サウサンプトン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
「シーシティ博物館/Seacity Museum」の見学を終えた後はぶらぶらと町の中心部に戻ってきます。そろそろお昼時間なのですが、2人が考えていたのは中華料理を食べるということでした。これは暗黙の了解で、何軒かあった店の中で「上海灘」という店を選びました。店内は地元の中国系の家族が多く、美味しいであろうことは想像できます。まずは冷たいビールを貰い、選んだのは「粤式鶏巻(広東風春巻)」「涼拌土豆絲(細切りジャガイモの冷製)」「酸辣湯」「椒塩炸魷魚(スルメイカのフライ塩胡椒風味)」「白飯」と夢のようなメニューです。満腹になったところで「テューダー朝の家/Tudoe House」に向かいます。ここは建物も素晴らしいのですが、係員のおじさんたちがとても面白かったのが印象に残りました。まずはホールのような部屋に入れられると部屋が真っ暗になり、この家のゴーストが現れて歴史を説明してくれます。「サウザンプトン」の街の城壁に接した庭園も素晴らしくなかなか見ごたえがありました。妻は先に行ってしまったのですが出口で見つけられずにいたら受付のお兄さんが「奥さんあそこの教会のベンチに座ってますよ。」と教えてくれました。中で展示品について熱心に説明してくれたおばあさんと言い、イギリス人の人懐っこさを感じる出来事でした。午後3時になったのでホテルに戻ってみると部屋の掃除が終わっていたので荷物を上げました。まずは洗濯をして一息つくと妻は先ほど「ZARA」で買ったパンツの裾上げを始めます。夕方までゆっくりするというのでその後は1人で城壁内の町巡りをしました。ホテルで貰った地図をじっくり読みこんで2時間くらいでそのほとんどを見ながら歴史も学ぶことができました。その中には晩御飯を食べようと思っていた、魅せもあったので場所が分かりました。ホテルに戻って妻を伴い「デューク・オブ・ウエリントン/Duke of Wellington」というパブに入り、おすすめのビールを注文して料理が来るのを待ちます。ここで気が付きましたが、隣の席に座っていた人が日本人でした。「サウザンプトン」の大学に通う大学生と「ウインチェスター」の日本料理店で働いている方と何十年とこの辺りに住んでいるという方でした。リーガルプリンセスには日本人の乗客がいなかったので妻以外の日本人の方と話すのは2週間ぶりだったので新鮮でした。結局3週間の旅で日本の方に出会ったのはこの時だけでした。「サウザンプトン」の旅も今日で終わり、明日からはイギリス南部の旅が始まります。<br />

リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(31)テューダー朝の家と街歩きを終え、デューク・オブ・ウエリントンの料理に舌鼓み。

14いいね!

2025/05/21 - 2025/05/21

10位(同エリア42件中)

旅行記グループ 2025英国クルーズの旅1

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kojikoji

kojikojiさん

「シーシティ博物館/Seacity Museum」の見学を終えた後はぶらぶらと町の中心部に戻ってきます。そろそろお昼時間なのですが、2人が考えていたのは中華料理を食べるということでした。これは暗黙の了解で、何軒かあった店の中で「上海灘」という店を選びました。店内は地元の中国系の家族が多く、美味しいであろうことは想像できます。まずは冷たいビールを貰い、選んだのは「粤式鶏巻(広東風春巻)」「涼拌土豆絲(細切りジャガイモの冷製)」「酸辣湯」「椒塩炸魷魚(スルメイカのフライ塩胡椒風味)」「白飯」と夢のようなメニューです。満腹になったところで「テューダー朝の家/Tudoe House」に向かいます。ここは建物も素晴らしいのですが、係員のおじさんたちがとても面白かったのが印象に残りました。まずはホールのような部屋に入れられると部屋が真っ暗になり、この家のゴーストが現れて歴史を説明してくれます。「サウザンプトン」の街の城壁に接した庭園も素晴らしくなかなか見ごたえがありました。妻は先に行ってしまったのですが出口で見つけられずにいたら受付のお兄さんが「奥さんあそこの教会のベンチに座ってますよ。」と教えてくれました。中で展示品について熱心に説明してくれたおばあさんと言い、イギリス人の人懐っこさを感じる出来事でした。午後3時になったのでホテルに戻ってみると部屋の掃除が終わっていたので荷物を上げました。まずは洗濯をして一息つくと妻は先ほど「ZARA」で買ったパンツの裾上げを始めます。夕方までゆっくりするというのでその後は1人で城壁内の町巡りをしました。ホテルで貰った地図をじっくり読みこんで2時間くらいでそのほとんどを見ながら歴史も学ぶことができました。その中には晩御飯を食べようと思っていた、魅せもあったので場所が分かりました。ホテルに戻って妻を伴い「デューク・オブ・ウエリントン/Duke of Wellington」というパブに入り、おすすめのビールを注文して料理が来るのを待ちます。ここで気が付きましたが、隣の席に座っていた人が日本人でした。「サウザンプトン」の大学に通う大学生と「ウインチェスター」の日本料理店で働いている方と何十年とこの辺りに住んでいるという方でした。リーガルプリンセスには日本人の乗客がいなかったので妻以外の日本人の方と話すのは2週間ぶりだったので新鮮でした。結局3週間の旅で日本の方に出会ったのはこの時だけでした。「サウザンプトン」の旅も今日で終わり、明日からはイギリス南部の旅が始まります。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
50万円 - 100万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー ヒッチハイク 徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • 「シーシティ博物館/Seacity Museum」から町中に戻ってくるとユニオンジャックの真ん中に「VJ-DAY 80 15August 2025」とあります。日本の敗戦記念日である8月15日は連合国にとっては戦勝記念日であり、今年は80周年に当たります。

    「シーシティ博物館/Seacity Museum」から町中に戻ってくるとユニオンジャックの真ん中に「VJ-DAY 80 15August 2025」とあります。日本の敗戦記念日である8月15日は連合国にとっては戦勝記念日であり、今年は80周年に当たります。

  • 妻はグーグルマップを検索してこの「上海灘」に決めていた油です。確かに2週間洋食ばかりだったので中華料理を求める体になっています。

    妻はグーグルマップを検索してこの「上海灘」に決めていた油です。確かに2週間洋食ばかりだったので中華料理を求める体になっています。

  • 階段を上がった2階の店はかなり大きくて高級感があり、地元に住む中国系の家族連れが多く食事をされていました。「上海灘」というと初めて妻と上海へ行った20数年前にセーターを買ってもらったブランド「上海灘(Shanghai Tang)」を思い出します。当時はまだブレイクする前でしたが、現在はリシュモングループの傘下に入っています。

    階段を上がった2階の店はかなり大きくて高級感があり、地元に住む中国系の家族連れが多く食事をされていました。「上海灘」というと初めて妻と上海へ行った20数年前にセーターを買ってもらったブランド「上海灘(Shanghai Tang)」を思い出します。当時はまだブレイクする前でしたが、現在はリシュモングループの傘下に入っています。

  • まずは妻の大好物の「酸辣湯」からスタートします。かなり本格的な味付けで、中華料理に飢えていた体に沁みます。小さな小碗で5.5ポンドです。

    まずは妻の大好物の「酸辣湯」からスタートします。かなり本格的な味付けで、中華料理に飢えていた体に沁みます。小さな小碗で5.5ポンドです。

  • 大きな丼に入った白ご飯も久し振りに頂きます。船内ではお粥ばかりでしたので、ちょっとくらいのパサパサは気になりません。3.8ポンド。

    大きな丼に入った白ご飯も久し振りに頂きます。船内ではお粥ばかりでしたので、ちょっとくらいのパサパサは気になりません。3.8ポンド。

  • 「椒塩炸魷魚(スルメイカのフライ塩胡椒風味)」はふりかけのようにかけられたスパイシーなスパイスがめちゃくちゃおいしいです。13ポンド。

    「椒塩炸魷魚(スルメイカのフライ塩胡椒風味)」はふりかけのようにかけられたスパイシーなスパイスがめちゃくちゃおいしいです。13ポンド。

  • 「粤式鶏巻(広東風春巻)」は甘いタレで、ここまでの麻辣な料理から味変できます。4.4ポンド。

    「粤式鶏巻(広東風春巻)」は甘いタレで、ここまでの麻辣な料理から味変できます。4.4ポンド。

  • 「涼拌土豆絲(細切りジャガイモの冷製)」はいつも痛めて熱々の料理でいただいていますが、ここでは冷製の料理でした。初めて食べましたが冷製も美味しいのだと知りました。11ポンド。

