像も制作しています。スタイルはゴシック期からルネッサンス期への過渡期を感じます。サグラダ・ファミリアの受難のファサード側にも同じモチーフの象がありました。 -
「最後の審判」マルティン・デ・ヴォス
歴史画やポートレートを中心としたフラマン派の画家でアントワープで生まれています。当時のフランドルの画家がしたようにヴォスもイタリアへ向かいます。ブリューゲルと一緒だったともいわれるようです。ヴェネツィアではティントレットの工房で働いていたようで、1558年にアントワープに戻り画家の聖ルカ組合に加わり工房を設立します。 -
いかにもフランドルの雰囲気で最後の審判を描いています。こちらは大天使に導かれ天国へ向かう人たちが見えます。
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こちらは地獄へ落ちる人たちです。この構図はバリ島のウブドの「プリ・ルキサン美術館」に収蔵されている絵画を思い出させました。
https://4travel.jp/travelogue/10785180 -
「ゴルゴダの丘」ルーカス・クラナッハ
小さい作品ですが、いきなりドイツのビッグ・ネームが現れました。 -
前日の夕方にバルセロナの「カタルーニャ美術館」で数枚の作品を観た翌日の昼にセビリアでまた観られるなんて贅沢なことです。馬上の男性はWarlich diser mensch ist gotes「この人は本当に神である。」と書かれています。そのことからもこの白馬に乗った騎士は総督ピラトだという事が分かります。
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「息子ホルヘ・マヌエルの肖像」エル・グレコ
グレコの名前はホルヘ・マヌエル・テオトコプリです。幼少期は母親の元で育だちますが後に父親に絵画や彫刻を学びます。 -
彼の絵画的なキャリアはそこまで注目すべき点はないとされますが、功績は建築で見られ、トレドの市庁舎やトレド大聖堂を始めとした重要な建築及び彫刻に携わっています。最終的にはタベーラ施療院にて貧困のうちに一生を終えますが、ここにはグレコの絵を息子のホルヘが祭壇を制作したものがありました。
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グレコの自画像によく似た若者です。まだ親子で幸せだったころの肖像画ですね。
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この絵を見ているとグレコは息子を画家にしたかったのではないかと思えました。マドリッドのプラド美術館の「胸に手をあてる騎士」を連想させます。
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「キリストの捕縛」ルイス・デ・バルガス
バルガスはルネッサンス後期のスペイン画家で主にセビリアで活動しています。 ローマに行きマニエリスムの影響を受けたようです。 -
「洗礼者ヨハネ」フアン・マルティネス・モンタネス
彼は「木の神」と呼ばれるほどのスペインの彫刻家で、セビリアの彫刻界で最も重要な人物の1人です。エルサルバドル教会の優雅な聖クリストファーや彼の傑作である幼子キリストはセビリアの大聖堂に納められています。 -
「幼子イエス」作者不詳
幼子イエスの像はバロック時代のスペインでは非常に人気のテーマでした。個人や大修道院、修道院、教区教会からの大きな要請があったそうです。 セビリアで好まれたモデルは、1607年にマーティンズ・モンタネスが彫刻した幼子イエスのイメージでした。その成功からテラコッタや鉛や木材などその他の素材で生産され様々なバージョンの登場につながります。 -
中庭の回廊にムリーリョの部屋へ誘う看板が…。
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ムリーリョの展示は元々の修道院の回廊がそのまま展示室になっています。ムリーリョは1618年にセビリアの医師の14人兄弟の末子として生まれています。幼い頃に両親を亡くし、姉夫婦のもとで育てられたといわれますが、その名声に比べて生涯の細かい部分には不明点が多いそうです。19世紀末期にベラスケスが再評価されるまではスペイン最大の画家として名を馳せていました。テネブリズム(カラヴァッジョに代表される明暗対比による劇的な表現手法)の強い影響を感じさせるセビリア派特有の作風でありながら、柔らかく繊細で輝きを放つ表現を得意としました。その人気は当時大家として名を馳せていたスルバランの地位も脅かします。
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「無原罪の御宿り」バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
スルバランを最初に観たのはパリのルーブル美術館だと思います。その後のスペインの旅でセビリアの小さな美術館で小さな作品をいくつか観てから好きな画家になりました。その旅で行った美術館が本当にセビリアだったのかさえはっきり覚えていません。 -
この無原罪の聖母の姿は見事な調和を示しています。
波打つようなプロポーションはマニエリスムの影響を感じさせ、見上げる大きな目と若々しい顔、そして胸の上でクロスされた両手はムリーリョがこのテーマの数々のバージョンで繰り返えし再現するです。緩やかな筆致は時にはほぼ透明であり、様々な光のグラデーションを使用することで浮遊する体を表現しています。 -
「受胎告知」バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
大天使ガブリエルが処女マリアにキリストの懐妊を告げた場面です。告知を空から祝福する精霊を表す鳩やムリーリョらしい天使たち。ガブリエルの手にはマリアの処女性を表す白ユリの花。お約束のアトリビュートが揃っています。 -
マリアの読む本は旧約聖書です。そしてその衣は赤と青で表現されます。赤は「神聖な愛」青は「天の真実」を表しています。
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2018年はムリーリョの生誕から400周年という事もあり、生誕地のセビリア美術館でもムリーリョ展を行っているように、マドリッドのテッセンでもムリーリョ展が開催されていました。こちらは時間が無くて見ることが出来なかったのが残念でした。
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「父なる神と聖母マリア」バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ
マリアの足元の三日月は清らかさや純潔を表しています。ヨハネの黙示録に「太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭には十二の星の冠を被っていた。」とあります。マリアの足元右下にはドラゴンが口を開けています。薄暗いので見のがさないように。 -
ムリーリョの絵画のモデルになったのは王侯貴族やその家族ではなく、市井の人々であったようです。また純真無垢な表情を描くために知的障害がある人をモデルに使ったとも聞きます。
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「パドヴァの聖アントニオと幼子イエス」
セビリア美術館で最も重要なムリーリョの作品はカプチン会教会の主祭壇画と側礼拝堂の祭壇画です。 1665年から1669年の間に描かれた作品の彼の最高傑作とも言えます。リスボンで生まれたアントニオはアッシジの聖フランチェスコに共感し、彼の創設したフランシスコ会に入会します。イタリアや南フランスといった地域を巡り、精力的に活動しますがヴェネツィア近くのパドヴァで病没します。未だ30代半ばでしたが説法に優れ、生前から民衆にも大変人気のある人物であったそうです。彼が死んだときに天使たちが舞い降りて、町中の教会の鐘を鳴らしたとも言われます。 -
聖アントニオはフランシスコ会の衣装と髪型で、右手に処女の象徴である白百合を持っています。そして聖書の上に座る幼子イエスを慈しんでいます。 天上の領域では天使たちが舞い遊び、劇的な光線がアントニオと幼子イエスに注いでいます。
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1665年カプチン会はムリーリョを雇い教会の絵画を依頼します。6つの神聖なテーマに囲まれた 「ポルチアンラの祭り」と題され「ベツレヘムの聖母」一般には「ラ・ヴィルヘン・デ・ラ・サービレッタ」、「ナプキンの聖母」として知られている聖母像を囲んでいます。
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美術館に移された後は2段に分けて見易いように左右に配置しています。
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「ポルツィウンクラ全贖宥」
ポルツィウンクラはイタリアのアッシジ近郊にある小聖堂で、フランシスコ会の聖地でもあります。現在はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂の中に納められています。足元には磔のキリストから「フランチェスコよ、行って私の教会を建て直しなさい」という声を聞いて歓喜する姿が描かれています。 -
ムリーリョの描く天使は可愛らしく、手品の鳩のように湧いてきます。
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「聖フスタと聖ルフィーナ」
2人はセビリアの守護聖女です。3世紀のローマ時代に生きたキリスト教徒の姉妹で、陶器職人の家庭の生まれなので足下に陶器が描かれています。ローマ神話のヴィーナスを讃える祭りに協力を拒否したために捕らえられ、様々な虐待を受けて殉教することになります。 -
