天白・笠寺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
尾張・小林城址とその跡地に建つ清浄寺の紹介の締め括りです。清浄寺は、尾張徳川家の祈祷所として崇拝されました。矢場地蔵尊の呼び名でも知られるお寺です。

2016秋、尾張・小林城址と清浄寺(3/3):徳寿山・清浄寺、石灯篭、地蔵堂、ジャンボ地蔵尊

27いいね!

2016/11/12 - 2016/11/12

165位(同エリア684件中)

旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

尾張・小林城址とその跡地に建つ清浄寺の紹介の締め括りです。清浄寺は、尾張徳川家の祈祷所として崇拝されました。矢場地蔵尊の呼び名でも知られるお寺です。

  • 今度は、門を潜って中を見学しませんでしたが、小林城主の牧長義夫妻と牧長清夫妻の墓の四基の宝篋印塔があったエリアです。牧若狭守長清は、牧下野守長義(義清)の長子で、信長の妹の通称、小林殿を正室に迎えています。

    今度は、門を潜って中を見学しませんでしたが、小林城主の牧長義夫妻と牧長清夫妻の墓の四基の宝篋印塔があったエリアです。牧若狭守長清は、牧下野守長義(義清)の長子で、信長の妹の通称、小林殿を正室に迎えています。

  • 風流な姿の開け放しの門と、左手に見える、お揃いの赤い前掛けを着けた六体地蔵尊の光景です。仏教では、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配されるのが檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵とされます。

    風流な姿の開け放しの門と、左手に見える、お揃いの赤い前掛けを着けた六体地蔵尊の光景です。仏教では、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配されるのが檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵とされます。

  • 春日灯篭の形式によく似た、背の高い石灯篭の光景です。春日灯篭の標準形と違うのは、柱の部分に節がないことだけのように見えます。

    春日灯篭の形式によく似た、背の高い石灯篭の光景です。春日灯篭の標準形と違うのは、柱の部分に節がないことだけのように見えます。

  • 一対で置かれていた、春日灯篭の形式によく似た、背の高いもう一方の石灯篭の光景です。柱の部分に、『清浄寺』の文字がありました。

    一対で置かれていた、春日灯篭の形式によく似た、背の高いもう一方の石灯篭の光景です。柱の部分に、『清浄寺』の文字がありました。

  • 金属製の雨除けがあった、線香立の光景です。六角形の石柱の上に載せられた、蓮の花をモデルにしたブロンズ製の線香立です。

    金属製の雨除けがあった、線香立の光景です。六角形の石柱の上に載せられた、蓮の花をモデルにしたブロンズ製の線香立です。

  • 五色旗の上に記された、矢場地蔵堂の文字です。矢場地蔵尊の正式名称は、『徳寿山・清浄寺』です。尾張六地蔵の第2番札所であり、札所の本尊は、延命地蔵菩薩です。

    イチオシ

    五色旗の上に記された、矢場地蔵堂の文字です。矢場地蔵尊の正式名称は、『徳寿山・清浄寺』です。尾張六地蔵の第2番札所であり、札所の本尊は、延命地蔵菩薩です。

  • こちらが、『徳寿山・清浄寺』の本堂入口になるようです。ガラス戸の上に、『清浄寺』の金文字がありました。

    こちらが、『徳寿山・清浄寺』の本堂入口になるようです。ガラス戸の上に、『清浄寺』の金文字がありました。

  • 正面になる右側の文字は、先に紹介した『災●不起国豊民安』無量寿経の一節です。左側には文久2年戌6月の文字がありました。孝明天皇時代の幕末の1862年になります。2個の都市の8月には、生麦事件が起こっています。薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人達を、供回りの藩士たちが殺傷した事件です。その処理がもつれ、翌文久3年7月に薩英戦争が起きました。

    正面になる右側の文字は、先に紹介した『災●不起国豊民安』無量寿経の一節です。左側には文久2年戌6月の文字がありました。孝明天皇時代の幕末の1862年になります。2個の都市の8月には、生麦事件が起こっています。薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人達を、供回りの藩士たちが殺傷した事件です。その処理がもつれ、翌文久3年7月に薩英戦争が起きました。

