1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 近畿地方
  4. 大阪
  5. 富田林・羽曳野
  6. 富田林・羽曳野 観光
  7. 薄田隼人正兼相の墓
  8. クチコミ詳細
富田林・羽曳野×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記

薄田隼人正兼相の墓

名所・史跡

薄田隼人正兼相の墓 施設情報・クチコミに戻る

大坂夏の陣誉田の戦で散った薄田の墓は戦場に

  • 4.5
  • 旅行時期:2014/07(約11年前)
河内温泉大学名誉教授さん

by 河内温泉大学名誉教授さん(男性)

富田林・羽曳野 クチコミ:16件

 大坂冬の陣では参戦するも、肝心な所で遊郭遊びをして大失態を犯すというユーモラスな、薄田隼人の憤死した羽曳野市内に在るという墓を求めてMTB行に。陣中でお戯れ、と云うと少々不謹慎ですが、塙団右衛門は女性連れで参戦していたとも云われている。要は戦闘部隊としての体をなしていなかったのかも知れません。
 その墓ですが、西名阪道路と近鉄南大阪線の交点、南西の農地と住居の混在する農道脇にあります。子孫の浅野家が墓を建てて、地元の羽曳野市に寄贈したようであります。50?程の用地に石塔や謂われ書き、大坂夏の陣跡の石柱などが配置されている。
 この墓の直ぐ脇に「東高野街道」が通り、少し先にあるのが応神陵と誉田八幡宮ですから、夏の陣の中でも細かく分類すると「誉田の戦」で亡くなったと云うことでしょう。
 午前の戦で後藤又兵衛が石川を挟んだ小松山で亡くなり、午後に展開されるのが道明寺そして誉田の戦。その後退去命令が下り、真田幸村などは陣を離れることになります。薄田隼人の墓は大阪市内にも在る。どれが本物と云うことでは亡く、縁者が思いを込めて寺に供養を願ったのでありましょう。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
5.0
バリアフリー:
2.0
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2014/08/16

いいね!:0

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP