2018/04/30 - 2018/04/30
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kojikojiさん
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セビリア2日目の朝は少しゆっくりスタートしました。20年前に来た時に2日目に見学しようと思ったら休みだったという致命的な失敗をした「アルカサル」へのリベンジと「カテドラル」の見学が主な予定です。ホテルも「ドナ・マリア」というカテドラル前の立地なので余裕のスケジュールだろうと考えていました。ところが「アルカサル」に向かってみると長蛇の列です。入り口から壁沿いに出口のあるインフォメーションの先まで続いています。まあオープン前なのですぐに入れるだろうと思っていましたが、列は全然短くなりません。10時に並び始めて2時間ほどでも半分くらい進んだくらいで、妻を列に残してホテルへ戻りチェックアウトして荷物を預かってもらいます。この時はホテルが近くて良かったと思います。戻ってきても同じ場所に妻がいたのには絶望的な気分でしたが。結局3時間30分並んで入場できました。結果20年と3時間30分かけて入る願いが適ったという事です。なぜ月曜日に混んでいたのかは後日グラナダで知りましたが、祭日で休みだったようです。全くノーマークでしたが、事前にネットのチケットを買った人の間に数十人づつ20分から30分おきに入場させるので時間がかかる訳です。結果内部の見学と合わせて5時間近くかかってしまいました。続いて「カテドラル」に向かいましたが、ここも長蛇の列でした。セビリアに来てカテドラルのコロンブスのお墓を妻に見せない訳にはいかないので焦りました。夕方の列車でコルドバに向かわなければならないという予定もあります。救われたのはカテドラルは30分くらいで入れたことです。内部はすごい人ではありましたが、予定をこなすことが出来ました。カテドラルを出てからは近くのボデガスでタパスとビールでお昼ご飯にしましたが、時間がずれ込んでいたのでお店の昼休みにかかってしまいました。お店の方にちょっと申し訳なかったですが気持ち良く接客してくれました。前日は日曜日だったのでウインドウショッピングだけだったシエルベス通りにも足を延ばしました。妻がフラメンコ用のアバニコ(扇子)を欲しがっていたので母へのお土産用も含めて「ZADI」というお店に入りました。どうせなら専門店の方が良いですから。このお店の方々が親切で良い買い物が出来ました。さらにマカレナ教会というセビリアで一番有名で人気のあるマリア像を見つけてしまいました。もちろんレプリカですがあまりの美しさに買ってしまいました。これがまた巨大な箱に入っています。最後は時間に追われましたが、セビリアでのミッションは何とかこなせました昨日の「エスラバ」で1時間並んで「アルカサル」で3時間30分並んで、カテドラルで30分と合計5時間30分並びに並んだセビリアを後にコルドバに向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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朝テレビで天気予報を見ようと思ったら2018年のセビリアの聖週間の中継録画が流れていました。「SEMANA SANTA(セマナ・サンタ/聖週間)」は、そのお祭りの中でも最も重要であり、またセビリアのセマナ・サンタは国内外に関わらず、そこにかける人々の熱意と優美さで知られているそうです。セマナ・サンタはその名の通り1週間行われますが日にちは毎年一定ではなく、春分の日から数えた最初の満月の次の日曜日がイエス・キリストが復活した日となるそうです。
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2018年は3月25日から4月1日だったそうです。サンタ・セマナは各教会のキリスト像とマリア像がそれぞれ大きな台に飾られて、信者たちによって大聖堂まで街を縦断するというものです。その行列はPROCESION(プロセシオン)と呼ばれ、またその台はPASO(パソ)と呼ばれます。1週間で約110ものパソが街を闊歩するのですがパソ1つの重さは大きいもので2000キロといわれ、それはコスタレロと呼ばれる担ぎ手によって運ばれます。
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ナサレノ(Nazarenos、ナザレ人)というカトリック信徒団体により組織され、カピロテという不思議な三角錐の帽子と衣装を着た人々をペニテンテ(Penitentes、懺悔する人、苦行者)と呼びます。クー・クラックス・クラン(KKK)が同様の扮装をすることでよく知られていますが、反カトリックを主張しているので全く違うものです。前の日にサンタ・クルス街で見掛けた子供たちもパソだという事をホテルのおじさんに教えてもらいました。
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朝食前に屋上に出てみます。本当は夜景を眺めながらバーで1杯と洒落込みたいところでしたが、フラメンコを観てホテルに戻ると午前様だったので閉まっていました。
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屋上からはカテドラルとヒラルダの塔の全景を見渡せます。月曜日の早朝のセビリアの旧市街は静まり返っています。
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この部分がレコンキスタと呼ばれる国土回復運動の後にイスラム教のモスクのミナレットの上に継ぎ足されたキリスト教の鐘楼部分です。
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最上部はルネサンス風というかバロック様式のデザインです。最上部に据えられた信仰を象徴する女神の巨大なブロンズ像も見えます。もう少し角度が変わればよいのですが風見(ヒラルダ)なので仕方ありません。
