2018/05/02 - 2018/05/02
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kojikojiさん
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「ヘネラリフェ庭園」と「カール5世宮殿」を見学した後は時間を調整して「ナスル朝宮殿」の見学です。予約した時間の15分くらい前に列に並びました。ここは時間厳守だそうです。ここへ来るのは3回目ですが妻と一緒に来るのは初めてです。驚いたのはライオンの噴水の周りが変わっていたことです。以前はアクリルのパネルで囲われていたものも撤去されてスッキリされていました。後で古い写真を見たら噴水の周りの大理石の床も変わっていました。アルハンブラ宮殿の予約を入れようと思ったらすでに売り切れで、チケットを手に入れるのが大変でしたが、こうやって入場してみると見学する人の数が限られていてかえって良かったです。少し待てば誰もいない写真も撮れるし、気に入った場所で物思うことも可能です。アルカサルからグラナダやシエラネバダの山並みの景色を堪能した後は寄木細工の買い物もできて大満足です。「ホテル・アメリカン」のパティオでランチを食べてアルハンブラ宮殿の見学が終わりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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お昼を過ぎた12時30分にナスル宮殿の見学がスタートします。10分前にカール5世宮殿の裏側の入り口に並びます。ここに入るためのチケットを得るのに苦労しました。
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見学は「コマレス宮殿」からスタートします。まずは腰壁の美しいタイルに目が行ってしまいます。これは色タイルをノミで割って組み合わせて裏側から固めたパネルを嵌め込んでいます。よく見ると白色と他の色の形が一緒です。
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こちらはもっと細かいタイルの組み合わせです。実際の造っている場面を見て知っていると気の遠くなる作業だと感じます。上の段のアラビア装飾文字が美しいです。
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コマレス宮殿のファサードです。大理石を敷き詰めた床の中央に水盤が置かれ、水が滾々と湧き出ています。ファサードは2層になっていて1層目は模様タイルで縁取りされた四角い出入り口で、2層目はムーア式の馬蹄型の窓が切られています。
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このファサードはムハンマド5世のアルヘシラスの包囲戦の勝利を記念して造られたそうです。2階の窓の帯状装飾には扉が人々に告げる形で次のように書かれてあります。
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「我が座はここにあり、我が扉は道を分ける。西にて信ずるもの、東にてもて同じ。神に祝福された者(王)は予告された勝利への道を約束し、我が地平が夜明けを迎えるがごとく待つのみであった。神よ、王の業績を讃えたまえ。王に姿と心根にある美のごとく。」
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内部のレリーフは失われてしまった部分が多いです。ただ表の白大理石の床の反射による光線は数百年経っても同じように部屋を明るく照らします。
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ここからもアルバイシンの丘が美しく望めました。
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窓際は美しいタイルで覆われたベンチになっています。
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天井の寄せ木細工も美しいです。タラセバと呼ばれる寄木細工の手法も使われているようです。
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迷路のような通路を抜けていきますが、どの部屋も通路も美しい石膏のレリーフと寄木の天井で覆われています。
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そのデザインは同じものは全くなくそのまま通り過ぎてしまうのがもったいなく思えます。
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細い通路でさえこの美しさです。
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そして「アラヤネスの中庭」に出ます。あまりの美しさに言葉もありません。
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中庭の長方形の池に移る宮殿はイスラム美の極致と見えます。スペイン人の詩人は「ヨーロッパの他の城は天空に向かって造られた。しかし、ここアルハンブラでは水の上に造られた。」と評したそうです。
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ヒンドゥー教のヨニのような形の水盤から流れ落ちる水の音以外静まり返っています。同じタイミングで入場した人たちはとっくに先に行ってしまったようです。
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しばらくすると数人人がやってきてまた去っていきます。中庭の生垣は銀梅花(マートゥル)で、南欧産のこの木は香りのある白い花をつけるそうです。ローマ時代には美の女神ビーナスの神木で結婚式の花輪はこの花で作られたそうです。
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「大使の間」に入りました。腰壁のタイルと上部のレリーフの美しさに圧倒されます。元々は金箔で覆われた壁は1890年の火事で損害を被りますが、その後修復して往時の姿を取り戻しています。
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ステンドグラスと表からの光線が幻想的です。
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レリーフの彫の深さは斜めからの光線越しに見るのが美しいです。
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それぞれの窓から差し込み光線は部屋の中央に集まるように設計されています。天井は7つの惑星をモチーフに幾何学模様をヒマラヤスギを彫り、宇宙をイメージしたと言われます。
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確かに満天の星空を想像できる気がします。何故かゴッホの描く夜空を思い出させました。
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しばらく壁のレリーフを見て行きます。
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帯状のアラビア文字は蔓草の上に描かれています。その上の模様は15くらいのパーツを組み合わせ、それが連続した模様になっています。