  • 蓮座の上に立ち、光背を持った地蔵尊の光景です。手を前で組み、穏やかな表情の石像です。白い菊の花が手向けてありました。一度紹介しましたが、重ねて紹介しました。

    蓮座の上に立ち、光背を持った地蔵尊の光景です。手を前で組み、穏やかな表情の石像です。白い菊の花が手向けてありました。一度紹介しましたが、重ねて紹介しました。

  • 両手をしっかりと合わせて祈る地蔵さんの石造です。台座をそのまま使ったような、まだ新しい造りの地蔵さんでした。

    両手をしっかりと合わせて祈る地蔵さんの石造です。台座をそのまま使ったような、まだ新しい造りの地蔵さんでした。

  • 四角い柱を持った背の高い石灯篭の光景です。『天下和順・日月清明』らしい文字が刻まれていました。『無量寿経』の下巻に記された経文のようです。『天下和順・日月清明・風雨以時・災?莞不起・国豊民安・兵戈無用・崇徳興仁・務修礼譲』と続きます。

    四角い柱を持った背の高い石灯篭の光景です。『天下和順・日月清明』らしい文字が刻まれていました。『無量寿経』の下巻に記された経文のようです。『天下和順・日月清明・風雨以時・災?莞不起・国豊民安・兵戈無用・崇徳興仁・務修礼譲』と続きます。

  • 同じく、四角い柱を持った背の高い石灯篭の光景です。こちら側には、読み難かったものの、『徳寿山・清浄寺』の文字が刻まれているようでした。読み難かったのは、花崗岩の文様と文字と錯綜したためでした。

    同じく、四角い柱を持った背の高い石灯篭の光景です。こちら側には、読み難かったものの、『徳寿山・清浄寺』の文字が刻まれているようでした。読み難かったのは、花崗岩の文様と文字と錯綜したためでした。

  • 矢場地蔵寺の境内光景です。こちら側に隣接した場所には、大型の駐車場がありました。かつては、小林城址の縄張りだった場所かもしれません。

    矢場地蔵寺の境内光景です。こちら側に隣接した場所には、大型の駐車場がありました。かつては、小林城址の縄張りだった場所かもしれません。

  • 矢場地蔵寺の境内光景です。右奥に見えるのが矢場地蔵堂です。西側方面の光景になります。ビル陰で、大分暗くなってきました。

    矢場地蔵寺の境内光景です。右奥に見えるのが矢場地蔵堂です。西側方面の光景になります。ビル陰で、大分暗くなってきました。

  • 中に明かりが灯った、社務所の受付光景です。三方の上に載せて、蝋燭、線香、御守などが販売されていました。三方は、神道の神事において使われる神饌を載せる台です。寺院で使う場合は、三宝(仏・法・僧)と書かれることもあります。

    中に明かりが灯った、社務所の受付光景です。三方の上に載せて、蝋燭、線香、御守などが販売されていました。三方は、神道の神事において使われる神饌を載せる台です。寺院で使う場合は、三宝(仏・法・僧)と書かれることもあります。

  • 表に『南無地蔵大菩薩』と刻んであった、入場した時にも撮影した石柱です。裏には、明治41年(1908年)1月建立の日付がありました。

    表に『南無地蔵大菩薩』と刻んであった、入場した時にも撮影した石柱です。裏には、明治41年(1908年)1月建立の日付がありました。

  • 色付き始めた『サザンカ(山茶花)』の花です。椿の花ではないようでした。ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹です。

    色付き始めた『サザンカ(山茶花)』の花です。椿の花ではないようでした。ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹です。

  • こちらは、まだ固い蕾だけの『サザンカ(山茶花)』の花です。ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生していますが、ツバキ、サザンカ、チャは温帯に適応した珍しい種とされます。日本はそれらの自生地としては世界の北限になります。

    こちらは、まだ固い蕾だけの『サザンカ(山茶花)』の花です。ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生していますが、ツバキ、サザンカ、チャは温帯に適応した珍しい種とされます。日本はそれらの自生地としては世界の北限になります。