    「涼拌土豆絲(細切りジャガイモの冷製)」はいつも痛めて熱々の料理でいただいていますが、ここでは冷製の料理でした。初めて食べましたが冷製も美味しいのだと知りました。11ポンド。

  • 青島ビールを何本か飲んで美味しい中華料理も食べられたので妻も元気になり、午後の観光に移ります。<br />

    青島ビールを何本か飲んで美味しい中華料理も食べられたので妻も元気になり、午後の観光に移ります。

  • 「セント・マイケル教会/St Michael&#39;s Church」の脇を通りがかりました。この教会はサウサンプトン最古の建物で、最初の教会は1070年頃に建てられました。何世紀にもわたって多くの改築が行われてきましたが、ノルマン様式の塔は今もなお見ることができます。

    「セント・マイケル教会/St Michael's Church」の脇を通りがかりました。この教会はサウサンプトン最古の建物で、最初の教会は1070年頃に建てられました。何世紀にもわたって多くの改築が行われてきましたが、ノルマン様式の塔は今もなお見ることができます。

  • 何度かこの教会の前を通りましたが、いつもかぎが掛かっていて中に入ることは出来ませんでした。

    何度かこの教会の前を通りましたが、いつもかぎが掛かっていて中に入ることは出来ませんでした。

  • ガラス張りの扉からは少し内部をうかがい知ることが出来ました。シンプルな英国国教会といった雰囲気です。

    ガラス張りの扉からは少し内部をうかがい知ることが出来ました。シンプルな英国国教会といった雰囲気です。

  • 小さな広場の先には目的の「テューダー・ハウス/Tudor House &amp; Garden」がありました。訪問時は他に見学者が全くおらず、鉛の強い英語を話すおじさんが館内についての説明をしてくれます。

    小さな広場の先には目的の「テューダー・ハウス/Tudor House & Garden」がありました。訪問時は他に見学者が全くおらず、鉛の強い英語を話すおじさんが館内についての説明をしてくれます。

  • 受付の裏側の大きなホールでしばらく座っているように言われます。しばらくすると部屋が暗くなり、何人かのゴーストが現れて、この屋敷について話し合っています。

    受付の裏側の大きなホールでしばらく座っているように言われます。しばらくすると部屋が暗くなり、何人かのゴーストが現れて、この屋敷について話し合っています。

  • ホログラムのようなゴーストが現れたり、暖炉に火が入ったりなかなか凝った造りになっています。

    ホログラムのようなゴーストが現れたり、暖炉に火が入ったりなかなか凝った造りになっています。

  • 博物館でこんな体験が出来るのはとても面白かったし、我々以外に他の見学者がいなかったのは余計に良かったと思います。

    博物館でこんな体験が出来るのはとても面白かったし、我々以外に他の見学者がいなかったのは余計に良かったと思います。

  • ゴーストが去ると先ほどのおじさんが現れて、まずはガーデンに案内してくれました。ヨーロッパの美術館や博物館に入ると年配の係員さんが受け持ちの部屋や展示されている絵画などにものすごい誇りを持っていることを感じることがあります。この建物でもそんなことを思い出しました。

    ゴーストが去ると先ほどのおじさんが現れて、まずはガーデンに案内してくれました。ヨーロッパの美術館や博物館に入ると年配の係員さんが受け持ちの部屋や展示されている絵画などにものすごい誇りを持っていることを感じることがあります。この建物でもそんなことを思い出しました。

  • 古い噴水池を中心に美しいイングリッシュガーデンが広がっています。ちょうど5月下旬ということもあって美しい花が咲き乱れています。

    古い噴水池を中心に美しいイングリッシュガーデンが広がっています。ちょうど5月下旬ということもあって美しい花が咲き乱れています。

  • ジギタリスの咲く庭を見ていたら以前行ったスリランカのヌワラエリアの「ヒル・クラブ」を思い出しました。セイロン時代の英国のジェントルマン・クラブの伝統を遺したホテルでの一晩は思い出に残る体験で、その時の美しい庭園を思い出しました。<br />ヒル・クラブ:https://4travel.jp/travelogue/11248783

    ジギタリスの咲く庭を見ていたら以前行ったスリランカのヌワラエリアの「ヒル・クラブ」を思い出しました。セイロン時代の英国のジェントルマン・クラブの伝統を遺したホテルでの一晩は思い出に残る体験で、その時の美しい庭園を思い出しました。
    ヒル・クラブ:https://4travel.jp/travelogue/11248783

  • ぶどう棚の葉は茂り、この先の暑い季節には涼しい木陰を作っていくのだと感じます。

    ぶどう棚の葉は茂り、この先の暑い季節には涼しい木陰を作っていくのだと感じます。

  • 「サウザンプトン」の町の旧市街は14世紀にフランスとジェノバの兵士に攻撃された街を守るためにエドワード2世によって建てられた城壁に囲まれています。

    「サウザンプトン」の町の旧市街は14世紀にフランスとジェノバの兵士に攻撃された街を守るためにエドワード2世によって建てられた城壁に囲まれています。

  • この「テューダー・ハウス」もこの城壁に面して建てられているので、このような要塞のような庭園も併設しています。

    この「テューダー・ハウス」もこの城壁に面して建てられているので、このような要塞のような庭園も併設しています。

  • 全面の優雅なテューダー様式の建物とは違った武骨さが感じられますが、その対比も面白いです。

    全面の優雅なテューダー様式の建物とは違った武骨さが感じられますが、その対比も面白いです。

  • 妻は花の名前に詳しいので以前はいろいろ教えてもらっていましたが、昨今はグーグルレンズ先生の方が優しく教えてくれます。

    妻は花の名前に詳しいので以前はいろいろ教えてもらっていましたが、昨今はグーグルレンズ先生の方が優しく教えてくれます。

  • フランスのロワール渓谷の城巡りをした時のことを思い出します。「ヴィランドリー城」など数日かけて13の城館を巡るという酔狂な旅でしたが、居間となっては貴重な思い出です。<br />ヴィランドリー城:https://4travel.jp/travelogue/10628697

    フランスのロワール渓谷の城巡りをした時のことを思い出します。「ヴィランドリー城」など数日かけて13の城館を巡るという酔狂な旅でしたが、居間となっては貴重な思い出です。
    ヴィランドリー城:https://4travel.jp/travelogue/10628697

  • 八重咲の芍薬がきれいに咲いていました。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という都々逸がありますが、これは美人を形容するものだと思っていましたが、元々は女性の生薬の使い方を示す意味があり、イラ立ちやすい女性は芍薬の根を、座りがちの女性は牡丹の根の皮を、フラフラ歩く女性は百合の根を用いると良いということだそうです。うちは牡丹と百合ですね。

    八重咲の芍薬がきれいに咲いていました。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という都々逸がありますが、これは美人を形容するものだと思っていましたが、元々は女性の生薬の使い方を示す意味があり、イラ立ちやすい女性は芍薬の根を、座りがちの女性は牡丹の根の皮を、フラフラ歩く女性は百合の根を用いると良いということだそうです。うちは牡丹と百合ですね。

  • ラベンダーも小さな薄紫の花をつけていました。初めてラベンダー畑を見たのは35年前の初めてのヨーロッパの旅で、南仏のラングドック=ルシヨンにある「リステル」というワイナリーの庭でした。これが南仏の風景かと思った眺めでもありました。

    ラベンダーも小さな薄紫の花をつけていました。初めてラベンダー畑を見たのは35年前の初めてのヨーロッパの旅で、南仏のラングドック=ルシヨンにある「リステル」というワイナリーの庭でした。これが南仏の風景かと思った眺めでもありました。

  • この博物館ではいくつかの過去の時代と現代のこの館の変遷をこのようなパネルや展示で知ることが出来ます。テューダー庭園の時代は地位の象徴として扱われ、装飾的な植物以外にも料理や病気の治療に使われるものが植えられていました。1700年代になると世界中から集められた植物で花壇は埋め尽くされます。1800年代になるとここに住んでいた住人によって染色工場の一部だったり、ゴミ捨て場にもなったようです。現在は1500年代の姿が再現されているようです。

    この博物館ではいくつかの過去の時代と現代のこの館の変遷をこのようなパネルや展示で知ることが出来ます。テューダー庭園の時代は地位の象徴として扱われ、装飾的な植物以外にも料理や病気の治療に使われるものが植えられていました。1700年代になると世界中から集められた植物で花壇は埋め尽くされます。1800年代になるとここに住んでいた住人によって染色工場の一部だったり、ゴミ捨て場にもなったようです。現在は1500年代の姿が再現されているようです。

  • ここからは館内の展示室に移りますが、この辺りの部分は1834年から1888年までは染色工場でした。それ以外にも製本職人や靴職人や仕立て屋などの職人の工房もありました。1980年から2002年の間は納屋でもあったようです。

    ここからは館内の展示室に移りますが、この辺りの部分は1834年から1888年までは染色工場でした。それ以外にも製本職人や靴職人や仕立て屋などの職人の工房もありました。1980年から2002年の間は納屋でもあったようです。

  • 博物館の内部もガーデンのようにその時代ごとの変遷が紹介されています。例えばここでは陶器製のカップが展示されています。要とは様々ですが、緑色は1400年から1500年代のテューダー時代のカップです。

    博物館の内部もガーデンのようにその時代ごとの変遷が紹介されています。例えばここでは陶器製のカップが展示されています。要とは様々ですが、緑色は1400年から1500年代のテューダー時代のカップです。

  • それがヴィクトリア時代になると現代にも通じるような磁器のカップとソーサーがあります。

    それがヴィクトリア時代になると現代にも通じるような磁器のカップとソーサーがあります。

  • そして現代になるとスターバックスのカップや2004年のサウザンプトンのフットボールチームのお土産用のマグカップになります。

    そして現代になるとスターバックスのカップや2004年のサウザンプトンのフットボールチームのお土産用のマグカップになります。

  • テューダー時代の食事はマンシェットパンとウズラ、アスパラガスとレモンが添えられています。この時代はまだフォークを使わなかったようです。

    テューダー時代の食事はマンシェットパンとウズラ、アスパラガスとレモンが添えられています。この時代はまだフォークを使わなかったようです。

  • ヴィクトリア時代の食事はラムチョップにポテトリソール、ニンジンにパセリ、トマトが添えられています。器も陶器製に変わり、ナイフとフォークが使われました。

    ヴィクトリア時代の食事はラムチョップにポテトリソール、ニンジンにパセリ、トマトが添えられています。器も陶器製に変わり、ナイフとフォークが使われました。

  • 現代の食事は時代を越え、このような姿に変わりました。強い皮肉や自虐的でもあるブリティッシュ・ジョーク(British joke)を感じます。このコーナーにいらした博物館のスタッフの女性は編み物の手を止めていろいろ説明をしてくださいました。あまりに熱心でかなり時間を取られてしまいました。妻はその間に先へ進んでしまいました。

    現代の食事は時代を越え、このような姿に変わりました。強い皮肉や自虐的でもあるブリティッシュ・ジョーク(British joke)を感じます。このコーナーにいらした博物館のスタッフの女性は編み物の手を止めていろいろ説明をしてくださいました。あまりに熱心でかなり時間を取られてしまいました。妻はその間に先へ進んでしまいました。

  • テューダー時代の食器はバラエティーに富み、ヨーロッパ各地からもたらされたものも多かったようです。3つのマグカップはドイツのラインハルト地方の石器製のものです。

    テューダー時代の食器はバラエティーに富み、ヨーロッパ各地からもたらされたものも多かったようです。3つのマグカップはドイツのラインハルト地方の石器製のものです。

  • 北イタリアのモンテ・ルーボのマジョリカ焼きの食卓用の塩入れで、仮面をつけた色鮮やかな芸人たちが皿を掲げています。

    北イタリアのモンテ・ルーボのマジョリカ焼きの食卓用の塩入れで、仮面をつけた色鮮やかな芸人たちが皿を掲げています。

  • イギリスのサウスヨークシャー、ミッドランド地方のシトー会の塩入れはテューダー朝の衣装を着た男女の像になっています。受け皿は失われてしまったようです。

    イギリスのサウスヨークシャー、ミッドランド地方のシトー会の塩入れはテューダー朝の衣装を着た男女の像になっています。受け皿は失われてしまったようです。

  • テューダー時代の人々は宗教的な理由から水曜日と金曜日、イースター前の40日間である四旬節には肉を食べませんでした。代わりに魚市場で新鮮な魚やストックフィッシュと呼ばれる臭いタラの干物や塩漬けニシンなどの保存食を食べました。

    テューダー時代の人々は宗教的な理由から水曜日と金曜日、イースター前の40日間である四旬節には肉を食べませんでした。代わりに魚市場で新鮮な魚やストックフィッシュと呼ばれる臭いタラの干物や塩漬けニシンなどの保存食を食べました。

  • 「ヴィクトリア時代のキッチン」<br />ヴィクトリア時代になるとこの館にはいくつもの家族が住むようになり、それぞれにこのようなキッチンがあったようです。直火の薪に変わってオーブンとホットプレートが置かれ、石炭を燃料としたために大量の煙が出たことでしょう。水道は無いので井戸から運ぶしかありませんでした。

    「ヴィクトリア時代のキッチン」
    ヴィクトリア時代になるとこの館にはいくつもの家族が住むようになり、それぞれにこのようなキッチンがあったようです。直火の薪に変わってオーブンとホットプレートが置かれ、石炭を燃料としたために大量の煙が出たことでしょう。水道は無いので井戸から運ぶしかありませんでした。

  • 並べられたパイ料理の横にあるスパイス入れには実際にその当時に使われたものと同じものが入れられ、その時代の匂いを嗅ぐことが出来ます。容器はメアリー・ローズ号で使われたものと同じデザインで、その中にはシナモン、クローブ、タイム、ラベンダーが入っています。

    並べられたパイ料理の横にあるスパイス入れには実際にその当時に使われたものと同じものが入れられ、その時代の匂いを嗅ぐことが出来ます。容器はメアリー・ローズ号で使われたものと同じデザインで、その中にはシナモン、クローブ、タイム、ラベンダーが入っています。

  • キッチンの慌ただしさが伝わってくるような展示です。それでも日本の食品蝋サンプルを見慣れていると少しリアリティに欠けるように思えてしまいます。

    キッチンの慌ただしさが伝わってくるような展示です。それでも日本の食品蝋サンプルを見慣れていると少しリアリティに欠けるように思えてしまいます。

  • ベル・キッチンレンジはヴィクトリア時代の料理に革命をもたらしました。しかし、大量の石炭を消費するために煙を排出し空気を汚し、石炭の質によっては点火しないこともあり「気まぐれモンスター」と揶揄されることもあったようです。

