2018/05/06 - 2018/05/06
1682位(同エリア2816件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1759冊
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- Q&A回答73件
- 3,459,590アクセス
- フォロワー169人
この20年で過去に2回マドリッドへ来ていましたが、「テッセン・ボルネミッサ美術館」には一度の来ていませんでした。2度目は「プラド美術館」にも行ってなかったと思います。そんな思いもあってこの美術館へ来ることもリベンジのひとつでした。朝一番に美術館に着くとほとんど来場者も無くガラガラの状態でした。事前にネットでダウンロードしたチケットを見せると何と期限切れでした。確かに日にちの設定が無かったのですが、買った当日限り有効とのことでした。ですがよくある間違いのようで、チケット売り場に戻ると新しいチケットに取り換えてくれました。これは外国人旅行者だったからではないでしょうか。オーディオガイドを借りて2階のゴシック時代の絵画から順を追って見学します。この美術館のオーディオガイドは非常に秀逸で絵画の歴史が手に取るように分かります。ただ、説明が非常に長いのでなかなか先に進めないのが難点でした。まるで美術の歴史書の中をさまよい歩くように近代絵画までたどり着くと軽く2時間が過ぎていました。個人的にはプラド美術館と双璧をなす美術館だと思えました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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マドリッド3日目も朝も体調は良くなりません。しかしこの日は美術館を2つ行きたいので頑張っています。それでも初日にホテルで半日休んでしまったために行けなかったところも数多く残りました。
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プラド通りの緩やかな坂を登り切った辺りに面白そうな店がありましたが、日曜日なので閉まっています。
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ゲルニカのパーツをステンレスで再現したオブジェは2,375ユーロというお値段です。
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上を見上げるとラス・メニーナスの世界が広がっています。
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ベラスケスは何を見ているのでしょうか。視線の先に国王夫妻はいません。
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マリアナ・デ・アウストゥリア王妃はベラスケスの絵と同じスタイルです。
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その先にある「テッセン・ボルネミッサ美術館」に到着しました。マドリッドは3回目ですがここに来るのは初めてでした。なんで来なかったのか特に理由はないのですが、過去2回も旅の最後のマドリッドでは体調不良になっていました。
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ここのチケットも事前にネットで購入していたのですが、日にちの指定が無かったのでおかしいなと思っていました。入り口でチケットを見せると案の定引っ掛かりました。事前に日本で購入した日にちが有効だったようです。この間違いはよくあるようで、手慣れた説明でチケット売り場へ行くように言われます。チケット売り場の女性も手慣れたようで新しいチケットを発券してくれました。
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順路は2階からスタートします。第1室からイタリアン・プリミティブからゴシックと時代順に作品が展示してあります。入り口で借りたオーディオガイドが非常に詳しく説明してくれるので勉強になるのですが時間がかかります。
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「キリストの降誕」ジャック・ダレー
初期フランドル派の画家で現在のベルギーのトゥルネー出身で、生涯のほとんどをトゥルネーで過ごしたそうです。この画家については全く知識がありませんでした。 -
「戴冠の聖母マリア」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
ロヒール・ファン・デル・ウェイデンは初期フランドル派の画家で、現存している作品の多くは、キリスト教的主題が描かれた祭壇画と肖像画です。当時もっとも成功して国際的な名声を得ていた画家でした。その作品はイタリアやスペインへも持ち込まれ、ブルゴーニュ公フィリップ3世のようなネーデルラントの貴族階級や、諸外国の王侯貴族からの絵画制作依頼を受けています。 -
15世紀後半にはフランドルの宮廷画家ヤン・ファン・エイクを凌ぐまでに高い評価を得ていますが17世紀になってバロック美術の台頭で絵画の潮流が変化していくとともに名声は低くなり、18世紀半ばにはほとんど忘れ去られた画家となっています。その後200年の間に再評価が進み、現在ではロベルト・カンピンとヤン・ファン・エイクと共に初期フランドル派を代表する三大巨匠であり、15世紀の北方絵画においてもっとも影響力があった画家とみなされています。
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「枯れ木の聖母」ペトルス・クリストゥス
