mikuwankoさんのクチコミ(42ページ)全1,741件
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
総合評価:3.0
もともとは、両国駅北側に広大な土地を抱えていた江戸幕府の御竹蔵に建てられた神社で、兼春稲荷という名前でした。御蔵橋跡から国技館と旧安田庭園の間にかつて延びていた堀の水門の内側にあったそうです。その後、吉良邸に赤穂浪士が討ち入りに入ったため、吉良邸跡地に移り地所清めの神社となりました。さらに昭和に入ってからは、同じ吉良邸跡でも本所松坂町公園となった現在地に遷座し、松坂稲荷大明神となりました。朱塗りの鳥居と小さな祠がありました。吉良邸跡は、著名な観光スポットなので、入れ替わり立ち替わりお参りする人が見られました。
- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 2.0
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
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投稿日 2020年04月18日
総合評価:3.0
秋田城外にあるものの秋田城とともに史跡指定を受けている地域にある神社です。社名標には、「國幣」とありかなり格式の高い神社であることがわかりました。伝承では658年に創建とされていますが、秋田城の築城が733年ということを考えると果たしてこれはどうかなと思います。拝殿の木鼻、頭貫、手挟の彫刻が素晴らしく見入ってしまいました。また、境内社に坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に先勝祈願を行ったとされる田村神社がありました。ウミガメの甲羅が多数奉納されており、不思議な感じがしました。
- 旅行時期
- 2019年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年04月17日
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投稿日 2020年04月17日
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投稿日 2020年04月17日
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投稿日 2020年04月18日
総合評価:5.0
世界文化遺産登録を目指す北海道・北東北縄文遺跡群の構成遺跡である御所野遺跡の出土品が多数展示されている博物館です。展示室内には床がガラス張りになった場所があり、足元には意図的に燃やしたとされる竪穴住居の遺構を検出時そのままの姿で見ることができます。炭化してしまった住居の建材や石組みの炉跡などがしっかりと見て取れました。この遺構との調査から竪穴住居の屋根の上に土をかぶせていたことが判明したという成果を上げています。これについては、ガイドビデオや展示で詳しく説明されています。また、縄文期最大の魅力である土器や土偶といった土製品の展示もふんだんにあり、歴史好きにはたまらない施設です。ほかには、郷土資料の展示もあり、浄法寺歴史民俗資料館で写真撮影できなかった浄法寺塗関連の展示を撮影することができたのもよかったです。
- 旅行時期
- 2019年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2020年04月17日
総合評価:4.0
市内の遺跡から発掘された出土品の展示と九戸城に関する展示を見ることができます。どちらかというと九戸城関連の展示がメインになっています。九戸城の立体模型や紹介映像があるので、九戸城の訪問の際にセットで訪れと良いかと思います。埋文関連の展示では、縄文期の上里遺跡の展示が興味深かったです。食料貯蔵庫を転用した土壙墓から7人の人骨が出土しており、その復元展示がありました。外傷が無いことから一家7人が毒キノコを食べたことで食中毒死したと考えられているとのことです。また、夫婦と考えられている男女は身体的なハンディキャップを持っていたことが骨の分析からわかっており、集落の人たちに支えられながら生活していたと考えられているそうです。これと同様の展示は、北海道の入江・高砂貝塚館でポリオに罹った若い女性の埋葬人骨に関するものを見たことがありますが、そこでも手厚い介護を受けていたことがわかっています。縄文期の人々の暮らしの一端を垣間見ることができたような気がしました。
- 旅行時期
- 2019年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2020年04月08日
総合評価:4.0
創建は728年、開基が行基と伝わる東北随一の古刹です。しかし、文献資料等は残っていないので、実際のところはどうなのかわかりません。仏像の特徴から10世紀にまでさかのぼることができるそうです。そんな古刹ですが、廃仏毀釈の嵐が吹く中、このお寺も例外ではなく、壊滅的な被害を受けており、檀家が匿ってくれた仏像が辛うじて残っています。また、戦後には悪徳業者に騙され、境内に幹の部分が保存されている姥杉サイズに匹敵する杉の巨木が大規模に伐採されたりと荒廃に拍車をかけました。境内には、申し訳程度の小さな祠が多数点在し、かつてはここに伽藍があったんだなということが推察できました。能登の石動山をを思い浮かべるような場所でした。現在は、中尊寺の貫主が当時の住職を兼任し、復興の途上にあります。重要文化財の本堂と仁王門は改修中で覆いが被せられ、その姿を見ることができませんでした。しかし、本堂裏の宝物殿は入ることができ、重文の木造聖観音立像をはじめとする仏像や多数の能楽面、懸仏などを見ることができました。
- 旅行時期
- 2019年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0























