横浜臨海公園さんへのコメント一覧(49ページ)全1,512件
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ありがとうございました。
横浜臨海公園さま
こんばんは。大変貴重なご意見ありがとうございました。
お父上の貴重な体験談、「生の声」を知らない戦後生まれの「机上の知識」しか持たない私には「思想論」にとらわれない「声」として記憶に留めたく思います。
「旅行記」と言うカテゴリーの中で「戦争を取り上げる」ことがこれほど難しいものだとは思いも寄りませんでした。勿論ビジュアルで見て来たことをまとめるだけなら易しいものだったのかもしれませんが、その背景を調べるのに「図書館」に出向き調べるも、先ず内容が難しくなってしまうため、平坦な文章にしようとweb検索を掛けると「まったく事実と異なるもの」と「思想論の応酬のもの」が良くこれだけ出てくるものだと閉口しました。横浜臨海公園さまのように「表現力」をお持ちだと言葉の言い換えもできるかもしれませんが、私にはそれだけの能力はありません。結果ひとつの感想文になってしまったというのが正直な本音です。
おっしゃるように「戦跡」を含めてなにか作為的なものが感じられます。旅行記にはさらりと書きましたが「映画」が、来館者数に大きな影響を与えている・・・、しかしそれをただ「反戦」のシンボル化だけのものとしていいのだろうかと思います。映画のビジュアル的な影響はただならぬものはありますが、それに感化されてしまうと「戦争そのものの美化」という解釈に懸念を感じてしまいます。ゲームでは呪文で死んだ人間が生き返ることを「本気」で信じている世代にとっては・・・。
多分ご存知だと思いますが、私が「?」と思った最初のことは、広島へ修学旅行で「平和教育」で行った中学生が、語り部の方に「死に損ない」と言った事件のことです。最初その話は「親の問題」と思っていました。でも複数の生徒が言ったことは、そのレベルではないように思います。新聞によると「語り部」の方は「抗議」をされたということですが、事実そうなんでしょうか?「その考え」に対して「哀れ」に思うことこそが本当なんじゃないかと私は思っています。ただ報道としては「記事になる」書き方をされるんでそれ以上のことは出てこないようにも思います。
高度成長期にお父上が「亡くなった戦友の分も働くんだ」とおっしゃったことこそが、「真の慰霊」ではと思います。数多くの慰霊碑を見てきましたが、「慰霊=忠魂」という繋がりがどうも自分なりにしっくりきていませんでした。しかしお父上の言葉をお聞きし、はっと思いました。「これ」だって。
すみません、本当に語彙力がないので「思ったこと」は多々あれど上手く伝えることができません。
上手く表現できない状態でまた懲りずに「戦跡を巡る旅」を書くと思います。読んで頂いてご意見して頂けることは本当に嬉しく思いますので、今後ともご指導よろしくお願い致します。
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみさんでした
2014年10月28日19時53分返信する拝復
たかちゃんティムちゃんはるちゃん・ついでにおまけのまゆみさんさま、おはようございます。
早速返信を賜りまして誠に有難うございました。
我が国では、大東亜戦争をして、戦後昭和20年代前半に於いて、自身の戦争体験が契機となって親米となるか反米となるか両極化し、新米イコール保守、嫌米反米イコール革新社共と化し、昭和20年代後半〜40年代に於ける大学紛争で、反権力を掲げた連中も該カテゴリーに含まれるでしょう。
当時学生運動を行った者たちで、一般企業に就職した連中は、我が国が戦後資本主義に基き経済成長した経緯を目の当たりにし、自身の学生時代の行動思想が誤りだった事に気づきます。
ところが、政府機関外の官公庁、なかんずく公立学校教師として就職した連中は、外部との接触が無に均しいが故に、外部に於ける時代の趨勢と変化を理解する事も反省する事も無く、40年以上前のエンシェントエイジの思想に拘泥し、児童生徒達に反戦を植えつけ来たのが、我が国の教育現場の実情です。
広島で被爆の語り部の方に暴言を吐いた生徒が在学した中学校こそ、報道こそされませんでしたが、職員組合が牛耳る極左教師の溜り場として知る人ぞ知る悪名高い存在でした。
兎に角、我が国では大東亜戦争をして極右か極左の判断がまかり通り、ノーマルで冷静な判断や思考が、ともすると脇にやられ、事実を歪める傾向が強いかと思います。
