2016/11/05 - 2016/11/05
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嶋田城址と所縁の寺社の紹介です。島田神社に続いて、至近場所に立地する嶋田地蔵寺の紹介です。島田城の歴代城主だった牧氏の菩提寺です。
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島田城址に所縁の寺社、島田神社の紹介の続きです。正面に『村社・田神社』、側面に寄贈者の『牧仙太郎』の名前が刻まれていました。島田城の城主だった牧氏の一族の方のようです。
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島田神社の南側の鳥居の光景です。本来はこちらから入場すべきところでしたが、道巡の都合で別の場所から入場しました。
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『七級社・島田神社』の文字が刻まれた入口左手の石碑の光景です。戦前までは、国が定めた『社格制度」(官幣大社、県社、村社など)がありましたが、 戦後は、『等級制度』制度に変わりました。特急から8級までの9段階です。
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或る程度の規模の神社には、必ずと言ってよいほど置かれている『定』の高札の様な標識です。昭和50年(1975年)10月の日付の、神社本庁・島田神社連名の表示でした。
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表参道の脇にあった、通り道の光景です。通り抜けはしませんでしたが、社務所辺りへの通り道のようでした。
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少し風変わりな庭石の光景です。表参道脇に置かれていました。その脇には『奉納』の石碑がありましたが、運び込むのが大変な大きさの庭石でした。これで、嶋田神社の紹介はおしまいです。次は隣接するくらい近い場所にある、島田地蔵寺の紹介です。この2箇所が、今回の所縁の寺社です。
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名古屋市教育委員会名の『島田地蔵寺』の立看板です。雨降地蔵や、毛替地蔵の名前で知られる、『尾張六地蔵』の第5番札所であることなどが紹介されていました。
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上の文字が切れてしまいましたが、『島田地蔵寺』の文字が刻まれた石碑の光景です。立札にも記された尾張六地蔵は、次の通りです・
〇第1番:興化山・長光寺:地蔵菩薩(通称、 汗かき地蔵)
〇第2番:徳寿山・無量院・清浄寺:阿弥陀如来(通称、矢場地蔵)
〇第3番:海底山・地蔵院:地蔵菩薩(通称、湯浴地蔵)
〇第4番:頭護山・如意寺:如意輪観世音菩薩(通称、蛤地蔵)
〇第5番:古厩山・広徳院・地蔵寺:阿弥陀如来(通称、雨降地蔵・毛替地蔵)
〇第6番:金龍山・芳珠寺:地蔵菩薩)通称、延命地蔵) -
山門の前の右隅にあった、『不許葷酒入山門』の文字が刻まれて石碑です。『葷』は、においの強い野菜、具体的にはニンニク、ラッキョウ、ネギ、ニラなどのことです。それらの野菜と酒を清浄な場所に持ち込むことを禁止する意味の掲示です。禅寺に多い表示ともされます。
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イチオシ
島田地蔵寺の山門光景です。島田城主の牧氏の菩提寺です。島田城址からは、旧鎌倉街道に沿って、200メートルほどの距離にあります。
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島田地蔵寺の本堂光景です。境内にはこの本堂のほかに、地蔵堂がありますが、この後紹介します。建立は嘉吉2年(1442年)、曹洞宗の越前・永平寺の末寺だったとされます。開山は鐘崎式部太夫源種国という武士と伝わります。
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イチオシ
正面から眺めた、島田地蔵寺の本堂光景です。延徳3年(1491年)、天白川の氾濫で寺殿が破壊しましたが、明応9年(1500年、)鳴海・瑞泉寺の秀建和尚が本堂を再建しました。その後天文10年(1541年)、牧右近太夫義次が堂宇を修造し、更にその後、永禄3年(1560年)兵火により焼失しました。桶狭間の戦いの年です。その後、牧右近衛義汎が再建しました。
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手水舎の光景です。本瓦で葺いた屋根を持つ、四方転びの柱が用いられた、四方吹き放しの構造です。水盤には、夏目漱石を思い出す、『漱水』の文字がありました。
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『志満だ(島田)地蔵道』の文字が刻まれた古い道標の光景です。推測ですが、鎌倉街道あたりに遭ったものを、散逸防止のために移設したのかも知れません。
