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芭蕉は氷見に建つ大伴家持所縁の藤崎神社を訪れたいと思っていたらしいが、宿泊する場所が無いと聞かされ訪問を諦め、翌朝早めに高岡の宿を出発し、一路倶利伽羅峠を目指している。<br /><br />芭蕉達が高岡でただ一か所訪れた所は、倶利伽羅峠と切り離せない木曽義仲所縁の埴生(護国)八幡宮であり、初めて入地した”かがの国”の藩主の菩提寺の参詣にも向かっていない。<br /><br />芭蕉の疲れた体は、難所倶利伽羅峠を踏破するだけに気を奪われていたと思われる。<br /><br />我々は高岡大仏参拝の後、芭蕉になり替わり、幾つかの高岡名所を訪れた。<br /><br />先ず最初に訪れたのは、1614年没した前田利長の冥福を祈り、3代藩主前田利常が利長の33回忌に当たる1646年造営した墓所。<br /><br />当初の墓所は南面を除く3面を二重の堀と石柵で囲い、事ある際の砦の機能を兼ねて造られたらしい。(資料)<br /><br />僅かに残った、往時の面影が残る参道を進むと、小さい石橋が架かった堀と石柵が現れる。<br /><br />現在目にする堀と石柵は当時の内郭の一部だが、周囲を堀で囲った墓所は武将のものとしては珍しい(資料)らしい。<br /><br />時期外れで萎れた蓮の葉が浮かぶ堀と、内部には立ち入れないが、囲まれた石柵の間から、鬱蒼とした木立に覆われれた、蓮の花を刻んだ三重の墓壇の上に、花崗岩の利長の墓標を望む事が出来る。<br /><br />前田利長墓所から南西に一直線に延びる長い参道(八丁道)の突き当たりに前田家の菩提寺・瑞龍寺は構える。

奥の細道を訪ねて第14回21堀で囲まれた珍しい構造の前田利長墓所 in 高岡市

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2011/12/15 - 2011/12/15

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WT信

WT信さん

芭蕉は氷見に建つ大伴家持所縁の藤崎神社を訪れたいと思っていたらしいが、宿泊する場所が無いと聞かされ訪問を諦め、翌朝早めに高岡の宿を出発し、一路倶利伽羅峠を目指している。

芭蕉達が高岡でただ一か所訪れた所は、倶利伽羅峠と切り離せない木曽義仲所縁の埴生(護国)八幡宮であり、初めて入地した”かがの国”の藩主の菩提寺の参詣にも向かっていない。

芭蕉の疲れた体は、難所倶利伽羅峠を踏破するだけに気を奪われていたと思われる。

我々は高岡大仏参拝の後、芭蕉になり替わり、幾つかの高岡名所を訪れた。

先ず最初に訪れたのは、1614年没した前田利長の冥福を祈り、3代藩主前田利常が利長の33回忌に当たる1646年造営した墓所。

当初の墓所は南面を除く3面を二重の堀と石柵で囲い、事ある際の砦の機能を兼ねて造られたらしい。(資料)

僅かに残った、往時の面影が残る参道を進むと、小さい石橋が架かった堀と石柵が現れる。

現在目にする堀と石柵は当時の内郭の一部だが、周囲を堀で囲った墓所は武将のものとしては珍しい(資料)らしい。

時期外れで萎れた蓮の葉が浮かぶ堀と、内部には立ち入れないが、囲まれた石柵の間から、鬱蒼とした木立に覆われれた、蓮の花を刻んだ三重の墓壇の上に、花崗岩の利長の墓標を望む事が出来る。

前田利長墓所から南西に一直線に延びる長い参道(八丁道)の突き当たりに前田家の菩提寺・瑞龍寺は構える。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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