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トリウンフォ広場の噴水も手に取るように見えます。
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カテドラル以外にもこの屋上からはセビリアの旧市街が見渡せます。
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しばらく屋上からの景色を楽しんでいるとターニングベルが鳴り始めました。ヒラルダの塔には25個の鐘が取り付けられていて、ターニング(回転)ベルが18鐘でトーリング(打鐘)ベルが6鐘、時報ベルが1鐘だそうです。ターニングベルはスペイン語でvolteo(ヴォルテオ)と呼ばれ、スペイン独特の打鐘方法で360°鐘を回転しながら鳴らすそうです。
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この日は20年前にセビリア大学の生協で買った大学のポロシャツを着てみました。かなりくたびれてきていますが捨てられないのです。このポロシャツを着てマルタ島を旅していたらキャプテンモルガンクルーズというエクスカーションの会社のスタッフの女の子がセビリア出身で、それがきっかけで仲良くなったことがありました。
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余裕をもってゆっくり朝ごはんをいただきます。「ドナ・マリア」の朝食も種類も豊富で美味しかったです。
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壁に掛けられた版画や絵画からもセビリアの人にとってヒラルダの塔がいかに大切なシンボルなのかが分かる気がします。
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トリウンフォ広場の噴水もバロック様式のデザインなので1600年代に造られたのでしょうか。なんて余裕をもって観光していたのもここまでです。開門前に「アルカサル」に並んですぐに見学するつもりだったのですが。
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アルカサルの出口はこんな感じで誰1人いません。まだ開門していないから当たり前ですが。
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ところが出口のゲートよりさらに長い列がすでに出来ていました。そこからこの写真の入り口の角までこのたどり着くのに2時間かかりました。その間に雨が降りそうになってきたので傘を取りにホテルに走ったり、チェックアウトの時間が迫ってきてしまいホテルに行ったり来たりと大変でした。
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20年前に休館日を間違えずに見学していたら、この日の見学を諦めていたと思います。結果20年と3時間30分待ったという事になります。今回バルセロナのガウディやモンタネールの一連のチケットは事前にネットで予約して、グラナダのアルハンブラ宮殿も2カ月前で一般のチケットは買えず、グラナダカード経由で手に入れていましたがセビリアのアルカサルはノーマークでした。
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王冠を被ったライオンの構える門から入場します。入場する前にすでにヘトヘトです。
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「アルカサル」に入場するにはガイドツアーか事前予約か当日になりますが、当日入場は20分から30分に一度に30人くらいしか入場できないので、時間が決まっていたら事前にチケットを購入しておいた方が良いと思います。
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ライオンの中庭から入場するとまず見えてくるのはイスラム時代の城壁です。その奥にペドロ1世の宮殿と狩猟の中庭が見えます。
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セビリアは11世紀に後ウマイヤ朝崩壊の後にタイファの一国アッバード朝が首都としてセビリア王国と呼ばれました。その後キリスト教勢力は失地回復のレコンキスタ運動の元に1248年にカスティーリャ王フェルナンド3世に征服され、以降はカスティーリャ王国の主要都市として発展することになります。
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ムーア人の王や高官たちが住んでいたアルカサルは14世紀後半になってカスティーリャ王ペドロ1世の命によってイスラム時代の宮殿の跡地にグラナダのイスラム職人を雇いムデハル様式に改築と増築を進めます。
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建物の中の噴水はアルハンブラ宮殿のライオンの噴水へ続く水路に似ています。
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「提督の間」はとても豪華で金色と黒の花模様の連続が美しいです。よく見ると花の模様も違っています。壁の祭壇画は聖母マリアが新大陸への大航海へ出発する帆船を庇護しているように見えます。
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ペドロ1世の宮殿のファサードも豪華です。
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「アシスタント・ハウス」
18世紀アルカサルのこのエリアはセビリア市長パブロ・デ・オラヴィドの住居として用意されていました。彼の周囲には大学の学長などの文学的なグループも編成されていました。この辺りの改修ではいくつかの中庭も設けられました。 -