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同じく、『志満だ(島田)地蔵道』の文字が刻まれた古い道標の光景です。このお寺が、『毛替地蔵』と呼ばれることになった民話の紹介です。
『その昔、島田には熊坂長範という大泥棒が住んでいました。彼はある時、お金持ちの家から馬を1頭盗んできてそれを馬市で売ろうとしたのですが、盗まれた馬だということがわかってしまい売れませんでした。そこで地蔵寺のお地蔵さまに、馬を売りたいと祈ります。するとなんと、馬の毛の色が一夜にして変わってしまい、難なく売れてしまうのです。そして彼は、お地蔵さんの力に恩を感じ、その馬が売れたお金を貧しい人に分けたのでした』という民話です。現在では転じて、美しい髪を求める人が多く訪れるそうです。 -
イチオシ
島田地蔵寺の境内の一角にある、『島田地蔵堂』の光景です。お堂は近代的な新しい建物でした。そのお堂の右手には、『毛替地蔵大菩薩』の大きな石碑と、左手には地蔵尊の像が置かれていました。ガラス戸越しに、中に祀られた地蔵尊も見えていました。
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斜め前から眺めた、島田地蔵堂の光景です。お堂は近代的な新しい建物ですが、屋根は銅葺でした。銅葺の下も、檜皮葺を模したような造作でした。
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竹箒を手にして庭を掃除する姿に見える、小僧さんの石造光景です。まだ調べていませんが、島田地蔵寺に残る、小僧さんに纏わる民話があるかも知れません。
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紀元前3世紀の像とされる、『アショカ・ピラー獅子頭』の摸刻の石造です。アショカ王(在位:紀元前268年頃~紀元前232年頃)は、マウリヤ朝(紀元前317年頃~紀元前180年頃)の第3代の王です。古代インドにおいて、仏教を守護した大王として知られます。漢訳音写では阿育王と記されます。
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『アショカ・ピラー獅子頭』のタイトルがあった石碑の光景です。獅子像の説明文が記されていました。昭和63年(1988年)、奈良の東大寺の『花まつり千僧法要』を契機に建立された像と紹介されていました。
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島田地蔵寺の境内の光景です。その背後に見えるのは、島田幼稚園の建物です。今日(11/15)目を通したHPには、『当幼稚園は、地元名古屋市天白区で46年以上にわたり6428名の卒園児』と紹介されていました。学校法人・愛知産業大学が運営する幼稚園です。愛知産業大学は、1992年に創立された、岡崎市に本部を置く私立大学です。
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島田地蔵寺の境内光景の紹介が続きます。本堂付近から眺めた、山門方面の光景です。山門より、やや小振りな手水舎も左手に見えています。
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島田地蔵寺の境内光景です。左端に本堂、中央奥に地蔵堂が見える光景です。
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名古屋市保存樹に指定された『クスノキ(楠、樟)』の古樹の光景です。クスノキ科ニッケイ属の常緑高木です。
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左手に見える白い杭が、名古屋市保存樹の標識です。右手の古い石碑は、風化が進み、文字は読み取れませんでした。
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『ツワブキ(石蕗、艶蕗)』の黄色の花です。キク科の植物とは思えないような丸い葉をしています。日陰でもよく育つ植物です。
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島田地蔵寺の前庭の一角の光景です。手水舎とは別の水盤が置かれていました。庭木などへの水遣りと、庭の飾りの役割のようでした。
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春日灯篭と同類の背が高い六角形の石灯篭の光景です。イメージは春日灯篭に似ていましたが、意匠が異なっていました。
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これで、島田地蔵寺の紹介はおしまいです。今回紹介できなかった中には、島田城址の歴代城主の牧氏の墓石などがあります。次の機会に紹介することにします。
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門の外に置かれていた、観音菩薩像の様な立像の光景です。少し高い位置にありましたので、石像か、焼物か判断が付きませんでした。これで、嶋田城址の牧氏の菩提寺の地蔵寺の紹介はおしまいです。
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