旅行記グループ
奥の細道を訪ねて第10回藤原栄華の平泉より出羽路の旅 (目次)
全30冊
2012/07/03 - 2012/07/05
- 平泉
- 一関
- 栗駒・栗原
- 鳴子温泉
- 最上・舟形
- 尾花沢・大石田
- 天童温泉
-
奥の細道を訪ねて第10回藤原栄華の平泉より出羽路の旅 (目次)
2012/07/03~
平泉(岩手)
我々は道草をして登米の散策を楽しんだが、芭蕉達は脇目も振らず朝から平泉を目指す。北上川に沿って北上するが、梅雨の雨に祟られ、止むを得ず湧津辺りから金沢迄、苦手な馬を借り...
-
奥の細道を訪ねて第10回01一関散策、”カッパ崖”・”二夜庵”・”一関藩家老宅跡”等
2012/07/03~
一関(岩手)
奥の細道を訪ねて第10回の旅のスタート、東北新幹線一関駅。一関駅南東の関が丘団地への上り口の坂の麓に”ここは松尾芭蕉の奥の細道”とか書かれた案内板があり、その中で”この...
-
奥の細道を訪ねて第10回02一関の昼食会場・造り酒屋の蔵元”世嬉の一”
2012/07/03~
平泉(岩手)
城下町の装いが残る、一関市大手町の通りに面する、造り酒屋の蔵元”世嬉の一”で昼食。江戸時代から続く造り酒屋で、”世嬉の一”という店名は、この辺りの旅で立ち寄られた閑院の...
-
奥の細道を訪ねて第10回03平泉の玄関”柳之御所資料館”
2012/07/03~
平泉(岩手)
東北本線平泉駅の北東に広がる柳之御所史跡公園がある。平安時代ここに奥州藤原氏の政治・行政の拠点が有ったと云われている所。その一角に”柳之御所資料館”が建っており、柳之御...
-
奥の細道を訪ねて第10回04中尊寺①義経が自害し最期を遂げた”高館義経堂” in 平泉
2012/07/03~
平泉(岩手)
平泉で芭蕉が何をさて置き訪れたのが高館山の丘陵に建つ”高館義経堂”。義経が頼朝の追っ手を逃れて平泉の藤原家に匿われた8ヵ月後には、藤原家3代目の秀衡が死亡。4代目泰衡は...
-
奥の細道を訪ねて第10回05中尊寺②芭蕉達も喉を潤したであろう”卯の花清水” in 平泉
2012/07/03~
平泉(岩手)
芭蕉達は高館山の丘陵の坂を下りて、現在は東北本線が直ぐ脇を通る”卯の花清水”に立ち寄る。当時はこんこんと清水が湧き、卯の花清水と呼ばれ、旅人の喉を潤していた。芭蕉はそこ...
-
奥の細道を訪ねて第10回06中尊寺③線香の香りが絶えない”本堂” in 平泉
2012/07/03~
平泉(岩手)
我々の平泉での旅程は”無量光院跡”を手始めに、金色堂へ向かい、経堂、中尊寺本堂と周り、月見坂を辿って下った.芭蕉達は蝦夷に対処していた藤原秀衡の三男・和泉三郎、嫡男・泰...
-
奥の細道を訪ねて第10回07中尊寺④”伝大池跡”に咲いたいた800年の眠りから覚めた”中尊寺ハス”
2012/07/03~
平泉(岩手)
芭蕉達は中尊寺本堂参詣を終え、金色堂別当の案内でいよいよ”金色堂”に向かう。芭蕉達は現在の月見坂を辿り、金色堂の北側正面に向かったと思われるが、我々は金色堂のやや南東に...
-
奥の細道を訪ねて第10回08中尊寺⑤思わぬ静かな”金色堂”
2012/07/03~
平泉(岩手)
新緑の鮮やかな緑の楓との杉のトンネルの表参道を潜って金色堂の前に出る。濃淡の緑が織り成す杜の奥に、ゆったりとした鮮やかな弓なりの線の美しい屋根のお堂が見える。しかし~「...
-
奥の細道を訪ねて第10回09中尊寺⑥芭蕉像と句碑と”経堂”、芭蕉が目にしたであろう”旧覆堂”
2012/07/03~
平泉(岩手)
金色堂の直ぐ裏に有名な芭蕉の句を刻んだ句碑がある。 五月雨の 降り残してや光堂 芭蕉その先に”経堂”建ち、奥の細道にはその”経堂”も開けて貰ったように書かれている...
-
奥の細道を訪ねて第10回10中尊寺⑦杉並木の”月見坂”の景観
2012/07/03~
平泉(岩手)
”経堂”を訪れた芭蕉達が次に向かったのが”白山神社”。私も2008年の旅では白山神社境内に建つ能舞台を眺めたが、今回の旅ではここはパスしている。その後芭蕉達は一関への帰...
-
奥の細道を訪ねて第10回11中尊寺⑧藤原秀衡が宇治平等院をモデルにした”無量光院跡”
2012/07/03~
平泉(岩手)
芭蕉達が月見坂を降り、奥州街道を辿って一関に戻る途中に、当時は田圃が広がっていたといわれる”無量光院跡”はある。我々の旅では平泉で真っ先に立ち寄ったのがここ”無量光院跡...
-
奥の細道を訪ねて第10回12藤原基衡が再建した毛越寺周遊①”芭蕉句碑”とその周辺(南東側)in 平泉
2012/07/04~
平泉(岩手)
芭蕉達は平泉の旅から一関に戻った翌日、一関を発ち奥州横断の旅を開始する。我々は芭蕉達を追う前の朝一番に、芭蕉が後ろ髪を引かれる思いで断念したであろう毛越寺跡を、芭蕉に成...
-
奥の細道を訪ねて第10回13藤原基衡が再建した毛越寺周遊②”開山堂”と”菖蒲園”(西側)in 平泉
2012/07/04~
平泉(岩手)
「南大門跡」を”大泉が池”の湖畔に沿って西へ向かうと、池に突き出したように”築山”がある。西側から振るかえると、小舟が置かれた”築山”の景観がとてもよい。西側の正面には...
-
奥の細道を訪ねて第10回14藤原基衡が再建した毛越寺周遊③”常行堂”と”遣水(やりみず”)(北側)in 平泉
2012/07/04~
平泉(岩手)
「南大門跡」からの”大泉が池”を隔てた対岸に当たるこの一帯は、中央に毛越寺の中心的伽藍だった金堂円隆寺跡があり、背後には講堂、前面の池の畔に、経楼と鐘楼があった。その東...
-
奥の細道を訪ねて第10回15藤原基衡が再建した毛越寺周遊④”州浜”と”池中立石”(東側)in 平泉
2012/07/04~
平泉(岩手)
この辺りには”東門”があり、”大泉が池”を隔てた対岸の毛越寺本堂を望むことが出来た。大木の並木の道を過ぎると、湖畔の汀は柔らかい湾曲を成して湖に突き出しており、”州浜”...
-
奥の細道を訪ねて第10回16藤原基衡が再建した毛越寺周遊⑤”大泉が池”風景 in 平泉
2012/07/04~
平泉(岩手)
毛越寺庭園は現世に築かれてた浄土庭園で、その中心が”大泉が池”。”大泉が池”に遺る中島を中心に、南大門と中島、円隆寺と中島との二つの橋が南大門と円隆寺を結んでいた。一周...
-
奥の細道を訪ねて第10回17毛越寺に隣接する藤原基衡夫人が建立した”観自在王院跡” in 平泉
2012/07/04~
平泉(岩手)
毛越寺から垣間見た”観自在王院跡”。
-
奥の細道を訪ねて第10回19陸奥上街道沿線の景観①”芭蕉衣掛けの松”
2012/07/04~
栗駒・栗原(宮城)
一関を発った芭蕉達が南西を目指して進んだ道は上街道と呼ばれ、一関から岩出山を結んでいた。我々のバスは、現在整備がされているとはいえ、林の切れ目になんとか見え隠れする旧上...
-
奥の細道を訪ねて第10回20陸奥上街道沿線の景観②旧上街道風景
2012/07/04~
栗駒・栗原(宮城)
バスは再び旧上街道に沿って進む。それは山裾の小道であったり、田圃を横切ったりはするものの、大半は山の中を走っており、時折その道の入り口や、出口に案内の柱があることで何と...
-
奥の細道を訪ねて第10回21陸奥上街道沿線の景観③芭蕉一宿の地・”岩出山”と”旧有美館庭園”
2012/07/04~
栗駒・栗原(宮城)
岩出山市の中心を走る道は羽後街道と呼ばれる。10年前に都市改造が行われたとかで、この地方にしては拡幅の広い立派なメインストリートが走り、その町並みも昔風の様相にはしてい...
-
奥の細道を訪ねて第10回22出羽街道中山峠越え沿線の景観①歌枕の地・”小黒ヶ崎”と”美豆の小島”
2012/07/04~
鳴子温泉(宮城)
岩出山芭蕉達はいよいよ太平洋側から日本海側への横断の旅を開始する。当初は岩出山から更にやや南に向かい、中羽前街道を西へ尾花沢に向かう予定であったが、遠回りになり、難所も...
-
奥の細道を訪ねて第10回23出羽街道中山峠越え沿線の景観②芭蕉達が通過するのに難儀した関所・”尿前の関跡”と...
2012/07/04~
鳴子温泉(宮城)
我々のバスは、芭蕉達が辿った玉造川に沿って、紆余曲折しながら西へ向かう。二つの川が合流する三角地帯の先に”尿前の関跡”はある。出羽街道中山峠越えの道は多賀城から、仙台藩...
-
奥の細道を訪ねて第10回24出羽街道中山峠越え沿線の景観③芭蕉が逗留した宿で唯一当時の原形が遺る”封人の家”...
2012/07/05~
最上・舟形(山形)
やっとのことで”尿前の関”を通過した芭蕉達を待ち構えていたのは堺田に至る坂道と谷と川。お陰で国境を越えて直ぐの堺田にたどり着いた時には、すっかり陽が落ちてしまったらしい...
-
奥の細道を訪ねて第10回25出羽街道中山峠越え沿線の景観④珍しい平坦地にある”堺田の分水嶺”
2012/07/05~
最上・舟形(山形)
二泊三日”封人の家”での滞在を余儀なくされた芭蕉達は、ようや雨が上がったのを待ちかねて尾花沢を目指し、難所”山刀伐峠”へ向かう。我々は芭蕉達に申し訳ないような、ゆっくり...
-
奥の細道を訪ねて第10回26太平洋側から日本海側へ超える最大の難所・”山刀伐峠”
2012/07/05~
最上・舟形(山形)
”出羽街道中山峠越”は仙台藩の呼び名で、新庄藩では”最上小国街道”と呼ばれていたらしい。”山刀伐峠”をすると聞いた、2泊3日世話になった”封人の家”の主人の勧めで、芭蕉...
-
奥の細道を訪ねて第10回27芭蕉達が10日も滞在した、紅花の産地・尾花沢
2012/07/05~
尾花沢・大石田(山形)
”山刀伐峠”を越えた芭蕉達は、南下して関谷に達したところで、供をしてくれた若者返し、更に南下して押切辺りから道なりに正巌まで西に進み、その辺りで丹生川を渡り、二袋を経て...
-
奥の細道を訪ねて第10回28立石寺(山寺)の景観①麓から見上げる宝珠山と立石寺
2012/07/05~
天童温泉(山形)
芭蕉達は、尾花沢滞在中のぐずついた天候がやっと晴れたのを見計らって、当初の予定には無かったが、尾花沢の人々の勧めに従って、やや後戻りする道順になるのも構わず立石寺を目指...
-
奥の細道を訪ねて第10回29立石寺(山寺)の景観②800段の登山回廊からの景観
2012/07/05~
天童温泉(山形)
山門を潜り、いよいよ登山開始。全1015段の石段中此処から奥の院までは800段。最初の出会うお堂は小さな姥堂で、萱葺きの屋根全体に薄緑の苔が覆い、更にその上を落ち葉がび...
-
奥の細道を訪ねて第10回30立石寺(山寺)の景観③奥の院の景観と五大堂からのパノラマ
2012/07/05~
天童温泉(山形)
奥の院の正式名称は妙法堂。山寺の一番奥にあることから一般にこう呼ばれる。最期の石段下の燈篭脇に案内板があり、それによると、奥の院は慈覚大師が中国で修行中に持ち歩いたとい...