旅行記グループ
奥の細道を訪ねて;付録3.芭蕉の終焉の地・大阪
全8冊
2013/11/29 - 2013/12/01
- 心斎橋・淀屋橋
- 住吉・平野
- ミナミ(難波・天王寺)
- キタ(大阪駅・梅田)
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 (目次)
2013/11/29~
心斎橋・淀屋橋(大阪)
芭蕉は奥の細道に旅立つに際し、それまで住居とした芭蕉庵を手放した。芭蕉が奥の細道の旅を終えて、畿内の彼方此方で過ごし、約25か月後、元禄4年再び江戸へ向かう。江戸ではし...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地・大阪 (目次)
2013/11/30~
心斎橋・淀屋橋(大阪)
50歳を超えていたにしては、芭蕉の晩年は忙しい。芭蕉は元禄7年(1694年)5月22日から6月15日まで落柿舎に滞在した後、膳所の無名庵で20日間、再び来京し、聖護院の...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地・大阪 その1芭蕉が宝の市で升を買った住...
2013/11/30~
住吉・平野(大阪)
全国にある住吉神社の総本山。住吉大社の本殿は第一本宮から第四本宮の4つの本宮からなり,第一本宮から底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地・大阪 その2芭蕉の句碑が建つ住吉公園
2013/11/30~
住吉・平野(大阪)
現住吉公園は江戸時代は住吉大社の境内の一部で、海に面した馬場があったらしい。公園の中央を東西に走る道路は、当時の海から続く表参道の名残で、今でも汐掛道と呼ばれる。公園を...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地・大阪 その3御堂筋の芭蕉終焉地・花屋仁...
2013/11/30~
心斎橋・淀屋橋(大阪)
実はこの”芭蕉最期の行程を辿る旅”を思いついたのには全く別の切っ掛けがあった。私は昭和35年(1966年)社会人になるのだが、3か月の研修期間を終えて、最初に配属された...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地 その4芭蕉の”旅に病んで・・”の句碑が...
2013/11/30~
心斎橋・淀屋橋(大阪)
芭蕉終焉の地の石柱が建つ御堂筋の緑地帯と道路を挟んで建つ南御堂は、道路の面して窓の無い、五階建て程もあ大きなビルが建っており、「南御堂 御堂会館」の電飾看板がなければ、...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地・大阪 その5芭蕉の墓がある四天王寺
2013/11/30~
ミナミ(難波・天王寺)(大阪)
芭蕉は大阪が終焉の地となったが、それまでに芭蕉が大阪に足を踏み入れたのは一度しか無かったと云われる。その所為か「蕉門十哲」と云われる芭蕉の高弟に大阪出身の俳人の名は無い...
-
奥の細道を訪ねて;付録2・芭蕉最期の行程を辿る旅 3.芭蕉の終焉の地・大阪 その6芭蕉の句碑が建つという太融...
2013/11/30~
キタ(大阪駅・梅田)(大阪)
最後に芭蕉の句碑が建つと云う、梅田の太融寺を訪れる予定だったが、遅くなり入館時刻を過ぎていた。ここには大阪で芭蕉が参加した最後の句会(大阪の門人園女宅でので九吟歌仙)で...