壁ぎわさんのクチコミ(17ページ)全980件
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投稿日 2015年10月31日
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投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.0
東山の路地にある、3代続いたグリルです。
コック服を着たご主人と、気の良い女将さんの老夫婦がやっているカウンターだけのお店です。
オムライスやカツなどがメインで昼のお弁当も、リーズナブルに味わえます。
何も宣伝してないのに、口コミで外国の人が大勢来るようになって 半分近くが外国の人ですと、外国の人にだけネットで出ているんでしょうかねぇと。
寡黙に見えたご主人も慣れるとぽつぽつ話し始めましたが、病気してあと何年もつか判らんが、跡取りがおらんから続く限り頑張ると。
夜8時まで食事だけでも訪れることができます。
穴場のグリルでした- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.5
- 観光客向け度:
- 4.5
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投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.5
東山、祇園の南にその名があまり有名ではありませんが大き寺があります。
それが大きな敷地を持つ臨済宗建仁寺派総本山の建仁寺です。
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
それだけ信頼された寺で室町時代でも京五山を作った時に第三位としてまつられ。
江戸期においても手厚くもてなされました。
明治の新政府の方針で 半分寺の敷地は取られましたがそれでも広大な敷地を持つ寺のままです。
善の体験や竜の絵が見られます。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2015年10月30日
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投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.0
八坂の塔は通称で、法観寺」名前です。
奈良の法隆寺などと共に聖徳太子が五重塔を建てたのが始まりと言われています。
この法観寺の五重塔は京都最古の塔とも言われています。
そのあと広大な敷地にお寺が広がっていたそうですが、衰退や焼失の後、現在は再建された五重塔の周りに建物が少しだけ残るだけとなっています。
京都東山ののシンボルとも言われる八坂の塔は高さ46m。
五重塔では京都東寺・奈良興福寺の五重塔に次ぐ高さで、現在のものは室町時代の1440年、足利六代将軍義政により再建されたもので国の重要文化財に指定されています。
現在内部化公開されていて、壁画と仏像が見ることができます。
京都の記念写真撮影にどうぞ。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年10月30日
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投稿日 2015年10月30日
総合評価:4.5
京都の東山で、一番人気は何といってもこの清水寺でしょう。
参道の坂にまで名前がついて、そこの来る人を楽しませています。
清水寺は777の翌年778に建立され 780年に最初の征夷大将軍になった坂上田村麻呂が伽藍を建立したました、今の伽藍は江戸時代三代将軍家光時代の物です。
本尊の観音菩薩像は 手を合わせている以外に40本の手を持ちそれぞれが25観音霊力を持っていると言われ、千手観音菩薩像と言われています。
ことわざにもなっている清水の舞台は絶景です、また音羽の滝や奥の院も境内にあります。- 旅行時期
- 2015年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2015年10月29日
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投稿日 2015年10月29日
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投稿日 2015年10月29日
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投稿日 2015年10月26日
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投稿日 2015年10月24日
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投稿日 2015年10月24日
総合評価:3.5
松江城二の丸にある洋風建築の建物です。
明治時代に造られた洋風建築の建物です。迎賓館として大正天皇が泊まった事もあるとか。
平成25年より工事がされていて 音連れた時にはほぼしい上がっており 来月(平成27年10月3日)よりオープンです。
中は無料で 二階の大広間のみ有料で貸し切りができるそうです。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 友人
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投稿日 2015年10月24日
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投稿日 2015年10月23日
総合評価:3.5
松江城二の丸にあるのが松江神社です。
御祭神が 松平直政公(松平初代藩主)一番頑張った藩主松平治郷(不昧)公(第七代藩主)堀尾吉晴公(松江開府の祖)と 徳川家康公です
松江のオールスターと徳川家康と言う神社です
もともとは 明治十年に旧松江藩の人々によって、川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政公を御祭神として楽山神社が創建されました。
寛永五年(1628年)西尾(現松江市西尾町)に創建した東照宮を明治三十二年に合祀し当地に御遷座松江神社と改称されました。
又昭和六年に
松江開府の祖 堀尾吉晴公
松江藩中興の名主 松平治郷(不昧)公を配祀し四神をまつる神社になっています。- 旅行時期
- 2015年09月
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投稿日 2015年10月23日
総合評価:4.5
通り過ぎるだけの観光客にはもったいない所です。
小さいけれど、庭毎にその趣を変え、デスクのあるところからは小さいながらも借景を借りて奥行きも見せるような良い庭です。
日本人の心を持った八雲の渾身の庭ですね。
ぼ~っと15分座っていても、秋の来ない庭でした。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年10月23日
総合評価:4.0
松江城の堀の中 白の北側にある神社です。
城の裏手から北側に降りていくと 小山の上にあります、そこまで続く城の中なのに階段の長さに驚きます。
上がると神社を取り巻くように、壊れたものもふくめて千体のキツネがあります。
もともとは、家康の孫である松平直政が松江に来たとき、
枕元に一人の美しい少年が現れたという。
その少年は「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門です。
城内に私の住む場所をお作りくださるなら、城内の建物はもちろん、江戸のお屋敷まで火事からお守り致しましょう」と告げて消えた。
そこで直政は城内に稲荷神社を建てたと言われている。
そのことからここの神札は火難除けとして、町中のどの家にも貼られていたようで、小泉八雲(ラフカディオハーン)もこの神札が「松江の唯一の防火設備」と話をしている。
そんないわれのある神社です。
このことを知って参るか、知らずに参るかで ここの地の好感度が変わりますね。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年10月23日
総合評価:3.5
松江の地に1年3ヶ月暮らして、妻の話を書きとどめながら 民話から怪談へと色々な作品を書き残してきた小泉八雲(ラフカディオハーン)の記念館です。
使われていたものや、書かれた本など 色々と陳列してありましたが写真撮影は禁止でした。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2015年10月23日
総合評価:4.0
国宝松江城です、堀の入り口からも総距離がないのがありがたい。
内部の急な階段はそのままですが、鎧兜や刀剣、巻物など写真撮影がまだ可なのがうれしいところです。
天守閣からは宍道湖まで眺められます。
城に入ると駐車場の割引もあるのがいいですね。- 旅行時期
- 2015年09月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年10月22日
総合評価:4.0
松江藩主の菩提寺、それぞれ墓でなく廟をしつらえてありました。
7代の廟には、小泉八雲が書いた人食い亀の石像があり そこを見学する人が多かったようです。
その話は 松平家の藩主が亡くなった後、亀を愛でていた藩主を偲んで大亀の石像をつくった。
ところが、この大亀が夜になると城下で暴れ人を食らうようになった。
困り果てた住職が深夜、その大亀に説法をすると、大亀は涙を流して住職にこう頼んだという。「わたしにもこの奇行を止められません。貴方にお任せいたします」。
そこで亡くなった藩主の功績を石碑に彫り込み、その石碑を大亀の背中に背負わせてこの地に封じ込めた。- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 友人