2016/11/06 - 2016/11/17
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旅人のくまさんさん
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川村南城址と所縁の寺社の紹介です。川村南城は、尾張徇行記の牛牧村の項に記述があり、『牛巻城』とも呼ばれたようです。長久手の合戦により炎上した長明(命)寺を、水野保信が再建したとも記されているようです。(ウィキペディア)
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小幡城址を見学した後、歩いて長命禅寺に向かう途中の光景です。真っ赤に熟れた街路樹の『クロガメモチ(黒鉄黐)』の実の光景です。庭木としてもよく使われる、モチノキ科モチノキ属の常緑高木です。
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川村南城址と目されている場所の一つ、白沢公園の光景です。公園の公孫樹の木が黄葉を始めていました。今回は立寄る時間がありませんでしたが、近い内に再訪の予定です。
(追記)11月17日に再訪し、資料を追加しておきました。公孫樹の黄葉が落葉を始めていた時期でした。 -
川村南城址の所縁のお寺の医王山・長命禅寺の山門光景です。かつては長明寺とも記されていたようです。川村南城主だった水野右京進のお墓が残るお寺です。水野右京進は、織田信長に従った、この地方の豪族の長とされます。
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イチオシ
長命禅寺の山門のズームアップ光景です。本尊は、恵心僧都作と伝えられる薬師如来坐像とされます。『恵心僧都(けいしんそうず:942~1017年)は、平安中期の天台宗の僧で、諱は源信です。名古屋市関連の文化財で調べてみましたが、詳細は分かりませんでした。
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山門の左脇にあった、まだ新しい石碑の光景です。『長命を祈りてまいるこの寺は清く流るる川村の里』の和歌が刻まれていました。歴代の住職のお一人でしょうか。
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山門の左手にあった石柱の光景です。『臨済宗・医王山・長命禅寺』の文字が刻まれていました。臨済宗は、中国の禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の一つです。日本においては、禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の一つとなります。
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長命禅寺の山門の入口を通して眺めた、本堂方面の光景です。正面に見えたのは、本堂の右手にあった堂宇の玄関でした。本堂は、その左手にありました。その双方に向けて、石畳の参道が伸びていました。
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長命禅寺の山門の木組みのズームアップ光景です。立派な木材を使った、格式と威厳を感じさせる造りでした。小牧・長久手の戦いで兵火に遭ったという歴史が残るお寺です。
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イチオシ
『臨済宗・医王山・長命禅寺』の本堂光景です。以前は長命寺前から、権兵平坂を登った辺りが川村南城址とも伝わります。山番の岡田権兵平さんから坂名や山名が付き、古地名の『屋敷』は、権兵平さんの武家屋敷から由来しているとする説もあります。
(追記)白沢公園横の権兵平坂は、11月17日に再訪した時の写真で紹介します。 -
綺麗に掃き清められ、箒の跡が残された砂地の庭の光景です。うっかり踏み入れないよう、低い置物がありました。枯山水の前庭の一部のようでした。
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山門を潜って右手奥にあった手水舎の光景です。庭石や庭木が配された境内の一角にありました。手水舎の更に東側には、庫裏の様に見えた、平屋の建物がありました。
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長命禅寺の本堂と、その周りの堂宇の光景です。30分少し写真を撮っている間、参拝する人の姿を見なかった、静かなお寺の境内でした。
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本堂の左側に位置する堂宇の光景です。寸部の乱れもない砂地の掃き目は、こちらの建物前でも同じでした。
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逆光での撮影になりましたが、鐘楼の光景です。一般的には、禅宗のお寺では鐘楼には重きを置いていないように見受けます。基本が静かな環境の中での座禅にあるためでしょうか。大きな禅宗のお寺の七堂伽藍にも、鐘楼は含まれていません。
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同じく、逆光での撮影になりましたが、左から鐘楼、寿老人堂と本堂の建物光景です。境内の西方面の建物です。碑が西に傾き、境内に長い影が伸びてきました。
