2016/11/06 - 2016/11/06
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尾張・小幡城址と所縁の寺社の紹介です。小幡城は、大永2年(1522年)、岡田重篤によって築かれたとされます。その後、織田信光が城主となりますが、弘治元年(1555年)に殺され、廃城となりました。天正12年(1558年)、小牧長久手合戦で再び歴史の表舞台に顔を出しました。
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イチオシ
周りから眺めた、尾張・小幡城址方面の光景です。北側からの光景になります。現在はマンションや戸建ての住宅が立ち並び、かつての面影はありません。唯一残ったのは、小幡城に所縁があるとみられる、城址山・阿弥陀寺です。
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道路で分断された、東側方面の光景です。この一角には、後ほど紹介する、小幡城所縁のお寺とされる、城址山・阿弥陀寺の駐車場がありました。小幡城時代の縄張り図でも、この道路の部分は窪地のようでした。
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北東側から眺めた、小幡城祉と目される丘と福祉施設の建物光景です。丘の北側の裾には、コンクリートの擁壁がありました。
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先ほど紹介した、小幡城址と目される丘に対し、道路を挟んで東側にある丘の西断面の光景です。この丘を登り詰めた、西南端付近に城址山・阿弥陀寺の駐車場がありました。
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右側が小幡城址と目される丘の東断面、左側が城址山・阿弥陀寺の駐車場があった丘の西段面の光景です。その間にある、かなり急な傾斜の上り坂の光景です。
(注)『比較社会文化』第16巻(2010年刊)の服部英雄氏の論文では、昭和30年代にご自身が撮影された小幡城址の写真と現況を比較し、『堀があったとおぼしき場所には広い道路ができ、(中略)お城の下の深田は住宅地になっていた』と述懐されていました。『堀があったと思しき箇所』の一つがこの光景のようです。 -
上り坂の頂上付近から、振り返って眺めた北側方面の光景です。前方の市街地とは相当の高低差がありました。
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かなり急な傾斜の上り坂の頂上付近の光景です。登り詰めた東側に阿弥陀寺の駐車場がありました。
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坂を登り詰めた東側にある、阿弥陀寺の駐車場から眺めた、錦多方面の光景です。左端に見える建物は、マンションの『ビブレにししろ』です。『にししろ』は、立地する『西城町』に因むようです。『もりやま・ケアコミュニティそよかぜ』という老人ホームも同居した建物のようでした。
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小幡城址の三の丸址と思われる場所の南端付近から眺めた、東方面の光景です。城跡の痕跡が残らない住宅街の光景です。左手前が阿弥陀寺の駐車場です。
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小幡城址の三の丸址と思われる場所の南端付近から眺めた、西方面の光景です。こちらの光景も、城跡の痕跡が残らない住宅街の光景です。
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『小幡城址』の西北付近から眺めた西北方面の光景です。小幡台地の西端になるこの場所が、天然の要害であったことが想定できる光景でした。
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同じく、『小幡城址』の西北付近から眺めた西側方面の光景です。
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『小幡城址』の本丸址から見下ろした、北面の土手の光景です。
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本丸址の東端から眺めた東方面の光景です。先程上った傾斜が急な坂道が眼下に見えていました。この部分が、かつての本丸(本城)を防御した濠の一部のようでした。土塁も併用されていたかも知れません。
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マンションの『ビブレにししろ』と、老人ホームの『もりやま・ケアコミュニティそよかぜ』という老人ホームが同居した建物のようです。1階が老人ホームのようでした。
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イチオシ
名古屋市教育委員会名で立てられた、『小幡城址』のタイトルがあった立札です。『小幡城址』に関する唯一の標識です。大永2年(1522年)、織田氏に属する岡田重篤が築城したお城で、その規模は東西約200メートル、南北約70メートルの規模と紹介されていました。
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『東春日井郡小幡村・古城絵図』には、この足立が、『本城』と記されていました。いわゆる『本丸』です。小幡城は、神君・家康公にとっても、徳川家にとっても記念すべき場所ですから、江戸時代には手厚く保護されていたようですが、近年の高度成長期に、小幡城の遺跡地は一気に破壊されたようです。歴史的に貴重な場所だけに、残念なことでした。
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小幡城址の本丸址付近の光景です。小幡城は、天正12年(1584年)の小牧・長久手合戦の時には、徳川家康は、池田恒興・森長可の羽柴方の別働隊を長久手で破った後、小幡城に入城しました。すぐに本拠地の小牧山城に戻ったため、羽柴(豊臣)秀吉を悔しがらせたとの伝説が残る城です。
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同じく、小幡城址の本丸址付近の光景です。羽柴(豊臣)秀吉は、家康との決戦に備え、2キロほどの至近な場所にある、龍泉寺城
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本丸址から南に通じる通りの光景です。馬出しがあった場所のようです。
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『城址山・阿弥陀寺』の駐車場の南から眺めた、西北方面の光景です。
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イチオシ
ここからは、小幡城址の三の丸エリアと想定されている場所に建つ、『城址山・阿弥陀寺』の紹介です。その入口付近の光景です。
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『城址山・阿弥陀寺』の入口横にあった、大きな石造の標識のズームアップ光景です。3メートル近いL字型の石に、山号と寺名が刻まれていました。
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更にズームアップした、『城址山・阿弥陀寺』の入口横にあった、大きな石造の標識の光景です。足元に小さな社を模したような家型の造りがありました。
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石段の参道を登った、その先にあった『城址山・阿弥陀寺』の僧房の光景です。
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『城址山・阿弥陀寺』の本堂らしい建物の光景です。比較的質素な造りのお寺でした。
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同じく、『城址山・阿弥陀寺』の本堂らしい建物の光景です。左奥に、本丸址の前にあったマンションの一部が見えています。
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『城址山・阿弥陀寺』の見学を終え、帰り道の光景です。石段の参道の上から眺めた、南方面の光景です。
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石段の参道脇にあった石碑の光景です。秀吉は合戦から半年以上経った天正12年(1584年)11月12日に、秀吉側への伊賀と伊勢半国の割譲を条件に織田信雄に講和を申し入れ、信雄はこれを受諾しました。信雄が戦線を離脱し、戦争の大義名分を失ってしまった家康は11月17日に三河に帰国しました。実質的な小牧・長久手の戦いの終結です。
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その後、秀吉は滝川雄利を使者として家康の居城の浜松城に送り、講和を試みました。家康は返礼として次男・於義丸(結城秀康)を秀吉の養子にするために大坂に送りました。こうして、家康の名を天下に知らしめた小牧の役は幕を閉じました。
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