    ベル・キッチンレンジはヴィクトリア時代の料理に革命をもたらしました。しかし、大量の石炭を消費するために煙を排出し空気を汚し、石炭の質によっては点火しないこともあり「気まぐれモンスター」と揶揄されることもあったようです。

  • テューダー時代の道具には実際に手で触ることが出来ます。①は金属製のゼリー型、②は砂糖を切る専用のハサミで、この当時砂糖は円錐形の形で固められていました。③自家製バターを長方形に成形する型、④木製の洗濯ばさみ、⑤炭を入れてネッスルアイロン、⑥石器製の湯たんぽは別途を温めるのに使われました。

    テューダー時代の道具には実際に手で触ることが出来ます。①は金属製のゼリー型、②は砂糖を切る専用のハサミで、この当時砂糖は円錐形の形で固められていました。③自家製バターを長方形に成形する型、④木製の洗濯ばさみ、⑤炭を入れてネッスルアイロン、⑥石器製の湯たんぽは別途を温めるのに使われました。

  • ヴィクトリア朝時代の小さな家庭の使用人には寝室が無いことが多かったようです。その場合は食器棚や階段の下で寝ることがありました。

    ヴィクトリア朝時代の小さな家庭の使用人には寝室が無いことが多かったようです。その場合は食器棚や階段の下で寝ることがありました。

  • リタ・モリスという女性のコレクションの陶器たちが並んでいます。これらは1860年代から1975年にかけて作られたもののようです。

    リタ・モリスという女性のコレクションの陶器たちが並んでいます。これらは1860年代から1975年にかけて作られたもののようです。

  • 陶磁器のフェアリングは小さな磁器の装飾品で、高さ約7.5センチから約12.5センチまでの人物が組み込まれ、ユーモラス、政治的、家庭的なさまざまなシーンが描かれています。

    陶磁器のフェアリングは小さな磁器の装飾品で、高さ約7.5センチから約12.5センチまでの人物が組み込まれ、ユーモラス、政治的、家庭的なさまざまなシーンが描かれています。

  • 装飾品にはほとんどの場合に台座が設けられ、その台座にシーンを説明するキャプションが刻まれています。

    装飾品にはほとんどの場合に台座が設けられ、その台座にシーンを説明するキャプションが刻まれています。

  • チャイナフェアリングはヴィクトリア朝時代の見本市で賞品として配られたため、そのように名付けられましたが、一部は単に販売のために製造されました。それらは19世紀半ばに最初に登場し始め、第1次世界大戦が始まるまで人気がありました。

    チャイナフェアリングはヴィクトリア朝時代の見本市で賞品として配られたため、そのように名付けられましたが、一部は単に販売のために製造されました。それらは19世紀半ばに最初に登場し始め、第1次世界大戦が始まるまで人気がありました。

  • ほとんどのフェアリングはドイツで製造されました。このコンタ&ベーム社(Conta and Boehme)は他社にはない量産方法を開発したことにより優位だったようです。

    ほとんどのフェアリングはドイツで製造されました。このコンタ&ベーム社(Conta and Boehme)は他社にはない量産方法を開発したことにより優位だったようです。

  • 「ネズミ!ネズミ!」<br />かわいらしい子供阿たちが寝床に現れたネズミに大哀れですが、ネズミの姿はありません。

    「ネズミ!ネズミ!」
    かわいらしい子供阿たちが寝床に現れたネズミに大哀れですが、ネズミの姿はありません。

  • 「くすぐるのは止めなさい!」<br />コレクターがたくさんいるのも分かるような気がします。

    「くすぐるのは止めなさい!」
    コレクターがたくさんいるのも分かるような気がします。

  • 「サウザンプトンの眺望」フレデリック・リー・ブリデル<br />19世紀の地元の画家ですが海外で活躍したために故郷の風景を見ることは稀だったようです。サウザンプトンが港を中心に工業の町へ変わる時代の風景です。

    「サウザンプトンの眺望」フレデリック・リー・ブリデル
    19世紀の地元の画家ですが海外で活躍したために故郷の風景を見ることは稀だったようです。サウザンプトンが港を中心に工業の町へ変わる時代の風景です。

  • 「サウザンプトンの西の壁の風景」作者不詳<br />現在のショッピングセンターのある辺りは湾が入り込んでいたことが分かる風景です。

    「サウザンプトンの西の壁の風景」作者不詳
    現在のショッピングセンターのある辺りは湾が入り込んでいたことが分かる風景です。

  • 「遠くの森の風景」フレデリック・ゴールド・ショート<br />このような風景をクルーズ中のエクスカーションのツアーで何度も見てきました。19世紀の風景がそのまま残るこの国は改めて素晴らしいと思います。

    「遠くの森の風景」フレデリック・ゴールド・ショート
    このような風景をクルーズ中のエクスカーションのツアーで何度も見てきました。19世紀の風景がそのまま残るこの国は改めて素晴らしいと思います。

  • イギリスの「ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館」にはコレクションもあるようでペットの剥製というのポピュラーな考え方なのかもしれません。映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」の中でもピックル(Mr. Pickle)という愛犬の剥製が出てきたことを思い出しました。

    イギリスの「ウォルター・ロスチャイルド動物学博物館」にはコレクションもあるようでペットの剥製というのポピュラーな考え方なのかもしれません。映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」の中でもピックル(Mr. Pickle)という愛犬の剥製が出てきたことを思い出しました。

  • このようなガラスドームは「グローブ・ド・マリエ/Globe de mariee」と呼ばれるもので19世紀のフランスで流行ったものでした。

    このようなガラスドームは「グローブ・ド・マリエ/Globe de mariee」と呼ばれるもので19世紀のフランスで流行ったものでした。

  • 見学を終えて入り口まで戻ると妻の姿がありません。辺りを見渡していると受付の若い男性が「奥さんは広場の向こうの教会の前のベンチに座って待っていますよ。」と教えてくれました。見学している人が我々だけだったということもありますが、ほのぼのとした気持ちにさせてくれる博物館でした。

    見学を終えて入り口まで戻ると妻の姿がありません。辺りを見渡していると受付の若い男性が「奥さんは広場の向こうの教会の前のベンチに座って待っていますよ。」と教えてくれました。見学している人が我々だけだったということもありますが、ほのぼのとした気持ちにさせてくれる博物館でした。

  • 表通りに戻ると「ホリールード教会/Holyrood Church」の近くでした。この廃墟になった教会については2週間前の旅行記でも紹介しました。

    表通りに戻ると「ホリールード教会/Holyrood Church」の近くでした。この廃墟になった教会については2週間前の旅行記でも紹介しました。

  • イギリスを旅しているといろいろな町で「ハイストリート/High Street」を見掛けることがあります。イギリスで最もありふれた街路名であり、イギリスの街路名で最も多いのが「ハイ・ストリート」で 5,410カ所、これに「ステーション・ロード (Station Road)」3,811カ所、「メイン・ストリート (Main Street)」 2,702カ所が続いているそうです。

    イギリスを旅しているといろいろな町で「ハイストリート/High Street」を見掛けることがあります。イギリスで最もありふれた街路名であり、イギリスの街路名で最も多いのが「ハイ・ストリート」で 5,410カ所、これに「ステーション・ロード (Station Road)」3,811カ所、「メイン・ストリート (Main Street)」 2,702カ所が続いているそうです。

  • ようやく「スター・ホテル」に戻ってきました。この時間であればチェックインできます。サウザンプトンの歴史を学んできた後だとこのホテルに宿泊して良かったと思えます。出来る事なら馬車でこのゲートに降り立ちたかったです。

    ようやく「スター・ホテル」に戻ってきました。この時間であればチェックインできます。サウザンプトンの歴史を学んできた後だとこのホテルに宿泊して良かったと思えます。出来る事なら馬車でこのゲートに降り立ちたかったです。

  • 2週間前は日当たりは良いけど建物の裏側の部屋でしたが、今回は表通りに面した広い部屋でした。

    2週間前は日当たりは良いけど建物の裏側の部屋でしたが、今回は表通りに面した広い部屋でした。

  • 調度品などは各部屋共に共通のようです。今回は1泊だけなのでクルーズ船からの荷物はほとんどはそのままにしておきます。

    調度品などは各部屋共に共通のようです。今回は1泊だけなのでクルーズ船からの荷物はほとんどはそのままにしておきます。

  • とはいえ数日分の洗濯物があるので、まずはそれを片付けてしまいます。

    とはいえ数日分の洗濯物があるので、まずはそれを片付けてしまいます。

  • 今回の部屋も大きなバスタブがありました。あまりに大きすぎるのですがお湯を溜めて久し振りにお湯に浸かることが出来ました。

    今回の部屋も大きなバスタブがありました。あまりに大きすぎるのですがお湯を溜めて久し振りにお湯に浸かることが出来ました。

  • それ以外にもシャワーブースもあります。妻は歩き疲れたのと「ZARA」で買ったばかりのズボンの裾上げをするというので1人で散歩に出掛けることにします。

    それ以外にもシャワーブースもあります。妻は歩き疲れたのと「ZARA」で買ったばかりのズボンの裾上げをするというので1人で散歩に出掛けることにします。

  • 散歩に出た理由はこれまで3日間サウザンプトンの町巡りをしてきましたが、それでも旧市街を囲む城壁を見てまわれていないということが気になっていました。ホテルのフロントにあった地図にも城壁と周辺の観光ポイントが記載されています。

    散歩に出た理由はこれまで3日間サウザンプトンの町巡りをしてきましたが、それでも旧市街を囲む城壁を見てまわれていないということが気になっていました。ホテルのフロントにあった地図にも城壁と周辺の観光ポイントが記載されています。

  • そのパンフレットがこの「ヘリテージ・ウォーキング・トレイル/Heritege Walking Trail」でした。多分これより詳しいサウザンプトンのパンフレットとマップは無いと思います。

    そのパンフレットがこの「ヘリテージ・ウォーキング・トレイル/Heritege Walking Trail」でした。多分これより詳しいサウザンプトンのパンフレットとマップは無いと思います。

  • 宿泊している「スター・ホテル」も掲載されています。18世紀に舗装道路が導入されたことでイギリス国内の旅行や移動が大きく進歩しました。イギリスではバスのことをコーチ(coach)と呼びますが、この当時はハックニーコーチと呼ばれる駅馬車が町と町をつないでいました。ホテルの大きな開口部はこの駅馬車のためのもので、当時の看板がまだ残されています。

    宿泊している「スター・ホテル」も掲載されています。18世紀に舗装道路が導入されたことでイギリス国内の旅行や移動が大きく進歩しました。イギリスではバスのことをコーチ(coach)と呼びますが、この当時はハックニーコーチと呼ばれる駅馬車が町と町をつないでいました。ホテルの大きな開口部はこの駅馬車のためのもので、当時の看板がまだ残されています。

  • まずは「バーゲート/The Bargate」から再スタートすることにします。

    まずは「バーゲート/The Bargate」から再スタートすることにします。

  • ノルマン時代にサウサンプトンの町の城壁の一部として建設された門は街への主要な玄関口でした。現在は左右に続いていた壁は失われているので門といった感じはしません。

    ノルマン時代にサウサンプトンの町の城壁の一部として建設された門は街への主要な玄関口でした。現在は左右に続いていた壁は失われているので門といった感じはしません。

  • 途切れた先には何度も歩いた城壁があり、その上を歩くことが出来るようになっています。城壁はノルマン人が城の防衛を固め、領地を侵略者から守るために築いたものです。今も建つ壁をたどって行くとサウサンプトンの歴史の豊かさをあらためて実感できます。

    途切れた先には何度も歩いた城壁があり、その上を歩くことが出来るようになっています。城壁はノルマン人が城の防衛を固め、領地を侵略者から守るために築いたものです。今も建つ壁をたどって行くとサウサンプトンの歴史の豊かさをあらためて実感できます。

  • 城壁の途中には「ジョン・ル・フレミング像/John Le Fleming Statue 」があります。城壁の下から見上げたことはありましたが、全身像を見るのは初めてです。ジョン・ル・フレミングは14世紀のサウサンプトンの市長でした。

    城壁の途中には「ジョン・ル・フレミング像/John Le Fleming Statue 」があります。城壁の下から見上げたことはありましたが、全身像を見るのは初めてです。ジョン・ル・フレミングは14世紀のサウサンプトンの市長でした。

  • 町を縦断するキャッスル・ウェイの部分の城壁が撤去されており、、その部分は橋が架けられています。

    町を縦断するキャッスル・ウェイの部分の城壁が撤去されており、、その部分は橋が架けられています。

  • 城壁の北西の角には「アルンデル塔/Arundel Tower」があります。13世紀半ばに遡るこの塔は2つの戦闘用プラットフォームから操作する射手による防御用に設計されたドラムタワーです。町の防衛の重要な位置を占め、高さは60フィート近くあり、建設当時ははるか海の景色を望んでいたと思われます。1377年から39年にかけてサウサンプトン城の知事であったジョン・アランデル卿にちなんでアランデルタワーと改名されました。

    城壁の北西の角には「アルンデル塔/Arundel Tower」があります。13世紀半ばに遡るこの塔は2つの戦闘用プラットフォームから操作する射手による防御用に設計されたドラムタワーです。町の防衛の重要な位置を占め、高さは60フィート近くあり、建設当時ははるか海の景色を望んでいたと思われます。1377年から39年にかけてサウサンプトン城の知事であったジョン・アランデル卿にちなんでアランデルタワーと改名されました。

  • 元々は海だったところに巨大なショッピングセンターやシネコンとボウリング場の入った商業施設になっています。

    元々は海だったところに巨大なショッピングセンターやシネコンとボウリング場の入った商業施設になっています。

  • このような表示があり城壁を歩くルートが確立されています。ただ、城壁の上を歩いてしまうと周辺の散策は出来なくなるのでここまでとして下に降ります。

    このような表示があり城壁を歩くルートが確立されています。ただ、城壁の上を歩いてしまうと周辺の散策は出来なくなるのでここまでとして下に降ります。

  • 「キャッスル・ベイリー・ウォール/Castle Bailey Wall」に差し掛かると開口部のいくつかはホームレスの人のねぐらになっているのが分かりました。ホテルの前のハイストリートにも数人見掛けたのですが、移民ではなさそうな容姿に少し驚きがありました。

    「キャッスル・ベイリー・ウォール/Castle Bailey Wall」に差し掛かると開口部のいくつかはホームレスの人のねぐらになっているのが分かりました。ホテルの前のハイストリートにも数人見掛けたのですが、移民ではなさそうな容姿に少し驚きがありました。

  • 午後一番で通りがかった「セント・マイケルズ教会/St Michael&#39;s Church」の周辺には余計に人の気配は感じられません。

    午後一番で通りがかった「セント・マイケルズ教会/St Michael's Church」の周辺には余計に人の気配は感じられません。

  • その先には「中世の商人の家/Medieval Merchant&#39;s House」がありました。1290年頃に裕福な商人ジョン・フォーティンによって建てられたこの家は、何世紀にもわたって住宅および商業用の建築としてほとんど無傷で残されていました。

    その先には「中世の商人の家/Medieval Merchant's House」がありました。1290年頃に裕福な商人ジョン・フォーティンによって建てられたこの家は、何世紀にもわたって住宅および商業用の建築としてほとんど無傷で残されていました。

  • 1940年のドイツ軍の爆撃の被害もあり、現在の建物は修復の手も入っているようですが趣のある建物です。前日に「オンフルール」で見た「ハーフティンバー様式」とも違った雰囲気です。

    1940年のドイツ軍の爆撃の被害もあり、現在の建物は修復の手も入っているようですが趣のある建物です。前日に「オンフルール」で見た「ハーフティンバー様式」とも違った雰囲気です。

  • ホテルのフロントに置かれてあった地図を見ながら片っ端に町中のポイントを散策していますが、「デューク・オブ・ウエリントン/Duke of Wellington」までやってきました。

    ホテルのフロントに置かれてあった地図を見ながら片っ端に町中のポイントを散策していますが、「デューク・オブ・ウエリントン/Duke of Wellington」までやってきました。

  • 12世紀の建物はパブとして営業していますが、ここまで来てこの日の晩ご飯を食べようと思っていた店だということに気が付きました。店の名前は1815年にワーテルローの戦いでナポレオンに勝利したシップライト・アームズという名前から改名されました。

    12世紀の建物はパブとして営業していますが、ここまで来てこの日の晩ご飯を食べようと思っていた店だということに気が付きました。店の名前は1815年にワーテルローの戦いでナポレオンに勝利したシップライト・アームズという名前から改名されました。

  • そのまま西に進むと「ウエスト・ゲート/West Gate」が見えてきます。

    そのまま西に進むと「ウエスト・ゲート/West Gate」が見えてきます。

  • 「ウエストゲート」は1338年のフランス軍襲撃後にノルマン時代のウエスト・キーに建設されました。上部の落し格子の溝と暗渠は現在も残され、上部の塔は大砲を収納するように設計されています。1415年のヘンリー5世の軍隊はこのゲートをくぐってアジャンクールに向かい、1620年にはメイフラワー号とスピードウェル号の乗客と乗組員はここから出港しました。

    「ウエストゲート」は1338年のフランス軍襲撃後にノルマン時代のウエスト・キーに建設されました。上部の落し格子の溝と暗渠は現在も残され、上部の塔は大砲を収納するように設計されています。1415年のヘンリー5世の軍隊はこのゲートをくぐってアジャンクールに向かい、1620年にはメイフラワー号とスピードウェル号の乗客と乗組員はここから出港しました。

  • かつてはこの辺りにウォルター・テイラー(Walter Taylor)というエンジニアが工場を構え、海軍艦艇用の木製の艤装ブロック(rigging blocks)という滑車のような部品を製造していました。彼の開発した艤装ブロックは船や大砲の操作を容易にし、フランス軍に対する優位性をイギリス海軍にもたらしました。

    かつてはこの辺りにウォルター・テイラー(Walter Taylor)というエンジニアが工場を構え、海軍艦艇用の木製の艤装ブロック(rigging blocks)という滑車のような部品を製造していました。彼の開発した艤装ブロックは船や大砲の操作を容易にし、フランス軍に対する優位性をイギリス海軍にもたらしました。

  • 1270年から1300年代にかけてこの辺りはウエスト・フース・キーと呼ばれ、町の主要な商業港でした。1900年代には造船所がありましたが、その後は埋め立てが行われます。

    1270年から1300年代にかけてこの辺りはウエスト・フース・キーと呼ばれ、町の主要な商業港でした。1900年代には造船所がありましたが、その後は埋め立てが行われます。

  • ここでは1450年代の埠頭における造船の工程が紹介されていました。建造途中の木造船の竜骨がリアルです。

    ここでは1450年代の埠頭における造船の工程が紹介されていました。建造途中の木造船の竜骨がリアルです。

  • 中世の船はクリンカー工法と呼ばれる重ね合わせた割板で建造されていました。その後カーベル後方へと変わって行きますが、元々はローマの造船業者によって使われた後方だったようです。コンクリートだけでなく造船もローマの技術なのだと感心します。

    中世の船はクリンカー工法と呼ばれる重ね合わせた割板で建造されていました。その後カーベル後方へと変わって行きますが、元々はローマの造船業者によって使われた後方だったようです。コンクリートだけでなく造船もローマの技術なのだと感心します。

  • かなり良い状態で残された城壁のゲートをくぐると、午後に見学した「テューダー・ハウス/Tudor House &amp; Garden」の庭が見えてきました。なるほどこうやって町を歩くことによって気が付くこともたくさんあります。

    かなり良い状態で残された城壁のゲートをくぐると、午後に見学した「テューダー・ハウス/Tudor House & Garden」の庭が見えてきました。なるほどこうやって町を歩くことによって気が付くこともたくさんあります。

  • 午後6時を過ぎた「テューダー・ハウス」はすでに閉館していて、親切だった係員の方々も家に帰られた後です。

    午後6時を過ぎた「テューダー・ハウス」はすでに閉館していて、親切だった係員の方々も家に帰られた後です。

  • 中世の城壁に接するように建てられた「THE PIG in the Wall」はかつてはジョージアン様式の民家であり、後に市内初のパブとなり、現在は12部屋の隠れ家ホテルとなっています。

    中世の城壁に接するように建てられた「THE PIG in the Wall」はかつてはジョージアン様式の民家であり、後に市内初のパブとなり、現在は12部屋の隠れ家ホテルとなっています。

  • 「ロジャース記念碑/Rogers Memorial」<br />この小さなポートランドの石造りの記念碑は天蓋を支える6本の外側の柱に囲まれた水飲み場を含む中央の柱で構成されており、町の壁の南西のウェスタン・エスプラネードにあります。1899年にチャネル諸島沖で沈没して105人が亡くなった旅客船ステラ号のスチュワーデスだったメアリー・アン・ロジャースを記念しています。すべての女性と子供たちを救命ボートに乗せたメアリー・アンは自分でボートに乗ることを拒否し、救命胴衣を若い女の子に渡しました。彼女は船内に残り、船が沈没したときに溺死した人の1人でした。彼女の英雄的行為は記念碑の一般募集によって資金が集まり、ハーバート・ブライアンズによって設計されました。

    「ロジャース記念碑/Rogers Memorial」
    この小さなポートランドの石造りの記念碑は天蓋を支える6本の外側の柱に囲まれた水飲み場を含む中央の柱で構成されており、町の壁の南西のウェスタン・エスプラネードにあります。1899年にチャネル諸島沖で沈没して105人が亡くなった旅客船ステラ号のスチュワーデスだったメアリー・アン・ロジャースを記念しています。すべての女性と子供たちを救命ボートに乗せたメアリー・アンは自分でボートに乗ることを拒否し、救命胴衣を若い女の子に渡しました。彼女は船内に残り、船が沈没したときに溺死した人の1人でした。彼女の英雄的行為は記念碑の一般募集によって資金が集まり、ハーバート・ブライアンズによって設計されました。

  • 「メイフラワー号巡礼者記念碑/Mayflower Pilgrims Memorial」<br />この記念碑は1913年に建てられました。1620年にサウサンプトン・キーから「メイフラワー号」と「スピードウェル号」が出航したことを記念しています。船はピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)をアメリカに運びました。

    「メイフラワー号巡礼者記念碑/Mayflower Pilgrims Memorial」
    この記念碑は1913年に建てられました。1620年にサウサンプトン・キーから「メイフラワー号」と「スピードウェル号」が出航したことを記念しています。船はピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)をアメリカに運びました。

  • 16世紀にイングランド女王エリザベス1世がイングランド国教会を確立しましたが、17世紀にかけて教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれて弾圧を受けていました。ピューリタン(清教徒)の「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味があります。

    16世紀にイングランド女王エリザベス1世がイングランド国教会を確立しましたが、17世紀にかけて教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれて弾圧を受けていました。ピューリタン(清教徒)の「Pilgrims」は「巡礼始祖」の意味があります。

  • 「ウール・ハウス/The Wool House」はイタリアに輸出するための羊毛を保管するために14世紀後半に建てられました。 19世紀初頭にはナポレオンのフランス人捕虜の刑務所として使用されました。現在は「Dancing Man Brewery」として営業しています。

    「ウール・ハウス/The Wool House」はイタリアに輸出するための羊毛を保管するために14世紀後半に建てられました。 19世紀初頭にはナポレオンのフランス人捕虜の刑務所として使用されました。現在は「Dancing Man Brewery」として営業しています。

  • 「計量所/Weigh House」<br />1275年頃からここではサウザンプトンのもっとも重要な輸出品であった大量の羊毛が計量されました。300年間計量所として使われた後はさらに300年はジャガイモや棚女木から石炭に至るまでが保管されました。元々は10棟の建物がありましたが、現在隣接する学校の建設のために9棟が壊され、1棟だけが残されています。

    「計量所/Weigh House」
    1275年頃からここではサウザンプトンのもっとも重要な輸出品であった大量の羊毛が計量されました。300年間計量所として使われた後はさらに300年はジャガイモや棚女木から石炭に至るまでが保管されました。元々は10棟の建物がありましたが、現在隣接する学校の建設のために9棟が壊され、1棟だけが残されています。

  • 「タウン・キー・パーク/Town Quay Park」<br />ボランティアによって運営されているガーデンにはいろいろな種類の木々や花が植えられ、美しい花を咲かせていました。

    「タウン・キー・パーク/Town Quay Park」
    ボランティアによって運営されているガーデンにはいろいろな種類の木々や花が植えられ、美しい花を咲かせていました。

  • ニオイシュロランが美しい花を咲かせていました。この木の原産はニュージーランドなので英国とのつながりを感じました。

    ニオイシュロランが美しい花を咲かせていました。この木の原産はニュージーランドなので英国とのつながりを感じました。

  • 「キルターの金庫/Quilter&#39;s Vault」<br />金庫室のほとんどはサウサンプトンがワイン貿易の中心地であった時代を反映しており、フランスから輸入されたワインのほとんどがロンドンや国内の他の地域に向かう途中でこの港を経由していました。

    「キルターの金庫/Quilter's Vault」
    金庫室のほとんどはサウサンプトンがワイン貿易の中心地であった時代を反映しており、フランスから輸入されたワインのほとんどがロンドンや国内の他の地域に向かう途中でこの港を経由していました。

  • 現在は廃墟のようで鋳鉄の扉には鍵が架けられていますが、その脇には美しい花畑になっています。

    現在は廃墟のようで鋳鉄の扉には鍵が架けられていますが、その脇には美しい花畑になっています。

  • 花畑を挟んで「クヌート宮殿/Canute&#39;s Palace」が廃墟の様相で残されています。宮殿の名前が付けられていますが12世紀後半にさかのぼるノルマン人の商人の家のようです。建設当時はここより南側は海だったようです。

    花畑を挟んで「クヌート宮殿/Canute's Palace」が廃墟の様相で残されています。宮殿の名前が付けられていますが12世紀後半にさかのぼるノルマン人の商人の家のようです。建設当時はここより南側は海だったようです。

  • 「ウォーターゲート事件の遺跡/The Watergate ruin」<br />ウォーターゲート遺跡は、西暦1377年頃の中世に建てられました。西から町への主要な入り口の1つとして機能し、サウサンプトンの要塞化された城壁の不可欠な部分でした。これらの城壁は1338年のフランスによるサウサンプトン襲撃後の外国の侵略から身を守るために建設されました。

    「ウォーターゲート事件の遺跡/The Watergate ruin」
    ウォーターゲート遺跡は、西暦1377年頃の中世に建てられました。西から町への主要な入り口の1つとして機能し、サウサンプトンの要塞化された城壁の不可欠な部分でした。これらの城壁は1338年のフランスによるサウサンプトン襲撃後の外国の侵略から身を守るために建設されました。

  • ウォーターゲート遺跡の建築は中世の防御構造に見られる典型的な特徴を反映しています。主に石灰岩の瓦礫と切石ので建てられており、下の通路の両側 2つの半円形の塔があります。

    ウォーターゲート遺跡の建築は中世の防御構造に見られる典型的な特徴を反映しています。主に石灰岩の瓦礫と切石ので建てられており、下の通路の両側 2つの半円形の塔があります。

  • チューダー朝時代の1485年から1603年)の間、ウォーターゲートは単なる防衛任務以上の役割を果たしました。それは役人が町に入る輸入品に対して税を徴収する重要な税関となり、その歴史のさまざまな時点で刑務所として機能したと考えられています。

    チューダー朝時代の1485年から1603年)の間、ウォーターゲートは単なる防衛任務以上の役割を果たしました。それは役人が町に入る輸入品に対して税を徴収する重要な税関となり、その歴史のさまざまな時点で刑務所として機能したと考えられています。

  • 「神の家の門/God&#39;s House Tower」は13世紀後半に町の城壁の南東の角に建てられました。1168年にジェルヴァス・ル・リッシュによって旅行者の避難所として設立された神の家病院に近いため、この門は「神の家の門」として知られるようになりました。

    「神の家の門/God's House Tower」は13世紀後半に町の城壁の南東の角に建てられました。1168年にジェルヴァス・ル・リッシュによって旅行者の避難所として設立された神の家病院に近いため、この門は「神の家の門」として知られるようになりました。

  • ジョージ王朝時代のサウザンプトンは温泉リゾートで、この辺りから海辺の遊歩道が続き、観光客や市民が日々散策していたようです。ジェーン・オースティンとその家族は1806年から1809年にかけてこの海岸沿いを頻繁に歩いたようです。

    ジョージ王朝時代のサウザンプトンは温泉リゾートで、この辺りから海辺の遊歩道が続き、観光客や市民が日々散策していたようです。ジェーン・オースティンとその家族は1806年から1809年にかけてこの海岸沿いを頻繁に歩いたようです。

  • 季節の良い5月下旬のサウザンプトンはクルーズターミナルやショッピングセンターを除いた旧市内ではほとんど人の姿を見ることはありませんでした。

    季節の良い5月下旬のサウザンプトンはクルーズターミナルやショッピングセンターを除いた旧市内ではほとんど人の姿を見ることはありませんでした。

  • 「聖ジュリアン教会/St. Julien&#39;s Church」<br />聖ジュリアン教会はカンタベリーへの巡礼者のためのホスピスとして1197年に設立されたセント・ジュリアン病院 (神の家) の礼拝堂でした。1人での散策が1時間以上になってしまったのでそろそろホテルに戻ることにします。

    「聖ジュリアン教会/St. Julien's Church」
    聖ジュリアン教会はカンタベリーへの巡礼者のためのホスピスとして1197年に設立されたセント・ジュリアン病院 (神の家) の礼拝堂でした。1人での散策が1時間以上になってしまったのでそろそろホテルに戻ることにします。

  • ハイストリートは旧市街の中のメインストリートですが、夕方になると人通りもほとんど無く、自分が19世紀のサウザンプトンに迷い込んだような気分に浸れます。

    ハイストリートは旧市街の中のメインストリートですが、夕方になると人通りもほとんど無く、自分が19世紀のサウザンプトンに迷い込んだような気分に浸れます。

  • 2週間前も通りに並ぶ建物のファサードを見て歩いていますが、これが見納めになりそうです。

    2週間前も通りに並ぶ建物のファサードを見て歩いていますが、これが見納めになりそうです。

  • 「レッド・ライオン/The Red Lion」というパブにも行きたかったのですが…。15世紀後半から16世紀初頭に建てられたパブで、宿屋としても営業していました。バーエリアには足の無いゴーストが現れると言われています。

    「レッド・ライオン/The Red Lion」というパブにも行きたかったのですが…。15世紀後半から16世紀初頭に建てられたパブで、宿屋としても営業していました。バーエリアには足の無いゴーストが現れると言われています。

  • 「Dark Arts Potion Bar」というファンタジースタイルのカクテルバーにも行くタイミングがありませんでした。これだけ古い建物が並んでいるとゴーストが見えても不思議では無い気がします。

