2016/11/12 - 2016/11/12
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小林城址とその跡地に創建された清浄寺(しょうじょうじ)の紹介です。小林城の最後の城主の牧長清公が亡くなった後に廃城になり、柳生兵庫の屋敷を経て、跡地が現在の清浄寺になりました。
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小林城址です。最後の城主の牧長清公が亡くなった後、廃城になり、柳生兵庫の屋敷を経て、跡地が現在の清浄寺になった場所です。清浄寺は、尾張徳川家の祈祷所として篤く信仰されたお寺とされます。
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名古屋市教育委員会名で建てられた、『小林城址』のタイトルの立看板です。最後の小林城主の牧長清のことなどが紹介されていました。織田信長の妹を正室に迎えた、室町時代の守護の斯波氏にルーツを持つ人です。長清公が亡くなった後、廃城になり、柳生兵庫の屋敷となりました。跡地に清浄寺が建てられたのは、元禄年中(1688~1704年)だったことも紹介されていました。
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『南無地蔵大菩薩』の文字が刻まれた石柱の光景です。側面に施主の名前が記されていました。清浄寺の本尊は『地蔵菩薩』です。その由来が同寺のHPに詳しく紹介されていますので、要約しながら紹介しておきます。その由来は、110代後光明天皇の時代の美濃の国の御嶋村の善入という修行僧に始まります。ある時善入が、仲間の修行僧三人と共に諸国の霊場を行脚している道中、越中国の立山に詣でるために、その山麓に一泊した時のことです。夢の中に高貴な僧侶が現れ、『同行してもっと多くの世の中の人々を救いたいので、明日から私を連れて行脚しなさい』と告げられました。夢の中のお告げに従い出遭ったのが、地獄谷の地蔵尊とされます。
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『浄土宗清浄寺・矢場地蔵尊』の文字が刻まれた年代物の石碑です。『小林城址』の立看板などと一緒に、表参道の入口にありました。表参道は、西側の入口になります。御本尊の謂れの続きです。善入は、〈昨晩の高僧はこの地蔵菩薩様であったか』と、この尊像と共に諸国を巡り、最後に尾張の国に庵を建立され、尊像を安置されました。この話を聞いて、その地蔵菩薩を詣でる人々が日増しに増え、いつしかこの話が尾張藩主第二代徳川光友郷のお耳にも入りました。光友郷も城中より地蔵菩薩にお祈りをしたところ、たちまちその願いが叶ったとされます。
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『清浄寺表参道』の文字が刻まれた石碑の光景です。清浄寺は、『しょうじょうじ』と読みます。お寺の南北はビルになっていますので、現在の出入口は東西にあります。この表参道は、境内の西側の入口になります。御本尊の謂れの話は続きます。願いがかなった光友郷は、国家の安全、徳川家の繁栄の守護仏としてその地蔵菩薩を名古屋城内にお迎えしました。しかし、このご利益を尾張国の人々にも分けるべきだと考え、光友郷は元禄14年7月24日、寺社監司の土屋庄左衛門に命じて城内より地蔵菩薩を徳川家の祈願寺である清浄寺に運ばせ、ご本尊としました。その時から、『矢場地蔵尊』と呼ばれるようになったとされます。
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イチオシ
西側にある表参道から眺めた、東側方面の光景です。かつては小林城址の広大な敷地に建ったお寺とされますが、時代を経て、敷地が縮小されてしまったようです。小林城が築城されたのは天文17年(1548年)、2代後に廃城となり、一時期、柳生家の屋敷とされました。その跡地に清浄寺が建てられたのは、元禄年間(1688~1704年)とされます。
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手水舎の光景です。小林城が築城された天文17年(1548年)から23年間、牧長義・長清の2代に亘って織田信長(1534~1582年)に属して、小林城主としてこの地を治めました。
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柱の部分に、『災●不起国豊民安』の文字が刻まれた年代物と思われる石灯篭の光景です。『さいれいふき・こくぶみんなん』と読むようです。無量寿経の一節です。仏さまの教えが広まった国や社会は平和になって、『災害や疫病は起こらず、国家は豊かで民は安らか』の意味とされます。
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身体の前で手を重ね、やや俯き加減で半眼の瞑想姿の地蔵菩薩の像です。静かで、穏やかな顔をされていました。
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全部で12体並んだ小さな地蔵尊の光景です。水掛地蔵尊と呼ばれているようです。水が冷たくなってきた季節ですから、水は掛けられていないようでした。左の方には、狸さんも一緒でした。野口雨情作詞、中山晋平作曲の『証城寺の狸囃子』の童謡は、千葉県木更津市の證誠寺に伝わる『狸囃子伝説』に想を得たとされます。清浄寺の字は違いますが、読みが一緒です。
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清浄寺境内にある、地蔵堂の光景です。少し離れた場所に線香立が置かれていました。周りより高し基壇の上に建てられていました。
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清浄寺の本堂光景です。第二次世界大戦の戦火を受け、昭和32年(1957年)4月に鉄筋コンクリート造りで再建された建物です。清浄寺の由緒では、元禄14年(1701年)、城跡に尾張藩第二代の徳川光友郷が徳川家累代の祈願所として創建されたと紹介されていました。開山は曠譽廓龍上人です。
