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島田城址と所縁の寺社の紹介です。最初は島田神社の紹介です。島田神社は島田城築城に当たり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていたとされます。島田城所縁の神社です。

2016秋、尾張・島田城址と所縁の寺社(2/3):音聞橋を渡って島田神社へ、神馬、牛像

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2016/11/05 - 2016/11/05

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旅人のくまさん

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島田城址と所縁の寺社の紹介です。最初は島田神社の紹介です。島田神社は島田城築城に当たり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていたとされます。島田城所縁の神社です。

交通手段
徒歩
  • 今日は植田城祉とその所縁の寺社を見学の後、植田城址と所縁の寺社巡りをしました。このため、音聞橋を渡り南に向かいました。振り返って眺めた、植田城祉とその所縁の寺社があった方面の光景です。中央やや右手に、先程見学した稲葉山が見えています。

    今日は植田城祉とその所縁の寺社を見学の後、植田城址と所縁の寺社巡りをしました。このため、音聞橋を渡り南に向かいました。振り返って眺めた、植田城祉とその所縁の寺社があった方面の光景です。中央やや右手に、先程見学した稲葉山が見えています。

  • かつての鎌倉街道を南下し、嶋田神社に到着しました。家を出たあと、地下鉄を使わないすべて歩いての天白区内の散策でした。島田神社の東北側の狭い出入口から入場しましたので、最初は境内末社からの紹介です。

    かつての鎌倉街道を南下し、嶋田神社に到着しました。家を出たあと、地下鉄を使わないすべて歩いての天白区内の散策でした。島田神社の東北側の狭い出入口から入場しましたので、最初は境内末社からの紹介です。

  • 日清・日露戦争から始まり、昭和の時代の世界大戦を思い起こさせるのが、神社やお寺の忠魂碑です。島田神社は、1909年に神明社、八幡社、天神社と合祀され、その後黒石の山神社と天神社を合祀して黒石に遷されました。そして1923年に現在地へと遷り、1926年に天神社と秋葉社を祀り、名称を現在の島田神社に改めました。

    日清・日露戦争から始まり、昭和の時代の世界大戦を思い起こさせるのが、神社やお寺の忠魂碑です。島田神社は、1909年に神明社、八幡社、天神社と合祀され、その後黒石の山神社と天神社を合祀して黒石に遷されました。そして1923年に現在地へと遷り、1926年に天神社と秋葉社を祀り、名称を現在の島田神社に改めました。

  • 『神馬(しんめ)』のブロンズ像の光景です。お腹には、丸の中に『嶋』の文字がありあmした。島田神社の略称のようです。

    『神馬(しんめ)』のブロンズ像の光景です。お腹には、丸の中に『嶋』の文字がありあmした。島田神社の略称のようです。

  • 先程の写真は逆校になりましたので、藩回りして、反対側替えらの『神馬』のさつえいです。お腹に記された金文字の『嶋』もはっきりと見えました。

    イチオシ

    先程の写真は逆校になりましたので、藩回りして、反対側替えらの『神馬』のさつえいです。お腹に記された金文字の『嶋』もはっきりと見えました。

  • 島田神社の本殿の紹介の前に紹介する、菅原道真公を祀る天神社です。1909年に島田神社の前身の神社に合祀された歴史を持つようです。

    島田神社の本殿の紹介の前に紹介する、菅原道真公を祀る天神社です。1909年に島田神社の前身の神社に合祀された歴史を持つようです。

  • 島田神社の境内末社の天神社の拝殿光景です。右わきに、同じく境内末社の秋葉社、左脇に天王社の小さな社と石碑がありました。

    島田神社の境内末社の天神社の拝殿光景です。右わきに、同じく境内末社の秋葉社、左脇に天王社の小さな社と石碑がありました。

  • 少しだけズームアップした、天神社、秋葉社と天王社の光景です。秋葉社は秋葉大権現を祀る日除けの神、天王社は牛頭天王・須佐之男命を祀る、津島神社との縁が深い神社です。

    少しだけズームアップした、天神社、秋葉社と天王社の光景です。秋葉社は秋葉大権現を祀る日除けの神、天王社は牛頭天王・須佐之男命を祀る、津島神社との縁が深い神社です。

  • 菅原道真公を祀る天神様にとっては、必要不可欠な牛の像です。お腹に道真公所縁の梅紋がありました。北野天満宮の書き物からの引用です。『延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております。』との説明がありました。

    イチオシ

    菅原道真公を祀る天神様にとっては、必要不可欠な牛の像です。お腹に道真公所縁の梅紋がありました。北野天満宮の書き物からの引用です。『延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております。』との説明がありました。

  • 同じ牛さんの写真ですが、反対側に回っての撮影です。続いて、北野天満宮の書き物からの引用です、国宝『北野天神縁起絵巻』の序文には、『絵巻には配所の大宰府にある天拝山で無実の罪を神に訴える祭文読み捧げる場面があります。菅公は七日七夜祈られ「天満大自在天神」の神号とならせ給けると詞書きにあります。大自在天は元々ヒンズー教の神とされており「三目八臂」(さんもくはっぴ)三つの目と八本の腕を持ち、白い牛にまたがっています。』との説明がありました。ヒンズー教の国のインドやネパールを旅行した時、日本の神社に祀られる牛とナンディンとの関係が直感で浮かびましたが、北野天満宮の書き物で、改めて納得しました。

    同じ牛さんの写真ですが、反対側に回っての撮影です。続いて、北野天満宮の書き物からの引用です、国宝『北野天神縁起絵巻』の序文には、『絵巻には配所の大宰府にある天拝山で無実の罪を神に訴える祭文読み捧げる場面があります。菅公は七日七夜祈られ「天満大自在天神」の神号とならせ給けると詞書きにあります。大自在天は元々ヒンズー教の神とされており「三目八臂」(さんもくはっぴ)三つの目と八本の腕を持ち、白い牛にまたがっています。』との説明がありました。ヒンズー教の国のインドやネパールを旅行した時、日本の神社に祀られる牛とナンディンとの関係が直感で浮かびましたが、北野天満宮の書き物で、改めて納得しました。

  • 天神様には、狛犬も置かれていました。牛の信仰は、現在では『撫牛信仰』として広がり、横たわった牛には、諸病平癒の力があると信じられていますが、守護獣の狛犬も牛以上に国際性を持っています。起源を遠く遡れば、古代エジプトのスフィンクスやメソポタミヤ、古代インドに行き着きます。

    天神様には、狛犬も置かれていました。牛の信仰は、現在では『撫牛信仰』として広がり、横たわった牛には、諸病平癒の力があると信じられていますが、守護獣の狛犬も牛以上に国際性を持っています。起源を遠く遡れば、古代エジプトのスフィンクスやメソポタミヤ、古代インドに行き着きます。

  • 狛犬さんの前置きが長くなってしまいました、先ほどの狛犬が阿形の雄獅子、こちらが吽形の雌獅子です。日本の場合、阿形と吽形での雌雄の違いや、拝殿(守護の対象)に向かって右手に阿形の獅子が置かれることもパターン化しています。

    狛犬さんの前置きが長くなってしまいました、先ほどの狛犬が阿形の雄獅子、こちらが吽形の雌獅子です。日本の場合、阿形と吽形での雌雄の違いや、拝殿(守護の対象)に向かって右手に阿形の獅子が置かれることもパターン化しています。

  • 『島田天神・鷽(うそ)かえ』の石像です。真新しい石造りの像でした。うそ(鷽)は、スズメ目アトリ科ウソ属に分類される実在の鳥です。和名の由来は、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから、口笛を意味する古語の『うそ』が語源とされます。

    『島田天神・鷽(うそ)かえ』の石像です。真新しい石造りの像でした。うそ(鷽)は、スズメ目アトリ科ウソ属に分類される実在の鳥です。和名の由来は、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから、口笛を意味する古語の『うそ』が語源とされます。

  • 『鷽かえ』のことについての説明立札です。1年中の嘘を、うそ鳥にたくし、天神様の誠に取替えて戴く神事に因むものとの説明がありました。

    『鷽かえ』のことについての説明立札です。1年中の嘘を、うそ鳥にたくし、天神様の誠に取替えて戴く神事に因むものとの説明がありました。

  • 和歌が刻まれた石碑の紹介です。刻まれていた白い文字は、『美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある』です。真偽のほどはともかく、『菅原道真公御歳五才の御歌』の前書きがありました。学問の神様として有名な菅原道真公(845~903年)は、秀才の誉れ高く、若くして宇多天皇の時に文章博士となり、醍醐天皇の御代には右大臣にまで進まれました。

