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植田城址所縁の八幡社紹介の続きです。見学することはできませんでしたが、境内には古墳時代中期と思われる前方後円墳の一部が残されています。その後、植田城址と目される場所に向かいました。

2016秋、尾張・植田城址と所縁の寺社(2/6):植田八幡社、蘇鉄、古墳の説明看板、植田城

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2016/11/05 - 2016/11/05

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旅人のくまさん

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植田城址所縁の八幡社紹介の続きです。見学することはできませんでしたが、境内には古墳時代中期と思われる前方後円墳の一部が残されています。その後、植田城址と目される場所に向かいました。

交通手段
徒歩
  • 植田八幡宮の境内光景です。境内の片隅にあった、庫裏のような建物光景です。右手に行事案内の看板がありました。玄関には太い注連縄が張られていました。

    植田八幡宮の境内光景です。境内の片隅にあった、庫裏のような建物光景です。右手に行事案内の看板がありました。玄関には太い注連縄が張られていました。

  • 正面から眺めた、唐風の造りの屋根を持った玄関の光景です。拝殿ではない建物ですが、庫裏の一部でしょうか。注連縄が張られていました。

    正面から眺めた、唐風の造りの屋根を持った玄関の光景です。拝殿ではない建物ですが、庫裏の一部でしょうか。注連縄が張られていました。

  • 神社には付きものの植物、『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。ソテツ科の常緑低木で、九州南部から沖縄に自生しています。種子や幹には、多量のデンプンを含むため、かつては食用にされましたが、有毒物質を含みます。

    イチオシ

    神社には付きものの植物、『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。ソテツ科の常緑低木で、九州南部から沖縄に自生しています。種子や幹には、多量のデンプンを含むため、かつては食用にされましたが、有毒物質を含みます。

  • 蘇鉄の根元付近にあった、『寄付』の文字が刻まれた石碑です。蘇鉄を期した氏子の人達の名前が記されているようでした。

    蘇鉄の根元付近にあった、『寄付』の文字が刻まれた石碑です。蘇鉄を期した氏子の人達の名前が記されているようでした。

  • 境内側から眺めた東門の光景です。この神社に最初に入場した時の入口門です。門も塀も銅葺の屋根を持つ格式ある造りでした。

    境内側から眺めた東門の光景です。この神社に最初に入場した時の入口門です。門も塀も銅葺の屋根を持つ格式ある造りでした。

  • 『はちまん者」の石碑の光景です。南側にある表参道脇に建てられていました。左後方に神橋と、鳥居が見えています。植田城の初代城主の横地氏とかかわりが深い神社ですから、武家に相応しい八幡神を祀る八幡社となったのでしょうか。

    『はちまん者」の石碑の光景です。南側にある表参道脇に建てられていました。左後方に神橋と、鳥居が見えています。植田城の初代城主の横地氏とかかわりが深い神社ですから、武家に相応しい八幡神を祀る八幡社となったのでしょうか。

  • 名古屋市教育委員会名で建てられた、『植田八幡社と古墳』のタイトルの立札です。植田八幡社の創建年は不詳ですが、『尾張志』に記された、天正10年(1580年)に室賀久太夫が補修したことが紹介されていました、御祭神は応神天皇です。また、境内には、この地方を支配したと思われる豪族の古墳の一部が残されていることも紹介されていました。<br />

    名古屋市教育委員会名で建てられた、『植田八幡社と古墳』のタイトルの立札です。植田八幡社の創建年は不詳ですが、『尾張志』に記された、天正10年(1580年)に室賀久太夫が補修したことが紹介されていました、御祭神は応神天皇です。また、境内には、この地方を支配したと思われる豪族の古墳の一部が残されていることも紹介されていました。

  • 境内末社の厳島社の拝殿の正面光景です。真新しい朱塗りの社でした。厳島神社の総本社は広島県廿日市市の厳島(宮島)にあり、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)と湍津姫命(たぎつひめのみこと)を御祭神としています。<br />

    境内末社の厳島社の拝殿の正面光景です。真新しい朱塗りの社でした。厳島神社の総本社は広島県廿日市市の厳島(宮島)にあり、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)と湍津姫命(たぎつひめのみこと)を御祭神としています。

  • 同じく、斜め前から眺めた朱塗りの厳島社の拝殿の光景です。厳島社の総本社は、平家の平清盛公との関係が深いとされます。

    同じく、斜め前から眺めた朱塗りの厳島社の拝殿の光景です。厳島社の総本社は、平家の平清盛公との関係が深いとされます。

  • 囲いの中にあった厳島社の赤い鳥居と本殿の光景です。厳島神社らしく、その周りは池になっていました。

    囲いの中にあった厳島社の赤い鳥居と本殿の光景です。厳島神社らしく、その周りは池になっていました。

  • 東側になる横から眺めた、境内末社の厳島社の光景です。左から、拝殿、鳥居、社殿の朱色が並びます。

    東側になる横から眺めた、境内末社の厳島社の光景です。左から、拝殿、鳥居、社殿の朱色が並びます。

  • 植田八幡社の表参道の南端から眺めた境内の光景です。神橋、鳥居、拝殿が一直線上に並んでいました。

    イチオシ

    植田八幡社の表参道の南端から眺めた境内の光景です。神橋、鳥居、拝殿が一直線上に並んでいました。

  • 表参道入口の鳥居のズームアップ光景です。真新しい扁額の文字は、『植田八幡宮』でした。その下に見えるのが銅葺屋根の拝殿です。

    表参道入口の鳥居のズームアップ光景です。真新しい扁額の文字は、『植田八幡宮』でした。その下に見えるのが銅葺屋根の拝殿です。

  • 植田八幡宮の南側の通りから眺めた境内光景です。正面に見えるのは、社務所のようです。その右に微かに神馬が見えていました。

    植田八幡宮の南側の通りから眺めた境内光景です。正面に見えるのは、社務所のようです。その右に微かに神馬が見えていました。

  • 同じく、広場の様な植田八幡宮の境内光景です。秋も深まり、広場の周りの木々が、色付き始めていました。

    同じく、広場の様な植田八幡宮の境内光景です。秋も深まり、広場の周りの木々が、色付き始めていました。

  • 文字が読み取れなかった古い石碑の光景です。ネット情報を参考にしますと、明治41年(1908年)、皇太子時代の大正天皇が愛馬、『藤園』に乗られた時のいきさつなどが記されているようでした。

    文字が読み取れなかった古い石碑の光景です。ネット情報を参考にしますと、明治41年(1908年)、皇太子時代の大正天皇が愛馬、『藤園』に乗られた時のいきさつなどが記されているようでした。

  • 愛知県名で昭和12年(1937年)に設置された、『定』の立札です。宗教に国や県が関与していた戦前の立札です。記念碑として、しっかりとした囲いの中に納まっていました。これで、植田城址所縁の植田八幡社の紹介はおしまいです。

    愛知県名で昭和12年(1937年)に設置された、『定』の立札です。宗教に国や県が関与していた戦前の立札です。記念碑として、しっかりとした囲いの中に納まっていました。これで、植田城址所縁の植田八幡社の紹介はおしまいです。

  • 右手が先ほど紹介した植田八幡社、その南に面した通りの光景です。植田八幡社のすぐ近くに、馬頭観音の赤い幟が立っていました。

    右手が先ほど紹介した植田八幡社、その南に面した通りの光景です。植田八幡社のすぐ近くに、馬頭観音の赤い幟が立っていました。

  • 植田八幡社のすぐ近くにあった、馬頭観音の小さな社の光景です。馬頭観世音菩薩は、観音菩薩の変化身の一つとされ、『六観音』の一尊に数えられています。

    植田八幡社のすぐ近くにあった、馬頭観音の小さな社の光景です。馬頭観世音菩薩は、観音菩薩の変化身の一つとされ、『六観音』の一尊に数えられています。

  • 場所を少しだけ移動して、『郷藪公園』の紹介です。かつての植田城に隣接する場所にあった、『横地権蔵屋敷址』と目されている公園です。その公園の東北角付近の光景です。

    場所を少しだけ移動して、『郷藪公園』の紹介です。かつての植田城に隣接する場所にあった、『横地権蔵屋敷址』と目されている公園です。その公園の東北角付近の光景です。

  • 東側から眺めた、『郷藪公園』の光景です。天白区の城址をレポートしたネット情報によれば、『愛知県中世城館跡調査報告1尾張地区に明治時代の地籍図が載っており、それによると植田城と横地権蔵屋敷は別に記載されています』と紹介されていました。この公園の一部、もしくは全部が『横地権蔵屋敷址』である可能性は高いようです。

    東側から眺めた、『郷藪公園』の光景です。天白区の城址をレポートしたネット情報によれば、『愛知県中世城館跡調査報告1尾張地区に明治時代の地籍図が載っており、それによると植田城と横地権蔵屋敷は別に記載されています』と紹介されていました。この公園の一部、もしくは全部が『横地権蔵屋敷址』である可能性は高いようです。

  • 同じく、東側から眺めた、『郷藪公園』の光景です。この公園に隣接した場所に、『植田城址』と目される私有地があり、付近には植田城址の聖と同じ、『横地』の姓の屋敷があります。この公園の一部、もしくは全部が『横地権蔵屋敷址』である可能性は高いようです。

    同じく、東側から眺めた、『郷藪公園』の光景です。この公園に隣接した場所に、『植田城址』と目される私有地があり、付近には植田城址の聖と同じ、『横地』の姓の屋敷があります。この公園の一部、もしくは全部が『横地権蔵屋敷址』である可能性は高いようです。

  • 南側から眺めた、『郷藪公園』の光景です。横地権蔵屋敷は、旧字名(あざな)の『郷藪』という場所にあったとされます。現在の地名からは消え去りましたが、公園の名に『郷藪』が残ったのは幸いでした。

    南側から眺めた、『郷藪公園』の光景です。横地権蔵屋敷は、旧字名(あざな)の『郷藪』という場所にあったとされます。現在の地名からは消え去りましたが、公園の名に『郷藪』が残ったのは幸いでした。

  • 複数の旧城址巡りの情報で、『植田城址』と目されている場所の一つがこの辺りです。先程の『郷藪公園』の西隣になります。私有地ですから、旧城址の標識類は一切ありません。

    複数の旧城址巡りの情報で、『植田城址』と目されている場所の一つがこの辺りです。先程の『郷藪公園』の西隣になります。私有地ですから、旧城址の標識類は一切ありません。

  • 同じく、『植田城址』と目されている場所の光景です。旧城主の横地氏に所縁の方の住居のようでした。『植田城址』の確率が最も高い場所との見方が多いようです。

    イチオシ

    同じく、『植田城址』と目されている場所の光景です。旧城主の横地氏に所縁の方の住居のようでした。『植田城址』の確率が最も高い場所との見方が多いようです。

  • 『植田城跡』として比定されている場所は、現在の地名で植田1丁目の南端辺りです。このスーパーオートバックス、郷藪公園や郷藪公園西側の住宅辺りとされています。<br />

    『植田城跡』として比定されている場所は、現在の地名で植田1丁目の南端辺りです。このスーパーオートバックス、郷藪公園や郷藪公園西側の住宅辺りとされています。

  • 『植田城跡』として比定されている場所付近から眺めた、東方面の光景です。右手に見えているのが、先ほどのスーパーオートバックスのお店です。

    『植田城跡』として比定されている場所付近から眺めた、東方面の光景です。右手に見えているのが、先ほどのスーパーオートバックスのお店です。

  • 『植田城跡』として比定されている場所付近から眺めた、西方面の光景です。右手に一番有力な候補地のお宅が見えます。

    『植田城跡』として比定されている場所付近から眺めた、西方面の光景です。右手に一番有力な候補地のお宅が見えます。

  • 先ほど紹介した場所より、少し北側から眺めた『植田城跡』と想定されている付近の光景です。宅地化が進んだ現在では、手掛かりになるようなものは見当たりませんでした。

    先ほど紹介した場所より、少し北側から眺めた『植田城跡』と想定されている付近の光景です。宅地化が進んだ現在では、手掛かりになるようなものは見当たりませんでした。

  • 同じく、先ほど紹介した場所より、少し北側から眺めた『植田城跡』と想定されている付近の光景です。『植田城跡』と思しき場所の紹介はここまでです。この後は、植田城所縁のお寺を紹介します。

    同じく、先ほど紹介した場所より、少し北側から眺めた『植田城跡』と想定されている付近の光景です。『植田城跡』と思しき場所の紹介はここまでです。この後は、植田城所縁のお寺を紹介します。

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