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レリーフの奥はラピスラズリの青はきれいに残っています。往時はいったいどんな色だったのだろうか想像してしまいます。
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読むことは出来ませんがどこかに「我が王は剣の力でアルヘシラスを征服し、勝利への聖なる扉を押し開いた」と書かれてあるそうです。
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ナスル朝宮殿と呼ばれるメスアル宮とコマレス宮とライオンの中庭を含む建物はユースフ1世の時代から壮麗な宮殿の建造が始まったそうです。そしてムハンマド5世の
治世に主要な建物が完成し、その色から「赤い都市(メディナ・アル・ハンブラ)」と呼ばれたそうです。 -
ユースフ1世の時代の高官イブン・アルカティブという人が書き残したエピソードとして、城壁の建設工事は昼夜を問わず続けられたので夜間は篝火を焚いて工事を続けたそうです。平野に住む人々は闇の中に赤く浮かぶ城壁を見てアル・ハラム(赤)と呼んだとあるそうです。
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他にもアルハンブラの丘が裸山で土が赤かったからとかナスル朝の王の仇名が「アル・ハマール」だったからともいわれるそうです。呼び名1つにしてもいろいろな説があって面白いです。
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日陰から池の反対側に向かいましょう。
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ちょうど中間地点の壁です。理由もなくただ単に美しかったです。
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池の反対側に回ると同じような水盤があります。そして「コマレスの塔」と宮殿が水鏡に映ります。この水鏡の効果は約300年後イタリア人建築家によって1653年に完成したインドのタージマハールまで取り入れられることは無かったそうです。
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さすがにこの辺りで誰もいない状態で写真は撮れません。
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少し疲れたので休憩です。朝ごはん以来何も食べていないので腰回りに疲れが出てきました。以前は朝を抜いても全然大丈夫でしたが、今は午前中も持たないと思います。
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細かいディティールを見ていくとアンコールの遺跡にも見えて来てしまいます。
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往時を偲ばせるような真新しい木製の天井です。出来たばかりの頃の宮殿の姿が想像しても浮かんできません。
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通路を抜けた先にはライオンの噴水のある庭がありました。20年前に来た時はアクリル製のパネルで覆われていてとても見苦しかったのを思い出します。その当時に比べるとスッキリしています。そして噴水以外の庭は砂利敷きだったものが大理石貼りに変わっています。
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「ライオンの噴水」を中心に左手に「二姉妹の間」、正面に「諸王の間」、右が「アベンセラヘスの間」という位置関係です。
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建物と中庭の高さがほとんど同じなので、建物の間に庭があるのではなく、中庭が建物を引き寄せている印象を受けます。四方向にある水盤から中央に向かって水が流れていて一体感も感じます。
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思わず2人の写真を残したく近くにいた方にシャッターを押してもらいました。
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通路には後年になって造られた天井の一部が壊れたままになっていました。お陰でオリジナルの壁の形状が良く分かります。
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水盤を支える12頭のライオンは白大理石で同じ素材の水盤を支えています。イスラムの教義によると壁で囲われた庭園はコーラン(聖典)にある「アル・ヤンナ」と呼ばれる天国を具体化したものだそうで、アル・ヤンナには庭という意味と聖なる場所という2つの意味があるそうです。
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四方に流れる噴水は天国の4つの川を意味し、宇宙の隅々に達した後に中心に戻ってくると解釈されます。オリエントの教義によると「ライオンの口から吐き出させる水は生命の源である太陽」と理解され、牡羊座からうお座に至る「黄道十二宮」を意味します。
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水盤に満ちる水は天国の大海を意味します。これは古代バビロンの信仰にも表されるオリエント古代の発想で、バビロンの神殿には十二頭の雄牛が支える水盤が祀られたそうです。
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反時計回りに「アベンセラッヘスの間」へ向かいます。
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アベンセラッヘスの間は二姉妹の間の向かい側にあり、この部屋でアベンセラッヘス家(サッラージュ家)の男性たちが打ち首にされたという言い伝えからこの名前が付いています。ナスル朝の有力な豪族でしたが敵対していたセネーテ一族の謀で女官との情事をでっちあげられ王の嫉妬心を煽られます。王はアベンセラッヘス家の男性36人を宴に招き、この広間で全員の首をはねたそうです。
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実際に部屋の中央の大理石の水盤に錆による染みが見られますが、言い伝えによるとアベンセラッヘス家の男性たちの血の跡だと言われています。この部屋も二姉妹の間と同じく鍾乳石細工の天井が圧巻の美しさで残されています。
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ガウディもこの天井を見てカサ・ビセンスのデザインに鍾乳石飾りを取り入れたのでしょうか。
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二姉妹の間を背景に記念写真。奥の屋根の内側が鍾乳石飾りで覆われているとは思えないシンプルな外観です。
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昔の写真と見比べてみるとライオンがきれいになっていました。口の中に通された鉄管の錆がきれいに落とされています。
