2018/05/05 - 2018/05/05
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kojikojiさん
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- 旅行記1742冊
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- フォロワー169人
マドリッド2日目は「プラド美術館」からスタートです。マドリッドは3回目ですがプラドは全開の旅では見学しなかったので2回目です。以前は写真撮影が可能でしたが、現在は禁止になってしまっているのでちょっとテンションが下がり気味の上に体調は絶不調です。妻は2度目のマドリッドですが30年前に来たときは仕事先の現地駐在の方に手配していただいた日本人のガイドさんと王宮からプエルタ・デル・ソルを見た後にプラド美術館に向かって歩いていてひったくりに遭ったそうです。妻は座り込んでバックを抱えたので実質的な被害は無かったのですが、ガイドさんはケガをされてその日の観光はそこで終わりになったそうです。その時の怖さもあってスペインから遠ざかっていましたが、今回の旅は「元気なうちにスペインに復讐する。」という目的がありました。「プラド美術館」は妻のそんな気持ちの集大成でもあります。チケットは買ってあったのでゴヤ門から中に入り、荷物を預けて身軽になっての見学です。写真は撮れないので昔の写真や家にあった各作家のカタログ・レゾネから撮影したものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宿泊したアトーチャ駅近くの「NHナシオナル」の朝食は2階のレストランでした。しかしスペインのホテルの朝食はどこも充実していてうれしい限りです。残念ながらこの日は前日からの体調不良のせいでフレッシュジュースとフルーツとパンプキンスープくらいしか手を付けられませんでした。
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こんなキッズコーナーまであって親切ですね。
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元気だったら絶対飲んだだろうな…。
コドーニュ社は1551年に創業して1872年にスペインで初めてシャンパーニュと同じ瓶内2次発酵によるスパークリングワイン「CAVA」を誕生させました。それ以来スペイン王室御用達ワインに指定されています。 -
妻は全般的に元気でしたが…。フルーツゼリーとヨーグルトでお腹を満たします。食べ物の匂いも受け付けなくなってきました。
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食べておかないと更に具合が悪くなりそうなので頑張っているところです。
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アトーチャ駅前のホテルから「プラド美術館」までは緩い登り坂でしたが、それもしんどいくらいです11ブロック登った「カイシャフォルム」で一休みしました。
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かつてメディオディア電気公社(Central El?・ctrica de Mediod?・a)であった建物の改装は、建築家ユニットのヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & De Meuron)設計事務所が手掛けています。「垂直な庭園」と「空中浮遊」的な状態という2つの特徴を持っています。
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3年ほど前に池袋の百貨店の屋上に空中庭園を造るプロジェクトを任され1年かけて苦労したことを思い出します。都内の壁面緑化を片っぱしに見て回ったことも思い出します。
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スペイン各地で見掛けていた乳牛のオブジェが目を引く「ALE-HOP」という日本には入っていないファッションアクセサリーや雑貨のお店があります。マドリッドから先の移動は帰国だけなのでちょっとお買い物に立ち寄りました。スペイン語の文字とイラストがかわいいステーショナリーを姪にお土産で買います。
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プラド通りの分離帯の公園は新緑の青葉が気持ち良いです。
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前日は終日渋滞していたプラド通りも土曜日の朝はガラガラです。
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「プラド美術館」の建物の中心部にベラスケスの像が置かれてあります。現在ここから入場することは出来ませんが、以前はどこから入ったのだろうか思い出せません。
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現在の入り口はゴヤの銅像がある北側です。チケット売り場もガラガラで誰も並んでいないので拍子抜けです。入った右側のクロークに荷物を預けて身軽になります。
絵画の写真を撮ることは出来ないのが残念です。20年前は写真撮影は出来ましたが、フィルムカメラの時代なので限られた作品しか撮っていませんでした。 -
「ゴリアテを負かしたダヴィデ」カラヴァッジオ
20年前に初めてプラド美術館に来た時に観ることが出来なかった作品です。今回観ることが出来るかと考えていましたが、クロークから出てきた目も前に掛かっていました。 -
「聖三位一体」エル・グレコ
この作品はトレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ修道院のドーニャ・マリア・デ・シルバの墓所に納められていた作品です。 -
「受胎告知」エル・グレコ
翌日行ったテッセン・ボルネミッサ美術館にも同じ構図の作品がありましたし、バルセロナのカタルーニャ美術館にもありました。個人的には聖母マリアの顔がぽっちゃりしていてあまり好きではありません。ヴェネツィア時代の最後の頃の作品だという事もあるのでしょう。 -
「寓話」エル・グレコ
「男は火、女は麻屑、悪魔が来てそれを吹きつける(燃え上がらせる)」というスペインのことわざを表しているという説明がオーディオガイドで聞けました。 -
右側の男性より左側の猿の方が人間らしい表情をしているように見えます。
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「老いた騎士の肖像」エル・グレコ
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「胸に手を置く騎士」エル・グレコ
グレコの肖像画の中で一番好きな絵です。ひだ襟と袖口のレースがエレガントです。また、胸に置かれた手の意味は何かの誓いか信念なのか礼節なのか…。 -
最初のスペイン旅行の数年後にアテネのタワーレコードでギリシャらしい音楽を探したことがありました。その時この絵をジャケットに使ったCDに目が止まりました。それはヴァンゲリスの「エル・グレコ」というアルバムでした。
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TBSで日曜日に放映しているた世界遺産」がSONYのスポンサーだったころ、番組の中で使われていた曲がいくつも入っています。20年近く前は今のように音楽を簡単に持ち運べなかったのでCDプレーヤーを持って旅していたので、すぐに聞けたのはよかったです。あまりに気に入ったので次にギリシャに行ったときにもう1枚買ったほどです。
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「受胎告知」エル・グレコ
この構図の受胎告知の方が個人的には好みです。 -
この受胎告知図はドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の大祭壇画の一部で、一般的に受胎告知として知られますが、実際は学院の正式名称である「託身の我らが聖母」に対して捧げられたものだそうです。このシーンは受胎したことを知らせる「告知」のシーンではなく、神の子がマリアの体内に宿った瞬間「受肉」を描いたと言えます。天井から溢れ出る光と中央で翼を広げる聖霊である鳩が神秘の成就を示しています。
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聖母マリアと大天使ガブリエル足元にはマリアの処女懐胎を象徴する「燃える柴」が描かれています。この奇跡の柴は受肉の瞬間にマリアの部屋に現れたとの説があり、それをグレコは採用して描き入れたらしいです。通常の受胎告知にはグレコもちゃんと白百合を描いています。
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「キリストの洗礼」エル・グレコ
キリストは純潔を示す肌着をまとい、犠牲と殉教を表す赤いマントで覆われようとしています。右側のラクダの毛皮をまとっているのが洗礼者ヨハネです。脇の木の根の上に斧が見えますが、これはヨハネが説く「すでの斧は木の根元に置かれています。りっぱな実を生み出さない木はみなそれで切り倒され火に投げ込まれるのです。」という一節を象徴しています。 -
天上側では父なる全能の神がそれぞれの階級に分けられた天使たちに囲まれて表現されています。右手を上げているのは祝福の象徴で、地上で起きている事柄を神聖化しています。左手に携えた球体は世界を表しています。
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「羊飼いの礼拝」エル・グレコ
グレコの墓所があるサント・ドミンゴ・エル・アンティーグオ教会の祭壇装飾の一部で晩年の代表作でもあります。前日トレドで時間が無くて立ち寄れなかった教会でもあります。画面手前の羊飼いはグレコ本人の自画像であるとも言われます。 -
「聖フィリポの殉教」ホセ・デ・リベーラ」
この作品は20年ほど前までは聖バルトロメの殉教を描いていたものとされていたそうです。リベーラの聖バルトロメの殉教はバルセロナの「カタルーニャ美術館」に展示してあったのを思い出します。皮剥ぎで殉教する直前の視線の鋭い作品でした。 -
「聖三位一体」ホセ・デ・リベーラ
1820年のプラド美術館創立の1年後にフェルナンド7世が購入した作品で、エル・グレコの「聖三位一体」のベースにもなった作品です。 -
「マグダラのマリア」ホセ・デ・リベーラ
プラド美術館には悔悛した聖人を描いた四連作が収蔵されています。 -
「聖ペドロ・ノラスコに現れた使徒ペテロ」フランシスコ・デ・スルバラン
聖ペドロ・ノラスコは1180年頃にバルセロナで生まれ、この作品はノラスコが瞑想している時に、聖ペテロが殉教時の姿で現れたという奇跡の瞬間を描いています。 -
皇帝ネロの怒りを買ったペテロとパウロは共に投獄されます。牢獄から解放されたペトロは、信徒たちに一刻も早くローマから逃れるように伝えます。ペトロがローマを出発してしばらくすると、ローマに向かってイエスが歩んでいきます。ペトロが尋ねるとイエスは「もう一度十字架に上がるのです。」と答えます。その言葉を聞いたペトロは悔い改めローマに戻り、処刑されるときはイエスと同じ十字架刑では畏れ多いとして、逆さ十字架にかかって殉教します。
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「瞑想する聖フランチェスコ」フランシスコ・デ・スルバラン
2015年にプラシド・アランゴ氏により寄贈された3点のうちの1つです。 -
「神の子羊」フランシスコ・デ・スルバラン
スルバランは同じ構図の作品を何点か描いていますが、その中でも最も質が高い作品です。翌日「王立サンフェルナンド美術アカデミー」で同じ作品に再会しました。スペインを旅していると同じ作家の同じ作品に何度も出会うので混乱します。 -
「四種の器のある静物」フレンシスコ・デ・スルバラン
スルバランの静物画は数えるるほどしかないそうですが、その中でも印象に残る作品です。この作品もバルセロナの「カタルーニャ美術館」にありました。 -
「エウヘニア・マルティネス・バリェーホ」ファン・カレーリョ・デ・ミランダ
この女性は6歳のときに70キロあり、宮廷に召し出された際に話題になったそうです。当時は身体的や精神的に障害を持った人が宮廷で好まれたという背景があるそうです。 -
「小鳥のいる聖家族」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
ロンドンのナショナル・ギャラリーのフェデリコ・バロッチの作品を思い出させます。義父ヨセフが主題になっている珍しい構図です。 -
「聖ベルナルドゥスに現れる聖母」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
聖ベルナルドゥスはシトー会修道院を設立した12世紀の神学者です。ある日聖堂で聖母マリアの彫像を前に「あなたの母たることをお示しください」と祈りを捧げていると、彫像が動いて乳を聖人の唇に滴らせたと伝えられます。この神秘の授乳の場面は対抗宗教改革期のスペインで好まれ多くの作例が残されました。 -
「ロザリオの聖母」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
この作品はカルロス4世がエル・エスコリアルの施設のために依頼したものです。ロザリオの祈りは当時流布していたことが分かります。 -
2018年はムリーリョの生誕400年の年で、各地でムリーリョ展が開催されていました。セビリア美術館もすごい人でしたし、プラド美術館を訪れた翌日に行った「テッセン・ボルネミッサ美術館」でも特別展が開催されていました。
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「善き牧者としての幼児キリスト」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
ムリーリョの描く子供の姿は愛らしいです。ただ可愛らしさだけではなく背景の破壊された遺跡は異教に対してのキリスト教の勝利と思います。 -
「貝殻を持つ幼児たち」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
天使が空を舞う中で幼子イエスが従兄弟であるヨハネに貝殻で水を与えています。ヨハネはラクダの毛皮を着て、手に持った葦の十字架には「見よ、神の子羊」と書かれてあります。目の前の子羊ではなく自己犠牲によって世界を原罪から救済するイエスのことです。ヨハネは後にヨルダン川でイエスに洗礼を行いますが、そのことを予見させます。 -