「アシスタントコートヤード」
カスティーリャの伝統とアルカサルのホールのほとんどに見られる地中海風の家の構成に続いて15~20世紀のセビリアのタイルが集められています。その中にはイタリアの芸術家ニクロソ・ピサーノの作もあります。 -
朝一番で並らびましたがすでに昼過ぎ、天気が不安定であまり良くはありませんが表から差し込む光が美しいです。
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壁はかなり修復されたように思えますが、天井の複雑な木組は当時のままなのではないでしょうか。
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老眼の始まった肉眼では確認することは出来ません。家に帰ってPCの画面で改めてすごさを感じています。カスティーリャ・レオン王国時代のカスティーリャの城を表す紋章と、レオンのライオンを表す紋章とが、それぞれ配置されているのが分かります。
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「大使の間」の東隣には「乙女の中庭(Patio de las Doncellas)」と名付けられたパティオがある。アルハンブラ宮殿の「大使の間」を出るとアラヤネスの中庭が現れる造りに良く似ており、そのアルハンブラの美を超えようとする姿勢が感じられる。周りの建物は、1369年から10年の歳月をかけて造られたそうです。天井のドームはトレド名産のダマスキナード細工のようです。
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壁の装飾の細かさもため息が出ます。当然修復はされているのですがアルハンブラを越える細かさのところも見られました。
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この辺りはアルカサルでも一番の美しさなので、必然と人が多く集まり混雑した雰囲気です。
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連続したアーチと光と影の具合が美しいです。
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宮殿の中でも明るい部屋は「人形の中庭」で、天井がガラス張りのトップライトになっていました。上の階は増築されて新しいようですが、1階部分の美しさは目を見張ります。
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アラベスクの蔓草模様や帯状装飾などで隙間なく埋め尽くされています。
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「乙女の中庭」
アルハンブラ宮殿の大使の間から出たアラヤネスの中庭が現れる造りに良く似ています。周りの建物は1369年から10年の歳月をかけて造られました。アーチ下面の連続する突起状の装飾はムカルナス装飾のようで、アーチを支える大理石の円柱を対に配置することで威圧感を軽減させています。2階部分は16世紀にカルロス5世が完成させたので建築様式が違っていて組み合わせが面白いです。 -
腰のタイルとアラベスク模様の組み合わせもアルハンブラ宮殿を思い出させます。
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シチリアのパレルモ郊外のモンレアーレ修道院の回廊を思い出しました。ノルマン様式と少し形状は違いますがとても良く似ていると思います。
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あと3日でグラナダのアルハンブラ宮殿に行けると思うと待ち遠しい気分になります。クーポラの上にはカスティーリャ王国とレオン王国の紋章と柱に布が巻き付いたヘラクレスの柱が描かれています。
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ヘラクレスの柱とはジブラルタル海峡の入口にある岬につけられた古代の地名です。ヘラクレスの柱はスペインの旗印にも描かれています。この図案は神聖ローマ帝国カール5世の有名な紋章に基づいて「プルス・ウルトラ」というラテン語のモットーは、ヘラクレスの柱を地中海のゲートとしてより、他の世界への入口としてとらえたいという願望を示しています。これは神話に出てくる世界の果てを示す柱に刻まれた警句「Non Plus Ultra(Nec Plus Ultra)」(この向こうには何もない)の反語でもあります。
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タリファから船でモロッコのタンジールに行った20年前の旅を思い出します。そしてスペインとモロッコに時差があることを忘れて、アルへシラスに戻る途中に乗るはずだったカディス行きのバスとすれ違いました。
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「ゴシック宮殿」
十字のパティオの奥に新しい時代のゴシック様式の宮殿があります。先の宮殿に比べると見劣りするのは否めません。 -
この宮殿は賢者と呼ばれたアルフォンソ10世によって造られました。イスラム教徒の過去に対するクリスチャンのイデオロギーの三位一体を表しています。建物はブルゴスから運ばれた石材で建てられました。新築の建物は旧アルモハド宮殿の上に建てられましたが16世紀には改装されて、柱を置き換えて開いた大きな窓を庭園に開け、部屋は大きなタイルの表面で装飾されました。
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巨大なタペストリーで覆われた「タペストリーの間」です。
