さいたまさんのクチコミ(48ページ)全2,813件
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- 基本情報
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清澄庭園の大泉水の南側に、数寄屋造りの茶屋である涼亭があります。有料の予約制です。
投稿日 2020年01月01日
総合評価:3.5
清澄庭園の大泉水の南側に、数寄屋造りの茶屋である涼亭があります。有料の予約制の茶屋です。
回遊式の日本庭園には、一般的に、池の傍に茶屋が置かれています。
六義園や浜離宮のように、池の畔に、池に張り出して置かれている茶屋と陸上に上った茶屋の両方ある場合と、清澄庭園や岩崎庭園のように、池に張り出している茶屋のみの場合があります。
いずれにしても、泉池の水面の様子を愛でながら、茶を楽しむ茶屋という施設が供えられているのが一般的なようです。
つまり、泉池の周りに茶屋があるのが定番なのかもしれません。
清澄庭園の涼亭は、やや規模的には、大きい方ではありません。
また、有料の予約制という点も特徴的かもしれません。
六義園や浜離宮のように、出入りが自由にでき、席が空いている場合は、有料ですが、その都度、お茶を注文して、楽しむという形式の茶屋があります。
清澄庭園には、傘亭というお茶を楽しむ施設があったようですが、防災上の観点から亡くなったのが残念です。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
清澄庭園の大泉水の南側に、富士山を模した築山があります。芝生に覆われた築山になります。
投稿日 2020年01月01日
総合評価:3.5
清澄庭園の大泉水の南側に、富士山を模した築山があります。芝生に覆われた築山になります。
清澄庭園の南側の石仏群と古池の句碑の間にある小高い築山です。
富士山の形をしていますので、清澄庭園の富士山と名付けられているものと推測しています。
築山の殆どの部分が芝生に覆われています。
一部、小石ををもって小川の様子を形作っている部分もあります。
また、頂上が緑の樹々によって覆われていますが、全体として、富士山の形状を感じさせます。
多分、造園時に際して、日本式の庭園という観点から、富士山の形の築山を設計したのではないでしょうか。
なんとなく、明治の御雇い西洋人の助言等があったのではないかと推測しています。
いずれにしましても、清澄庭園の南側には、富士山の形をした築山が、存在し、一興の話題になるものと感じています。
また、清澄庭園の名所の一つになっています。
築山の上部には登ることができません。
浜離宮の築山の頂上には、展望台があり、浜離宮全体を見渡すことができますが。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
清澄庭園の大きな特徴は、日本各地の名石が、諸処にわたり多数配置されている点です。
投稿日 2020年01月01日
総合評価:3.5
清澄庭園の大きな特徴は、日本各地の名石が、諸処にわたり多数配置されている点です。
岩崎弥太郎が、江戸の大名屋敷跡地を取得し、清澄庭園として日本式の回遊庭園を造成した際、日本各地の名石を選び、庭園の各処に置いたものと推測して います。
特に、大泉水の周囲には、磯渡りの石の回廊に加え、名石を配置し、安らぎの空間として、意を払ったのでしょう。
日本各地から集められた名石は、大小、色、そして形状等、差異は見られますが、いずれも素晴らしいものと思われます。
日本各地からの運搬そして配置された名石は、重いもので、水運を活用したものと考えられます。
岩崎弥太郎の意気込みと財力のすごさを感じます。
清澄庭園の名石には、それぞれ産出した場所の銘板が付けられていて、いずれも一流の名石なのでしょう。
清澄庭園の名石は、多数に及んでいることから、名石の数は、定かではありません。
見るからに、大変、多い数だと想像しています。
雨に打たれて、水に濡れた名石の姿は、何とも言えない想いがします。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
清澄庭園の大泉水は、池泉回遊式庭園としての清澄庭園の中心的な施設です。
投稿日 2020年01月01日
総合評価:3.5
清澄庭園の大泉水は、池泉回遊式庭園としての清澄庭園の中心的な施設です。
岩崎弥太郎が、明治初期に、清澄庭園を大改造した際には、大泉水の水を、隅田川から引き込む構造としました。
また、大泉水自体も、現在の清澄公園を含めて広がっていて、もっと広大であり、中の島も現在の4個に比して、7個もある等、大規模でした。
清澄庭園は、大正末期に東半分を、東京市に庭園として寄贈されたため、大泉水も規模が半分となりました。
(西半分は、半世紀後、東京都に譲渡され、清澄公園として、姿を変えています。)
清澄庭園の大泉水は、澄んだ泉水の池の周囲に、各地の名石をふんだんに配置し、独特の雰囲気を醸し出しています。その代表的な例は、磯渡りの石の回廊であり、清澄庭園の大泉水の大きな特徴となっている感じがします。
涼亭という数寄屋造りの茶屋もあり、回遊式の日本庭園の特徴を現わしています。
傘亭という茶屋もあったようですが、防災上の観点から撤去されていて、詳しいことは解らないのが残念です。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
清澄庭園の大正記念館は、大正天皇、貞明皇后の葬場殿を活用して造営された建物です。
投稿日 2019年12月31日
総合評価:3.5
清澄庭園の大正記念館は、大正天皇、貞明皇后の葬場殿を活用して造営された建物です。
大正記念館は、清澄庭園の北側にあります。
大正記念館の入口は、清澄庭園の管理施設の近くにあります。
清澄庭園の入口に近い位置にあるため、清澄庭園の顔としての役割も持っているようです。
当初の大正記念館は、昭和3年(1928年)に、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築した建物です。
しかし、当初の建物は戦災で焼失したため、昭和28年に、貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建されました。
現在は集会施設として利用できます。
予約制の有料施設なので、詳しく内部を見ることはできませんでしたが、机が積み重ねられているだけであまり活用されていないような感じを受けました。
短時間の観察だけなので、何とも言えませんが、建物よりも庭園区域の方が見ごたえがある感じがしました。
多分、広い敷地と水と緑に恵まれた庭園区域は、なににも替え難い解放感と躍動感にあふれているからだと感じております。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
芭蕉翁之像が、芭蕉史蹟展望庭園に置かれています。芭蕉の庇護者杉山杉風の作です。
投稿日 2019年12月31日
総合評価:3.5
芭蕉翁之像が、芭蕉史蹟展望庭園に置かれています。芭蕉の庇護者杉山杉風の作です。
芭蕉の活動を経済面等から支えていたのが杉山杉風とのことを知りました。
芭蕉庵も古参の門人の杉山杉風が準備し、提供したとのことです。
芭蕉の活躍の陰には、支えてくれる人がいてこそ、俳句の世界で頑張れたのでしょう。
芭蕉史蹟展望庭園に置かれていますの碑文には、「芭蕉翁之像は、芭蕉の古参門人で、経済的庇護者であり、深川芭蕉庵の提供者である杉山杉風が芭蕉を描き、京都の画家、吉田園偃武が忠実に模写し製作した。」と記されています。
芭蕉史蹟展望庭園に置かれている芭蕉翁之像は、浮世絵や錦絵に描かれている松尾芭蕉の像と似ている点が多々あります。
松尾芭蕉は、さぞかし、柔和で優しい好々爺であったと感じています。
自らそのように期待しているのかもしれません。
いずれにしても、芭蕉史蹟展望庭園に置かれている芭蕉翁之像の松尾芭蕉は、とても優しい感じです。優しくなければ、芭蕉の句は生まれて来なかったでしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
奥の細道旅立ち三百年記念句碑なる石碑があることを知りました。芭蕉稲荷神社に在りました。
投稿日 2019年12月31日
総合評価:3.5
奥の細道旅立ち三百年記念句碑なる石碑があることを知りました。芭蕉稲荷神社に在りました。
芭蕉稲荷神社に行った折に、いろいろな石碑があるのに感心しました。
狭い神社の中に、お社や解説板があり、加えて、数々の石碑がありました。
何の石碑だろうと、見ていた碑の中に、「奥の細道旅立ち三百年記念句碑」という石碑を見つけました。
松尾芭蕉が、有名な奥の細道への旅立った時期から三百年が経ったことを記念して、句碑を建てたのだろうと理解しました。
万年橋の北側を散策していて、芭蕉関連の史跡を巡っていた際に、偶然、目にした石碑です。