「無原罪の御宿り」バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
ムリーリョは無原罪懐胎を題材にした作品を20枚も描いていますが、プラド美術館にはそのうち4枚が収蔵されています。この作品はセビリア大聖堂の高僧がムリーリョに注文したもので、後にナポレオン軍のスルト元帥によって没収されフランスに渡ります。1852年にオークションにかかりルーブル美術館が当時の史上最高額で落札します。そして1941年に美術品の交換でプラド美術館の収蔵となります。 -
「風景の中に置かれたスイカとリンゴ」ルイス・エヒディオ・メレンデス
重たい題材の宗教画ばかり見ているとホッとする作品です。 -
ゴヤの展示室へ移る前に少し休憩します。
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20年前にプラドに初めて来たときはベラスケスよりもゴヤの作品の一部「黒い絵」シリーズに心惹かれました。他にも不思議な絵やエッチングがたくさんありますが、まだまだ勉強してない画家なのでこれを機会に調べてみようと思います。
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「自画像」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤはベラスケスとレンブラントに影響を受け、1780年代に入るころにはスペインを代表する画家となります。1792年に重い病気によって聴覚を失い、これが「黒い絵」の制作のきっかけとなります。ゴヤは時代を痛烈に批判した一連のエッチング作品「ロス・カプリチョス」でも知られています。 -
「陶器売り」フランシスコ・デ・ゴヤ
エル・パルド宮のアストゥリアス皇太子の寝室を飾るタペストリーの原画の中で一番有名な作品です。ゴヤの描く市井の人々と馬車に乗る貴婦人の対比が面白いです。 -
「十字架上のキリスト」フランシスコ・デ・ゴヤ
新約聖書に記されている自らユダヤの王と名乗り民を惑わしたという罪状でイエスがユダヤの司祭から告発を受け、罪を裁く権限を持つ総督ピラトが自身に関わりが無いことを示した為、ユダヤの司祭らの告発どおりゴルゴダの丘で2人の盗人と共に磔刑に処されたキリスト教上で最も重要視される場面の1つです。今回の旅で知ったスルバランの磔刑図も素晴らしかったです。 -
「オスーナ公爵夫妻と子供たち」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤを代表する肖像画作品のひとつです。依頼主である第9代オスーナ公爵が1788年に父の死去によって爵位を継いだ際に制作された家族肖像画です。 -
オスーナ公爵は父である先代の死去に伴う半喪服的な衣服を身に着けていますが、ベルベンテ女公爵夫人や娘らは当時の最も流行していた最先端のフランス風ボロネーズのドレスに身を包んでいます。
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「チンチョン伯爵夫人」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤが首席宮廷画家に任命された直後に描いた作品で、モデルは宮廷人ドン・ルイスの娘です。ゴヤは彼女がまだ4歳の時に一度描いた事があり、それから17年後に宰相マヌエル・ドゴイの妻となります。彼女は17歳の時にドゴイと政略結婚させられますが、夫は王妃マリア・ルイーサの愛人であり浮気や重婚を繰り返します。ゴヤは子供の頃から彼女の立場や心情をよく理解し同情していたのだと思えます。暗い背景はどこまでも続く闇を感じます。ポーズをとるチンチョン伯爵夫人は悲しみを湛えた顔は美しいのですが心の闇の深さを感じます。 -
「カルロス4世の家族」フランシスコ・デ・ゴヤ
1799年にゴヤが宮廷の首席画家へ任命された翌年から1年近くかけて制作されたスペイン国王一家の集団肖像画です。ゴヤは絵を完成させるためにマドリッドから王族一家の住むアランフェスの離宮へ数回通い、10点にもおよぶ人物単体の肖像画を習作として制作しています。 -
画面の中央に実質的な支配者であった王妃(パルマ公フィリポの娘)マリア・ルイサ・デ・パルマが幼いふたりの子供ドーニャ・マリア・イザベルと赤い衣服を身に着けたフランシスコ・デ・パウラを手元に置いています。幼いパウラの隣には愚鈍とも揶揄された国王カルロス4世が凛々しい姿で配されています。
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「裸のマハ」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤがマハ(マハとは特定の人物を示す固有の名前ではなくスペイン語で小粋な女を意味する言葉)を描いた作品で、神話上の絵画を含む如何なる作品でも裸体表現に極めて厳しかったフェリペ4世統治下のスペインで制作された非常に希少な裸婦像です。ゴヤはこの作品を描いたために制作から15年近く経過した1815年に異端審問所に召還されています。 -
「着衣のマハ」フランシスコ・デ・ゴヤ
この作品は重要なパトロンのひとりで、権力を手にしてから皇太子や民衆など様々な方面から非難を浴びせられた宰相ゴドイが所有していました。そのためにこの2作品は彼が制作を依頼したものだとする説が採用されています。 -
マハは当時スペイン国内の貴婦人が愛用していた異国情緒に溢れたトルコ風の衣服に身を包んで化粧も整えています。モデルについては古くからアルバ公爵夫人マリア・デル・ピラール・カイェタナとする説が有力です。ゴヤが残したアルバ公爵夫人の素描や肖像画の顔と比較してもあまりに異なる点があるため否定的な意見も多く、宰相ゴドイの愛人ペピータとする説なども有力視されているそうです。
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「サンタ・クルス公爵夫人」フランシスコ・デ・ゴヤ
ゴヤの重要なパトロンであったオスーナ公爵家の長女で「微笑みの美女」として称えられ、1801年にサンタ・クルース公爵と結婚したホアキーナ・テリェス・ヒロンをモデルにしてます。諸芸術を司る9人の女神ムーサのひとりテルプシコラに扮した姿を描いた扮装肖像画です。長椅子へ横たわる姿で描かれるサンタ・クルース公爵夫人はナポレオン帝政時代の大きく胸元の開いた白絹の衣服を身に着け、古代ギリシア風の竪琴を傍らに置いています。 -
パリのルーブル美術館に収蔵されているダヴィッドの「レカミエ夫人の肖像」を思い出させます。
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「1808年5月3日の銃殺」 フランシスコ・デ・ゴヤ
1808年5月2日夜間から翌5月3日未明にかけてマドリッド市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって400人以上の逮捕された反乱者が銃殺刑に処された場面を描いたものです。処刑は市内の幾つかの場所で行われますが、女性や子供を含む43名が処刑されたプリンシペ・ピオの丘での銃殺を描いたものとされます。 -
プリンシペ・ピオの丘での処刑を「聾者の家」で目撃したゴヤが憤怒し、処刑現場へ向かい、ランタンの灯りで地面に転がる死体の山を素描したとの逸話も残されているそうです。銃を構える銃殺執行隊は後ろ向きの姿で描かれその表情は見えません。
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「砂に埋もれる犬」フランシスコ・デ・ゴヤ
大好きな黒い絵のシリーズです。この一連の絵が飾ってある部屋の印象は強く残っていたのですが、20年振りに行ってみると記憶と違っていました。土にも似た濃茶色の砂に埋もれ頭部だけが僅かに見える1匹の犬が描かれています。その表情はまるで助けを求めるかのような物悲しげな印象を与えます。バルセロナのミース・ファン・デル・ローエのパビリオンの前の広場でうんちしていた犬を思い出します。 -
「棍棒での決闘」フランシスコ・デ・ゴヤ
1819年ゴヤはマドリード近くにあるマンサナーレス川のほとりに「聾者の家」と呼ばれる家を購入しています。耳が不自由な以前の居住者にちなんで名付けられた2階建ての小さな家です。ゴヤも1792年に発熱した後に左耳が聞こえなくなっています。この家でゴヤは14枚のシリーズ作品(黒い絵)を油彩絵具を使って壁に直接描いています。 -
「魔女の夜宴」フランシスコ・デ・ゴヤ
「聾者の家」の1階食堂の左手の側壁に描かれていたのが「魔女の夜宴」と題する長大なこの絵です。魔女たちが夜中に集まって、悪魔のための宴会を催すという中世以来の民間伝承を下敷きにしており、ゴヤはこの他にも何枚か同じテーマの絵を描いています。伝承によれば悪魔は牡山羊の姿であらわれるということになっていいます。ゲーテの「ファウスト」に出てくる「ワルプルギスの夜」の場面も「魔女の夜宴」のテーマを描いたものですがファウストの場合、牡山羊は魔女の乗り物とされています。 -
「我が子を喰らうサトゥルヌス」フランシスコ・デ・ゴヤ
天空神ウラノスと大地の女神ガイアの間に生まれた6番目の巨人族で、ローマ神話における農耕神のほか土星の惑星神や時の翁としても知られるサトゥルヌスが我が子の1人によって王座から追放されるとの予言を受け、次々と生まれてくる息子たちを喰らう逸話の場面です。サトゥルヌスの常軌を逸した視線が忘れられなくなります。 -
「食事をする二老人」フランシスコ・デ・ゴヤ
この絵を観ると諸星大二郎の「マッドメン」のデマを思い出してしまいます。 -
「巨人」フランシスコ・デ・ゴヤ
1812年にこの作品はゴヤの息子ハビエル・ゴヤの所有物となりますが、後にペドロウ・フェルナンデス・デュランが所有して、デュランの遺言によってコレクションはプラド美術館に譲られます。ゴヤの作品かどうかという真贋論争が残る作品でもあります。 -
「マラガの海岸におけるトリホスとその同志らの処刑」アントニオ・ヒスベルト