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元々はフランドル辺りで織られた防寒のためのタペストリーですが、暑いスペインで必要だったのかと考えます。実用というよりは豪華さと壁の装飾が入れ替えられるというようなことで用いられたのでしょうか。ロワール渓谷の古城を数日かけて周った時は石がむき出しの壁に架けられたタペストリーを見てなるほどと思ったものです。
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イベリア半島を逆さまに描いた地図です。左右にある2本の柱はヘラクレスの柱を意味しているのだと思います。右の柱の辺りが大西洋でジブラルタル海峡から地中海、左側にイタリア半島とシチリア島とサルディーニャ島とコルシカ島が見て取れます。
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壁には見事な彩色タイルが飾られています。よく見ると上部にはヘラクレスの柱と「プルス・ウルトラ」というラテン語のモットーを読み取ることが出来ます。
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ギリシャ神話を題材にした古いタイルは味わい深いです。
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イスラムのアラベスク模様のようですが、ギリシャ喜劇の仮面のような顔も見えます。
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1つ1つ見て行くと時間がいくらあっても足りませんが面白いです。
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ゴシック宮殿の先から広大なアルカサルの庭園に出ることが出来ます。
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「メルクリウスの池」
メルクリウスの池という名前の通り、中央にメリクリウスの像が置かれています。池の奥に見える建物はイスラム時代の城壁を改造した建物で、アーチ内にはギリシア神話の世界が描かれています。状態は良くありませんがポセイドンの姿は確認できます。壁の岩のような装飾はグロッタと呼ばれる装飾で、陶土で造った岩を焼成して造ったと思われます。 -
メリクリウスは英語読みだとハーキュリーです。子供の頃見たアニメの「マイティ・ハーキュリー」はヘラクレスのことで「オリンピア~!」という掛け声を覚えています。メルクリウス(ヘルメス)はギリシャ神話のトリックスターで、つば広の丸い旅行帽「ペタソス」を頭に被り、空を飛ぶことができる翼の生えた黄金のサンダル「タラリア」を足に履いて、神々の伝令の証である杖「ケーリュケイオン」は持っています。
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広大な庭園にも足を延ばしたいところですが、朝から3時間30分並ぶというアクシデントのために疲れてしまったのと時間が無いので諦めます。
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この先の見学はまた20年後の楽しみとしましょう。その時は絶対に予約してから来ます。
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幾何学式庭園の中に植えられたバラの花がちょうど見頃でした。
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バルセロナのサン・ジョルディの日がもう遠い昔のようです。
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一度ペドロ1世の宮殿に戻り2階の見学に進みます。時間が無いのに行ったり来たりで自分でも嫌になります。
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階段を上る妻の姿が痛々しいです。彼女にとっては思い入れも何もないアルカサルですが、20年前の失敗をずっと心に封印していた私にとってはパスして諦めることは出来ませんでした。申し訳なかったです。
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期待して登った2階の陳列室は半分が閉まっていました。古いタイルと陶器がいくつか展示してありました。
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1894年にアレリャーノというセビリアの作家の造った大きな飾り皿です。非常にクオリティの高いものでため息が出ます。釉薬の色も現代のケミカルな色では無い奥行きを感じます。曾祖母や祖父や祖母の弟たちが京都で窯業を営んでいたので、陶器には詳しいつもりです。こんなの買おうとしたらいくらくらいするのでしょうね。
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古いタイルも信じられない値段がついていたりします。ポルトガルを旅した時も思っていた値段と違い過ぎて手が出ませんでした。代わりに買ったポルトガルの地図は安かったのですが、後にタッシェン社の地図の本で価値のあるものだと分かって大喜びしました。
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ヒマワリをデザインしたのでしょうか。壁に掛けるために上に穴が開いています。ラスター釉のような輝きを感じます。
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イエスの晩年の聖書の場面を描いたタイルもありました。聖書の場面を読み取れるとみていても楽しいです。こちらは「イエスの捕縛」と鞭打ちの場面が右上に描かれています。ローマ帝国が使っていた鞭は、短い木の棒の先にベルトのような革紐が数条括りつけられたもので、その革紐の先に動物の骨とか金属片が付けられていました。その鞭で囚人の背中を打つと、肉に食い込んで激痛を与えるばかりか、肉をずたずたに引き裂き骨を砕くほどの威力があったそうです。
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「十字架を背負うイエス」
十字架刑はその残忍性のためにローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていた最も重い刑罰であったそうです。ゴルゴダの丘へ登ってゆくイエスの姿です。 -
「聖衣剥奪」
エル・グレコの描いた聖衣剥奪が有名ですが、その時代でもあまり描かれなかった題材で、教会から受け取りを拒否されたと聞きます。そう考えるとそれ以降に描かれたタイルなのでしょうか。 -
イラストのようなローマ兵ですが、やっていることは拷問です。槍を持っているのはロンギヌスの槍でしょうか。
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磔刑されるイエスの足元にすがるのはマグダラのマリアでしょうか。使徒ヨハネの後ろに立つのは聖母マリアのようです。
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ピエタと呼ばれるイエスが十字架を降架した後の姿です。左右の罪人のその後も気になります。
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ヒラルダが早くこちらに来なさいと合図しているようです。
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昔はここまで馬車で入ってこれたのでしょうね。車寄せのようなアルカサルの出口です。
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3時間30分かけて入場してから1時間30分かかったので5時間かかったアルカサルの見学でした。足早にカテドラルに向かいます。
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「カテドラル」まではほんの数分ですが、入り口に着いてびっくり!こちらも長蛇の列でカテドラルの角を曲がった先まで続いています。一体どれくらい入場にかかるのか分かりませんが並ぶしかありません。
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幸いなことに列はどんどん短くなっていくのでヒラルダの像をぐるりと周ってもと30分くらいで入場できました。入場制限は無かったので単にチケットを買うのに時間がかかったというだけです。ゴシック様式の美しいサン・クリストバル門には左手に椰子の葉を持ち右手に盾を持ったヒラルディーヨの像が立っています。
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20年前は有料だったのだろうかという疑問が生じます。確かコロンブスの棺を担いだ王たちの像の後ろから入った記憶と写真が残っています。
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入場制限していないという事は…。内部は凄い人でした。特に中国と韓国の団体ツアーの人が多かったです。というよりは日本のツアーの人はほとんど見掛けませんでした。そのことは旅行中全般に言えることでしたが。あまり人気が無いのかゴールデンウィークでツアーが無かったのか?
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こちらはコロンブスの息子のお墓です。中国のおじさんと韓国のおばさんたちの間に割り入って1枚だけ撮らせてもらいます。
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「パイプオルガン」
楽器というよりは巨大な建物です。サラマンカのフリアール・フランシスコがバロック様式で造り上げています。 -
「聖歌隊席」
この巨大な空間に負けないためには聖歌隊も人数が必要なのではないでしょうか。座席はマホガニー製で細かい彫刻で覆われています。117の座席も同じフリアール・フランチェスコの作です。 -
「主祭壇」
主祭壇は巨大なフェンスで覆われているので正面から見据えることは出来ません。フェンス越しにカメラで写真を撮ることは出来ます。 -
「黄金の木製衝立」
高さ20メートルで幅13メートルある世界最大の飾り衝立です。衝立を細かく見て行くとイエスや聖母マリアの生涯の場面が45の場面描かれているようです。 -
祭壇画の1段目は右から左に「聖ホアキンと聖アンナの抱擁」「聖母の誕生」「受胎告知」「イエスの誕生」「幼児虐殺」「東方三博士の礼拝」、2段目には「寺院でのイエスの披露」「キリストの洗礼」「ラザロの復活」「聖母の被昇天」「エルサレム入城」「最後の晩餐」「ゲネッセマの祈り」、3段目では「鞭打ちのキリスト」「いばらの戴冠」「キリストの復活」「この男を身よ」「カルバリの丘への道」、
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4段目では「キリストの埋葬」「マリアの埋葬」「キリストの降架」「昇天」「エマヌスの夕食」、祭壇の側面の左には「イブの創造」「エジプトへの逃避行」「キリストの変容」右側には「原罪」「最後の審判」「パンや魚の乗算」「神殿からの商人の追放」「聖パウロの改宗」があります。祭壇画全体を囲む柱にはイスラエルとユダの王を描いた8つのレリーフがあります。
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いくつかの場面を見てみます。
「東方三博士の礼拝」聖母マリアの膝に抱かれた幼子イエスに礼拝するメルキオールとバルタザールとガスパールの姿が確認できます。 -
「寺院でのイエスの披露」