この作品は他には類例を見ることのできない特異な樹木を使って聖母子を表しています。中央の幹から伸びた枯れ木の枝が茨の冠の形となって聖母子を包み込んでいるようです。この木はエデンの園にあった生命の樹を暗示しているのかも知れませんが、この生命の樹は枯れ果てています。そして茨の冠はキリストの受難を象徴し、その中にひっそりと立つ聖母子の未来を暗示しているようです。さらによく見ると枯れ木の枝に15個の「a」がぶら下がっています。これは聖母マリアの連祷である15の「アヴェ・マリア」を示しています。つまりこの作品は、樹木の枯死と再生の神秘に、キリストの死と復活が象徴されています。 -
「二つ折りの受胎告知」ヤン・ファン・エイク
デザインと図法は1432年に完成したファン・エイクの初期の作品であるヘントの祭壇画の表面に酷似しています。その相対的な規模の小ささから、教会に納められたよりも私的崇拝のために制作されたと思われます。パネル画は左側に大天使ガブリエル、そして右側には聖母マリアが描かれており、どちらも白いローブを着ています。 -
描かれている額縁には天使と聖母マリアの言葉も書かれており、大天使ガブリエルが「恵まれた者よ、主はあなたは共におられる。」と言い、聖母マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」と答えているそうです。
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聖母マリアは純粋そして聖霊の象徴であるハトが彼女の頭上に舞い、彼女の典型的な特徴である祈祷書を手にしています。
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「聖母子」ロレンツォ・コスタ
コスタはイタリアのルネサンス時代の画家でフェラーラで生まれ、ボローニャで活躍しています。 -
「男の肖像」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
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「少年の肖像(グイドバルド・デ・モンテフェルトロ)」ピエロ・デラ・フランチェスカ
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと妻バッティスタ・スフォルツァの子としてグッビオで生まれています。当時の肖像画の描き方に倣って横向きに描かれています。 -
ピエロ・デラ・フランチェスカは有名なフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと妻バッティスタ・スフォルツァの肖像画を描いています。フェデリーコの治めたウルビーノ自体は小国であり、軍人として教皇領やミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェなどの傭兵隊長として活躍し、一度も負けたことのない名将として名を馳せていましたがグイドバルドは病弱であったそうです。
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「男の肖像」アントネロ・ダ・メッシーナ
アントネロは、1430年頃にシチリア島東北部のメッシーナという町に生まれています。彼の生涯には不明な点が多いが生涯の大部分をメッシーナで過ごし、ナポリとヴェネツィアなどでも活動したようです。 -
パレルモのシチリア州立美術館で「受胎告知のマリア」を観たときは感動しましたが、この作品の生き生きとした男性の表情も素晴らしいです。
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「ジョバンナ・デッリ・アルビッツィ・トルナブォーニの肖像」ドメニコ・ギルランダイオ
ジョヴァンナはフィレンツェの高貴な生まれの女性であり、ロレンツォ・トルナブオーニと結婚しました(ロレンツォ・デ・メディチの母の実家であるトルナブオーニ家)。ジョヴァンナは1488年に出産が原因で亡くなっています。絵の背景に描かれた紙片にはイタリア語で「1488」と彼女の亡くなった年が記載されています。 -
ドメニコ・ギルランダイオはフィレンツェ生まれのルネッサンス期のイタリア人画家で、ヴェロッキオとポッライオーロ兄弟と共にフィレンツェルネッサンスにおける、「第3世代」と呼ばれる一員でした。ミケランジェロを代表とする多くの有名な画家たちはギルランダイオの工房から輩出され、ギルランダイオの宗教的な物語の中で描写された現代的な人々や生活を描いた絵画や肖像画は大きな人気をもたらしました。
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「ヘンリー8世の肖像」ハンス・ホルバイン
ホルバインは南ドイツのアウクスブルクに生まれ、後にイングランドで活動した画家です。国際的に活躍した肖像画家として著名であるとともに、木版画シリーズ「死の舞踏」の作者として、版画史上でも重要な作家です。 -
ホルバインの肖像画はヘンリー8世やトマス・モア、エラスムスといった王侯貴族や学者などの人物を冷めた筆致で描いたもので、人物の表情もさることながら、その身分や職業を示す細かい道具立て、着衣の毛皮やビロードなどの質感描写に見入ってしまいます。
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「カトリーナ・デ・アラゴンの肖像」フアン・デ・フランデス
スペインを統合・共同統治してカトリック両王と呼ばれたアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世との間の末子として、アルカラ・デ・エナーレスで生まれています。イングランド王ヘンリー8世の最初の王妃でメアリー1世の生母です。ヘンリー8世との間に男児が誕生しなかったことから、離婚問題が生起し、イングランド国教会創設のきっかけとなりました。 -
デ・フランデスは1460年ごろにフランドルに生まれた。当時フランドルのゲント(ヘント)で活動していた画家たちの作風とよく似ているために、ゲントのすぐ近くで修行を積んでいたとされます。デ・フランデスの記録はカスティーリャ女王イサベル1世の宮廷に仕えてからしか残ってなく、イサベル1世が死去する1504年まで女王の宮廷画家の地位でした。
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「祈りを捧げる男の肖像」ハンス・メムリンク
ドイツのフランクフルト近郊ゼーリゲンシュタットの生まれていますが、主にフランドルのブルージュで活動しています。ブリュッセルのファン・デル・ウェイデンの工房で修業したと推定され、1465年にはブルージュの市民権を得ています。 -
ファン・エイクの影響が感じられる宗教画のほか、寄進者像を中心とした肖像画にも優れたものが残っています。代表作の「聖女ウルスラの聖遺物箱」を埋め尽くされた絵画はガラス越しでも素晴らしかったことを思い出します。
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「花瓶の花」ハンス・メムリンク
ユリの花とアヤメを描いた静物画です。キリスト教ではマドンナリリーと呼ばれる白いユリは聖母マリアに捧げられた花であることから純潔のシンボルとされています。3本のアイリスは「フルール・ド・リス」と呼ばれ、フランク王家や後のフランス王室を暗示しているのでしょうか。 -
そしてスミレの花はキリストの謙譲の象徴として描かれます。この絵はブリュッセルの王立美術館のロベール・カンパンの「受胎告知」絵に描かれたものによく似ていました。
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朝一番に来てはいるのですが、マドリッドの3大美術館の1つと思えないほど空いています。古典絵画のエリアは我々を含めても10人もいなかったと思います。
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「恋文」フランソワ・クルーエ
フェルメールの絵にも「ラブレター」があり、何度かアムステルダムの国立美術館で観ていますが、この絵はカラヴァッジオの「いかさま師」とかジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「ダイヤのエースを持ついかさま師」を思わせる雰囲気です。 -
「聖母マリアと幼子イエスと洗礼者ヨハネ」ベルナルディーノ・ルイーニ
イタリアの画家でレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けています。レオナルドと直接仕事したと言われ「自分の生まれながらの根底が彼を包み込むことができたように、レオナルドから多くをもたらされた。」と記述を残しています。 -
「聖母ヌンク・ディミティス」ジョバンニ・ベッリーニ
ヴェロネーゼやティツィアーノ、ジョルジョーネやティントレットらを生んだヴェネツィア派の第1世代を代表する画家であり、15世紀同派最大の巨匠でもあります。父のヤーコポ・ベリーニ、兄のジェンティーレ・ベリーニもそれぞれ高名な画家で、パドヴァ派の大画家マンテーニャは義兄弟にあたります。
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「若い騎士のいる風景」ヴィットーレ・カルパッチョ
描かれているのは画面内に配される紋章や細微の描写から一般的にウルビーノ公フランチェスコ・マリア・デラ・ローヴェレの若き姿と考えられています。 -
甲冑を纏い凛々しく剣に手をかけるフランチェスコ・マリア・デラ・ローヴェレや様々な草花が咲く地面や詩情性を感じさせる背景など極めて高度な写実的細密描写に、初期ネーデルランド絵画の影響を感じられます。
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画面左下には王者の尊厳、貴族階級、正義、純潔などの象徴と考えられる白テンと共に配される白紙の記述「不名誉よりは死を選ぶ」に示されるように当時終焉を迎えつつあった騎士道が表現されています。
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「枢機卿姿の聖ヒエロニムス」マエストロ・デ・グロッスマン
ヒエロニムスが修道士たちと聖書の朗読をしていると、1頭のライオンがが足を引きずりながら修道院に入ってきます。修道士たちは驚いて逃げ出しますが、ヒエロニムスだけはまるで客人を迎えるようにライオンに近づきます。ライオンの足には茨のとげが突き刺さっていたので、ヒエロニムスは修道士たちを呼び戻してライオンの手当をしてやります。ライオンはその後も修道院の近くに住みついたといわれます。ヒエロニムスとライオンのエピソードは中世ではよく知られた聖者伝説であり、多くの絵画などに描かれています。 -
ダ・ヴィンチの描く「荒野の聖ヒエロニムス」のような荒野で隠遁する姿で描かれるものが多いですが、この聖ヒエロニムスは枢機卿の衣装を纏っています。13世紀以来、枢機卿は緋色(カーディナルレッド)の聖職者服を身にまとう習慣があります。緋色は信仰のためならいつでもすすんで命を捧げるという枢機卿の決意を表す色でもあります。
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「ロザリオの三連祭壇画」ハンス・フォン・クルムバッハ
ハンス・フォン・クルムバッハとして知られる画家ハンス・ゾイスは本名はヨハン・ヴァーグナーといいます。デューラーの助手であった彼は、デューラーによってハンスと名付けられたと言われます。 -
中央に十字架に架けられたキリストの姿があり、上段には聖母マリアと幼子イエス、父なる神と聖霊を表す白い鳩。2段目は洗礼者ヨハネと天国の鍵を持ったペテロ、石板を持ったモーゼと雄牛は福音記者の聖ルカです。その下の段は左から鉄格子の上で焼かれて殉教した聖ラウレンティウスや諸聖人、下段では割れた車輪と剣を持ったアレクサンドリアの聖カタリナ、香油壺を持ったマグダラノマリアらしい姿も読み取れます。
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「泉のニンフ」ルーカス・クラナハ
ヒュラスはヘラクレスに仕える美しい少年でヘラクレスに寵愛されます。しかしヘラクレスに従ってアルゴナウタイ(アルゴ号)に参加したが、美しさゆえに泉のニンフにさらわれたといわれます。 -
ヘラクレスはドリュオプス人が非道な人々だったのでテイオダマスを殺し、館から幼いヒュラスを奪って、従者として育てます。ヒュラスは優れた従者に成長し、ヘラクレスの弓矢持ちを務めます。アルゴ号の一行がキオス河の河口近くのキアノスに上陸したときヘラクレスは森に木を伐りに行き、ヒュラスは近くの泉に水を汲みに行きます。
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しかしそれは土地のニュムペーたちが歌舞団をつくってアルテミスを祭るときであり、ヒュラスが向かった泉のニュムペーたちも水底から水面に上がって来るところでした。そしてヒュラスを発見して一目で彼の美しさに魅了され、水を汲もうとするヒュラスの手を取って水底に引き込んでしまいます。
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左上にラテン語の銘文が記されており、「われは聖なる泉のニンフ。われは憩う。わが眠りを妨げることなかれ」とあります。
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ヒュラスが置いていたヘラクレスの弓と矢です。
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「ヘラクレスとオンファレ」ハンス・クラナッハ
この絵の主題はギリシャ神話の英雄ヘラクレスのエピソードによります。友人を殺した罪を償うためにリディアの女王オンファレに奴隷として売られたヘラクレスは、後に女王の恋人となる。そして女王の寵愛により自らを苦しめた狂気を克服したヘラクレスが穏やかな日々を過ごしたというギリシア神話の場面です。 -
この2人はお互いが持ち物を交換している場面で、女官たちが見守る中で中央に座るヘラクレスを傍らのオンファレが愛撫しています。女王オンファレはヘラクレスのライオン狩りを象徴するライオンの毛皮と棍棒を持ち、一方のヘラクレスは女性の役割を象徴する糸巻棒を持ち糸を紡いでいます。本来の持物を入れ替えることにより、女性による男性の支配を表したこのような図像は、この時代に好んで描かれた主題の1つです。
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「受胎告知」ヤン・デ・ビア
ヤン・デ・ビアは、 16世紀初めにオランダ・アントワープ周辺で活躍しました。アントワープには貿易港があり、イタリアとの交流も早くからあったことから、「アントワープ・マニエリスム」という独特の様式が生まれました。その特色はネーデルラント風の細部描写と、ルネサンス風の立体的で大胆な人物描写です。ヤン・デ・ビアの板絵では、人体と遠近表現はルネサンス風ですが、言葉はゴシック風です。 -
大天使ガブリエルと聖母マリアの間には純潔を象徴する百合と3本のアイリス、曇りのないガラス瓶、子宮を表す頭陀袋、旧約の世界を表す巻物、新約の世界を表す書物。これでもかとばかりにアトリビュートを描きこんでいるのはネーデルラントのお家芸と言えるでしょう。マリアは書物を読んでいますが、左手前の台には指貫、鋏と白い糸玉があって、さっきまで繕いものをしていたことがわかります。裁縫道具は信心と勤勉を表します。めずらしいのは受胎告知の瞬間を見守る白い猫の姿です。その背後には鼠も描かれています。
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「糸車を持つ女性の肖像」マールテン・ファン・ヘームスケルク
16世紀のオランダ人画家の一人で、ハーレムのヤン・ファン・スコーラの工房で働いています。1532年から1535年にかけてローマに留学し、古代の建築と彫刻、そしてルネサンス時代の絵画をスケッチしています。特にシスティーナ礼拝堂のミケランジェロとヴィラファルネシナのラファエロのフレスコ画に思い入れが強かったようです。 1548年以降は彫刻のための多くのデザインを生み出しました。 -
「聖アントニウスの誘惑」ヤン・ウェーレン・デ・コック
聖アントニウスは聖書には記述はありませんが有名な聖人の1人です。聖書に登場する聖人の数は少なく、13世紀までに宗教的伝承と民間伝承が入り交じって聖人崇拝が成立していったようですが、聖アントニウスに関する逸話も4世紀頃にアタナシウスの書いたとされる聖アントニウス伝の記述のみのようです。聖アントニウスはしばしば悪魔の誘惑にさらされてその信仰心を試されます。空想的な魔物や魔女が登場する「聖アントニウスの誘惑」はネーデルラントにおいて頻繁に取り上げられた主題の1つです。 -
アントニウスは財産をことごとく投げ打って、エジプトの砂漠で隠者として修行を積みました。しかしその禁欲的な生活の間に悪魔の幻覚に苛まれます。悪魔はいろんな怪物の姿で現れてアントニウスに襲いかかり、時として女性に化けて誘惑したりします。この場面こそが「聖アントニウスの誘惑」であり、多くの画家がこの主題からインスピレーションを得て作品を残しました。結局このような幻覚に打ち勝ったアントニウスは、今日に到るまで施薬の聖人として崇拝されています。
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「ユダとタマルの出会い」ティントレット
創世記の物語のユダとタマルが出会う場面です。タマルはユダの息子エルと結婚しますが、神の怒りを買い命を落とします。ユダは次男のオナンと結婚させ、長男の家を継がせようとします。オナンは兄の子孫となる子供を作りたくなかったので子供が出来ないように自慰をしていました。オナニーの語源はここからきているそうです。そのような行為は神からの怒りを買いオナンも命を落とします。 -