なんとなく、偶然なのか、それともそういう運命にあった必然なのか、判然としませんが、良き想い出になったことは、事実です。
その後、仙台堀川に行き、芭蕉の採茶庵跡を見ることができました。
採茶庵跡の北側に、芭蕉俳句の散歩道という小路がありました。
まさに、芭蕉が奥の細道で訪ねた場所場所での句が掲げられていました。
これは、偶然ではなく、多分、必然なのでしょう。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
芭蕉庵史蹟展望庭園は、芭蕉翁の像を中心に隅田川と小名木川周辺を展望する庭園です。
投稿日 2019年12月30日
総合評価:3.5
芭蕉庵史蹟展望庭園は、芭蕉翁の像を中心に隅田川と小名木川周辺を展望する庭園です。
隅田川と小名木川の合流点に在り、隅田川の橋梁を含めた隅田川の景観を楽しむことができる広大な庭園です。
訪れたのは、昼間でしたので、夜間の光景については、想像だけなのですが、とてもきれいだと感じられます。
特に、橋のイルミネーション飾りが点いているときは、圧巻ではないでしょうか。
想像するだけでも、胸がわくわくする感じがします。
庭園の中心には、芭蕉翁の像が置かれていて、その周辺には、芭蕉が訪れた場所や有名な句の舞台の場の風景が絵が描かれているパネルが置かれています。
水の流れを模したせせらぎが設けられていて、気持ちが和みます。
広い庭園は、小名木川から隅田川に接して湾曲した形になっていて、詩集を展望することができる設計になっています。
万年橋や清洲橋を始めとして、隅田川に架かる橋を展望することができ、とても気持ちの良い庭園です。
階段がありますので、足の不自由な方には、ややつらいかもしれません。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
江東区の常盤にある芭蕉記念館に関しては、3ケ所の場所が関連しています。
投稿日 2019年12月30日
総合評価:3.5
江東区の常盤にある芭蕉記念館に関しては、3ケ所の場所が関連しています。
もともとの芭蕉記念館の発祥の地は、現在の芭蕉稲荷神社のある場所でした。
つまり、大正時代の津波の後の芭蕉庵の確認により、芭蕉の偉業を顕彰する記念館が設立されることになり、芭蕉庵の場所に記念碑が設置されたようです。
しかしながら、芭蕉庵の跡地は、狭隘であったため、芭蕉遺跡保存会としては、北側に記念館を建設しました。
また、芭蕉庵の跡地の近くに、芭蕉記念館分館を建設しました。
このため、現在も芭蕉記念館に関連する場所としては、3ケ所が挙げられています。
今回は、交通の便の良い最初の芭蕉記念館の石碑のある芭蕉稲荷神社と芭蕉記念館分館を訪れました。
今後、北側の芭蕉記念館を訪れる予定です。
いずれにしましても、芭蕉稲荷神社に在る芭蕉記念館の石碑と芭蕉記念館分館は、地下鉄の駅に近く、芭蕉記念館関連の3ケ所を最初に訪れる場所としては、手頃の場所と考えられます。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
正木稲荷神社は、万年橋の北側に位置している神社です。古くは、征木稲荷と呼ばれていました。
投稿日 2019年12月30日
総合評価:3.5
正木稲荷神社は、万年橋の北側に位置している神社です。古くは、征木稲荷と呼ばれていました。
正木稲荷神社の境内にある石碑によると、正木稲荷神社の由緒としては、天保5年
(1834年)の創設とのことですから、江戸時代半ば頃から深川の地にあったことになります。
昔は、境内に柾木の大木があったので、征木稲荷神社の社名がつけられたそうです。
その後、正木稲荷神社と名称があらためられ、できものに効験があるとされています。
正木稲荷神社は、敷地も広くなく、簡素な造りですが、場所的に隅田川と小名木川の合流点にあるため、交通安全の願いのもと、信仰を集めていたようです。
万年橋から、やや下がっていることもあり、水難の懸念があるかもしれません。
隣には、芭蕉記念館の分館があり、はす向かいには、芭蕉稲荷神社も近い関係にあります。
江戸時代の「本所深川絵図」の古絵図には、マサキイナリとの文字が見られ、古絵図の印刷が文久2年(1862年)版であることから、かなり古い時代からの歴史と伝統を誇る神社です。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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芭蕉稲荷神社が、深川の万年橋の北側にあります。芭蕉庵の跡地になります。
投稿日 2019年12月30日
総合評価:3.5
芭蕉稲荷神社が、深川の万年橋の北側にあります。芭蕉庵の跡地になります。
松尾芭蕉が、晩年に過ごした芭蕉庵は、芭蕉の没後に大名屋敷になりましたが、津波の後、芭蕉が好んでいた石造りの蛙が見つかったことから、この場所に、地元の有志が、芭蕉稲荷神社を建立したと伝えられています。
芭蕉稲荷神社は、狭隘な敷地の中に簡素に造られています。しかしながら、いろいろな石碑が数多く、置かれています。その中でも、芭蕉のいろいろの活動を記念する碑が、目につきます。
芭蕉遺跡保存会が設置している芭蕉記念館関連の石碑や案内板等も置かれています。
稲荷神社というよりも、芭蕉稲荷神社全体が、芭蕉記念区画となっているようです。
周辺には、芭蕉に関する記念館、史蹟展望公園、芭蕉通り等があります。
また、各種の名所が集まっている他、近くには地下鉄の駅もあり、これらのことから名所旧跡巡りをするには、芭蕉稲荷神社を起点とすることが、効率的かもしれません。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
史蹟「芭蕉庵跡」との石碑が、芭蕉稲荷神社の境内の中にあります。万年橋の北側です。
投稿日 2019年12月30日
総合評価:3.5
史蹟「芭蕉庵跡」との石碑が、芭蕉稲荷神社の境内の中にあります。万年橋の北側です。
万年橋通りの北側には、たくさんの松尾芭蕉関連の史跡が点在しています。
芭蕉遺跡保存会が、史蹟「芭蕉庵跡」の石碑の横に立てた解説板によると、松尾芭蕉は、現在、芭蕉稲荷神社のある場所に、没するまで深川芭蕉庵と称して、住んでいたようです。
その後、当地は、大名屋敷となりますが、東京府が、大正初期に、深川芭蕉庵跡として指定しました。
奥の細道の関連もあり、芭蕉が住んだ庵は、各地にあるようですので、それぞれの地名を冠して○○芭蕉庵と称しているのでしょう。
深川芭蕉庵は、石碑ばかりでなく、浮世絵の世界でも、数多く描かれています。
いずれにしましても、深川の芭蕉稲荷神社の境内の中にある史蹟「芭蕉庵跡」の石碑が、芭蕉庵の一つであることには、間違いないようです。
史蹟「芭蕉庵跡」との石碑の周りには、いろいろな石碑が多数置かれていて、確認するだけでも大変です。訪問前に勉強してから行くことをお勧めします。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
万年橋の北側に、「ケルンの眺め」という碑が、立てられています。清洲橋が眺められます。
投稿日 2019年12月30日
総合評価:3.0
万年橋の北側に、「ケルンの眺め」という碑が、立てられています。清洲橋が眺められます。
碑文の説明によれば、碑のある場所から見た清洲橋の様子は、ドイツのケルン市にある吊り橋に似ているとのことです。
碑の位置からは、清州橋の東側が、ビルにより遮られて見えません。
清洲橋の全体を眺めるためには、もっと隅田川沿いに移動して、松尾芭蕉翁の像の近くに行けば、清州橋全体が見られます。
ビルが建てられる前には、角度的に、ケルンの吊り橋が、隅田川の水面に映えて、雄大に見えたのかもしれません。
清州橋は、ケルンの吊り橋を参考にして、設計されたとの話を聞きましたので、その姿と完成した清洲橋の様子を、隅田川と重ね合わせて、イメージしたのでしょう。
ケルンの吊り橋を見たことが無いので、そんなものなのかなあと感じています。
ケルンの吊り橋の写真を碑の一部にでも添えると、碑文の意味が伝わったのではないかと思い、残念に感じております。
なにか、すっきりできない碑でした。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 2.5
-
本誓寺は、深川の地にあり、清澄庭園の北側で、永い歴史と伝統をもつ浄土宗のお寺です。
投稿日 2019年12月29日
総合評価:3.5
本誓寺は、深川の地にあり、清澄庭園の北側で、永い歴史と伝統をもつ浄土宗のお寺です。
本誓寺は、江戸開府前後に創設されている浄土宗のお寺です。
大田道灌の4代後の孫が開祖になっています。
つまり、清澄庭園が造園される約300年前から、ここ深川大工の地にあったことになります。
今回、本誓寺を訪れ、寺院の格と役割りについて、認識を新たにすることになりました。
大変、勉強になりました。即ち、本誓寺の寺院としての格式と宗派組織内における役割について、勉強しました。
本誓寺の格式は、壇林であり、かつ江戸の浄土宗触頭の役割を持っていたとのことです。
壇林とは、寺院の格式である十三の格のうち本山、門跡に次ぐ、三番目の格式ということとなり、触頭とは、宗派内の上意下達の手続きの伝達と宗派内の統制を司る寺院の役割のことでした。
清澄の地の本誓寺の外見では、計り知れない格式と役割について、知ることができました。
やはり、現地に赴くことで勉強のきっかけを得るという原則を再確認することができました。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
清澄公園の時計台は、とても有名のようで、各種のデザインで、あちこちに使われているようです。
投稿日 2019年12月29日
総合評価:3.5
清澄公園の時計台は、とても有名のようで、各種のデザインで、あちこちに使われているようです。
この時計台は、もともとは、火災の多かった江戸の町において、火の見櫓として使われていた櫓に、時計を付けたことから、江戸の町の風物詩となって行ったように感じられます。
火の見櫓は、いろんな方向から見えることから、時刻を知らせる時計台に使われるようになっとかが得られています。
東京となっても、江戸の風物詩としての思いは、引き継がれていったようです。
いろいろなデザインの時計台がありますが、清澄公園の時計台のデザインは、あちこちで見受けられます。
深川江戸資料館に行く際、気が付いたのですが、歩道の敷石の絵に、清澄公園の時計台が決まれているのに、驚きました。
なかなか良いアイディアかと思います。
清澄公園の時計台は、清澄公園の入口を入ると、右手方向の場所に立てられています。
公園敷地の清州橋通り寄りの北端部付近に立てられています。
目につく施設なのですぐわかります。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
清澄通りは、清澄庭園や地下鉄清澄白河駅の傍を南北に走る都道の愛称です。
投稿日 2019年12月28日
総合評価:3.5
清澄通りは、清澄庭園や地下鉄清澄白河駅の傍を南北に走る都道453号線の愛称です。
清澄庭園や地下鉄清澄白河駅の傍を東西に延びる清洲橋通りと交差しています。
いずれも幹線道路であり、交通量の多い通りになっています。
そもそも清澄という名称は、江戸時代、干潟であったこの地帯を開拓した8人の先駆者の内の1人であった清住弥兵衛という人の名前に由来しています。
当初は、弥兵衛町と呼ばれていましたが、その後の町名変更で清住町となったそうです。その後、清住は、出身地の清澄村に変わっています。
徳川家康の江戸開府に伴い、開拓の先駆者の名前が、現在も残っていることに、ロマンを感じます。
同じように、開拓の地北海道に、開拓者の出身地の地名が数多く残されているのと同じ理由のようです。
いずれにしても、最初の事業は、いろいろ苦労が多いことでしょうが、歴史に名を残すという観点からは、大きな意義が感じられます。
いろんな面で安定してしまった社会では、望むことが難しいロマンかもしれません。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
川船番所跡は、隅田川と小名木川の合流点に置かれた水上路の関所で、万年橋の北側にありました。
投稿日 2019年12月28日
総合評価:3.5
川船番所跡は、隅田川と小名木川の合流点に置かれた水上路の関所で、万年橋の北側にありました。
徳川家康により開削された小名木川は、水上交通路として発達していきますが、隅田川の合流点に、川船番所が設けられ、行き交う船の積み荷を検査することとなりました。
弓矢等の武器も備えられていて、検査のための拠点になっていたようです。
後に、東側の中川口に移転したようで、万年橋の北側の番所は、元番所跡と呼ばれるようになったそうです。
現在は、江東区教育委員会の解説板があるだけです。
万年橋通りの西側の広場に、立てられています。
江東区教育委員会の解説板の地図には、日本分国図(正保国図)武蔵国(国立公文書館蔵書)の地図が記されていて、隅田川と小名木川と合流点付近に番所跡があります。
江戸時代のかなり古くから存在していたことが判ります。
これらのことから、当時は、小名木川の水運が大変重要だったことが判ります。歴史と社会文化の変遷が判り、大変勉強になりました。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
万年橋通りは、深川の萬年橋を通る通りを言います。松尾芭蕉関連の史跡が多い通りです。
投稿日 2019年12月27日
総合評価:3.5
万年橋通りは、深川の萬年橋を通る通りを言います。松尾芭蕉関連の史跡が多い通りです。
万年橋通りは、萬年橋から南北に延びている通りで、ほぼ隅田川の東側に並行しています。
江戸時代は、直接、隅田川に沿って延びていましたが、現在は、少し東側に距離を置いています。
万年橋通りの印象としては、あまり人通りが多くありません。
江戸時代の浮世絵では、多くの江戸の住人が、往来している絵が多いのですが、現在は、あまり人を見かけません。
松尾芭蕉関連の史跡が、数多くあるのに、不思議な感じがします。
実際、萬年橋通り沿いに、各史跡を廻ってみましたが、あまり参拝客等は、おりませんでした。
反面、江戸資料館や博物館には、かなりの人が来ていましたので、この地域を訪れる人達が、全般的に少ないわけではありません。
なにか人を引き付けるものがあるのではないかと考えています。
多分、能動的な動機づけの有無が、ポイントかもしれません。
一例ですが、松尾芭蕉の俳句創り体験とか俳句の舞台となった名所巡りとかはどうかと思っています。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
萬年橋は、隅田川と合流する小木名川河口の橋です。江戸時代から名所として有名だったようです。
投稿日 2019年12月27日
総合評価:3.5
萬年橋は、隅田川と合流する小木名川河口の橋です。江戸時代から名所として有名だったようです。
周辺には、松尾芭蕉関連や水運に関連する史跡が多くあります。
いろいろな浮世絵や地図に、登場しています。
つまり、多くの人々が集まったり、交通の要衝だったことがうかがえます。
松尾芭蕉の史跡が多く見られます。芭蕉稲荷神社、芭蕉翁の像、芭蕉史蹟展望公園、芭蕉記念館等があります。
川船番屋跡、ケルンの眺め等の水運交通関連の史跡もあります。
江戸時代には、両国や木場に近い深川の地にあって、萬年橋周辺には、多くの人が集まって来たようです。
現在では、清澄庭園があり、また相撲部屋や寺院が多く、人や車の往来の切れ目がありません。
現在の萬年橋は、鉄骨造りの頑丈な橋になっています。
周辺には、清州橋や両国橋、永代橋等があり、それぞれ特徴のある橋となっています。
永い歴史のある萬年橋ですが、なぜか寂しい感じがします。
萬年橋の橋の色なのでしょうか?
昔の活気を取り戻して欲しいと感じています。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
深川芭蕉通りは、萬年橋の北側にあり、芭蕉稲荷神社や芭蕉記念館の東側の通りです。
投稿日 2019年12月26日
総合評価:3.5
深川芭蕉通りは、萬年橋の北側にあり、芭蕉稲荷神社や芭蕉記念館の東側の通りです。
小木名川の北側に並行に走る通りです。
南北に走る萬年橋通りと清澄通りを、東西に結ぶ関係にあります。
住所で言いますと、常磐1丁目と常盤2丁目を通っています。
現在は、小名木川の高橋の名前を取った高橋商店街との名称ですが、商店は多くありません。
なんとなく殺風景な通りです。
江戸時代の安政改正御江戸大絵図を見て見ますと、永代橋の北側の水路に、タカハシ(高橋)や清澄庭園の近くの浄心寺の名称が記載されているのを確認できます。
その江戸時代の古絵図から、深川芭蕉通りが判ります。
深川芭蕉通り自体は、江戸時代から残っているのが判りました。
芭蕉稲荷神社や芭蕉記念館ができたのは、もっと後の時代になってからなのでしょう。
芭蕉通りには、伝統と歴史のありそうな酒屋さんがありましたが、年季の様子てから、江戸時代からの老舗なのかもしれません。
しかしながら、清澄通り沿いを除き、人通りも多くなく、寂れているのかもと感じています。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0











































































































































































