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今またこうして見に来ることが出来て感慨深いです。
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「諸王の間」に移りました。この辺りまで来るとまた見学をしている人がまばらになり、貸し切った状態になります。アルハンブラの予約は大変でしたが、入ってしまえば見学する人の数が制限されていて快適だと思います。
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今回は夜の見学は出来ませんでしたが、昔に比べて照明も格段に良くなっていると思うので見たい気持ちになりました。
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諸王の間は当時としては完璧なほどの夏の熱気を遮断するように作られています。扉を閉めると採光は天井のマルコ屋根の星型の窓だけになります。室温が上がると熱はこの窓から放出されます。噴水からは絶えず冷たい水が送られ空気を冷やします。このシステムで真夏でも20℃以下に保たれたそうです。
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諸王の間は5つに分かれています。
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また奥には小部屋もあり、光と影の対比にイスラムの美意識を感じます。
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化粧漆喰の鍾乳石細工のアーチの形状がそれぞれ違います。
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諸王の間から二姉妹の間へ向かいます。
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壁に開けられた開口から宮殿の外壁とアルバイシンの一部が見渡せます。
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太陽はほぼ真上に近くなってきました。一番明るい時間帯なのかもしれません。
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「二姉妹の間」に着きました。さすがにこの部屋は混みあっています。まずは部屋の中の噴水から流れ出る水路です。
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後ろにはライオンの噴水が控えています。
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二姉妹の間は庭園の中でも最も古いホールだそうです。名前の由来は分かっていませんが、広間中央の噴水を囲む2枚の白大理石からではないかと言われているそうです。壁には当時の庭園の美を讃えた詩文があるそうです。この部屋で最も素晴らしいのはモカラベと呼ばれる鍾乳石飾りの天井です。この天井の照明は側面にある窓を通して完璧に計算されていて、まるで美しい花のようです。
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これに関してイブン・ザムラクが詩を書いており、その一部が金属の虹色の輝きを放つ腰壁タイルの上に記されています。部屋の壁はとても薄い漆喰で覆われており、そこにはナスル王朝の「神のみぞ勝利者なり」という伝統的なモットーが刻まれています。
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表の明るさと部屋の内部の暗さの差に美しさを感じます。これで誰もいないと良いのですが…。「陰翳礼讃」なんて言葉が浮かんできます。
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窓からはリンダハラの庭が見下ろせます。ただこの庭はレコンキスタ以降に造られた庭です。
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この広間にはスルタンの王妃と家族が住まいとして使用していて、部屋の周りにも小部屋がいくつかあります。ボアブディルの母は息子たちとここで暮らしていましたが、夫のアブルハサン・アリーから離婚されていました。アブルハサンはナスル朝最後の君主だったムハンマド11世の父です。
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「リンダラハの出窓」はアルハンブラ宮殿の中で唯一のステンドグラスだそうです。
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3方向が開かれた出窓なので一番明るい状態で壁面の化粧漆喰やの鍾乳石細工のアーチがきれいに見えます。
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リンダハラの庭に向かいましょう。この辺りはシンプルな部屋が続きます。
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その中にワシントン・アービングが「アルハンブラ物語」を執筆した部屋が残されています。中を見ることが出来ないのが残念です
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その代わりにアルバイシンの丘が美しく望めます。
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朝歩いたダーロ川沿いの公園も人でいっぱいです。
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アラバスタ大理石の噴水が中央に据えられています。
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水盤から涼しげな音をたてて水が流れ落ちています。
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周りには糸杉やオレンジが植えられています。
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サンタ・マリア教会とイギリス風の庭園が美しいです。
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そして「貴婦人の塔」と呼ばれるトーレ・デル・ダマス。名前は優しいですが防備を目的とした望楼です。ここからは眼下にダーロ川からアルバイシンを見渡すことが出来ます。
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「パルタルの庭園」はラウダの塔と貴婦人の塔の間にあります。同じ場所にナスル朝宮殿を取り囲む庭園がありましたが、後にそこにはカール5世の宮殿が建設されました。
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ナスル朝宮殿の周辺には多くの大貴族が住んでいた建物がありましたが、現在残っている建物の中で一番重要なのはこの貴婦人の塔です。個人的には20年前に見て一番印象に残っているのがこの風景です。
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誰もいない貴婦人の塔を見てみます。
