旅行記グループ
奥の細道を訪ねて第14回「荒海や」の名吟を生んだ親不知・市振を巡り、難所・倶利伽羅峠を越える(目次)
全29冊
2011/11/15 - 2011/12/15
- 小矢部・福光・城端
- 上越・糸魚川
- 上越・直江津
- 糸魚川
- 魚津
- 滑川
- 新湊・射水
- 高岡
- 氷見
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奥の細道を訪ねて第14回26木曽義仲が倶利伽羅峠の合戦の勝利を祈願した埴生(護国)八幡宮 in 小矢部市
2011/11/15~
小矢部・福光・城端(富山)
昼食後、レストランから北東に程近くの埴生(護国)八幡宮に向かう。ここもかなり長い石段の上に歴史を感じさせる社殿は建つ。718年豊前国宇佐八幡の分霊を祀ったと云う。118...
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奥の細道を訪ねて第14回「荒海や」の名吟を生んだ親不知・市振を巡り、難所・倶利伽羅峠を越える(目次)
2011/12/13~
上越・糸魚川(新潟)
奥の細道を訪ねて第14回は初めての上越新幹線利用で越後湯沢まで行き、薄らと雪化粧で迎えてくれた越後湯沢から、ぐるっと関越自動車道と北陸自動車道を乗り継いで、米山SAで一...
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奥の細道を訪ねて第14回01薄化粧の雪景色が迎える越後湯沢~直江津駅の景観
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
初めて上越新幹線に乗る。間もなくスキー客で混雑が始まる越後湯沢だが、まだ少々雪が足らないか、駅周辺は閑散。それでも越後湯沢は雪こそ降っていなかったが、周囲の山々は薄らと...
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奥の細道を訪ねて第14回02芭蕉句碑”寂しさや 花のあたりの翌(あす)なろう”本敬寺 in 黒井
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
昼食後バスは一旦関川を北へ渡り、旧今市(直江津)から北へ向かう旅の最初の宿場・黒井の本敬寺を訪れる。米山(鉢崎)→柿崎→潟町→黒井の道程もかなり難渋した芭蕉達は、黒井の...
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奥の細道を訪ねて第14回03喪中であった為芭蕉が泊まるのを遠慮した聴信寺 in 直江津
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
我々の直江津の最初の訪問地は五智国分寺であったが、芭蕉は高田城下在の医師細川春庵の招きで高田を訪れ、そこで3泊した後能生に出発する途上で五智国分寺を訪れる。この旅行記も...
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奥の細道を訪ねて第14回04麓に芭蕉の句碑もある我が国スキーの発祥の地メルヘンの森・金谷山 in 高田
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
芭蕉は高田の医師細川春庵(しゅんあん)に招かれ、今市(直江津 )から約7k南に登った高田に向かう。春庵は金谷山の麓に薬草園を拓いていたが、芭蕉が春庵の薬草園を訪れ、その...
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奥の細道を訪ねて第14回05雪国高田の雁木通りの街寸描 in 高田
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
高田の医師細川春庵に招かれた芭蕉達は、そこで3泊している。芭蕉達が訪れた季節は初夏で雪景色ではなかったろうが、雪国ならではの街の景観も目にした事であろう。我々が高田で最...
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奥の細道を訪ねて第14回06朝日に輝く雪を被った妙高 in 赤倉温泉
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
奥の細道を訪ねて第14回の我々の最初の宿泊地は赤倉温泉で、ホテル名も同じと云う事は赤倉温泉の老舗を自負したネーミング。一日中今にも雪が舞って来そうだった天候は、夜中に本...
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奥の細道を訪ねて第14回07シンボルの三重の塔が美しい五智国分寺 in 直江津
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
五智国分寺は直江津駅から1.2k 西に建つ。我々の旅のルートは直江津での最初の訪問地が五智国分寺であったが、芭蕉は高田の医師細川春庵の招きで高田に3日逗留した後、高田を...
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奥の細道を訪ねて第14回08親鸞が恵信尼公と新婚生活を営んだ本願寺国府別院 in 直江津
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
五智国分寺境域内だが、本堂からやや南に離れて本願寺国府別院はある。ここには竹之内草庵で約1年を過ごした後親鸞が新たに移り住んだ”竹ヶ前草庵”があった。親鸞はここで越後頸...
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奥の細道を訪ねて第14回09越後に流された親鸞が最初に訪れた居多神社in 直江津
2011/12/13~
上越・直江津(新潟)
居多神社の源は目本海に面した居多浜村岩戸浦山の山腹にあったが、山崩れの為ここに移され、近くに越後国国府があったことから越後国一宮とされたという名刹。越後国国府に流罪とな...
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奥の細道を訪ねて第14回10能生海岸を面して建つ重厚な茅葺屋根の古刹白山神社 in 能生
2011/12/14~
糸魚川(新潟)
居多神社の参拝を終えた芭蕉達は、北陸道(加賀海道)を谷浜→有間川と日本海に沿って西へ進み、この辺りから山道を伝って当初の宿泊予定地名立に向かった。ところが名立での宿泊先...
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奥の細道を訪ねて第14回11名立での宿泊を変更し急遽泊まった旅籠玉屋五郎兵衛の今様 in 能生
2011/12/14~
糸魚川(新潟)
芭蕉達は白山神社参詣を終え、夜が更けて能生に入り、逗留したのは旅籠玉屋五郎兵衛。我々は赤倉温泉から上越自動車道、北陸自動車道と高速を乗り継いで能生迄行き、白山神社を参拝...
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奥の細道を訪ねて第14回12芭蕉句碑“蓬莱に 聞かばや伊勢の初だより”熊野神社 in 糸魚川
2011/12/14~
糸魚川(新潟)
芭蕉たちは能生から海岸沿いの北陸道をひたすらの西に向かって歩む。その間梶屋敷の手前の早川を歩いて渡っている途中でひっくり返り、濡らした着物を乾かしたと云うエピソードと糸...
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奥の細道を訪ねて第14回13旧北陸道の難所中の難所・親不知海岸 in 市振
2011/12/14~
糸魚川(新潟)
崖下に降りる道の入り口に「立ち入り禁止」の看板。親不知の崖下の旧道を通れるかもしれない・・と云う一抹の願いはあっさり砕けた。 親しらず子は子の浦の波まくら ...
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奥の細道を訪ねて第14回14ヒスイに出逢う!ひすい海岸での昼食 in 市振
2011/12/14~
糸魚川(新潟)
バスは少々東に引き返し、昼食のレストランが有る。”道の駅親不知火ピアパーク”へ。その目にも小鳥の像が刻まれた、世界一の大きい亀のブロンズ像が出迎える。レストランの前は小...
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奥の細道を訪ねて第14回15芭蕉の”一家に 遊女もねたり萩と月”の句に纏わる市振散策 in 市振
2011/12/14~
糸魚川(新潟)
道の駅親不知火ピアパークを発ったバスは親不知の崖の上のトンネルを抜け、坂道の下の二股の道路の真ん中に立つ松の木の手前で停まる。”街道の松”と呼ばれるこの松は、東からは旅...
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奥の細道を訪ねて第14回16越中への旅の入り口境関所跡とその周辺 in 境
2011/12/14~
魚津(富山)
市振関所を通過した芭蕉達は、当時男性だけでなく、女性にも厳しい加賀藩の関所として恐れられていいた越中の入り口境関所に向かう。境関所の手前に境一里塚を訪ねる。江戸の初期、...
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奥の細道を訪ねて第14回17芭蕉が宿泊した滑川の句碑巡り in 滑川
2011/12/14~
滑川(富山)
難所を越えたとはいえ、連日暑い日が続き、芭蕉はかなり疲れを覚えていたと見え、宿泊した滑川辺りの句は元より、記述が無い。ただ滑川には幾つか芭蕉の句碑が散在しており、我々は...
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奥の細道を訪ねて第14回18歌枕”奈呉浦”に建つ大伴家持所縁の放生津八幡宮 in 高岡
2011/12/14~
新湊・射水(富山)
水橋川を船で渡った芭蕉達は、浜往来と呼ばれていた富山湾沿いの道を射水に向かった。射水市に沿った富山湾一帯は”奈呉浦(なごのうら)”と呼ばれ、越中国守だった大伴家持が豊後...