因みに、小生の被爆電車の旅行に、広島市役所横で被爆した651号電車の翌日の光景は、実は、横浜臨海公園の父の実見談でございます。
兎に角、このフォートラベルでも某コミュニティは、知る人ぞ知る反日の新興宗教のダミーで、横浜臨海公園などは、旅行記の上程の都度、誹謗中傷の対象の1としてターゲットあれておりますが、我が国国民として単純単細胞では無く、国際情勢を見極めた上での冷静な判断が求められて然りと考えております。
横浜臨海公園2014年10月29日08時32分 返信する -
ありがとうございます
熱海もみていただきありがとうございます。青春時代を共に過ごした友人たちと過ごした時間はとても楽しかったです。カラオケで歌う歌もその当時のものですから。今までは3年おきぐらいにあっていたのですが、 これからは命がいつまで続くかわからないとか言って 毎年会うことになりました。2014年10月23日23時28分返信する拝復
ポインセチアさま、おはようございます。
掲示板にメッセージを賜りまして、誠に有難うございました。
熱海は30年ほど前まではホテル旅館が林立し、特に、バブル最盛期は札束を握り締めた男女が東京からタクシーを飛ばし逢瀬を楽しむ歓楽温泉街だったのですが、バブル崩壊後、老舗ホテル旅館が次々と倒産し、海岸側に林立していた高層建築物が取り壊され、現在ではリゾートマンションが林立する温泉街に変貌を遂げた所故に、拝見させて頂きました旅行記からも、友人同士で静かに同窓会を行うには、うってつけな所ではないかと感じられました。
現在の静かな熱海の街が印象的に旅行記に反映され好印象です。
横浜臨海公園2014年10月29日07時48分 返信する -
珍妙な恰好に笑ってしまいました。
横浜臨海公園様
前回に続き、笑ってしまいました。
神事ですから、当事者は皆大真面目なのだと思いますが、その真面目さが写真に出ているだけに、その珍妙な恰好との対比に笑ってしまいます。
ほのぼのとした、地元民総出の祭りに拍手を送りたい気分です。
私の住む町では、子供のころは町民総がかりの祭りがあったのですが、今では神輿の担ぎ手も減り、獅子舞を舞える若者もいなくなり、すっかりすたれてしまいました。
羨ましい気分で拝見しました。
ねんきん老人 -
読書の秋…。
横浜臨海公園さま。
『蜜柑』に感動いたしました。
最近は本を読んでいません…。
若い頃は、いつも手元に本があったのに…。
それが、懐かしくなってしまっているこの頃です。
繰り返し読んだ本も、今読むと違うのでしょうね…。
『蜜柑』の紹介、有難うございました。
本を持って、旅がしたくなりました。
旅空〜shino
拝復
旅空〜shinoさま、こんにちは。
掲示板にメッセージを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、本当に申し訳ございませんでした。
蜜柑が公刊された頃の横須賀線沿線風景と現在のソレは、約100年の歳月の結果、現在では人家が密集する地域となり、町全体に於いて昔の面影は激減してしまっております。
然し、横須賀線は昔の経路を現在も使用し、例のトンネルも大正12年から電化工事の際に口径拡大化が施工されたものの、原則的に当時の隧道構造が現在も残存する特異な所です。
昔の2等車と異なり、今のグリーン車は窓こそ開かない構造になりましたが、横須賀線に乗ると、自然当時のイメージが湧き出てくる様に思います。
横浜臨海公園2014年10月23日15時03分 返信する -
ご無沙汰しています。
横浜臨海公園さん、ご無沙汰しています。
久しぶりの旅行記にいいねしてくださって有り難うございます。
東神奈川ー八王子間。
横浜に来て一年以上たったので土地勘もあるので、楽しく読ませてもらいました。
東横線の横浜駅も乗り換えが複雑だな・・・と思っていたら地元の方から、みなとみらい線が出来る前の昔の横浜駅の事とか教えて貰い、不思議に思っていた事がいろいろ納得出来たり。
いろいろ調べたりすると奥深いのでしようね(^^)
これからもよろしくお願いします。
りんごあめ より。 -
ありがとうございました
中欧旅行 最後までみていただきありがとうございました。やっと完結で来てほっとしました。
横浜臨海公園さんは 武田神社に行かれたんですね。評価数がNo.1ですね。素晴らしい。
私も写真をアップするだけでなくいろいろ書き込みをしないとなーと思います2014年10月13日15時18分返信する -
沖縄で歴史探訪!
