大坂夏の陣誉田の戦で散った薄田の墓は戦場に
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- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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by 河内温泉大学名誉教授さん(男性)
富田林・羽曳野 クチコミ:16件
大坂冬の陣では参戦するも、肝心な所で遊郭遊びをして大失態を犯すというユーモラスな、薄田隼人の憤死した羽曳野市内に在るという墓を求めてMTB行に。陣中でお戯れ、と云うと少々不謹慎ですが、塙団右衛門は女性連れで参戦していたとも云われている。要は戦闘部隊としての体をなしていなかったのかも知れません。
その墓ですが、西名阪道路と近鉄南大阪線の交点、南西の農地と住居の混在する農道脇にあります。子孫の浅野家が墓を建てて、地元の羽曳野市に寄贈したようであります。50?程の用地に石塔や謂われ書き、大坂夏の陣跡の石柱などが配置されている。
この墓の直ぐ脇に「東高野街道」が通り、少し先にあるのが応神陵と誉田八幡宮ですから、夏の陣の中でも細かく分類すると「誉田の戦」で亡くなったと云うことでしょう。
午前の戦で後藤又兵衛が石川を挟んだ小松山で亡くなり、午後に展開されるのが道明寺そして誉田の戦。その後退去命令が下り、真田幸村などは陣を離れることになります。薄田隼人の墓は大阪市内にも在る。どれが本物と云うことでは亡く、縁者が思いを込めて寺に供養を願ったのでありましょう。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2014/08/16
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