ユダは三男の嫁にするといいながらタマルをエイナムの実家に帰します。三男も神に殺されては困るからです。タマルは三男と結婚できないことを感じていました。ユダの妻が亡くなった後、喪が明けるとユダが自分の住む村の先へ向かうことを聞きつけます。そこでタマルは未亡人の服を脱ぎ、ベールを被ってエナイムの村の入口の道路わきに座ります。ユダはそこを通りかかった時に彼女を売春婦だと思います。この絵はそんな瞬間を描いています。
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「キリストと十字架イエス」エル・グレコ
キリストと十字架はキリストの受難をテーマに描いています。十字架を支えるキリストの上半身に焦点を当て、他の部分は排除されています。 クリムゾン(紫がかった赤)のチュニックを身に着け、十字架と冠冠だけが彼を神の御子とイメージさせ、天国を見つめ父なる神と会話しているようです。 -
暗い背景に光はキリストの顔と手に強く当たりキリストの表情を強調しています。エル・グレコの工房で制作されたこの信心深いイメージは数多くの異なるバージョンがあったようです。このタイプの場面は顧客に非常に人気があったそうです。 トレドで見て来た作品の数々とは違った描き込みの細かさを感じます。
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「無原罪の御宿り」エル・グレコ
グレコの無原罪の御宿りはトレドのサンタ・クルス美術館で観て来たばかりです。祭壇の高いところに飾られるために長く伸ばされた体躯が印象に残るマニエリスムを強く感じる作品でしたが、こちらは目線の高さで鑑賞するように描かれています。 -
天上には、聖霊による懐胎を象徴する白いハトが描かれ、聖母マリアは赤い色の衣服に青い腰布を纏っています。周囲には天上のオーケストラが配置され、神と聖母マリアへの賛美を高らかに奏でているようです。足元のトゲのないバラと白い百合の花は、聖母マリアのアトリビュートとして知られ、それぞれ母性と純潔を象徴しています。
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「受胎告知」エル・グレコ
同じ構図の絵を前日にプラド美術館で観て来たばかりという贅沢な気分です。このシーンは受胎したことを知らせる「告知」のシーンではなく、神の子がマリアの体内に宿った瞬間「受肉」を描いたと言えます。天井から溢れ出る光と中央で翼を広げる聖霊である鳩が神秘の成就を示しています。 -
天上のオーケストラはコントラバスやハープにリュートらしき撥弦楽器、リコーダーやチェンバロの前身と思われる鍵盤楽器などを読み取ることが出来ます。譜面を見ながら手を振っている指揮者の天使がいるのも面白いです。当時の音楽事情を類推する上でも貴重な作品だと思います。興味のある方はブリュッセルの楽器美術館がお薦めです。ただ楽器が並べられているだけではなく、演奏した音を聞くことも出来ます。
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聖母マリアと大天使ガブリエル足元にはマリアの処女懐胎を象徴する「燃える柴」が描かれています。この奇跡の柴は受肉の瞬間にマリアの部屋に現れたとの説があり、それをグレコは採用して描き入れたらしいです。「燃える柴」は出エジプト記の中でモーゼは妻の父エテロの羊の群れを飼っていましたが、その群れを荒野の奥に導いて神の山ホレブまで来ました。主の使は柴の中の炎に現われました。柴は火に燃えているのに無くなることはありませんでした。
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モーセは「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」と言います。主は彼がきて見定めようとするのを見、神はしばの中から「モーゼよモーゼ」と呼ばれます。さらに神は「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである。」と。また「わたしはあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーゼは神を見ることを恐れたので顔を隠した…。
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「受胎告知」エル・グレコ
バルセロナのカタルーニャ美術館で観た「受胎告知」に似た雰囲気の作品です。1567年の作品ですのでスペインへ来る前のヴェネツィアからローマに移った頃の作品です。 -
グレコの描く大天使ガブリエルと聖母マリアの初期の作品と言えます。個人的にはトレドに移ってからの受胎告知の方が好きです。
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手の表情は後のグレコの絵を想像させますが、顔を見ているだけでは誰の作品か分からないですね。
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こんな感じでグレコの絵をいくらでも観ることが出来るスペインを堪能した旅でした。しばらくグレコを見なくても大丈夫です。
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なんてことでしょう。楽しみにしていたカラヴァッジオの「アレクサンドリアの聖女カタリナ」は修復中でした。今回の旅では20年前に観ることが出来なかったプラド美術館のカラヴァッジオを観ることが出来ましたが、またマドリッドにリベンジする理由が出来てしまいました。
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「ヘラクレスの神格化」ジャンドメニコ・ティエポロ
死ぬ覚悟を決めたヘラクレスはオイテー山に登り、火葬の薪を積み上げ棍棒を枕にしライオンの毛皮を体にかけました。その弓をピロクテーテースに渡して火をつけるよう命じます。神々はヘラクレスの死を惜しみ、悲嘆にくれましたが、ゼウスは明るく「ヘラクレスの功業はみんな知っているところである。また、彼の半分の人間の部分は燃え尽きたが、半分は神である私の資質で永遠に滅ぶことはない。彼を神々の座に迎えいれる。」 -
ゼウスの言葉は最初自分への当てこすりだと感じたヘラですが、人間の部分が焼き尽くされ、残った気高い部分が姿を現してくると今までのヘラクレスに対する憎しみが消えてくるのを感じてきました。ゼウスがヘラクレスを4頭だての馬車で天に運び上げて住まわせると、アトラスは天球の重みが増したことを感じました。ヘラも完全にヘラクレスと仲直りして娘のヘーベを妻に与えます。
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「サン・ビオからのカナル・グランデ」カナレット
カナレットは写真のような絵を数多く残していますが、ほとんどの絵にカメラ・オブスクーラを使って下描きをしています。これはピンホールカメラの原理で、人間が入れる大きさの箱の中で穴の開いた反対側の壁に移り込んだ画像を写し取り方法です。カナレットの使っていたカメラ・オブスクーラは、ヴェネツィア・コレール美術館に保存されているのは知っていますがまだ見に行けていません。 -
ヴェネツィアと言えば近年は水位上昇や地盤沈下で水没の危機にさらされていますが、カナレットをはじめとするヴェネツィアの画家たちのリアルな風景画から当時の藻の繁殖状態までが分かるため、水没を食い止めるための手がかりになっているそうです。
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画面をよく見ると市井の人々の生活までが描き込まれているので見ていても楽しいです。
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「ヴェネツィアのサン・マルコ広場」カナレット
今までに4回ヴェネツィアに行っていますが、この広場は世界でここだけのオーラを感じます。現在とほとんど変わらない姿に驚かされます。 -
サン・マルコ寺院の内陣の黄金のモザイクまで描かれているのではないかと思えるほど詳細が描かれています。コンスタンチノープルのヒッポドロームに置かれていた4頭の馬の像やファサードのモザイクまで読み取れます。
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そしてムーア人の時計塔も正確に描かれています。時計の鐘の音や鐘楼の鐘の音まで聞こえてきそうです。鐘楼の上で鐘が鳴るとものすごい音だったことを思い出します。
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「ガラリアの海で嵐に会うキリスト」ヤン・ブリューゲル(父)
ヤン・ブリューゲル(父)は有名なピーテル・ブリューゲル(父)の次男で、ブラバント公国の画家です。花のブリューゲルとか風景のブリューゲルと呼ばれた画家でもあります。ヤン・ブリューゲル(父)が1歳の時に父のブリューゲルが亡くなり、長兄のピーテル・ブリューゲル(子)と姉妹のマリアと共に画家だった祖母に引き取られ絵の手ほどきを受けました。 -
この題材の絵というとイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にて展示されていて盗難にあったままのレンブラントの「ガラリアの海の嵐」を思い出させます。それに比べると嵐の具合もまだましなようです。新約聖書のマルコによる福音書の第4章に書かれている嵐のガリラヤ海の波を鎮めるキリストの奇跡を描いた作品です。
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「ロザリオを持つ若い女性の肖像」ピーテル・パウル・ルーベンス
ルーベンスはアントワーペンで大規模な工房を経営し、作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価されていました。また画家としてだけではなく古典的知識を持つ人文主義学者でもあり美術品収集家でもありました。さらに7か国語を話し、外交官としても活躍してスペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世から爵位を受けています。 -
アントワープには2度行っていますが、ルーベンスの家は滞在中で一番印象に残った場所と言えます。それ以降いろいろな美術館でルーベンスの作品を観ていますが見方が変わった気がします。
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「ジャック・ルイ・ロイの肖像」アントン・ヴァン・ダイク
この肖像画はヴァン・ダイクが1627年から1632年の間にアントワープを拠点にしていた時代から、イタリアとイギリスへの2回目旅行の間のものです。 ヴァン・ダイクの名声を確立したのは肖像画のジャンルでした。 -
肖像画におけるヴァン・ダイクの名声はジェノバ時代に完全に確立されており、ジェノバの貴族の肖像画は優雅で洗練されたフランドルのイメージで描かれています。
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「アントニア・カニスの肖像」コルネリス・デ・ヴォス
ヴォスはフランドルの画家で下絵師でアートディーラーでもありました。 彼はアントワープで有数の肖像画家の一人でもあり、特に子供や家族の敏感な肖像画で最もよく知られています。 また歴史画や宗教画のジャンルでも成功を収めまています。 彼はルーベンスと定期的に協力していたことでも知られています。 -
「ルシファーと反逆の天使を追放する聖ミハエル」ピーテル・パウル・ルーベンス
この題材の絵としてはブリュッセルの王立美術館のブリューゲルの作品を思い出します。大きめの作品ですが、その登場人物の多さと場面場面の面白さから数十枚の写真を撮った覚えがあります。 -
堕天使ルシファー(サタン)と魔界軍は「傲慢」の罪を犯し、天から堕落します。作品を通してルーベンスは善と悪、美徳と悪徳の対峙を表現しているようです。画面の中央には大天使ミカエル、そのまわりを天使軍が取り囲んでいます。ミカエルは甲冑をまとい、右手には剣、左手には盾を持ち、背には翼が広がっています。
