ごーふぁーさんへのコメント一覧全69件
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先日はいいね!ありがとうございました
何とも渋い項目に頂きありがとうございます。ところでリンクに入って続くをクリックすると「ウィルスに感染しています」のメッセージが出ました。すぐに消えたので悪質性は薄いとも考えられますが、念のためお知らせしてきます。
ついでに付け加えると、私にとっては近くに位置するマレーネ・ディートリッヒ広場やフィルムムゼウムに興味があります。 -
アナログレコード好き
旅の途中でついレコード屋さんを探してしまうのは私も同じです。
2019にヨーロッパを巡った時もドイツ、イギリス、フランスギリシャ、イタリアなど行った街でほとんどレコード屋さんには行きました。アムスでは小便小僧の次ぐ向かいにお店があったのを思い出します。どの店も日本と同じくらいの価格だったように思いました。思いレコードを抱えて旅をするのは無理なので、欲しいものがあってもグッと我慢して見るだけとしました。最後の訪問国であったイギリスでたまたまやっていたレコードのオープンマーケットで少しばかりEP盤は買ってしまいました。
最近よく行っている台湾にはクラシック盤のいっぱい在庫のあるレコード屋さんがありましたよ。日本盤が多い様でしたが凄い量でした。もし機会があれば是非立ち寄りください。
https://maps.app.goo.gl/NkXmYzsg6G7ZwQuE6?g_st=ipc -
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ロッテ・レーニャ
ごーふぁーさま、おはようござます。
ロッテ・レーニャは日本では歌手としは殆ど無名で、寧ろ、戦後の007シリーズで「ロシアより愛をこめて」で旧ソ連軍大佐でスペクターの工作員役として、当時は中性と称された晩年の認識ぐらいの人物でした。
20年程前ですが、某レコード会社からロッテ・レーニャの復刻盤を発売したいが独グラモフォン社に原盤が無いという事で、小生のドイツ製78回転盤コレクションを貸して発売に至った経緯がございます。
クルト・ヴァイルなんて、当時のナチスの観点から見れば、ヒンデミットの作品同様、退廃芸術の典型だった存在で、ナチスが政権を取得した2年後たる1935年以降は徹底的に排除された存在でした。
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レオ・ボルヒャルト
ごーふぁーさま、こんばんは。
旅行記を拝見させて頂きました。
レオ・ボルヒャルト、ベルリン陥落直後にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との演奏会開催の為に奔走中に狙撃され死亡した指揮者でしたね。
当時は、フルトヴェングラーは亡命中、主だった指揮者が不在中に生き残った楽団員を集め、ようやく演奏会開催の矢先だった事件で、ボルヒャルトが存命なら、恐らくチェリビダッケと共に、ナチス党員容疑で連合軍から演奏禁止命令を受けたカラヤンやベームの再登場までの期間、人気を二分したものと思われます。
ボルヒャルトは録音が少なく、1932年にドイツテレフンケンに録音された2曲に10インチ78回転盤3枚組で チャイコフスキー組曲くるみ割り人形が有り、さっぱりとした演奏が印象的です。
また、戦時中の放送用ワイヤー録音で、ペーター・アンダースなどのソリストを迎え、ロルツィングの歌劇皇帝と船大工全曲がLP時代にドイツ・バスフ社から発売さておりましたが、現在ではカタログから消えている様です。
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楽劇 火の危機
ごーふぁーさま、おはようござます。
ドレスデン国立歌劇場の旅行記を拝見させて頂きました。
リヒャルト・シュトラウスの楽劇で、火の危機 と ダナエの愛 は録音も上演も稀な作品で、小生のコレクションでも、火の危機の録音は、90年前のローベルト・ヘーガー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏の間奏曲だけしか無く、まして上演など体験もございません。
羨ましい限りです!
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フォローに感謝
ごーふぁーさまへ
初めまして、ゆるてつともうします。
フォローを頂きありがとうございます。
拙の旅行記でどこかお気に入りの部分がありましたか?
ハーレーダビッドソンかっこいいですね。
昔ラスベガスでハーレーの集団を見ましたがこれぞアメリカって感じがします。
素敵な旅行記を投稿続けて下さい。
ゆるてつもよろしくお願いいたします
('▽')/byゆるてつ
2023年09月08日21時56分返信する -
さすがに音楽の都ですね。
ごーふぁーさんこんばんは! masamimです。
ウィーンに行かれたんですね。うらやましいです!
ウィーン、さすがに音楽の都ですね・・
>ウィーン フィルハーモニー管弦楽団による非公開のゲネプロ(通し稽古)を見学することができた
ゲネプロって面白い(表現が稚拙すぎ^^;)ですよね。
拝見しながら昔のことを思い出してました。
以前にオペラ公演のゲネプロを見たことがあるんです。
てっきり本番と同じに歌い演じるのかと思ってたんですが・・
バリトンの歌手を見てびっくりしました。
大きく肺に息を吸い込むのは同じ、動きも一緒なんですが、
声量はセーブして本番に備えてる感じでした。
しかし、ウィーンのムジークフェライン(楽友協会)大ホールは日本ではまねのできない美しいホールですね・・
音響も、さぞ素晴らしいんでしょうね・・
>この楽友協会とウィーンフィルハーモニー管弦楽団の全くの異なる歴史と経緯。
こういうことってまったく知りませんから、とても参考になりました。
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1979年のニューイヤーコンサート
ごーふぁーさま、こんにちは。
旅行をいつも興味深く拝見させて頂いております。
小生、英国留学中の1979年元旦のニューイヤーコンサートのチケットが有るからとオーストリアに飛びコンサートを聴いております。
ボスコフスキー最後のニューイヤーで、あの時に初めて最後のラデッキー行進曲演奏時に手拍子が導入され、手拍子を行う際に間違えてはならぬと緊張した記憶が残っております。
あれから44年も経ってしまいました。
横浜臨海公園