  • 三連セットの円筒形の提灯のズームアップ光景です。青波と牡丹の花が描かれた華やかな絵をバックに、『南無地蔵大菩薩』の文字が記されていました。

    三連セットの円筒形の提灯のズームアップ光景です。青波と牡丹の花が描かれた華やかな絵をバックに、『南無地蔵大菩薩』の文字が記されていました。

  • 矢場地蔵尊の境内にあるレストランの光景です。経のメインとして、2種類のメニューが紹介してありました。チキンカツと煮魚の定食です。

    矢場地蔵尊の境内にあるレストランの光景です。経のメインとして、2種類のメニューが紹介してありました。チキンカツと煮魚の定食です。

  • ビルの影響で陰ってきましたが、まだ顔の部分は明るく照らされていた、矢場地蔵寺名物のジャンボ延命地蔵尊の光景です。

    ビルの影響で陰ってきましたが、まだ顔の部分は明るく照らされていた、矢場地蔵寺名物のジャンボ延命地蔵尊の光景です。

  • 最後にもう一度紹介する、矢場の巨大な地蔵さんです。ジャンボ延命地蔵尊は、夜にはライトアップされるようです。その正面光景です。

    イチオシ

    最後にもう一度紹介する、矢場の巨大な地蔵さんです。ジャンボ延命地蔵尊は、夜にはライトアップされるようです。その正面光景です。

  • 清浄寺の東門付近から眺めた東側方面の光景です。道路を挟んば場所に見えるのは「フラリエ」です。以前は名古屋市関連の有料施設の『ランの館』でしたが、業務見直しにより民間委託にされ、無料開放されました。久し振りでしたから、この後立寄りました。

    清浄寺の東門付近から眺めた東側方面の光景です。道路を挟んば場所に見えるのは「フラリエ」です。以前は名古屋市関連の有料施設の『ランの館』でしたが、業務見直しにより民間委託にされ、無料開放されました。久し振りでしたから、この後立寄りました。

  • 『清浄寺東参道』の文字が刻まれた石碑の光景です。入場したのは、『表参道』の石碑があった西側の出入口です。

    『清浄寺東参道』の文字が刻まれた石碑の光景です。入場したのは、『表参道』の石碑があった西側の出入口です。

  • 『徳寿山』の大きな扁額が懸かった、清浄寺の東門の光景です。清浄寺の前身の小林城主の牧氏は、4千石を領していましたが、元亀元年(1570年)に没し、後継ぎがなく廃城となったようです。桶狭間の戦いからは、10年ほどが経っていました。

    イチオシ

    『徳寿山』の大きな扁額が懸かった、清浄寺の東門の光景です。清浄寺の前身の小林城主の牧氏は、4千石を領していましたが、元亀元年(1570年)に没し、後継ぎがなく廃城となったようです。桶狭間の戦いからは、10年ほどが経っていました。

  • 小林城址・清浄寺の東面の石塀と白壁の光景です。小林錠を偲ばせるような、見事な切込み接ぎの石塀と本瓦葺きの白壁光景です。

    小林城址・清浄寺の東面の石塀と白壁の光景です。小林錠を偲ばせるような、見事な切込み接ぎの石塀と本瓦葺きの白壁光景です。

  • 尾張徳川家の参拝所だった清浄寺(しょうじょうじ)ですから、外塀の軒丸瓦には、『三つ葉葵』のご紋がありました。『尾州三つ葵』と呼ばれる意匠のようです。

    尾張徳川家の参拝所だった清浄寺(しょうじょうじ)ですから、外塀の軒丸瓦には、『三つ葉葵』のご紋がありました。『尾州三つ葵』と呼ばれる意匠のようです。

  • 今が旬の花を三つ紹介して、尾張・小林城址と、その跡地に建てられ、尾張徳川家に崇拝された証城寺の紹介はおしまいです。今は『矢場地蔵尊』として、名古屋市民に親しまれています。黄色い花が満開のキク科の『ツワブキ』の花です。

    今が旬の花を三つ紹介して、尾張・小林城址と、その跡地に建てられ、尾張徳川家に崇拝された証城寺の紹介はおしまいです。今は『矢場地蔵尊』として、名古屋市民に親しまれています。黄色い花が満開のキク科の『ツワブキ』の花です。

  • 鮮やかなピンク色の花が満開の『センニチコウ(千日紅)』です。『センニチソウ(千日草)』の呼び名もあります。ヒユ科センニチコウ属のの春播き一年草です。

    鮮やかなピンク色の花が満開の『センニチコウ(千日紅)』です。『センニチソウ(千日草)』の呼び名もあります。ヒユ科センニチコウ属のの春播き一年草です。

  • 白地に薄いピンクの絞りが入ったコスモスの花です。いくつかの名前の新品種が誕生しているようです。ピコティ、アカツキ、スウィートシックスティーンなどです。

    白地に薄いピンクの絞りが入ったコスモスの花です。いくつかの名前の新品種が誕生しているようです。ピコティ、アカツキ、スウィートシックスティーンなどです。

この旅行記のタグ

27いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP