2016/11/05 - 2016/11/05
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植田城址と所縁の寺社の紹介です。最後に紹介する栄久寺の紹介の続きです。植田地区のランドマークの様な稲葉山の頂上近くにあるお寺です。天白川の氾濫に因る被害を避けるため、1806年にこの地に移転しました。
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『常喜山・泉称寺』の本堂のズームアップ光景です。板戸は開け放たれていました。山門と同様、本堂にも扁額は見当たりませんでした。
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『常喜山・泉称寺』の本堂の左端方面の光景です。境内には、数多くの慰霊碑や墓標が置かれていました。その一部が左手に見えています。
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同じく、『常喜山・泉称寺』の本堂の右端方面の光景です。その周りには、手入れされた庭木と石灯篭の光景がありました。
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泉称寺の梵鐘のズームアップ光景です。右手に行書で記された、『南無阿弥陀仏』の文字、左端に、楷書で記された『常喜山・泉称寺』の文字が鋳込まれていました。
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泉称寺の山門付近のズームアップ光景です。三門形式のような小さな門が壁側に付属していました。三門形式ではなく、単なる通用門かもしれません。
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『常喜山・泉称寺』の石垣に嵌め込まれていた金属プレートです。『泉称寺・間知石擁壁工事』のタイトルがあった昭和52年(1977年)5月の竣工記録です。『間知石(けんちいし、まちいし)』とは、石垣や土留めに用いる建築、土木資材のことです。六つ横に並べると1間(約180センチ)になることが名前の由来とされます。
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『常喜山・泉称寺』の入口の石柱の側面光景です。植田城のかつての上司と同じ姓の『横地丈右衛門』の寄付者名が刻まれていました。子孫の方の名前のようでした。脇堂にも『丈右衛門堂』の名前が冠されているようです。
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こちらの石柱にも、寄付者の『浅井増右衛門』の名前が刻まれていました。石柱の材質は違って見えましたが、どちらも相当に古いもののようでした。
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イチオシ
『泉称寺・間知石擁壁工事』のタイトルの竣工記録があった石垣の光景です。昭和52年に竣工し、40年近く経過していますが、これほどの高さがあっても、寸部の狂いもない石垣のように見えました。数多くの水抜きパイプが設置してありました。
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『泉称寺・間知石擁壁工事』の石垣の上から顔を覗かせた、泉称寺の本堂の破風光景です。ベンガラ色に塗装されていました。
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植田城址の所縁のお寺として紹介する三つ目になる、『栄久寺』の入口光景です。経のぼった石段では一番の長さでした。上り下りしやすいように段差は抑えてあるものの、とにかく長い石段でした。
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イチオシ
『栄久寺』の入口のズームアップ光景です。ここにも年代を経た石柱が両脇に建っていました。段差は低いものの、延々と続く石段です。
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『松雲山・栄久寺』の入口前にあった案内標識です。隣のお寺の泉称寺も一緒に記してありました。先ほど立寄ったお寺です。
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『松雲山・栄久寺』の年代を経た石柱のズームアップ光景です。文久12年(1480年)、植田城主の横地秀綱の家臣、室賀多門が建てた隠居屋敷らしい、晩年の建物が始まりのようです。この地には、寛延3年(1750年)に引っ越して来ました。先に紹介したお寺と同じ、天白川の氾濫による被害を避けるためでした。
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『真宗・高田派』の文字が刻まれた、もう一方の石柱の光景です。真宗高田派は、三重県津市の専修寺を本山とする、浄土真宗の宗派です。。親鸞の門弟真仏、顕智が率いる下野国高田(現在の栃木県真岡市高田)の専修寺を中心とする高田門徒の流れを汲むとされます。
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入口にあった石柱の側面光景です。『寄進主・当所・藤井文之助』らしい文字が刻まれていました。入口左手の『松雲山・栄久寺』の石柱です。
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やっと踊り場の手前まで登って来た石段の光景です。踊り場から左手が山門方面、右手が駐車場方面でした。
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同じ場所から振り返って眺めた、延々と続く石段の光景です。帰りは、石段ではない別の道を選びました。今年の梅雨時の山寺や山城歩きで少し無理し、膝の古傷の痛みが再発したためです。
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随分と立派な柱が使われた山門の光景です。その山門の手前の桜が紅葉を始めていました。表札や扁額はありませんでした。
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山門の近くにあった小さな石碑の光景です。『石段寄進・伊藤家』の文字がありました。昭和51年(1976年)5月の日付でした。施工は石材の生産と火口の中心地、岡崎市の会社です。
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目と鼻の先に見えた、稲葉山の山頂光景です。植田地区の夜景スポットの観光名所となっているようでした。標高を調べても分かりませんでしたが、50メートル前後の小山のようです。
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『松雲山・栄久寺』の駐車場から眺めた名古屋市内の光景です。近い位置に見える銅葺屋根は、最初にお参りした全久寺の本堂です。その右に観音堂の銅葺屋根も見えています。
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イチオシ
同じく、『松雲山・栄久寺』の駐車場から眺めた、山門と本堂の光景です。汗をかくような、この日の好天気でした。
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『松雲山・栄久寺』の山門の光景です。左手下に手摺りが見えている石段を、延々と登って来ました。
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山門の下から眺めた、本堂の光景です。山門から一直線に本堂に向かって参道が伸びていました。その両脇は、庭木がないさっぱりとした光景でした。
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『松雲山・栄久寺』の本堂の光景です。創建は室町時代(1336~1573年)の第9代将軍の足利義尚(在位:1473~1489年)の時代とされます。
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『手水舎(てみずや等)』の光景です。水盤の壁面には、『浄水』の文字がありました。四方吹き放しの建屋です。手水の起源は神道に由来し、聖域を訪れる際に周辺に流れる河川の水や湧き水で身を清めていたことに始まるとされます。明治時代まで神仏習合の時代を長く経たためでしょうか、神社だけでなくお寺にも手水舎は広く普及しているようです。
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境内側から眺めた山門付近の光景です。軒丸瓦には、旧字体のお寺の略称の『栄』の文字がありました。
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『宝樹院釈伎楽春観居士碑』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。『伎楽』の文字がありますから、古典演技関係の人の慰霊碑のようです。。『伎楽』が日本の文献に初めて登場するのは、『日本書紀』欽明天皇(在位 540年~572年)の項とされます。『伎楽』そのものは鎌倉期に衰退したようですが、後世の芸能に及ぼした影響は大きいとされます。
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随分と見晴らしの良い場所に建った、栄久寺の鐘楼の光景です。台座には、玉石が使われていました。遠くまで響き渡りそうです。
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