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広大な景色を独り占めです。もちろん妻は一緒にいますけど。
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噴水の水音とアルバイシンから渡ってくる風の音しか聞こえてきません。
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離れのような祈祷所がありました。
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壁の漆喰細工がきれいに残っています。そして中央にはメッカの方角を示すミブラーブと呼ばれる聖龕(せいがん)が残されています。
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あまりの美しさに言葉もありません。
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やはりアルハンブラ宮殿は世界にここだけにしかない特別な場所だと思います。
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念願叶って妻を連れてきてあげられてよかったです。
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水の流れに沿って階段を上がっていきます。
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しかしどこまで水利を考えて造られているのでしょう。
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これでナスル宮殿の見学が終わりです。正面に見えるのはカール5世の宮殿です。昔はこの辺りまで貴族の館が建っていたのでしょう。係員のいるパラソルを越えると現実の世界へ戻されてしまいます。
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いかついカール5世宮殿の外壁です。
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最後に「アルカサバ」の見学に移ります。
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花蘇芳(ハナズオウ)(ハナズオウ)の花がきれいに咲いていました。
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「アルカサル」への入り口はトーレ・ケブラーダ(亀裂の入った門)からです。すぐに迷路のような通路を進むことになります。アルカサルには塔がたくさんあり一番奥の一番高いヴェラの塔まで進みます。
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EUとスペインとアンダルシアの旗がたなびいているのがトーレ・デ・ラ・ヴェラです。
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妻は塔に登りたくないのでベンチで地図を見ています。本人は気が付いていませんが、ここから見ると城壁の上に無造作に置かれた砲丸が落ちてきそうです。
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「アルマスの広場」を見渡します。アルマスの広場はアルカサバの本来の入口で、広場には兵隊たちの住居があり、小さな町のようになっていまたそうです。その区割りが今でも確認することが出来ます。
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アルマスの塔からの景色です。
アルマスの塔は北側の城壁にあったため、アルマンソラ地区を通り抜けることでアルハンブラとグラナダ市内を最短距離で行き来することができたそうです。 -
望遠レンズでグラナダ旧市街のカテドラルと王室礼拝堂を撮ってみました。
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塔の壁には日本の築城用語では狭間(はざま、さま)と呼ばれた銃眼がありました。中国の宋の時代に銃は発明され、その後イスラム世界に伝えられるのでその時代のものかもしれません。ヨーロッパ世界に伝わる前にオスマン帝国が銃を使っていたわけです。
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一番高い「ヴェラの塔」の上まで登りました。塔は元々ナスル朝の始祖ムハンマド1世の居城として建造されています。グラナダ生まれのガルシア・ロルカはヴェラの塔の鐘の音を女性の美しさにたとえ「ただ、ラ・ヴェラの鐘をきくためだけに…」と短詩を書いています。
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さすがにここまで登ると風が強いです。
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グラナダ旧市街の方向から強い風が吹いてきます。アルハンブラ宮殿の背後にそびえるシエラネバダの山に向かっているのでしょう。
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グラナダの鉄道駅もすぐに見つかりました。新しい駅舎の工事はまだまだ続いているようなのでマドリッドからの直通列車はまだ来ないでしょうね。
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ヌエバ広場も昼下がりで人は少ないようです。昔食事した店はどこなのか思い出せませんでした。
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アルバイシンのサン・ニコラス展望台は凄い人です。午前8時前には誰もいなかったのですが。
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シエラネバダの山並みも見てみましょう。20年前は全くここに山があると思いませんでした。天候のせいもあったのでしょうが、秋の旅行だったので雪が無かったせいかもしれません。
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5月のシエラネバダは雪を頂いてとても綺麗でした。
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アルカサルの全景です。ここはアルハンブラでも一番古い城塞です。
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これでアルカサルの見学も終わりました。お待たせしました。
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アルカサルの表は「アダルベの庭園」です。アダルベの庭園という名前はアルカサバにある城壁上部の通路に由来しているそうです。ここにも小さい噴水がありました。
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糸杉の隙間からシエラネバダの山々が望めます。
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イルカと遊ぶエンゼルの水飲み場がありました。でもイルカの顔が怖い!