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奥の細道を訪ねて第14回19宿泊地高岡へ向かう途上の”あかあかと”した夕焼けと二上山 in 高岡
2011/12/14~
高岡(富山)
芭蕉は放生津八幡宮に続き、氷見にあるやはり大伴家持所縁の藤崎神社を訪れたかったようだが、「蘆の一夜の宿かすものあるまじ」と脅かされて、藤崎神社訪問を諦め、庄川を船で渡り...
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奥の細道を訪ねて第14回20ホテルの窓からの高岡駅辺りの眺望 と銅造阿弥陀如来座像(高岡大仏)in 高岡市
2011/12/15~
高岡(富山)
高岡での芭蕉達の宿は不明。曾良の旅日記にも「氷見へ欲行、不往。高岡へ出ル。・・・・高岡ニ申ノ上刻着テ宿。」と有るだけだ。氷見に芭蕉が訪れたいと思った藤沢神社は有る。我々...
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奥の細道を訪ねて第14回21堀で囲まれた珍しい構造の前田利長墓所 in 高岡市
2011/12/15~
高岡(富山)
芭蕉は氷見に建つ大伴家持所縁の藤崎神社を訪れたいと思っていたらしいが、宿泊する場所が無いと聞かされ訪問を諦め、翌朝早めに高岡の宿を出発し、一路倶利伽羅峠を目指している。...
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奥の細道を訪ねて第14回22国宝・加賀藩前田家の菩提寺・瑞龍寺外観 in 高岡市
2011/12/15~
高岡(富山)
3代藩主前田利常は先代利長(義兄)が初代藩主・父利家を弔うため建立した法円寺を、利長の没後瑞龍寺と改め、1645年(前田利長墓所造営の1年前)、13万平方メートルの境内...
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奥の細道を訪ねて第14回23国宝・加賀藩前田家の菩提寺・瑞龍寺堂内の景観 in 高岡市
2011/12/15~
高岡(富山)
瑞龍寺堂内の景観の写真。写真の順序①仏殿から堂内に入る。本尊は釈迦、文殊、普賢の三尊。独特な天井装飾。②正面に二代藩主前田利長の位牌が安置されている法殿。天井の照明が見...
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奥の細道を訪ねて第14回24大伴家持の歌碑が富山湾を望んで鎮座する藤波神社 in 氷見市
2011/12/15~
氷見(富山)
芭蕉達は高岡の宿から倶梨伽羅峠の登り口にほど近い埴生(護国)八幡宮に直行しているが、我々の旅はもう少し道草を楽んだ後、埴生(護国)八幡宮で芭蕉達の旅と合流することになる...
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奥の細道を訪ねて第14回25昼食は”義仲ものがたり” in 小矢部市
2011/12/15~
小矢部・福光・城端(富山)
バスは氷見を発ち、高岡の市街を掠め、芭蕉が高岡で唯一立ち寄った小矢部市に建つ埴生(護国)八幡宮に向かう。八幡宮に参拝する前に、八幡宮にほど近い、レストラン”マングローブ...
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奥の細道を訪ねて第14回27火牛の計の奇襲で木曽義仲が勝利した倶利伽羅峠合戦の場 in 小矢部市
2011/12/15~
小矢部・福光・城端(富山)
秋田県での難所三崎峠の石ころと木の根が頭にあったせいか、倶利伽羅峠の道が全道舗装されているのは意外であった。又坂道も思っていた程急でない。しかし所によっては地面が見えな...
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奥の細道を訪ねて第14回28倶利伽羅峠の地名の元なった倶利伽羅不動明王を本尊とする倶利伽羅不動尊 in 河北...
2011/12/15~
小矢部・福光・城端(富山)
ようよう倶利伽羅峠を越え、その先の倶利伽羅不動尊の境内を通り、不動尊特有の赤い旗の翻る、長い屈折した階段を降りる。718年、倶利伽羅不動明王を本尊として創建されてと云わ...