    和歌が刻まれた石碑の紹介です。刻まれていた白い文字は、『美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある』です。真偽のほどはともかく、『菅原道真公御歳五才の御歌』の前書きがありました。学問の神様として有名な菅原道真公(845~903年)は、秀才の誉れ高く、若くして宇多天皇の時に文章博士となり、醍醐天皇の御代には右大臣にまで進まれました。

  • 大きな自然石を配した、浄めの水の光景です。水盤には、『浄水』の文字が刻まれていました。覆いの建物が省略された手水舎でした。

    大きな自然石を配した、浄めの水の光景です。水盤には、『浄水』の文字が刻まれていました。覆いの建物が省略された手水舎でした。

  • 参道の中間に位置する鳥居の光景です。二の鳥居当たりでしょうか。

    参道の中間に位置する鳥居の光景です。二の鳥居当たりでしょうか。

  • 神楽殿の建物のようです。

    神楽殿の建物のようです。

  • 正面から眺めた、島田神宮拝殿の光景です。

    イチオシ

    正面から眺めた、島田神宮拝殿の光景です。

  • 島田神宮拝殿のズームアップ光景です。

    島田神宮拝殿のズームアップ光景です。

  • 天神様の前の狛犬を先に紹介しましたが、本殿の前にも雌雄の狛犬が置かれていました。こちらが阿形の雄獅子です。

    天神様の前の狛犬を先に紹介しましたが、本殿の前にも雌雄の狛犬が置かれていました。こちらが阿形の雄獅子です。

  • こちらは吽形の雌獅子です。

    こちらは吽形の雌獅子です。

  • 左斜め前から眺めた拝殿の光景です。

    左斜め前から眺めた拝殿の光景です。

  • 拝殿に向かって左手にあった建物です、社務所のようでした。

    拝殿に向かって左手にあった建物です、社務所のようでした。

  • 拝殿方面から眺めた表参道と入口の鳥居の光景です。南方向の眺めになります。

    拝殿方面から眺めた表参道と入口の鳥居の光景です。南方向の眺めになります。

  • 鳥居の光景です。表参道入口の鳥居を一の鳥居とすれば、こちらが二の鳥居になるようです。

    鳥居の光景です。表参道入口の鳥居を一の鳥居とすれば、こちらが二の鳥居になるようです。

  • 大きくはないものの、立派な造りの『手水舎(てみずや)』の光景です。四方転びの柱が用いられ、四方吹き放しの構造です。

    大きくはないものの、立派な造りの『手水舎(てみずや)』の光景です。四方転びの柱が用いられ、四方吹き放しの構造です。

  • 島田神社の南側になる、表参道の入口の鳥居の光景です。『島田神社』の扁額が掛けられ、柱には榊がお供えしてありました。明神鳥居の形式のようです。

    島田神社の南側になる、表参道の入口の鳥居の光景です。『島田神社』の扁額が掛けられ、柱には榊がお供えしてありました。明神鳥居の形式のようです。

  • 島田神社では、3組目の狛犬の光景です。東側の正門横に置かれていた、真新しい獅子像です。劇画を思わせるような筋肉質の造りの雄獅子です。

    島田神社では、3組目の狛犬の光景です。東側の正門横に置かれていた、真新しい獅子像です。劇画を思わせるような筋肉質の造りの雄獅子です。

  • こちらも筋肉質の造りの吽形の雌獅子の像です。このイメージですと、手彫りではなく、つい、機械彫りを連想してしまいます。ネット情報では、戦後の昭和期には、機械彫りの狛犬が増え、兵籍期に入って、個性的な狛犬に戻り始めたとの情報もありました。

    こちらも筋肉質の造りの吽形の雌獅子の像です。このイメージですと、手彫りではなく、つい、機械彫りを連想してしまいます。ネット情報では、戦後の昭和期には、機械彫りの狛犬が増え、兵籍期に入って、個性的な狛犬に戻り始めたとの情報もありました。

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