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川村北城址と所縁の寺社紹介の締め括りは、川村北城の二代目城主だった岡田氏の歴代のお墓のある徳昌山・大永寺の紹介です。創建は建久元年(1190年)、山田重忠が小幡に建てた寿昌院に遡ります。

2016秋、川村北城址と所縁の寺社(4/4):徳昌山・大永寺、川村北城主・岡田家歴代のお墓

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2016/11/06 - 2016/11/17

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

川村北城址と所縁の寺社紹介の締め括りは、川村北城の二代目城主だった岡田氏の歴代のお墓のある徳昌山・大永寺の紹介です。創建は建久元年(1190年)、山田重忠が小幡に建てた寿昌院に遡ります。

  • 本堂裏の墓地に向かう途中の光景です。道の脇に置かれていた無数のお地蔵さんです。泥が跳ね上がって汚れてしまった姿が気になりました。小砂利などを敷けば解決できそうです。全く余計なお世話ですが。

    本堂裏の墓地に向かう途中の光景です。道の脇に置かれていた無数のお地蔵さんです。泥が跳ね上がって汚れてしまった姿が気になりました。小砂利などを敷けば解決できそうです。全く余計なお世話ですが。

  • おそらく、江戸時代から戦前の頃の墓標です。墓石が整理されて、寄せ集められていたようです。おr寺の古い歴史を物語る光景かも知れません。不謹慎ながら、旅行の時に目にした、柱状節理の光景を連想しました。

    おそらく、江戸時代から戦前の頃の墓標です。墓石が整理されて、寄せ集められていたようです。おr寺の古い歴史を物語る光景かも知れません。不謹慎ながら、旅行の時に目にした、柱状節理の光景を連想しました。

  • 同じく、寄せ集められていた古い墓標の光景です。石材の質やデザインが似通っているグループが幾つか集まっていましたが、時代による差が大きいのでしょうか、経過年による風化の差も出るのかもしれません。

    同じく、寄せ集められていた古い墓標の光景です。石材の質やデザインが似通っているグループが幾つか集まっていましたが、時代による差が大きいのでしょうか、経過年による風化の差も出るのかもしれません。

  • 『南無菩提塔』の文字が刻まれた、まだ新しい墓標です。その右手に墓誌がありました。姓が異なる男女8名の方の墓誌でした。特別なお金を払って、永代供養的な措置が取られているのかもしれません。

    『南無菩提塔』の文字が刻まれた、まだ新しい墓標です。その右手に墓誌がありました。姓が異なる男女8名の方の墓誌でした。特別なお金を払って、永代供養的な措置が取られているのかもしれません。

  • 『南無菩提塔』の前から眺めた、お墓の光景です。隣にもお墓整理で集められた墓標が並んだエリアがありました。

    『南無菩提塔』の前から眺めた、お墓の光景です。隣にもお墓整理で集められた墓標が並んだエリアがありました。

  • 竹垣で囲われた、岡田家の累代のお墓です。五つの墓標のうち、一番左は傘の部分だけが残っていました。四文字の諡の内、『善◎院殿』の三文字は共通で、◎の部分が異なっていました。右から三つ目の中央の墓標が、『善明院殿』の諡で、文政4年(1821年)の日時が読み取れました。いずれも江戸時代のお墓のようでした。

    イチオシ

    竹垣で囲われた、岡田家の累代のお墓です。五つの墓標のうち、一番左は傘の部分だけが残っていました。四文字の諡の内、『善◎院殿』の三文字は共通で、◎の部分が異なっていました。右から三つ目の中央の墓標が、『善明院殿』の諡で、文政4年(1821年)の日時が読み取れました。いずれも江戸時代のお墓のようでした。

  • こちらも岡田家の歴代のお墓です。一番右の四角い墓標に、『川村城主岡田伊勢守源時常君』の文字が刻まれています。

    イチオシ

    こちらも岡田家の歴代のお墓です。一番右の四角い墓標に、『川村城主岡田伊勢守源時常君』の文字が刻まれています。

  • 大きさは少しこと名s利ますが、二つ並んだ同じ意匠の墓標の光景です。いずれも『大居士』の戒名がありました。在俗者のものとしては最も格が高い戒名とされます。

    大きさは少しこと名s利ますが、二つ並んだ同じ意匠の墓標の光景です。いずれも『大居士』の戒名がありました。在俗者のものとしては最も格が高い戒名とされます。

  • 同じく、岡田家の歴代の墓標のズームアップ光景です。五輪塔の形式でした。上から順に、空、風、火、水、地の文字が刻まれていました。五輪塔は、供養塔、墓塔として使われる仏塔の一種で、五輪卒塔婆、五解脱輪塔とも呼ばれます。日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになりました。このため経典の記述に基づき、日本で考案されたものとするのが有力とされます。

    同じく、岡田家の歴代の墓標のズームアップ光景です。五輪塔の形式でした。上から順に、空、風、火、水、地の文字が刻まれていました。五輪塔は、供養塔、墓塔として使われる仏塔の一種で、五輪卒塔婆、五解脱輪塔とも呼ばれます。日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになりました。このため経典の記述に基づき、日本で考案されたものとするのが有力とされます。

  • 年代を経ていますが、一際立派な墓標の光景です。文字はなく、『〇』の表示だけがありました。左横に置かれた卒塔婆の文字を拾い読みしますと、大永寺を開かれた、大化知幻禅師に因む墓標のようでした。大永寺の創建は、建久元年(1190年)山田重忠が小幡に建てた寿昌院まで遡ることができますが、それより後代の墓標のようです。

    年代を経ていますが、一際立派な墓標の光景です。文字はなく、『〇』の表示だけがありました。左横に置かれた卒塔婆の文字を拾い読みしますと、大永寺を開かれた、大化知幻禅師に因む墓標のようでした。大永寺の創建は、建久元年(1190年)山田重忠が小幡に建てた寿昌院まで遡ることができますが、それより後代の墓標のようです。

  • 新しい無縫塔の光景です。『当山歴住職(聨)芳塔』の文字が刻まれていました。ここにも名前が分からない寺紋がありました。

    新しい無縫塔の光景です。『当山歴住職(聨)芳塔』の文字が刻まれていました。ここにも名前が分からない寺紋がありました。

  • 三つ並んだこのお墓も、大永寺の住職以外のお寺関係の方のお墓のようです。右手前から、『当山寺族之墓』、『富山貞孝尼上座』、『法園晃史上座』の文字がありました。

    三つ並んだこのお墓も、大永寺の住職以外のお寺関係の方のお墓のようです。右手前から、『当山寺族之墓』、『富山貞孝尼上座』、『法園晃史上座』の文字がありました。

  • 墓地に並んでいた、五体のお地蔵さんの光景です。大きさも姿もまちまちですから、お墓が整理された際に、1箇所に纏められたもののようでした。沢山の花がお供えしてありました。

    墓地に並んでいた、五体のお地蔵さんの光景です。大きさも姿もまちまちですから、お墓が整理された際に、1箇所に纏められたもののようでした。沢山の花がお供えしてありました。

  • 五体のお地蔵さんから、大きい方から二体を選んでのズームアップでの紹介です。立派な帽子と服を着た、気品の高いお地蔵さんです。左端に、安永3年(1774年)らしい年号が読み取れました。

    五体のお地蔵さんから、大きい方から二体を選んでのズームアップでの紹介です。立派な帽子と服を着た、気品の高いお地蔵さんです。左端に、安永3年(1774年)らしい年号が読み取れました。

  • こちらはいかにもお地蔵さんらしい姿の像です。右手に杖を持った像だったようですが、杖は失せてしまったようです。表から見た限りでは、文字などはなかったようです。

    こちらはいかにもお地蔵さんらしい姿の像です。右手に杖を持った像だったようですが、杖は失せてしまったようです。表から見た限りでは、文字などはなかったようです。

  • 川北城址所縁のお墓の紹介を終わって、もう一度本堂などの紹介です。本堂建物のの西側の破風の光景です。

    川北城址所縁のお墓の紹介を終わって、もう一度本堂などの紹介です。本堂建物のの西側の破風の光景です。

  • 正面から眺めた本堂の光景です。前面には、同じようなガラス戸が並んでいました。針金が入った補強ガラスのようです。

    正面から眺めた本堂の光景です。前面には、同じようなガラス戸が並んでいました。針金が入った補強ガラスのようです。

  • 大永寺の庫裏の玄関になるようです。本堂に向かって東側になる右手にありました。表札の文字は、『曹洞宗・大永寺』でした。

    大永寺の庫裏の玄関になるようです。本堂に向かって東側になる右手にありました。表札の文字は、『曹洞宗・大永寺』でした。

  • 大永寺の本堂とその周りの境内の光景です。常緑樹が多い庭木ですが、紅葉の樹の姿もありました。

    大永寺の本堂とその周りの境内の光景です。常緑樹が多い庭木ですが、紅葉の樹の姿もありました。

  • 雪見灯篭風の石灯篭の背後に見えていた句碑です。『涅槃像かけて供養の五色餅』の句でした。五色餅は、『やわらかい純白の羽二重餅で黄金、小豆、抹茶、梅あんを包んだたいへんおめでたい銘菓で、お祝いごとやお茶席でもたいへん人気の商品』などの情報がありました。『かけて』の意味が幾様にも取れる句でした。五色旗、甘酒、願い、供養の言葉などです。