    「Dark Arts Potion Bar」というファンタジースタイルのカクテルバーにも行くタイミングがありませんでした。これだけ古い建物が並んでいるとゴーストが見えても不思議では無い気がします。

  • 「ホリールード教会/Holyrood Church」もホテルのマップに掲載されているので最後に見ておきます。

    「ホリールード教会/Holyrood Church」もホテルのマップに掲載されているので最後に見ておきます。

  • 唐の表側の壁には1745年にさぬ残布トンで生まれた俳優で作曲家で演劇興行師でもあったチャールズ・ディブディン(Charles Dibdin)の名盤があります。彼はナポレオン戦争中に多くの愛国歌を書き、海軍の士気を高め入隊する人を増やしたと言われます。

    唐の表側の壁には1745年にさぬ残布トンで生まれた俳優で作曲家で演劇興行師でもあったチャールズ・ディブディン(Charles Dibdin)の名盤があります。彼はナポレオン戦争中に多くの愛国歌を書き、海軍の士気を高め入隊する人を増やしたと言われます。

  • ジェーン・オースティンはディブディンの作品のコピーを所有しており、「兵士の嘆き」を「船乗りの嘆き」に改名しています。

    ジェーン・オースティンはディブディンの作品のコピーを所有しており、「兵士の嘆き」を「船乗りの嘆き」に改名しています。

  • 「ドルフィンホテル/Dolphine Hotel」<br />この2週間の間に工事用の足場が組まれてしまいました。3階の部屋は冬の舞踏会の会場にもなり、ジェーン・オースティンは18歳の誕生日をここで踊りました。今回はウインチェスターでジェーンの墓参も出来たので、帰国したら「プライドと偏見(Pride &amp; Prejudice)」を観てみようと思います。

    「ドルフィンホテル/Dolphine Hotel」
    この2週間の間に工事用の足場が組まれてしまいました。3階の部屋は冬の舞踏会の会場にもなり、ジェーン・オースティンは18歳の誕生日をここで踊りました。今回はウインチェスターでジェーンの墓参も出来たので、帰国したら「プライドと偏見(Pride & Prejudice)」を観てみようと思います。

  • ようやくホテルまで戻ってきました。今回の部屋は2階の左側の窓2つ分です。妻はまだズボンの裾上げをしていました。

    ようやくホテルまで戻ってきました。今回の部屋は2階の左側の窓2つ分です。妻はまだズボンの裾上げをしていました。

  • すぐに妻を伴って夕食に出掛けました。5月のイギリス版部は明るいですが、すでに午後8時になっています。何度も歩いた道なので迷うことはありません。

    すぐに妻を伴って夕食に出掛けました。5月のイギリス版部は明るいですが、すでに午後8時になっています。何度も歩いた道なので迷うことはありません。

  • あっという間に「デューク・オブ・ウエリントン/Duke of Wellington」までやってきました。

    あっという間に「デューク・オブ・ウエリントン/Duke of Wellington」までやってきました。

  • ラッキーなことに小さな店の中のテーブルが1つだけ空いていました。

    ラッキーなことに小さな店の中のテーブルが1つだけ空いていました。

  • まずはバーカウンターに行っておすすめのビールを教えてもらいます。妻には「TO HELLES AND BACK」にしました。Hellesはドイツ語の明るいという意味だと教えましたが、「Hell and Back(地獄から戻る)」をもじった名前であることは伏せておきました。

    まずはバーカウンターに行っておすすめのビールを教えてもらいます。妻には「TO HELLES AND BACK」にしました。Hellesはドイツ語の明るいという意味だと教えましたが、「Hell and Back(地獄から戻る)」をもじった名前であることは伏せておきました。

  • 「MADRI」はクアーズがバートン・オン・トレントで開発した英国のビールです。ヨーロピアンスタイルのラガーで軽い飲み口です。帽子と千鳥格子チョッキを着たチュラポの男性をフィーチャーした赤いデザインが使用されており、スペインのビールのモレッティを思い出させます。

    「MADRI」はクアーズがバートン・オン・トレントで開発した英国のビールです。ヨーロピアンスタイルのラガーで軽い飲み口です。帽子と千鳥格子チョッキを着たチュラポの男性をフィーチャーした赤いデザインが使用されており、スペインのビールのモレッティを思い出させます。

  • まずはおつまみのミックスオリーブとフムス、チャバタ添えが出てきました。この店のオリーブは塩味が程よくとても美味しかったです。と同時にオリーブが買えなかったコークでの旅も思い出されます。イタリアの白パンのチャバタ(Ciabatta)も熱々で、フムス(Hummu?)もエジプトやチュニジアやモロッコの旅を思い出させます。

    まずはおつまみのミックスオリーブとフムス、チャバタ添えが出てきました。この店のオリーブは塩味が程よくとても美味しかったです。と同時にオリーブが買えなかったコークでの旅も思い出されます。イタリアの白パンのチャバタ(Ciabatta)も熱々で、フムス(Hummu?)もエジプトやチュニジアやモロッコの旅を思い出させます。

  • カウンターで飲んでいた地元のお客さんは何杯かのビールを飲むといなくなってしまいました。静かになったところで隣のテーブルの男性3人が日本人だということが話声で分かりました。サウザンプトンに留学している大学生とウインチェスターの日本料理店の料理人の方と長年こちらに住んでいる男性で、少しだけ話をしました。何しろヒースロー空港を出発してからの2週間で日本人に出会うことは皆無でした。

    カウンターで飲んでいた地元のお客さんは何杯かのビールを飲むといなくなってしまいました。静かになったところで隣のテーブルの男性3人が日本人だということが話声で分かりました。サウザンプトンに留学している大学生とウインチェスターの日本料理店の料理人の方と長年こちらに住んでいる男性で、少しだけ話をしました。何しろヒースロー空港を出発してからの2週間で日本人に出会うことは皆無でした。

  • 妻はタイ風の野菜レッドカレーで、ナンとライスが添えられています。クルーズ船の中でもずっとカレーといっていたので、よほど食べたかったのでしょう。

    妻はタイ風の野菜レッドカレーで、ナンとライスが添えられています。クルーズ船の中でもずっとカレーといっていたので、よほど食べたかったのでしょう。

  • 本日の肉屋のソーセージにマッシュポテトとグリンピース添えです。熱々のグレービーソースはマッシュポテトによく合います。この日出来たてのソーセージもスパイシーで絶品でした。

    本日の肉屋のソーセージにマッシュポテトとグリンピース添えです。熱々のグレービーソースはマッシュポテトによく合います。この日出来たてのソーセージもスパイシーで絶品でした。

  • これでサウザンプトンに思い残すことは無くなりました。2週間のクルーズも終わって気が抜けそうですが、旅はまだ1週間ほど続きます。

    これでサウザンプトンに思い残すことは無くなりました。2週間のクルーズも終わって気が抜けそうですが、旅はまだ1週間ほど続きます。

  • ホテルへ戻る前に近所のスーパーへ寄ってミネラルウォーターを買いに行きました。もうクルーズ船のドリンクパッケージという天国のようなシステムはありません。イギリスのセルフレジの使い方が分からなくてちょっと困りましたが、近くにいたおばさんたちに助けてもらいました。

    ホテルへ戻る前に近所のスーパーへ寄ってミネラルウォーターを買いに行きました。もうクルーズ船のドリンクパッケージという天国のようなシステムはありません。イギリスのセルフレジの使い方が分からなくてちょっと困りましたが、近くにいたおばさんたちに助けてもらいました。

  • 午後10時過ぎにホテルに戻って、久し振りに陸上のベットで休むことが出来ました。長い1日がようやく終わりました。

    午後10時過ぎにホテルに戻って、久し振りに陸上のベットで休むことが出来ました。長い1日がようやく終わりました。

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