最上・舟形旅行記(ブログ) 一覧に戻る
やっとのことで”尿前の関”を通過した芭蕉達を待ち構えていたのは堺田に至る坂道と谷と川。<br /><br />お陰で国境を越えて直ぐの堺田にたどり着いた時には、すっかり陽が落ちてしまったらしい。<br /><br />已むを得ず芭蕉達は酒田村に有った”封人の家”に宿を願い、何とか寝場所を得る。<br /><br />我々は奥の細道を訪ねて第10回の旅3日目の朝、最初に”封人の家”を訪れる。<br /><br />”封人の家”で貰った案内書によると、”封人の家”とは新庄藩の国境を守る役人の家で、この地方の庄屋も兼ねていた。<br /><br />更に運悪く3日も続けて大雨で、芭蕉達は二泊三日ここでの滞在を余儀なくされる。<br /><br />おまけに寝所に借りた場所は、馬小屋近くの部屋の片隅だったらしく、芭蕉がそのような様子を思わず詠んだと思われる句。<br /><br />  蚤虱 馬の尿する枕もと  芭蕉<br /><br />囲炉裏を囲んだ我々の前での”封人の家”のガイドさんの説明によると、”封人の家”の家はこの地の庄屋・有路家の住居だったもので、少なくとも3百年以上昔の建物で、芭蕉が奥の細道で逗留した当時の原型を遺す唯一の建物だと云う。<br /><br />また当時この辺りは”小国”という地名で呼ばれ、ここで飼育された”小国馬”は山形県随一を誇っていた。<br /><br />冬寒いこの地域では、馬も家族と同じ屋根の下で育てられた。<br /><br />裏に資料が展示されており、興味深かったのは、後に訪れる難所の”山刀伐峠(なたぎりとうげ)”の名は、当時冬にこの辺りで使用された萱で編まれた被り物・”なたぎり”の傾斜の形状が、”山刀伐峠の急坂を想わせる事から来ていると知ったことだ。<br /><br />

奥の細道を訪ねて第10回24出羽街道中山峠越え沿線の景観③芭蕉が逗留した宿で唯一当時の原形が遺る”封人の家”

1いいね!

2012/07/05 - 2012/07/05

117位(同エリア124件中)

WT信

WT信さん

やっとのことで”尿前の関”を通過した芭蕉達を待ち構えていたのは堺田に至る坂道と谷と川。

お陰で国境を越えて直ぐの堺田にたどり着いた時には、すっかり陽が落ちてしまったらしい。

已むを得ず芭蕉達は酒田村に有った”封人の家”に宿を願い、何とか寝場所を得る。

我々は奥の細道を訪ねて第10回の旅3日目の朝、最初に”封人の家”を訪れる。

”封人の家”で貰った案内書によると、”封人の家”とは新庄藩の国境を守る役人の家で、この地方の庄屋も兼ねていた。

更に運悪く3日も続けて大雨で、芭蕉達は二泊三日ここでの滞在を余儀なくされる。

おまけに寝所に借りた場所は、馬小屋近くの部屋の片隅だったらしく、芭蕉がそのような様子を思わず詠んだと思われる句。

  蚤虱 馬の尿する枕もと  芭蕉

囲炉裏を囲んだ我々の前での”封人の家”のガイドさんの説明によると、”封人の家”の家はこの地の庄屋・有路家の住居だったもので、少なくとも3百年以上昔の建物で、芭蕉が奥の細道で逗留した当時の原型を遺す唯一の建物だと云う。

また当時この辺りは”小国”という地名で呼ばれ、ここで飼育された”小国馬”は山形県随一を誇っていた。

冬寒いこの地域では、馬も家族と同じ屋根の下で育てられた。

裏に資料が展示されており、興味深かったのは、後に訪れる難所の”山刀伐峠(なたぎりとうげ)”の名は、当時冬にこの辺りで使用された萱で編まれた被り物・”なたぎり”の傾斜の形状が、”山刀伐峠の急坂を想わせる事から来ていると知ったことだ。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP