2016/11/06 - 2016/11/17
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川村南城址と所縁の神社紹介の締め括りです。川村北城址と川村南城址については、不明なことが多く、史跡も残されていませんが、所縁の寺社に残されている城主に関する碑や墓標から、存在したことは間違いないように感じました。(ウィキペディア)
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川村南城址と目されている場所の一つ、白沢公園からの眺望です。山の中腹からの西側方面の眺めです。所縁のお寺の長命寺からは東側の至近距離にある公園です。この写真でも、左側の木陰にその甍が見えています。
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川村南城址と目されている、白沢公園の光景です。江戸時代の文献には、堤防工事用の土砂採取のため、城跡は削り取られとの記載もあるようです。地形は川村南城時代とは変わっているかもしれません。
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白沢公園の東側方面の光景です。宅地開発が進んでいました。川村南城は、『牛巻城』と呼ばれていたとする古文書もあるようです。『牛巻』の地名は、城土町の南に隣接する小幡緑地・西園辺りや、高島町に残されています。川村南城址の候補地の一つです。
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白沢公園の東側から眺めた、南方面の光景です。通りの両側が宅地開発されていました。手元の地図を参照しますと、現在は高島町になっていました。旧地名は『牛巻』の一部かも知れません。
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白沢公園の東側から眺めた、北方面の光景です。前方に向かって、途中から下り坂になっていました。坂を下った先では、この後紹介する、『こうのす通り』と合流していました。
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白沢公園の公孫樹の黄葉の紹介です。10日ほど前の訪問の時には、紅葉が始まったばかりでしたが、このところの冷え込みで、名古屋の平地でも一気に、紅葉、黄葉が進んできました。
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イチオシ
冷え込みが急だったせいでしょうか、すでに大量の落葉を散らしていた公孫樹の木もありましたが、まだ緑が残っている落葉樹も多く残っていました。
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麓近くまで坂を下った後、振り返って眺めた岡田権兵衛の名前に因む、権兵衛坂の光景です。岡田権兵衛は、川村南城の山蕃の役割があったとも伝わります。
(注)岡田権兵衛の表記は、『権兵(平)ヱ』など一定しないようですから、正誤はともかく、『権兵衛』の表記で統一しておくこととします。 -
白沢公園の西側に面した、南北の通りに因む石碑です。『こうのす通り』の文字がありました。昭和56年(1981年)、日本最初の防犯モデル道路と位置づけられた通りです。旧字名の『鴻巣(こうのす)』から名付けられました。
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先程は車道側から眺めた標識面、今度は歩道側から眺めた標識面の光景です。『白沢コミュニティ道路・こうのす通り・昭和62年2月竣工』の文字が刻まれていました。日付けは、道路のことではなく、モニュメント風の石碑の竣工日のようでした。
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西側から眺めた、白沢公園の光景です。写真中央付近に、白沢公園の出入口の石段と、その右脇に『白沢公園』の文字が記された石標がありました。
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この日も長命禅寺に立ち寄りました。川村南城の城主だった水野右京之進の墓標を撮影するためです。東南側から眺めた長命禅寺の光景です。同じ、守山区にある志段味上司も、最後の城主は同じ一族の水野作右衛門と伝わります。福島正則に属していましたが、1600年に正則が安芸国広島へ移ると、作右衛門は浪人となり、子孫は農民になったと伝わります。
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長命禅寺の山門のズームアップ光景です。この後紹介する川村南城主だった水野右京之進は、水野一族の一人です。この一族は、東谷山東の瀬戸水野村(愛知県瀬戸市)の豪族であり、桓武天皇の孫高望王の三男鎮守府将軍平良兼の末裔と言われています。
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10日ほど前の訪問の時と比べ、紅葉の色が濃くなっていた長命禅寺の庭木の光景です。紅葉の木は、楓(かえで)でした。
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右端の方に『谷口家之墓』の文字が見えますが、このお宅では、正月のしめ縄や門松飾りに関する風習が残っているようです。『谷口家は、戦いに出向いた者に対して、祝ごとである正月飾りの門松やしめなわを飾ることを差し控えた故事』に因み、今もその風習が続いているようです。
