河内温泉大学名誉教授さんのクチコミ(42ページ)全897件
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投稿日 2014年09月05日
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投稿日 2014年09月05日
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投稿日 2014年09月05日
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投稿日 2014年09月05日
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投稿日 2014年09月05日
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投稿日 2014年09月05日
総合評価:5.0
岬を巡る街路が狭くて生活に困るという住民の声から、岬に橋を架けようという意見と、景観保護から反対という意見が分かれて論争となっている町です。
私が現地を拝見しての意見では、この程度の不便さは辛抱する値打ちがあると思いました。利便だけを追求していては、町が持っている便利さでは買えない価値を捨ててしまいそうな気がします。まして、それがコンクリートの橋だなんて、何とか踏みとどまっていただきたいものです。- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 景観:
- 5.0
- この不便さが良いのだが、毎日暮らすには大変でしょうが
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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孝謙天皇がここに来るのは、歴史を見ても無理があるようだが、ロマンがあって良い
投稿日 2014年09月05日
総合評価:5.0
孝謙天皇がこんな処でご登場でありますか。孝謙天皇は大伴家持と同じ年に生まれていますので、天平宝字2年(758)なら41歳ですな。この年の8月に淳仁天皇に譲位していますから、太上天皇となってからこちらに向かったのですかな?。
しかし、8年間もこの地に滞在したとありますが、764年に仲麻呂の乱が起きていますから、これはありえないでしょうな。
孝謙さんが8年もこの地にいたのなら道鏡さんと親しくなる機会がないのでは・・それとも道鏡さんも同行しましたかな。そうすると、道鏡とのことを諌めた淳仁天皇は、はるばる長野までやって来て意見したことになりますね。
湯気ならぬ弓削の道鏡もビックリでしょう。- 旅行時期
- 2012年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- あの道を辿って行くことにこそ、温泉が研かれるのかも
- 泉質:
- 5.0
- まあ良だ
- 雰囲気:
- 5.0
- 閑散としている
- バリアフリー:
- 1.0
- そんな言葉が無い時代の温泉ですから
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投稿日 2014年08月29日
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投稿日 2014年08月28日
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投稿日 2014年08月28日
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投稿日 2014年08月28日
総合評価:5.0
高校サッカーも関東へ持って行かれて、残ったのがこのラグビーだけです。地元の自治体では市有にしてワールドシリーズ誘致も目論んでいるとか。地元民としては、願っていますが、少々ヘボいのも難点と承知しております。地元民や関西上げての総力戦にしないと無理かな。
- 旅行時期
- 2012年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2014年08月28日
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投稿日 2014年08月24日
総合評価:4.5
大和(大和高田・御所周辺)の結婚式や法事等の慶弔や、旦那さん遊びの定番であったらしい。今では、結婚式場も別棟で持っていて、欧風料理を椅子席で食べさせてくれる。
3000円のランチだが、メインまで行き着くまでにおおよそ満腹になるほど。デザートも凝っている。- 旅行時期
- 2014年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 4,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 5.0
- 雰囲気:
- 5.0
- 料理・味:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 古い建物なので段差が厳しい
- 観光客向け度:
- 4.5
- 観光ルート上に無いので
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投稿日 2014年08月17日
