しにあの旅人さんへのコメント一覧(48ページ)全581件
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亡命百済人or高句麗人の息子ですか(@_@)
こんばんは、しにあの旅人さん
体調不良がまだ続いていますが、やっときょう太陽の光を浴びてちょこっと良くなったような気が。。。
なるほど、古代には渡来した朝鮮半島の人々などが、今よりもっとたくさんいたのでは?という説、頷けます。
私は、鉄を巡って半島の製鉄集団が出雲から出雲往来に沿って、移動しながら製鉄技法を伝えたという説に同感しているので、今よりももっと国際色豊かだったのではと思っています。
それにしても語学堪能と思われるその渡来人二世が、伊那谷辺りを通って、3000メートルに届きそうな高い山々を見ながらヤマトに招聘され、記紀の執筆に当たったという、あり得そうな説に感心しました!
「則日本武尊 進入信濃 是國也 山高谷幽 翠嶺萬重」、この記述部分をもって、よくもそこまで考えが発展するものだと半ば呆れております。
そして今後、キャラメル・コーンを食べるとき、先入観に悩まされると思いました。
前日光Re: 亡命百済人or高句麗人の息子ですか(@_@)
おはようございます。
はやくよくなってください。
元文献の言葉尻を捉えて、ありそうな話に発展させるのは、最も得意とするところ。学説のつまみ食いなどもおいいしい。元文献と考古学的事実に矛盾しなければ、何をどう書いてもいいのです。要はいかにそれらしく、書いている当方が楽しいか。
go to何とか、中身がよくわかりませんが、行けるものなら使ってみたいと思っています。6月末の飛鳥奈良で行き損ねたところがあるので、リターンマッチ。
10月末、コロナの状況次第ですね。
往復自家用車です。高速をまっすぐ走るだけなら、By妻でも運転できるのがわかりました。最低速度違反に気をつけなければ。
目的地についてしまえば、どっちみちめったに人なんか来ない遺跡ばかりです。部屋食、慣れれば気楽でいいもんです。
コロナも気からと申します。積極的に打って出る気構えを持つだけで元気になります。2020年07月13日06時31分 返信する -
ドンドコドン、ヤア!
ヤマトタケルさん 伊那谷にまで進出してたのですか!? 日本アルプスの地形を考えると自ずとこうなっちゃうのですね。北アルプスほどの派手さはありませんが、質実剛健な南アルプスは大好きで何度か縦走しました。北岳や塩見岳バットレスの力強いお姿にはいつも惚れ惚れします。
伊那谷はB級グルメの宝庫でこちらもよく出かけました。ローメンやソースカツ丼、信州蕎麦の有名どころはかなり制覇しました。
先日近所のスーパーでキャラメルコーンが\69だったので買いましたが、食べ終わった後で良かった。でも後はまだ残っているカールをどうするかですね^^; って既にドンドコドン、ヤア! ザザムシ、イナゴ、ハチノコ... 全部居酒屋の酋長に食べさせられました。 -
冷静なご考察に我が身を恥じます。
しにあの旅人さん、お早うございます。
ヤマトタケルの家路についての検証を縷々拝読しましたが、今回は改めて木更津の「君去らず伝説」の起点である走水からの実踏録を拝読いたしました。
文献の紹介と併行して臨場感あふれるご夫妻の旅日記が楽しいだけでなく、ヤマトタケルという存在についての冷静なご考察に触れ、日ごろただ地元の言い伝えだけを根拠に一人の英雄を好きだ嫌いだと語ってきた我が身を恥じる思いがしました。
多くの人々の事跡が一人の人物の行動として集約される例は各地にありますが、なまじ「地元」であることで私自身が冷静さを失い、虚実はともかくとして一人の人間としての日本武尊を疑いもせずに今日に至っている浅学さに忸怩たる思いです。
己の根気が年々衰えていくのを自覚しながら、それをただ加齢のせいだと言い訳している自分を反省し、「読書・実踏」という勉強のありようを思い直しましたが、はて、その反省が続きますものやら・・・。
ありがとうございました。
ねんきん老人Re: 冷静なご考察に我が身を恥じます。
おはようございます。
これはヤマトタケルシリーズの出発点でした。まさかあのとき、その後断続的に2年近く追いかけることになるとは思いませんでした。どんどん面白くなって止まりません。
調べるのはもともと好きなんですが、最近は紙の上で調べたことを確認しに旅行に行っているようなものです。観光旅行というより、調査旅行ですな。思いがけない発見がいっぱいです。
コロナ明けの飛鳥旅行では、雄略から推古くらいまでの宮の狭さにびっくらポンでした。房総の田舎の広めの農家の敷地と変わらない。そのお宮の跡地の上に今も人が住んでいます。
飛鳥地生えの人は「天皇はんはうちの下の階に住んでいらはりましたどすえ」とか、言いそうです。
一見は百聞より面白い。
今の家路シリーズの後、飛鳥のびっくらポン旅行記を始める予定です。2020年07月09日06時45分 返信する -
羨ましい、人のいない奈良!
こんばんは。
あおによし奈良、昔はホントにこんな風に人が少なかったのだろうなと妄想しながら拝見いたしました。
今では観光地奈良ですから、観光客のいない奈良を実感するのは難しいですよね。
今がチャンス!とは思うのですが、諸事情に寄りまして、この最高の状態の奈良には行けそうにありません。
せめて旅行記を拝見して、その雰囲気に浸るしかないですね。
宿泊先は、奈良ロイヤルホテルではなかったのですね?
確かに飛鳥中心だと奈良よりは櫻井辺りの方が、あちこち動けますね。
※実は、しにあの旅人さんが奈良旅を満喫している頃、私はなんと数十年ぶりに発熱、24日から5日間ほど37℃~39℃前後の熱で動けませんでした。
熱を出したのは本当に久しぶりで、今現在も熱は下がったのですが、体の節々がまだ鈍痛がありまして。
鬼の霍乱だろうと言われています。何にしてもこのコロナの季節だったので、ちょっと恐怖でした。コロナ以外の強烈なウィルスがどこかに入り込んだので、白血球が16000にも上がっちゃったんだろうとドクター。
しにあ様ご夫妻が奈良旅満喫の頃、私めはヒドイ目に遭っておりましたよ。
ま、これからボチボチどこかに出かけようとは思っていますが、いつもの気力がまだ戻っておりません。
前日光Re: 羨ましい、人のいない奈良!
お見舞い申し上げます。何はともあれコロナでなくてなにより。
奈良から帰ってきて、もっか1500枚の写真の分類中、明日改めてご連絡します。2020年07月03日19時34分 返信するRe: 羨ましい、人のいない奈良!
なんとか1500枚を分類しました。記憶が鮮明なうちにやっておかないと、何を撮ったのか分からなくなります。
桜井にホテルをとって正解でした。奈良市内は結局1日で、ほとんど飛鳥でした。奈良盆地を縦に移動するのは結構時間がかかりました。
飛鳥は雷の岡がちょうど交差点で、あそこを何回通ったことか。
すばらしい発見がいっぱいありました。埋め戻された発掘跡の写真をいっぱい撮ってきました。知らない人は何をしているのかと思ったでしょう。ただの空き地ですから。
奈良はもう1回かな。長屋王や井上内親王など、怨霊組は手付かずでした。
奈良は自転車を使うべきでした。平城宮跡は朱雀門の近くにレンタル屋さんがあった。最後に気付きました。飛鳥は起伏があるので、電動アシストを借りて回ったら最高。
ただ、夏の炎天下は無理。
10月、コロナちゃんがいいといえば、行ってみようかな、と思っています。
大きな声では不謹慎ですが、奈良は今がチャンスです。なんとか気力を振り絞ってください。2020年07月04日07時49分 返信する -
奈良旅行、延期からの~(^-^)
こんにちは。
確か…私の記憶が確かならば。
イタリア中止からの~4月に奈良。
しかし、これもコロナで中止…でしたね?
シニアの旅人さん、とても残念そうにされてましたので。
コロナで色々制限あったと思いますが。
奈良旅行記拝見出来て嬉しいです。
こんなにも静かな奈良は今までにない。
ナラマチ周辺もなのでしょうか。
3月に行った時、海外客がいなくなり。
食いぶちなくした鹿が、気のせいかイラついてました。
太ももに食らいつく雄鹿は嫌やなぁ(笑)
四天王寺にも行かれたようで。
好きな場所であります!
続編、楽しみにしております(^-^)
Re: 奈良旅行、延期からの~(^-^)
行っちゃいました、奈良。
言わずと知れた古代タイムトラベルのネタ仕込みです。秋から盛大にやらかすつもりです。期待しないでお待ちください。
大阪もかすめました。kichiさんの縄張りだなと思って車を転がしていました。難波宮跡とか四天王寺とか、抹香臭いところですので、kichiさんのショバは荒らしていないと思います。
難波宮あとはパーキングが全く見つからず、時間もなくてあえなく撤退。
あんなに広いんだからパーキングくらいあると思って行ったのがよくなかった。
それにしても大阪市は都心のど真ん中に広い宮跡を放置しておくなんて、太っ腹。奈良の平城宮みたいに、大極殿を再建してくれませんかね。ついでにパーキングをお願いします。
出来たら10月にリターンマッチをしてみたいと思います。2020年07月02日13時31分 返信する -
半年前に戻りたいです(^^;)
しにあの旅人さん、こんにちは~♪
『緊急報告、コロナ騒ぎ下の奈良飛鳥』と言うタイトルに誘われて、新記事からやってきました~^^
しかも、千葉県-奈良往復、現地での移動は全部自家用車とお話にまずは驚きました、ご苦労様です、ハイ(汗)。
マスク、手袋、間隔・・・いや~~~もう大変ですね~(>_<)
ワタシ的には「科学的根拠の薄い過剰反応」のような部分も多いかなぁ~なんて思っちゃってる部分も正直ございます(^^;)
(これを家内に言うと「不謹慎です!」っと叱られますー汗)
それにしても、どこも空いていますね~♪
当方、三重県在住ですので、時々お邪魔するのですが、驚きでいっぱいです。
ホント、コロナ以前と比べるとビックリしますねぇ~。
鹿せんべいのお話が出ましたが、鹿の糞が鹿せんべいをあまり食べなくなったので、鹿の健康状態がよくなり、コロコロの昔の糞に戻ったーーーとの話も聞きました(笑)
情報たくさんの旅行記をありがとうございました<(_ _)>
またお邪魔したいので、フォローさせていただきますね!
ではでは~~~♪
「新しい生活様式」にも慣れずに困っている 多良Re: 半年前に戻りたいです(^^;)
コメントありがとうございます。
奈良行くなら今、と書きたいところですが、若干不謹慎かと。しかし実に快適でした。東大寺は鹿が人間より多い。
全部自家用車で、合計1600キロでした。奈良に入ってしまえば、飛鳥など同じところを行ったり来たり。もうちょっと涼しければ、自転車が最高ですね。往復の高速は1時間に1回休んで、尺取虫でした。
三重県も行きましたよ。奈良に入る前に、斎宮歴史博物館周辺に半日いました。これもまたほぼ独占。実に面白かった。ヤマトタケルが終わったら、じっくりとこの旅行記に取り掛かります。日本書紀もびっくりして腰を抜かすような古代タイムトラベルをやらかす予定です。
多気(たき? たけ?)のホテルから名張に抜けるときに道間違えて、県道368伊勢本街道というのに入ってしまいました。峠越えが怖かった。勾配はともかく、よくもまあ、あんな細い道を作ったものです。せめて谷側には全部ガードレールをつけて欲しかったです~~~~
知事によろしくお伝えください。2020年07月02日13時04分 返信する -
「ヤマトタケル」という漫画があるのですが。。。
ご存じでしょうか?
え?少女漫画なんて読みませんか?そうですよねぇ(^^;)
梅原猛原作 山岸凉子画で、角川書店から昭和63年に発行されています。
なぜかそれを私が持っておりまして。(>_<)
久しぶりに引っ張り出して読んでみましたが、なかなか面白く描かれています。
ただ問題は、ここに登場するヤマトタケルは、シルベスター・スタローンみたいに超マッチョで、よわっちい腺病質が好みの私としては、おいおいその筋肉、なんとかしてくれえという感じでした。
山岸さんは、細マッチョは描いても、ここまでのラガーマンみたいなのは描かないのですが。
ヤマトタケルには双子の兄がいたとか、オトタチバナヒメにはお姉さん
がいて、そのお姉さんはヤマトタケルの双子の兄の妻という設定です。
タケルには、弟みたいにタケルになついる従者がおり、女装までしてタケルの危機を救うというストーリー展開です。
漫画では、ヤマトタケル一行は富士山を見てビックリし感動するのですが、記紀には富士山は出て来ないとのことですよね。
ですから八ヶ岳はもちろん登場しません。
私は見たことがないのですが、市川猿之助のスーパー歌舞伎で、ヤマトタケルが好評を博しました。
この歌舞伎には、富士山なんかが出て来るのでしょうか?
杖突峠を経て、3000メートル級の山々を眺めながら、その日暮れの速さに大和人は、「えーっ、ウッソー!」と本当に思ったかもしれませんよ(^_-)
前日光Re: 「ヤマトタケル」という漫画があるのですが。。。
おはようございます。
その漫画は知りませんでした。梅原猛原作というなら、ある程度史実は押さえてあると思うのですが、すごい設定ですね。もはやBy妻のレベル。
猿之助のスーパー歌舞伎は、見たことはありませんが、機会があれば見たい。
タケルくんは古来日本のスーパースターです。あの魅力の源はなんですかね。いずれにしても、記紀の話から全部流れ出してきているわけで、記紀の作者はすごい作家だということになります。そのアラを探して楽しんでいる私たちは、象のお腹を突いているアリンコみたいなものでしょうか。
伊那谷の日暮れの早さはびっくりポンでした。特に私たちは九十九里平野という、真っ平らなところに住んでいるので、尚更でした。自然の坂、階段というものがありません。最寄りの階段はホームセンターの屋上パーキングに上がるやつ。2020年06月22日06時17分 返信する -
初めまして
歴史的な旅行記(?)を再現する旅行記
興味深く、そして楽しく読ませていただきました。
長野県人なら誰でも歌えるという「信濃の国」にも
日本武尊が登場します。
吾妻はやとし 大和武(やまとたけ)
嘆き給いし碓氷山(うすいやま)
子供の頃は意味なく九九のように暗記していたので
壮大で悲しい背景があるとは知る由もなく・・・
この歳になってから歴史的背景に興味を持つようになりました。
日本武尊が越えた峠は碓氷峠ではなく
鳥井峠という説があるのも最近知りました。
でも、こちらの方が私は納得できる説かな・・・と。
まず、嬬恋村の地名の由来が、碓日坂(今の鳥居峠)に立ち、
「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)と
嘆き妻を愛おしんだ故事にちなんで嬬恋村との事。
その嬬恋村と信濃の国の境にあるのが吾妻山(地図上は「四阿山」)
四阿山(あずまやさん)の麓あたりに鳥井峠が真田から上田へ
その真田の宮司さんのお話ですと
嬬恋村の吾妻川沿いや真田~上田の神川沿いには
日本武尊をお祀りしたり関係する所が多くあるそうです。
しかし、軽井沢の県境、熊野皇大神社にあった
日本武尊と八咫烏の話が気になります・・・
鳥井峠からあそこまで迷ったのかしら?
そんな事を考えたら益々ハマってしまうのですが・・・
こちらの鳥井峠説もよろしかったらお出かけ下さい。
この大作を拝見するのにチョコチョコとお邪魔しましたので
足跡がいっぱいあるかもしれませんがお許し下さい。
「いいね!を一日100回にしろ」などと騒いでいる方がおりますが
しっかり拝見しているのでしょうかね?
読むのが遅いのか私は一日100回は押せません!(^^:)
Re: 初めまして
おはようございます。文字ばかりの旅行記を丁寧に読んでいただいて、ありがとうございます。
鳥居峠ー碓井坂説もおもしろいですね。「家路7」でちょっと触れました武蔵、上野を回る謎のルートですと、俄然鳥井峠の可能性が出てきます。関東平野の西の山沿いに続くヤマトタケル由来の神社は、白根山や草津まで散らばっています。
真田~上田の神川沿いにゆかりの神社があるというのは知りませんでした。
いつの日か行ってみたいと思っています。ただコロナ騒ぎで旅行計画の順番が狂ってしまって、いつになるかわかりません。
ヤマトタケルはまだまだ続きます。読んでいただけるとうれしいです。2020年06月20日07時05分 返信する -
とっても当てはまった役柄です!
こんばんは。
またしてもby妻さんの説に納得!
ヤマトタケルと吉備武彦は井上康生と篠原信一ですか!
あの二人が信濃追分わかされで、振り返りながら涙の別れ、それはあり得る!と、分かりやすい説明が腑に落ちました( ・∀・)
そうそう、あの近くに堀辰雄の旧宅がありました!
私、行ったことがあります。
堀辰雄や立原道造や芥川龍之介。。。なにしろ、よわっちい腺病質タイプが好みでして。そういう意味ではヤマトタケルや吉備武彦は、対極にいるわけですが、ま、例外もあるということで。
吉備孝彦→吉備津彦 七掬脛→長脛彦 この関連性、あり!ですよね。
司馬遼太郎氏は、長脛彦の墓と言い伝えられる古墳が、彼が少年時代を過ごした母の実家(奈良県北葛城郡磐城村竹ノ内)にはあったと、書いています。
長脛彦も謎に満ちていますね。足が長かったのでしょうね( ̄∇ ̄)
ヤマトタケルは、蝦夷どもを引きつれて旅をしていたのか。
しかもけっこうハンパない人数だったようで。
甥っ子にこの蝦夷を献上された倭姫命が困り果てるほどのヤンキー蝦夷がウジャウジャだったのね。
で、この蝦夷たちが佐伯郡の先祖?
この蝦夷どもの品性が劣るように書かせたのは、舎人編集長だと?
わぁ~、おもしろい!(^^)!
それにしてもしにあの旅人さんは、舎人親王に何か恨みでも?
このヤマトタケルの家路を読んでいると、日本書紀ってコメディですか?
舎人親王は、コメディの作者なの?と思えてきて、書紀が身近に感じられていいかも。
私は記紀をさわりの部分だけしか読んでいないので、この旅行記でその面白さを実感させられています(^_-)
これだとヤマトタケルの最期なんて、どうなっちゃうのか楽しみです。
ま、喜劇は悲劇のパロディとも言いますからね。
前日光Re: とっても当てはまった役柄です!
こんにちは。
記紀の東征はそんなに長くなく、こっちは現地調査までしております。舎人親王や太安万侶は絶対現地に行っていない。アラは探せばいくらでも見つかります。記紀の欠陥探し、楽しい。見つけたチョンボは、どう解釈しようとこっちの勝手です。
でも敵もさるもの、やばいところはさっとワープするんですよね。蝦夷だって、最初と最後だけ出して、間をキセルしやがった。でもその代わり、ヤマトタケルが1人ではないという尻尾を掴まれたわけです。
これからも記紀の重箱の隅つつき読み、いじわる読みを楽しみます。ご期待ください。2020年06月09日12時11分 返信する -
俘虜を連れての帰還
しにあの旅人さん おはようございます。
蝦夷の俘虜を連れての旅はさぞや困難な行軍だったでしょうね。食料の確保とか、警備も気が抜けません。俘虜を献上、とありますが、これらの行為は獲物を売買したりするのと同じ感覚なのでしょうか?もらったほうは奴隷として労働に従事させるとか・・・
日本ではあまり聞きませんがいかがでしょう。
景行天皇は蝦夷に優しいそうですが、平和に暮らす国を侵略しておいて、俘虜に優しかったとは、東京大空襲や原爆を落としておきながら飢える子供たちに、脱脂粉乳をくばった米国に似てませんかねぇ。
しにあの旅人さん、筒井康隆なみに文章で遊びすぎませんか?これって、漫才大会のシナリオでしょうか?抱腹絶倒とはこのことです。おおいに楽しませてもらいました。
pedaru
Re: 俘虜を連れての帰還
俘虜または俘囚というのは、古代ヤマトに投降してきた蝦夷のことだそうです。日本書紀の東征でもそうなっています。書紀、続日本紀あたりに続々出てきます。恭順しない部族からの報復を避けるために東国以西に移住させた蝦夷もいたし、そのまま東国に住み続けた部族もいたみたい。食糧の支給や、仲間割れの仲裁など、ヤマト朝廷はかなり苦労しています。後年の安倍氏や奥州藤原氏などは居残り組の子孫だという説もあります。
奴隷ということはないようです。むしろ税金の免除など、移住後の定着を優遇しています。とにかく弓矢などに強かったので、平安以降の武士団のもとになったのではないかという説もあります。
この時代、百済、高句麗の滅亡後、朝鮮半島から千人単位の亡命、移住が何度もあったようです。彼らの定着先の斡旋にもヤマトはあたふたしている様子が続日本紀にあります。
この時代の日本は面白いですよ。
新潟あたりに渤海から大使が勝手に来て、それを現地の住民が襲って身ぐるみはいじゃって、政府は後始末に右往左往。遣唐使のメンバーが中国人の嫁さん連れて帰ってきちゃうし、ペルシャ人やインド人も来る。遭難した遣唐使がベトナム、中国、渤海経由で何年もかけて帰ってきたり。
この時代の日本は、国際性が豊かです。開放的というか、かなりひっちゃかめっちゃか。
多分、高度成長期で、人手が圧倒的に足らなかったんだと思います。
移住した蝦夷から氏だの姓だのをくれと誓願が出ています。陳情そくOKらしくて、乱発しています。政府の高官も出ています。
日本書紀の後半、続日本紀、日本後記あたりを読むと、古代の日本が、全く予想に反した、面白くて、生き生きとした時代であったと、つくづく思います。2020年06月07日08時00分 返信する