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『故陸軍歩兵伍長・勲七等功七級・梅村里吉之碑』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。伍長は、曹長、軍曹に次ぐ下士官の階級とされました。古代の中国の軍隊が5人を最小単位として編成したことに基く呼び名です。
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古い墓標の光景です。刻んである文字は、右の列が『露嶽伝秋禅定門』、左の列が『棋玉妙麟禅定尼』らしい文字です。夫婦の墓でしょうか、女性の戒名らしい左側の列は、何文字かを間違って読んだかも知れません。
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『清川斎龍甫碑』の文字が刻まれた石碑です。墓標ではなく、記念碑でしょうか、雅号のような名前に見えました。
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右の列に『欠(父)開良明信士』、左の列に『繁山妙林信女』の買いも油が刻まれていました。姓は異なりますが、夫婦の墓、あるいは慰霊碑でしょうか。
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『開山碑』です。『開山』の下の二文字が読み取れませんでした。敷いて読むとすれば『仁刻』当たりですが、意味は通じませんでした。やや緑色を帯びた石材です。
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イチオシ
川村城主の水野右京之進の墓標です。オリジナルの墓標ではなく、五代孫の水野保信源永重氏によって建てられたものです。記されている文字は、『医王山長命寺再興施主・黄壁木菴性珀禅師座下・享保五庚丑年・長松院元林居士・川村城主・水野右京之進・五代孫・水野保信源永重・二月十五日』の文字です。建てられた享保5年は、西暦1720年になります。水野右京之進は、元亀・天正時代(1570~1592)の頃の人ですから、亡くなってから百数十年後の碑のようです。
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赤やピンクの菊の花で飾られた、『庚申碑』の光景です。人の体内(頭と腹と足)にある三尸の虫が、60日ごと(一年に6回)にまわってくる庚申の夜、天に昇って人の罪過を天帝に告げるため生命を縮められるとする中国の道教の教えがあります。この道教の信仰を底流にして、これに仏教的な信仰が加わり、室町時代には、庚申待をする講が結ばれ、庚申塔造立が始まりました。その流れを汲む『庚申碑』のようです。
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お墓の整理で集められた古い墓標のようです。同じ頃の時代を思わせる、墓標の形と苔生した色合いでした。右端に御守の地蔵尊の姿がありました。
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腰をかがめて撮影した、赤い前掛けのお地蔵様の像です。座禅を組んで瞑想する姿や髪型から判断しますと、仏座像かも知れません。
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仏座像が収められていた石像の社の光景です。入口上部に、『南無菩提』の表示がありました。『菩提』は、『完全なる英知』、あるいは『悟り』を意味します。季節の花が手向けられ、右手には二体の地蔵尊がありました。
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『医王山・長命禅寺』の本堂と境内の光景です。寺院名に山号を付与するようになったのは、中国が始まりとされます。インドやスリランカ、タイなどの南伝仏教の地域では、山号は付けられていません。
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イチオシ
『医王山・長命禅寺』の山門の南側から眺めた長命禅寺と、右後方の白沢公園の公孫樹の光景です。『医王山(いおうぜん)』は、石川県金沢市と富山県南砺市にまたがる標高939メートルの山塊です。日本百名山にも選ばれています。722年、当時の元正天皇(680~748年)が大病にかかり、泰澄大師がこの山の薬草を献上したところ快癒されました。帝は大いに喜び、泰澄に神融法師の称号を授け、山を医王山と命名されたと伝わります。
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塀の外から眺めた鐘楼の甍の光景です。
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同じく、塀の外から眺めた、鐘楼とその後ろの本堂の甍光景です。境内から眺めても、外から眺めても、隙のない端正な姿の『医王山・長命禅寺』でした。
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この日の見学を終えて、ゆとりーとラインの川宮駅に到着しました。午後に家を出て、最初に川村北城所縁の古刹の大永寺を見学し、その後で、川村南城址所縁の場所を見学してきました。
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