情景的にはゴヤの「1808年5月3日の銃殺」を思い出させ、印象に残る作品でした。中央の人物はホセ・マリア・トリホスという国防大臣を務めた人物で、フェリディナンド7世の反動政治が始まってイギリスに亡命します。スペインへ帰国する途中に船は拿捕されマラガの海岸で仲間と共に銃殺されます。 -
「浜辺の子供たち」ホアキン・ソローリャ
ホアキン・ソローリャは19世紀から20世紀にかけて活躍し、2000点以上の作品を残しています。地中海のあふれる陽光をキャンバスに踊らせることでは右に出るものがいないほどで「光の画家」とも呼ばれています。海岸の細かい砂粒と海水の混ざり具合などがさほど細かくないタッチでありながら完璧に描かれています。トレドの「エル・グレコ美術館」にも作品が1枚ありました。「ソローリャ美術館」へも行きたかったのですが、前日からの体調不良で半日分時間が無くなってしまい行けませんでした。 -
「天使に支えられる死せるキリスト」アントネッロ・ダ・メッシーナ
プラド美術館にはイタリア絵画の優れた作品も数多くあります。キリストの屍を後ろから支える天使の泣き顔が印象に残ります。背景はシチリアのメッシーナの町です。イタリア半島とシチリアの間の海峡に面した街で、夜行列車ごとフェリーに乗って2回、マルタ島からサレルノへ向かうフェリーで1回通過していますが、どちらも寝ているうちだったので全く記憶がありません。メッシーナの作品を最初に観たのはパレルモの州立美術館の「受胎告知」でした。 -
「ナスタジオ・デリ・ネオスティの物語」サンドロ・ボッティチェリ
題材はボッカチオの「デカメロン」の「ナスタジオ・デリ・ネオスティの物語」です。絵画的な興味よりもオーディオガイドの説明が面白くて印象に残った作品です。もちろんボッティチェリも好きな作家ではあります。 -
ナスタジオはラヴェナの若者です。パオロ・トラヴェルサーリの娘に求愛しますが断られ、傷心を抱えて郊外の松林をさまよい歩いています。すると馬に乗った騎士が裸の女性を追いかけまわす凄惨な光景に遭遇します。この騎士は追っている女性に拒絶され自殺したグィド・デリ・アナスタジの亡霊です。彼も女性も死んだ後になっても毎週金曜日にこの森で追跡を繰り返す劫罰を与えられているのです。女性は毎回背中を裂かれ、心臓を抜き取られ犬に与えられることを繰り返します。
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ナスタジオは次の金曜日にトラヴェルサーリとその家族を招待し食事会を催します。そしてこの愛憎劇を見せて考え直させる魂胆です。画面右手のテントでは考え直した娘が求婚を受け入れています。プラドにある作品は3枚ですが、個人所蔵のもう1枚の作品は結婚式の場面だそうです。
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「枢機卿」ラファエロ
この絵のモデルになった枢機卿は誰だか分かっていないそうです。イタリアの人文学者で枢機卿でもあったピエトロ・ボンベはラファエロの描く肖像画を「実よりも実なるもの」と評価しています。個人的にはローマのバルベリーニ宮にある「ラ・フォルナリーナ」という肖像画が好きです。ラファエロの墓のあるパンテオンで発見された絵で、腕にラテン語で「ウルビーノのラファエロ」と描かれています。ラファエロにとって忘れられない女性と言われています。 -
「子羊のいる聖家族」ラファエロ
ラファエロの作品が多くてびっくりしました。典型的な聖家族を題材にした作品で、お約束通り養父ヨセフは老人の姿です。構成上はフィレンツェのアヌンツィアータ教会の祭壇画のためにダ・ヴィンチが描いた下絵から着想を得ているそうです。 -
「大天使ラファエル、トビアスと聖ヒエロニムスのいる聖家族いる(魚の聖母)」ラファエロ
ナポリのサン・ドメニコ修道院の装飾用に発注された作品です。当時ラファエロはヴァチカンのヘリオドロスの間の装飾を手掛けていましたが、同時にこの作品も描いていました。 -
聖ヒエロニムスは発注者へ捧げたもので、トビアスの書にのみ記される大天使ラファエルを仲介者として描いています。トビアスは父親の盲目を治癒した魚を持っていることから魚の聖母と呼ばれます。
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「カルヴァリオへの道での転倒」ラファエロ
この作品はシチリアのパレルモのサンタ・マリア・デッロ・スパシモ修道院にあったことから「シチリアの苦難」と呼ばれるそうです。十字架の重さに倒れたキリストは「私のために泣くのはやめなさい。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣きなさい。」とやがて来るエルサレムの滅亡を警告したそうです。 -
1661年にナポリ総督のフォンセカからフェリペ4世に献上されます。当時のナポリはスペイン副王の支配下にあり、いわばスペインの飛地領土でもありました。1813年にナポレオン戦争でパリへ持ち出されますが1818年にマドリッドに戻っています。
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「聖家族(真珠)」ラファエロ
ラファエロの作と言われますがジュリオ・ロマーノの協力で完成された可能性があるそうです。この作品はマントヴァ公爵家から英国王チャールズ1世の手に渡り、後にフェリペ4世が所有しています。フェリペ4世はこの作品を愛してコレクションの宝と呼んだそうです。 -
「ダナエと黄金の雨」ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
古代ローマの詩人オウィディウスの「愛の詩」によれば、ダナエは自身が産む息子がダナエの父を殺害するという神託を受けたため、アクシリオスによって地下室に幽閉させます。この神託を知っていたにもかかわらず、ダナエは黄金の雨に身を変えたオリュンポスの主神ゼウスに誘惑されて男児を身籠もります。ダナエが男児ペルセウスを出産したことを知ったアクリシオスは、自身の孫ペルセウスがゼウス神の子供であることを無視して、母子を箱に閉じ込めて海へと流してしまいます。母子が閉じ込められた箱はセリーポス島に漂着し、ペルセウスはその島のディクテュスによって育てられ、成長したペルセウスは事故とはいえ神託通りにアクリシオスを殺害することになります。昨年行った「エルミタージュ美術館」の作品を思い出します。 -
「ヴィーナスとアドニス」ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1553年にヴェネツィアで出版された「アドニス、ヒッポメネスとアトランテの寓話」から着想を得ているといわれます。出版者のディエゴ・ウルタード・デ・メンドーサはティツィアーノの客でもあったそうです。ヴィーナスは最愛のアドニスが狩りに出かけるのを止めようとしています。神話の物語ではこの後アドニスは猪に化けたアレースに殺されてしまいます。 -
「無原罪の御宿り」ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
カルロス3世がアランフェスのサン・パスクアル修道院に飾る作品としてティエポロに発注したものです。ティエポロの最高傑作といっても過言ではないでしょう。
聖母マリアの足元には白ユリ、バラ、シュロ、鏡、地球、三日月、蛇と無原罪を象徴するアトリビュートが全て揃っているようです。 -
「聖母子」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
初期ネーデルランド絵画史を代表する大画家です。ウェイデンの様式は同時代最大の巨匠ヤン・ファン・エイクに比べ写実性は劣る感じがしますが、それを補って余るほどの深い精神性を携えた雰囲気を漂わせます。 -
フランドル絵画を観るとベルギーとオランダの美術館を3週間かけて周った旅のことを思い出し、そして今回の旅が1週間ほど短かったことを後悔します。
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「快楽の園」ヒエロニムス・ボス
ブリューゲルとボスは子供の頃から大好きな画家です。コルドバのフリオ・ロメロ・デ・トーレス美術館について書いた澁澤龍彦は同じ「幻想の肖像」でこの絵に着いても書き残しています。ボス研究家のウィルヘルム・フレンガーによるとボスは当時オーストリアからフランドルまで広がったキリスト教異端のアダム派に属していたのではという事です。「衣服を着ている者は自由を手にすることができない。」という裸体の実践をする一種の神秘手記的な秘密結社だったそうです。そんな澁澤流の絵画解釈の面白い本です。 -
「七つの大罪」ヒエロニムス・ボス
フェリペ2世が購入し1574年にエル・エスコロアルに納められた作品です。エル・エスコリアル修道院の巨大な建物のシンプルなデザインと王室の墓所と膨大な有名絵画の数々…ボスやエル・グレコ…。 -
「愚者の石の切除」ヒテロニムス・ボス
周囲には「先生、早く石を切除してください。私の名前はルツベルト・ダス」と書かれてあるそうです。広大な風景の中で無知な患者は自らの「狂気」を切除してもらおうとしています。フランドルの諺では「狂気」は愚かさや無知と解釈されます。外科医は漏斗を逆さまに被り、修道士は患者に話しかけていますが、これは欺瞞と偽の信仰を表し、閉じた本を頭に乗せた女性は無視された化学や知識を象徴しています。 -
「干し草車」ヒエロニムス・ボス
三連祭壇画の題材はフランドルの諺にある「この世は干し草の山にあり、誰もがありったけをつかみ取ろうとする。」という世界を寓意的に表現しています。大量の干草のまわりには大勢の人々が集い、抱きつく人たち、祈りを捧げる天使など、楽しげな様子が描かれている一方で、荷車に轢かれる人、殴り合いのケンカなどの姿も。美しさと怪しさが混在する奇妙な世界が楽しいです。左側のパネルではアダムとイブのエデンの園の楽しい日々から追われています。 -
「冥府の川の渡し守カロン」ヨアヒム・パティニール
この画家についてはほとんど知識がなく、今回印象に残った作品です。題材はステュクス川の渡し守のカロンで、冥界の王ハデスの元へ亡者を導く案内人です。左岸には天使の姿が見え、右岸には地獄の番犬ケルベロスの姿が見えます。ベックリンの「死の島」の雰囲気を感じる作品です。 -
「聖ヒエロニムスのいる風景」ヨアヒム・パティニール
ウォラギネのの「黄金伝説」に由来する聖ヒエロニムスの姿です。聖人がライオンの足の棘を抜いてやる姿が描かれています。この逸話からヒエロニムスを描いた絵画のアトリビュートとしてライオンが描かれていることが多いです。この絵で描かれた背景の雰囲気も心惹かれます。 -
「聖アントニウスの誘惑」ヨアヒム・パティニール
人物はクエンティン・マセイスが描いているそうです。当時のフランドルでは風景が得意な画家や花が得意な画家などに分かれ、何人かで合作下絵を残していることが多いです。この絵の背景もパティニールの住んでいたマース川の風景のようです。こんな岩山はこの辺りにはありませんが。 -
「エクセ・ホモ(この人を見よ)」クエンティン・マサイス
パティニールの絵の人物を描いたクエンティン・マサイスの作品です。数年前にロンドンのナショナル・ギャラリーで「醜女の肖像」を観て以来印象が固まってしまっています。 -
「死の勝利」ピーテル・ブリューゲル
死の勝利を題材にした作品は数多くありますが、シチリアの「パレルモ州立美術館」で観た巨大な壁画のことを思い出します。骨になった騎馬にまたがった骸骨の騎士はインパクトありました。ブリューゲルはイタリアを旅した時にこの作品を観たのでしょうか。 -
「聖マルティンのワイン祭り」ピーテル・ブリューゲル
フランドルをはじめとするゲルマン系の諸国では11月の聖マルティヌス祭りの際にその年収穫されたブドウで造られたワインを村で配る風習がありました。この作品のコピーをブリュッセルの王立美術館で観た記憶があります。もっと美しく描かれていますが、2010年にプラド美術館に収蔵されるまで失われたとされていたオリジナルです。 -
「花の聖母子」ヤン・ブリューゲル
パティニールの絵にマセイスが人物を描いたように、ヤン・ブリューゲルの描いた花々の中にルーベンスは聖母子像を描いています。このスタイルは17世紀にヤン・ブリューゲルが創始したスタイルで当時の知識人階級から支持されたそうです。 -
「三美神」ピーテル・パウル・ルーベンス
澁澤龍彦は「幻想の肖像」にはこの絵を収めてはいませんが、後に来るグリーンの「三美神」の中でこう書き残しています。「トロワ・グロース(三美神)の立ち位置には女性の肉体の魅力を3つの角度から眺めることによって残る隈なく描き出そうとする野心と直接に結びついている。」 -
「アンドロメダを救うペルセポリス」ピーテル・パウル・ルーベンス
フェリペ4世が王宮のサロン・ヌエボの装飾のために注文した作品です。ルーベンスの絶筆とされ、弟子だったヨルダーンスが完成させたとされます。主題は海の怪物に囚われたエチオピアの王女アンドロメダを英雄ペルセウスが救出するというギリシア神話のよく知られたエピソードです。ルーベンスはそこに愛の神キューピッドと松明を持つ結婚の神ヒュメナイオスを配し、2人が恋に落ちて結婚する行く末を暗示しています。 -
「自画像」アルブレヒト・デューラー
この肖像画を見ると彼は絶対にナルシストだったと思います。とても画家とは思えない貴族のような姿で描いています。ニュルンベルグのクリスマスマーケットに行ったことを思い出しますが。同時に時間が無くてデューラーの家に行けなかったことを残念に思います。この絵はニュルンベルグ市庁からイギリスノチャールズ1世に贈られ、1654年に国王財産競売で落札されフェリペ4世に献上されています。 -
「アダム」アルブレヒト・デューラー
この絵も再会したかった作品です。イノセントな表情のアダムもイブから手渡されたリンゴを手にしてしまっています。 -
「イブ(エヴァ)」アルブレヒト・デューラー
左手に持つリンゴは蛇からの贈り物で、右手に持つ枝の下にはデューラーが1507年に描いたというサインと特徴のあるADのロゴが見えます。 -
「聖母子と聖ヨハネと天使」ルーカス・クラナハ
クラナッハは宗教改革で有名なマルティン・ルターの友人だったのでプロテスタント諸侯のザクセン選帝候ヨハン・フリードリッヒに仕えますが、カトリック教徒の顧客からの注文も途絶えることが無かったそうです。幼子の姿で描かれた従兄弟の洗礼者ヨハネの姿があり、イエスに葡萄を渡しています。これはブドウから造られるワインは聖体拝領でキリストの血とされることから死を予感させます。 -
「調和(または三美神)」ハンス・・バルドゥング・グリーン
この絵も澁澤龍彦の「幻想の肖像」で紹介されていたので、今回見落とさないようにした作品です。澁澤龍彦は本で紹介した作品をすべて見ている訳ではないのですが、この絵はスペイン旅行で実際に観ているのだと思います。ハンス・バルドゥングの女性像のエナメルのようになめらから肌の質感は本から読み解けるはずもありません。そして同時代のクラナッハを除いて空前絶後と称賛しています。デューラーはハンスの絵の緑色があまりに美しいので「緑色のハンス」と呼んだそうです。
そこからバルドゥング・グリーンという通称が出来たそうです。
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