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植田城址と所縁の寺社の紹介です。2箇所目のお寺は泉称寺です。このお寺は詳しい創建は不明ですが、元は天台宗でしたが1523年に浄土真宗に改宗したと伝えられています。

2016秋、尾張・植田城址と所縁の寺社(4/6):全久寺から歩いて泉称寺へ、石段、山門

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2016/11/05 - 2016/11/05

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

植田城址と所縁の寺社の紹介です。2箇所目のお寺は泉称寺です。このお寺は詳しい創建は不明ですが、元は天台宗でしたが1523年に浄土真宗に改宗したと伝えられています。

交通手段
徒歩
  • 最初にお参りした、植田城所縁のお寺の『全久寺』の境内から眺めた西北方面の光景です。至近場所に、お寺の屋根が見えました、この後立寄る予定の『常喜山・泉称寺』です。

    最初にお参りした、植田城所縁のお寺の『全久寺』の境内から眺めた西北方面の光景です。至近場所に、お寺の屋根が見えました、この後立寄る予定の『常喜山・泉称寺』です。

  • 同じく、植田城所縁のお寺の『全久寺』の境内から眺めた西北方面の光景です。この境内よりも高い場所にお寺の屋根が見えました。三番目に見学する予定の『栄久寺』です。

    同じく、植田城所縁のお寺の『全久寺』の境内から眺めた西北方面の光景です。この境内よりも高い場所にお寺の屋根が見えました。三番目に見学する予定の『栄久寺』です。

  • オレンジ色に色付いた、『ナンテン(南天』の実です。秋が深まり、更に冬になれば、真っ赤に色付くはずですが、あまりにも実の色が均一ですから、黄色の実を付ける種類のナンテンかも知れません。ナンテンの実を煎じて飲むと『咳止め』に効果があり、『のどあめ』の原料として使われています。

    オレンジ色に色付いた、『ナンテン(南天』の実です。秋が深まり、更に冬になれば、真っ赤に色付くはずですが、あまりにも実の色が均一ですから、黄色の実を付ける種類のナンテンかも知れません。ナンテンの実を煎じて飲むと『咳止め』に効果があり、『のどあめ』の原料として使われています。

  • 同じく、オレンジ色になった、『ナンテン(南天』の実のズームアップ光景です。黄色系の実を付けるナンテンには、『ウルミナンテン』があります。紅葉もオレンジ色のようです。『ウルミ』の漢字表記が分かりませんでしたが、『潤』でしょうか。

    同じく、オレンジ色になった、『ナンテン(南天』の実のズームアップ光景です。黄色系の実を付けるナンテンには、『ウルミナンテン』があります。紅葉もオレンジ色のようです。『ウルミ』の漢字表記が分かりませんでしたが、『潤』でしょうか。

  • 登りに囲まれた水子地蔵尊のズームアップ光景です。左手で赤ん坊を支え、右手で礼拝するお姿でした。

    登りに囲まれた水子地蔵尊のズームアップ光景です。左手で赤ん坊を支え、右手で礼拝するお姿でした。

  • 近代建築の本堂と観音堂の光景に驚いた全久寺の見学もそろそろおしまいです。山門方面の境内光景です。表参道ではなく、往きと同じ、観音堂の前の坂道を下ることにしました。

    近代建築の本堂と観音堂の光景に驚いた全久寺の見学もそろそろおしまいです。山門方面の境内光景です。表参道ではなく、往きと同じ、観音堂の前の坂道を下ることにしました。

  • これで、『福田山・全久寺』の紹介はおしまいです。坂を下って、次の『泉称寺』に向かいました。全久寺の境内からの眺めでは、下った分だけ、また登らなくてはならないようでした。坂道の曲がり角に、右手に向かう近道の石段が見えました。

    これで、『福田山・全久寺』の紹介はおしまいです。坂を下って、次の『泉称寺』に向かいました。全久寺の境内からの眺めでは、下った分だけ、また登らなくてはならないようでした。坂道の曲がり角に、右手に向かう近道の石段が見えました。

  • 振り返って眺めた、全久寺の石段の光景です。往きには、鼓の石段ではなく、石段の上の坂道を登りましたが、次のお寺の泉称寺への近道であることが目視できましたので、この石段を下りました。左上に全久寺の観音堂の銅葺屋根が見えています。

    振り返って眺めた、全久寺の石段の光景です。往きには、鼓の石段ではなく、石段の上の坂道を登りましたが、次のお寺の泉称寺への近道であることが目視できましたので、この石段を下りました。左上に全久寺の観音堂の銅葺屋根が見えています。

  • 道の脇で咲いていた『サザンカ(山茶花)』の花です。満開を過ぎた花でしたが、風情を残した姿でした。花ごとではなく、花弁単位で散っていましたから、椿ではないようです。