ルフィーナは最後はライオンを放った競技場に放り出されたが、ライオンはまるでペットのように尾を振るだけです。それを見たローマ司祭は怒り、彼女を断頭し遺体を焼いてしまいます。
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ムリーリョが描いたこの作品の下絵スケッチが国立西洋美術館に収蔵され常設展示されています。
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1504年にセビリアで起こった大地震の際に突如現れ、倒壊しかかったヒラルダの塔を救ったという伝説があるため、ヒラルダの塔と共に描かれます。
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足元に転がる陶器の素材感も素晴らしいです。ベラスケスの描く「セビリアの水売り」の水瓶を思い出させます。そしてスルバランの「静物画」も思い出させます。
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「聖ヨセフと幼子イエス」
新約聖書上でもあまり目立たないナザレのヨセフはイエスの養父です。 -
ヨセフは「義しい人」であったとマタイはいいます。彼は婚約者のマリアが妊娠していることを知ると、不義姦通として世間に公表した上で離縁するところです。ひそかに縁を切ろうとしますが夢にあらわれた天使の受胎告知によってマリアと結婚します。伝統的に「イエスの父」ではなく「イエスの養父」と表現されます。
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「ナプキンの聖母」
カプチン修道院で修道士たちと朝食をとるのを日課にしていたムリーリョはある日修道士に聖母像を描くように頼まれます。キャンバスがなかったのでナプキンに描いたという言い伝えがあるそうです。 -
こちらへ来ようと身を乗り出している幼子イエスに手を差し伸べたくなるような気持にさせます。
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「羊飼いの礼拝」
1649年に大流行したペストにより人口が半減してしまったセビリアで、当時ムリーリョが描いた愛らしく温かみのある聖母子像は人々に癒しと救いを与えたと言われます。 -
今回この美術館で心に残った1枚です。20年前にセビリアで入った美術館はここだったような記憶もあるのですが、表通りに面した窓の開いた外光の入る部屋がどこかだったかは分かりません。
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「カンタリチオの聖フェリクスと聖母と幼子イエス」
フェリクスは聖フランシスコがはじめたカプチン修道院に入り、30歳にして修練期を終え、ローマに遣わされて施しを乞い歩く役に任ぜられます。それは73歳で亡くなるまで続けられます。 -
「ピエタ」
ゴルゴダの丘で磔刑の後に十字架から降ろされたイエスの亡骸を膝に抱き、天を仰ぐ聖母マリアの姿です。たくさんの画家に描かれた題材です。 -
こんな怒った顔をした天使の姿は初めて見ました。
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聖母マリアの衣はくすんで、マリアの心の内を表しているようです。
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あまりの数の作品に圧倒されます。
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十字の形をした修道院の天井のフレスコ画も素晴らしいのですが、そこまで見る余裕が無いというのが正直な感想です。
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1階の展示室から美しい階段を通って2階に上がります。2回は7室から14室までの8室を周ります。
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「聖ヒエロニムスの誘惑」
聖ヒエロニムスは聖書をラテン語に翻訳したことで知られる神学者です。荒野での修業の最中に何度も肉欲の誘惑に苦しんだとされます。右手に持つ石は肉欲に打ち勝つためにおのれの胸を叩いたというエピソードから来ています。 -
アトリビュートである翻訳中の聖書と十字架を持つ手の力強さに信仰心を感じます。
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「聖フランチェスコの批判」
聖フランチェスコが聖痕を受けた場面です。彼がアルヴェルナ山に籠もってキリストの苦難を黙想していると、イエス自身から両手と両足とと脇腹に聖痕を与えられました。大いなる恩恵に相違なかった半面大いなる試練でもありました。聖痕を受けてからは重病に罹り、彼の体力は日に日に衰弱していきます。最後は詩編141を唱えながら亡くなりました。 -
「苦難」
この作品は聖母マリアをドロロサ(苦難)として表しています。聖母は両手を広げ天を見上げて神を見据えているようです。 -
「聖母子」
ムリーリョらしくない顔立ちの聖母子です。注文主の意向でもあったのでしょうか。 -
20年前に見ていたのはこの部屋にある小品だったのではないかという思いが湧いてきました。美術館の建物はあまりに綺麗になって記憶をたどる術はありませんが。
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「無原罪の御宿り」(工房作品)
多分あまりの人気の高さに工房で制作しないと需要に追い付かなかったのではないでしょうか。 -
小さい作品ですがムリーリョらしさは充分に感じさせます。頭上の星もアトリビュートの12個ですが三日月は分かりにくく描かれています。
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こちらはムリーリョのオリジナルです。やはり比べてみると天使の描き方などに違いを感じます。
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この時代はペストが蔓延していたこともあり、ムリーリョの聖母像はペスト除けとしても求められたそうです。
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「ドロローサ」ペドロ・デ・メナ
メナはスペインのバロック様式の彫刻家で、セビリアで生まれマラガでも活躍してそのまま亡くなっています。マラガ大聖堂やトレド大聖堂にも作品が残されています。 -
ドイツのリーメンシュナイダーのような作風も魅力的ですが、バロック彫刻のリアリティーも心に訴えかけるものがあります。
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「聖セバスティアン」リベーラ工房
バロック絵画の殉教のシーンはかなりリアルで痛々しいです。前日に観たカタルーニャ美術館の「聖バルトロメの殉難」の生皮を剥がれているシーンも強烈でした。 -
「聖ヤコブ」ホセ・デ・リベーラ
9世紀にヤコブの遺体とされるものが現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で奇跡的に発見されたとされます。その頃のイベリア半島はレコンキスタの最中であり、イスラム勢力と闘っていたキリスト教勢力を守護する、またはキリスト教徒勢力がイベリア半島を制圧する行動のシンボルとして熱狂的に崇められます。そしてスペインの守護聖人とされます。十二使徒の1人ですが17世紀の衣装をきているのでその時代の人かと思いました。 -
「アビラの聖テレサ」ホセ・デ・リベーラ
15年ほど前にマドリッドからアビラに行ったことがあります。またローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会コルナロ礼拝堂の壁面に設置された祭壇に飾られたベルニーニの彫刻も観に行ったことがあります。 -
少女時代に何度か家出をして荒野に殉教地を探しにます。ある朝に問題児の収容施設をこっそり抜け出してアビラにあるカルメル会の御托身女子修道院に入ります。修道院での彼女は病気に苦しみます。病気の初期に彼女は「信仰入門書」を読む中で、崇高な宗教的恍惚感を繰り返し経験します。
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「地上の楽園」ヤン・ブリューゲル(子)
ヤン・ブリューゲル (子)は父親の元で修業し、父親と同じようなスタイルの作品を制作しました。兄弟のアンブロシウスと共に細部まで描写した風景画や寓意画を手掛け、サインも含めて父親の模写を制作し売っていたそうです。1624年からヴァン・ダイクと共にイタリアを旅しますが、翌年に父親がコレラで亡くなったため、アントワープに戻って工房を引き継ぎます。 -
この年の1月から開催されていた渋谷の文化村ミュージアムの「ルドルフ2世の驚異の世界展」を思い出しました。ルドルフ2世とヤン・ブリューゲル(父)との交流を思い出しました。
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「楽園」ヤン・ブリューゲル(子)
この絵は絶対に父親の作品のコピーだと思いました。 -
題材は旧約聖書の「エデンの園」だという事はすぐに分かります。小さい作品ですが細密描写はさすがブリューゲル一族だと思います。
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アダムとイブの姿があります。イブはすでにリンゴを手に取りアダムに渡そうとしています。拒むアダムの姿も妙に現代的です。
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ラクダやヒョウをヤン・ブリューゲル(子)は直接見てはいないと思います。時代的にルドルフ2世と同じ時代の父親はプラハへ行き、ルドルフの収集した動植物を直接見たはずです。
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ああ、楽園追放です。
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大天使ミカエルはかなり怒って追いかけています。
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「聖マリナ」
この一連の作品はスルバランの工房でシンコ・ラガス病院のために描かれた大きな絵画作品です。数々の女性の聖人が当時の市井の女性をモデルに描かれたようです。 -
マリーナの父親が修道院に入ることになったため、父親はマリーナを男装させ1人息子として一緒に修道院に入ります。以降マリーナはマリノスとして修道生活を送るようになり、マリノスが17歳の時に父親は死期を悟り、誰にも女であることを明かさないように命じます。マリノスは修道院での仕事のために、ある人物の家に泊まることが多かったそうです。ある日その家の娘がとある騎士の子供を宿しますが、困った娘はマリノスに犯されたからだと嘘を言います。しかし問い詰められたマリノスは罪を認めて慈悲を願います。このために修道院の外に追放されることになります。マリノスは修道院の門の近くに住み、パン屑を拾って暮らすようになります。娘の子が生まれるとその子を引き取り、さらに2年ほど暮らしたのちに修道院に戻されて下働きをして暮らします。マリノスの死後に修道士たちが遺体を洗おうとしたときに、マリノスが女性であったことが判明します。修道士たちは許しを請い、マリーナの遺体は礼拝堂内に葬られます。嘘をついた娘は悪霊に取りつかれて罪を白状することとなりましたが、娘がマリーナの墓前に近づくと悪霊は去ったそうです。
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「聖カタリナ」
カタリナはエジプトのアレクサンドリア知事コンストゥスの娘でした。彼女は当時最高の教育を受けていたので両親に向かって名声と富とと容姿と知性で自分を超える男でなければ結婚しないと宣言します。母は秘密裡にキリスト教に改宗しており、娘を隠者の元へ送り出し、その隠者はカタリナに「その方(キリスト)の美は太陽の輝きよりも勝り、知性は万物を治める。富は世界の隅々にまで広がっている」と説きました。幻視をした彼女は洗礼を受けてキリスト教徒になります。彼女は幻想の中で天国へ運ばれ、そこで聖母マリアによってキリストと婚約させられたという神秘の結婚でも知られます。 -
時のローマ皇帝マクセンティウスによりカタリナは車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問が命じられます。しかしカタリナが車輪に触れるとひとりでに壊れてしまったために斬首刑で殉教します。そのために彼女の肖像にはアトリビュートとして壊れた車輪が描かれます。
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「聖イネス」
ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスの統治下で長官センプロニウスは、イネスが自分の息子と結婚することを望みますが、拒否されると彼女がキリスト教徒であると告発します。イネスは非キリスト教の女神ヴェスタに供物を捧げるか売春宿に行くかの選択を迫られましたが、その信仰から要求を拒否をします。火刑に処せられますが、最後には剣で刺されて殉教します。 -
聖書を持ちイエスの象徴である仔羊を抱いています。聖イネスの名前はラテン語で子羊を意味するために子羊を抱いた姿で描かれます。
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「聖ドロテア」
ドロテアはカッパドキアのカエサレアにおいて、ディオクレティアヌスによる迫害のため殉教しました。ドロテアは県知事の前に連れだされ、信仰を試されて拷問を受けたのちに死刑を宣告されます。 刑場に向かう途中に非キリスト教の法律家テオフィロスはドロテアに「キリストの花嫁よ花婿の庭からいくつか果物を私に持ってきてみるがいい。」と嘲笑しながら言います。 ドロテアが処刑される前に男の子が現れ、彼女に果物と天上のバラを手渡します。 -
ドロテアは果物やバラの花篭を持ち、バラの花の冠を被った乙女として描かれることが多いです。
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「ロザリオの聖母」フランシスコ・デ・スルバラン
1571年に全ヨーロッパはキリスト教を滅ぼそうとするトルコ帝国の脅威にさらされていました。それに抵抗するためにヴェネツィアやジェノバやスペインの国々は教皇のもとで同盟を結び、ギリシャのレパント沖でトルコ軍の艦隊を全滅させてヨーロッパを守り勝利を得ます。 -
この勝利は武力によるものではなく、ロザリオの祈りを聖母マリアにささげたことによるといわれたため、時の教皇ピオ5世は勝利の日10月7日を「ロザリオの聖母マリアの祝日」と定めます。この絵が描かれたのは1650年なので、そんな歴史を踏まえたものだと分かります。
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「養父ヨセフを祝福するキリスト」フランシスコ・デ・スルバラン
とかくこの養父ヨセフという人はキリスト教絵画ではあまり表に立つことはないのですが、スルバランは主題として描いています。 -
「聖ヒエロニムス」フランシスコ・デ・スルバラン
赤い衣服に帽子なのはヴァチカンの職員であったことに由来にします。個人的には荒野でライオンとともにいる姿の方が好きです。 -
「イエス・キリスト」フランシスコ・デ・スルバラン
この絵を観た瞬間のインパクトは強烈でした。ものすごいリアリズムです。前日カタルーニャ美術館で観たスルバランの磔刑図もすごかったし「聖バルトロメの殉難」を描いたリベーラもすごかったですが、この絵が一番で後日プラド美術館で観たベラスケスよりも心に残りました。 -
スルバランはポルトガルに近いエストレマドゥーラの小さな村フエンテ・デ・カントスに生まれています。スルバランが生まれた時にエル・グレコはトレドで晩年を過ごしていましたし、ベラスケスは1年後に生まれ、ムリーリョは19歳後に生まれます。スルバランとベラスケスは共にセビージャで徒弟時代を過ごすという年代関係があります。
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この時代に磔刑図は非常に多く、さまざまな画家によって描かれていてほぼ同時期にベラスケスが描いたものがプラド美術館にあります。どちらの作品もベラスケスの師匠のプランシスコ・パチェコによる「キリスト教図像学」に忠実にキリストに穿たれた釘は4本で頭は少し右に倒れていでます。この作品のキリストはまだ生きていて、脇腹の傷はまだありません。そのためにさらに痛々しさを感じます。
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「洞窟の聖母」Virgen de las Cuevasフランシスコ・デ・スルバラン
サンタ・マリア・デ・ラス・クエバス修道院のために描かれた作品です。聖母の青いマントの元に修道士が跪き聖母の慈悲を受けています。地面に散らばっているロザリオを象徴するバラは信仰を広げる役割を果たしたドミニク・ヘリオンとジャン・ド・ローデスの2人の修道士を祝福します。 -
「イエス・キリスト」フランシスコ・デ・スルバラン
同じスルバランの磔刑図ですが、こちらはすでに息絶えた後の姿です。腰布までもが動きを止めたようです。 -
まるで写真を見ているような質感があります。そして皮膚の下を流れる血液までも感じるようです。
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右脇腹にロンギヌスの槍による傷が残っています。ロンギヌスは白内障を患っていましたが、槍を刺した際に滴ったイエスの血がその目に落ちると視力を取り戻したそうです。それを契機に彼は洗礼を受けて後に聖者(聖ロンギヌス)と言われるようになりました。
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スルバランの作品で一番印象に残ったのはこの2枚の作品でした。セビリアの伝統的な図像学に基づき、イエスの両足は重ねられることなく平行に釘で打たれています。
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「Carro del Parnaso」と呼ばれるこの作品はセビリアの王立タバコ工場の労働者たちが1747年にセビリアで行進した凱旋車を表す同サイズの8つの大きな絵画の1枚です。彼らはフェルディナンド6世のスペイン王位と彼の妻ブラガンザを祝福しました。
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「パルナス車」ドミンゴ・マルティネス
楽し気な祭りの雰囲気が伝わってきます。彼らの働いた王立タバコ工場は現在のセビリア大学で、ビゼーの作曲した「カルメン」の舞台でもあります。 -
「騙し絵」ディエゴ・ベジャラーノ
キャンバスに描いた板壁は釘で止められ、そこに版画で刷られた木が1本。下には骸骨の絵があることから上の絵はゴルゴダの丘ではないでしょうか。 -
銅板印刷の刷った厚みまで感じさせます。横に挟まれた紙にはセビリアの文字が読み取れました。とくに有名な作家でも無いのですが印象に残りました。
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「騙し絵」ペドロ・デ・アコスタ
こちらも先の絵と同じようなだまし絵(トロンプ・ルイユ)です。この時代流行っていたのでしょうか。 -
