2019/07/11 - 2019/07/11
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しにあの旅人さん
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昔、昔、新諸国物語というラジオドラマがありました。徳川夢声の語り、「笛吹童子」や「紅孔雀」、夕方のラジオに釘付けになりました。1952年からです。ご存知なら、私たちと同世代。
旅の新シリーズの題名をいろいろ考えました。「全国一の宮参り」、一宮でなくても行くしなあ・・
なにかの拍子にこのドラマを思い出し、「諸国神社参りでどうだろう」「それでいこう!」間髪をいれず妻も賛成。
昭和の香しいかほりがたつような、レトロかつ理屈っぽい旅日記を綴りたいと思います。畢竟、古いヤツは古いモノにしか興味がないのでございます。
今回は、山陰山陽六カ国、加えて筑前の一宮参りをいたします。時間の許す限りその国の二宮、三宮もお参りします。
更新記録
2020/1/15 参考・引用資料追加
この旅行記では下記の資料を参照し、また引用しております。
☆「日本書紀」全現代語訳宇治谷孟、講談社学術文庫。
☆「古事記」現代語訳付き、中村啓信訳注、角川ソフィア文庫
☆「風土記上」現代語訳付き、中村啓信監修訳注、角川ソフィア文庫
☆「知られぬ日本の面影」ラフカディオ・ハーン、池田雅之訳「新編日本の面影I, II」角川ソフィア文庫電子版)引用は「日本の面影」とします。
☆「日本古代の道と駅」木下良・吉川弘文館
☆「日本古代道路辞典」古代交通研究会編・八木書店
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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筑前国(現福岡県)より関門トンネルを抜け、長門国(現山口県)に入りました。長門一宮は下関の住吉神社、二宮忌宮(いみのみや)神社、三宮龍王神社。
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まず龍王神社を訪れます。
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近頃は車での神社巡りに慣れてきました。多くの神社は人里離れた田舎にあります。たどり着くのが一苦労です。車載のカーナビは、目的地の近くまで行くには便利ですが、龍王神社のような田舎の神社だと、そもそも神社が載っていません。そこでグーグルマップの出番です。ところがこれも当てになりません。
目的地を探し出したら、航空写真に切り替えて駐車場らしきものを探します。グーグルさんの指示を無視して、最後は航空写真が頼りです。写真ですと、白い細い道で、鳥居をくぐり、駐車場にたどりつきます。
この地図のようにグーグルさんの指示どおり青い点々で車を進めると、細い非舗装道路になります。経験で大体分かってきました。
グーグルは道が広かろうと狭かろうと、道は道としか認識しないらしく、傍に広い道があるにもかかわらず、あぜ道をくねくね行かされて、脂汗をかいたことがあります。いまに看護ロボットとかに世話されるようになると、病気は治ったけど命はなくなるってことがおきるかもです。
By妻 -
県道より直接参道に乗り入れます。
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背後が龍王山。山頂に上宮、中腹に中宮があります。標高614メートル、山頂からは沖の島が見えるそうです。
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参道の奥には堂々たる楼門があります。この左右が駐車場です。
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龍王神社
下関市大字吉見下1726 -
神社由緒によれば「故郷社乳母屋神社に故村社大綿津見神社を大正六 年五月合祀して龍王神社と改稱した」とあります。龍王神社と称されたのは大正6年(1917年)と古いことではありません。
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乳母屋(ちもや)神社は「第八代孝元天皇の御代(BC214年-BC158年)に御鎮座され」となっております。以下の西暦は天皇歴を機械的に西洋歴に変更したものです。6世紀以前は、考古学的には史実ではない可能性が強いと思います。
私たちは、日本書紀の記述は、26代継体天皇(在位507年-531年)以降は、年代はおおむね正確という通説に従います。書かれていることがそのまま史実かどうかは、別問題です。
万葉仮名を用いて日本語を表記する方法は5世紀には確立していたそうです。万葉集の一番古い歌は7世紀前半、文字で記録を残せるようになると、記述される歴史の信憑性が増すのは当たり前です。面倒くさい漢文と違って、多くても973文字で何とかなる万葉仮名なら、記録を残せる人の数が飛躍的に増えるはずです。今なら、「英語じゃなければダメ」というのが、「ひらがなでもOK」となるようなものです。
由緒の出典が明記されておりませんが、「安閑天皇三十二年(533年)現在地に社殿を建立」、つまり6世紀にはこの地にこの神社は存在していたことはありえると思います。
「元明天皇の御代(在位707年-715年、飛鳥・奈良時代)社殿を再建され、長門国第三鎮守の社と云われた」とあるので、8世紀には崇敬されていたのです。ただし、一宮制度が確立したのは11-12世紀というのが通説だそうで、この神社が三宮といわれたのが8世紀というのは早すぎます。
大綿津見(おおわたつみ)神社は12代景行天皇の御代(71年-130年)に鎮座とありますが、「神功皇后征韓の時此の御山に登り給いて大神に祈り給い山内屏風谷の大楠樹をもって軍船を造られ山の峠を越して船出し給う」と、神功皇后の三韓征伐に関する伝説が伝えられているので、倭が朝鮮に出兵した4世紀後半-5世紀には神社の母体になる祭祀の場所があったかもしれません。高い山から空を見て天候を予測し、潮の動きを見たのかもしれませんね。
「正安2年(1300年)以降の古文書多数」とありますから、これ以前に古文書を保管するこの地方の文化的中心であったことは間違いありません。 -
拝殿です。
主祭神は玉依(たまより)姫、竜宮城の龍王綿津見神の娘さんです。「姉神豊玉(とよたま)姫の御子を乳母神としてお乳を授け育てられた御神徳に依り乳母屋の社名となり 産後の乳不足の婦人が乳授安産育児の神様と崇拝され参拝が多い」 -
本殿右側より。
相殿神は、
天津児屋根命(あめの・こやねの・みこと)中臣氏の祖
大綿津見神(おおわたつみの・みこと)竜宮城の龍王
住吉荒魂大神(すみよし・あらたまの・おおかみ) 長門一宮住吉神社の第一殿祭神
息長足姫命(おきなが・たらしひめの・みこと)神功皇后
誉田和氣命(ほむたわけの・みこと)応神天皇 -
本殿左側より。
祭神、相殿神は後世、入れ替えられたのではないかな。三宮と格式張ってよばれるようになったころでしょうか。相当古い時代ではあります。 -
左の木立の向こうは溜め池、はるか昔は多分ご神体であった山を背負い、田んぼに囲まれた、絵に描いたような日本の田舎の神社です。
乳母屋(ちもや)神社、大綿津見(おおわたつみ)神社という名称からしても、安産、航海安全を願った、土着の神様を祭った素朴な神社であったと思います。
玉依姫と豊玉姫の物語は、記紀に登場します。古事記の成立は712年、日本書紀は720年ですから、安閑天皇の時代6世紀、または、元明天皇の御代(在位707年-715年)に、主祭神が玉依姫であったことはありえません。
玉依姫を祭ったから乳母屋(ちもや)神社なのではなく、乳母屋(ちもや)という名の神社だから、後世主祭神を玉依姫にした。 -
30分ほどですが、お参りしたのは私たちだけでした。静かで清らかな神社でした。宮司さんはご不在で、御朱印はいただけませんでした。
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車に戻ったらこの子がいました。
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いい面構えです。ここまで人相、いや猫相の悪いのは滅多にいない。
☆☆☆ -
長門国一宮住吉神社にやって来ました。
住吉神社 寺・神社・教会
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山口県下関市一の宮住吉1丁目11
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青銅製狛犬というのは初めて見ました。マンガぽい。
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見事な楼門です。内側から。
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拝殿です。
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舞殿も兼ねているのではないかと思います。
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拝殿は1539年建立。
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本殿。国宝です。
応安3年(1370年)大内弘世寄進です。
日本書紀によれば、仲哀天皇9年(200年)、神功皇后の三韓征伐の帰り、皇后が住吉三神を穴門(あなと、長門のこと)の山田邑に祭ったとあり、それがこの神社です。200年という年代と神功皇后が実在したかは別として、4世紀後半-5世紀の倭の朝鮮出兵時に創建された神社ということですね。
わざわざ日本書紀が書いているくらいですから、書紀成立時8世紀初めの大和朝廷にとって、非常に重要な神社だったのです。朝鮮出兵の国立記念モニュメントということですね。
927年成立の延喜式神名帳では大社となっています。延喜式神名帳に記載されている神社は2861社で、大社はそのうち203社ですから、200年後の当時でも重要な神社でした。 -
本殿左翼。
5つの一間社を横に連ねた九間社流作りという形式で、珍しいものだそうです。左から第一殿住吉大神、第二殿応神天皇、第三殿武内宿祢命。 -
本殿右翼。第四殿神功皇后、第五殿健御名方命(たけみなかたの・みこと)
第四殿までは、いわば朝鮮出兵の関係者ですから、この神社に祭られているのは当然です。
分からないのは第五殿。 -
右端です。
ご祭神は健御名方命(たけみなかたの・みこと、以下タケミナカタ)
古事記ではタケミナカタは出雲の国譲りに出てくる神様で、天照大神に派遣されたタケミカヅチと力比べをして負けて、信州の諏訪湖に逃げていくことになっています。
その神様がなんでこの長門にお祀りされているのか。諏訪に逃げるなら東ですが、長門は出雲からは方向が違います。 -
御朱印をいただくときに、宮司さんに聞いてみました。
本殿は1370年に、周防、長門、岩見3国の守護大内弘世(おおうち ひろよ、1325年-1380年)が寄進したものですが、タケミナカタはその時に大内弘世が諏訪から勧請した神様で、本来の住吉神社とは関係がないそうです。なぜ勧請したかは、神社に記録がないので分からない。
しかし5社横並びというという珍しい作りにして、そのうちの1社にあえてタケミナカタを祀っているのですから、特別待遇です。
中世以降は諏訪明神は軍神とされているそうです。しかし負けたタケミナカタをわざわざ武将大内氏が勧請しますかね。しかも住吉三神はともかく、ほかの3人は、神様というには生々しい、タケミナカタを出雲から追い出した天孫族直系ヤマト朝廷の大物です。
大内弘世は何を考えていたのかな。
当時は南北朝時代、ウイキペディアによれば、大内弘世は領地拡大のため南朝から北朝に乗り換えるなど、相当したたかな武将でした。なにか目的もなくわざわざ住吉神社を再興して、しかも神社と縁もゆかりもないタケミナカタを、ほかの神様たちと同等に祀るなどということはしないのではないかな。
大内氏は、ほかの日本の武将と違い、百済の聖明王(在位523年-554年)の第3王子琳聖太子が日本に渡来し、その子孫だと称していたそうです。琳聖太子は古代の歴史書には登場しません。大内氏の創作ぽい。日本のほかの武将とは格が違うんだ、天皇家と同格なんだというつもりでしょうか。
そうすると、天皇家と別系統のタケミナカタを勧請して、朝鮮出兵時の大和朝廷大物と同格に祀るというのも、理解できなくはない。でもそれだと、タケミナカタと自分を同一視して、天皇家と大内氏は同格なんだと、とんでもないことになる。まさかねえ。 -
なんとも不思議な右端の神様です。
なぜタケミナカタなのか?スサノオじゃなく、オオクニヌシじゃなく、コトシロヌシじゃなく、カモの神様じゃなく・・・うーむ、不思議じゃ。
By妻 -
境内の巨木です。
私たちは古い神社が好きです。古いというのは奈良時代まで。平安だともう新しすぎます。
神社参りは古代への旅の依り代です。でもこの住吉神社のように、中世でもわくわくするような謎を秘めた神社があるのですね。 -
御朱印をいただき、次の神社に向かいます。
☆☆☆ -
忌宮(いみのみや)神社前庭です。
長門国二宮忌宮神社 寺・神社・教会
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楼門
下関市長府宮の内町1-18 -
拝殿。
ご祭神、
仲哀天皇
神功皇后
応神天皇
日本書紀によれば、仲哀2年(193年)、仲哀天皇と神功皇后は熊襲征伐の本拠地として、穴門(あなと)国豊浦津に宮室(みや)を建てます。穴門豊浦宮(あなとの・とようらの・みや)です。
現在の忌宮神社であると神社由緒記にあります。 -
境内の「豊浦皇居跡」の碑。
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仲哀9年(200年)、仲哀天皇は筑紫国(現福岡県)橿日宮(現香椎宮)で崩御されます。
神功皇后が三韓征伐より戻り、前年に崩御された夫の仲哀天皇を豊浦宮に祀ったのが、この神社の起源です。(神社由緒)仲哀天皇9年(200年)ということになります。
お墓ではありません。日本書紀は神功皇后摂政2年(201年)仲哀天皇を河内国長野陵に葬ったとあります。古事記だと「河内の恵賀(えが)の長江(ながえ)」
一宮の住吉神社同様、4世紀後半-5世紀の倭の朝鮮出兵に関わった神社です。このあたりを、なにか面白いことがないか調べ始めたのですが、面白いことがありすぎて収集がつかなくなりました。別の旅行記でやってみたい気むんむんです。
とりあえず分かったのは、この時代の日本は、想像以上に強力かつ国際的で、朝鮮半島南部にさかんにちょっかいをだしていていた。記紀の記述がどれだけ事実を反映しているかは、神功皇后が実在したかどうかを含め、不明。中心となる神功皇后伝説は5世紀末-6世紀に成立したもので、それを記紀が採用した。
これだけでワクワクです。北九州や中国地方の神社は、やたらに奥が深そうです。 -
本殿は改修工事中でした。
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授与所です。
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社務所の周りを鶏さんが闊歩しておりました。なにやら貫禄があるので、宮司さんに「なにか由緒があるのですか」と聞いてみました。
「とくにありません、飼っているだけです」
あー、そうですか。
神功皇后が必死の三韓征伐から戻って亡夫を祀ったそうですが、今はのんびり。リビングというより茶の間っていう感じの、すこしゴチャついた社務所。今にも渋茶とせんべいが出てきそうなくつろげる神社でした。社務所でおしゃべりしていたのは、ご近所のおっちゃんじゃないかな。 -
御朱印をいただきました。
長門の一宮、二宮は、そのものずばり大和朝廷直営、朝廷立神社でした。歴史を追っていったら実に面白い。
でも心にしみいる神社のよさには欠けます。
三宮龍王神社、かつての乳母屋(ちもや)神社が、私たちにはもっともありがたかったです。
今宵の宿は長府。
(HOTEL AZ 山口下関店
https://4travel.jp/traveler/yo-koso-bien-venu/tips)
明日は石見(いわみの)国を巡ります。300キロ走らなければ。
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この旅行記へのコメント (4)
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- kummingさん 2019/11/18 19:52:28
- む、難しい~
- 活字も屁理屈も嫌いじゃない方なんですけど…
龍王神社由緒「○○~○」の漢字が読めない、漢字が多い、なんだかよく分かりませんが、
ブサカワイイ猫ちゃんと貫禄ある鶏さんに2票^ ^
神社詣ではお正月の三社参りくらいしか縁がありません。
昔々、聖徳太子は推古天皇と蘇我馬子の隠し子だ、だの、天智、天武、皇極は三角関係だった、孝徳(斉明)女帝は道鏡と愛人関係で好色だった、だのと真顔で教える日本史教師の話に、素直に聞き入っていたうら若き乙女だった青春時代を思い出しました♪
しょ~もないコメントでm(_ _)m
- しにあの旅人さん からの返信 2019/11/20 19:38:25
- Re: む、難しい~
- 新シリーズ記念すべき初コメント有り難うございます。
この種の反4Tra的ブログに最初に反応してくれるのはだれかなと思っておりましたが、やはりkummingさんでした。ところで、いまさらですが、なんと読むんですが? カミングと勝手に読んでおりましたが。
漢字が多いのは覚悟して下さい。こんなの序の口、これから記紀、出雲風土記、原文書き下し引用が出てきます。でもなんたって日本語です。うら若き乙女、絶対昔のままです。思い出せ、若い血潮!!!
出雲風土記現代語訳、お勧めします。あんなすばらしいものが1300年前に書かれていたなんて、びっくり仰天です。私たちの先祖、すごかったんですよ。そのうち出てきます。常陸国風土記は少し落ちる。
- kummingさん からの返信 2019/11/20 23:24:33
- むむむ…
- そういえばまだ見ぬシニアの旅人さんの日本史探訪の旅行記がたくさん(°_°)
日本史は奈良天平止まり、記紀やら風土記なんて範疇外で、せっかくのおススメ、出雲風土記現代語訳も、手に負えませぬ~_~;
昔々、谷崎潤一郎訳の源氏物語を読んで、大事な処(所謂濡れ場?的な)がボカし表現で、何度も読み返して想像力を最大限に働かせていたうら若き乙女も、今や映倫も真っ青な直接話法にもへ~ぜん(笑)
怪僧道鏡と愛人関係だったのは、孝嫌女帝、だったかも?
このように若い血潮はどろどろの末期症状…。
カミングって素敵なお名前頂戴仕りありがたや~
呼び名はくもみんたんビアンコ、という事でお願いしても?
分からないなりにシニアの旅人さんの熱い血潮を感じます♪
- しにあの旅人さん からの返信 2019/11/27 10:31:25
- くもみんたんビアンコさん、こんにちは
- 出雲国風土記、おもしろいんですけどね。行政レポートみたいなもので、なんとか郷には村がいくつあって、山はどうのこうの、川ではなんとかいう魚がとれるとか、細かい事実の羅列です。地名伝説以外は神話なんて出てこない。1400年前に客観的な行政レポートなんて、すばらしい。ただ、出雲について何かを調べる人以外、多分まったく面白くない。うらわかい女学生が興味をもつような話はなし。
最近は古代道路にはまっています。「古代甲斐国の交通と社会」というのを熟読しています。興味ありますか?出版社、著者おしえましょうか?
旅ブログ書くようにうなってから、変人度が一段と増したようです。昔、「ポリバケツができるまで」とかいう短編ドキュメンタリー映画があった記憶があります。どんな変人が見るんだろうと思ったものですが、そういうレベルにきつつあるかも。
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