ルカ福音書によるとモーゼの教えに従い、マリアとヨセフは生贄のキジ鳩2羽と共にイエスをエルサレムの寺院で披露します。そこには聖霊に導かれたシモンが預言者アンナの前でイエスを抱き救世主であることを告げます。 -
「幼児虐殺」
ヘデロ王はイエスを殺すために同じ日に生まれた子供をすべて殺すように命じます。右には玉座に座ったヘデロ王の姿もあります。母親から子供を取り上げる兵士や、槍で突きあげられた赤子から流れる血がリアルです。 -
「イエスの洗礼」
ヨルダン川において洗礼者ヨハネから洗礼を受けているイエスの姿です。後ろでは大天使が見守っています。 -
「イエスの捕縛」
自分が捕らえられて十字架にかけられることを知っていたイエスは、ゲツセマネの園で祈っていました。三度祈って確信を得たイエスは自ら捕らえられるために進んでローマ兵の元へいきます。 -
「鞭打ちのキリスト」
思えばバルセロナのサグラダ・ファミリアの出口で鞭打ちの像を見てから今回の旅は始まりました。まだまだ先は長い…。 -
「聖衣剥奪」
マルコによる福音書の16行から19行に渡って記されています。「彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。」 -
「ピエタ」
十字架から降架したイエスの亡骸を抱く聖母マリアと足元にマグダラのマリアの姿です。 -
「キリストの復活」
磔刑に処され息絶えたイエスの死から3日後の早朝に死に勝利して復活を遂げたイエスの姿が描かれています。見張りのローマ兵はみな眠っています。 -
コロンブスの墓が見えました。昔はこの後ろの扉が開いていて自由には入れた記憶と写真が残っています。
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棺を担いでいるのはレオンとアラゴンとナバーラとカスティーリャの王たちです。手前右でザクロを剣で刺しているのは身に着けた国章からレオンの王と思われます。
ザクロはスペイン語でグラナダで、レコンキスタで国土回復を意味しているのだと思います。左の王は城の国章ですからカスティーリャの王だと分かります。 -
棺を担ぐ輿の下にも4つの王国の紋章を組み合わせたものが嵌められています。後ろの王は左側がアラゴン王で右側がナバーラ王です。
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ナバーラ王の脇の壁にはクリストフォロスの壁画が見えます。
クリストフォロスはもともとレプロブスという名前のローマ人でした。ある日小さな男の子が川を渡りたいとレプロブスに言います。男の子があまりに小さかったのでお安い御用と引き受けたレプロブスでしたが、川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、レプロブスは倒れんばかりになりました。あまりの重さに男の子がただものでないことに気づいたレプロブスは丁重にその名前をたずねます。男の子は自らがイエス・キリストであると明かしました。イエスは全世界の人々の罪を背負っているため重かったのです。川を渡りきったところでイエスはレプロブスを祝福し、今後は「キリストを背負ったもの」という意味の「クリストフォロス」と名乗るよう命じます。クリストフォロスは旅人の守護聖人なので、巡礼者の多い教会に描かれることが多いのと、コロンブスの名前のクリストファーはクリストフォロスのことでコロンブスも旅人だと思うと感慨深いものです。 -
主聖具納室は豪華な部屋です。ドーム天井と4方の丸窓から光が差し込むので非常に明るい印象を受けます。
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部屋の中央には銀製の巨大な聖体顕示台が据えられています。
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中央祭壇の十字架降架図はペドロ・デ・カンパーニャの作品です。
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隣の参事会控室には聖書の場面のレリーフが壁一面に飾られています。
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参事会室の天井は楕円形で、8か所の円窓とクーポラの上部から光が差し込む設計になっています。スペイン・ルネッサンスのプラテレスク様式の装飾が美しいです。
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この部屋の最大の見どころはクーポラ上部に置かれたムリーリョの「無原罪の御宿り」です。画中から天使が出てきてしまったかのように額の上下に木彫が飾られています。
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回廊には木製のワニが吊られています。ここは出口になっているラガルト(トカゲ)門はすぐなので由来はこのワニなのでしょうか。
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何とかカテドラルの見学も出来ました。もう少しゆっくり見学したかったのとヒラルダの塔は今回も登れませんでした。かなりの列になっていましたからこれ以上は無理と諦めましたが正解だったと思います。カテドラルが長蛇の列だったときは大変なことになったと思いました。妻をここまで連れてきてコロンブスの墓を見せられなかったら一生恨まれると思いました。
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お腹が減っていたのでトラムの通った通りの先までふらふら歩き、感じの良いボデガスがあったので入ることにしました。店の親父に「あと15分で厨房の火を落とすので注文は急いで。」と言われましたが遅い時間なので仕方ありません。まずは生ビールで乾杯です。
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熱々のフライドポテトにマヨネーズとトマトソースのかかったものは美味しくない訳がありません。パタタス・ブラバスという名前の料理です。
