2016/11/06 - 2016/11/17
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旅人のくまさんさん
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川村北城址と所縁の御嶽神社の紹介です。川村北城と、川村南城については詳しいことは分かっていません。川村北城は、1548年頃に最後の城主の牧長義が小林城へ移り、廃城になったとされます。
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龍泉寺城址と、龍泉寺観音の見学を終え、次の目的地の川村北城址に向かう途中の光景です。振り返って眺めた龍泉寺観音方面の光景です。ゆとりーとラインの龍泉寺駅に向かい、白沢渓谷駅まで移動の予定です。
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尾張四観音の一つ、龍泉寺観音の参道の様な通り道に横にある小さな祠の光景です。『南無大師遍照金剛』の文字の幟がありましたから、弘法大師を祀っている大師堂のようでした。立寄らずに、そのまま通過です。
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弘法大師を祀っている祠の横に置かれていた地蔵尊です。揃いの赤い前掛け姿の、大小さまざまな8体ほどです。一番高い像は親子地蔵尊、それぞれの地蔵さんに榊のお供えがありました。
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ゆとりーとラインの龍泉寺観音の最寄り駅は、龍泉寺駅か、龍泉寺口駅ですが、大した距離の差ではありませんから、小幡緑地駅まで歩きました。小幡駅付近の光景です。
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ゆとりーとラインの龍泉寺観音の小幡緑地駅の入口光景です。ゆとりーとラインはここまでが高架の専用道路を軌条走行し、ここより東側では、一般道路を普通走行します。
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ゆとりーとラインの小幡緑地駅のホームから眺めた、東方面の光景です。小高い山の光景がありました。龍泉寺観音・龍泉寺城址があった小山のようです。
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ゆとりーとラインの白沢渓谷駅付近の光景です。駅付近を少し散策した後、川村北城に所縁の神社と目される御嶽神社、更に白沢渓谷に向かうことにしました。
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白沢渓谷駅の西側にあった石段の光景です。この先の一帯が、川村北城址と目されている場所ですが、遺跡は全く残されていないようです。
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地形を実感するためだけに登った石段でした。登った先は住宅地になっていました。文政5年(1822年)に編纂された『尾張徇行記』では、『定納山ノ内古城跡アリ、津田武衛トイヘル人居城ノ由申伝ヘリ、覚書ニ如此アリ』と記載されています。守山市史では、この城を『北ノ城』と呼んでいるようです。
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白沢敬九九駅の北側の丘から眺めた東方面の光景です。尾張徇行記』に記された津田武永(つだ・たけなが:生没年不詳)の別名は、織田寛近(おだひろちか)です。父は、戦国武将の織田広近(おだ・ひろちか:生年不詳~1491年)です。長禄3年(1459年)に大口城を築城し、更に文明元年(1469年)、新たに木ノ下城を築城し、そちらに移った後、文明7年(1475年)に息子の寛近に家督を譲り、閑居しました。
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ゆとりーとラインの白沢渓谷駅の北側付近を散策した後、駅付近に戻って来ました。次は川村北城址所縁の神社とされる『御嶽神社』の見学です。
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別の日に撮影した、川村北城があったとされる丘陵地の車中光景です。丘陵地の西橋方面の光景です。丘陵地の北側には庄内川が流れる、天然の要害地です。
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イチオシ
写真撮影した時系列からは逆行しますが、先ほどより少しだけ東側の光景になります。北側からの寄せ手には、絶好の物見の場所にもなったかもしれません。今は高速道路などができましたが、南方面の見晴らしも十分に利いたようです。
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更に東側の丘陵光景です。かつての川村城(川村北城)の築城年は定かではありませんが、織田広近の子・津田遠江守武永の築城とされます。武永には男子が無く、岡田伊勢守時常を娘婿としました。時常も男子が無く、斯波義良の次男牧下野守長義を娘婿としました。城主は、津田、岡田、牧と代わったようです。
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ゆとりーとラインからの車中光景はここまでです。白沢渓谷駅に近い東側の丘陵地です。天文17年(1548年)頃、牧長義は現在は中区になる小林城に移り、川村城は廃城になったと伝わります。別の資料で紹介しますが、小林城址には清浄寺が建てられ、矢場地蔵尊として尾張徳川家累代の祈祷所となりました。その場所に、牧長義(義清)夫妻、その嫡男の牧長清夫妻の立派な墓が残ります。
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ゆとりーとラインの白沢渓谷駅で降り、川村北城の所縁の神社と目される御嶽神社にやって来ました。先ほど車中からの光景で紹介した、川村北城址があったと目される丘陵からは、今は高速道路を挟んで南側に位置します。
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南側の入口から眺めた御嶽神社の境内光景です。小幡城址古絵図には、同城址北東の白沢川を越えた辺りに城址が描かれています。これが川村北城址と目されていますが、道路工事や宅地開発が進んだため、その場所を特定するのは困難となっています。
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『御嶽神社』の文字が刻まれた石碑の光景です。御嶽神社と川村城址の詳しい関係は分かりませんが、多くのネット情報で取り上げられている関連が想定されている神社でした。
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イチオシ
奥にあった『余慶の碑』です。この地が元々『余慶山』と呼ばれたことによりこの碑に名前となったようです。かつては、西側にあった川嶋神社の旧社地になっていたようです。
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『余慶の碑』のズームアップ光景です。力強い楷書の文字でした。この地を開発した村人達を労う記念碑のようです。ネット情報では、『積善之家必有余慶にありと、村民の永遠の繁栄のため貢献した地元民・安藤忠三郎氏の頌徳碑』との紹介もありました。安藤忠三郎氏についての詳しい情報は掴めませんでした。『余慶』は、『祖先の善行のおかげで、子孫が受ける幸福』などを意味します。
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傾いたまま固定されてしまった小さな社の光景です。地蔵尊当たりでしょうか、かなり風化した石像一体が納められていました。
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こちらも少し傾いてしまった小さな社の光景です。目の粗い格子戸越しに眺めたところでは、現在は何も祀られていない空き家になっていました。
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『丸に三引き紋』の上に山(入り山形紋)が描かれた紋所の下に記された文字は、『移築記念』のようでした。水野教正監を筆頭に、大教正、権大教正、権中教正、権小教正や権大正教の肩書の人達が三段に亘って刻まれていました。大教正をトップとする教導職は、明治初期の宗教政策で大教宣布のために設置された宗教官吏です。明治5年(1872年)から明治17年(1884年)まで存続ししたが、政府が政教分離の方針を執ったために廃止されました。この階級名称は、教導職廃止後も、教派神道や仏教宗派において教師の階級として現在も用いられているようです。
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イチオシ
御嶽神社の境内に立ち並ぶ石碑群の光景です。中央やや左寄りの大きな石碑には、『御嶽登山111度・当山開祖覚山霊神』の文字がありました、末尾には、『八幡太郎源義家末裔・大教正・犬飼某』の落款がありました。
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同じく、御嶽神社の境内に立ち並ぶ石碑群の光景です。前列左端の石碑には、『大教正・国覚霊神』の文字と、末尾に建立者の名前がありました。
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石碑の中でもかなり古いもののようでした。『当山講祖覚●霊神』の六番目の文字が読み取れませんでした。
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『余慶の碑』とそのちかくにあった、染井吉野らしい桜の木の光景です。
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境内にあった立札のズームアップ光景です。『御嶽誕生講本部協会川村』の名前で建てられた、注意書きでした。御嶽教(おんたけきょう)は、奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つですが、この宗派との関わりはよく分かりませんでした。
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北側方面になる、裏側から眺めた、『余慶の碑』とその周りの光景です。紅葉の時期を迎えていましたが、枝が随分と伐採されていました。
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同じく、裏側から眺めた、『余慶の碑』が建つ、御嶽神社の境内光景です。道路工事で削られたのでしょうか、不揃いな高さの石垣が積まれていました。この後、白沢渓谷方面に向かいました。
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