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居多神社の参拝を終えた芭蕉達は、北陸道(加賀海道)を谷浜→有間川と日本海に沿って西へ進み、この辺りから山道を伝って当初の宿泊予定地名立に向かった。<br /><br />ところが名立での宿泊先への紹介状が間に合わなかった為(資料)、更に海岸線を西へ、能生迄歩を進める。<br />芭蕉建ちは能生の宿に入る前に白山神社参詣を済ます。<br /><br />我々はその間を8号線と北陸自動車道で一挙に能生に向かい、能生から東に戻る様に白山神社に向かった。<br /><br />白山神社は能生駅から北西に約1.2kの能生市の街外れにあり、背後に尾山、前方に能生海岸が開ける。<br /><br />白山神社の創建は奈良時代で,主祭神はここも大己貴命(大国主命)と奴奈川姫。<br /><br />国の重要文化財。<br />特に苔生した茅葺屋根の重厚な拝殿に圧倒される。<br /><br />境内の南面は崖になっており、その上にあるやはり苔で覆われた茅葺の建て物が、能生民俗資料館。<br /><br />芭蕉は白山神社を訪れ、汐路の鐘と呼ばれる梵鐘に纏わる話を聞き、句を詠んだ。<br />その句が汐路の鐘碑に刻まれ、社務所の前に建つ。<br /><br />   曙や 霧にうつまくかねの聲   芭蕉<br /><br />又能生民俗資料館の北面の水車小屋の先に、”花本大明神”の碑とその由来が薄の草むらに建つ。<br /><br />”花本大明神”とは芭蕉150回忌(天保14年・1843)に朝廷から芭蕉に贈られた神号で、”花本大明神”の碑は芭蕉の奥の細道行脚300年を記念して地元有志が建立。<br /><br />私は奥の細道を訪ねて第1回で深川不動堂を訪れ、”花本社”に参拝し,芭蕉が神様なっていると知ってびっくりした事を思いだした。

奥の細道を訪ねて第14回10能生海岸を面して建つ重厚な茅葺屋根の古刹白山神社 in 能生

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2011/12/14 - 2011/12/14

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WT信

WT信さん

居多神社の参拝を終えた芭蕉達は、北陸道(加賀海道)を谷浜→有間川と日本海に沿って西へ進み、この辺りから山道を伝って当初の宿泊予定地名立に向かった。

ところが名立での宿泊先への紹介状が間に合わなかった為(資料)、更に海岸線を西へ、能生迄歩を進める。
芭蕉建ちは能生の宿に入る前に白山神社参詣を済ます。

我々はその間を8号線と北陸自動車道で一挙に能生に向かい、能生から東に戻る様に白山神社に向かった。

白山神社は能生駅から北西に約1.2kの能生市の街外れにあり、背後に尾山、前方に能生海岸が開ける。

白山神社の創建は奈良時代で,主祭神はここも大己貴命(大国主命)と奴奈川姫。

国の重要文化財。
特に苔生した茅葺屋根の重厚な拝殿に圧倒される。

境内の南面は崖になっており、その上にあるやはり苔で覆われた茅葺の建て物が、能生民俗資料館。

芭蕉は白山神社を訪れ、汐路の鐘と呼ばれる梵鐘に纏わる話を聞き、句を詠んだ。
その句が汐路の鐘碑に刻まれ、社務所の前に建つ。

   曙や 霧にうつまくかねの聲   芭蕉

又能生民俗資料館の北面の水車小屋の先に、”花本大明神”の碑とその由来が薄の草むらに建つ。

”花本大明神”とは芭蕉150回忌(天保14年・1843)に朝廷から芭蕉に贈られた神号で、”花本大明神”の碑は芭蕉の奥の細道行脚300年を記念して地元有志が建立。

私は奥の細道を訪ねて第1回で深川不動堂を訪れ、”花本社”に参拝し,芭蕉が神様なっていると知ってびっくりした事を思いだした。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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