    イチオシ

    道の脇で咲いていた『サザンカ(山茶花)』の花です。満開を過ぎた花でしたが、風情を残した姿でした。花ごとではなく、花弁単位で散っていましたから、椿ではないようです。

  • 先程の花よりは、ピンクの色が少しだけ濃かった『サザンカ(山茶花)』の花です。同じ生垣の、別の株の花です。

    先程の花よりは、ピンクの色が少しだけ濃かった『サザンカ(山茶花)』の花です。同じ生垣の、別の株の花です。

  • 全久寺から見えていた泉称寺に、歩いて到着しました。その入口の石段の光景です。全久寺から泉称寺への移動は、ほとんどが石段の上り下りでした。

    イチオシ

    全久寺から見えていた泉称寺に、歩いて到着しました。その入口の石段の光景です。全久寺から泉称寺への移動は、ほとんどが石段の上り下りでした。

  • 『常喜山・泉称寺』の石碑の光景です。天台宗であったと伝えられるお寺ですが、大永3年(1523年)、浄土真宗第9代実如上人(1458~1525年)に帰依し、浄土真宗に改宗したと伝わります。実如上人は、本願寺第8世蓮如の第8子(5男)として誕生した人です。

    『常喜山・泉称寺』の石碑の光景です。天台宗であったと伝えられるお寺ですが、大永3年(1523年)、浄土真宗第9代実如上人(1458~1525年)に帰依し、浄土真宗に改宗したと伝わります。実如上人は、本願寺第8世蓮如の第8子(5男)として誕生した人です。

  • 石段の脇で咲いていた、ピンクと黄色のツートンカラーのかわいらしい小菊の光景です。これから更に満開になりそうでした。

    石段の脇で咲いていた、ピンクと黄色のツートンカラーのかわいらしい小菊の光景です。これから更に満開になりそうでした。

  • 石段は、踊り場に達したところで、左に直角に曲がっていました、その石段の先に見えた『常喜山・泉称寺』の山門光景です。

    石段は、踊り場に達したところで、左に直角に曲がっていました、その石段の先に見えた『常喜山・泉称寺』の山門光景です。

  • 『常喜山・泉称寺』の山門の手前に置かれていた石灯篭の光景です。標準的な春日灯篭の様式でした。正面の火口の左横に、鹿の浮彫が見えました。

    『常喜山・泉称寺』の山門の手前に置かれていた石灯篭の光景です。標準的な春日灯篭の様式でした。正面の火口の左横に、鹿の浮彫が見えました。

  • 同じく、対て山門の前に置かれていた、左側の灯篭の光景です。当然ながら、同形式の春日灯篭です。火袋の正面と背面がに火口になります。正面の火口の右横は、鹿の浮彫です。左右の灯篭では、火袋のデザインが少しだけ異なります。

    同じく、対て山門の前に置かれていた、左側の灯篭の光景です。当然ながら、同形式の春日灯篭です。火袋の正面と背面がに火口になります。正面の火口の右横は、鹿の浮彫です。左右の灯篭では、火袋のデザインが少しだけ異なります。

  • 『常喜山・泉称寺』の山門のズームアップ光景です。ブロンズ製の吊り灯籠が中央に吊り下げられていました。山門の部分には、表札や扁額はありませんでした。

    『常喜山・泉称寺』の山門のズームアップ光景です。ブロンズ製の吊り灯籠が中央に吊り下げられていました。山門の部分には、表札や扁額はありませんでした。

  • 『常喜山・泉称寺』の本堂光景です。当初は、現在の飯田街道沿いに建っていましたが、天白川の洪水の被害を避けるため、享保19年(1734年)3月に現在の地に移転されました。先に紹介した、全久寺の引っ越しが寛政4年(1792年)ですから、その60年ほど前にこの地に引っ越したお寺です。<br />

    『常喜山・泉称寺』の本堂光景です。当初は、現在の飯田街道沿いに建っていましたが、天白川の洪水の被害を避けるため、享保19年(1734年)3月に現在の地に移転されました。先に紹介した、全久寺の引っ越しが寛政4年(1792年)ですから、その60年ほど前にこの地に引っ越したお寺です。