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投稿日 2014年08月17日
総合評価:3.5
「寅さん記念館」は、寅さんに関する資料、映画のセット、そしてジオラマなど盛りだくさんですが、それぞれ展示がしっかりしているという。山田監督の意向も入っているんだと勝手な推量。ここが終われば次は「矢切りの渡し」となってファイナルを迎えるのでしょうが、前回渡しは渡っているのでパスすることとしました。
- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
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投稿日 2014年08月17日
総合評価:5.0
都心のホテルで迎えた朝、葛飾柴又見物に案内してくれるというGさん夫妻をピックアップに墨田区へ。閑静なマンションの中庭でお待ちしていると、聞き慣れたそして懐かしいお声が階段の上から。奥様とは初見ですが、挨拶もそこそこに柴又へ車を走らせます。
何処をどう走ったかはGさんと車のナビ以外は知らないまま、題教寺の駐車場に到着。土曜日だからなのか、何時でもなのか遠方からの車でごった返しています。山内に入っても同じ事。「斯様な場所でよく賽銭箱を盗んだ」などと時事ネタを奥様としゃべっていると、本堂へ促されます。
本堂では寅さん風に正座して、帝釈天を拝みます。奥様からは本堂を取りまく彫刻が素晴らしいとのご案内。従ってついて行きますと一枚板に透かし彫りで何やら教えに関することが刻まれています。意味もよく分からなく見ていると、滑稽な絵もあって作者の明らかに遊び心も読み取れます。
回遊式庭園を見学した後は、柴又駅まで200m程の帝釈天参道を進みます。映画では寅さんの生家をイメージしたという「高木屋老舗」が発展して、向かいにまで高木屋老舗が出来ていたり、以前来たときにはなかった元祖「とらや」(?)が出来ていたり。古いものにだけこだわっていないで、新しい力があってこそ、この参道の賑わいも次代へ受け継がれるのでしょう。- 旅行時期
- 2012年09月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2014年08月12日
総合評価:5.0
巨大旅館んの麓という感じだが、質はしっかりしたモノを持っておられる。その表現はお料理です。しっかりとコストが反映されているのは、味に伝わる。
温泉も小さいが、館が小さいのだからそれで良い。文句があるなら総湯にでも行きますか。- 旅行時期
- 2012年07月
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投稿日 2014年08月16日
総合評価:4.5
大坂冬の陣では参戦するも、肝心な所で遊郭遊びをして大失態を犯すというユーモラスな、薄田隼人の憤死した羽曳野市内に在るという墓を求めてMTB行に。陣中でお戯れ、と云うと少々不謹慎ですが、塙団右衛門は女性連れで参戦していたとも云われている。要は戦闘部隊としての体をなしていなかったのかも知れません。
その墓ですが、西名阪道路と近鉄南大阪線の交点、南西の農地と住居の混在する農道脇にあります。子孫の浅野家が墓を建てて、地元の羽曳野市に寄贈したようであります。50?程の用地に石塔や謂われ書き、大坂夏の陣跡の石柱などが配置されている。
この墓の直ぐ脇に「東高野街道」が通り、少し先にあるのが応神陵と誉田八幡宮ですから、夏の陣の中でも細かく分類すると「誉田の戦」で亡くなったと云うことでしょう。
午前の戦で後藤又兵衛が石川を挟んだ小松山で亡くなり、午後に展開されるのが道明寺そして誉田の戦。その後退去命令が下り、真田幸村などは陣を離れることになります。薄田隼人の墓は大阪市内にも在る。どれが本物と云うことでは亡く、縁者が思いを込めて寺に供養を願ったのでありましょう。- 旅行時期
- 2014年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2014年08月16日
総合評価:5.0
豊臣方の負け戦だったのですが、その中でも特に悲惨な、先陣争いによって消耗した戦だったようです。功を焦ると、しくじるという良い例かもしれません。ただ、当時の状況を察すると、我先に・・・という気持ちも良く理解できます。
泉佐野市南樫井という場所でありますが、ここに日枝神社があり元々は樫井城があったとも言われております。この神社から紀州街道を北に遡ると、まず、正法寺の山門脇に淡輪六郎兵衛の宝筐印塔がある。暫く進むと道の対則に塙団右衛門の五輪塔が祭られています。両者の供養塔が並ぶ紀州街道の東は樫井川が流れています。
共に、紀州和歌山藩の徳川方との争いに馳せ参じたわけですが、思い届かずこの地に果てた。戦の後縁者が供養のために建立とある。木村重成のように敵方が建立と言う物でも無いようです。今回はひょんな事から、泉州にある大坂夏の陣に関する戦績を巡ることが出来ました。- 旅行時期
- 2014年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
- 多分誰とも会わないだろう
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投稿日 2014年08月15日












