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矢場地蔵の境内の中から眺めた、西方面の光景です。『矢場』の地名の謂れの紹介です。『尾張年中行事絵抄』に『ここを矢場と呼事は、世に名高き星野先生の通し矢を御覧のために、京の三十三間堂のさまをうつせし其堂形ありて、射芸手練の輩ここに集りて、通し矢の稽古有し所ゆへの名なり』に因むとされます。星野先生とは、京の三十三間堂の通し矢で今までのレコードを破り、八千筋からの矢を射通した星野勘左衛門(1642~1696年)のことです。尾張藩士で、弓術家でした。
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ハイハイをする赤ちゃん地蔵も置かれていた場所です。『矢場』の紹介の続きです。この地に、京都の三十三間堂の長廊に模した矢場が建てられたのは、寛文8年(1668年)のことです。文化4年(1807年)には長廊は老朽化で壊れました。その長廊の跡地は、米野村の佐野治郎兵衛に払下げられた記録が残るようです。
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清浄寺の境内光景です。江戸時代の清浄寺は、3450坪の広大な敷地の中に建っていたとされます。現在の清浄寺は、東西に細長い敷地のイメージがあります。
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同じ場所から眺めた清浄寺の境内光景です。先ほどは東側方面、こちらが西側方面の光景になります。
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清浄寺の境内光景です。右手が小林城主牧氏の墓所、芭蕉句碑と六地蔵尊、左手がジャンボ地蔵尊の案内看板でした。まずは、右方面の見学です。
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清浄寺の境内光景が続きます。ジャンボ地蔵尊に近い場所です。頭上に『波地蔵大菩薩』の文字が記された提灯列がありました。
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イチオシ
お揃いの赤い前掛けを付けた、六地蔵尊の立ち姿です。仏教の六道輪廻に関する考えから生まれた地蔵尊とされます。
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デフォルメされた親子像です。正座した母親に向かって、後ろから甘える子供の姿のようです。作者や作品名、展示の趣旨など、詳しいことは全く分かりませんでしたが、像を見て、思いついたままを記しておきます。
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台座には、縦書きで『つぼみ・ふく・らむ』らしい平仮名文字がありました。台座の文字が作品名とすれば、座り込んで、膨らみ始めた花を見るお子さんらしい姿の像です。
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この像だけは、台座が腰掛のように二段に刻まれていました。腰掛けて赤ちゃんを抱いた母親像に見えます。
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素材の色化、塗色か判断が付かなかった赤色です。その色を強調した親子像のようです。子供の顔は、左上を向いています。台座に彫刻された形跡がありましたが、具体的な文字や物の読み取りはできませんでした。
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顔が三つあるように見える、不思議な姿の像です。やはり親子像の1種でしょうか。親子像の右後ろに、もう一人の大きな子供がいる光景かも知れません。
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『石の彫刻・汗言・2011』らしい文字がありましたが、始めと終わり以外の部分は、ほとんど読み取れませんでした。彫刻作品の題名か、説明のようでした。
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低い土塀の脇に並んでいた石像の光景です。一見、座った地蔵様かと思いましたが、どうやら新作の税術作品のようでした。ネット情報や、清浄寺のHPを調べてみましたが、詳しいことは全く分かりませんでした。
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竹で編んだ塀で囲われた、庭の片隅の光景です。石像作品とは少し離れた場所にありましたが、小さな石碑に『夢はそっと両の手で』の文字が刻まれていました。作品名花、あるいは政策のコンセプトを記した石碑のようでした。写真を整理しながら、あとで気が付きました。
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円筒形の手水蜂の光景です。側面に直線を組み合わせた文様が刻まれていました。その傍らの緑の葉は、バランでしょうか。葉が、寿司の間仕切りなどに使われる植物です。『ハラン(葉蘭)』の呼び方もあるようです。ハランは、スズラン亜科ハラン属の常緑多年草で、古名は馬蘭(バラン)とされます。
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牧氏の墓所近くにある東屋の光景です。清浄寺の敷地の西北角になるようです。椅子席の休憩場所になっていました。牧氏は、一時期、真木に姓を改め、後に牧に戻したとされます。このため、桶狭間の戦いの資料などでは真木氏の記述となっています。
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イチオシ
清浄寺の境内光景です。飛び石の散策路が続いていました。正面奥に見えるのが手水鉢、右手に見える本瓦で葺いた土塀が、石像作品を展示してあった場所です。
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