    雪見灯篭風の石灯篭の背後に見えていた句碑です。『涅槃像かけて供養の五色餅』の句でした。五色餅は、『やわらかい純白の羽二重餅で黄金、小豆、抹茶、梅あんを包んだたいへんおめでたい銘菓で、お祝いごとやお茶席でもたいへん人気の商品』などの情報がありました。『かけて』の意味が幾様にも取れる句でした。五色旗、甘酒、願い、供養の言葉などです。

  • 斜め前から眺めた、本堂の光景です。禅寺らしい造りの窓がありました。火灯窓・花頭窓(かとうまど)と呼ばれているようです。上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓が原型です。日本の場合、中国からの伝来とされます。

    斜め前から眺めた、本堂の光景です。禅寺らしい造りの窓がありました。火灯窓・花頭窓(かとうまど)と呼ばれているようです。上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓が原型です。日本の場合、中国からの伝来とされます。

  • 本堂横の少し高くなった場所から眺めた、境内の紅葉の樹の光景です。常緑樹が多い前庭でしたから、殊に目立つ紅葉の樹でした。

    イチオシ

    本堂横の少し高くなった場所から眺めた、境内の紅葉の樹の光景です。常緑樹が多い前庭でしたから、殊に目立つ紅葉の樹でした。

  • 真新しい2基の石灯篭が建った右手の建物には、『秋葉三尺坊大権現』の表札がありました。秋葉権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神です。火防の霊験で広く知られています。

    真新しい2基の石灯篭が建った右手の建物には、『秋葉三尺坊大権現』の表札がありました。秋葉権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神です。火防の霊験で広く知られています。

  • 境内の飛び石の光景です。飛び石用に加工された石が使われていました。道が交差する場所の飛び石は、周りより倍以上の大きさでした。

    境内の飛び石の光景です。飛び石用に加工された石が使われていました。道が交差する場所の飛び石は、周りより倍以上の大きさでした。

  • 少し離れた場所から眺めた、大永寺の鐘楼門とその周りの光景です。境内には、黄葉の大木の姿がありました。

    少し離れた場所から眺めた、大永寺の鐘楼門とその周りの光景です。境内には、黄葉の大木の姿がありました。

  • 駐車場側から眺めた、大永寺の鐘楼門の光景です。機会を作って、桜の季節にも訪ねてみたいものです。

    駐車場側から眺めた、大永寺の鐘楼門の光景です。機会を作って、桜の季節にも訪ねてみたいものです。

  • 大永寺の隣の公園のプラタナスの黄葉光景です。大きな葉が緑から黄色、そして褐色に変わり始めていました。

    大永寺の隣の公園のプラタナスの黄葉光景です。大きな葉が緑から黄色、そして褐色に変わり始めていました。

  • 鐘楼門前の樹木の光景です。冬木立への装いを終わりかけた枝垂れ桜の光景です。ネット情報で、満開の時の写真を拝見しましたが、この枝垂れ桜を含めて見所のある境内の桜の光景でした。

    鐘楼門前の樹木の光景です。冬木立への装いを終わりかけた枝垂れ桜の光景です。ネット情報で、満開の時の写真を拝見しましたが、この枝垂れ桜を含めて見所のある境内の桜の光景でした。

  • 築地塀越しに眺めた、鐘楼門の左手になる、西方面の光景です。古刹を偲ばせる樹々の姿がありました。

    築地塀越しに眺めた、鐘楼門の左手になる、西方面の光景です。古刹を偲ばせる樹々の姿がありました。

  • 築地塀越しに眺めた、大永寺の本堂の甍光景です。末寺12ケ寺の小本寺格に相応しい古刹でした。紹介が最後になってしまいましたが、本尊は伝・恵心僧都作と伝わる釈迦如来、創建は建久元年(1190年)、山田重忠が小幡に建てた寿昌院に遡ります。

    築地塀越しに眺めた、大永寺の本堂の甍光景です。末寺12ケ寺の小本寺格に相応しい古刹でした。紹介が最後になってしまいましたが、本尊は伝・恵心僧都作と伝わる釈迦如来、創建は建久元年(1190年)、山田重忠が小幡に建てた寿昌院に遡ります。

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