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ピスコ・デ・パンというクラッカーはセビリア名物ですがすっかり気に入りました。
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ピリ辛のチョリソのオーブンサンド。
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美味しかったのがこのイカのグリルで、ジェノベーゼ風のバジルのソースがたまりません。
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お勘定はテーブルにチョークで書かれます。
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我々が最後のお客になってしまいましたが、店の片づけは始まっても嫌な顔もされずせかされることもありません。
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歴史を感じる素敵なインテリアです。時間があればまた夜にでも来たいところです。
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そろそろお邪魔なので店を出ましょう。
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ああ、へレスの樽があるじゃないですか。シェリー酒を求めてヘレス・デラ・フロンテーラに行ったことも懐かしく思い出しました。ティオペペの蔵にあった昭和天皇の名前の書かれた大きな樽はどうなったのか?クレマとかオロロッソという文字を読んだだけで喉元に味が浮かんできます。
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飛び込みで入ったお店だったけど良いお店でした。
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我々が出るとシャッターが下りてお昼休みになってしまいました。
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少し時間があるのでシエルベス通りを少し歩いてみます。妻はフラメンコ用の扇が欲しそうでしたから。
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赤い花飾りの一団が通り過ぎていきました。最初は観光客かと思いましたが何か意味があるようでした。
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ホセ・ムニョスという建築家の建てたアールヌーボーとムデハル様式が混在した美しい建物ですが、近くまで見に行く時間はありませんでした。
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シエルペス通りは月曜日なのにとても混雑していました。
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フラメンコ用のアバコニという扇の良いものを探して歩きます。
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リヤドロのフラメンコ人形買っておけばよかったかかもしれません。この後に行ったコルドバでも写真を撮っていました。
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妻の直感で「ZADI」というお店に入りました。このお店は家族経営のような感じがしました。皆さんとても親切に接客してくれます。
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手書きの扇はピンキリです。やはり素材と描かれた花の出来栄えや大きさによって値段が違います。
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あまり派手なものは実際に使えないので、シンプルなものを妻と母に買い求めました。7歳の姪には頭飾りをプレゼントしたのですが、おばあちゃんの扇子を見たら欲しくなったようで、この世の終わりのような悲しい顔をされました。おばあちゃんが諦めると満面の笑顔に変わりました。習っているバレエでも扇は使うので役に立てればと思います。
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聖週間と呼ばれるセマナ・センタというお祭りでは110基ほどのパソと呼ばれる山車が出ます。その上にはキリスト像やマリア像を乗せて大聖堂まで練り歩きます。この日の朝にその情景をテレビで見ていたのでいつか自分の目で見てみたいと思いました。そしてセビリアで一番有名で人気のあるマカレナ教会の涙を流す聖母像が並んでいました。我が家にはベルギー特有の旨に7本の剣の描かれた聖母像をはじめいくつかの像がありますが、セビリアの聖母像も来日することになりました。
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セビリアはきれいな絵葉書が多いのも印象に残っています。
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特に古いフラメンコやマタドールの写真はかっこいいです。大体0.4ユーロが相場のようです。他の町に比べたら安い気もします。
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そろそろセビリアを出発しなければならない時間が近づきました。
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カテドラルの免罪の門に立つ一対の石柱はヘラクレスの柱だったのでしょうか?