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ルシファーは「光をもたらす者」を意味し、元々は全天使の首領で天使たちの中で最も美しい大天使でした。しかし土から作られたアダムとイブに仕えよという命令に不満を感じて反発したのがきっかけで神と対立し天を追放されてしまいます。最高の能力と地位と寵愛を神から受けていたために、「自分が神に成り代われる」と傲慢になり、自らに従う天使の軍勢を率いて神に戦いを挑むも敗れてしまいます。そして仲間の天使達ともども堕天させられ、地獄へ落とされます。
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昔ミッキー・ロークという主演で「エンゼル・ハート」という映画がありました。私立探偵ハリー・エンゼルという役で、謎めいた紳士ルイ・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)から人探しを依頼されます。最後に探していたのは自分だったという事が分かり、ルイ・ファイファーというのはルシファーだったというストーリーを思い出します。
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「ノーズゲイを持ったターバンの少年」
は寓意的な絵画や肖像画で知られているバロック時代のフランドル画家で版画家です。 彼は各地を移り住む生活を続け、ローマやブリュッセル、アムステルダムやペルシャ、インドのゴアでも働いていました。この肖像画の雰囲気もペルシャやインドの経験によるものでしょう。 -
ノーズゲイ(nosegay)は、nose(鼻)+gay(飾りもの)で、鼻先を楽しませる飾りのことです。香りのよいハーブと花で作る小さな花束で、英国のチューダー朝の時代にペストなどの伝染病を防ぐ為、またほとんど入浴もせず下水処理も出来ていない街の不快な臭いから鼻を押さえる為に、ノーズゲイの小さな花束が必要だったそうです。
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「帽子と二重のネックレスの自画像」レンブラント・ファン・レイン
レンブラントは同じオランダのフェルメールやイタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンスやスペインのベラスケスなどと共に、バロック絵画を代表する画家の一人とされます。また、ヨーロッパ美術史における重要人物の1人であるともいえます。「光の画家」「光の魔術師」の異名を持ち、油彩だけでなくエッチングや複合技法による銅版画やデッサンでも多くの作品を残しています。 -
若くして肖像画家として成功し、晩年には私生活における度重なる不幸と浪費癖による財政的苦難に喘いますが、生前すでに著名で高い評価を受けています。アムステルダムのレンブラントの家にも行きましたが、アントワープのルーベンスの家に比べると意外にあっさりしていて拍子抜けした記憶があります。
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「書斎のコーナー」ヤン・ファン・デル・ハイデン
オランダのバロック時代の画家でガラス画家、草案家で版画家でもありました。 ヴァン・デル・ハイデンはオランダの黄金時代の建築家画家の1人で、数多くの静物を描いています。 -
都市の風景画を専門にしていたヘイデンは、生涯アムステルダムで活動していましたが、作品のモティーフを求めて多くの土地へ旅行に行っていたようです。この絵のモチーフの地球儀や地図は彼の私物だったのでしょうか。
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また彼は現代の消防技術に多大な貢献をした技術者と発明者でもありました。 彼は水力技術者であった兄弟のニコラエスと共に、1672年に消防ホースを改良したました。 彼は手動の消防車を改造し、ボランティアの消防隊を再編成します。またアムステルダムの街灯計画は、多くの町や海外でモデルとして採用されています。
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「磔刑図」アントン・ヴァン・ダイク
今回スペインを旅していてフランドルの画家の作品を数多く観る機会がありました。思ったのはベルギーやオランダの美術館を数多く観ていて勉強していて良かったなということです。ヴァン・ダイクに限って言えばロンドンやサンクト・ペテルブルグのエルミタージュに行っておくことも重要だと感じました。 -
磔刑図も今回いくつもの美術館でスルバランやムリーリョやゴヤの作品を観ました。足の釘打ち方一つでもセビリアスタイルと呼ばれる左右それぞれに打つなどの違いなども知ることが出来て勉強になりました。
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フランドル絵画とスペイン絵画を現地で比較できるという事は非常に贅沢なことだと感じます。
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「エデンの園」ヤン・ブリューゲル
セビリア美術館でも同じモチーフの絵を観ました。また今年渋谷の文化村ミュージアムでも「ルドルフ2世の世界展」で観ていました。 -
神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世は1583年に首都をウィーンからプラハに移し、独自の芸術文化をその宮廷に花開かせます。特に美術の大家の作品の入手に努め、彼らを宮廷に呼び寄せ自然物も広範囲に収集、自身の嗜好の強い最高水準の芸術作品と珍奇な品々で構成された壮大なコレクションをプラハに築き上げます。ヤン・ブリューゲルもそんな画家のひとりでプラハで珍しい動物や植物を目にしています。
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画面左奥では蛇からリンゴを受け取るエヴァとアダムの姿が見て取れます。
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ルドルフ2世の収集した動物を実際に見てこの絵を描いたのだと思います。
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つがいになっている動物たちはまるでノアの箱舟のようにも見えます。
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「食堂の情景」ヤン・ステーン
ステーンはオランダのライデン生まれ、17世紀のバロック期に活躍した画家です。彼は静物画や肖像画、歴史画や宗教画など様々なジャンルの作品を800ほど制作しましたが、特に有名なのは農民を描いた風俗画です。酔っ払った人々の乱痴気騒ぎや結婚式、郊外でのピクニックや意地悪をされて泣く子供の姿などをユーモラスに描いています。ステーンは兼業で居酒屋を経営しており、そこで人々を観察していたと思われます。 -
この作品もそんな食堂での一瞬を描いたように見えます。デン・ハーグのマウリッツハイス美術館に収蔵されている作品と似ています。天井からはベルがぶら下がっており、サービスを受けたい客がそれを引く仕組みとなっていることからここが食堂でありながら女性をあっせんしていたのであろうことも想像できます。
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「リュートを弾く自画像」ヤン・ステーン
アムステルダムの国立美術館に収蔵されている自画像によく似ていると思います。ブリュッセルからアムステルダムへ小さい美術館も含め3週間かけて旅したことはフランドルの絵画を知るには必要な旅だったと思います。妻にとっては春のベルギーとオランダの美味しいものを食べる旅だったかもしれませんが。 -
画中に出てくる楽器についてはブリュッセルの楽器博物館が非常に勉強になりました。絵を観てもリュートの音色を頭の中に浮かべることが出来ますし、ブリューゲルの画中のハーディーガーディなど現在ではあまり使われていない楽器の音色も聞くことが出来ました。
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「コック」ハブリエル・メツー
メツーというと「病気の子供」というアムステルダム国立美術館の作品を思い出します。1663年の伝染病でアムステルダムの人口の10分の1が亡くなりますが、死にゆく子供を抱えた母親の姿が強烈な印象を残す作品です。 -
ところが作者のメツーはヘラルト・ドウに絵を学んだ後はライデンでヤン・ステーンやフランス・ファン・ミーリスから影響を受けます。ライデンでメツーは朝6時に売春宿を出て、売春婦をアカデミーに連れて行った事があると言われています。描いた絵と人格は必ずしも一致しないようです。
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「いたずらなドラマー」ニコラス・マース
彼の最も脂ののった時代は1655年から1665年で、マースは小さな規模の家庭内の風俗画に没頭し、かつて彼がレンブラントから学んだ色彩の魔法を非常に広げ続けます。彼の最も好んだ題材は女性が糸紡ぎをする姿や、聖書を読む姿、食事の準備をする姿などが多かったようです。 -
「窓辺でキャンドルを持つ若い女性」ヘラルト・ドウ
ドウの経歴においては比較上早い時点で独自の絵画様式を完成しています。彼は自分自身の手で作った筆と細かく砕いた絵具を用い、それらの画材の精密な運用と正確な対象模倣、特に細部描写の技術向上に力を注ぎました。結果として彼の師匠であるレンブラントの前期の緻密な筆遣いで描かれた作品とは近似していながら、後期の作品に特徴的な大胆な筆遣いと厚い絵具の凹凸のある画面を作る制作手法を取得しています。 -
正確さを期す筆遣いが用いられているにもかかわらず、作品の全体的な雰囲気は調和がとれてぎこちなさとは無縁です。また彩色は常に新鮮で透明感があり、ランタンやロウソクの灯りの中にある対象を表現するのを好んでいます。ドウはしばしば凹面鏡の助けを借りて絵を描いています。
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「ティオ・パケテ」フランシス・デ・ゴヤ
ティオ・パケテはマドリードに住む盲人で、盲目なだけでなく歌手やギタリストとしての能力も持っていたようです。 -
ゴヤは暗い背景から画面空間を占める人物の丸い顔にすべての注意を集中させています。頭部を片側に傾けることにより画面を軽やかに見せています。彼のほとんど閉ざされたまぶたと大きな鼻孔、太くて粗い唇で不気味な笑い声のように見えるティオ・パケテのぼんやりした表情とあいまいな表現は、ゴヤの「黒い絵」を連想させます。
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「フェルナンド7世の肖像」フランシスコ・デ・ゴヤ
フェルナンド7世は、ゴヤが描いた3番目のスペイン君主で、スペインの金羊毛騎士団団長の首飾りをした姿で描かれています。ゴヤはナポレオン戦争後、このフェルナンド7世のためにフランスへの亡命を余儀なくされ、異国の地で生涯を終えることになります。 -
ゴヤは現在マドリッドのプリンシペ・ピオ駅にほど近いサン・アントニオ・デ・ラ・フロリーダ礼拝堂、通称ゴヤのパンテオンに眠っています。この聖堂の天井に描かれたフレスコ画「聖アントニオの奇跡」もゴヤの作品です。このゴヤのパンテオンには過去に2回行っていますが、2回とも閉まっていて見ることが出来ませんでした。当初の予定ではこの日にリベンジする予定でしたが、予定が押して3度目の正直はありませんでした。
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ようやく1フロアの見学が終わりました。昼前になって見学者も増えて来たようです。残りの近代の絵画のフロアへ進みます。
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