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長命禅寺の寺紋が陽刻された甘受けの光景です。ネット検索しましたら、『丸に立沢瀉』が見付かりました。『沢瀉(おもだか)』は、池や沢に自生するクワイと同系の宿根多年草です。武家好みの紋で、豊臣秀吉、福島正則をはじめ、水野、土井、酒井、奥平、浅野、木下、三浦、松本の諸大名が用いています。長命禅寺は、水野家所縁の紋でしょうか。
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神社やお寺に付き物の『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。蘇鉄の名前は、枯れかかったときに鉄クギを打ち込むと蘇えるということに由来します。本当に蘇るのかどうかは、分かりません。
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イチオシ
本堂に懸かった、『長命禅寺』の扁額光景です。ゆったりとした書体の四文字です。文政5年(1822年)に完成した、尾張徳川時代の地誌、『尾張徇行記』では、『長明寺』と記されているようです。尾張八郡の村々の沿革、現状を記した地誌です。尾張八郡とは、愛知郡、知多郡、春日井郡、丹羽郡、葉栗郡、中島郡、海東郡と海西郡です。
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『蓬莱七福神寿老尊天法案電」の文字が刻まれた石碑の光景です。七福神の中の寿老人を祀ったお堂のようでした。寿老人は、中国の伝説上の人物で、道教の神仙(神様)です。
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石碑に記してあった、寿老人を祀った堂宇の光景です。寿老人は、背は低く、身の丈三尺(約90センチ)といわれ、長い頭に長い白髭、巻き物をつけた杖を持ち、鹿をつれている姿で描かれます。鹿は玄鹿(げんろく)と呼ばれ、長寿の象徴とされています。
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寿老人を祀った堂宇とその周りの光景です。日本の七福神の簡単な紹介です。
〇恵比寿:イザナミ・イザナギの間に生まれた日本由来の神様
〇大黒天:ヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神が起源
〇毘沙門天:ヒンドゥー教のクベーラ神が起源
〇弁才天:ヒンドゥー教の女神のサラスヴァティー神が起源
〇福禄寿:道教の宋の道士天南星、または南極星の化身が起源
〇寿老人:道教の神で南極星の化身の南極老人が起源
〇布袋:唐の末期の実在の禅僧が起源 -
本堂の前から眺めた、山門付近の光景です。隅々まで手入れが行き届いた、隙の無い庭の印象でした。
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同じく、本堂の前から眺めた、東側方面の境内光景です。正面に見えるのが、庫裏のようですが、こちらも隙のない、きりりとした佇まいでした。
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ここからは、古い石碑や墓標などの紹介です。この日(11/6)に撮り忘れた分は、11/17日に再訪した時に追加撮影しました。
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江戸時代から戦前の頃の墓標のようです。無縁仏として整理されたのでしょうか、1箇所に纏められていました。左端の地蔵尊は、その守護神のように見えました。
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亡くなられた本人をモデルにした立像のようです。珍しい石碑のように見えました。亡くなられた人の遺族の方が築かれたもののようです。
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軍服姿の兵士像の台座に刻んであった碑文です。『故・陸軍歩兵上等兵・勲八等功七級・服部春雄之像』の文字が刻まれていました。
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石造の祠の光景です。中に地蔵尊が祀ってありましたので、17日再訪した時に撮影しておきました。この辺りを代表した礼拝所のような祠でした。
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慰霊碑か墓標か分からなかった古い石碑の光景です。文字が刻まれていましたが、読み取ることが出来ませんでした。ここにも手向けの菊の花がありました。
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長命禅寺の本堂裏側にあったお墓の光景です。出かける前に、資料を用意していませんでしたから、この日は、川村南城主のお墓を撮影することはできませんでした。墓所には、旧川村地区の古くからの住民の岡田家、加藤家、池田家、水野家、三浦家、長谷川家などの累代のお墓が並んでいました。
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