  • 山門を潜って左手にあった、鐘楼の光景です。本瓦で葺かれた屋根を持つ、吹き抜けの造りの建物です。

    山門を潜って左手にあった、鐘楼の光景です。本瓦で葺かれた屋根を持つ、吹き抜けの造りの建物です。

  • 柱の陰になってしまいましたが、鐘楼のズームアップ光景です。少し小振りに見える梵鐘が吊り下がっていました。

    柱の陰になってしまいましたが、鐘楼のズームアップ光景です。少し小振りに見える梵鐘が吊り下がっていました。

  • 手水舎の光景です。水道の蛇口が付いた水盤の腹には、『御浄水』の文字がありました。右手には、お墓参り用の数多くの手桶が整頓されていました。

    手水舎の光景です。水道の蛇口が付いた水盤の腹には、『御浄水』の文字がありました。右手には、お墓参り用の数多くの手桶が整頓されていました。

  • 『常喜山・泉称寺』の本堂光景です。現在は、真宗大谷派のお寺です。大谷派は『お東さん』、本願寺派は『お西さん』と通称されます。

    イチオシ

    『常喜山・泉称寺』の本堂光景です。現在は、真宗大谷派のお寺です。大谷派は『お東さん』、本願寺派は『お西さん』と通称されます。

  • 本殿前の石灯篭の光景です。本堂に向かって右手の石灯篭です。春日灯篭の様式に似ていますが、竿と呼ばれる部分に節がなく、意匠が少し異なりました。

    本殿前の石灯篭の光景です。本堂に向かって右手の石灯篭です。春日灯篭の様式に似ていますが、竿と呼ばれる部分に節がなく、意匠が少し異なりました。

  • 同じく、本殿前の石灯篭の光景です。本堂に向かって左手の石灯篭です。同じく春日灯篭によく似た、別種の石灯篭でした。

    同じく、本殿前の石灯篭の光景です。本堂に向かって左手の石灯篭です。同じく春日灯篭によく似た、別種の石灯篭でした。

  • 青々とした、『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。古刹の境内で例外なく目にするのが、石灯篭、蘇鉄と手水舎です。大きなお寺ですと、宗派による違いはありますが、金堂・塔・講堂・食堂・鐘楼・経蔵・僧坊・回廊・門の七堂伽藍が揃います。

    青々とした、『ソテツ(蘇鉄)』の光景です。古刹の境内で例外なく目にするのが、石灯篭、蘇鉄と手水舎です。大きなお寺ですと、宗派による違いはありますが、金堂・塔・講堂・食堂・鐘楼・経蔵・僧坊・回廊・門の七堂伽藍が揃います。

  • 三つ並んだ墓標と石碑の光景です。荒らしい造りの左端の墓標には、『鈴木家之墓』の文字がありました。関連した墓標と慰霊碑かも知れません。<br />

    三つ並んだ墓標と石碑の光景です。荒らしい造りの左端の墓標には、『鈴木家之墓』の文字がありました。関連した墓標と慰霊碑かも知れません。

  • 三つ並んだ石碑の中央部分の石碑のズームアップ光景です。『殉国』の碑でした。昭和13年(1938年)、中国の徐州会戦で戦死した軍人への慰霊碑でした。

    三つ並んだ石碑の中央部分の石碑のズームアップ光景です。『殉国』の碑でした。昭和13年(1938年)、中国の徐州会戦で戦死した軍人への慰霊碑でした。

  • 菊の花が手向けられた石碑の光景です。お墓ではなく、慰霊碑のようでした。名前の上に、故陸軍歩兵上等兵・勲七等・功七級の文字がありました。

    菊の花が手向けられた石碑の光景です。お墓ではなく、慰霊碑のようでした。名前の上に、故陸軍歩兵上等兵・勲七等・功七級の文字がありました。

  • 昭和12年(1938年)8月に支那事変で亡くなった方の法名、『釈忠欽』についての説明文です。東本願寺大谷光暢法主により授けられた表明であることなどが記されていました。支那事変は、現在では日中戦争の呼び名が一般的です。

    昭和12年(1938年)8月に支那事変で亡くなった方の法名、『釈忠欽』についての説明文です。東本願寺大谷光暢法主により授けられた表明であることなどが記されていました。支那事変は、現在では日中戦争の呼び名が一般的です。

  • 雨水受けの石製の容器の側面に記された、寺紋の浮彫です。花柄を文様としていました。杏葉牡丹とも呼ばれる牡丹紋のようです。徳川時代には菊、桐、葵の紋についで権威があったとされます。このため使用は限られ、公家では鷹司、難波の両家、武家では島津、伊達、津軽などの大大名家、寺院では興福寺、東本願寺、平等院などが使用しました。

    雨水受けの石製の容器の側面に記された、寺紋の浮彫です。花柄を文様としていました。杏葉牡丹とも呼ばれる牡丹紋のようです。徳川時代には菊、桐、葵の紋についで権威があったとされます。このため使用は限られ、公家では鷹司、難波の両家、武家では島津、伊達、津軽などの大大名家、寺院では興福寺、東本願寺、平等院などが使用しました。

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