おはようございます、横浜臨海公園さん♪
いつもありがとうございます。
この度はご訪問&沖縄の旅行記に投票いただき、ありがとうございました。
今までは綺麗な海のある「沖縄」を、表面でしか観てこなかったのですが、
今回の旅で歴史を知り、とて感慨深く、もっと知りたいと思いましたよ!
次回はいつ行けるかな〜。
母と娘と共に、ひめゆりの塔を再訪したいと心に誓いました。
台風の中、欠航することなく旅が出来たことが奇跡かな♪
いちごいちえ2014年10月13日08時43分返信する拝復
いちごいちえさま、こんにちは。
硫黄島に戦死者の遺骨収集に出向いておりました関係で、掲示板にメッセージを賜りながら、返事を差し上げるのが遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。
硫黄島では本土空襲を阻止する為に、栗林陸軍中将以下多数の将兵が派遣され、昭和20年(1945年)にアメリカ海兵隊を主軸とする上陸部隊と激戦が繰り広げられました。
硫黄島は戦後アメリカ統治を経て日本に返還されましたが、戦死者の御霊の殆どが回収されず、現地で放置された状態が69年に渡り継続しております。
沖縄ひめゆりの塔と同様、日本には未だ未だ帰還して頂かなければならない御霊が多数存在しております。
綺麗ごとでは済まされない世界ですが、小生も1年に1度、時間を作り遺骨収集に参加をさせて頂いております。
旅行記として発表は差し控えさせて頂いておりますが、焼いた遺骨と異なり、自然死の御遺骨はガムテープの感触の如くベタベタとしており、お亡くなりになった方々から、1片たりとも忘れずに本土に戻してくれと言わんばかりの慟哭を聞く想いでいっぱいです。
横浜臨海公園
2014年10月18日14時47分 返信する -
誕生日メール有難うございます
横浜臨海公園様
本日誕生日祝いで、しこたま飲んでの後メールを見て驚きました。
4travelのどこに誕生日が記載されているのでしょうか。(いろんなサイトでメルアドをプロバイダーの他ヤフー,MSN,インフォシーク、ビグローブ、グーグルと分けて登録の結果、アンケート先等多くの誕生日祝いメールが来ていました。)
昔は何度も答案用紙を読み返し点数アップを心掛けていたが、年寄りの割に結構合理主義否気が短いのか、この間の広島城の口コミを後で見て訂正しました。雑な文章をお目にかけて失礼しています。(いつも副詞が先に来て本文が後から出てきているくせがあります。)
この後15日から11日間クロアチア、スロベニア方面に行きます。
本当に強烈なインパクトの掲示板でした。有難うございました。2014年10月09日22時21分返信する -
投票、ありがとうございます。
横浜臨海公園さん
こんばんは。新婚旅行ボリビア旅行記、いつも投票ありがとうございますm(_ _)m
今回、新機能ペイントを使い、ウチが高山病で苦しんでるのを中心に、書いて見ました。
マウスで書くのて、難しいんですよぉ。何回書き直したことやら・・・。
次回は、旅の舞台がラパスからウユニに変わります。路線バスじゃないのに
16時間も掛かったんですよ(>_<)
その苦労を直りきって無い高山病と一緒に伝えれたらと思ってますので、
今後とも、ヨロシクお願いします。
ジョ-ジ・ジョン・ポ-ル
ハンネが、凄くユニ−クですよね。マメに訪問してくれて、本当にありがとう。2014年10月06日21時09分返信する