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ホテルに戻って新たに発生した荷物をパッキングしてタクシーを待ちます。その間にフロントのおじさんにセマナ・センタやパソについて教えてもらいました。タクシーで駅に向かい、セビリアの旅は終わりました。
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セビリア
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(20)セビリア美術館で生誕400年のムリーリョとスルバランやリベーラなどス...
2018/04/29~
セビリア
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(21)20年3時間30分待ったアルカサルの見学後、カテドラルに参拝してボデ...
2018/04/30~
セビリア
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(22)列車でコルドバへ向かい、ホテル・メスキータに荷を解き、コルドバ名物料...
2018/04/30~
コルドバ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(23) 早朝のメスキータは無料のうえに人が少ないので、歴史に想いを馳せるに...
2018/05/01~
コルドバ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(25)サントスでトルティージャを食べてパティオ祭りとクルス・デ・マヨ巡り。...
2018/05/01~
コルドバ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(26)コルドバから列車とバスを乗り継いでグラナダへ移動して、中華料理店を探...
2018/05/01~
グラナダ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(24)コロンブスがカトリック両王に謁見した5月1日にアルカサルを訪ね、花の...
2018/05/01~
コルドバ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(27)早朝のアルバイシンの散歩とヘネラリフェ庭園とカルロス5世宮殿まで見学...
2018/05/02~
グラナダ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(28)ナルス宮殿とアルカサバを見学してホテルアメリカでランチ、タラセバを買...
2018/05/02~
グラナダ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(29)修道院のお菓子を求めてアルバイシンを彷徨い、ディアマンテスでシーフー...
2018/05/02~
グラナダ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(30)アルバイシンの夜景散歩とロス・タラントスでフラメンコを楽しむ。
2018/05/02~
グラナダ
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(31)グラナダからマドリッドを経由してトレドまでの鉄道旅。ホテルへ行く前に...
2018/05/03~
トレド
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(32)トレドのアルフォンソ・セストに荷を解どき、サンタ・クルス美術館でエル...
2018/05/03~
トレド
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(33)トレド大聖堂でエル・グレコの祭壇画に祈りを捧げ、荘厳なトランスパレン...
2018/05/03~
トレド
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(34)サント・トメ教会とエル・グレコ美術館のグレコ作品に再会する。
2018/05/03~
トレド
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(35)クエーリョで革製品とサント・トメでマザパンを買い、美味しいディナーで...
2018/05/03~
トレド
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(36) 早朝のトレド散歩とタベーラ病院でエル・グレコと対峙した後はアンティ...
2018/05/04~
トレド
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(37)最終地マドリッドで体調不良にも負けずカフェ・デ・チニータスの舞台に上...
2018/05/04~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(38)20年振りのプラドそれぞそれぞと30年待ったプラド美術館はそれぞれの...
2018/05/05~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(40)ソフィア王妃芸術センターでゲルニカを見た後は世界一古いレストラン・ボ...
2018/05/05~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(39)プラド美術館でベラスケスを始め、スペイン黄金期のムリーリョとスルバラ...
2018/05/05~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(41) エル・コンテ・イングレスでロルサーの4輪カートを買ってカサ・パタス...
2018/05/05~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(42)3度目のマドリッドで初めてテッセン・ボルネミッサ美術館のマスターピー...
2018/05/06~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(43)テッセン・ボルネミッサ美術館の年代別の展示は美術の教科書の中を歩いて...
2018/05/06~
マドリード
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復讐と再挑戦。リベンジ・スペイン(44)王立サンフェルナンド美術アカデミーのゴヤの「鰯の埋葬」を観て、旅の終...
2018/05/06~
マドリード
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