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寄木細工の「ラグーナ・タラセア」の店に戻ってきました。すっかりお客さんも減っていたので決めていたプレートを買うことにしました。直径40センチで130ユーロというお値段です。20年前も買えなくて以来ずっと思いが残っていたので良しとします。
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一瞬スロットマシンかと思いましたが、すごいデスクです。扉を開けたらどうなっているのか見てみたい気がしますが…。買おうと思うことはないと思いましたが。
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制作過程も見せていただきました。帯状の寄木を下書きに合わせて貼っていくようです。一体どれくらいの時間がかかるのでしょうか?
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電熱線で溶かした膠(ニカワ)のような接着剤で貼り込んでいくようです。
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寄木細工「タラセア(Taracea)」はイスラムの木細工技術とヨーロッパ美術が融合して生まれたと言われているそうです。多種類の木や貝などを組み合わせ、嵌め込む象嵌手法で作られます。
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郵送で日本にも送れるようです。梱包された段ボールに日本の住所が書かれたものがありました。
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これでアルハンブラで思い残すことはありません。
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買い物が終わってようやく「ホテル・アメリカ」の中庭でランチとなりました。パラドールのすぐ脇にあるアルハンブラ宮殿の敷地の中のホテルです。
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テーブルもアルハンブラ宮殿の腰壁のタイルと同じようなデザインです。
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ここではアルハンブラビールかと思いましたが、サン・ミゲルしかありませんでした。バルセロナでサン・ミゲルを飲んだのは遠い昔のようです。
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ピークの時間を過ぎているので比較的空いていましたが、気持ちの良い空間です。
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このレストランのパンは美味しかったです。
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自家製のツナサラダはアボガドもたっぷりで美味しかったです。
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鳥のささみのフリットも熱々の揚げたてで美味しいです。フレンチフライも表はカリカリで中はほくほく。ベルギーのフリットを思い出させます。
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たまにこんなお客さんもやってきます。日本の雀と違って人を恐れていないようです。
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お勘定はホテルのフロントという面白いシステムです。感じの良い小さいホテルですが宿泊するには町からは遠すぎます。
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そろそろアルハンブラ宮殿の見学を終えて街に戻りましょう。
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帰りは「裁きの門」から「グラナダ門」へ向かいます。
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昔来た時は夜のライトアップも含めて2回登ってきたけど坂道だった記憶は残っていません。それくらい若かったということでしょうか。
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裁きの門は典型的なムーア建築で、扉はうち門にしかなく、城塞都市(メディナ・アルハムラ)に入るに相応しい容姿です。
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外門のアーチの要石には右手が彫られています。右手の指1本1本にイスラム教徒が守らなければならない教義を伝えています。1つは神と預言者モハメッドへの信心で、1日5回のメッカへの祈り、貧者への施し、ラマダン(断食)の実行、メッカへの巡礼の5つです。
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「カール5世の柱」と呼ばれる噴水が見えてきました。「正義の扉」を守るために1545年にペドロ・マチューカによって設計され、ニコロ・デ・コルテによって造られました。
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大理石でできた非常に美しいバロックスタイルの噴水です。
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坂道の途中にアメリカ人作家で外交官であったワシントン・アービングの像がありました。もう少し人の多いところに建ててあげればいいのにと思います。
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有名な著書「アルハンブラ物語」はイスラム芸術の美と宮殿にまつわる伝承を感動をこめて描いています。1829年にロシア人の友人とスペイン人の従者と一緒に旅行し、アルハンブラ宮殿に滞在して書いたものです。のちの1851年に改定版が出されて、伝説集が拡張されています。当時アルハンブラ宮殿はそれほど知られておらず、この本によって欧米諸国に広く知られるようになったそうです。
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ゴメレス坂はこのようにかなりの急勾配です。ムーア人が支配した時代は守りやすいように木々は無くて裸山だったそうです。最初に植樹したのはカール5世でポプラを植えたそうです。更に300年後にナポレオン1世を追い込んだ英国のウェリントン将軍が樫や楡やプラタナスを植えたそうです。
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道中には噴水もありました。20年前に何度も歩いた道ですが全く記憶が残っていません。
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丘の上の天国から現実の世界に戻ってきた気がします。疲れてはいたのですが、アルバイシンにある修道院を巡りお菓子を買うミッションに続きます。
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2018 スペイン周遊の旅(2)
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