2016/11/03 - 2016/11/03
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信長の父、織田信秀所縁の末森城址と城山八幡宮の紹介です。天文17年(1548年)に織田信秀が築城した、標高43メートルの丘に、東西約200メートル、南北約160メートルの規模を持つ平山城址です。
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イチオシ
地下鉄東山線と名城線の乗換駅の本山で下車し、広小路通りを西に向かって歩き、末森城址に向かいました。広小路通りから北に分岐した通りから眺めた城山と城山八幡宮の鳥居の光景です。
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広小路通りから北に分岐した通りの途中から眺めた、城山と城山八幡宮の鳥居の光景です。城山八幡宮の境内全域が、末森城址とされます。街路の紅葉は桜です。
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麓から見上げた城山の光景です。木陰に見える尖塔は、旧昭和塾堂の建物です。戦前に青年の精神修養教育の施設として造られた、八角錐の望楼です。戦後は愛知学院大学歯学部の研究棟として使われています。
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『末盛城址』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の立札です。この後紹介する石碑には、『末森城址』の表記もありますので、現在の地名の『末盛』以外は『末森』に表記を統一します。天文17年(1548年)、織田信秀がこの地に城を築いてからの略史が記されていました。
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城山八幡宮の石碑の光景です。明治45年(1912年)、末森城跡地が八幡社の所有地となり、昭和11年(1936年)に現在地に遷座しました。昭和31年(1956年)に現在の城山八幡宮に改称されました。
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正面から眺めた、城山八幡宮の鳥居の光景です。鳥居を潜りますと、城山八幡宮までは長い石段が続きます。その途中に、末森城時代の堀址が残されています。
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斜め前からズームアップした、城山八幡宮の鳥居の光景です。11月中の七五三詣りの横断幕が巻き付けてありました。
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鳥居を潜って、城山八幡宮の境内に向かう石段の光景です。石段中央の金属製の手摺りにも七五三詣りの旗竿がありました。
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末森城址の空堀址に架かる、赤い橋の光景です。前方に見えるのは、三つ並んだ鳥居の二つ目の『二の鳥居』です。最初に山の麓で潜ったのが『一の鳥居』でした。
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末森城址の空堀址に架かる赤い橋の上から眺めた、左手方面の光景です。末森城址の遺構の空堀です。
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同じく、末森城址の空堀址に架かる赤い橋の上から眺めた、左手方面の光景です。末森城址遺構の空堀の城内側の土手の光景です。
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末森城址の空堀址に架かる赤い橋の上から眺めた、右手方面の光景です。末森城址の遺構の空堀です。神社境内として残されたためか、保存状態の良い空堀址です。
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同じく、末森城址の空堀址に架かる赤い橋の上から眺めた、右手方面の光景です。空堀の城内側の土手の光景です。
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イチオシ
『末森城址』の文字が刻まれた石碑の光景です。末森城は、天文17年(1548年)、信長の父の織田信秀(1510~1551年)が築城した記録は残っていますが、廃城の時期については、はっきりしたことが分かっていません。
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『末森城址』の文字が刻まれた石碑のズームアップ光景光景です。廃城の時期がはっきりしないのは、城主の織田信行(信勝、織田信長の実弟)が、信長に反旗を翻し、信勝が清須城で謀殺されたことに因ります。末森城は城主不在のまま放置され、いつしか廃城になりました。
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末森城址の本丸址から眺めた名古屋市街の光景です。南側方面になります。本丸の北側には、構造的に非常に珍しい『三日月堀』を持つ半月形の丸馬出があった様ですが、現在は残っていません。丸馬出しは、中世城郭では武田氏がよく用いました。近世城郭では武田氏の影響に及んだ関東から中部地方にかけて、土塁積みの残す城で発達しました。馬出しの外を囲む弧状の堀を三日月堀と呼んでいます。
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イチオシ
『城山八幡宮境内案内図』のタイトルがあった案内看板です。神社の境内案内と合わせて、末森城址の遺跡が記されていました。本丸址、二の丸跡や空堀址などです。末森城の簡単な縄張り図を兼ねていました。
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本丸(東丸)址の一角にある忠魂碑です。旧日本海軍関係のシンボルでしょうか、大きな怒りが目印になっていました。末森村古城図によれば、城の中心部は、東西約43メートル、南北46メートルの本丸(東丸)と、東西約50メートル、南北43メートルの二の丸(西丸)とに分かれていたようです。
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末森城址の本丸跡の片隅にあった稲荷神社の赤い鳥居の光景です。『豊玉稲荷大神』が祀られた神社です。後ほどもう一度紹介します。
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末森城址の二の丸址に建つ建物です。最初に麓の入口付近から紹介した、尖塔を持つ建物です。現在は愛知学院大学に貸与されている建物です。元は、愛知県の建築物とされます。
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現在は愛知学院大学に貸与されている建物尖塔のズームアップ光景です。愛知県営繕課の設計により、城山八幡宮の敷地に昭和3年(1928年)に竣工した、高さ32メートルの昭和塾堂の塔です。戦前は、青年会などの精神修養の場として使用されていたようです。
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二の丸址に建つ、昭和塾堂の横を通って一段低くなった広場に来ました。末森村古城図によれば、二の丸(西丸)は、東西約50メートル、南北43メートルと記されているようですから、この広さは、昭和塾堂が立つ場所が相当しているようです。この場所は、末森村古城図を見る限りでは、二の丸の一部のようにも見えました。その場合、南北の距離が43メートルではなく、その倍ほどになりそうです。この後は、便宜のため、仮に『合気道場広場』と呼ぶことにします。
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末森村古城図に記された末森城の縄張り図です。図中、色が濃い部分が空堀です。中央やや右側に、本丸北側の丸馬出しの三日月の堀があり、本丸の左(西)に記された二の丸は、昭和塾堂がある場所より、この後紹介する合気道場広場の方が合致するようです。この場合、現況から判断しますと、本丸と二の丸の間は高低差を利用した崖が防御の役割を担ったように見えます。
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『合気道場広場』に建つ平屋の木造建築の建物光景です。末森城址や、城山八幡宮の祭祀とは直接には関わらない、昭和期の建物のようでした。
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『合気道場広場』に建つ平屋の木造建築の看板です。上が『合気道』の城山八幡宮の藤巻道場、下が『拳友会空手道場』の看板でした。
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『合気道場』の前から眺めた、東側の本丸方面の光景です。写真中央付近に見える土砂崩れの後のように見える箇所は、本丸の西北側の空堀址かもしれません。立入り禁止区域になっていました。その上に見えるのが、連理木方面への通路です。
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左が二の丸跡とされる昭和塾堂がある高台、中央奥が『合気道場広場』、その間の坂道の光景です。後年、二の丸址に設けられた新道のようです。
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本丸址の西端の土手の光景です。木々の間から見えている赤いものは、『豊玉稲荷神社』の鳥居などです。4~5メートルはありそうな、地肌の土壁でした。人工的に造られた土塁ではないようでした。
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合気道場広場から見上げた、本丸址にある『豊玉稲荷神社』の赤い鳥居の光景です。西を向いた鳥居になります。これだけの自然の地形の段差があれば、本丸の防御に使われるのが自然のように思えます。
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本丸址の西南側の石垣のズームアップ光景です。いつ頃築かれた石垣かは分かりませんが、河原で採取される丸い玉石と、採石場などで採取される角を持った石との組み合わせでした。
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