壮絶な治水工事を今に伝える
- 4.0
- 旅行時期:2018/01(約8年前)
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by mikuwankoさん(男性)
安八・海津 クチコミ:4件
江戸時代に薩摩藩が幕府から木曽三川治水工事を命じられた時、工事責任者であった家老の平田靱負が祭神の神社です。ただでさえ難工事であるのに幕府による度重なる嫌がらせを受けて工期の遅れが生じ、薩摩藩の財政に大打撃を与えただけでなく、自害51名、病死33名という多大な犠牲を払いました。そのため責任をとって平田靱負は、今も残る油島千本松締切堤の完成後に自害しました。重圧に押しつぶされそうになりながら工事をやり遂げた関係者に敬意の念をもって参拝しました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2020/03/05
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