2016/11/06 - 2016/11/06
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龍泉寺城址と龍泉寺観音の紹介です。龍泉寺城は、弘治2年(1556年)、織田信長(1534~1582年)の弟、織田信行(1536~1557年)によって築かれました。小牧・長久手の戦いの時には豊臣秀吉の拠点の一つとなりましが、退却の時に焼き払われました。
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ゆとりーとラインの龍泉寺観音の最寄り駅は、龍泉寺口駅と、龍泉寺駅がありますが、今回は龍泉寺駅で降りました。ネット情報で、龍泉寺城址の北東方面の堀跡や崖が確認できると書き込まれていたためです。
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何度目かの龍泉寺城址と龍泉寺観音の見学ですが、これまでは、龍泉寺観音をメインの見学でしたが、今回は龍泉寺城址の見学がメインです。模擬天守や見晴らし台への入場は、平日はダメなことを経験していましたので、日曜日での見学にしました。
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龍泉寺観音の東側方面の光景です。工事用のシートが張られた建物がありました。回向院がある建物方面のようでした。
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龍泉寺城址の外側からの見学です。崖や窪地などの高低差や、竹が生い茂った荒れ地が多く、外側から眺めるだけの散策となりました。
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左手に龍泉寺城址のエリアを眺めながらの散策です。この辺りも地肌の土手と竹藪の光景でした。龍泉寺と周りの境界もはっきりしない場所でした。
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この辺りの深い窪地は、人力で掘ったものではなく、自然の地形のようにも見えました。僅かばかりですが、庄内川に向かうらしい水の流れも見えました。秀吉が、小牧・長久手の戦いの時、一夜彫りを掘った時も、部分的には自然の地形を利用したかも知れません。
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龍泉寺の東に隣接する福祉施設の敷地からの眺めは、これが最終地点です。北側に向かってかなりの崖になっていましたから、一夜堀もこれ以上は掘り進める必要はなかったように見えます。
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コンクリート壁の一部が低くなっていましたが、乗り越えても、その先には道らしいものがありませんでした。ここらで引き返すことにしました。
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回向院がある場所近くまで戻って来あmした。樹々の相賀から見えているのは、回向院の放生池です。放生池(ほうじょうち)は、捕らえた魚類などを放してやるために設けた池のことです。
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一般道路の脇に地蔵尊が並ぶ場所までやって来あmした。左手前方に見える赤い橋は、駐車場と龍泉寺を結ぶ人道橋です。右端に見える石段を登ることにしました。
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イチオシ
国の重要文化財に指定されている、龍泉寺の仁王門の光景です。三間一戸楼門、入母屋造、こけら葺の建物です。平成15年(2003年)に屋根の全面葺き替えが行われました。天井裏から発見された板札に、慶長12年(1607年)の日付がありましたが、高針村(名古屋市名東区)から移したと伝えられていますから、室町時代のものを慶長期に移建した可能性もある楼門です。
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内側から眺めた、龍泉寺観音の山門のズームアップ光景です。外側から眺めますと、入口両脇に置かれた仁王像を見ることができます。
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龍泉寺名物の猫さん達です。岩の傍を忍び足で歩くトラネコ(虎猫)さんです。トラネコは、体色によって、虎猫(黄と赤茶)、 雉猫(焦げ茶と黒)、鯖猫(灰と黒)等に分かれるようです。この猫さんは、家猫では多数派の雉猫(キジネコ)さんのようです。白キジとも呼ばれている種類のようです。
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先ほどの分類でいえば、雉猫(キジネコ)さんか、鯖猫(サバネコ)さんのようですが、黒猫(クロネコ)と呼んだ方が間違いないようです。
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シロキジネコさんとクロネコさんの内緒話です。シロキジさんの方が聞き役に見えました。参拝客の方達にも可愛がられている龍泉寺のネコさん達は、龍泉寺の公式HPでも定期的に紹介されています。
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正面に見えるのが、龍泉寺観音の本堂です。明治39年2月に放火に遭い、その焼跡から、容器に入った小判98枚、大判切2枚が発掘されました。その大判・小判は、本堂の再建工事に役立てられました。焼跡から見つかった古瀬戸焼風の壷は、寺宝として保存されています。後ほど紹介します。
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『多宝塔』の光景です。多宝塔は、一般には、平面が方形の初層の上に平面が円形の上層を重ね、宝形造(四角錐形)の屋根を有する二層塔婆を持つ建物を指します。五重塔や三重塔と違って、二重の塔の呼び名は使われません。大日如来像がお祀りしてありましたが、長久手合戦の際焼失し、現在は阿弥陀如来が祀ってあります。明治28年(1895年)に再建された建物です。
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龍泉寺観音の手水舎(てみずや、ちょうずや等)の光景です。参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のことです。水盤舎(すいばんしゃ)、御水屋(おみずや)とも呼ばれます。
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イチオシ
これから先は、平日では見学できない場所です。模擬天守と、その中にある宝物殿、庄内川や小牧山城などが見渡せる展望台や、池水式や枯山水の庭園もあります。今回初めて入城しました。これから先は有料です。
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振り返って眺めた、入り口付近の光景です。受付で4枚組の絵葉書を売っていましたので、購入しておきました。宝物館に展示してある円空仏などです。うまく写真が撮れなかった時のための用意です。
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龍泉寺城址の模擬天守の光景です。昭和39年(1964年)に建てられました。この地には、お城よりずっと早い時期、延暦年間(782~806年)に創建された龍泉寺というお寺がありました。伝教大師最澄が創建したと言われています。弘法大師空海も熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しました。このため、このお寺は、伝教・弘法大師の開基ともされています。
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龍泉寺は、荒子観音、笠寺、甚目寺と並んで尾張四観音の一つとして、 毎年2月3日の『節分会』には大勢の参拝者で賑わいます。400年程度前に、徳川家康が名古屋城築城の際に、名古屋城から見て鬼門の方角にあたる寺院を名古屋城の鎮護として尾張四観音と定めたと伝わります。普通、お城が廃城になってから、お寺や神社が建てられたりしますが、龍泉寺城はお寺が先で、後にお城が築かれました。戦国時代の弘治2年(1556年)とされます。信長公記にも『信長の弟信行は、龍泉寺を城に改造した』との記述があります。
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イチオシ
龍泉寺城時代の庭園を模したような枯山水のように見えますが、模擬天守と同様、発掘調査や、文献調査の下で行われた、再建された庭園ではないようでした。弘治2年(1556年)にこの城を築城した織田信行は、翌年の弘治3年(1557年)には、謀反の疑いがあるとして清州城で信長に殺されました。僅か1年で廃城となりました。
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同じく枯山水の庭園の光景です。龍泉寺城を築いた織田信行の死により廃城となりましたが、時代は下って、小牧。長久手の戦いの時に再び歴史の表舞台に登場しました。天正12年(1584年)のことです。御殿を構えた居城としてではなく、専ら砦としての役割でした。
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枯山水の庭園の紹介が続きます。小牧・長久手の戦いの話に戻ります。小牧山城に織田・徳川連合軍、楽田城に羽柴秀吉が陣を敷き、暫く両軍がにらみ合い、膠着状態となりました。この時、秀吉軍の池田恒興・森長可の別働隊が岡崎城を攻撃しようと三河に向かい出発しましたが、家康陣に気付かれました。岩崎城を落城させたものの、足止めを食い、その後家康軍に攻撃されました。
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枯山水の庭園の紹介はここまでです。池田恒興たちが家康に攻撃されていることを知った秀吉は、急ぎ軍をまとめ、長久手方面に救援に向かいました。家康は恒興らの羽柴別働隊を壊滅させた後、すばやく軍を纏めて小幡城に入りました。これに対して秀吉は、小幡城を夜襲せずに龍泉寺城に留まりました。竜泉寺城から小幡城まで約1.8キロ程で、まさに目と鼻の先です。後世の解釈ですが、戦いに疲れた家康軍をこの時攻めたなら、日本の歴史が変わっていたとされる場面の一つです。
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龍泉寺城址の東側から北側にかけての地形などの紹介です。最初に、龍泉寺の外から眺めた竹藪と堀跡や土塁址があった場所などです。家康連合軍と秀吉との戦いの話に戻ります。秀吉は龍泉寺城の防御に備え、一夜のうちに堀を掘ったと伝わります。その時の堀跡や土塁が残る場所のようです。
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同じく、龍泉寺城址の東側から北側にかけての光景です。秀吉は、翌日の家康と決戦に備え、龍泉寺城の周りを固め、家康が入った小幡城へ忍びのものを使わしました。しかし、家康もさるもの、秀吉との決戦を避けすでに小牧山本陣へ引き上げていました。諜報戦でも伊賀者を使った家康に軍配が上がったようです。
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龍泉寺城址の東側から北側にかけての光景が都築升。北側は庄内川に面し、天然の要害となっています。後代に尾ひれも付いた話かもしれませんが、家康の素早い動きに翻弄された秀吉は、その悔しさあまりに龍泉寺城に火を放ち、楽田の本陣に引き返したと伝わります。秀吉が楽田城にひきかえしたのが4月10日、5月1日には大坂城へと向かいました。
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龍泉寺城址にあった小さな祠の光景です。秀吉が大阪へ引き返したことにより、5月3日に織田信雄は小牧山城から長島城に戻りました。徳川家康も6月12日、小牧山城から離れ清洲城に入りました。小牧。長久手の戦いは山場を越え、終戦工作に場面が変わりました。
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