右の紙にはComedi Famosa del conde de SesSan、「セス伯爵の有名なコメディー」分かる人には分かる内容なのでしょうね。
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「D・ホセ・デュアソの肖像」フランシスコ・デ・ゴヤ
ほとんど真っ黒の背景にキャソックを着た姿が描かれています。彼は同じ色調のマントと帽子を身に着け、全体を絵の暗い背景と融合させています。左手に持っている赤い表装のバイブルを注意深く読んでいます。 -
「居酒屋での踊り」マヌエル・ロドリゲス・デ・グズマン
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居酒屋で酒を飲みながらギターと歌に合わせて踊る女性の姿が印象的です。
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まるでタブラオでフラメンコを見ているようです。艶やかなバイラオーラの踊りを想像させます。
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タブラオの雰囲気をそのまま切り取ったようです。最初のカフェ・カンタンテは1842年にセビリアにできたとされ、この絵が描かれたのは1852年ですので、その当時に手拍子や掛け声(ハレオ)による伴奏とギターが加わった頃のようです。
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「マヨスのカップル」ホセ・グティエレス・デ・ラ・ベガ
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黒いレースのシージョと呼ばれるショールと髪飾りが印象に残ります。そして背景に描かれた塔はヒラルダの塔なので、舞台はセビリアだと分かります。
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「春祭りのカセータでの踊り」マヌエル・カブラル・ベジャラーノ
フェリア・デ・アブリルと呼ばれるセビリアの春祭りの様子です。日本ではバレンシアの火祭りとパンプローナの牛追い祭りと共にスペイン3大祭りのひとつに数えられています。 -
春祭りでは男性も女性も着飾って、男性はトラヘ・コルト(裾が短いジャケット、タイトなパンツ、ブーツ)、女性はフラメンカ(フラメンコドレス)という伝統的な衣装を着るそうです。現代は聖週間(セマーナ・サンタ)の約2週間後行われるのですが、残念ながら今回の旅では終わった後でした。
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「ムーア人の待ち伏せ」フェルナンド・ティアド
この人の作品をどこかの美術館で観た記憶があるのですが、パリだったような気がしますが思い出せません。ちょっとアラビアのロレンスを想像させます。 -
「マルバロカ」ホセ・ガルシア・ラモス
マルカバロはスペイン人兄弟によって書かれた演劇の題名です。若い年齢でセビリアの美術学校の学生だった彼は風景や小さな作品を描いていました。1872年にローマへ旅に出た後はホセ・ヒメネスアランダの工房で修行しています。その後も1877年にナポリとヴェネツィア、1882年にはパリに出ています。 -
セビリアに戻ってからはサンタ・イザベル工業芸術学院の教授に任命されています。イラストレーターとしても活躍したそうで、この絵を観ても純粋に絵画というより、商業的な雰囲気を感じさせます。ビスケットの缶とかパッケージのデザインみたいです。1912年にセビリアで亡くなっているので、アールヌーボーを感じさせるデザインでもあります。
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「女性とショールと扇子」ホセ・ガルシア・ラモス
美術館へ来る前に歩いたシエルベス通りで見たフラメンコのアバニコ(扇子)を思い出させます。上の作品は亡くなる年の1912年の作品で、こちらは1900年に描かれたものです。 -
「バイオリンを持った少年」ホセ・ガルシア・ラモス
これは1905年に描かれています。この絵は素晴らしいと思いました。誰かのお下がりのコートを着ているので寒い季節にバイオリンを抱えて表を歩いている少年の姿です。大きなカバンには何が入っているのでしょう。 -
相棒の犬を連れて繁華街でバイオリンを弾いていくらかのお金を稼いでいるのでしょう。悲壮な感じがするところですが、少年の笑顔に救われる気がします。
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20世紀初頭のセビリアってどんな街だったのだろうかと想像してしまいます。
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「ブレリアを踊る」ホセ・ガルシア・ラモス
ブレリアはジプシーの結婚式で花嫁の処女が証明されたときにどんちゃん騒ぎで歌い踊られるカンテ・デ・ハレオの継承の曲です。名前の由来としてはいろいろ説があり、BURLERIA(ブルレリア=悪ふざけ・あざけりからかい)、BOLERA(ボレラ=ボレロ風)又はBULLA(ブジャ=騒ぎ)からきているとされるそうです。 -
20年前に初めてバルセロナに行った頃はランブラス通りから裏に入ったエリアはあまり治安の良いエリアではありませんでした。サン・ジュセップ市場の裏のタベルナで食事した後に宿泊していたペニンシュラホテルへの近道で通り抜けると薄暗い店の中にこんなワインの樽は置かれ、酒を売っていたのを思い出しました。あの当時の怪しい雰囲気はすっかり無くなっていて少しがっかりしました。
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「私のキリストに会わせましょう」ホセ・ガルシア・ラモス
酒場の窓越しにドンブリでワインを飲んでいる男は大きな幼子イエスの木彫を抱えています。教会へでも納めに行くのでしょうか。足元にマントが落ちても気にしない様子です。テーブルに座る男はその姿を見て笑っています。 -
板戸にはワインの瓶と丼とグラスが描かれています。瓶を持ってくると量り売りが出来て、丼1杯いくらグラス1杯いくらという値段表のようです。当時の情景が浮かんでくるようです。
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「セビリアのダンスカップル」ホセ・ガルシア・ラモス
この作家のことは美術館に来るまで知りませんでしたが非常に興味を持ちました。 -
男性はトラヘ・コルト(裾が短いジャケット、タイトなパンツ、ブーツ)、女性はフラメンカ(フラメンコドレス)という伝統的な衣装を着ています。
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「セビリアのパティオ」ディエゴ・ロペス・ガルシア
セビリアで宿泊したドナ・マリアというホテルの裏側にはサンタ・クルス街という静かなエリアがありますが、お金持ちの邸宅がたくさんありました。その屋敷には美しいパティオがありました。そんな大きな屋敷のパティオで描かれた絵だと感じます。 -
ディエゴ・ロペス・ガルシアはアンダルシアの日常の情景を描写することに専念した画家でした。
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「ラ・トイレ(香水)」ゴンザロ・ビルバオ・マルティネス
彼は裕福な家庭に生まれ育ち、父親の勧めで法律を学び学位も取得しますが芸術家の道を進みます。父親の理解もありフランスとイタリアを3年旅する費用も出してもらっています。その後もアルジェリアやモロッコを旅して、そこで描いた絵をパリで売ったり。1910年代にはセビリアの王立タバコ工場の広告用の絵も描いています。 -
20世紀初頭のスペインの絵画といえばピカソやそれに続くダリ、そしてロメロ・デ・トーレスくらいしか知らなかったのでとても勉強になりました。
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「マエストロの死」(La muerte del maestro)
ホセ・ヴィレガス・コルデロ(Jose Villegas Cordero)
亡くなった闘牛士(マタドール)の元へ駆けつけた正装した闘牛士たちの姿が印象的です。多分闘牛の最中に命を落としたのでしょう。亡くなったマタドールの白い衣装と、周りに立つ闘牛士の金糸刺繍の艶やかな意匠との対比が心を打ちます。生前の名声も地位も財産も死んでしまえば終わりですね。 -
「家族の情景」ラファエル・マルティネス・ディアス
4人姉妹の姿でしょうか。4人が全く視線を合わせていないので心配になってしまいます。自分が部屋に入った瞬間の父親か母親の視線になった気がします。 -
原因はテーブルの上のイワシでしょうか。イワシは嫌いなので気持ちが少しわかるような気がします。
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「アントニア・ラ・ガレガ」(Baikarina. Antonia la Gallega)
イグナシオ・ズルアガは1890年代にパリのモンマルトルに住み画家としての修行を積んだようです。そしてポスト印象派の画家との交流があったそうです。ロートレックに影響を受けたためか題材もダンサーの絵が多いのでしょうか。 -
「セビリアの風景」ニコラス・ヒメネス・アルペリス
19世紀末のセビリアの風景です。この後この辺りを実際に歩きましたが、黄金の塔やカテドラルとヒラルダの塔に変化はありませんでした。大聖堂との間に建物が増えているくらいです。 -
2時間弱で駆け足で観た印象は否めませんが非常に充実した美術館でした。地球の歩き方などには掲載されていない美術館ですが、時間があれば立ち寄った方が良いところだと思います。
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